2014.02.03
地球で生きる宇宙飛行士――『宇宙兄弟』はなぜALSを描いたのか?
大人気漫画『宇宙兄弟』(現在22巻まで刊行。3月21日23巻発売予定)では、ふたりの登場人物がALS(筋萎縮性側索硬化症)として描かれている。筋肉が委縮し、呼吸器なしでは生きられなくなり、いずれは身体が動かなくなるALS。そんな難病をなぜ『宇宙兄弟』は取り上げたのか。『宇宙兄弟』(講談社)の編集担当の佐渡島庸平氏と、ALSを罹患した母親について書いた『逝かない身体』(医学書院)の川口有美子氏が、宇宙兄弟について、ALSについて語り合った。(構成/金子昂)
きっかけは『逝かない身体』
川口 対談が決まってから、今日をずっと楽しみにしていました。佐渡島さんにお聞きしたいことがいっぱいあります。
佐渡島 こちらこそよろしくお願いします。
宇宙兄弟は、幼少時代にともに宇宙飛行士になることを約束した兄弟の話です。先に弟が夢をかなえ、兄は後から追いかけます。宇宙と家族がテーマなのですが、ALSも作品で重要な要素です。
川口 そう、『宇宙兄弟』は、主人公の南波六太(ムッタ)と日々人(ヒビト)に大きな影響を与えた金子シャロン、そして六太の同期で憧れの人でもある伊東せりかの父・凛平のふたりがALS患者として描かれているじゃないですか。「作者の方は親戚にALSがいるのかな?」って思いながら読んでいました。描かれ方にもリアリティを感じてます。
シャロンは六太と日々人にとって、とても大切な人ですよね。漫画の中の重要人物です。いろいろな難病がある中で、どうしてALSを選ばれて、なんでシャロンがALSになったのかとっても気になっています。
佐渡島 シャロンがALSになるのって途中で小山さんが思いついたんですよ。
川口 えー! そうなんですか!
佐渡島 最初は小山さんが「せりかのお父さんは、なにか難病に罹っている設定にしたいんだけど、それはガンじゃないと思う。漫画に出して説得力のある難病ってありませんか?」と言っていて。そこで昔からいろいろとアドバイスを貰っている、以前ぼくが『ドラゴン桜』を担当していたときに、彼の勉強法を紹介したこともある医者に相談に行ったんです。
その医者がALSの患者さんと接していて紹介してもらったので、さっそくALSについて調べてみようとNHKのドキュメンタリー番組を見て、川口さんの『逝かない身体』を読んで、ALSを提案したのです。
川口 私の本を!? 嬉しいなあ。
佐渡島 それから小山さんに『逝かない身体』を読んでもらったら「ALSにしましょう」と。
川口 小山さんも読まれているんですね! とっても光栄です。どうしよう、涙が出てきちゃった。
佐渡島 『宇宙兄弟』を描くとき、宇宙に関する取材はとことんできるところまでやるって決めていました。でもALSを描くと決めたときは、ALSの名前を出すべきなのか、それとも「難病」だけにしてぼんやりさせるべきなのかは、小山さんと一緒にずっと悩んでいたんです。だからせりかのお父さんがALSだってことはすぐには描かなかったんですよ。
ガンの場合、その大変さはある程度想像できると思います。でもALSの場合は、患者さん、そして家族の方がすごい大変だということはわかるんだけど、ぼくたちには想像しきれない。そして想像できていないことをフィクションの中で描くことは、関係者を傷つけてしまうかもしれない。だからALSの名前を出してからも小山さんは悩んでいました。その戸惑いはシャロンがALSになったことを描写してからなくなられたようですが。
