2016.12.27

タンザニア農民との学び――国家の周縁地で森林保全とエネルギーの関係を考える

黒崎龍悟 / アフリカ地域研究、近藤史 / 生態人類学

国際 #等身大のアフリカ/最前線のアフリカ#タンザニア#森林保全

シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「等身大のアフリカ」(協力:NPO法人アフリック・アフリカ)です。

森林荒廃が進む農村部

東アフリカ、タンザニアの幹線道路を地方に向けて進んで行くと、道端に薪や炭を並べた即席の露店が、長い距離にわたってたびたび現れる。タンザニアの農村部ではガスや電気といったインフラがほとんど整っておらず、煮炊きにはもちろん、光源としても薪や炭が使われている。だが、露店に並ぶ薪炭は、近隣の農村ではなく都市部のエネルギー需要を満たすためのものだ。一部の富裕層を除けば、都市に住む人びとも調理に使うエネルギーを炭に依存している。近年の急速な経済成長は都市部に多くの人びとを引きつけ、薪炭の流通拡大に拍車をかけている。

幹線道路沿いに並べられた薪炭と木製の車止め
幹線道路沿いに並べられた薪炭と木製の車止め

こうした薪や炭の販売は、農村部の人びとにとって手っ取り早い、かつ唯一といっていいほどの現金収入源になっている。彼らが現金収入を求める背景には、先進諸国の援助によって学校や医療施設が整えられて教育機会や治せる病気の幅が増えた反面、学費や医療費の捻出が重くのしかかってきたという事情がある(伊谷2016a)。

自然林から薪炭を取り出したり、伐開地を耕作して農産物を販売するのはまだ良い方で、いよいよ困窮すると土地を売ってしまう。農民にとって土地を失うことは生活基盤の消失を意味しており、その先のさらなる生活の困窮を招来する。近年、注目を集めているランド・グラッビング(土地収奪)には、外国企業によるものだけではなく、都市在住のタンザニア人富裕層による投資的な動きも混在しており、じわじわと農村部に進展している。不在地主が増加すれば、農村部の土地利用が混乱することは想像に難くない。

このようにして都市の一部の富裕層と農村部の格差が深刻さを増していくなかで、ある地域では住民がみずから問題を打開するために新たな事業をはじめている。私たちは、タンザニアの農村部における環境問題の実態把握を進めるとともに、そうした住民発の対処法に学びながら実践的な活動にも取り組んできた。この小論ではとくに、タンザニア南西部、行政的にはソングウェ(Songwe)州モンバ(Momba)県と呼ばれる地域の農村での活動に触れながら、アフリカの環境問題を捉える視点を提起したい。

植林は誰のニーズ?――国家の周縁地から眺める森林政策

ザンビア国境にも近いタンザニア南西部は、ふるくからさまざまな民族が行き交う「民族の回廊」と呼ばれてきた。そこでは人びとの交流とともに、焼畑をはじめとするさまざまな農法も伝播し、ミオンボ林(Miombo)と総称される自然林を薄く広く使う文化が息づいていた。

モンバ県に住むニャムワンガ(Nyamwanga)の人びとも、近隣の民族との交流のなかで多様な農法を育んできたが、冒頭で述べたようなグローバル経済の影響を受けて生活に困窮している。焼畑農耕を営む彼らは、生活基盤である林のバイオマスが脆弱になっていく現状を理解しつつも、現金を稼がなければならないというプレッシャーのなかで、どのように林を管理すればよいのか立ち往生している。

タンザニア政府は、1961年の独立後も植民地時代の環境政策を引き継ぎ、現在まで森林保全に力を入れてきた。しかしそれは住民による利用を許さない保護林の設定や造成が主体であったため、植林に対する住民のインセンティブは上がらず、事業は持続性を欠いていた。2000年前後には林の管理を住民に委ねる政策も講じられたが、木材資源の需要が高まるなかで住民に伐採の自制を期待するのは容易でなかった。

保護林の設定や造成にはタンザニア国家のエネルギー政策も強く関連している。タンザニアの系統電力は、大規模なダム型水力発電に大部分を依存している。そのため政府は、水源や流域に対して厳しい土地利用規制を課し、水源涵養林を保全する義務を押し付けている。

