2013.09.16

慰安婦問題で、日本が国際的な理解を得るためには、何が必要なのか?――TBSラジオ「荻上チキ・session-22」

和田春樹×木村幹

国際 #荻上チキ Session-22#慰安婦問題

電子マガジン「α-synodos」では、TBSラジオとコラボレーションし、「荻上チキ・Session-22」の文字起こし適宜掲載することになりました。今回は第一弾として歴史学者の和田春樹氏、政治学者の木村幹氏がゲストとして参加された、2013年8月1日放送分「慰安婦問題で、日本が国際的な理解を得るためには、何が必要なのか?」より一部を抄録いたします。(メインパーソナリティ・荻上チキ/アシスタント・南部広美)

慰安婦問題に向き合う

荻上 橋下市長の発言や、アメリカ・カリフォリニア市で在米韓国人が慰安婦像を設置するなど、慰安婦に関する話題が相次いでいます。今日は、これから慰安婦問題についてどう向き合えばいいのかについて議論していきたいと思います。

まず、アメリカ国内で慰安婦像を設置されたことについて、和田さんはどうお考えですか。

和田 私は、慰安婦の像をつくるのであれば、日本としては賛成するのがいいと思います。90年に韓国側から6項目の要求が出た時に慰安婦像の設置は入っていましたし、アジア女性基金の中でも検討をしたことがあります。政府が責任を感じて、国民としても償いをすることをしてきたわけですから、苦しんだ方たちに対してお詫びの気持ちを込めた慰霊碑を建てるということはよろしいと思います。

しかし、現在の状況を見ていると、政治的な動きに感じられますね。政治的な動きが韓国人によってなされて、それに対して日本の外交官や在米日本人が反対するということになっており、これが対立を広げることになっていますよね。その部分に関しては、私は良いことだとは思いません。事実関係が違うのであれば、在米の大使館に事実関係を正確にしてくれと提言し、静かに対応すべきではないかと思います。

荻上 木村さんはいかがでしょうか。

木村 そうですね。一番感じるのは、もはや慰安婦問題が日韓だけの問題ではないということですね。日韓の間では教科書問題や竹島問題など様々な問題があるわけですが、たとえば、竹島の問題に関しては、日韓両国のようなそれなりに国際社会で影響力がある国が、どうしてあんな小さな島で争うのか、とアメリカやヨーロッパでは冷ややかに見られたりします。

意外に思われるかもしれませんが、こういった問題に比べて、慰安婦問題に関する海外の人達の注目はずっと大きい。和田先生もおっしゃられましたが、そこでは日本や韓国の国や社会のイメージが問われている。ある意味、観客のいる紛争です。その点については、慰安婦像についての話はまさにその典型だと思います。

だからこそ、銅像設置それ自体よりも、この銅像設置に至るまでの話がどのように語られているか、また、銅像を設置しようとする動きに対する日本側のリアクションが現地でどのように理解されているか、といったことも考えなければなりません。つまり、「第三者の目」を意識しながらこの問題を考えていく必要がある、ということになります。国際紛争を考える上ではいつもこの「観客」、あるいは「第三者の目」は重要なのですが、その点を我々に改めて考えさせてくれる良い機会を与えてくれる問題だと思います。

荻上 「自分たちが解釈した『事実』を主張し、国際世論が理解してくれれば、今の議論は変わるのでは」というのが、慰安婦をめぐる日本の一部のムードとしてあるように感じられますが、それでは通用しないということでしょうか。

木村 慰安婦像を設置しようとしている在米韓国人の運動が誰に何を訴えようとしているのか、そしてそれを第三者がどのように受け止めているのか、それに対して、日本側が出しているカードや情報が適切に機能しているのか、を考えなければならない、という話です。言いたいことを言いたいように言っているだけでは、必ずしもこちらの主張が相手には伝わらない、ということを真剣に考える必要があると思います。

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アジア女性基金とは

荻上 今日はぜひ「女性のためのアジア平和国民基金(*1)」(以下、「アジア女性基金」)のお話を伺いたいと考えています。和田さんも関わられていますが、アジア女性基金がどのようなもので、どのような経緯で設立されたのかについて、簡単にお教えください。

(*1)「慰安婦問題とアジア女性基金/デジタル記念館」http//www.awf.or.jp/

外務省HP「村山内閣総理大臣による『女性のためのアジア平和国民基金』発足のご挨拶」http//www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/m_hosoku.html

和田 1993年に、河野談話(*2)が出ています。宮澤内閣が調査をし、日本の軍の関与を認めて、お詫びをするということになりましたが、具体的にどうするのか一切決められず、細川内閣でも出来ずにいました。それが村山内閣に引き継がれまして、この内閣が戦後50年を控えて、残された問題を検討しましょうということで、中心的な問題として慰安婦問題に取り組み、解決策を考えた結果、財団法人という形でアジア女性基金を作り、政府もお金を出し、国民からの募金も集めて、謝罪と償いをするということになったんです。