川口 いまのところ大丈夫ですよ。患者さんもヘルパーさんたちも読んでいますが、上手に描かれているって話しています。
佐渡島 それを聞いて安心しました。ぼくたちも『宇宙兄弟』の宣伝にALSを使っていると思われたくないですし、どうすれば話題の仕方が難しいんですよね。幸いなことにご家族から「漫画でALSのことを広めてくださってありがとう」というお手紙もいただいているので誤解は招かずに済んでいると思うんですけど。
ALS患者は宇宙飛行士
川口 『宇宙兄弟』を読む前から、ALS患者と宇宙飛行士ってすごく似ているなってずっと思っていたんです。だから『宇宙兄弟』でALSがでてきたとき「やっぱり!」って。本当にぴったりな病気を選ばれたと思います(笑)。
ALSの人って宇宙空間に投げ出された状態と一緒なんですよね。呼吸器に24時間繋がれていないといけなくて外れたら死んじゃうでしょ。息する機械に対して120パーセントの信頼がもてないと生きていけない。。
日々人が月面を探索中にクレーターに落ちてしまって、真っ暗闇の中で絶望に陥りかけるシーンがありますよね。ALSの患者さんはみんなそれを体験しているんです。しかもね、日々人がそうだったように負けないんです。究極の孤独の中にいるのに明るい気持ちを保とうとしている。
佐渡島 ALSになったシャロンは宇宙兄弟の気持ちを誰よりもわかるということかもしれませんね。
川口 そう思いますよ。
私は人間と機械の友好的な関係が好きなんです。医療専門職の中には患者さんの人間性を医療機械が奪ってしまう場面をいっぱい見ているから機械に対して批判的な人が多いんです。だから呼吸器をつけないと生きていけないようになってしまったときに、呼吸器をつけさせたがらないことがあるの。でも私はALS患者さんと20年間も一緒に活動してきたから、死ぬくらいならむしろ機械をつけても生きるほうが自然に思えてる。
佐渡島 宇宙飛行士にとって宇宙服が仲間なのと一緒。
川口 そうそう! 人類の科学の粋を集めた機械に対する一体感をALSの患者さんは持っている。それにね、いま自分がどんなに辛くても、頑張って生きていれば、いつか科学が追いついてくれる。自分は治らなくても、人類がALSに勝つ日がやってくると信じている。一人ひとりが主人公なんですよ。身体が動かなくても呼吸器をつけて、ただ息をしているだけの状況で、20年、30年生き続けてALSに負けないでいるの。
みんなに守られている
佐渡島 ALSの患者さんって、呼吸器をつけるという選択をした後に、瞼を開いたままにするか、閉じたまま真っ暗闇の中で生きるかって選択肢がありますよね。『逝かない身体』を読むと、川口さんのお母さんは目を閉じることを選ばれていました。
川口 私の母は「開けておくと目が乾いて痛くなるから閉じておいて」って言ったんです。悲しかったけど、「わかった、閉じておくね。でもときどきこっちで開けるからね」って。
佐渡島 急に強い光をみても目が痛くなりますよね。
川口 だからカーテンを締めて、部屋を薄暗くして。
朝が来るとホッとするみたいです。夜が怖いんですよね。動かないから体力を使っていなくて3時くらいには目が覚めちゃう。だいたい2時間半くらいしか寝てないんじゃないかなって。不安だから寝てもすぐに起きちゃうんだけど、家族を起こすのもかわいそうだから、身体が痛くても朝まで我慢している。
佐渡島 家族を起こすときは、ナースコールを押すんですか?
