なぜ学校で体罰や指導死が起こるのか?――社会に蔓延する“ダークペダゴジー(闇の教授法)”

学校の教室や部活動における、教師からの体罰が問題視されている。生徒を怒鳴る、脅迫する、見せしめにする、「飴と鞭」を使い分ける……など、子どもたちを恐怖で支配しようとする指導テクニックを指南する教育実践本も多く出版されているという。なぜ今、このような教育方法の需要が高まっているのか。理想の教師像を抱いて教壇に立った教師たちが、なぜ子どもの意見を無視した方法論に手を染めてしまうのか。そして求められる実践について、東京電機大学助教・山本宏樹氏に解説していただいた。(構成/大谷佳名)

 

 

恐怖支配、“飴と鞭”による指導は何が問題なのか

 

――最近、学校の先生の忙しさが問題となり、メディアなどでもよく取り上げられていますね。一方で、「子どもをどうコントロールするか」「子どもをシメる指導方法」などといった内容の、教員向けマニュアル本が売れているとも聞きました。昨今、学校における体罰が問題となっているにもかかわらず、なぜこうしたパワーハラスメント的な指導テクニックが注目を集めているのでしょうか?

 

パワーハラスメント的な指導方法が学校現場で求められること自体は今に始まったことではなく、たとえば1980年代には「管理教育」と呼ばれる抑圧的な指導方法が猛威を振るっていました。1985年には高校の修学旅行にヘアドライヤーを持参した生徒が教師の体罰によって死亡する事件が起きましたし、90年には朝8時30分のチャイムと同時に勢いよく閉められた校門に生徒が挟まれて死亡するという痛ましい事件が社会問題になりました。

 

ただ、そうしたパワハラ的な指導方法は「こころの時代」と呼ばれた90年代にいったん影を潜めていきましたし、体罰もまた度重なる社会問題化のなかで量的には減少していきました。たとえば、NHK放送文化研究所の「中学生と高校生の生活と意識調査」を見ると、1982年調査においては高校生の4割に教師に殴られた経験があったのに対し、2002年調査ではその割合は1割にまで低下していたのです。

 

しかし、2000年代半ば以降、体罰に代わる即効的指導法が求められるなかで、体罰以外のパワハラ的指導法がふたたび活性化しているようです。それがなぜなのか、以下で順を追って説明していきたいと思います。

 

まず、「管理教育」にみられるようなパワハラ的指導方法ですが、ドイツの精神科医アリス・ミラーらはそれを「ダークペダゴジー(闇の教授法, Schwarze Pädagogik)」と呼んでいます(注1)。ダークペダゴジーには生徒を怒鳴りつけたり「保護者を呼ぶぞ」と脅迫したりといった露骨な方法だけでなく、クラスメイトが見ているなかで叱責して一罰百戒をうながしたり、学級に連帯責任を課すことでトラブルメイカーの生徒を孤立させたりなど様々なバリエーションがあります。

 

 

――見せしめにされるのも、生徒にとっては非常にストレスになりますよね。具体的にはどのような手法があるでしょうか。

 

模倣される恐れがあるため、あまり具体的に述べることはできないのですが、初歩的なダークペダゴジーは、叱りつけたり、威圧したり、脅したり、時には暴力を振るったりなど、動物の威嚇攻撃行動や類人猿のマウンティング行動の延長線上にある行動統制方略だといえます。その実質は学習心理学でいう「恐怖条件付け」であり、脳の恐怖中枢を刺激するため人を選ばず即効性を発揮します。ダークペダゴジーは高度化するにつれて単なる恐怖支配ではなく「飴と鞭」を使い分けた巧妙な人心掌握技術の様相を帯びていきます。

 

 

ダークペタゴジーが用いられる要因

 

――どのような状況においてダークペダゴジーが用いられやすいのですか。

 

ダークペダゴジーは、他者の行動や人格をコントロールする必要性と、外部からのまなざしの届かない密室的環境の両方のあるところでは、常に用いられる可能性のあるものです。虐待研究の大家であるJ・ハーマンも指摘するとおり、こうした手法は誰に教わるでもなく繰り返し発明され、学校だけでなく家庭の児童虐待や家庭内暴力の文脈で使用されてきました(注2)。ダークペダゴジーは監獄、捕虜収容所、入院病棟、あるいは企業などでも同様に行動統制や人格改造のために使用されます。