また、環境保全の名の下に製炭の禁止令を出したものの、炭に代わるエネルギーの供給策を講じることはなく、肥大する都市のエネルギー供給を事実上、農村部の製炭に依存し続けている。これまでの森林政策は、いわば都市部のニーズに向けたものであり、農村部は都市部のための環境保全とエネルギー供給の役割をお仕着せられてきたのである。とりわけ、国家のサービスから遠い位置にあるニャムワンガ社会は、国家政策の矛盾が顕在化している最前線の地域といえる。

このような状況に対して、植林といっても劣化した自然林を修復するのではなく、自分たちで利用しながら管理する人工林の造成がひとつの打開策になると私たちは考えている。経済価値が高く、また住民の裁量で使える林を創りだせば、自然林にかかってきた負荷を軽減できる。

タンザニア南西部の気候は大きく雨季と乾季に分かれるが、近年では降雨パターンが不規則になる傾向があり、これまでの慣行的な農業に支障がでている。しかし樹木は一度活着すれば簡単には枯死しないので、不作の年でも材木の販売によって生計を補てんできる。

私たちは、このようなことを念頭に置きつつ、1990年代から同地で実施されてきた実態把握の成果に基づき、地域の環境と経済をめぐる問題について取り組んできた。そのプロセスにおいて村の有志と住民グループを組織し、彼らとともに先進的な地域の事例に学びながら活動を進めてきた。

森づくりを住民から学ぶ――人工林を使いこなすベナ社会

多くの農村が生活のために森林を破壊的に利用せざるをえないジレンマに陥っているなかで、先駆的なケースとして人工林の造成に取り組み、経済的に有益であることを実証したのが、南部高地の中央、ンジョンベ州に居住するベナ(Bena)の人びとだ。

タンザニア経済の成長を背景として2000年頃から都市部の建材需要が増えるなか、ベナの人びとは製材に適したパツラマツ(Pinus patula)を積極的に植えるようになり、この15年のあいだに彼らの村の景観は草地から人工林へと急速に変わっていった。木材販売によって好景気に沸き、チェーンソーやテーブルソーを購入して製材業を営む者も現れている。

ベナの村では切り出した板材を道端に積んで乾燥させる
ベナの村では切り出した板材を道端に積んで乾燥させる

ベナの居住域は標高1,600~2,000メートルの丘陵地帯で、かつては熱帯山地林に覆われていたと考えられるが、古老たちの話によれば、1930年代にはすでに見通しの良い草原が広がっていて、薪を集めるのもひと苦労だったという。そこに、宗主国であったイギリスの企業やカトリック教会が、工業原料や建材の生産を目的としてさまざまな外来樹を持ち込み、そのなかでも生長の早いモリシマアカシア(Acacia mearnsii)やパツラマツがベナの人びとを惹きつけた。

彼らは西洋人の経営する植林地と身近に接するなかで近代的な林業技術を吸収し、自らも草地に木を植えて、利用するための林をつくりだしていった。詳細は別稿(近藤2016)に譲るが、1980年代終盤には人工林を繰り返し利用・再生する独自の農林業複合システムが普及した。育苗や間伐、枝打ちなどの手間をかけながら林を育て、樹齢7~10年程度の人工林を伐採して樹幹を製炭や製材に利用したあと、残った枝葉を燃やして焼畑を耕作するというものだ。

ベナの人びとのように大規模に林業を興すまでには至らなくても、植林のモデルケースとして彼らから学ぶべきところは多い。

ニャムワンガの人たちに、「利用するための林」をつくりだすことで、安定して現金を稼ぎ食料を生産できることを体感してもらおうと、2014年に住民交流を企画した。3名のニャムワンガの男性とともに、植林にとりくむベナの住民グループを訪問し、彼らの活動内容を聞いたり、苗床を見せてもらって実地で育苗技術の指導を受けたりした。この交流を通してニャムワンガの人たちは強い刺激を受け、自分たちの村でも本格的に植林に取り組むため、その場でグループと交渉して苗木を百本購入した。