(*2)「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(外務省) http//www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

その国民への呼びかけ人として、私も政府から話があったので、アジア女性基金に関わることになりました。

荻上 もともと、法的には解決済みという見解を日本はしていましたが、民間と基金をつくることによって別の解決策を探ろうとつくられたのがこの基金ということですよね。

和田 そうですね。

荻上 ですが、和田さん自身、100%賛成というわけではなく、疑問もあったようですね。

和田 我々としては、国家が謝罪をして国家が補償をすべきだという考えでした。ところが、政府としてはそれができないという結論が出て、財団法人という形で基金を作ることになりました。

私は意見を聞かれた時に、「基金をつくるのは良いが、法律によってつくってほしい。政府のお金と国民のお金を一緒に入れて、基金として償い事業をして欲しい」と提言しましたが、受け入れられませんでした。官房長官の五十嵐(広三)さんも努力しましたが、結局通らずに、償い金というのは国民からの募金だけという形になったんです。そこに、反発し、「受け取れない」とおっしゃる元慰安婦の方が出てきました。

しかし、当時は、自民党と社会党が一緒になってはじめて新しい政府ができ、河野談話に基づいて補償をしようという意欲が出ている時だったので、やれることはやらなければしょうがないと感じていました。それがアジア女性基金に関わるようになったきっかけです。

荻上 100点ではないけれど、関わりながら変えていければと思ったと。アジア女性基金の活動は、実績も残していますが、成果を上げられなかった面もあると思います。どのような成果があったのか、改めて教えて頂けますか。

和田 アジア女性基金では、首相の署名したお詫びの手紙を1人1人に届け、1人当たり200万円の償い金も届けました。加えて、医療福祉支援を政府のお金で出し、韓国台湾には300万円、フィリピンには120万円、オランダには300万円を1人当たりにお渡ししました。これらが、アジア助成金の「償い事業」と言われるものです。

償いという言葉を英語では“atonement”としました。“atonement”とは「贖罪」という意味です。“The atonement”といえばキリストが十字架にかかった行為を指す言葉で、非常に強い意味を持つんです。

ですから、フィリピンやオランダでは不満があったんだけど、日本が誠意を見せていると感じとったので、ほとんどがこの事業を受け入れたわけですよ。

荻上 「こんなに強力な言葉を使って」というインパクトがあったんですね。

和田 ところが、韓国は英語ではありませんから、「償い」は「補償(ボサン)」と訳される他ないので、「日本は、補償はできないと言っていたくせに、何事だ」となってしまった面がありますね。

荻上 国によってニュアンスが違うということですよね。

和田 結局最初のかけ違いがあったので、フィリピンやオランダでは多くの人が受け取ったのですが、韓国と台湾では半分以上の人が受け取っていない。その意味で言うと、韓国では事業は終わっていないわけです。

荻上 受け取るなという内部の声があったんでしょうか。

和田 受け取ってはいけないという声は、韓国国内の運動グループからもあったし、国内世論からもありました。最初に受け取った7人は、実際に国内で酷く批判され苦しんだんです。

荻上 お詫びということで、お金を出したということですが、何に対するお詫びで、支給対象はどういった基準で選んだのでしょうか。

和田 韓国と台湾の場合には、その国の政府の方で慰安婦であった人々を登録しているのです。政府が支援をしているのです。それで、基金としては、自国政府に登録をして、支援を受けてるという書類を出してもらえば、申請を受けつけるということにしました。そういう人に無条件で支給することになっていました。

フィリピンの場合にはアジア女性基金に直接申請を出す。オランダの場合はアジア女性基金の依頼を受けた委員会が募集をして、申請を受け付けました。

荻上 国によって方法が変わっていたということですね。

和田 人数的にはフィリピンと韓国と台湾で284名の方に支給し、オランダでは79名の方に支給しています。

正解がわからない

荻上 数百人規模で手紙と償い金を渡すことが続けられたということですね。木村さんはアジア女性基金の活動について、どのような評価をお持ちですか。

木村 アジア女性基金の背景には、日本政府側はこの問題は日韓基本条約により解決済みだから法的賠償は難しいと主張し、これに対して韓国側がこの問題を日韓基本条約の枠外に置いて法的賠償に近いものを要求する、という構造的対立がありました。こういう状態の中で、本来であれば「限りなく法的賠償に近いけど法的賠償ではない」アジア女性基金は、両者の間のあり得べき落とし所に近い案でした。

当時の日本政府もこの問題の解決に対して積極的に努力しましたし、紆余曲折があったとは言え、実際、基金のアイデアもよくできたものだったと思います。ですが、実際には、韓国の世論や運動団体の反発に直面して、この基金は期待された様な役割を果たすことができませんでした。

今日の日本では、慰安婦問題をはじめとする様々な歴史認識問題について「日本は解決に向けて一生懸命努力しているのに、韓国側はその努力を全く理解しようとしない」という不満があります。アジア女性基金を巡る問題は、言わば、そのような日韓の歴史認識問題のもう一つの構造を典型的に表している様に思います。そして、日韓の歴史認識問題がこのような展開を見せるのには、また、それなりの理由があります。

