2013.09.13

データジャーナリズムで常識を覆す

赤倉優蔵×亀松太郎×藤代裕之

情報 #データジャーナリズム

最近よく耳にする「データジャーナリズム」。データを駆使し、今までの常識を覆すことができるのか。日本でいち早くデータジャーナリズムとりくんでいる通信社システムエンジニアの赤倉優蔵氏、ジャーナリストで前ニコニコニュース編集長の亀松太郎氏、法政大学社会学部メディア社会学科准教授の藤代裕之氏が、これからの「データジャーナリズム」の可能性について語り合う。(構成/山本菜々子)

データジャーナリズムとは

藤代 「データジャーナリズムで常識を覆す」というテーマでディスカッションを始めたいとおもいます。今回は、日本でいち早くデータジャーナリズムにとりくんでいる赤倉さんと、前ニコニコニュース編集長の亀松さんのお二人にお話を伺います。

日本ジャーナリスト教育センターでは、今年の5月にいわき市で「ジャーナリストキャンプ2013」を行いました。「震災後の福島に生きる」をテーマに、全国から集まった記者15名と5名のデスクが2泊3日で取材をしました。その原稿はダイヤモンド・オンラインにて現在発表しております(http://diamond.jp/category/s-fukushimajournalist)。

お二人は今回、デスクとして参加されましたが、特に赤倉さんはデータジャーナリズムのチームを率い、キャンプに参加しました。

まずは、「データジャーナリズム」がなんであるのか知らないかたもいらっしゃるとおもうので、簡単な発表を赤倉さんからしていただければとおもいます。

赤倉 ぼくはエンジニアの仕事をしています。いわゆる「ジャーナリスト」という立ち位置とは違い、通信社で記者と編集者をサポートするような仕事をしています。伝統的な「ジャーナリズム」が人と向き合う取材手法であるならば、「データジャーナリズム」は、データと向き合う取材手法です。

公開されているデータを使い、「常識を覆す」ことができるのが、データジャーナリズムの醍醐味です。日本ではまだまだ浸透していませんが、海外ではここ1、2年で急速に普及し、さまざまな実績を上げています。

「常識を覆す」と言っていますが、具体的にデータジャーナリズムになにができるのか。ぼくは3つのことが可能であると考えています。まず、データからニュースを発見するということです。二つ目はデータでニュースを検証する。三つ目はデータをわかりやすく可視化するということ。ニュースを発見し、検証し、分かり易く伝えるということが、データジャーナリズムのプロセスであると言えます。

データジャーナリズムの大きな特徴としては、誰もが挑戦できるというところにあります。新聞社にもテレビ局にも属していない一般の人が取材にいくとなるとかなり高いハードルがありますし、発信するにしても新聞やテレビといったインフラが必要になってきます。しかし、データジャーナリズムは、誰でも閲覧できるデータを使い、Webサイトに投稿するなど、比較的誰もが参加しやすいものになっています。もちろん技術的なハードルは高いですが、それさえ超えれば誰でも可能性が開かれているんです。

また、読者を巻き込む力があります。データジャーナリズムでは読者を巻き込む工夫をかなり強く意識しているんです。そして、チームで取り組むことも特徴として上げられます。データを扱うというのはITを扱うというのとイコールです。これまでジャーナリストの人達が培ってきたスキルセットだけでは太刀打ちできない部分がどうしてもあるので、複数の人が協力して取り組む必要があります。海外のメディアでもエンジニアやアナリストを採用したり、外部と提携したりしながら進めています。

赤倉氏
赤倉氏

藤代 実際、ジャーナリストキャンプに参加してみてどのような感想をもちましたか。

赤倉 今回は、データに反映されたファクトから、新たなニュースを見つけることに挑戦しました。キャンプ中では「風評被害は無いのでは」ということをデータで証明することを目標にしました。しかし、なかなか書き上げられずにいます。それはなぜか。やはりデータジャーナリズムはデータありきなので、材料が足りないと、常識を覆せないということになります。今はまだ材料が集まっておらず、執筆には至らないという感じです。

とはいえ、収穫もいくつかありました。まずは、チームで取り組むことが有効だとわかったことです。データだけではなにを表わしているのかがわからないので、どのように解釈すればいいのか導いてくれるアナリストの力が必要でした。

また、テクニカルな話ですが、Googleのツールは有効に使えます。Googleはデータジャーナリズムに力を入れており、さまざまなツールがそろっています。一方で、日本でのオープンデータが進んでいないことがわかりました。省庁や自治体で取り組みが進んでいますが、まだまだ使えないというのが現状です。

