2016.04.28

これからのマサイが生きる道とは?――マサイ・オリンピックの理想と現実

目黒紀夫 環境社会学

国際 #アフリカ#等身大のアフリカ/最前線のアフリカ#マサイ・オリンピック

シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「等身大のアフリカ」(協力:NPO法人アフリック・アフリカ)です。

はじめに

マサイ・オリンピック。それはキリマンジャロ山の眺めとアフリカゾウをはじめとする野生動物で有名な、ケニア南部のアンボセリ地域で開催されている陸上競技大会だ。選手として出場するのは地元のマサイの戦士たち。記念すべき第1回大会は2012年12月22日に開かれ、第2回大会は2014年12月13日に開催、第3回大会は2016年12月に予定されている。その目的を端的に言うならば、マサイの戦士に新しい生き方を示すことである。

第2回マサイ・オリンピックに出場したマサイの戦士たち。右端は本文で後述する戦士たちのリーダーである。
第2回マサイ・オリンピックに出場したマサイの戦士たち。右端は本文で後述する戦士たちのリーダーである。

各地で開発が急速に進行しているアフリカであるけれども、そうした中でもマサイは今なお伝統的な暮らしを続けている人々と思われがちだ。そんなマサイに向けて、国際的な支援と注目を集めて開かれているマサイ・オリンピックはどのような道を示しているのだろうか? 本稿では、その概要を説明した上で、マサイの戦士がマサイ・オリンピックとそれが提示する生き方とを、どのように受け止めているのかを考えていきたい。

そもそもマサイ・オリンピックとは?

まず、マサイ・オリンピックの基本的な内容から説明しよう。マサイ・オリンピックに出場する戦士たちは、出身地にもとづいて4つのチームに分けられる。わたしが観察した第2回大会には、各チーム40人、合計160人の戦士が選手として出場していた。そして、彼らは200メートル走、800メートル走、5000メートル走、槍投げ、棍棒投げ、高跳びの6つの種目で競い合う。このうち最初の4種目は、一般的な陸上競技のそれと変わらない。一方、最後の2種目は、マサイ・オリンピック独自の競技だ。棍棒投げは10メートルほど離れた的に向けて、戦士が普段から持ち歩いている棍棒を投げるというもの。高跳びは頭上に張られて少しずつ高さが上げられていく紐に、その場で跳躍して頭で触れるというものだ。

800メートル走で、チームごとに色分けされたユニフォームを着て走り出す選手たち。
800メートル走で、チームごとに色分けされたユニフォームを着て走り出す選手たち。
高跳びの様子。多くの選手はビーズアクセサリーを着けたまま競技に臨んでおり、中にはこの選手のように杖を手に持ったままの者もいた。
高跳びの様子。多くの選手はビーズアクセサリーを着けたまま競技に臨んでおり、中にはこの選手のように杖を手に持ったままの者もいた。

各種目で1位から3位の選手には、それぞれ金・銀・銅のメダルが賞金とともに与えられる。そして、800メートル走と5000メートル走で1位となった選手は、翌年に開催されるニューヨークシティマラソンに招待される。また、1位から3位の選手が所属するチームには3点、2点、1点が与えられる。6種目の合計点数がもっとも多いチームが総合優勝となり、優勝トロフィーと副賞の改良品種の種牛を獲得する。

会場には選手として選ばれた戦士だけでなく、その仲間の戦士や家族、友人、それに他地域から観戦に来たマサイを始めとするケニア人や外国人、国内外のメディア関係者などが集まっていた。最終的な来場者は600人を超えていたと思う。観客が写真を撮ったりして楽しむかたわらで、地元の人たちは競技者に声援を送っていた。そして、自分が所属・応援しているチームの選手が1位になると喜びを爆発させ、係員の制止を振り切って競技場になだれ込んで行進を始めていた。それぞれの人がそれぞれのやり方で、マサイ・オリンピックを楽しんでいたと言えるだろう。

5000メートル走での優勝を祝って行進をする選手・関係者と、その様子を写真に撮ろうとする外国人やメディア関係者
5000メートル走での優勝を祝って行進をする選手・関係者と、その様子を写真に撮ろうとする外国人やメディア関係者

そしてわたしが確認できた限りでは、ロイター通信、AP通信、フランス通信社(AFP)、共同通信がニュースを配信し、CNN、英国放送協会(BBC)、中国中央電子台(CCTV)、朝日新聞、毎日新聞が取材にもとづく報道をしていた。世界各地でマサイ・オリンピックがニュースとなっていたのは間違いのない事実だ。とはいえ、じつはマサイ・オリンピックは、国際オリンピック委員会によって認められた正式な大会(オリンピック)ではない。それではいったい、誰がどんな目的で開催しているのだろうか? 