この点については、当時、問題の解決のためにご尽力された和田先生の前で申し上げにくいところもあるのですが、あえて申し上げると、次のようになります。まず、河野談話にしてもアジア女性基金にしても、歴史認識問題に関する日本側の何かしらの「解決策」が出される過程では、国内の歴史認識問題に関わる論争が勃発し、様々な発言がなされます。

これは日本が民主主義国である以上、やむを得ないことですが、こういった発言の一部は、韓国側では「妄言」と看做されることになります。そしてこれらの「妄言」に対して韓国のマスコミや政治家が順番にリアクションを起こすと、結果、日韓関係は悪化する。こうして肝心の解決案が出て来る頃には、すでに両国の関係は大きく損なわれ、解決策について冷静に議論できる状況ではなくなってしまう。日韓間では、これが幾度も繰り返されて来たわけです。

だからこそ、努力してそれなりに良いものを作っても、河野談話やアジア女性基金等を発表した段階では、韓国の世論や市民団体の支援が全く得られなくなってしまう。そういう同じような展開をたどっているということです。

実際今でこそ、河野談話もアジア女性基金もそれなりに評価されているわけですが、当時の日韓両国の新聞を読めばその評価は酷いものです。善意で何かしらを行うことは重要ですが、その努力を形に結びつけるためには、「手続き」も重要だ、ということですね。

荻上 先ほどの和田さんは言葉のニュアンスの話やコミュニケーションの話をされていたんですが、今の「手続き」というのはどのような意味なのでしょうか。

木村 「話の持って行き方」という言い方でも良いかもしれません。細かい話になりますが、慰安婦問題は92年から本格的に活性化します。そしてここで韓国側が問題提起をして、日本側に解決案の作成を要求する、という形が生まれて今に至ります。結果、日本側だけで解決案をつくって持っていき、それに韓国側がノーという、ということが繰り返されている、というのがこれまでの関係です。

これは、よく考えたらおかしいですよね。本当であれば日韓両国で協力して問題の解決案をつくるべき問題なのに、日本側が一方的につくっている形になっている。そしてだからこそ、その解決案については韓国側はフリーハンドを持つことになってしまう。

もちろん、日本側が作る回答はなかなか韓国政府や世論に対する満額回答、という形にはなりません。そうすると、韓国側の中には、そうした「不満足な日本側の回答」を自らの政治的、あるいは運動面での目的に利用しようする人達も出て来ますし、政権自体も求心力が低下すると、強硬な世論に流されがちになります。本来であれば、韓国側にも解決案作成過程において積極的に関与させるようなシステムを作らなければならないのですが、その点が欠けてしまっている。だからいたずらに日本側だけが右往左往することになる。

荻上 日本は100点の答えがわからない中、暗中模索しながら、韓国に提案を投げ続けていると。

木村 そうです。うちにも子供がいるのですが、時々何かしらの問題に躓いて、親に「どうしたら良いかは、あんたが考えなさい」なんて怒られたりする。この時、子供が親の期待している答えがわかっていればいいのですが、そうでない時には、こういう怒られ方をすると子供が困ってしまう。子供の方は答えがわからないまま、何を言っても親に怒られそうに思う。この状態を放って置くと、そのうち子供は萎縮して、親の前で何も言えなくなってしまいます。あ、因みにうちの家庭の話ではないですよ(笑)。

いずれにせよ、一旦こういう関係に陥ったら、やっぱり親の方、――もちろん、日韓関係において韓国政府が親で日本政府が子供、というわけではありませんが―つまり、問題を出している側が、両者が納得できる解答に至るまでの過程に積極的に関与していかないといけないですよね。でないと、コミュニケーション自体が成立しなくなってしまう。

宿題を一方的に引き受けた

荻上 それでは、質問メールを読みたいと思います。

南部 「韓国は慰安婦強制連行を日本に謝罪させた後、日本とどうしたいんでしょうか」

荻上 今の話でいくと、韓国側の欲望が見えにくいということですよね。そうすると、韓国がもっと発言した方がいいということなのか、日本側のテーブルのつくり方が失敗したのか、木村さんの力点の置き方としてはどうでしょうか。

木村 最初の段階で、日本が韓国側から与えられた「宿題」を一方的に引き受けてしまったことに問題があったと思います。

少し説明すると、1992年の1月、慰安所の軍関与を示す資料が発見されたという朝日新聞の報道が出て来ます。この直後、ちょうど予定されていたソウルでの日韓首脳会談で、時の宮澤首相が韓国の盧泰愚大統領に謝罪をします。謝罪をすることの是非はさておいたとしても、問題はここで日本政府がこの問題の調査と解決方法の提示を自分たちが責任をもってやることを約束してしまったことです。ぼくは、この段階で最初の間違いがあったと思うんです。