川口 ちょっとでも動くと反応するナースコールを身体の動くところに張り付けておくんです。うちの母も朝まで我慢していました。父が5時に起きて、枕元にあるラジオのスイッチをいれて「おはよう」って。私も「おはよう、朝が来たよ、今日も生き延びたね」って瞼を開いてあげて、テレビのスイッチをいれたり、朝ごはんを胃ろうに流し込んであげたり。
家族が起きてがちゃがちゃした生活音の中に入った途端に安心して眠りだすんですよね。それってわかる気がしません? 耳慣れた生活音に囲まれていると生きているって安心できるらしいんですよ。身体を動かすことはほとんどできないけれど、自宅で生活している。親しいみんながいることで自分の存在が確認できる。
だから絶対に病室に一人で隔離するようなことはしちゃいけない。よっぽど心の強い人じゃないと不動と孤独になんて耐えられません。いつも誰かがそばにいて守られているって思えるから、生きていけるんです。
佐渡島 宇宙だって、実際はひとりでも、みんなに守られているって感じたときに安心できるような気がします。
川口 でしょう。ALSの患者さんって医療関係者、看護師さん、ヘルパーの方、家族、地域の人たち、みんな足したら最低でも100人くらいの人に支えられて生きているんです。
佐渡島 いまシャロンは入院していますが、もしかしたら家に帰って、昔のムッタみたいな大学生が集まる賑やかな中で暮らして行くかもしれませんね。
川口 そういう患者さんもいますよ。健康だった時は自宅で塾を開かれていた女性患者さんは、若い子の信頼を集めていたので学生がボランティアに入って介護していました。シャロンも家に帰って、地域の人に支えられて生き続けるのがいいんじゃないかな。
瞼の裏で幸せな夢を見る
佐渡島 ずっと気になっていたんですけど、病気が進行してどんどん身体が動かせなくなっていくと得られる情報も減ってきますよね。患者さんがみる夢って変わるんですか?
川口 患者さんに夢インタビューをしたことがあるんですけど、ある人は「SMAPと六本木で飲み歩いている夢を見た」って言っていました。あと釣り好きの患者さんは釣りの夢を見たって。
佐渡島 ぼくたちはよく不安な夢を見るじゃないですか。仕事に失敗する夢とか(笑)。患者さんも不安な夢を見るのか気になって。
川口 呼吸器が外れちゃう夢も見るみたいですね。でも話を聞くとね、だいたいがいい夢の話。まだ身体が動いていたときの。ALSの患者さんは、昔の思い出を宝物のように、何度も反芻しているみたい。私の母は、父と一緒に山登りにいって見慣れた小道を歩いて、一緒にお団子食べる夢をみたって言っていました。そういう話を聞いていると目が潤んじゃうんだけど。
『潜水服は蝶の夢を見る』って左目のまぶたしか動かせなくなった人の映画がありますよね。その映画でも蝶のように自由に羽ばたいている夢とか昔の彼女の夢を見ていましたね。
佐渡島 うまく眠れたら幸せなのかもしれませんね。
川口 そうですね。いい夢みたあとに母が「ずっと寝ていたい」って言うので、「いい夢ばかりとは限らないよー?」って言っていたんですど(笑)
佐渡島 子どものときに発症する筋ジストロフィーの患者さんはどうなんでしょう?
川口 筋ジストロフィーは、学校に通えなかったりして、社会経験が少ないって聞くから、またちょっと違うのかも。
佐渡島 実はALSについて調べているときに、筋ジストロフィーにも出会っているんです。
宇宙兄弟で出しているムックに掲載するために、筋ジストロフィーの研究をされている裏出良博さんに取材に行ったところ、いま筋ジストロフィーの薬が宇宙で開発されて、犬に与えたところ、走れるようになるまで回復したって結果がでているんです。
川口 そういえばせりかも宇宙で新薬を開発しようとしていますね。