 

学校にはダークペダゴジーを引き寄せる事情があります。まず、生徒たちのなかには、授業中に立ち歩いたり、私語をしたり、決められた服装を守らなかったりと、教員側の望むような秩序に従った行動をとらない子どもが少なからず含まれます。もちろん校則自体がおかしい場合もあるでしょうが、それでも公式のルールである以上は教師の側に「ルール違反の取り締まり」という職務が発生し、教師たちは生徒側の抵抗を排して指導を押し通すための強権を求めがちになります。

 

しかも、学校には、子ども同士の間で頻繁に人権侵害や他害行為が生起するために緊急対応的な制圧行為が正当化されやすいという事情があります。子どもたちは自生的秩序のなかでいじめ関係を形成してマイノリティ生徒に牙を剥いたり、徒党を組んで学級崩壊を引き起こしたり、派閥を作って抗争を行ったりすることがありますし、時には集団的力学のなかで一生徒が教師を圧倒する権力を保持することもあります。

 

学校の教職員集団はそうした生徒たちに対峙する統治機構としての側面を持つため、教育の前提となる秩序管理技術として、ダークペダゴジーに対する潜在的な需要が常に存在するのです。政府が暴力を独占することで治安を維持するという「リヴァイアサン」構想が近代国家の基本原理ですが、学校もまた国家と同様に基本原理のうちに「暴力による治安維持」という要素を含んでいるのです。

 

 

――学校において、特にダークペダゴジーが用いられやすいのはどのような環境でしょうか。

 

小学校の「学級」と中学高校の「部活動」です。日本の小学校は学級集団のまとまりが強く、連帯責任を負わされがちで学級内の情報も外部に漏れにくいという密室環境となりがちです。また小学生は、教師のダークペダゴジーに対抗するためのソーシャルスキルを獲得していない場合が多く、ダークペダゴジーがはびこりがちです。

 

中高の「部活」もまた、自主的活動とされてはいるものの実際には途中離脱や内部告発の難しい密室的環境がありますし、そうしたなかで部活顧問は、生徒の反発やズル休み、チームメイト間のトラブルを防ぐための強権を求めがちです。また、勝利を目指すあまりに保護者や生徒がダークペダゴジーを黙認したり共犯関係になりやすいという事情もあります。

 

発達段階論的に言うと、ダークペダゴジーは小中学校で採用されやすい傾向があります。中学生の半数以上はまだ叱られている理由が「他者の人権を侵害するから」「クラスのみんなの迷惑になっているから」などであることを正確に理解することが難しく、「先生が怒っているから」「罰を受けるのが嫌だから」など素朴な道徳理解に留まっているという調査結果があります(注3)。

 

温和かつ論理的に説得しようとしてもなかなか手応えを感じられず、逆にシンプルな一喝や制裁の有効性が目立つことが誘因となっているのでしょう。特に生徒の自意識が活性化しやすい小学校高学年から中学校にかけては、指導に対する反発を抑えるためにダークペダゴジーが召喚されがちです。

 

高校生以上になるとダークペダゴジーに対抗するソーシャルスキルを獲得するようになりますし、論理的な説得も通りやすくなりますので、ダークペダゴジーの出番は少なくなりますが、教育困難校などでは、生徒間で自生的な暴力秩序が形成されやすいことなどから、教師側に対抗的暴力のニーズが生まれやすくなります。

 

 

――教師の過酷な労働環境も、要因の一つとしてあるのでしょうか。

 

はい。教師が多忙で精神的に消耗していればいるほど、ダークペダゴジーに頼る危険性は高まります。すでに有名な話ですが、日本の教員には「世界一多忙」と呼ばれる勤務実態があります。OECDの世界規模教員調査TALIS 2013によると、日本の中学校教員の勤務時間は1週約54時間で、調査参加国平均の約38時間を大幅に上回っています。

 