そして、データジャーナリズムの可能性も感じました。ニュースで言われていることは本当なのか、レッテルは存在するのかということを、データを利用して検証していくと面白いのではと感じました。

藤代 ありがとうございます。データジャーナリズムのことがなんとなくわかっていただけたかとおもいます。

議論に入る前に、ある動画をみていただきたいとおもいます。これは、イギリスのガーディアン(The Guardian)という新聞社のCMです。データジャーナリズムの検証のプロセスには、インターネットや、ソーシャルメディアが大きく関わっているのですが、そのことを面白く表現しているCMだとおもいます。

ご覧いただいたのは、3匹の子ブタをモチーフにしたものです。イギリスらしいシニカルなCMですね。「オオカミが息で子ブタの家を壊した」ということになっていますが、監視カメラの映像を基に、本当に息で家を吹き飛ばすことができたのか検証しています。さらにそれが、ソーシャルメディアで議論され、思わぬ方向に展開していきますよね。データジャーナリズムがどういうものかといった雰囲気が伝わってくるとおもいます。

チームプレイを考える

藤代 それでは、セッションに移りたいとおもいます。亀松さんもデスクとして参加されましたが、データジャーナリズムの班についてはどのように感じていましたか。

亀松 チームプレイができていてうらやましいなと感じました。他の班は、記者の方がそれぞれ単独で取材をするという形でした。ぼくたちの班は他の班と同じように、それぞれが取材にいくのだけど、赤倉さんの班と同じようにチームで記事をつくるということをやっていました。ちょうど中間のような感じです。

ですが、なかなか上手くいきませんでしたね。やっぱり、記者ってチームワークに欠けるというか(笑)。ぼくはもともと新聞記者だったのですが、そもそも記者になろうとおもったきっかけも個人プレーが許される仕事だとおもったからなんです。今まではひとりひとりの新聞記者が現場にいって、その人がみたものを語ることが続けられてきました。ですので、今回のキャンプでは実験として、チームでの取材をしてみたんです。でも、これが難しい。

結果から言うと、個人がやりたいテーマをやりたいようにやってもらえばよかったなとおもっています。特に、今回はネットという字数に制限のない場なので、個人の主張を大事にして発表してもらった方がいいものができたのかもしれません。

一方、データジャーナリズムは数値という客観的なものを基準にして進めていくので、チームプレイに向くのではという感想を抱きました。

藤代 そうですね。今までは1人で取材することが主流でした。特に、新聞記者は顕著だとおもいます。チームで取材をする場合、多様な視点をもつことができますが、一方で空中分解してしまう可能性があるわけですよね。赤倉さんの班のチームワークの秘訣はなんだったのでしょうか。

藤代氏
藤代氏

赤倉 それぞれがもっているスキルが違うということが、チームワークの秘訣だとおもいます。できることが違うと、お互いに尊重しやすいのかなと。データを分析するのはアナリストの仕事ですし、可視化するのはエンジニアの仕事、記事を書くのは記者の仕事です。みんなでやらないと形にならないという意識がそれぞれにあったからこそ上手くいった部分があったのかもしれません。

亀松 データジャーナリズム班が他と違ったのは、チーム5人が同じ情報を共有していることだとおもうんです。

今回、ぼくたちの班では一つのテーマの取材を行いましたが、3人が別々の場所で取材をした場合、お互いが報告をし合っても、必ずこぼれ落ちるディティールがあるんです。意外とそれが重要だったりするんですよ。どうしても、忙しいと自分の取材の方を優先しがちなので、お互いの情報交換がおろそかになってしまいます。自分が相手に伝えたとおもっていても伝わっていないことが多くなりがちです。チームでの取材では情報共有がネックになり難しいなと感じました。

しかし、データジャーナリズムの班は、数字という解釈のズレが少ないものを扱いますし、公表されているデータを使っているので、みんなでアクセスすることができます。情報共有が計り易いのではとおもいますね。

データはどこだ

藤代 データジャーナリズムのチームはまだ書き上げられずにいるとおっしゃっていましたが、どのような問いを立てたのでしょうか。また、書く上でなにが困難だったのかについて教えてください。