荻上 その後、河野談話を出しますが、そのタイミングについては早かったとお思いですか。

木村 早かったというか、この頃の日本では、メディアも政治家たちも慰安婦の強制連行に関する資料は早晩出てくるだろう、という前提で行動しているんですね。だから日本政府もこの予測に基づいて自分たちの行動の計画を作り上げて行きます。でも実際には、その資料が出てこない。ここで日本政府は自分たちが決めた決まりで自縄自縛になってしまうわけです。で、資料が出て来ないなら、証言を取りに行くしかない、というような展開に93年頃にはなってしまう。いつの間にか「結論先にありき」になってしまったことは否定できないと思います。

そしてこのような状況は、時の与党だった、自民党の政治家の中にも禍根を残すわけです。つまり、どうしてこんな無理をする必要があるんだ、という不満が残る。そうすると、自民党の中では、これは宮澤政権の中核を担った宮澤派の失敗だ、という理解が生まれる。だって、考えてみれば、河野談話に携わったのは、宮澤さん、加藤さん、河野さん、皆、宮澤派の重鎮ですからね。だからこそ、今になってさえ、慰安婦問題については宮澤派系の政治家と、それ以外の自民党の政治家で河野談話の理解が違う、何ていうことが生まれてくる。最初の段階でボタンをかけ違えてしまい、ここまで来ているという感じです。一旦掛け違えたボタンを全部はずして、かけ直したほうが早いかも知れませんね。

和田 宮澤内閣は2度に渡って調査をしたわけです。私どもが政府が調査した結果を本にして出版しましたが、5巻の資料集です。それが慰安婦問題の基本的な資料です。

努力は積み重ねてきたと自負しています。連れて来る時の強制連行ということではなく、軍が関与して慰安所を作って、業者に頼んで人を集めて、軍が輸送にも関わっているし、慰安婦を何人送れという命令も出てきています。私としては、政府は相当に努力したと思うんです。

しかし、木村さんがおっしゃるように、韓国側とどう話合って意見を詰めていくのかという努力は足らなかったと思いますね。

荻上 そこは、不信感が残っているポイントなんでしょうか。

木村 不信感が残っているというより、韓国側に「日本側が努力すべき問題だ」という考え方を作ってしまいましたよね。

荻上 資料調査にしても、「あるはずの資料を出していないのでは」という疑念が生まれていますが、そもそも一緒になって調査していないので、ブラックボックス化してしまう部分があるんでしょうね。

木村 日韓共同でやるのかやらないのかでは違いますよね。案を日本がつくり、韓国側にお伺いをたてる形になってしまっているのはどこかおかしいと思います。

和田 まぁ、はじめてだったし、韓国の運動団体は国連機関に駆け込んで訴えるということばかりやっているわけだから、日本側としては韓国側と相談するという考えもないわけですよね。結局、明らかに失敗はあったでしょうね。

「河野談話」を考える

荻上 ボタンの掛け違いが現在まで起こっているわけですが、この歴史認識問題自体が既に「歴史」になってしまっているので、過去の発言を全部水に流すことはできないわけですよね。河野談話が100点の回答ではないけれども、それはそれとして維持しなければいけないわけです。木村さんは河野談話についてはどうお考えですか。

木村 皮肉めいた言い方になりますが、ぼくは、非常によくできた「霞が関文学の名作」の類だと思っています。だって、何とでも解釈できる文章ですし、少なくとも間違ってはいませんよね。慰安婦の強制連行についても、「もあった」という書き方になっています。だって、慰安婦の連行については、中国大陸や東南アジアで兵士も関わった強制連行に近いことがあったことは事実ですからね。

でも、「全部が強制連行だった」とも決して言っていない。だからこの談話が言っていることは間違ってはいないんですよ。繰り返しになりますが、そういう意味でこの文章は良くできていると思います。だからこそ逆に「河野談話の見直し」と言う話が出てくると、どこをどう見直すのか、というのが問われますし、日本政府は存在したことが明らかな東南アジア等の慰安婦の強制連行についても、否定するのではないか、という疑心暗鬼に陥る人も出て来ますし、またその疑心暗鬼を利用する人さえ出て来ることになる。この問題については、もっと具体的に考えて行かないとダメだと思います。

和田 すでに河野談話に基づいてアジア女性基金ができていますし、首相のお詫びの手紙も書かれています。実際に受け取った人もいます。これを見直すとするならば、よっぽど致命的な問題があった場合しかあり得ないでしょう。

しかし、今のところは、「更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」という一語が問題で、しかもダイレクトに強制連行があったとは言っていませんので、見直す必要があるのか疑問です。私も木村さんがおっしゃるとおり、河野談話は非常によくできた文章だと思います。

木村 河野談話は、文章そのものよりも、解釈が混乱しているという部分もあるんです。この談話が出された後、河野さんがメディアでやり取りしたりしているのですが、そこでも少しブレがあったりする。だからこそ、河野談話の解釈の見直し、というか明確化はできると思うのですが、その結果で何かが変わるかというと、結果はこれまでと大差の無いものになる可能性が高い。そうなれば何のための見直しなのかわからなくなりますから、外部からみると何をやっているのかわからない。結局、「日本のやっていることはよくわからない」という評価に繋がりかねない、と思います。