マサイ・オリンピックが目指すもの

 

何世紀にもわたって、マサイはライオンを狩り殺すという伝統的な通過儀礼を実践してきた。/今ではたくさんの人間とわずかなライオンしかいない。物事は変わらなければいけない。そのためにわれわれは、マサイ・オリンピックを含めた革新的な保全の方策を編み出した。/これはライオンではなくメダルのハント(狩猟)だ。

これはマサイ・オリンピックの公式ウェブ・サイトのトップページに書かれている文章だ(和訳は筆者による。以下同様)。ここから分かるように、マサイ・オリンピックの目的とは、マサイの戦士が伝統的に行なってきたライオンの狩猟を止めさせることである。

地域の集会に集まった戦士たち。現在のケニアでは狩猟が法律で禁止されているが、多くの戦士はこのように槍を持っている。
地域の集会に集まった戦士たち。現在のケニアでは狩猟が法律で禁止されているが、多くの戦士はこのように槍を持っている。

公式ウェブ・サイトでは、マサイ・オリンピックを通じてマサイの戦士たちに教育すべき内容が2つ挙げられている。それはつまり、「ライオン狩猟は今日ではもはや受け入れられない文化であり、ゾウやその他の野生動物を殺すことと同じように、ただちに止めなくてはいけない」ということと、「『保全の道』に従わず、それが生み出す経済的な便益に与れないならば、マサイの未来は持続不可能なものとなるだろう」ということだ。

絶滅が危惧される貴重な生物種であるのと同時に、経済的に高い価値を有する観光資源でもある野生動物。それを破壊するような伝統文化を放棄し、代わりにそれを保護することで経済的な利益を得ていくことこそが、マサイの戦士がこれから進むべき道、すなわち「保全の道」ということになる。

保護区の中で獲物をくわえたライオンの写真を間近から撮ろうと近寄る観光客の車。野生動物を目当てとする観光業は、ケニアの重要な産業である。
保護区の中で獲物をくわえたライオンの写真を間近から撮ろうと近寄る観光客の車。野生動物を目当てとする観光業は、ケニアの重要な産業である。

こうした考えが受け入れられていることを示すかのように、公式ウェブ・サイトには、大会に出場した戦士の以下のような言葉が紹介されてもいる。

このプログラムはとても成功していて、わたしたちは今では名誉あることをしている。昔はマサイであればライオンを狩猟するものだったけれど、このプログラムはそれよりもよい行ないを示している。

しかし、マサイ・オリンピックの主催組織がヨーロッパ人によって設立されたNGOであり、それによって公式ウェブ・サイトが管理されている時、そこにおける説明が本当に地域社会や戦士の意見を反映しているとは限らない点に注意する必要がある。

「コミュニティ主体」のレトリック

マサイ・オリンピックを主催しているのは、アンボセリ地域で高級ロッジを経営しているヨーロッパ人が設立した動物保護NGOの「ビッグ・ライフ・ファウンデーション」だ。現在、政府機関がアンボセリ地域に配備しているゲーム・レンジャーが約50人であるのに対して、ビッグ・ライフ・ファウンデーションは300人以上の地元のマサイをゲーム・レンジャーとして雇用している。その上、予算不足が理由で政府も行なえていない、野生動物による家畜被害の補償も実施している。ビッグ・ライフ・ファウンデーションが政府以上に多様で充実した活動を展開できているのは、それだけの寄付を欧米の富裕層から集めているからである。

政府機関のゲーム・レンジャー。密猟者の捜索や逮捕、密猟者が設置した罠の撤去、負傷した野生動物の救護などが主な仕事である。
政府機関のゲーム・レンジャー。密猟者の捜索や逮捕、密猟者が設置した罠の撤去、負傷した野生動物の救護などが主な仕事である。