赤倉 私たちは、「風評被害が起きていないのでは」ということを仮説として立てました。今回はそれを裏付けるデータを収集していました。集めたデータは主に三つです。

一つは、中央卸売市場の野菜の取引量と価格のデータ。これで福島産の野菜がどう扱われているのかを調べようとおもいました。ここでわかったのは、福島県産の野菜については、全体としての取引量は落ちているけれども、品物別にみれば必ずしもそうとは言い切れないということです。福島で有名なのはキュウリ、トマト、モモ、リンゴなのですが、それぞれ取引量の動きが違うということがわかりました。単に「風評被害」が起きているわけではなさそうです

これだけではインパクトに欠けるので、続けて調べたのが、いわき市が出している出荷量の内訳を県外と県内に分けた統計資料です。これを参照すると、県外の人が買わなくなっているのか、県内の人が買わなくなっているのかということがわかるわけです。しかし、データがそろいませんでした。というのも、2011年まではあるのですが、2012年のデータがまだ公開されていなかったたんです。最新版のデータがないと、このアプローチは少し弱いかなという印象です。

もう一つは、消費者庁がやっているアンケートです。どういう人達が福島の野菜を買って、どのような人達が買わないのか、その傾向もわかったのですが、それを前面に出してしまうと、買わない人が偏見の目にさらされてしまう可能性があるのではと、躊躇してしましました。

藤代 データがないのがネックだったということですか。

赤倉 そうですね。たとえば、省庁がやっている統計でも、まず市町村の人に調べてもらったものを、都道府県でまとめ、省庁に提出するという形式がとられています。そうすると、省庁では公開されているけど、県のデータがない、市町村のデータがない、ということが頻繁にあるんです。あるはずのデータが公開されていないんですね。

仮に、あったとしても古いんです。「ジャーナリズム」という名がついていますので、新しい情報を扱うことは不可欠です。先日、実際に省庁の人とお話したら、出すまでに時間がかかっているとか、なにから出すのか検討しているということでした。出すことがファーストになっていない状況になっていることを実感しました。

藤代 まだまだ、日本ではデータの整備が整っていないということですね。

赤倉 そうですね。少し調べてみれば、どの資料がないのかはすぐわかることですが、日本のメディアはまだオープンデータをあまり使っていません。もっとデータジャーナリズムが普及して、みんなで資料が発表されていないことを指摘していくしかないのかもしれません。

亀松 実際に調べてみて、あるはずのデータがなかった時に、行政のデータであれば公開の必要性を訴えていくということが必要だとおもいます。しかし、その姿勢は従来のマスメディアの報道のあり方と対立してしまうところがあるとおもいますね。

いわゆる「特ダネ」というのは、役所が抱え込んでいて、外に出していないデータを、自分の社だけが独占することに価値があると考えられてきました。つまり、「出してください」とアピールして、全員が閲覧できるホームページに出されたらそれは「特ダネ」になりません。公益性はあるのかもしれないですが、その社の手がらにはならないので、マスメディアには役所に「データを公開してくれ」と要請するインセンティブが働かないですよね。

では、どうすればいいのか。ぼくは、既存のマスメディアにあまり期待しないほうがいいのではとおもっています。データジャーナリズムは誰でも参加できる分野だからこそ、気づいた一般の人達が言っていくしかないのかもしれませんね。

これからのデータジャーナリズム

赤倉 もう一つ、書き上げられなかったのは、2泊3日のキャンプの1日目に現場をみに行ってしまったからだともおもいますね。せっかくいわきに来たんだから、データだけではなく現場をみにいこうと。それで一日がたってしまった部分がありました。亀松さんに、「なんでデータジャーナリズムチームなのに現場をみるんだ」と言われてしまいましたが(笑)。

藤代 いままでジャーナリズムでは現場をみることが定説とされていましたが、現場をみたことが混乱を誘っていると。これまでのジャーナリズムのセオリーとは真逆な作用が働いてしまったわけですね(笑)。

亀松 データジャーナリズムと正面きって宣言しているならば、他のチームが足で稼ぐ中、一歩も出ずにどこまでできるのかという勝負はしてほしかったですね。もちろん、最終的には現場の声を聞いて、裏をとることは必要ですが、今回は研修なので、思い切ったことをしても良かったのではと、感じました。

亀松氏
亀松氏

藤代 先ほどから、データジャーナリズムにはスキルが必要だとおっしゃっていましたが、具体的にどのようなスキルが求められているのでしょうか。

赤倉 エンジニアからみた記者や編集者の方に必要なスキルについてお話したいとおもいます。端的に言うと、Excelを使えるというのは非常に大事です。自分でデータを分析できなくても、どのようなことをしているのかを理解する必要があるので、Excelの知識は不可欠ですね。