佐渡島 宇宙空間はたんぱく質の結晶が綺麗に見えるそうです。それでワクチンの研究が一気に進んで。あとは誰かがお金を出してくれれば、筋ジストロフィーの患者さんは助かるかもしれないところまで来ているらしいです。でも筋ジストロフィーの患者さんって20歳以下でなくなってしまう方が多いんですよね。人口の割合も少ないから製薬会社も儲からない。だからなかなか難しいらしくて。
川口 でも最近はケアがよくなってきて、20歳をこえても生きている子も大勢いるんですよね。未来ではちゃんとお薬が開発されていると思う。
力強く生きるALS患者たち
佐渡島 最近話題になっている徳田虎雄さんもALSですよね。ぼく、徳田虎雄が好きなんですよ。彼の生き方を尊敬しているんです。青木理さんが書いた『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』(小学館)もすごくいいノンフィクションですよね。
川口 あの本は表紙もいいですね、徳田さんの目が。
徳田先生とも交流があるんですけど、先生は自分の正義に素直な人なんですよね。私の周りにいるALSの人は、みんなそんな感じ(笑)。
佐渡島 徳田さんはALSになってから仕事量が減ってない気がして。
川口 前に「先生、ALSは不便でしょ?」って聞いたら、「飲み会とかゴルフとか付き合いしないでずっと仕事していられるから効率が良くなった」って(笑)。
佐渡島 それはすごいなあ(笑)。徳田さんがもっと元気だったらいまの騒動もちょっと違ったものになっていたかもしれませんね。
川口 重度・重症の人って、弱々しくて、なんだかいい人に見えるイメージがあると思うんですけど、徳田先生は見事にそれを打ち壊してくれましたよね。もうほとんど動かないのに、あんな風に生きられるんだって(笑)。
佐渡島 『こんな夜更けにバナナかよ』(北海道新聞社)の鹿野靖明さんも力強い印象を受けますよね。
川口 そうそう。それにさくら会の理事長である橋本操さんも力強い方ですよ。発症したのが30歳くらい、昨年還暦を迎えたので、30年以上ALS患者として生きています。
物語を書き変えて現実を越えていく
川口 橋本さんは特殊な喋り方をするんです。唇はほとんど動かないんだけど、本当に微妙な唇の形をヘルパーさんが読み取って会話するの。
佐渡島 それはヘルパーもすごいですね。
川口 大学生がバイトでやってます。
佐渡島 口の読み取りができるようになるんですか?
川口 私はできませんよ。でも学生は半年くらい読み取る訓練をしてできるようになる。
佐渡島 すごいなあ。『宇宙兄弟』ではALSで身体がほとんど動かせなくなってしまったシャロンが、スマートフォンのようなデバイスを使ってムッタと会話をする描写があるんですけど、いまは皆さんどんな方法を使っているんですか?
川口 意思伝達の方法っていろいろあるんですよ。いまは世界的にiPadを使っていますね。力入れなくてもシュシュッて指で軽く画面を動かせるでしょ。
もっと進行すると橋本さんみたいに口の筋肉のかすかな動きを読み取っていったり、透明な文字盤を使ったり。意思伝達装置などのハイテクもすごいけど、ローテクもすごい。人間同士の生のコミュニケーションそのものも本当にすごいって思います。
佐渡島 六太がそんなシャロンをみたら、テンション高くなるかもしれないなあ。
川口 宇宙兄弟って、「ナラティブの書き変え」をしてくれる漫画だと思うんですね。ムッタはその天才。どんな窮地に陥っても発想を変えて、前向きに進んでいくでしょ。
ALSの患者さんは、最悪を生きていくためのヒントをいっぱい持っているんです。呼吸器は眼鏡みたいなもので、生きていくために必要不可欠。だから呼吸器をつけている、とかね。「命の選択の問題」ではない、とかね。そうやって、世間で思われているような悲惨なイメージとは違う物語に書き変えていくんです。そうやってテンションを高めて生きている。
ちなみに『宇宙兄弟』ってモデルはいるんですか?