2017年4月に公表された文部科学省の全国調査でも平日の勤務時間は小学校教諭で11時間、中学校教諭で11時間半を超えていました。これは民間労働者の平均在社時間(2007年現在)である9時間15分と比べて相当に長いといえます(注4)。土日の勤務時間も増加傾向にあり、「過労死ライン」とされる週60時間労働超(残業時間月80時間超)の状況にある教諭が小学校で約3割、中学で約6割に上ります。

 

さらに、前述の文科省調査によると、この10年で1日あたりの勤務時間は30分〜40分増加しています。他の調査によると勤務時間の増加にともなって減少しているのが睡眠時間で、平均で5時間台となっています(注5)。2002年からは完全週休2日制が実施されましたが、他方で年間授業時間数が増加するなどで授業時数確保のために平日が超多忙化し、夏休みなどの長期休暇期間も短縮され、休みであるはずの土日も部活動指導が入るなど、多忙化状況は相変わらずです。いじめ問題や学校事故などに対する意識の高まりにともなって校務の量も増加しています。

 

そうしたなかで教員の精神的健康に関しても非常に厳しい現状があります。我々が2014年度に行った全国10地域の教員調査では、7割以上の教員が「問題をかかえている子どもに手を焼くことがある」と答えています。「自分の教育・指導の効果について疑問や無力感を感じる」と答えた教員も4割を超えており、精神的に疲弊して仕事への熱意を失う「燃え尽き症候群(バーンアウト・シンドローム)」の危険域に達していると判断される教員も4割に上りました。

 

この結果は他の7つの教員調査でも確認されている日本の教員の一般的傾向です(注6)。前述のTALIS調査においても「指導に対する自信」は参加国の中で最低となっており、自己研鑽に対する意欲は高い一方、校務に束縛されて研修に参加できていない現状があります。

 

 

“理想の教師像”を捨て、ダークサイドに転落する

 

――精神的な疲れによって、先生たちの指導のモチベーションや教師としての自信が低下しているという状況が、ダークペダゴジーの需要が高まるひとつの背景としてあるのですね。

 

はい。疲弊や精神的不安は、攻撃性や自己中心性、不寛容や形式主義的志向性など、理想的教員像にとって致命的な欠点を昂進させるということが、社会心理学の各種実験で明らかになっています(注7)。前述した我々の2014年の教員調査でも、ベテラン教師のほうが強権的指導法に対して賛意を示す傾向にあることが示されました。

 

瑞々しい感性をもって教壇に立ったはずの教師の雛鳥たちが、年を追うごとに理想を手放しダークサイドに転落していく現状が存在するのです。みずからの教育実践に自信がもてず、その日一日を乗り切るために必死になっている教師が、藁にもすがる思いでダークペダゴジーに手を伸ばすという構図がそこには存在します。日本の学校現場は強権的教師を育てる温床になっているのです。

 

学校でダークペダゴジーが求められるもうひとつの社会的要因としては、教師が教師というだけで無前提に信頼されていた「教師の黄金時代」が70年代に終わり、現代の教師たちは希薄化した権威と慢性的な教師不信のなかで生きているという点が挙げられます(注8)。教職という職業自体にかつて付随していた輝かしいカリスマ的オーラが剥落し、生身の人間として子どもと向き合わないといけなくなっているのです。子どもから軽蔑や攻撃をされれば教師も人間である以上傷つくわけで、そうしたトラウマや恐怖心が教師をダークペダゴジーで武装する道へと駆り立てる要因になっているのでしょう。

 

 

ダークペダゴジーが引き起こす“道徳の忘却”

 

――ダークペダゴジーは、子どもの心理や学習にどのような影響を及ぼすのですか。

 

ダークペダゴジーの実質は前述のとおり学習心理学でいう「恐怖条件付け」ですので、「立ちすくんで問題行動を中断する」「言われるままに動く」といった子どもの反応は期待できます。しかし、当然ながらデメリットも多く、精神的に萎縮して罰の回避を最優先とするため創造的な行動や複雑な行動もまた抑制されます。そのことは自発的で活発な学習活動の息の根を止めることになります。

 

