2017.05.26

文在寅大統領は「反日」?「親北」?そんな素人議論は聞き飽きた!!――『だまされないための「韓国」』第8章

浅羽祐樹×木村幹

国際 #文在寅#だまされないための「韓国」

2017年5月9日、韓国大統領選が実施された。即日開票され、「共に民主党」の文在寅氏が13,423,800票(得票率41.1%)を獲得して当選。翌10日に第19代韓国大統領に就任した。

この選挙に合わせて、講談社/講談社ビーシーは対談本、『だまされないための「韓国」―あの国を理解する「困難」と「重み」』を同5月9日に発売。本書では、韓国政治を専門とする政治学者2名、浅羽祐樹・新潟県立大学教授と木村幹・神戸大学教授が、「韓国」という国から届くニュースをどう読み解くべきか、そして日本政府と日本人はどう対処すべきかを語り合った。

本来であれば分析と研究が本分である政治学者2名が、未来予測(対談収録は2017年2月半ば)を含む韓国情勢の紹介や解説、果ては提言に挑むのは異例だが、それでもあえて敢行したのは、現在の日本における「韓国という国に対する理解」があまりに偏っているからだ。

「いまは、国内外で乱世の時代。解くべき問題を自ら見定めて、新しい渦を生み出していく“暴れん坊”が求められている」とは、本書の序文にあたる「はじめに」での浅羽教授の言葉である。

本企画は、そんな大統領選前に収録された『だまされないための「韓国」』の(本書に収録された7つの章に続く)「第8章」に位置づけられる対談(5月12日に収録)となる。

「進歩派」である文在寅政権が誕生したことで、韓国はこの先どのような方向へ進むのか? 今回の選挙の意味は? そして日本はどうすべきか? ぜひともお楽しみいただきたい。(講談社ビーシー編集部)

書影

「文在寅が勝った」というより反対派が負けた選挙

――まずは今回の韓国大統領選の結果分析からお伺いします。

浅羽 今回の選挙の投票率が77.2%で文在寅の(相対)得票率が41.1%にとどまったということは、全有権者に占める「絶対得票率」は31.7%ということです。つまり約7割の国民からは支持されていない。これは、与党の「共に民主党」が国会で過半数に達していないことに加えて、今後の政権運営をむしろ「落ち着かせる」可能性があります。他方、選挙期間中、伸びもしなかったけれど落ちもしなかったコアの支持層は「妥協を許さない」傾向が強い。政権移行期を経ることなく就任した文在寅大統領はただちにこの狭間に立たされているわけですが、「統治」モードへの切り替えに成功するかどうかが最大のポイントですね。

こういう状況なのに、日本では相変わらず「文在寅圧勝!」という報じ方をするわけで、私としては「うーん、圧勝……ときたか」と思うところです。

木村 まあでも「2位との差が開いた」という意味では「圧勝」と言っていいんじゃないですか。もちろん浅羽先生のおっしゃっているようなところはあると思いますけれども。ただ僕は「文在寅が圧倒的に勝った」というよりは、「安哲秀がコケた」という分析のほうが正しいと思っています。

というのも、文在寅は当初から「30%はとれる」と言われていたわけです。そして結果を見れば、浅羽先生のおっしゃるように、絶対得票率で約30%をとって勝った。それは逆に「30%しか取れなかった」ことで、選挙中によく言われていたように「反対派がまとまれば反対派が勝てる」という状況だったことを意味している。たとえば(得票が2位だった)洪準杓と(選挙前は対抗馬と言われていたが結果的に3位だった)安哲秀の票を足せば、文在寅よりも獲得票数が上回るし、もっと言えば(4位の)劉承旼の票を足せば50%を超える得票率だった。でも、文在寅の反対陣営はまとまれなかったわけです。

これは(選挙前には第二勢力として期待の集まった)安哲秀陣営の戦略ミスとも言えるのですが、さらに敷衍して言えば「今の韓国において、『中道』ってなんなんだろう」という問いに答えを出すのは難しかったんだな、という話でもあります。安哲秀は「保守でもないし進歩でもない」という、いわば何も明確にしない戦略をとったわけですが、それが「中身がないじゃないか」と叩かれてしまった。これが選挙戦そのものの展開ですね。

もう一点、(2位だった)洪準杓が、途中から露骨な「文在寅叩き」をした。「文在寅は従北だ」、「けしからんヤツだ」と言い倒した。その結果が、彼を第2位にまで押し上げて、約24%も票が集まった。国会でも自由韓国党は100議席を超える第二党ですから、与党は彼らにも国会運営の協力を求めなければならない。そうなると文在寅政権は、保守勢力とも協力しなければならないという足かせもあるわけです。

――文在寅の「30%はとれる」という支持層は、いわゆる「左派」、革新勢力だと考えていいんでしょうか?

浅羽 これはいい機会なのではっきり述べておきますと、韓国における「左派」「革新」「進歩」というのは、日本ではメディアによってワーディングが違うのですが、文脈が異なれば当然、意味するところが異なります。日韓は漢字語を共有している分、よくよく気をつけたいところです。

たとえば韓国では「左翼」という用語は使えません。やはりそれは共産主義を連想させるからです。「革新」も同様ですね。だからこそ文在寅のような政治家は、「進歩派」と呼ばれています。対立項は「保守派」です。

用語はともかく、そもそも左右の対立軸がどのように形成されるは、国や時代によって異なります。分断国家の韓国では、「北朝鮮に対してどう向き合うか」をめぐる違いが第一軸になります。つまり、朝鮮半島問題の解決において「コリア・ファースト」と「国際協調路線」のどちらを重視するのか。「韓国」第一主義というよりも「コリア(韓民族)」としての主導権、「外勢」からのオートノミー(自律性、自立性)を強調するのが「進歩派」であるのに対して、「保守派」は「大韓民国」の正統性や、同盟国のアメリカなどとの国際協調を重視します。

実は日本国内でも、「左右」と「保革」では理解にズレがあるし、同じ「革新」という用語でも世代によってイメージするものが異なります。まして、文脈がまったく異なる他国だとなおさらなのに、理解の仕方があまりに雑なんですよね。問われているのは、まさに「我々の知的営みのほう」ですよ。

――木村先生が「おわりに」で読者に投げかけた点ですね。

浅羽 もちろん、我々は何らかのラベル(レッテル)を貼らないと物事を理解できないところがあります。それが、認知の近道になって、理解を助けてくれる。他方、同時に、そこにはズレや漏れが常にあるのに、「アレはこういうことよね」といちど短絡してしまうと、なかなか「別様に」見ることができなくなる。それで本当に「理解している」ことになるのか、というわけです。

特に、韓国のように漢字語を共有している場合、自分たちに馴染みの文脈にそのまま位置づけて、なんとなくわかったつもりになりがちです。しかし、それこそが「落とし穴」だし、情勢分析や異文化理解の妨げにしかなりません。

――なるほど。「文在寅は左派」と言われるとパッとわかった気分になるので、便利な言葉づかいなんですよね。だからつい使ってしまうけれど、実際には「左派(進歩)/右派(保守)」という考え方自体が、日本と韓国では違うという。

韓国における「政治家としての『正しい』パフォーマンス」

木村 さきほど述べたように、今回は「文在寅という本命候補に対して、反対派は安哲秀でまとまれば勝てるし、まとまらなければ負ける」という選挙でもあったわけです。そして結果的に反対派はまとまらなかった。この「まとまるかもしれない」ということで動く浮動票が20%近くもあったわけで、この「選挙中の候補者の言動で20%が動く」というのは、世界の選挙を見回しても、なかなかない。ダイナミックに20%がバーッと動く。これは安哲秀が「文在寅の対抗馬として台頭してきた時」も同じで、この浮動票に乗ってきた。言い換えるなら、2週間で生まれた期待だから、2週間でしぼむ可能性は最初からあった。もちろん「そのまま伸びていく可能性」もあったわけですが、そうはならなかったわけですね。

安哲秀の選挙戦での、政治家としてのパフォーマンスも悪かった。これは誰の目にも明らかだったですね。

浅羽 その点について木村先生に突っ込んで伺いたいのですが、韓国の政治家にとって、「正しい」パフォーマンスとはどういうものなのですか。そして安哲秀はその観点からどう評価できますか。