パツラマツの幼苗を育苗チューブに移植する方法を教わる
パツラマツの幼苗を育苗チューブに移植する方法を教わる

こうした盛り上がりは、たんに林業試験場や環境セミナーで技術を学ぶだけでは得られなかったものだろう。生活のなかに林業が息づく現場を訪れたことで、民家の屋根が草からトタンに葺き替えられたり、ソーラー発電機を備えたゲストハウスやバー、ビデオ上映店が深夜まで営業しているといった活気あふれる村の様子を彼らは肌で感じた。

また、ベナの村のなかには、ところどころ植林されなかった放牧用の草地が残されていて、その部分はニャムワンガの村よりもはるかに木が少ないことが観察された。こうした体験と住民同士の等身大の交流を通じて、植林すれば生活の向上に繋がるという「成功のイメージ」を具体的に思い描けるようになったこと、また、自分たちにもできそうだという感覚をもてたことが、彼らのやる気を奮い立たせた。

「しかけ」づくりを住民から学ぶ――鍛冶職人パングワの知恵

とはいえ、最短でも7年程度かかる人工林の「果実」を待つ時間は、ニャムワンガのような、本当に現金収入源に乏しく、目の前のことに追われている人びとにとっては長い。住民交流の興奮が落ち着いてきた時に、あるいは交流に参加できなかった住民に対して、7年後の利益が植林のインセンティブとして機能し続けるとは限らない。植林活動を後押しするような、活動の潤滑油的な「しかけ」を組み込まないと、事業の持続性を担保することは難しい(伊谷 2016b)。

このような問題を考えるうえでのヒントをくれたのも、やはりタンザニアの農村部に暮らす人びとだった。彼らが教えてくれたのは、水力という自然エネルギーの利用である。

ベナの居住地に隣接する、ンジョンベ州南西部の山岳地帯には、パングワ(Pangwa)と呼ばれる民族が生活している。彼らのルーツは鍛冶職人であり、一部の人びとがその伝統を今日まで受け継いでいる。彼らの技術が興味深いのは、昔ながらの鉄製品の製造に従事するかたわら、現代社会で求められる道具も新たに創り出している点である。その一例が、ここで紹介するごく小規模な水力発電事業である。

彼らが暮らす山村を訪れると、突如パラボラアンテナが林立している集落に出くわすことがある。手作りの電柱があり、そこから延びる電線をたどると、その先にトタン屋根が葺かれた水力発電の装置が据え付けられていた。これらを設置した人びとは、キリスト教系の団体による水力発電事業に刺激を受け、手近にある材料を使って見よう見まねで水車をつくり、発電事業を手掛けていた。農業や養鶏などをとおして少しずつ資金を貯め、自分たちの村の河川環境に合うように試行錯誤を繰り返してきたのである。

パングワが経営する鉄工所に設置された簡易水汲み装置。強い力を必要とせずに水が汲みあげられる。
パングワが経営する鉄工所に設置された簡易水汲み装置。強い力を必要とせずに水が汲みあげられる。
パングワの手による水力発電の一例
パングワの手による水力発電の一例

これまで電力会社だけの独占物だと思っていた電気を、自分たちと同じ農民が作り出しているという事実は、ニャムワンガの人びとにとって衝撃的であった。わずかな電気でも、電灯をつけることができれば、暗闇のなかで夕食をとることはなくなる。現在、農村部でもほとんどの人が利用する携帯電話の充電のほか、ラジオやテレビ・ビデオの利用なども可能になり、人びとの生活の底上げに直接つながる。

水力発電はその性質上、流量の安定が意識されるため、水源涵養林の育成や流域の環境保全の活動とも切り離せないわけだが、私たちはそうした活動に積極的に取り組む人にも出会い、彼らの試行錯誤のプロセスから多くを学んだ(黒崎 2016)。見学した現場では、新たな活動に取り組む「おもしろさ」が強く伝わってきたが、それが彼らの活動の原動力のひとつになっていることも大事なポイントである。

ベナの植林の事例と同様に、私たちはニャムワンガの村人とともにパングワのところまで訪ね、さまざまな設置事例の現場を踏破した。根っからの実証主義者である人びとにとって、住民同士の交流の効果はてきめんであった。