ところで、1990年代以降のアフリカでは、野生動物の保全活動は「コミュニティ主体(community-based)」で取り組まれるべきだと考えられている。地域社会や住民を敵視して排除したり処罰したりするのではなく、その知識や能力を評価し、文化や権利を認め、主体的な参加を促すべきだと考えられるようになったのだ。そうした中でビッグ・ライフ・ファウンデーションは、マサイ・オリンピックのアイデアは地域社会の中から出てきたと説明する。実際は住民とビッグ・ライフ・ファウンデーションとが話し合う中で浮上したアイデアなのに、住民が発案し地元が主導するプロジェクトであるかのように説明するのは、その方が国際的な支持と支援を得やすいと考えているからだと思われる。

というのも、もし、ライオン狩猟を行なってきたマサイの戦士それ自体を「受け入れられない文化」と見なすなら、彼らは支援すべき対象というよりも厳しく取り締まるべき対象、環境教育を施すべき対象となる。それとは対照的に、マサイの戦士は伝統文化であるライオン狩猟を自ら捨て去り、野生動物を保護するためにマサイ・オリンピックを企画・実践しているということになれば、その行動は「コミュニティ主体」の理想的な試みということになり、彼らは積極的に支援されるべき対象となる。それは同時に、マサイの戦士を支援するビッグ・ライフ・ファウンデーションが、より多くの活動資金を獲得できる可能性が高まることを意味してもいる。

主催組織が会場に設置した幕と観客。幕にはマサイの言葉(マー語)と英語で、「わたしたちは、わたしたちの資源をとても大切に思っている」と書かれている。
主催組織が会場に設置した幕と観客。幕にはマサイの言葉(マー語)と英語で、「わたしたちは、わたしたちの資源をとても大切に思っている」と書かれている。

世界に伝えられない現場の問題

このように、マサイ・オリンピックをめぐって主催組織である動物保護NGOから発信される情報には、それを発信する者の思惑が働いている。しかし、それと同じかそれ以上に大きな問題に思われるのは、野生動物にかんしてマサイが支援を強く求めている問題があるのにもかかわらず、それがメディアによって伝えられていないという現実である。その問題とはすなわち、野生動物と共存する際に避けられない害や危険性のことである。

多くのアフリカ諸国と同様、ケニアでも野生動物は保護区の中だけで暮らしているわけではない。野生動物は保護区の周囲に暮らす人間の生活圏に現れ、時に深刻な被害をもたらす。アンボセリ地域の場合、数人とはいえ毎年何人かの人間が、保護区の外に出てきた野生動物に襲われて死亡している。また、家畜や畑の被害はより広範に起きている。そのため、住民は政府機関やNGOなどに対して、再三にわたって被害への対策や補償を要求している。だが、多くの場合、それは無視ないし黙殺されている。

集落から数10メートルの距離に現れたゾウ。この時は集落の男性が地面に落ちていた木の枝を何本も投げるなどして追い払っていた。
集落から数10メートルの距離に現れたゾウ。この時は集落の男性が地面に落ちていた木の枝を何本も投げるなどして追い払っていた。

たしかに、人や家畜が野生動物に襲われる問題は昔からあった(アンボセリ地域で農耕が広まったのは20世紀後半なので、農作物被害だけは事情がやや異なる)。ただ、狩猟が全面的に禁止されて厳しい取り締まりが行なわれている現在とは違い、狩猟を行なうことができた過去であれば、マサイは危険な野生動物を追い払ったり殺したりしていた。また、家畜を放牧に連れ出したり水汲みや薪拾いに出かけたりする時には、人々は危険な野生動物と遭遇することがないように気をつけていた。つまり、マサイと野生動物はたがいに相手を攻撃することがあったけれども、それと同時に相手の攻撃を受けないよう避けることをしながら、サバンナの土地で歴史的に共存してきたのである。