木村 安哲秀は「保守派の票」をとらなくてはいけなかった。そこで彼はたとえば形から作った。もともとの彼は前髪を下ろしたりして、ソフトでマイルドなイメージを持つ政治家だったんですけども、選挙戦に入って突然七三分けにしたりした。地味な感じにして、「保守派の人が考える、旧くて強いリーダー」を演じようとした。しかし彼は本来「そういう政治家」ではないんです。タイプでいえば真逆。弱々しいけれど、その代わりにみんなの話に耳を傾けてくれる優しいおじさん、というタイプだった。それが無理やり「旧くて強いリーダー」を演じさせられたものだから、可哀想な仮装をさせられている人みたいになってしまった。当然、それは「弱く」映る。

そしてそういう姿にガッカリしたからこそ、安哲秀から保守的な票は離れていったし、まさに「旧くて強いリーダー」を演じた洪準杓に2位の座まで奪われてしまった、ということです。

浅羽 まさに「行為遂行」という意味でのパフォーマンスというわけですね。たしかに、安哲秀は当初、若者とのトークショーで脚光を浴び、一気にスターダムへと駆け上がったイメージが強く、選挙に入ってからの姿とは、ズレというか、ブレを感じさせました。

木村 配役が悪かったということです。それは最初の討論会ですぐにわかってしまい、それから支持率が急落してしまった。

イメージの話で言えば、今回実は文在寅も旧いイメージで選挙を戦いました。カチッとしたスーツを着て、真面目な人柄を前面に出しました。文在寅も「優しくてみんなの話を聞いてくれるおじさん」というイメージでは戦えない、という判断をしたということでしょう。印象論ですが、今の韓国ではもう「そういう(優しい)イメージだけの政治家では、リーダーにはなれない」ということなのかな、とも感じましたね。

浅羽 逆に、洪準杓は「おれはストロングマンになる!」とポジショニングがハッキリしていました。だからこそ、一定の支持を固めることができた。

木村 ええ。彼は気づいたんでしょう。「真ん中に寄せていってもどうせ勝てないんだから、保守派としてもっと右に寄せよう」という戦略をとって、結果的に2位になることができた。「過激なことを言うので四分の一」というポジションに収まったわけです。もちろんそういう「過激な本音を言う人」が四分の一もの人に支持されるというのは、あまりいいことではないなとは思いますけれども。

浅羽 まさにそうで、韓国における保守派というのは、大統領選が始まる前は壊滅ギリギリとも言われる有り様だった。朴槿恵が罷免されて、「(李明博も含めて)保守派が政権に就いていた9年間はダメな韓国だった、それを正そう」というくらいの勢いでした。選挙戦の序盤では、洪準杓の支持率はひとケタでした。しかし終わってみれば洪準杓は24%の得票で、安哲秀を抜いて2位。自由韓国党の議席数も、弾劾の過程で分裂した「正しい政党」から出戻り組があって100議席を超えた。定数300の国会で憲法改正案を可決し国民投票に付すには2/3以上の賛成が必要です。つまり、1/3を占める自由韓国党は、来年6月の統一地方選に合わせて憲法改正の国民投票を実施するという文在寅政権に対して、「拒否権」を有しているというわけです。

つまりですね、韓国の保守勢力は壊滅を免れるどころか、大いに踏みとどまったんですが、中長期的にこれでよかったのかどうか…。

「保守するためには自ら変わらなければならない」という格言がありますが、自由韓国党は「何も変わらなくても構わないのだ」と「学習」した可能性がある。つまり、「親北」というレッテル貼りは効く。労組は経済成長の「足枷」だ。同性愛は「悪」だ。こうしたパッケージがまだ通用するのだ、と。

他方、こういうのは「守旧」にすぎず、「正しい保守」は別にあると示そうとしたのが「正しい政党」の劉承旼です。韓国(語)において「正しい」がどう用いられるのか、よく示しています。

木村 政党や勢力が弱体化していくパターンはいくつかあるんですけど、日本人にとって一番わかりやすいのは「社民党」ですよね。本来の支持層を確保するために、言うことややることが極端化していくパターンです。社民党はもともと女性やマイノリティからの支持があったわけですが、そこに集約した結果、それ以外の政策が目立たなくなった。結果、選挙のたびに小さくなっていって、イデオロギーも純化していった。社民党は日本の「左派」政党で、自由韓国党は韓国の「右派」という違いはありますが、状況としては似ている。右の政党が右側の支持だけを守ったゆえにこの先苦しくなる、というのはありうる展開だと思います。

そして、これは実は「韓国の保守派」だけの問題ではない。少なくとも「韓国の進歩派」も、自分たちが何を大切にしていて何を推し進めていくために集まっているのか、というのが、実はよくわからなくなりつつあるからです。

――どういうことでしょうか?

木村 「日本における保守派」も最近はちょっと定義が曖昧になってきて、「安倍首相を支持しているから保守だ」みたいな考え方も出るくらいにいい加減な概念になっているわけですが、実はこれは「韓国における進歩派」も一緒です。

今回はとりあえず「文在寅を支持する勢力」としてまとまったわけですし、選挙には確実に行こう、保守勢力の再執権を許すな、というスローガンで結集しよう、ということで勝利もした。しかしその結果、進歩派としてのカラーは薄まってしまった。「具体的に何をするの?」、「何を大切にするの?」という話は選挙戦でもあまり出てこなかった。

就任演説にしてもそうです。「国民の統合のための大統領だ」という言葉を使い、自分は進歩派だけの大統領ではない、という立場を表明しました。それは国民や国会への対策としてはいいんでしょうけど、その分何を大事にするのかという部分は不明確になりました。

もっと端的に言えば、今回の文在寅は「敵のエラー」で政権をとったわけです。約10年間野党の座にあり、ブルペンで肩を温めていた進歩派がついに登板することになった。経験もある。ただ目玉とする政策があるわけではないし、「これだけはやる」という「こだわり」も今のところはよく見えない。

浅羽 なかなか含みのある話で、たぶん木村先生は日本の政治状況も念頭においているんですよね。

木村 さあ、どうだろう。ははは。

木村幹氏
木村幹氏

野党が野党のままでいるか、「次の与党」になれるか

浅羽 『「野党」論―何のためにあるのか』(吉田徹著/ちくま新書)や『野党とは何か―組織改革と政権交代の比較政治』(吉田徹編/ミネルヴァ書房)という本もあるくらいで、野党の存在意義や「正しい」パフォーマンスが問われているのは日本もまったく同じですね。

今回の選挙は、木村先生がおっしゃるとおり、「敵失でぼた餅が転がり込んできた」という結果なわけです。候補者、所属政党、政策が比較衡量されて、「共に民主党」の文在寅が選ばれたというよりは、「与党でなかった=野党だった」という単純な事実が一番効いたと言える。

もちろん、「共に民主党」も自由韓国党も、それぞれ「与野党」の立場が入れ替わったわけですが、国会で「政府・与党vs野党」という構図が繰り返されるのならば、選挙前にどの候補者もどの政党も強調した「協治」という新しい政治のあり方は決して実現しません。

木村 少しチャレンジングな言い方をすれば、韓国にとっての「保守と進歩」という二大勢力による時代の「終わりの(始まり、ではなく)真ん中」に来ている、という言い方もできると思うんですね。

「保守」が失点まみれで信頼を失ったという事実はある。「それじゃあ」と選ばれた文在寅は、「進歩派」ではあるけども、その旗印は必ずしもはっきりしていない、いやできない。

でも、こういう状況は、不安定ではあるだけ、チャンスでもあるんですね。というのは、明確に「やりたいこと」を言ってきたわけでもなければ、それが支持されて圧勝したわけでもない。

それはつまり、反対勢力に妥協しても従来の支持層が「まあ仕方ないかな」と思ってくれる素地があるということ。つまり「やること」をある程度の幅を持って決められるということです。

もちろん今回の政権を支持した勢力が小さいので「やれること」の選択肢はそれほど多くない。でも期待感もそれほど大きくないので、許される空気がある。

浅羽 うーん、どうでしょうか。今回は当選後ただちに就任じゃないですか。普通は選挙が終わってから就任まで2カ月以上あって、「対決」から「統治」へ、「期待」から「現実」へとモードがそれなりに切り替わる。そのあいだに大統領当選者も支持者も、「選挙公約のすべてをそのまま政策にはできないよな」とか、「期待に100%応えてもらうのは現実的には難しいよな」と、落ち着いていく。しかし今回はそんな「調整過程」を経なかった。期待値が高留まりしていると失望に変わるのも早い。