和田 2007年のアメリカ下院の決議では河野談話もアジア女性基金も非常に高く評価しています。「河野談話を見直すというのは危険だ、アジア女性基金が終わってしまうから問題だ。だからこそ安倍内閣としてははっきりとした政府の声明を出してほしい」大まかに言うと、このような内容です。

アジア女性基金には資料委員会という歴史家の集団があって、政府が収集した資料も検討しましたが、河野談話に問題がある点は見つかりませんでした。だから、私は基本的に河野談話は基礎にしてやっていいものだと思いますので、修正する必要はないと考えています。

人権問題としての慰安婦

荻上 日本では「強制連行があったのかどうか」という議論が重要視されている面があります。しかし、海外ではどのような論点が問題になっているのでしょうか。

木村 問題になっているのは、全体としての慰安婦をめぐる人権状況だと認識しています。その問題点の一つに強制連行がある、という理解です。

もともと、慰安婦問題において強制連行がクローズアップされていったのには理由があります。日本では1992年の朝日新聞の報道が口火を切ってこの問題が本格化した、という理解が多いのだと思いますが、この問題を理解するためには、同時にそれ以前の運動との関係を考えることも重要です。具体的には、この直前に議論されていた問題が何だったか、ということですね。答えを先に言ってしまえば、それは総力戦期の労働者の動員だった、ということになります。いわゆる「強制連行」問題ですね。

実は本格化する前の慰安婦問題も、「強制連行」問題の一部と言う理解をされていました。だからこそ、当初の慰安婦問題の展開も、慰安婦の「強制連行」部分に焦点が当てられて行くことになりました。でもその後、慰安婦問題だけでなく、労働者の動員について、これを巡って争われた裁判のほとんどで原告が敗訴することになりました。そして、この過程で運動側は「強制連行」一本やりではこの問題の突破口は開けない、ということを学習することになります。

当然、運動団体はここで戦略を変えていくことになります。忘れがちですが、河野談話はもう20年も前の話ですから、この過程で運動団体が試行錯誤しながら新たな突破口を模索するのは当たり前なのです。そして運動団体はここで、慰安婦の「強制連行」だけではなく、慰安所の「人権状況」にも目を向ける、ということになります。

たとえば、ここでの論点の一つには、慰安婦には廃業の自由があったのか、なんていうことも入ってきます。もし、廃業の自由がない、契約の解除ができない、ということになれば、とても正常な雇用関係ではありませんから、慰安婦は「性奴隷」だった、という言い方も可能になるかもしれない。またよく出てくる借金の形に女性が売りに出される、なんというのも、文字通り「奴隷状態」じゃないか、ということにもなる。ともかく大事なのは今日の慰安婦問題には、色んな論点があるということです。そして、「強制連行」を巡る話は、依然として重要な話の一つではあるけど、それだけが重要な話だ、というわけではない。

たとえば、今年の7月9日に、研究目的で挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)という慰安婦支援団体が作っている博物館を観に行ってきました。韓国最大の慰安婦支援団体です。そこには言わばこの団体の「公式見解」が展示されているのですが、実はこの博物館の展示では「日本の軍人に連れて行かれた」という話は殆ど出て来なかったりする。元慰安婦の生涯を追った再現アニメーションなどもあるんですが、そこでのストーリーもどっちかといえば「業者に騙されて連れて行かれた」という描き方になっている。もちろん、慰安所でお金のやり取りがあったこともちゃんと触れられています。

つまり、この博物館でもやはり、慰安婦の動員過程における「強制性」よりも、全体として「慰安婦をめぐる状況は極めて非人道的だった」というのが基本メッセージになっているわけです。単純化して言えば、業者に騙されて連れて行かれようが、金銭のやり取りがあろうが、自らの意図に反して慰安婦にならざるを得なかった人々の状況は、人権的状況として間違っているし、また、そのような状況を生み出した日本の植民地支配もまた非人道的だ、というだけで十分なわけだ、という考えですね。

そして今日の慰安婦を巡る欧米の議論も、そういった韓国の運動団体のメッセージを奇麗になぞる形になっています。だからこそ、たとえばアメリカの人たちに対して、「日本は国家として慰安婦の強制連行はしていません」と主張しても、「それが何だというのだ」と言うリアクションが戻ってくることにもなる。もしも、全体として慰安婦が人権的に酷い状態に置かれていたのであれば、その中でのごく一部でしかない動員過程の「強制性」に拘っても仕方がないじゃないか、というわけです。

いずれにせよもしも、日本側が慰安婦を巡る議論に勝利したいのなら、同じ所だけ守っていても仕方がない。サッカーやアメフトと同じで、他の所を突破されればおしまいですからね。そして慰安婦問題を巡る日本の状態は、強制連行のところだけを守って、他の所を見ていない。これでは勝てる勝負も勝てなくなってしまうのは当たり前です。