また、マサイ社会では伝統的に、男性は未成人の「少年」、成人ではあるけれども結婚は認められない「青年」、結婚し世帯を構えることができる「長老」の3つのカテゴリーに大別されてきた。「戦士」という言葉は青年を指して使われるのだけれども、伝統的なマサイ社会における青年の役割は、地域の治安を維持することだった。自らの男らしさを証明するために青年がライオンを狩猟することもあったが、「昔は野生動物を殺すことができたから一緒に住めた」「狩猟を止めたら、野生動物はマサイを恐れなくなってより攻撃的になった」と長老が言うように、マサイが野生動物を殺す理由としては、それによって生命や生活を脅かされることを防ぐ意図もあったのである。

集落のすぐ近くに現れたシマウマ。シマウマのような草食動物であれば、マサイも追い払ったり避けたりすることはない。
集落のすぐ近くに現れたシマウマ。シマウマのような草食動物であれば、マサイも追い払ったり避けたりすることはない。

ビッグ・ライフ・ファウンデーションは、マサイの戦士は今では狩猟を放棄し、これからは野生動物を保護しながら平和に共存していくつもりだという。それは現場を知らない野生動物の愛好家からすれば、非常に好ましいストーリーと言えるだろう。しかし、その中からは、マサイと野生動物の歴史的な共存に狩猟が果たしてきた役割や、野生動物との共存が昔も今も命の危険を伴うこと、そして、今現在も多くのマサイが危険な野生動物との共存に否定的である現実が抜け落ちている。

戦士にとってのマサイ・オリンピックの意味

メディアの取材を受けた選手たちは大抵、マサイ・オリンピックは素晴らしい取り組みだと称賛する。公式ウェブ・サイトに紹介されている戦士の言葉のように、マサイ・オリンピックが地域社会に利益をもたらすこと、野生動物の保護は大切なこと、自分たちはマサイ・オリンピックを楽しんでいることなどを説明する。しかし、それだからといって、彼らがビッグ・ライフ・ファウンデーションと同じ考えに立ち、野生動物との現在の関係を受け入れているわけではない。

ケニア国内のテレビ局の取材を受ける戦士たち。こうした機会に戦士が語る内容は、基本的にマサイ・オリンピックを肯定する内容である。
ケニア国内のテレビ局の取材を受ける戦士たち。こうした機会に戦士が語る内容は、基本的にマサイ・オリンピックを肯定する内容である。

アンボセリ地域のマサイの戦士を束ねるリーダーにわたしが初めて会ったのは、第2回大会の数日前だった。その時、彼は「マサイ・オリンピックは素晴らしい」と言っていた。しかし、その後に交流を深める中で彼は、「戦士がマサイ・オリンピックに参加する一番の理由は賞金だ」と言い、「オリンピックが終わった後で受賞者がメダルを身に着けている姿は見たことがないし、どこにあるのかも知らない。メダルには価値がないし子どもの遊び道具にでもなっているのかもしれない」「メダルをもらうよりもその分だけ賞金を増やしてもらうほうがみんな喜ぶだろう」と説明してくれた。

また、過去2回のマサイ・オリンピックを連覇したチームの戦士たちは、両大会後にスポンサーNGOのオフィスを訪れ、「これでは紅茶も飲めないし、何の役にも立たない」と言って、記念すべき優勝トロフィーを現金で買い取るよう求めたという。かつて、ライオン狩猟に成功した戦士は獲物のたてがみを持ち帰った。それに代わる新たな名誉の証として用意されたメダルやトロフィーだが、戦士たちはそれらに価値を見出していないことになる。

トロフィーを笑顔でかざす優勝チームの戦士たち(第2回大会時)。この翌日には、トロフィーの買い取りを求めてスポンサーNGOのオフィスを訪れたという。
トロフィーを笑顔でかざす優勝チームの戦士たち(第2回大会時)。この翌日には、トロフィーの買い取りを求めてスポンサーNGOのオフィスを訪れたという。

とはいえ、マサイの戦士がマサイ・オリンピックに金銭的な価値しか認めていないというわけではない。賞金を得られるかどうかは別にして、スポーツを通じた競争と交流をたしかに楽しんでいた。また、メダルやトロフィーに見向きもしないからといって、伝統的な生き方を変える必要がないと思っているわけでもない。