さらに言えば、文在寅のコアな支持層って、何があってもずっと文在寅を支持してきたわけです。見限らない分、期待値も下げない。そういうコアな支持層が「いますぐ全部やってください」と突き上げてきたときに、文在寅が「政治・外交という営みにおいて妥協は欠かせない」とリーダーシップを示すのか、というのは注目です。

木村 これも日本に置き換えるとわかりやすいんですよ。左右の違いはあるけども、文在寅政権は、今の自民党のように振る舞えるチャンスがある。

浅羽 ええと、要するに、「文在寅は安倍晋三を見習え」ということですよね。プラグマティック(実利的/実用的)にアプローチすることの大切さ、ここに極まれり、というわけですねわかります(笑)。

木村 さあどうかな(笑)。自分の政権内部にも支持層にも、2つの勢力がある。コアで原理的な支持層と、そのいっぽうで政権運営のプロに徹した「冷めた層」。たとえば外交問題での安倍首相は「コアな支持層は放っておいても付いてくるから」という感じで、政権発足当初の予想よりはるかに歴史修正主義的なカラーを抑えた政治運営をしています。「表面的にはコアな支持層を向いている演出をしながらも、実質的には堅実な政権運営を続けている」といってもよい。それでどちらの支持もとることができる。もちろん、「さあそれが文在寅にできますかね」という話でもあるんですけども。

たとえば、安倍首相は意図的なのかそうでないのかはわかりませんが、経済的には第一次政権の時とは真逆の政策をシレッとやってしまったりしている。小泉路線を引き継いだ経済緊縮政策からアベノミクスのバラまき政策に変わったわけですが、そのことを気にしているふうはない。では文在寅政権は、かつての盧武鉉政権と真逆の政策がとれるのか。これは能力の問題だけでなく人間性というか個性の問題もあると思います。必要であれば、シレッと真逆の政策をとれるというのは、時に政治家としてのひとつの重要な能力だと思うんですけどね

浅羽 いかにも教訓めいたアナロジー(類比)だとは思いますが、日韓で前提が違うのでどこまで妥当するかどうか。政党政治や代議制民主主義について、「日本では安倍政権や自民党より右の政治空間は空いているが、韓国では文政権より左に勢力が存在する」ということなんですね。安倍総理は「自分たちより右は行き場がない」ということがわかっているから、真ん中に向けた政策をとることができる。慰安婦合意はその典型で、右からも「そうはいっても安倍さん以外にはマトモな政治家はいないしな」と支持をつなぎとめることができた。けれど韓国には文在寅より左に進歩党や「コリア・ファースト」派が存在している。だからこそ真ん中へ向けた政策を進めるのは難しい点が厳にある。

木村 確かにそうで、そこは(文在寅の)腕の見せ所なのでしょうね。

選挙中に朝鮮半島情勢が緊迫したのに、左派が勝ったのはなぜ?

――今回の大統領選の期間中に、朝鮮半島情勢が緊迫しました。これは選挙戦にどう影響したのでしょうか。私(担当編集者)を含む多くの日本人は「北朝鮮の危機が高まったなら、韓国の大統領選では保守派・強硬派の候補が有利になるのではないか。なぜ進歩派の文在寅が当選したのか。韓国人は何を考えているんだろう」と思っていると思うのですが。

浅羽 これは誤解を解いておいたほうがいいと思うのですが、今回の選挙でも一部では「韓国は自由主義陣営側から離れて、いよいよ北朝鮮側に寄っていったのではないか」だとか、「こんな危険なときに進歩派大統領を誕生させるなんて、やはり何を考えているかわからない国だ」という報道があったわけですが、そんな単純な話ではありません。

――どういうことでしょうか?

浅羽 朝鮮半島情勢が緊迫したことによって大統領選が影響を受けたという事実はあって、有権者に対して、「ではどの候補者が当選したら対北朝鮮政策をうまくハンドリングできるか」という質問をしたところ、「文在寅」と答えた人が一番多かったんですね。圧倒的に多かった。

これは別に文在寅が「親北」というわけでも「従北」というわけでもなく、かといって「対話一辺倒」というわけでもありません。ただ「圧力と対話」をミックスして、一番うまくやってくれそうなのが文在寅だった、ということです。

いま現在は、国際的には北朝鮮に対して「圧力」が基調になっていますし、当面それを強めていく必要があるわけですが、アメリカでさえ「最大限の圧力と関与」で、「関与」を否定していない。日本も本来「対話と圧力」路線で、実は「対話」が先にきている。この2つの要素のベスト・ミックスにはどの国も苦心していて、一国だけ突出することは厳しいわけです。

さらにもう一点。これも大事なところなんですが、韓国はずっと前から北朝鮮の「砲撃」の射程圏内に入っているわけです。北朝鮮からの「ミサイル」ではなく、「砲撃」が届く距離に人口の半分が住んでいる。

――な、なるほど。「今さら北朝鮮がミサイル実験したところで、こっちはもともと届く距離なんだよ」ということですか。

浅羽 朝鮮半島情勢を一気に深刻に受けとめたのはアメリカであって、核弾頭が小型化し、西海岸に届くICBM(大陸間弾道ミサイル)が完成すると、ゲームがすっかり変わってしまうからです。その前に手を打たないといけない、と。「ソウルを火の海にする」だけだったら砲撃で十分です。ソウルは軍事境界線から50kmしか離れていませんし、漢江にかかる橋を落とされたら退避が危うくなるのは、開戦後わずか3日で陥落した朝鮮戦争のころと変わっていません。だから今回の件で「危機が高まった」とすれば、アメリカが韓国の頭ごなしに北朝鮮を先制攻撃することで「巻き込まれて」致命的なダメージを受ける恐れがあるという認識ですね。これはこれで、リアルな「脅威」認識なんですよ。

木村 ここは韓国人と日本人の、戦争に対する考え方の違いが特徴的に出ているところです。日本は世界で唯一の被爆国ですから、日本人には核に対する強い忌避感がある。いっぽう韓国人は「核開発後の世界」において、朝鮮戦争という通常兵器による過酷な地上戦を経験しています。だから彼らの戦争のイメージはあくまで地上戦。「何が戦争への恐怖を駆り立てるか」というポイントが違う。

浅羽 大切なことなので2回言いますが、朝鮮半島情勢が大統領選にまったく影響を与えなかったというわけではありません。文在寅の得票率にはほとんど影響を与えませんでしたが、対北「圧力」「制裁」の国際協調を強調し、「従北」批判を展開した洪準杓がグングンと支持を伸ばして、安哲秀を抜いて2位になったことは、「北風」が吹いた、と言えるでしょう。

木村 「今回の大統領選で安全保障政策を基準に投票先を決める」という人の多くは洪準杓に入れました。つまり「安哲秀vs洪準杓」のあいだで、安哲秀から洪準杓に票が動いた。結果「アンチ文在寅」の票が大きく割れ、文在寅の当選を助けたかたちです。

浅羽 選挙分析については木村先生のご指摘のとおりです。もうすこしだけ(ミサイルの)「脅威」認識に関して話をすると、さきほど「韓国はずっと砲撃の射程圏内だった(だから今さら騒がない)」という話が出ましたけれども、それは日本も同じようなものなんです。実は20年前から北朝鮮のミサイルの脅威に晒されています。1998年にはすでにテポドンが日本列島を越えて太平洋に着弾している。

では2017年の現在、なぜ急に緊張が高まったのかというと、北朝鮮が6回目の核実験やミサイル発射の兆候を見せたことで、トランプ大統領が「これはアメリカにとっても深刻な問題なのだ」と認識し、中国にも「なんとか北朝鮮を止めろ」ということで、対北「圧力」「制裁」の国際協調で隊列が揃ったからです。

つまりですね、韓国と日本とアメリカでは、もともと置かれている戦略環境が異なる以上、脅威の認識や政策対応も当然、異なってくるわけです。それを(一部メディアのように)「韓国は安保不感症になったのではないか」というように決めつけるのは、フェアではないですし、次の局面の変化を見落とすことになりかねません。

――「不感症なのは誰だよ」と。

木村 まあ誰が不感症かはともかく、朝鮮半島情勢が今回文在寅当選に有利に働いた、ということだけは間違いないでしょう。

首相候補に指名された李洛淵は「日本対策」???