そもそも、軍隊が女性を連れて歩くということ自体、すでに美しい行為ではないですよね。慰安婦を巡る問題はつきつめればそこに来る問題ですし、国際社会はそこにこそ注目しているということになります。

荻上 和田さんは今の議論についてどう思われますか。

和田 吉田清治という人が自分の経験として、「村に入り人狩りのように連れてきて申し訳なかった」と謝罪したことがあったんですよ。この発言が韓国には強い影響を最初与えたことは確かです。最初の6項目の要求が出た時に引用されたのは吉田さんの本(『私の戦争犯罪』・三一書房)でした。

ところが、調べてみたら、そんな事実はないことがわかって、吉田さんの言っていることは誤りだということになってしまいました。それが否定されたので、慰安婦は売春婦だったと主張する人が出てきたんですよ。

しかし、戦時中にそういった場所に連れていかれた女性たちにとっては、強制されたということが大事なんです。アジア女性基金のパンフレットでは、その冒頭で慰安婦とはなにかについて定義をしています。そこでは、「いわゆる『従軍慰安婦』とは、かつての戦争の時代に日本軍の慰安所等に集められ、将兵にたいする性的な行為を強いられた女性達のことです。」と書いているんです。

ですから、「強いられた」という感じが非常に強いわけですよ。全ての人が強制された存在だとして申し立てている。そう思わない人は申請もしないし、賠償を求めてこないんですね。このことに対して、軍による強制連行を否定しても答えになってないわけです。

荻上 軍による強制連行がなければ、「強いられた」ということを否定できるかのような議論になっているが、少なくともそうじゃないと。

現代の人身売買に対する国際的な定義ってありますよね。たとえば、アメリカは日本のことを今でも人身売買大国であると批判していますが、その時の「人身売買」の定義は「借金による束縛・暴力や強制送還の脅し、恐喝、そして精神的な威圧を用いて移動を厳しく制限する」強制売春の場合は、「借金を負わせて生活費や医療費、必要経費の支払いを要求したり債務の奴隷とする」とあります(*3)。この価値観からすると、慰安婦は「人身売買」に当てはまるわけです。

(*3)米国大使館東京・日本HP「2013年人身売買報告書(抜粋・日本に関する報告)」http//japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20130719b.html

アメリカだけではなく、国連の「人身取引防止議定書」では、「人身取引とは、搾取の目的で、暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を獲得し、輸送し、引渡し、蔵匿し、又は収受することをいう。(*4)」としています。この解釈では、人身取引の仕組みを積極的に活用しただけではなく、輸送したり収受したりと人身取引に加担していることになります。

(*4)「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書(略称 国際組織犯罪防止条約人身取引議定書)」(外務省) http//www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/treaty162_1a.pdf

なお、日本の人身取引の定義では、「『人身取引』とは、犯罪組織などによって、暴力や脅迫、誘拐、詐欺などの手段で場所や国を移動させられるなどして、売春や風俗店勤務、強制的な労働などを強要される犯罪であり、重大な人権侵害です。(*5)」と、してあります。この定義に照らしあわせてみても、慰安婦制度が「人身取引」であることは当てはまっていますね。

(*5)「売春や強制的な労働などを強要される「人身取引」被害者に助けを求められたら最寄りの警察などへ」(政府広報オンライン)http//www.gov-online.go.jp/useful/article/201111/3.html

木村 今の基準からは人身売買だったと言える、という話ですよね。これに反論する人達というのは、「昔の基準は違ったじゃないかと」言うことになるわけですし、これはこれでたとえば法律論としてはよくわかります。でも大事なのは、今日の状況では、慰安婦を巡る問題は現代の問題に絡めて議論されている、ということです。だから、橋下大阪市長の発言のように、この問題を現代の女性を巡る問題としてリンクさせてしまうと大変なことになる。だって、そのメッセージは日本社会は昔も今も同じだ、ということになってしまいますからね。

だからこそ、政府の法的責任の問題と、慰安婦問題が性奴隷なのか否か、言い換えるなら、慰安婦を巡る人権的状況については、きちんと区別して議論して行かないといけないですよね。

落とし所を探る

荻上 ここからは、慰安婦問題の「今後」の話をしたいと思います。

南部 質問メールです。「両国とも感情的になっていて、当事者どうしだと解決できない問題になっているのではと感じます。なので、中立的な第三国に仲介に立ってもらい、両国の意見を出し合って落とし所を決めるしかないのではないかと思います」

荻上 和田さんは第三国に委ねるという議論についてはどう思われますか。

和田 それは無理だと思います。問題は韓国だけではなく、台湾や北朝鮮、中国本土などにもあります。この問題について国際的に仲介してもらうのではなく、国際的な支持が得られるような解決を図らなければならないと思います。木村さんがおっしゃるように国際問題化していますから。