試行錯誤のプロセスを共有する

もちろん、こうした交流を重ねたからといって、ニャムワンガの村で植林や水力発電の取り組みが順風満帆に進んでいくわけではない。

たとえば植林に関しては、気候や土壌などの生態環境に応じて育成しやすい樹種が変わるため、利用目的に応じて地域にあった樹種を試験選抜する必要がある。また、人工林が無秩序に拡大して天然林の生育場所を脅かすようでは本末転倒だ。地域全体の植生バランスを考慮しながら、どのような樹種を、どこに、どれだけ植えるのか、管理・モニタリングしていくことが大切である。

他にもハードルは多い。ベナから苗木を譲り受けて2014年末から2015年初頭の雨季に植林したパツラマツは、いま、ニャムワンガの村にはほとんど残っていない。降雨が少ない環境に耐えて活着したが、ヤギやウシ、ブタなどの家畜による食害を受けて枯れてしまったのだ。

民家があつまる集落の近くに植林したことも、被害を大きくした。家畜は夜のあいだ集落にある家畜囲いに繋がれるが、その周囲に植林された苗木は、朝夕の放牧の行き帰りに食べるのにうってつけだった。そこで翌年からは、集落から離れた畑に植林する方針をとるとともに、集落で植林する場合は苗木を木の柵で囲うことにした。これによって家畜の食害は減ったが、柵をつくるために他の木を伐採するという矛盾も生じていて、悩ましい。

ベナとの交流から1年が経過した2015年中盤、食害にもめげず、交流に参加した村人が率先して数千本の苗木生産に取り組むようになったが、そこでも新たな問題が浮上した。育苗に要する労働負担の大きさである。

当時、住民グループには50人を超えるメンバーが参加していて、そのなかの十名程度が環境委員会を組織し、メンバー全員の苗木生産を担う体制となっていた。雨が降りはじめる年末から翌年初頭に植林するため、苗木は乾季のあいだに育てる。培土を調合して育苗チューブに詰める仕事に加え、播種から3ヶ月にわたって毎日の水やりが欠かせない。環境委員らが2人一組になって2週間交代で水やりを完遂したが、負担感は大きかった。

とりわけ、さまざまなグループ活動にはあまり参加しないで苗木だけもらっていくフリーライダーへの不満が募った。そこでグループの組織体制を見直し、活動への参加率が悪いメンバーをすべて除籍した。メンバー数は半分程度まで落ち込んだが、2016年乾季の苗木生産では、曜日ごとに水やり当番を決めて全員が従事する体制をつくることができた。

育苗体制が整うのと前後して、もうひとつ深刻な問題が顕在化した。それは野火被害である。焼畑にかぎらず、放牧家畜のための新鮮な食草をえるために、あるいは狩猟で獲物を追い詰めやすくするために、タンザニアの農村の人びとは原野に火を放つ。こうした火は自然消火に任されていることから、しばしば野火が発生する。

ニャムワンガの村では、集落から離れた畑の一帯は放牧地や狩猟場も兼ねていて、作物の収穫をおえたあと、あちこちで火が放たれる。それによって、畑に移植した苗木の大半が焼失してしまったのだ。

一方、ベナの村では、植林の拡大にともなって火を管理する仕組みが地域全体で構築されており、屋外で火を使う時の許可制度や、植林地を囲う厳重な防火帯、携帯電話をつかった消火ネットワークなどによって、現在では野火被害がほとんど見られなくなっている。住民交流の際にこれらの仕組みを見聞したものの、ニャムワンガの村ではまだ浸透していない。住民グループに参加していない村人への働きかけも含めて、どうやって野火被害を防いでいくか、模索を続けている。

水力発電に関しては、まずは発電技術を確立するまでにさまざまな苦労があった。活動している村には、モンバ川という大きな河川が流れている。水力発電は、流れる水の量が多いほど、また、水を落とす位置が高いほど、水車をまわすための大きなエネルギー(=電力)を得られる。

パングワの人びとが暮らす地域は、流量は多くないものの、落差を確保することによって発電を可能にしていた。モンバ川は、流量は雨季・乾季をとおして問題ないものの、落差が確保できないところに難があった。河川の脇に等高線に沿って水路をつくって標高差を得ようにも、まわりは岩だらけでむずかしい。