また、ダークペダゴジーは常用することによって被害者の側に耐性の獲得が起こりますし、子どもは大人を自身の役割モデルにしますので、罰せられる経験を通じて「罰せられた理由」を学ぶだけでなく「罰を与えること」を学びます。実際、攻撃的・命令的な大人の振る舞いが子どもに模倣学習されることは多くの実験で明らかになっています。

 

時には指導を受けた本人やそれを目撃した周囲の子どもが「足手まといの奴には何をしてもよい」「強い者に従え」といった過剰学習を起こしていじめが発生することになる場合もありえます。また、弱者への攻撃転移、嘘や取り繕い、不登校といった行動の発現も危惧されています(注9)。

 

近年では脳への悪影響も指摘されています。体罰や暴言虐待(バーバル・アビューズ)に長期的に曝された子どもの脳に萎縮や発育不全が認められるとの医学的調査報告があるのです(注10)。心身にショックを与えられたり、長時間にわたって過緊張状態を強いられることで、副腎皮質で大量に分泌されたコルチゾールというストレス物質が脳に侵入して脳細胞を死滅させたり、細胞の再生産を阻害します。そのため思考がまとまりにくくなったり、短気や情緒不安定、唾眠障害、鬱、社会的不適応状態など多様な問題の要因になると考えられます(注11)。

 

民間の教育実践家のなかには「体罰や飢餓、海で溺れかけるなどの危機を通じて脳幹が鍛えられ、本能の力が呼び覚まされる」といった独自仮説を吹聴する者もいるようですが、これは実証的に支持されません。

 

さらに言うと、体罰をはじめとするダークペダゴジーを受けて育った子どもが、長じてダークペダゴジーの熱心な擁護者になるという現象もあります。たとえば、偶発的な事故や災害に遭遇すると、少なくない人がそこに「運命」や「神の思し召し」を読み取ってみずからを慰めます。人間は理不尽な事象に遭遇すると、世界に対する基本的信頼を損なわないように、なんとか理不尽さのなかに合理的に理解可能な契機を見出そうとする心理的傾向を持つのです。

 

ダークペダゴジーもまた基本的に理不尽な経験ですから「あれは愛の鞭だったのだ」「自分はあれによって成長できたのだ」「自分の苦悩は無駄ではなかった」といった形で事実のほうを都合よく再解釈するように無意識的な圧力がかかります。これは長期間監禁状態に置かれた被害者が加害者に過度の好意を抱くという「ストックホルム症候群(トラウマティックボンディング)」の一種とみなすこともでき、非常に根の深い問題であるといえます。

 

ダークペダゴジー肯定派が少数の成功例や個人的体験を普遍化しがちなのは、単なる不勉強を超える潜在的な自我防衛反応の一種かもしれないのです。かれら自身が、いわば虐待状況を生きのびたサバイバーであり、ダークペダゴジーを擁護することによって、みずからの人生を護ろうとし、それによってダークペダゴジーが世代継承されていくという回路が存在するのです。

 

 

――教室の中でダークペダゴジーが日常的に繰り返されることによって、生徒と教師の関係はどのように変わっていくのでしょうか。

 

恐ろしいのは、常用するなかで教師の側が指導効果を過大評価するようになるという点です。長期間にわたる離脱不能な権力関係のなかでは、ダークペダゴジーの被害者が身を守るために巧妙に好意を偽装するようになりますし、前述のとおり、被害者側に「ストックホルム症候群」が発生する場合もあり、それらによって教師の指導は常軌を逸していきます。実際、体罰教師が後から事件当時を振り返って「生徒は指導を理解してくれていると思っていた」などと述べることも少なくないのです。

 

異常心理学の領域では、ルシファーエフェクトと呼ばれる現象が指摘されています(注12)。ルシファーエフェクトは、捕虜収容所や監獄、精神病棟のような抑圧的な密室状況下において、ごくふつうの人間が一般的な道徳を忘却し、サディスティックな看守に豹変するという現象です。学校はルシファーエフェクトの効きやすい条件の多くを満たしていますし、ダークペダゴジーの使用自体がそうした「道徳の忘却」を引き起こし加速させてもいきます。ダークペダゴジーはそれを用いる者の正常な認識を浸蝕していく麻薬のようなものなのです(注13)。【次ページにつづく】

 

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