――今回、文在寅大統領から首相候補として指名された李洛淵についてもお話いただけますか。

浅羽 「共に民主党」所属ですが、文在寅派ではありません。文在寅に対して「原則主義者で側近しか近くに置かないのではないか」「それだと朴槿恵の二の舞になるかもしれない」という憂慮があったのですが、それを払拭する狙いがありました。それが1点目。

2点目は、大統領府だけでなく、一刻も早く自前の内閣を揃えるためです。今はまだ朴前政権からの「居抜き」なのですが、(便法を講じない限り)首相を替えないことには大統領は閣僚を任命できません。首相の任命には野党多数の国会から同意を得ることが必要で、40議席ある「国民の党」からの協力が欠かせません。歴代政権いずれもが、首相の任命や解任でつまずくと政権運営が一気に難しくなるので、「安全牌」を持ってきたというわけです。

3点目は、「国民の党」の内部に手を突っ込んで、あわよくば政界再編に持ち込めるかもしれないという狙いです。李洛淵はもともと金大中元大統領に連なる人物で、その出身地の全羅南道の知事です。全羅道は「国民の党」の基盤であるにもかかかわらず、安哲秀はここでダブルスコア以上で文在寅に負けた。

4点目は保守新聞の記者出身で、行政経験もあって評価が高い。イデオロギッシュな人ではなく、党派を超えて話ができるという利点もあります。東京勤務の経験があって日本語がペラペラだし、韓日議連の幹事長も務めたので「日本対策では」という報道もありましたが、さすがにそういうことはありません。

――え、違うんですか。

浅羽 「一粒で何度もおいしい」という狙いの人事ではありますが、「知日派だから」という見方は、どれだけ自己チューなんだよ、という話です。

木村 東亜日報の記者を務めて国際部の部長までやって、そのあと金大中に引き抜かれて、与党スポークスマンを長く務めた。それにふさわしい柔らかいイメージを持った、朴訥な感じの人物です。文在寅は見てのとおり四角張っていて頑固そうなイメージですが、それを補うような人事だと思います。

加えてさきほど浅羽先生がおっしゃったように、今後の国会運営のカギを握る「国民の党」の議員たちにとっては、全羅南道という伝統的な野党の支持基盤で圧倒的な人気を持っている知事に対して強くは出れないという事情もあります。いや本当にいい意味で「おお!」と思った人事ですね。

また、結果論ではあるんですけども日本のことをよく知っていて、日本にもよく来ていて、慰安婦問題に詳しかったりする。日本側の慰安婦問題関係者との交流もあるようですよ。

浅羽 そこ、もうすこし詳しく話せますか。

木村 え、どこ?

浅羽 せっかくの機会ですので、「知る人ぞ知る」エピソードが広く伝わればいいな、と。慰安婦問題に関わる日本側の人物と李洛淵の関係についてです。

木村 ああ。ええと、これはどこまで言っていいのかわからないのですが、日本で長く慰安婦問題に携わっているグループがある。かつては元慰安婦の方が日本に国家賠償を求める訴訟を支援したりしていた人々で、近年では日本政府の「(アジア女性基金解散後の)フォローアップ事業」で韓国在住の元慰安婦の方への支援をされていたりする。普通の韓国の政治家であれば、そういう日本政府との関係を持ちながら活動をしている日本人は疎ましく思うものだし、接触しようとはしないのですが、李洛淵はこういう人たちとも交流を持っていたりする。

彼はもともと新聞記者ですから、人脈作りの大切さをわきまえていて、フットワークも軽いんでしょうね。

浅羽 日韓合意を受けて日本政府が拠出した「償い金」を34名の元慰安婦が受け入れたのは、こういう地道な活動があったからなんですね。

安倍首相との電話会談で投げられた「くせ球」

――この本の中では、「次期政権の対日政策は(選挙期間中は)それほど固まっていないだろうし、さらに言えば当選後に決めていけばいい」という話が出てきました。さて実際に当選後となったわけですが、現時点で、もちろんわかる範囲で結構ですので、文在寅政権の対日政策についてお聞かせいただけないでしょうか。

浅羽 日本側にとって文在寅政権に対する懸案はふたつあって、ひとつは「北朝鮮の脅威に対して安全保障上の連携をしっかりやっていけるかどうか」、もうひとつは「朴政権と結んだ慰安婦合意を誠実に履行していけるかどうか」です。5月11日の日韓首脳電話会談でも、このふたつを確認したわけですね。

――その2点に対して文在寅大統領の対応は、どうだったんでしょうか?

浅羽 ここがポイントで、多くの日本人にとって関心の高い「日韓慰安婦合意を履行していけるか」という点については、文在寅は選挙期間中ずっと「再交渉する」と言ってきたわけです。しかし安倍首相との最初の電話会談ではその用語は使わずに、「国民は情緒的に受け入れられていない」と応じています。これはなかなかの「くせ球」だ、と思います。

――「くせ球」。

浅羽 これは「だから政府としても同調し、再交渉を求める」と短絡するのではなく、「しかし政府は別だ」とも読める余地を残している。ニュアンスがあるわけです。それを丁寧に読み解くと、「ソウルと釜山に設置されている少女像は、『すぐに移転』は難しい。あれは民間(つまり国民側)が設置したものだ」、「けれども、国家間合意はそれとして厳に存在するし、特定の分野で懸案事項があったとしても、日韓関係全般には未来志向で臨むし、北朝鮮問題のような安全保障上の連携はしっかり一緒にやっていく」というパッケージになっています。

――なるほど。確かにそう言われてみると、そのように聞こえます。

浅羽 なので、かなり節制の効いた内容で、少なくとも「厳しい球」ではなかった、という印象です。

木村 そうですね。ええと、まずこの電話会談で韓国側が言いたかったのは「ウチはいまちょっと余裕がないので、慰安婦合意の内容に関しても、少女像の撤去をどうするかに関しても、ちょっと待ってくれませんか」ということだと思います。ポイントになるのは「国民」、「民間」という言葉ですね。これは「国民の多くはそう言っているけど、政府は政府間で結んだ合意は尊重する方向で努力しています」ともとれなくもない、かなり微妙な言葉づかいになっている。逆に言えば、これは日本側に誤解を与える可能性もある言葉づかいになっている。でも、翌日の日本側の報道を見る限り冷静に受け止めているようだし、(文在寅政権は)最初の一歩をとりあえずうまくこなしたんじゃないかなと思います。裏でかなり説明したかもしれませんね。

韓国の進歩派政権の対日政策、特に歴史認識問題について少し振り返ってみると、金大中政権は「未来志向」という名の「事実上の棚上げ」でした。「日韓歴史共同研究」のような専門家会議を作って時間を稼ぎ、政府間では仲良くやるなどというちょっとずるいこともした。すでに新しい大統領官邸のスタッフは「セカンドトラック」などと言い始めていますしね

浅羽 おっと、木村先生、早くも第3期に向けてアップを開始したわけですかわかります(苦笑)。

木村 その話はあまり良い思い出がないのでやめましょう……そしてこれとは真逆のやり方をしたのが盧武鉉政権です。この政権は「歴史認識こそ最重要問題だ」と国内外で主張し、政府として真正面から取り組んだ。

つまり、文在寅政権はこのどちらの路線もとることができるわけです。ただ、初の首脳電話会談の内容を読み取るかぎりでは、どうも前者、つまり「いまそれどころじゃないんですよ」という言い訳をうまく使って、厄介な問題を後回しにしていく戦略なんじゃないかなと思います。

――厄介な問題、ですか。

浅羽 確かに。THAAD問題などはまさにそうですね。

木村 ええ。怒っている中国に対しては「我が国はミサイル問題に関しては、まだ準備ができていません」と言い続け、日本に対しては「国民がまだ準備ができていません」と言い続ける、という戦略ですね。

これは朴槿恵政権の戦略と対比するとわかりやすい。朴槿恵政権はどちらかと言えば「韓国はもうこれだけ力をつけました」とアピールすることで韓国の国際的な地位を上げようとした。自らの影響力を前面に出して米中日露など周辺国の間でうまく立ち回ろうとした。けれど文在寅政権はその逆で、「韓国はまだ混乱しているし力がそれほどないんです」とアピールすることで米中日露の関係のなかで、うまく立ち回ろうとするのではないかと思うわけです。