とにかく試してみようと、最初の取り組み(1号機の製作)では、すべて現地で調達できる材料を使い、パングワの人びとが実践しているタイプの水車を設置してみた。しかしながら、落差がネックとなり、発電には至らなかった。そこで、私たちは村人とともに、近くの町工場の技術者や、日本で小規模分散型エネルギーの取り組みを進めている研究者・技術者と交流を深めて、打開策を考えた。

そこで行き着いたのは、大正時代に富山県の砺波平野で生まれた「らせん水車」であった。一般的な円形の水車と違ってスクリューの形をしたこの水車は、落差が少ない緩傾斜でも回るという特性をもっている。砺波平野ではかつて農作業の動力に利用していたのだが、近年の分散型エネルギー開発の取り組みのなかで、発電用の水車として再評価されていたのである。日本とアフリカの現代的事情がシンクロしていたのも、私たちがらせん水車に出会えた要因であったと思う。苦心を重ね、事業に取り組んで3年目にしてようやく発電することができた(Okamura et al. 2015)。

完成したらせん水車による発電
完成したらせん水車による発電

しかし、軽量化や雨季の増水への対応などの課題が残されていて、電気は必ずしも安定的には使えてこなかった。現在、3号機を作り、さらなる改良を進めているが、ここで力を注いだのは、「電気の見える化」であった。

河川は雨季の後、水位が最大になり、そこから乾季になるにつれて流量がだんだんと減っていく。そのため、水車は固定式ではなくモバイル型で、流量の低下にあわせて適地を探すという形態をとる。電線を家までひくのではなく、その場で小型のバッテリーに充電し、家に持ち帰って電灯などにつなげて使うのである。

3号機では、ソーラー発電にも利用されている充電用のコントローラーをセットし、充電が完了するとLEDライトが知らせる仕組みをつくったことで、村人が充電にどれだけの時間が必要かを視覚的に確認できるようになった。流量の増減はそのままバッテリーの充電時間に影響するので、村人は使える電気の量と水位の関係に思いをめぐらせるようになる。

村内には、モンバ川とは別に、小高い丘の周辺から流れる小河川がいくつか流れていたが、森林環境の荒廃とともに、現在では雨季のみに現れる季節河川となってしまった。自然エネルギーの利用が、水資源と森林環境との関連性を気づかせ、人工林の造成や自然林の再生事業へもつながることを期待している。

植林にしても、水力発電にしても一筋縄ではいかない。活動の進行とともに生じるさまざまな出来事について村人ともに検討し、そこから得られた知見をフィードバックしながら対応策を講じていくこと、また長期的な視点のなかで捉えることが大切だと考えている。長期的に成果を捉えることは、短期間で具体的な成果を求める一般的な開発プロジェクトでは受け入れられにくいものだが、活動をともにする村人自身がその重要性を理解していることに勇気づけられている。

充電の方法について学ぶ村人。中央は共同研究者・岡村鉄兵氏(名古屋大学)
充電の方法について学ぶ村人。中央は共同研究者・岡村鉄兵氏(名古屋大学)

さまざまな要素のつながりのなかで考える

FAO(国連食糧農業機関)の統計によると、タンザニアは2010年から2015年の5年間の森林消失率が世界第5位という深刻な状況にある(FAO 2015)。ミレニアム開発目標のポスト計画として立ち上がった持続可能な開発目標では、その名のとおり多くが環境に関する達成目標を掲げている。この方向性自体は正しいと考えるが、効果的な事業を推進するためには、ミクロ・レベルの正確な実態把握が欠かせない。

ここで紹介してきたのは、植林と水力発電という2つの事業だが、気をつけなければならないのは、それらを、農村生活のさまざまな要素のつながりのなかで捉える必要があるということだ。前述したように、苗を植えても家畜がつながれていなければ、苗は食害の餌食になる。であれば家畜を小屋のなかで飼うこと(舎飼い)も考えなければいけないのだが、そうなると飼料となる樹木の葉や葉菜類などを安定的に調達しなければならない。