荻上 「中立な第三者」なんて存在しないということですよね。

和田 日本は日韓基本条約の時に結んだ「日韓請求権並びに経済協力協定」ですでに請求権問題は解決したと言っています。

そうは言っても、慰安婦の問題はそこで解決したでは、済まされない問題であるということです。政府としてはアジア女性基金をやってきた経過を踏まえて、基本的には謝罪と償いをしなければなりません。

しかし、現在アジア女性基金は存在しませんから、お金は政府が出すべきです。財源の話などは一切せずに、被害者に対してお詫びのしるしとしてお金を持っていくべきだと思いますね。

荻上 なるほど。

南部 このようなツイッターも来ています。「中国、韓国はもちろんだけど、国際社会というものが最初から日本に対して予断と偏見を持っているように思えるんですけどね。理解しようとしない相手に理解してもらおうったって無理じゃないの」

また、メールも来ています。「慰安婦問題について、日本国内では強制連行があったかなかったかが中心に論じられていますが、国際社会では強制連行だけでなく、広く戦時下の女性の性暴力という意味で受け取られていると理解しています。強制連行の有無以外で日本は国際社会に対し、なにを示すべきでしょうか。あるいは強制連行がなかったと否定すること自体が間違いなのでしょうか。」

荻上 観点が違うメッセージを二つ読みました。前半は日本がどれだけ「誠実」に謝っても、相手が聞き耳を持たないなら意味がないだろうというスタンス。対して後半のメールは論点の置き方が違うんだから、日本の出す球の投げ方も違うのではというものです。木村さんはどうお考えになりますか。

木村 中国や韓国は一種の「当事者」ですから、その態度が硬いのはある程度やむを得ません。でも、この問題で第三者の立場にある国でも、日本側の主張が理解されていないとするなら、やはりこちらの「主張の仕方」を考えても良いのだと思います。個々人の人間関係でも同じですが、「正しいことを言ったからわかって貰える」と期待するのは、少し楽観的に過ぎますよね。わかって貰いたいなら、それなりの努力や工夫をするのは当然ですし、それを怠る理由もないと思います。皆さん、ご家庭で夫婦や親子でわかり合うためにはもうちょっと努力していますよね(笑)。

だからこそ、先ほどから申し上げているとおり、慰安婦問題に関して言えば、強制連行の話ばかりしていて、他の部分に関しては発信もしていない、というのはやはり問題ですよね。そこはまだまだやる余地がある。

また、最近「どうせ国際社会は日本をわかってくれない」という話がよく聞かれるように思いますが、そもそも日本は依然としてGDP第三位の経済大国で、G20においても重要国の一つなんですよ。言い換えるなら、もし日本が潜在的にも国際的な影響力がないと言うなら、いったい世界のどの国に影響力があるのか、というような話になってしまう。日本は大きな影響力を持つ国なのに、どうしてみんなそんな簡単にあきらめてしまうのか、とぼくなんかは思うんですけどね。

荻上 最近、慰安婦問題にアメリカが動いたのは韓国のロビー活動の成果だという主張も日本国内ではあります。日本がやってもしょうがないという意見もありますし、やり返すべきだという人もいて議論になっています。その辺りは木村さんはどうお考えになられますか。

木村 自分の意見をきっちり言うというのは大事なことです。しかし、日本国内ばかりで言っていても仕方ないですよね。政治家もメディアも、我々研究者もきっちりと対外的に、しかも相手に分かる形で発言していくことが大事だと思います。

和田 慰安婦問題のような問題に対して謝罪をして償いをするなんて国は他にはありません。ドイツも慰安婦と似たようなことをソ連などで行っていたのではと見られています。しかし、ドイツでは一切謝罪されていません。

女性の気持ちも考えて慎重に進めなければいけない非常にデリケートな問題ですが、日本はあえて踏み出して謝罪と償いをする努力をはじめました。オランダやフィリピンではそれなりに成功しているんですよ。どうして、韓国と台湾では相手と心を通わせられなかったのか。検証し、もう一度トライする必要があると思います

荻上 そこも反発を買っているポイントだったりしますよね。「なぜ、日本だけ謝るのか」と。橋下市長の記者会見でも触れられていました。これは、「他も謝らないのなら、日本だけが謝るのはおかしい」という意味かもしれないし「積極的に他国もやるべき」という主張かもしれない。

和田 良いことだから、日本は率先してやり、世界に対して問題を提起していると考えたほうがいいですよね。すでにやっているんだからね。

これからの慰安婦問題

木村 ぼくは政治学者なので、和田先生とはちょっと違う言い方になってしまいますが、やはり、個々の問題に対する、作為不作為双方の行動の結果として、具体的に何の利益が得られるのか、をきちんと考えなければならない、と思います。たとえば、謝罪することによって日韓関係や日中関係が良くなれば、我々に如何なる経済的利益があるのか。逆に、領土に対する頑なな態度を取ることによって何が損なわれるのか、といった問題をきちんと考えていく。それがまともな政治だし外交だと思います。違う言い方をすれば、それが「国益を考える」ということになります。具体的な利益も考えずにイメージだけで「国益が」と言いたがる人も居るけど、実はそういう人に限って「国益が何か」なんて言うことは考えていなかったりする。ここは要注意ですね。