「くせ球」を正しく打ち返すための地域研究

浅羽 今のお話を言い換えるとこうなりますね。国内外でいろいろと制約があるにもかかわらず、自分には裁量が大きくあると見積もって、あれこれ動き回ってみたところ、四面楚歌に陥ってしまったのが朴槿恵政権でした。逆に、文寅政権がその教訓をしっかり学んでいれば、「制約があるのでやれることはそもそも限られている」と国内外に対してそれぞれ言い訳して、現状に沿ったところに落ち着きやすい、という話なのですね。

――大変わかりやすい話です。

浅羽 そこである種のポジション・トークをしておきたいのですけども、さきほどの日韓首脳電話会談の話もそうなのですが、「まずはニュアンスや文脈をしっかりと理解し、ときには先んじて対策をとることが大切だ」ということです。

たとえば、朴槿恵大統領の就任式に日本政府は麻生外相を特使として送った際に、アメリカの南北戦争を例に日韓も和解しようと呼びかけたんですが、結果的に大失敗した、というイタイ経験があります。前任の李明博政権末期に悪化した日韓関係を「リセット」しようとする「善意」に拠るものではあったのですが、「日韓のどちらが勝った北軍で、『奴隷解放』とは何なのか」という話になり、アナロジー(類似)としてふさわしくありませんでした。

今回の電話会談では、こういう齟齬は避けられたようです。複合的なものを過度に単純化せず、そのまま理解し、全体の中でのプロポ―ショナリティ(比重、釣り合い、衡平性)がはかられました。「個別に懸案事項があっても、それに圧倒されることなく、優先順位をハッキリとつけて、やるべきこと、できることから取り組んでいく」ということが確認されたのは、それこそ最初にすべきことでした。

要は、「ニュアンスや文脈を読み解くこと」についてはエリア・スタディーズにアドバンテージがあり、だからこそ我々二人も懸命に取り組んでいるわけです。

――おお、ダイレクト・マーケティングですね(笑)

浅羽 #そういうこと言わない いや「オレせんせいを在韓大(ソウルにある日本大使館)か亜北(外務省アジア太平州局北東アジア課)とクロスアポイントメントしてほしい」という話ではなくてですね、かつてであれば、それぞれの「エリア・スペシャリスト」が官僚機構だけでなく学界やシンクタンク、それにメディアにいて、政権中枢や世論に対して適宜、「それはこういうニュアンスを含んだ話です」「こういう文脈や経緯があって、全体としてこういう布置になっています」という助言ができた。しかし今は、図式的に言うと、「国際関係論」や「戦略論」だけが前面に出ているところがないとは言えない。一律的にガッチャン、ガッチャンとやると、要らぬハレーション(悪影響、副作用)をみずから招いてしまうことになりますが、文脈に応じてニュアンスを調整するだけでもそれなりに小さくすることができます。

今回の電話会談での文在寅の発言は、そういうニュアンスを含んだものでしたし、日本側も「衡平に」受けとめている。ここは評価しておきたいし、だからこそ今後も慎重なマネージメントが重要なんですね。

木村 そこは今回韓国側がかなり事前に気をつけていたし、慎重になっていた部分なんですね。それは朴槿恵政権がかつて失敗したという教訓も大きいんですけども、彼らは自分たちが国際的に「左派(進歩派)政権だ」と見なされて警戒されていることを知っている。安倍政権やトランプ政権はもちろん疑念の目を向けているし、THAADの件があるから中国にも信用はされていない。つまり、スタートの時点から慎重に踏み出さないといけない、と思っている。それがよく出ていた電話会談だったと思います。

たとえば韓国軍の指揮権問題がありましたよね。有事の際に韓国軍の指揮権を韓国側が単独で持てない、という問題があって、当時の盧武鉉政権は「指揮権を独自で持ちたい」とアメリカ側に申し出た。するとアメリカは「じゃあ、自分たちでやってください」ということになって、簡単にOKした。2003年はイラク戦争が始まった年でもありましたから、ついでに在韓米軍の主力部隊の一部も引き抜かれた。そして韓国では「えっ、反対するんじゃないの」という雰囲気になった。

結果当時の韓国内には「アメリカに見捨てられるのではないか」という恐怖感が急速に広まった。そこで盧武鉉政権は、慌てて米軍基地整備にも着手した。そして「反米的」な進歩派政権であったはずなのに、反対する市民を押しのけて整備を強行した。そういうことを文在寅は、政権中枢部で経験しているわけです。

そういう経験もあって、「今回はうまくやろう」、「下手に強く出てもろくなことがない」と身にしみているわけですね。

前回の失敗に学んだ「盧武鉉政権パート2」?

浅羽 その話は面白いですね。今回の選挙は韓国が民主化して3回目の政権交代を実現したものです。保守派→進歩派→保守派ときて、今回は進歩派。

通常、政治学では、民主化後、選挙を通じて2回の政権交代を経ると「体制が定着した」とみなされます。ただ今の話は「実は3回目が大事なんじゃないか」ということですよね。つまり、いちど政権を担当して、そのあと野党になって、で、もういちど政権に返り咲いた時にどうするか、というわけです。「野党時代にちゃんと準備していたか?」ということですね。文在寅のセールスポイントは「準備された大統領」でした。

「あー、これをやるとダメなんだ」と、前回政権を担当していた時の失敗から学んで、今回は政権発足当初からハンドリングを慎重にするか、ですね。

文在寅政権の滑り出しを見る限り、それなりに教訓を得たんだ、とわかりますし、これは日本の民進党が、この先もういちど本気で政権交代を狙うのであれば、再チャレンジを果たした安倍政権にこそ学べ、となりますね。

木村 僕は盧武鉉政権の内政に関しては評価高いですよ。

浅羽 経済成長率も、実は、その後の保守政権より高かったですしね。

木村 だから、たとえば経済政策については路線を踏襲してもいいでしょう。いっぽうで盧武鉉政権は外交に関して実績を残せなかったばかりか、末期に北朝鮮に核実験までされてしまった、という政権でもあるから、反面教師として、学んだ結果を生かしてもよい。

韓国の政権交代というのは、たとえ一見似たように見える政治勢力が継いでいる場合でも中身は全然違っていることが多い。でも、今回の文在寅政権は、私の知るかぎり韓国政治史上初めて「(盧武鉉政権と)そのまんま同じ政治勢力が政権を担当する」事例です。言い換えれば「ここまで政権担当経験がある政治家が揃った政権は久しぶり」ということもできる。そういう意味で、失敗を生かせる可能性もあるし、慎重にもなれる政権でもあるはずなんです。

浅羽 これは最初の話にもつながるんですが、文在寅政権には国内外ですごく制約があるんですね。国会で法案を通すためには180議席が必要なのですが、与党は120議席しか持っていない。だから、フォーマルな連立でなくても、法案ごとに野党と部分連合を組まないといけないし、そのためには当然、妥協がともなう。他方、文在寅のコアな支持層は「1ミリも妥協するな」と原理派です。

国内はこういう状況なうえに、国外も大変です。北朝鮮はミサイル発射を続けていて、開城工業団地も金剛山観光もとても再開できるような状況ではない。韓国の進歩派にとっては、「南北協力のシンボルであった事業を朴政権が中止したことがそもそも間違っていて、政権交代を機に『正す』」というロジックなのですが、国際的には「ようやく足並みを揃えて北朝鮮に圧力を強めているのに、韓国だけ『離脱』することは許されない」というわけです。

あの中国でさえ、トランプ大統領から「北朝鮮を締めつけて結果を出せ。さもないとアメリカが単独で動くぞ」と迫られて、朝鮮半島有事が起きても中朝友好条約に基づいて北朝鮮を軍事援助するかどうかわからないとチラつかせる。こういう状況のなかで、開城工業団地を再開すると、明らかに韓国だけ「突出」するわけです。建前としては「現場で働く労働者たちに賃金を支払っている」という体裁ですけれども、実際には7~8割は当局によってピンハネされていると言われており、核やミサイルの脅威として跳ね返ってきた、と保守派は非難する。

これは一部繰り返しになりますが、アメリカがトランプ政権になったことと、このまま放置するとまもなく西海岸にミサイルが届くことになるということで、いよいよ朝鮮半島問題に「我が事」として乗り出してきた。中国もかつて「唇歯の関係」だった北朝鮮について、アメリカとの「ディール(取引)」「グランド・バーゲン(包括的妥結)」として位置づけているところがある。

こういう「国際協調路線」が基調となっているなかで、韓国が独自に動ける幅はどれだけあるのか。その見積もりの正確さが文在寅政権には問われています。

他方、支持層の「進歩派」は、「朝鮮半島問題はこれまで外勢によって頭ごなしに決められてきた。この『間違い/歪曲』を今こそ『正し』、『コリア・ファースト』で臨むべきだ」と頑ななわけです。