佐渡島 いや、いませんよ。実は、小山さんは一人っ子なんです。僕には、兄弟がいるんですけど、小山さんは、僕や兄弟のいる友人から、兄弟のエピソードをたくさん聞いて、発想を膨らませていったのです。
人間は自己決定で死んでいい存在ではない
川口 ALSは救いようのない、死んだ方がましな病気だと思われてきました。QOL(Quality of Life)の検査をすると、その値が生存が死よりも低くなる、つまり死んだ方がましって結果がでちゃうくらい。だからイギリスではALSには治療やケアをしても無駄だから医療資源の分配をしないんですね。日本はこれまで難病研究のために分配をしてきたんだけど、最近では欧米の医療経済の考えが流入してしまって、それが変わりつつあるんです。
ALSの患者さんはいずれ、呼吸器をつけるかどうかの選択をしなくてはいけなくなります。そうした状況で、7割の人が呼吸器をつけないという選択をしている。それってすごいつらいことですよね。生き続ける手段があるにも関わらず、それを諦めて死ぬ方を選ぶって自殺に近いでしょ。家族だってつらい。
それでも、呼吸器をつけてこの先何年も生き続けたら家族に迷惑をかけるんじゃないか、家族じゃもう介護しきれないんじゃないかって患者さんが判断している。息が苦しくなっても、呼吸器をつければまだ生きられるのに、それをあえてつけない。家族はそうして死んでいく患者をただ見守るんですよ。本当につらい。だからあらかじめモルヒネを打って意識を混濁させてしまうようなケースがたくさん。
お医者さんや倫理学者の方で呼吸器を外せるようになれば、付ける人も増えるんじゃないかって理屈をいう方もたくさんいます。でもね、外せるようだったら呼吸器を付けることを選択する人はいないと思う。それに呼吸器を外せる国では患者さんの命そのものが軽くなっちゃう。呼吸器なんて最初からつけなくなってます。
佐渡島 『逝かない身体』では「呼吸器が外せたらいいのに」とお書きになっていますよね。
川口 そう、外せるようになればみんな呼吸器に挑戦できるはずなのにって当時は思っていたの。
私はそもそも母を安楽死させてあげたいと思って、それで40過ぎてから勉強し始めた人間なんです。「呼吸器なんてつけなきゃよかったね、ごめんね」って母にずっと謝っていたんです。でもね、あるとき考え方ががらっと変わったんですよ。これだけ過酷でも、母はやっぱり生きていたいんだ。それを娘である私が否定したらすごく悲しいだろうって。娘だったら「この先もずっと生きていて欲しい」って思うのが、ALSのような障害では筋だし、「悪いけど、死ぬまでは生きていて」ってね、素直に親に言っていいんだって
私たち人間って、自己決定で死んでいいような生き物じゃないんですよ。だって誰かが「明日、死にます」って言ったときに「はい、どうぞ」って言わないでしょ。それをどうしてALSに限ってはいいことにしちゃうの。呼吸器を取るってことは、死ぬことを選ぶってことですよ。
佐渡島 家族とちょっと喧嘩して、「もう生きてていても意味がないから外して」って言ったら……。
川口 そう、そうなっちゃう。いま尊厳死の法制化が検討されているけど、それはそういうことなんですよ。
法律は心が弱いとき用に
佐渡島 ぼくも『逝かない身体』を読んだ後、呼吸器を外す選択肢があることで救われるならそういう法律があればいいのにって思っていました。たぶんALSの患者さんも、そして介護を経験した人もほとんどいないから、川口さんのような思いにいたる人って少ないんですよね。それを多数決で決めちゃうのは難しいと思う。
川口 「他人が強制しなければ『死ぬ権利』があってもいいだろう」って言うけど、それって違うんです。弱い人たちは、権利が義務にすり替えられちゃう。
佐渡島 特定秘密保護法も、上手に運用すればって話をよく聞きますが、それじゃあうまくいかないと思うんですよ。
いま、出版社が電子書籍に上手に対応できていないということで「総合出版権」というものが検討されています。これは紙の出版をするさいに、電子出版の権利も著者からひっぱりはがせてしまうような話なんですね。そこで、出版社は著者の話も聞かなくてはいけないとなっているんですけど、出版社は会社で、著者は個人ですよ。持っている知識も、割ける時間も、圧倒的に著者の方が不利でしょう? 善良な出版社だったら良いけど、出版社だって、担当者だっていろいろです。著者の話をちゃんと聞いてくれるなんて限らない。
そうした状況で、法律を作るときにカバーしなくちゃいけないのは著者側に決まっているじゃないですか。法律って、心が強いとき用ではなくて、弱いとき用に作らなくちゃいけないと思うんですよ。疲れたり、追い詰められたりしていて、心が弱っているときだって問題ないものじゃないと。
