障害者差別解消法Q&A

【合理的配慮の不提供】

 

Q14 合理的配慮は、どのように定義されていますか?

 

この法律において合理的配慮とは、「障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施にともなう負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮を」することを意味します(7条2項、8条2項)。

 

すなわち、合理的配慮とは、障害者が個別具体的な状況でなんらかの要求をおこない、その要求をうけた相手側が、過重な負担がない範囲で、障害者の機会平等をさまたげている既存の社会的障壁を除去することを意味します。より簡単にいえば、相手側は過重な負担なく配慮をすることができるのであれば、それをしなければならない、というのが合理的配慮義務の命じている内容です。

 

ちなみに、この法律にさだめる合理的配慮は、障害者基本法4条2項にさだめる合理的配慮にそったものです。そして、障害者差別解消法も障害者基本法も、厳密には「合理的配慮」という言葉自体は用いていません。障害者からの「意思の表明」を受けた相手方が「負担が過重でないとき」に「必要かつ合理的な配慮」を行う義務が、いわゆる「合理的配慮」義務です。

 

 

Q15  障害者差別解消法では、合理的配慮は「当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて」提供するという書きぶりになっていて(7条2項、8条2項)、性別と年齢という言葉がはいっています。それは、なぜですか?

 

性別と年齢という言葉がはいっているのは、障害のある子どもや障害のある女性が、とくに不利な立場におかれているという点が考慮にいれられたからです。そして、性別と年齢という言葉は、障害者権利条約6条、7条の趣旨をふまえたものになっています。障害者権利条約は、わざわざ女性と子どもにかんする特別の条文をもうけており、6条で障害女性、7条で障害児についてさだめています(衆内閣委と参内閣委での政府参考人の答弁を参照)。

 

 

Q16  合理的配慮は、どのような機能をはたしますか?

 

しばしば現象的には合理的配慮は、非障害者を中心に形成された社会のルールに例外をもうける機能をはたします。歴史的に形成された現状をみると、社会のいたるところで睛眼者(マジョリティ)中心のルールが採用されています。このルールを全面的に廃棄して、視覚障害者(マイノリティ)に好ましいルールを全面的に採用することは、現実的にみてそうとうむずかしいでしょう。そうであれば、睛眼者中心のルールのもとで、視覚障害者の機会平等と社会参加等を実質的に保障するためには、そのルールに例外をもうける必要があります。このような例外をもうけるのが、合理的配慮の機能です。

 

たとえば、普通学校で、墨字の資料にもとづいて授業をおこなうというルールを採用している現状において、視覚障害者にたいして音声情報や点字資料を提供するのは、そのルールに例外を設定することを意味します。教師と児童生徒全員が、点字資料にもとづいて授業をおこなうこと(点字を授業のルールにすること)は、現実にはほぼ不可能ですので、視覚障害者が授業をひとしくうけるためには、そのようなルールに例外を設定することが必要となるのです。

 

さまざまな障害者の要求におうじ、ルールにさまざまな例外をもうけることによって、障害者の社会包摂の実現に寄与するのが、合理的配慮の機能です。そのようなルールの例外の設定は、1)きめ方・やり方の変更、2)物理的形状の変更、3)補助手段の提供、という3つの形態をとります(差別禁止部会意見を参照)。しばしば、合理的配慮は、2)の形態のみが強調されがちです(たとえば、トイレの改造、スロープの設置等)。しかし、合理的配慮には1)と2)の形態もあることに注意することが必要です。たとえば差別禁止部会意見は、1)の例として、ラッシュ時の通勤をさけられるように、パニック障害のある者の勤務時間を変更することをあげています。また、この意見は、3)の例として、視覚障害のある者にたいして音声よみあげソフトを提供することをあげています。

 

 

Q17  合理的配慮は「例外」をもうける機能をはたすという説明がありましたが、そもそも「例外」をもうけることは良くないことではないでしょうか?