つまり、国内と国外、党派的利益と国益のあいだでプライオリティが異なっている状況の下で、文在寅が何を重視して国をリードするのか、ということなんですよね。その判断に、トップリーダーとしての素質が出ます。

浅羽祐樹氏
浅羽祐樹氏

ものすごい危機感を持っている文在寅政権

木村 僕の見ているかぎりですけれども、今の韓国の外交担当者たちは「このままでは韓国外交はまずい」と思っていると思います。これくらい危機感を持っている韓国の外交担当者たちは、これまで見たことがないと言ってよい。それくらい「まずい」と思っています。トランプ大統領が政権に就いた。中国の習近平政権とも手を握っている。北朝鮮との緊張は高まるばかりだし、隣の日本では保守派である安倍政権が長期安定化している。韓国外交にとっては非常に不利な状況だ、と感じているようですね。

これまでの韓国外交担当者は、どこかで「なんとかなるんじゃないか」、「いざとなったらアメリカか日本がなんとかしてくれるんじゃないか」と、口には出さないけれど思っているフシがあった。でも今のこの状況では、そういうことは望めなさそうだぞ、と。そういう雰囲気が満ちています。

浅羽 それは、具体的にはどういう危機感なんですか?

木村 端的に言ってしまえば「このままでは孤立する」、「見捨てられてしまう」という切迫感ですね。これはもう韓国という国の成り立ちに由来している思いのひとつで、彼らには「国際社会から見捨てられるととんでもないことになってしまう」という刷り込みに近い思いが、ポーツマス条約の1905年からずっとあるんですね。それだけは絶対に避けたい、と。

実際問題、「トランプだったら我が国を見捨てるかもしれない」という考えは「思い込み」とも言えないくらい現実味のある話なわけです。ついでに言えば、トランプは日本だって見捨てるかもしれない。だって最近は「習近平はいいやつだ」と言い倒したりしていますから。米中で直接取引されると怖いですよ。

そうなると、アメリカは韓国を飛び越えて中国と話し合って、朝鮮半島を勝手にどうこうしてしまうかもしれない。日本の安倍首相はどうやらトランプ大統領と親しく話し合っているようだけど、韓国はどうだ、誰かトランプと話ができているのか、と。

――大変リアルでおっかない話だと思います。

木村 だからこういう危機感があるあいだは、文在寅政権はムチャはしないと思います。突っかかったり張り合ったりしないで、真面目で大人しくしている。それでもイデオロギッシュな勢力は騒ぐかもしれませんが、「いやいやそれどころじゃないでしょうよ」と抑えるくらいのことはするだろうと思う。少なくとも、そういう期待はありますね。

浅羽 本当にそうなれば日本にとっても、おそらく韓国自身にとっても望ましいシナリオですが、まだまだ楽観視できません。というのも、この半年間、韓国は権力空白期で、首脳外交がまったくできませんでした。この間、アメリカはトランプ政権が発足して中国となにやら「ディール」しつつあるようだし、日本では安倍首相が「長期安定政権の強み」を外交で見せつけている。翻って、「コリア・パッシング(韓国素通り)」が深刻だ、というわけです。そこでやっと大統領が決まって、ようやく何かができるという状況になった。その分、「これもできる。あれもしなければ…」と思いだけが先走る可能性もある。

それと、やはり進歩派に特有の部分ですね。「コリア・ファースト」というロジックが強いと「国際協調路線」という基調を誤認することになりかねない。開城工業団地の再開ひとつとっても、国内の進歩派は「元に戻しただけ」と当然視する反面、国際的には「一方的な現状変更の試み」とみなされる。両方の要素があるので、「左派は親北」と決めつけずに、国際協調路線へとリードしなければならない。

木村 まあどっちの方向に行くか、ですね。

「我々が動いてもいいの?」「なら先頭に行ったほうが良くない?」

木村 それともうひとつ、米朝が対話しだすと、「うち(韓国)も対話したっていいんじゃないかな?」と思ってしまうというパターンがありそうです。状況が膠着している時には、さすがに韓国だけが突出して「何かやる」ということはないというか、できないと思うんですが、周囲が大きく動くと「俺たちも動いたほうがいいんじゃないかな」「というか先頭に立ったほうがいい気がする」と韓国外交は考えがち。実際過去にも韓国政府は、「言われてもないのに二階へ上がったら、ハシゴはどこかに持っていかれてしまった」という経験を何度かしていますからね。

ある意味こういう韓国外交の「せっかちなところ」は日本とは対称的かもしれません。戦後日本の外交上の失敗とパターンのひとつは、「状況が動いているのに何もせず、気が付いたら置いていかれた」というものですからね。典型的なのが1971年のニクソンショックです。米中が接近していく状況のなかで、何も動かずにいたら日本を飛ばしてニクソンと毛沢東や周恩来が会ってしまい、置いていかれる羽目になった。

ただもうこういうのは個々の政権の問題ではない気もします。各国が置かれた地政学的条件に由来する経験の違いに根差した、外交の特性みたいなものなんですよね。韓国は政権が保守派だろうが進歩派だろうが、状況が動いていれば「俺たちも動こう!」といって先頭に飛び出しがちですし、そうやって生き残ってきましたからね。

浅羽 言いますねぇ(笑)

木村 これも具体的なところを言うと、「どうもトランプが金正恩と会うらしいぞ」みたいな情報が流れると、「それは大変だ、だったら我が国も首脳会談をセットしないと」「アメリカが会うなら我が国が先に会ってもいいんじゃないか」「いや会わないと」という話になって、で、結局トランプと金正恩は会わないで、世界中で韓国の大統領だけが平壌に行ってしまった、なんてことがあるかもしれない。

浅羽 実例はともかく、韓国は「イノベーター」にはなれない分、せめて「アーリーアダプター」でありたい、という思いが強くありますね。

木村 日本の場合は、拉致の問題を除けば北朝鮮に関して先頭に立つ必要はありませんからね。アメリカと中国が話をしたなら、状況を見極めてそのあとをついていけばそれでいい。しかし韓国にとっては北朝鮮問題はやはり民族の問題ですから、「我々が解決したい」という思いはどうしても前に出る。そしてさきほど指摘した外交的傾向がそれを加速させる。

浅羽 そうですね。韓国の進歩派、左派にとっては、朝鮮半島問題はすぐれて民族問題なわけですので「コリア・ファースト」になりやすい。

木村 「左派が民族主義」というのは違和感を持つ人がいるかもしれませんが、もともとフランス革命の頃から左翼は民族主義の一面もあったわけです。革命によって民衆が権力を握りましたが、その民衆とは同時に「フランス人」のことだった。だからこそナポレオンの軍隊は自由と圧政からの解放の軍隊であると同時に、フランス民族主義に根差す侵略の軍隊でもあった。なのでそういう意味では韓国の進歩派はクラシカルな左派でもあるんですね。

もしアメリカと北朝鮮が「ディール」してしまったら

浅羽 これは「頭の体操」をしておきたいことなんですが、「米朝間でディールが成立する」という万が一の可能性についてです。「北朝鮮がみずから核ミサイルを放棄する」、「アメリカの先制攻撃で全部破壊し、第二撃能力を残さない」というのは、どちらもフィージブル(実現可能)ではないでしょうから、アメリカはいずれ「核とミサイルの開発の凍結」で手を打つ恐れがある。「西海岸まで届かなければ不問にする」「事実上の核保有国として処遇する」となると、日韓としては最悪のシナリオです。そうなると、日韓に対するアメリカのコミットメントの根幹である拡大核抑止が成り立たなくなる。

木村 十分ありえる話ですね。アメリカは「そういう国」ですし。

さらに言えば、トランプ大統領が北朝鮮に対していつまで関心を持ち続けるか、という問題もある。「もう北朝鮮はいいか」と忘れてしまったり、忘れてしまったことにするケースだってありえる。だって選挙の時にあれだけ「メキシコとの国境に壁を作る」と言っていたのに、最近はその話をほとんどしなくなっているでしょう。あれだけ言っていた「壁」だって「忘れる」んだったら、北朝鮮のことだって「あれ? そんな話あったっけ?」と言い出しても不思議じゃない。