川口 法律を運用するのは官僚とか、強い人たちじゃないですよね。作るときには「弱者の権利が」とかいうんだけど、ふたを開けたら全然弱者のためになってない。
必要な法律はもちろんあると思いますけど、なんでも法律にすればいいってもんじゃない。理想的なのは、ケーススタディを積み重ねて、様々なケースを個別に対応できるような方法を研究すること。ただ時間もコストもかかって面倒だからって尊厳死法制化の話になっちゃう。死の法制化って死のベルトコンベアに乗るようなものですよ。
佐渡島 自分のことを自分で知っているって前提でいろいろなことが決まっているように思うんですよね。人間って自分のことなんてわからないと思います。
川口 わかんないですよ、将来の自分が何考えているのかなんて。気持ちは変わるものだから今の自分が一番信用できないもん、本当に。
佐渡島 発達障害の方の本を読んでいたときに、発達障害の方がお腹がすいているのにそれに気が付かなくて体調が悪くなっちゃうって話が書いてあったんですね。時計をみてようやくお腹がすいているんだって気が付く。ぼくも「今日のお昼に食べたいものはあれだな」って思うんだけど、それがなんだかわからないことがある。中華のような気もするんだけど、どうもしっくりこない。
だから人間の決断ってあやふやだってことを想定して法律が決められたらいいと思うんですよね。
川口 気持ちの「うつろいやすさ」を前提にすると、法律って決められない。むずかしいですよね……。
情報を開示するだけなのがプロではない
佐渡島 今度、ぼくの嫁が腫瘍の手術をするんです。
川口 あら、本当に。
佐渡島 病院に行くと、お医者さんから「Aという方法と、Bという方法があるけど、どちらにしますか」って言われるんですね。でもどっちも全然知らないからぼくらには選べないんですと。というか、選んでもらうために病院に行っているのであって、そこで責任を回避されても困る。
川口 そうなの。昔のお医者さんは「治療方法を押し付けている! パターナリズムだ!」って批判されてきたんだけど、最近は治療法には「これとこれとこれがありますよ」としか言わなくなっちゃった。しかも、たとえば「呼吸器を付けるという選択肢を選んだ場合、どういう生活を送ればいいんですか?」って聞いても生活のことはご存知ないという。患者さんも、どうなるか見当がつかないから、生きたくても呼吸器選びにくくなっちゃう。
佐渡島 難しいことを説明できるのがプロなのではなくて、決定の方法も含めて説明してくれるのがプロだと思うんですよね。川口さんの経験があって初めて、呼吸器の取り外しによってどういうことが起きてしまうのかわかるように、医者もたくさん経験を積んでいて、だからこそわかることがある。情報を全部開示して羅列するんじゃなくて、そういう知見を患者にわかりやすく説明することこそプロなんですよ。
川口 ちゃんと説明はするんだけど、相談にのると責任が生まれちゃうから、ここからは自分で決めてってつき離してしまいたくなる。。でもね、先生の価値観も含めて説明してくれれば、患者さんだって「先生はこういけど、私はこう思う」って考えやすくなると思うんですよ。いろいろ無理難題を言ってくる患者さんもいるので、お医者さんも大変なんですけど。
It’s a piece of cake
川口 お話をうかがっていて改めて感じるんですけど、『宇宙兄弟』も、佐渡島さんとの出会いも、何かに仕組まれていますよ。これは運命です(笑)。この病気って必要なときに必要な人がでてきてくれるんです。それでいつも助けられている。佐渡島さんはどんなことを考えて編集者をなさっているのですか?
佐渡島 ぼくには明確なメッセージがないんですね。川口さんがさっき、自分のことは一番信用できないって言っていたけど、ぼくもぼくのことがわからないんですよ。自分の親が死んだときにどんな感情になるか想像してみるけどわからない。六太みたいに、弟が遠くの月面で事故になったと聞いてもイメージがわかない。作家ってそういうことの想像力がすごいんです。
『宇宙兄弟』を読んでいると、身近な疑問が解決されるんですよね。小山さんにはっきりと話しているわけでもないし、小山さんだって意識していないと思うんですけど、自分の人生で気になっていることが、答えとしてでてくる。「そうそう、こういう人間の感情を知りたかったんだ!」って。
川口 いいなあ、そういう関係。
『宇宙兄弟』って決め言葉がすごいじゃないですか。私、好きなセリフを携帯で撮って持ち歩いているんですよ。実は昨日から気分がすごく落ちていて(笑)。病人とたくさん会うので、たまに吸い込まれちゃうんですね。むしろ元気づけないといけないんだけど、やっぱりときどき落ちちゃう。そういうときに『宇宙兄弟』を読んで元気づけられているんです。あれって会議の中で決められているんですか?