藤代 「Excelを使える」と言っても、簡単な数字入力から、高度な分析まで幅があるとおもいますが、どの程度使えればいいのでしょうか。

赤倉 マクロ言語まで使えるようになる必要はないとおもいますね。ソフトがどういうものであるのかわかって、計算が出来ればいいとおもいます。

もう一つ重要なのは、「データジャーナリズムでどんなことができるのか」というのを把握しているということです。たとえば、Googleの機能を使えばなにがわかり、なにが分析できるのか。具体的にどうするのかといったテクニカルな話は、エンジニアの人に任せてしまえばいいとおもいますが、今、どういったことができ、どこに限界があるのかといったことはある程度知っておく必要がありますね。いいデータがあっても、なにを分析できるのかわからなければ生かしようがありません。

藤代 正直に言うと、私は新聞社時代はWordしか使えませんでした。PowerPointも、Excelも開いたことすらありませんでした。会議はWordで作ったレジュメか、手書きのメモで大丈夫でしたし。実際に新聞社では、まだWord以外のソフトを使えない人はいるとおもいます。ソフトを使いこなすだけではなく、統計の基礎的な知識も必要ですよね。そこも大きなネックだと思いますが、赤倉さんはどう考えていますか。

赤倉 統計の知識を得ることはすごく難しいとおもうんです。ぼくはエンジニアで理系ですが、「統計の知識がある」と自信満々には言えません。統計というのは専門性が高い分野ですし、一朝一夕でみにつくものではありません。日本だけではなく、海外でも状況は同じで、海外の編集室でも統計アレルギーというものはあるようです。

では、専門性をもたない人達はどうすればいいのか。アナリストを社内に雇うというのも一つの解決策ですが、専門性をもち、自分が相談できる人を周囲に用意しておくというのも重要になってくるとおもいますね。

藤代 亀松さんにお聞きしたいのですが、これからのデータジャーナリズムは、どうなっていくとおもいますか。

亀松 記者というのは、複雑な事実を一般の人に分かり易いように噛み砕いて説明する、デフォルメしてわかりやすい構造を見せるという仕事だとおもいます。データジャーナリズムでこれから求められるのは、複雑な数字のもつ意味を、分かり易く図表にし、デフォルメして伝えていくことでしょうね。

また、ネットメディアとの関係も深いとおもいます。データジャーナリズムの存在が知られてきたのはインターネットの功績が大きいです。データを入手するのも大部分がインターネット経由ですし。インターネットだからこそ、さまざまな表現が可能ですよね。

従来の新聞やテレビでは、情報を報道することを繰り返していましたが、これからは、情報のソースをたどれるようにしていくことも重要だとおもっています。さまざまな統計データを基に記事を書いた場合は、ソースを明示し、記事にリンクを貼るようにする。

全ての人が元のデータをたどって解析できるわけではないとおもいますが、それでもスキルをもった研究者などが記事をみて、検証することが可能になります。データジャーナリズムは読者を巻き込む力があると赤倉さんはおっしゃっていましたが、検証する担い手として読者が参加することができるのではと感じていますね。

(6月1日「フクシマ」という虚像を壊す~被災地のいまを伝える新たな取材手法、第二部「データジャーナリズムで常識を覆す」より抄録)

プロフィール

亀松太郎ジャーナリスト

ジャーナリスト。1970年生まれ。東京大学法学部卒。朝日新聞記者として3年間勤務した後、J-CASTニュースなどを経て、2010年に株式会社ドワンゴ入社。前ニコニコニュース編集長。ネット生中継の番組企画のほか、自ら出演もしている。

この執筆者の記事

赤倉優蔵通信社システムエンジニア

通信社システムエンジニア、JCEJ運営委員。1975年北海道生まれ。2012年7月にデータジャーナリズムワークショップをGLOCOMと共催し、企業内での勉強会も主催するなど、日本でいち早くデータジャーナリズムに取り組んでいる第一人者。

この執筆者の記事

藤代裕之ジャーナリスト

徳島新聞の記者として、社会部で司法・警察、地方部で地方自治などを取材。2005年からNTTレゾナント(goo)で、ニュースデスク、新規サービス開発を担当。2013年から法政大学社会学部メディア社会学科准教授。日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)代表運営委員。著書に『ネットメディア覇権戦争偽ニュースはなぜ生まれたか』『発信力の鍛え方』、編著に『ソーシャルメディア論:つながりを再設計する』『地域ではたらく「風の人」という新しい選択』など。

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