「疑惑の選挙」の顛末――2016年のガボン大統領選を振り返る

シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「最前線のアフリカ」です。

 

 

2016年8月31日、アフリカ中部のガボン共和国の首都リーブルヴィルが、大きな混乱に包まれた。この日の午後に、8月27日におこなわれた大統領選挙の公式結果が発表され、現職の再選が報じられたのだが、その結果を不服とする対立候補の支持者らのデモがエスカレートし、政府関係施設や店舗などが襲撃されたり、議会に火が放たれたりするなどの暴動に発展したのである。

 

デモの群衆が鎮圧のために出動した警察と治安部隊が衝突し、死者数十人、負傷者数百人、逮捕者1000人以上を出す事態に至った。このような事態を引き起こした選挙結果は、いったいどのようなものだったのか。そして、その背景にはどのような社会状況があるのか。本稿では、騒動の渦中に居合わせた筆者の経験もふまえながら、2016年のガボン大統領選挙の顛末についてまとめるとともに、ガボン社会の現状について考察したい。

 

本論に入る前にまず、筆者の立ち位置を示しておかなければならないだろう。筆者の専門は人類学であり、ガボンで14年にわたって、狩猟採集民の生活・文化や、環境保全政策と地域住民の関わりなどについての研究をおこなってきた。騒動のときも、国立公園周辺に暮らす地域住民を対象とした調査をするために、近隣のコンゴ民主共和国からガボンにやってきたところであった。

 

もちろん、選挙日程は把握しており、報道にも注意を払ってはいたが、これまでの経験からも事前の情報からも、これほどの事態になるとは予測できなかった。したがって、混乱に巻き込まれたのは「不測の事態」だったわけだが、こうした経験をきちんとまとめておくことは、図らずも「最前線」の現場にいた者の責務ではないかと考え、本稿を執筆するに至った。そのうえで、地方の村落社会に長くかかわってきた人類学者の立場から選挙を振り返ることで、国際関係学や政治学などとは異なる、アフリカの政治状況を理解する視座を提供することができればと考える。

 

 

1.選挙の概要

 

ガボンの大統領の任期は7年であり、2016年の選挙は2009年以来であった。多数の候補者が乱立したが、実質的には、現職のアリ=ボンゴ (Ali Bongo)(選挙当時57歳)と対立候補ジャン=ピン (Jean Ping)(選挙当時73歳)の一騎打ちとなった。アリ=ボンゴの父は、1967年から7期41年(注)ものあいだ大統領の座につき、在任中の2009年に亡くなったオマール=ボンゴ (Omar Bongo) 前大統領であり、アリ=ボンゴは、父のあとを継ぐかたちで2009年8月の選挙で大統領に選出された。与党「ガボン民主党 (PDG: Partie Democratique Gabonais)」の所属で、出身の民族集団は、南東部のテケ(Téké)である。

 

(注)もともと任期5年であったが、6期目となる1998年に7年に変更している。5年を5期、7年を2期務め、8期目の途中に死去した。

 

一方のジャン=ピンは、中国人の父とガボン人の母をもち、母親は西部の海岸地域に分布するミエネ(Myéné)の出自である。もともとはボンゴ一族に近しい立場にあり、オマール=ボンゴ政権時代には大統領補佐官や外務大臣などの要職を務め、オマール=ボンゴ前大統領の長女と結婚していた経歴まである。2008年から2012年までAU(アフリカ連合)の議長を務めたが、2012年に議長に落選したあとは、コンサル業を営むなどして政界からは離れていた。しかし、2014年にガボン民主党を離党し、「政権交代のための野党統一戦線 (FOPA: Front uni de l’opposition pour l’alternance)」を設立してふたたび政治の舞台に戻り、アリ=ボンゴと対立する姿勢を強めていた。

 

 

2.選挙の背景

 

ここでそれぞれの出身地域と民族を示したのには意味がある。ガボンの人口は約180万人と少ないが、そのなかに40以上という多様な民族がおり、最も多い民族でも人口の10数パーセントにすぎないというように、際立った多数派がいるわけではない。また、それぞれに言語が異なるなど民族間の境界は明瞭であり、分布する地域もはっきり分かれている。リーブルヴィルなどの都市部では多数の民族が混淆しているが、同じ地域の出身者が同じ地区に集まってコミュニティを形成する傾向が顕著にみられる。選挙でも、地域/民族によって候補者が分かれる傾向があり、かならずしも政策や政治思想が同じだからといってまとまるわけではない。

 

下表は、オマール=ボンゴ前大統領の後継者が争われた、前回2009年の大統領選挙の結果であるが、三つの地域/民族の候補者で票が分かれていることがわかる。もしかりに対立候補が一本化していればアリ=ボンゴを上回っていたが、とくに北部と南部では文化・歴史的な背景が大きく異なるため、そのような展開にはならず、結局はボンゴ一族による支配が継続することになった。

 

 

表:2009年の選挙結果

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2016年選挙でも、公示の時点では有力と目される対立候補が複数いて、票が割れる予想があったことから、各種メディアでは現職有利の下馬評であった。父親から数えて50年近くにわたって独裁的な体制を維持してきたボンゴ一族は、海外メディアなどから「国家の富の25%を独占し、民衆の人権を著しく侵害している」と批判されている。2015年にサッカーのリオネル・メッシ選手がガボンを訪問して大統領らと親交を深めたことが人権団体から激しい批判を浴びたのは、記憶に新しい。市井の人々との日常会話のなかでも、富を「食べてしまう」政権に対する批判がしばしば聞かれる。にもかかわらず、長期にわたって独裁が維持されてきた理由のひとつは、地域ごとに多様な民族があり、それぞれの力関係が拮抗しているからだろう。

 