佐渡島 いえ、小山さんが自分で考えているんですよ。毎回、どうやったらこの言葉が思いついたんだろうって驚かされます。
“It’s a piece of cake”ってセリフがありますよね。六太が「ぼくはダメ人間です」って英語でどうやって言うのかシャロンに聞いて返ってきた答えです。「ケーキひと切れ分の価値」ってことですね。でも本当は「楽勝だよ」って意味。あのセリフって小山さんに「英語で、朝飯前みたいな言葉を探してください」って言われて送った案のひとつなんですよ。それを小山さんは上手に使われている。どうやったらそんなこと思いつくんだろうってびっくりしました。
「死ぬ美しさ」ではなく「生き続けるかっこよさ」を
佐渡島 ぼくが担当する漫画や本って、基本的に元気になるものなんですよね。悲惨な物語って芸術的にみえるじゃないですか。かっこよくなりやすい。でも、物語って弱い人のためにあると思うんです。現実が辛くても、生きていくことを励ませるようなものがいいと思う。だから作者が悲劇を思いついても、ハッピーエンドになるような流れに持っていきたいと思っていて。
川口 潔く死なないと美しくないって思われていますよね。「機械にしがみついて生きるなんてカッコ悪い」とか「生きる価値がない」って。でもね、私の周りにいる人たちは「生きられるまでは生きるんだ」って言っている。「生きることに意味なんていらない」って。それがかっこいい。70歳になって呼吸器をつけて、98歳まで生きたALSの患者さんだっているんですよ。
佐渡島 すごいですね……。
川口 でしょ。ずっと寝たきりだったんだけど、褥瘡ができないような枕を発明したりして。「治るまでは生きる」って言って新薬ができるのを信じて待ちながら亡くなったんですよ。かっこいいでしょ。
佐渡島 実は物語を盛り上げるために登場人物を殺したほうがいいって、最初の方は思っていたんですよ。でも、いまは違います。
川口 ALSは現実ではまだ治らない病気だけれど物語の中ではあんまり死んでほしくないな。そしてシャロンを宇宙まで連れ出してほしい(笑)。小山さんにぜひお伝えください!
佐渡島 わかりました(笑)。
(本稿はα-synodos vol.141からの転載です → https://synodos.jp/a-synodos )
(2014年1月8日 株式会社コルクにて)
宇宙への射程
・川口有美子×佐渡島庸平「地球で生きる宇宙飛行士――『宇宙兄弟』はなぜALSを描いたのか?」
・小林憲正「アストロバイオロジーとは何か」
・木原善彦「宇宙人、エイリアン、そしてバグ」
・片岡剛士「経済ニュースの基礎知識TOP5」
・稲葉振一郎「『宇宙SF』の現在――あるいはそのようなジャンルが今日果たして成立しうるのかどうか、について(回顧的ブックガイドを兼ねて)」
プロフィール
佐渡島庸平
2002年に講談社に入社し、週刊モーニング編集部に所属。『バガボンド』(井上雄彦)、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)、『モダンタイムス』(伊坂幸太郎)、『16歳の教科書』などの編集を担当する。2012年に講談社を退社し、作家のエージェント会社、コルクを設立。
川口有美子
1995年に母がALSに罹患。1996年から実家で在宅人工呼吸療法を開始し、2003年に訪問介護事業所ケアサポートモモ設立。同年、ALS患者の橋本操とNPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会を設立。2004年立命館大学大学院先端総合学術研究科。2005年日本ALS協会理事就任。2009年ALS/MND国際同盟会議理事就任。共編著書に「在宅人工呼吸器ポケットマニュアル」(医歯薬出版)。「人工呼吸器の人間的な利用」『現代思想』2004年11月(青土社)。単著に第41回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「逝かない身体-ALS的日常を生きる」(医学書院)。