 

まず、文脈を問わずに「例外」という言葉のみに着目すべきではありません。重要なことは「なんのために例外をもうけるのか」を考えることです。この点、「例外」の設定とは、社会包摂、機会平等、人間の尊厳、個人の自律という目的を実現するための手段である、と考えることができます。

 

一方で、障害者を社会から排除するために「例外」をもうけるのであれば、そのような作為は不当な差別的取扱いになりえます。しかし、他方で、障害者を社会に包摂するために「例外」をもうけないのであれば、そのような不作為は合理的配慮の不提供になりえます。

 

このように合理的配慮を理解したうえで、そもそもルールに「例外」をもうけることはセカンド・ベスト(次善)の策である、ということも忘れてはなりません。ファースト・ベスト(最善)の策は、ルール自体を障害者の包摂を可能なものに変更することです。それが可能であれば、そうすべきです。しかし、ルール自体を障害者の包摂を可能なものに変更することは、現実的にみてたいへんむずしい場合が多々あります。そのような場合には、ルールに例外をもうけて、障害者の包摂を可能にさせるという方法をとらざるをえないのです。

 

 

Q18  合理的配慮の提供は、そもそも道徳的観点からみて、なぜ法的義務にふさわしいのですか?いいかえれば、合理的配慮の法的義務という新しい制度をもうけることは、なぜ正当化されるのでしょうか?

 

従来、たとえば視覚障害者に点字の資料を提供するという行為は、ある種の恩恵、おもいやり、善意としてとらえられていました。すなわち、そのような行為は、相手側に法的義務をおわせて実現させるようなものではなく、個々人の心がけの問題だと考えられていました。しかし障害者権利条約は、そのような行為に合理的配慮という言葉をあたえ、法的義務としての地位をあたえました。

 

このような法的義務は、たとえば、つぎのような道徳的理解を採用したと考えることもできます。そもそも、義務教育における普通学校の授業では、点字と墨字のどちらを使うべきでしょうか。一部の視覚障害者は点字だというでしょうし、晴眼者は墨字だというでしょう。

 

しかし、歴史的に形成された結果である現状をみると、晴眼者にとって都合のよい墨字が普通学校でもちいられています。このように、晴眼者(マジョリティ)のニーズは配慮されているが、視覚障害者(マイノリティ)のニーズは配慮されていない、という現状のもとで、視覚障害者は教育をひとしくうける機会をうばわれています。しかし、道徳的観点からいえば、義務教育の機会というものは万人にひとしく保障(分配)されるべきものであり、その機会を剥奪している現状をそのまま是認すべきではありません。

 

しかも、普通学校において墨字をもちいるという決定は、そもそも墨字をよめない視覚障害者の犠牲(墨字をよめないことによる教育機会の剥奪)のうえにこそ成りたっています。マジョリティの側は、そのような犠牲を視覚障害者におわせて利益をえているため、その犠牲を匡正(補償)しなければなりません。いいかえれば、現実の主流社会は、晴眼者に我慢してもらって点字の使用を授業のルールにするのではなく、視覚障害者に我慢してもらって墨字の使用を授業のルールにしているのだから、我慢してもらっている視覚障害者にたいして、墨字使用にともなう不利にかんして補償をおこなうべきなのです。

 

そして、晴眼者(マジョリティ)からおもに構成される主流社会は、視覚障害者が教育の機会をひとしく享受できる程度まで(そして、主流社会の側が過重な負担をおわない範囲で)、その犠牲を匡正しなければなりません。この匡正の方法のひとつが、合理的配慮の義務です。合理的配慮の義務は、このように匡正的正義の要請として正当化されるのです。このような道徳的な理解にささえられて、合理的配慮義務は法的義務となっているのです。

 

では、主流社会の構成員のうち具体的に誰が合理的配慮の法的義務をおうべきかといえば、「場の論理」におうじて異なる主体が法的義務をおうべきだといえます。たとえば学校の教育にかんしていえば、教育を提供し教育の場を設置・支配・管理する立場にある存在(学校の設置者と学校)が、この義務をおうのにふさわしい存在だということができます。また、国は、教育の機会平等にかんして一般的義務をおいますので、学校等が合理的配慮義務をより効果的にはたしうるための支援をおこなわなければならない、ということができます。

 

ちなみに、中央教育審議会の初等中等教育分科会の報告は、「学校の設置者及び学校」が合理的配慮を提供する、とさだめています(「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」2012年7月23日)。

 

 

Q19  合理的配慮は、バリアフリー法等の環境整備措置(交通施設、建築物等のバリアフリー化措置)とどのように異なるのでしょうか?