仮に朝鮮半島が今よりもさらに緊迫したとしても、韓国や日本が独自に対応すればいいんじゃないの、となる可能性だってある。もともと大統領選挙の時にはそういう主張でしたしね。

浅羽 うーん、そうなると日韓のみならず、アメリカの同盟システムに対するクレジビリティ(信頼性)がグローバルに揺らぐわけで、NATOやASEANもビックリで、中国やロシアはニンマリじゃないですか。

木村 いやまあさすがに戦争が始まったら黙ってはいないでしょうけれど、そこまで緊張が高まることはないだろうと目論んで、何もしない可能性は十分あると思います。

というより、無理やり手を突っ込んで解決できない問題に取り組むよりは、なるべく触らないでおこうというのは、政治家としては合理的な判断ですよね。彼の支持層が関心を失えば、よりいっそう彼自身もコミットする意欲を失うでしょう。ポピュリストって、元来そういうものですし。

浅羽 いや、しかし北朝鮮に対してアメリカが何もしないと、数年で西海岸まで届くICBM(大陸間弾道ミサイル)が開発されてしまいますよ。さすがにそこまで傍観はしないでしょう。

木村 トランプ大統領なら「そんなことになっても俺のせいじゃないし」くらいのことは言い出すかもしれません。北朝鮮がICBMの開発に成功したからといって、いきなり撃ってくるわけではなかろう、そんなこといったら中国やロシアは何十年も前からアメリカ本土まで届くミサイルを持っているじゃないか、もう一カ国増えたからってなんだっていうんだ、と言うかもしれない。

また実際問題として、北朝鮮がアメリカにいきなり戦争を仕掛ける理由は皆無ですから、その可能性は極めて低い。だったら放っておけよ、という話になるのは決して不思議ではない。

浅羽 私が気がかりなのはその点です。アメリカにとってはそういう話でも、日本や韓国にとっては天地がひっくり返る大問題です。アメリカが北朝鮮の核保有を事実上容認するとなると、日米同盟や米韓同盟はもたないでしょう。そうなると、核アレルギーの強い日本でも独自核の議論が出てくるでしょう。

木村 それは出てくるでしょうね。それも含めて「構わんよ」と言っても不思議じゃないと思うんですよね、トランプなら。

日本人の多くは「日米は揃っていて韓国だけズレている」と思っていますけど、ICBMの脅威という話で言えば、日米の足並みはズレる方が当たり前ですから。

浅羽 対北「日米韓」安保連携とひとえに言っても、「日米/韓」だけでなく「米/日韓」(や「米韓/日」)という相もあるのだ、ということですよね。それこそ、すべてのシナリオをいちどテーブルの上に出して、一つずつシミュレーションしておくことが大切です。

木村 そうです。そういう形でアメリカと北朝鮮が手を結ぶと、日本は置き去りになる可能性がある。

――すみません、今の話、もう少しだけわかりやすく話してもらっていいですか。ひょっとして「トランプと金正恩とは直接会って欲しくない」と思っているのは、日本と韓国だけなんですか?

木村 いや、韓国、特に文在寅政権は「会ってほしい」と思ってると思いますよ。

浅羽 米朝首脳会談が行われれば、堂々と南北首脳会談もできるし、開城工業団地だって再開できる。「関与(対話)」の国際協調路線というわけです。

――あー……。すると6者協議の再開を本気で願っているのは、日本だけなんでしょうか?

木村 「6者」にこだわっているのは、日本とロシアだけでしょうね。ただまあ「3者」だと米中朝ですから韓国も困るでしょうから、今の状況だと4番目(韓国)と5番目(日本)が組んで6者協議を求める余地もあると思います。

韓国だけが特殊なのではない、ということ

浅羽 ポピュリズムの話が出たのでその点にも触れておきたいのですが、『ポピュリズムとは何か』(ヤン=ヴェルナー・ミュラー著、板橋拓巳訳/岩波書店)という本が最近出ましたよね。この本によると、ポピュリズムとは大衆迎合主義でもなければ反エリート主義でもなく、「自分たちだけが民意を正しく代表している」という観念だというのです。

木村 まあ、ひとつの定義ですね。

浅羽 それはそうなのですが、韓国大統領選の真っただ中に読んでいると、「ああ、まさに今の韓国そのものではないか」と思ったわけです。「自分たちこそが民意だ」「弾劾・罷免は国民の命令だ」という局面があったわけですよね。「さまざまな民意があって自分はその一部分だけを代表している」となると、与野党による協力や妥協、大統領と国会の「協治」も成り立ちやすいはずなんですけどね。「政党(party)」も大統領も民意の「一部分(a part)」にすぎないというのが前提ですから。

つまり、「正しい民意」というものがある、と観念されている状況は、なにも韓国に「特殊な」わけではなく、ポピュリズムに共通していると理解できるわけです。政党政治や代議制民主主義にとっての含意や課題も同じことですね。

木村 ……なるほど。その話にひとつだけ反論しておくと、「ポピュリストはわかってやっている」という部分が重要だと思うんです。一般的に言われる「ポピュリズム」「ポピュリスト」って、実は政治家の側に選択の余地があるわけです。「いろいろ選択肢があるなかで、自分は民意に従う」というのはあくまでジェスチャー。しかし多くの韓国人の場合は「正しい唯一の民意というものが存在している」と信じている分だけ、一段「上」にいっていると思うんですね。状況的、結果的には「ポピュリズム」と言えなくはないんだけど。その歯止めの性格が違う。

浅羽 「ネタじゃなくベタになっている」ということですか。

木村 特に韓国の進歩派はそうですね。民族はひとつなんだから、話し合えばわかる、わかりあえないはずがないと思っていたりする。階級間闘争、世代間闘争みたいなものもあるんですけども、どこかで「同じ民族だから話せばわかる」と思っていて、それでもわからないとなると、一気に「民族の裏切り者だ」とか「強大国に屈服する事大主義者だ」という批判がなされてしまう。

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日本は文在寅政権に対してどう接するべきか

――最後に一点、日本政府は韓国の新政権に対してどう対応すべきでしょうか。

浅羽 「地球儀を俯瞰する外交を展開するなかに韓国を位置づける」という今の路線でいいんだと思います。要するに、「日韓関係」を独立した変数として考えるのではなくて、「日米」「日中」、「米中」「米朝」などほかのバイ(二国間)の関係や、「日米韓」「日中韓」「G7」「G20」などマルチ(多国間)の関係のなかで動かしていくゲームとして臨むということです。

さらに、イシュー・リンケージ(争点間の連関)をどうするのか、という点も重要です。たとえ「最終的かつ不可逆的に解決された」慰安婦問題がまた「蒸し返さる」としても、北朝鮮に対する安保協力だけは切り離して対応するのか。それとも、慰安婦少女像が2体とも撤去されない限り、「戦略的利益の共有」も放棄するのか。

もちろん日本としては、「日韓合意が遵守されるかは第三者も注視しているし、少女像は日韓合意だけでなく外交(領事)関係に関するウィーン条約にも違反しているので撤去せよ」といろんなレベルで韓国政府に繰り返し要求するのは当然です。それと同時に、全体を丁寧にマネージメントすることが重要です。1体目の少女像の隣に徴用工像や、済州総領事館の前にも3体目が建った場合、「もう知らん」と、外交チャンネルを全部閉じるような態度をとってしまうと、朴槿恵政権と同じことになってしまう。

木村 それは可能性ありますね。

浅羽 世論のほうが熱くなりやすいでしょう。安倍首相本人はクールに進めたいと思っていても、世論が沸騰してしまうと、どうしても引きずられてしまうところがある。それは避けたい、というのがひとつです。

もうひとつは、さきほどのポジショントークが大切なので2回言いますということなのですが、「地球儀を俯瞰する」「鳥瞰する」というのはもちろん大事なんですけど、「蟻の目でも捉え返す」ことと十分両立するし、むしろシナジー(相乗効果)が出るはずです。

ですので、地域ごとの文脈やニュアンスにもう少し耳を傾けてもらいたいな、と。理解が「困難」なロジックや「言語」であればあるほど「通訳・翻訳」の「重み」が増しますし(「ローコンテクスト社会で<通訳する>ということ―新潟県立大学「政治学入門」授業公開」を参照)、そうするほうが、グローバルな国家戦略の実現にもつながりやすいのではないかと思います。