もうひとつの理由として、上述のような地域/民族の力関係のバランスに配慮した利益配分がなされてきたことが挙げられる。ボンゴ家の出身民族はもともと主流派ではなく、そのため、それぞれの民族に有力な地位を割り振ることによって懐柔が図られてきた。たとえば首相のポストは、かならず北部を中心に分布する多数派民族であるFangの出身者のものとなっていた。

 

このような利益配分が可能なのは、ガボンが産油国であるとともに、マンガン、木材などの豊富な天然資源を有し、経済的に裕福だからである。2014年の一人あたりGNIは10,410USドルで、サハラ以南アフリカ諸国の平均(1,738USドル)の6倍をこえる(World Bank 2014)。独裁というと、強権的で抑圧的な体制を想起しがちだが、ガボンの政権はそれだけでなく、潤沢な富をいうならば「ばら撒く」ことによって維持されてきた側面がある。

 

このように、支配者(=パトロン)がその取り巻き(=クライアント)に資源をばら撒いて政治的支持を確立する手法は、独立後のアフリカの多くの国家でとられてきた(武内 2009)。しかしながら、「ポストコロニアル家産制国家」と呼ばれるこれらの国家を支えてきたパトロン・クライアント・ネットワークは、1980年代以降、経済危機、経済自由化、政治的自由化によって脆弱化し、そのことが1990年代の紛争の頻発につながったとされている(武内 2009)。これに対してガボンは、1990年に複数政党制を導入するなどの変化はあったが、豊かな天然資源に頼った経済力を背景に、2000年代に入ってもパトロン・クライアント関係が維持されてきたといえる。

 

しかしながら近年、豊かな経済力にかげりが見えていた。その大きな原因のひとつが、原油価格の下落である。2014年からの2年弱のあいだに1バレルあたり100USドルから30USドルへと大幅に落ち込み、そのことが石油収入に頼るガボン経済に大きな打撃を与えた。ガボン政府は、経済活動を多様化して石油依存を脱却するとともに、貧困層の社会保障を確保するための緊急対策を急いだが、6%前後を推移していた経済成長率は、2016年には3%にまで低下する予測である(IMF survey March 2016)。

 

長年ガボンに通っている筆者の「生活実感」としても、モノの値段が上がる一方でサービスが低下していたり、ストライキが頻発したりすることなどから、経済の低迷を肌で感じる。公務員への給料が滞っていたせいか、検問の箇所が増えて、それぞれで賄賂を要求されるなどということもあった。

 

また2014年末には、石油会社の従業員による大規模なストライキが発生し、リーブルヴィルではあちこちのガソリンスタンドで車が列をなした。地方部の状況はもっと深刻で、石油がまったく届かず、給油どころか町からすべての明かりが消えてしまうことさえあった。独裁的な体制に対する不満があちこちでありながらも、これまでは豊かな経済に頼ることでバランスが保たれてきたが、その拠り所が揺らぎはじめてきたのである。

 

アリ=ボンゴ政権になってから、オマール=ボンゴ政権時代の重鎮が冷遇されており、かれら重鎮やその支持者らが不満を抱いていたことも見逃せない。そこに経済悪化がくわわったことによって、とりわけ重鎮らの地盤である地域に配分されるお金は大きく減少し、不満がさらに増幅することになった。2015年に北部出身の重鎮で、対立候補の筆頭と目されていた人物が亡くなったあと、このような勢力の中心となり、アリ=ボンゴとの対決姿勢を鮮明に打ち出していたのが、ジャン=ピンであった。

 

 

3.選挙の結果

 

ここまで述べてきたように、2016年の選挙は、お金の力で保たれてきた政治的バランスが揺らぎ、50年にわたって積もってきたボンゴ家による長期の独裁的な体制に対する民衆の不満が噴出してきた中でおこなわれたのである。選挙期間中には、アリ=ボンゴがじつは前大統領とは血のつながりがないナイジェリア人で、選挙に出る資格がないと公然と批判するなど、野党側が攻勢をしかけた(注)。そして、公示当初には多数乱立していた野党側が、8月半ばになってジャン=ピン支持で一本化を図ったことで、選挙直前にしてアリ=ボンゴとジャン=ピンが激しく拮抗する状況となったのである。

 

(注)2009年の大統領選挙のときから同様の疑惑があったが、フランス人ジャーナリスト・ピエール=ペアンが、この問題を取り上げたルポルタージュを2015年に発表したことで再燃した。なお、ピエール=ペアンは、オマール・ボンゴ政権時代に政府の顧問として活躍した人物でもある。

 

投票後に優勢が伝えられたのはジャン=ピン側であり、それを受けてジャン=ピンは、最終的な開票結果が公式に発表されるのを待たずに、8月28日に勝利宣言をした。これに対して、アリ=ボンゴ陣営も譲らず、両者が勝利を主張するという異常な状況となった。開票結果は、予定されていた8月30日になっても発表されず、さらに緊張が高まっていった。

 

そして、予定よりも1日遅れた8月31日の午後4時、ついに開票結果が発表された。アリ=ボンゴが49.80%(17万7,722票)、ジャン=ピンが48.23%(17万2,128票)、5,000票余りという僅差でアリ=ボンゴの勝利という結果であった。当然、ジャン=ピン陣営は、この結果に猛反発した。とくに、州ごとに開票結果が発表されるなかで、唯一、1日だけ遅れて最後に発表されたオート=オグエ (Haut-Ogooue) 州の結果に対して強い疑義が呈された。その結果とは、全体の投票率が56%であるのに対してこの州だけ投票率99.9%で、そのうち95.5%がアリ=ボンゴ票という「明らかに異常に」偏ったものであった。そして、この州は、ほかでもなくアリ=ボンゴの出身地域であった。【次ページにつづく】

 

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