 

合理的配慮とは、個別具体的な場面において、ある特定の障害者が要求をおこない、それをうけた特定の相手側が現状を変更する、というものです。これにたいして、バリアフリー法の環境整備措置は、国や事業者が、不特定多数の障害者を対象に実施する措置です。後者の措置は、ポジティブアクション、アファーマティブアクション、事前的改善措置等と呼ばれることがあります。バリアフリー法は、この事前的改善措置をさだめたものだということができます。

 

障害者差別解消法5条も、ある種の事前的改善措置をさだめています。すなわち本条は、行政機関等と事業者は、合理的配慮を的確におこなうために、「自ら設置する施設の構造の改善及び設備の整備、関係職員に対する研修その他の必要な環境の整備に努めなければならない」とさだめています。

 

 

Q20 相手側は、合理的配慮をどのようなときに、おこなったらよいのですか?

 

この法律にさだめる合理的配慮の定義のなかに、「障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合」という表現がふくまれています。この規定にあるように、障害者本人の申出があったときに、相手側は合理的配慮をおこなうことになります。

 

もとより、障害者の意向がないにもかかわらず、ある者が個別具体的な文脈で障害者Aさんのためにとおもって、なにか配慮をすれば、その配慮はAさんにとって迷惑であるということもありえます。そのため相手側は、合理的配慮をAさんに提供する場合には、まずAさんの意向を聞く必要があります。ようするに、一方で、相手側は障害者側の要求を理解することによって、他方で、障害者側は相手側のおかれた状況(財政状況をふくむ)を理解することによって、両者が納得いくような合理的配慮が実現できるのです。

 

ちなみに、障害者差別解消法には明記されていませんが、衆内閣委と参内閣委で、「意思の表明について、障害者本人が自ら意思を表明することが困難な場合にはその家族等が本人を補佐しておこなうことも可能であることを周知すること」という附帯決議がふされています。このように、本人が申出をおこなうことが困難な場合には、家族等からの申出が必要になる場合もあるとおもわれます。この点について、今後慎重な検討が必要です。

 

 

Q21  相手側は、合理的配慮をおこなうことが無理な場合もあるのではないですか?

 

この法律にさだめる合理的配慮の定義をみてわかるように、相手側は、合理的配慮にともなう負担が過重な場合には、当該配慮をおこなう必要はありません。

 

この点、衆内閣委と参内閣委の附帯決議は、合理的配慮にかんして過重な負担を判断するさいには、「事業者の事業規模、事業規模から見た負担の程度、事業者の財政状況、業務遂行に及ぼす影響等を総合的に考慮することとし、中小零細企業への影響に配慮すること」としるしています。

 

 

Q22  従来、法的文脈では、「差別」(discrimination)という言葉は同一処遇をしないことを意味していたはずですが、なぜ合理的配慮(別異処遇)をしないことが差別になるのですか?

 

その理由は、障害者権利条約によって、差別の概念がまったく異なるものに変わったからです。この条約は、従来の条約とは異なり、同一処遇をしないことも、別異処遇をしないことも差別である、と明記しました。もっとも、別異処遇(合理的配慮)をおこなわないことが差別になるのは、障害者等が申出をした場合で、かつ、相手側に過重な負担がない場合にかぎられます。日本は、権利条約を批准するために、合理的配慮の概念を障害者基本法と障害者差別解消法にとりいれたことになります。

 

衆内閣委で、政府参考人は、この法律にいう合理的配慮(必要かつ合理的な配慮)の内容は、権利条約における合理的配慮の趣旨をふまえたものとなっている旨をのべています。

 

 

 

 

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