別の言い方をすれば、「国際関係論」や「戦略論」と、「地域研究」や「文化人類学」や「第二言語習得論」とのコラボのあり方が問われているのではないでしょうか。

木村 基本的には同意します。

浅羽 産経新聞(5月20日付に掲載)に広告を打つ『だまされないための「韓国」』は明らかに「誤配」を狙ったタイトルですし、この「第8章」はあくまでも第1章から第7章までの販促のためのスピンオフですので、いろいろと「だまされてほしい」わけですよ(笑)。

木村 それなら全面的に同意しましょう(笑)。

私のほうからはですね、日本政府や日本人には、まだまだ「日本の力で韓国の態度や方針を変えられる」という幻想があると思うんですね。でもそれは幻想なんだよ、ということは言っておきたい。

浅羽 #ほんまそれ それはやっぱり「日韓」という二国間の枠組みだけで考えている人がまだまだ多い、ということでもありますね。

木村 そうそう。慰安婦合意に関しても、あれは日本が強硬な態度をとってきたから韓国が折れた、と考えている人がいるけれども、実際にはアメリカが「いい加減にしろ」と韓国に圧力をかけたから、ああいうかたちになったわけです。日韓にかぎらず、今の時代では二国間で解決できる問題などほとんどない。第三者の目を意識してそれを利用して、さまざまなところと絡み合って、プラスとマイナスをやりとりしあって「実」を取る外交をしなくちゃいけない。

――大事ですね。

木村 さらに言えば、日本側にある「韓国は日本のことをとても意識している」という思い込みについても、もう一度考えたほうがいいですね。これは本でも何度か出た話ですが、韓国にとっては、日本の地位は相対的に大きく下がっています。

今回の大統領選でも、候補者による6回、12時間以上の討論会があったわけですが、その中で「日本」というフレーズが出たのはせいぜい2〜3回だったかな。

浅羽 正確には2回ですね。1回目は「日本はノーベル賞をたくさんとっているのに、それに比べて韓国は……」という文脈。2回目は「米韓FTAについてアメリカのトランプ大統領が再交渉しようとしている。THAADについてもアメリカに金を払えと言ってきている。いちど国家間で合意したことをひっくり返すというのは……」という流れで「日韓慰安婦合意」という用語だけが出てきたので、立場が逆だとわかっているんだな、と妙に感心しましたよ。これだけです。いかに大統領選で「対日政策」が争点にならなかったか、という話です。別に今回に限りませんけどね。

――12時間で2回ですか……。まあ確かに、日本だって、たとえば総選挙の時に「この政治家の対韓政策はどんなもんかな」と気にすることはまずないし、党首討論で話題になることもほとんどありませんよね。

浅羽 そんなものですよね。

木村 それと、近々の問題として、韓国側は「左派政権だと思われている警戒を解きたい」と考えているわけですから、日本を筆頭にして、早々にいろんな国と首脳会談を求めている。だから早くも日中韓首脳会談を(2017年7月に)ドイツでやるG20でやりませんか、という話も出てきている。

もちろんそれは最初の首脳会談ですから、一種の「儀式」なわけです。具体的に何か込み入った話ができるわけではない。儀式だからこそ安倍首相は「がんばってくださいね」とエールを送るくらいの余裕を見せたほうがいいと思います。

さておき、早期に首脳会談をやる場合、話すことはひとつしかない。それは「日韓関係は重要だ」と確認すること。それ以上は中身がないので話しようがない。たとえば第一次安倍政権の時、安倍首相は最初の外遊先に北京とソウルを選んだ。そして安倍首相は各々の首脳会談で中韓両国との友好関係とその重要性を確認した。当然このような首脳の言動はその後の政権の方向性を縛ることになる。結果、当時の「安倍首相はアジア重視だ」と言うことになり、中韓両国との関係改善に大きく寄与することになった。

そして今回はこれと同じことがやれる場を文在寅に提供すればよい。早いうちに安倍首相と文在寅が会えば、文は「未来志向でやっていきます」と言うしかないでしょう。それを首脳会談のあとの記者会見でも直接言わせてしまえば、その言葉が彼らの行動を縛ることになる。重要なことは「相手に約束させる」のが外交における定番の手法です。

そしてこれは大事なポイントなんですけども、安倍政権はいまや世界でも例外的な長期政権になっています。つまり、交渉相手国の多くがまだ「政権初期の準備ができていない段階」の時に、日本は準備万端で臨むことができる。この状況を有利に使わない手はありませんよ。

浅羽 この「首脳に言わせる」、「首脳が言う」というのは重要だし、後々まで重く効いてくるんですよね。たとえば2015年の日韓慰安婦合意は、協定や共同声明などでフォーマルに文章が交わされたわけではありませんが、両外相がメディアの前で「こういう合意を結びました」と高らかと謳い上げて、両首脳も確認し合ったものです。アメリカ政府はただちに、「この合意と完全な履行を支持するし、国際社会は歓迎すべきである。これでこの問題は永続的に解決し、今後は日米韓の安保連携が進むことを期待する」という声明を出しました。形式はどうであれ、国家間の合意であることは間違いなく、当然、拘束力を有します。もしどちらかが誠実に履行しなかったり破棄や再交渉を一方的に求めたりしたら、他の国とのさまざまな合意もカウントされなくなります。

木村 慰安婦問題に関していえば、現時点ではよくも悪くも「ボール」は韓国側にあります。合意自体をどうするかも、慰安婦少女像をどうするかも、まずは韓国次第。バーンっとちゃぶ台をひっくり返す可能性は確かにゼロではない。でも韓国側のスタンスはまだ決まっていない。だからこそ今のうちに「縛り」をかけてしまって、その選択肢を制限すればよい。そういう知恵は日本政府側に持っていてほしいですね。

浅羽 そういう意味では、文在寅大統領との初めての日韓首脳会談をG20に合わせて行うというのは絶妙です。マルチの場だと双方負担も小さく、7月だと6月の米韓首脳会談のあとですからタイミングもいい。せいぜい1時間くらいしか時間はとれませんから、各論には立ち入らず総論で「大きな絵」だけ示せばいい。

木村 この「相手のスタンスが決まってないうちに首脳同士が会っちゃって、相手に『この関係は大事です』と言わせたこと」で、うまくいったいい例がトランプ大統領との関係ですね。安倍首相が早期に会いに行って、日米関係の重要性を確認したことで、日本はずいぶん有利になりましたからね。相手側に関心を持たせ、関係の重要性を確認することは、一般に思われているのよりはるかに重要なんですよ。

浅羽 それと、日本側は「入口論」にしないほうがいいですよね。「慰安婦少女像を撤去しない限り、首脳会談にも応じず、安保協力も閉ざすべきだ」となると、むしろ何も動かせなくなってしまう。そうではなく、ドア(くしくも韓国語の「門」は「文」在寅と同じ発音)をオープンにしたうえで、課題の解決(「出口」)に向けて共に進もうと呼びかける姿勢こそが、日本が重視する「未来志向」の真骨頂ですね。

――なるほど。多くの課題が浮き彫りになりましたし、日本がやるべきこと、やったほうがいいことも明らかになりました。本日はありがとうございました。

プロフィール

浅羽祐樹比較政治学

新潟県立大学国際地域学部教授。北韓大学院大学校(韓国)招聘教授。早稲田大学韓国学研究所招聘研究員。専門は、比較政治学、韓国政治、国際関係論、日韓関係。1976年大阪府生まれ。立命館大学国際関係学部卒業。ソウル大学校社会科学大学政治学科博士課程修了。Ph. D(政治学)。九州大学韓国研究センター講師(研究機関研究員)、山口県立大学国際文化学部准教授などを経て現職。著書に、『戦後日韓関係史』(有斐閣、2017年、共著)、『だまされないための「韓国」』(講談社、2017年、共著)、『日韓政治制度比較』(慶應義塾大学出版会、2015年、共編著)、Japanese and Korean Politics: Alone and Apart from Each Other(Palgrave Macmillan, 2015, 共著)などがある。

この執筆者の記事

木村幹比較政治学・朝鮮半島地域研究

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授・アジア総合学術センター長。京都大学大学院法学研究科博士後期課程中途退学、博士(法学)。アジア太平洋賞特別賞、サントリー学芸賞、読売・吉野作造賞を受賞。著作に『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(ミネルヴァ書房)、『朝鮮半島をどう見るか』(集英社新書)、『韓国現代史』(中公新書)、だまされないための韓国』(講談社、浅羽祐樹 新潟県立大学教授と共著)など。監訳に『ビッグデータから見える韓国』(白桃書房)。

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