ところが村では、生活用水を川から汲んでいるため、乾季になると舎飼いをするための飼料どころか、村人が日常的に食用とする葉菜類の栽培もままならない。水汲みに何往復もしなければならず、労働力に余裕がないのである。そこで私たちは現在、電気や燃料を使わず、わずかな落差を利用して数倍~数十倍の高さに水を揚げることのできる水撃ポンプという技術を活用することを試みている。

同時に、舎飼いを推奨するような村の条例への働きかけといった制度づくりにも関与している。このように、地域で生じている問題に取り組むには、必然的に総合的な視点に立ちながら、複数の活動を同時進行することになる。そして、こうした活動の経済的な有用性はもちろんのこと、地域の文化や社会的な要素とどのように折り合いをつけるかを考えなければならない。たとえば、一部の人びとが経済的に突出しないような配慮をすることが大前提になる。

はっきりしているのは、農村部の人びとは、生活のための自然環境をなんとかしなければならないということを十分理解していることだ。なかなか状況が改善されない様子を見た外部者からは、「アフリカは環境保全の意識が低い」、「教育が足りない」という意見が時々聞かれるが、私たちはそうした論調には強い違和感がある。

あるいは人びとが現在、植林をしないからといって、それが彼らの「ニーズ」ではないと断言することも危うい。問題は、目の前の経済的な問題に対処せざるを得ないために、自分たちを取り巻く環境問題の解決に向けてどのように取り組んだら良いのかわからない、長期的に取り組むことができない、という背景が置き去りにされていることにある。目の前のニーズの充足と潜在的なニーズへの対応のギャップを埋めるという視点が大事なのではないだろうか。

引用文献

・FAO (2015) Global Forest Resource Assessment 2015
(http://www.uncclearn.org/sites/default/files/inventory/a-i4793e.pdf)

・伊谷樹一(2016a)「生業と生態の新たな関係」重田眞義・伊谷樹一編『争わないための生業実践-生態資源と人びとの関わり』(アフリカ潜在力シリーズ 第4巻)京都大学学術出版会、pp.3-16。

・伊谷樹一(2016b)「アフリカで木を育てる」『FIELD PLUS (フィールド・プラス) 』15: 14-15。

・近藤史(2016)「半乾燥地域の林業を支える火との付きあい方―タンザニア南部、ベナの農村の事例から」重田・伊谷編著『争わないための生業実践―生態資源と人びとの関わり』(アフリカ潜在力シリーズ 第4巻)京都大学学術出版会、pp.181-241。

・黒崎龍悟(2016)「水資源の活用と環境の再生―小型水力発電をめぐって」重田・伊谷編『争わないための生業実践―生態資源と人びとの関わり』(アフリカ潜在力シリーズ 第4巻)京都大学学術出版会、pp.301-330。 

・Okamura T., R. Kurosaki, J. Itani, and M. Takano(2015)Development and Introduction of a pico-hydro system in Southern Tanzania. African Study Monographs,36 (2): 117–137.

プロフィール

黒崎龍悟アフリカ地域研究

福岡教育大学准教授。博士(地域研究)。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了後、京都大学アフリカ地域研究資料センター研究員などを経て現職。現在、トヨタ財団共同研究助成「タンザニアにおける小型水力発電と住民交流を基盤とした環境保全に関する実践的研究」を進めており、本稿はその成果の一部である。主な業績として『アフリカ地域研究と農村開発』(2011年京都大学学術出版会、共著)など。NPO法人アフリック・アフリカ副代表理事。

この執筆者の記事

近藤史生態人類学・アフリカ研究

弘前大学准教授。博士(地域研究)。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了後、神戸大学大学院農学研究科地域連携研究員、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教を経て現職。現在、科研費プロジェクトとして「アフリカ農村における焼畑を基盤とした産業植林による内発的発展の可能性と課題の検討」を進めている。主著として 『タンザニア南部高地における在来農業の創造的展開と互助労働システム―谷地耕作と造林焼畑をめぐって―』(2011年松香堂書店)、NPO法人アフリック・アフリカ事務局広報担当。タンザニア農村の暮らしに関するエッセイなどを執筆(http://afric-africa.vis.ne.jp/essay/tanzania.htm)。

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