そもそも、1991年生まれの現在の戦士のリーダーは、地域で初めてとなる学校に通うリーダーである。伝統的に戦士のリーダーは、戦士たちが親元を離れて共同生活を送る集落に暮らすものだった。しかし、町の近くの中学校に通っている現在のリーダーは、普段は集落を留守にしている。何か問題が起きてもすぐには対応できないのに、戦士と長老とが集まって話し合う中で彼がリーダーに選ばれたのは、家柄や人柄のよさといった伝統的な理由に加えて、学校教育を受けている上に向学心が強いという現代的な理由からだった。彼のような人物こそが、これからのマサイ社会のリーダーに相応しいと合意されたのだ。

そんなリーダーは、伝統的な通過儀礼は残すべきだという一方で、マサイ社会を取り巻く環境は大きく変わっているので、すべての戦士は学校に通って教育を受けるべきだと言う。また、野生動物を殺さない代わりに政府やNGOから奨学金や補償金をもらっている上に、野生動物は国にとって大切な観光資源なのだから、狩猟はするべきではないと言う。ただ、野生動物が人や家畜、畑を襲うことは深刻な問題だと言い、依然として被害が続発している現状を是認しているわけではない。伝統をかたくなに保持するわけでもなければ、伝統をすべて捨て去るわけでもなく、新しい知識や開発、援助などを積極的に取り入れながら、大切と思う伝統を守っていこうとしているのである。

首都ナイロビで開かれたシンポジウムで、マサイの伝統文化とマサイ・オリンピックの意義について英語で発表をする戦士のリーダー。
首都ナイロビで開かれたシンポジウムで、マサイの伝統文化とマサイ・オリンピックの意義について英語で発表をする戦士のリーダー。

おわりに

マサイ・オリンピックはマサイの戦士に対して、「保全の道」という新たな生き方を提示している。それは「コミュニティ主体」の動物保護の理念を踏まえたものだが、戦士による狩猟を問題視するばかりで、地域で深刻化する野生動物の害を等閑視しているために大多数の住民の共感は得られていない。

その一方で、現代のマサイの戦士は学校に通う人物を自分たちのリーダーに選ぶなど、これまでとは違う生き方を実践するようになっている。マサイ・オリンピックが具体的に提示する生き方には賛成できないけれど、時代に応じて伝統を変えていくことが必要だと考える点では一致している。彼らがメディアの取材に対してマサイ・オリンピックを肯定的に評価するのも、そうすることが外部援助者を満足させ、その結果としてさらなる支援につながる可能性があることを理解しているからだと考えられる。

もっとも、戦士のリーダーは現在のマサイ・オリンピックのやり方に批判的でもある。ビッグ・ライフ・ファウンデーションが自分たちを利用して、莫大な利益を上げて(独占して)いるのではないかと疑っているのだ。そして、そうした状況を打破するため、マサイの伝統文化やこれからの戦士の生き方についてビッグ・ライフ・ファウンデーションに語らせるのではなく、自分たちが表舞台に出て、自分たちの言葉で外の世界の人々に向けて語っていくべきだと考えている。情報発信にしても大会運営にしても、ビッグ・ライフ・ファウンデーションに任せるのではなく、自分たちの手で行なっていこうというのである。

これまで、マサイ・オリンピックの場でマサイの戦士が公式のスピーチをする機会はなかった。あくまでマイクを握ってきたのは、主催組織やスポンサー、来賓の有名人や政治家だった。はたして、今年(2016年)の12月に予定されている第3回大会で、戦士がマイクを握ることができるのかは分からない。ただ、文字通りに自分たちが企画の主体となろうとする戦士の行動によって、マサイ・オリンピックのあり方もきっと変わっていくことになるだろう。

プロフィール

目黒紀夫環境社会学

広島市立大学国際学部講師、NPO法人アフリック・アフリカ理事。東京大学大学院農学生命科学研究科農学国際専攻博士課程単位取得退学。博士(農学)。専門は環境社会学、アフリカ地域研究。「野生の王国」アフリカにおける地域社会と野生動物の日常的な関係を知りたくて、ケニア共和国のマサイ社会において現地調査を開始したが、マサイ社会の急速な変化を目の当たりにして伝統(の変容)や開発(の影響)も調べるようになっている。

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