たとえば特定の歴史認識問題に対して、経済的等々の利益を考えて謝罪してしまうというのも一つのカードだし、経済的等々の利益が損なわれても「何かしら」を守るために謝罪しないまま、日中、日韓関係が悪いままに放置する、というのも一つの判断だと思います。ただ何のリスクをどう負っているか、それによって守られるものが何なのか、そしてそもそも「それ」はその方法で守ることができるのか、はちゃんと考えないと駄目ですね。

荻上 韓国国内でも様々な判決が出ているからこそ、日本に対して教鞭な態度にならざるをえない韓国というのも、より浮きだっている面もありますよね。

木村 韓国国内では憲法裁判所の慰安婦問題を巡る違憲判決もありましたし、何よりも韓国という国そのものが昔に比べればずっと国力をつけた結果として、日本に対して自信を持って外交に臨んでいますから、交渉はますます難しくなっています。65年に結ばれた日韓基本条約の枠も飛び超えて、慰安婦問題だけじゃなく労働者動員の問題も積極的に交渉していこうという雰囲気になっています。もう日本側が力だけで押し切れる時代ではないですね。

でもだからこそ、この状況は日本にとっても、海外の第三者の目を意識する良い機会なのだとも思います。また問題の解決のためには、韓国側にも外側の目を意識させた方がいいですね。現在は日韓基本条約の解釈が日韓両国でずれてしまっています。日本国内では、韓国の理解は通用しない、とよく言います。でも、本当に日本人がそう信じているならば、積極的に訴えかけていけばいいと思うんです。

荻上 どこにですか?

木村 日韓基本条約には、解釈の齟齬が生じた場合には仲裁委員会をつくるという規定があります。この条約については、今までもずっともめ続けているわけですが、日本政府は1回もこの提案をしていない。事を荒立てたくない、というのが本音のところなのでしょう。でもここでのポイントは、この条約が1965年にむすばれていて、2015年には50周年を迎えるということです。実際、韓国国内ではこのタイミングで日韓基本条約の見直しをしよう、なんていう話も出ています。そうすると、この条約にはあと2年しか時間がないかもしれない。条約の見直しを巡る議論がはじまれば、問題はますます複雑になって収拾がつかなくなってしまうかも知れない。

たとえばこの辺は条約そのものの異なる部分の解釈にも関わるので少し微妙な言い方になってしまうのですが、日本と韓国は互いが合意できるのであれば、この条約を巡っての法律的解釈をICJ(国際司法裁判所)に委ねてもかまわないと思います。領土問題に関しては、韓国側は「領土紛争が無い」という立場なのでICJへの付託には絶対に応じないわけですが、日韓基本条約については日本側と韓国側の解釈がズレていることは明確ですからね。

荻上 木村さんの提案としては、仲裁の手続きに取り組み、より議論を進めようということですよね。

木村 結局最後は、国際法的な解釈の問題になってしまうんです。そして、そこを乗り越えていかないと、慰安婦問題についても先に進めません。この点は領土問題にしても、労働者の戦時動員についても同じですね。

でも、ICJで領土問題を議論するのと、慰安婦問題を議論するのでは、慰安婦問題の方が、はるかにリスクが小さい、ということも重要です。島を失うか失わないか、というのは両国のナショナリズムに直接関わる問題ですから、両国政府にとっても負担が大きい。でも、慰安婦問題であれば、判決内容さえきちんとしたものであれば、両国とも受け入れが比較的容易だと思います。

何れにせよ、「宿題」が目の前にあるのは明らかですから、法的解釈の問題について真剣に取り組んだ方がいいと思います。第三者を挟めば、韓国側も問題に真剣に向き合わざるを得なくなりますしね。

荻上 和田さんの提案としては、アジア女性基金がやったことを今度は国家がやることで、韓国と和解しようというものですね。

和田 木村さんがおっしゃるとおり、仲裁委員会をつくって問題を解決するということも重要な道だとおもいます。日韓基本条約の一番の問題は植民地支配の反省が無いことです。あれからの50年間に日本政府は植民地支配について反省してきました。このような変化によってどうしてもギャップは起こっているので、調整をするべきだと思いますね。

しかし、仲裁の手続きをとるには時間がかかりますよね。しかし、元慰安婦の方はどんどん亡くなってしまうじゃないですか。106人いた原告が、憲法裁判所の判決が出た時には半数になっていますから、早く解決するためには政府が決断してやっていくしかないと思いますね。

(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」『「慰安婦問題」日本が国際的な理解を得るためには何が必要なのか」』2013年8月1日放送分より一部を抄録)

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(本稿は、「α-Synodos vol.132(2013/09/15) 『時を駆ける』(https://synodos.jp/a-synodos)」からの転載となります。)

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大野更紗「さらさら。」

秦郁彦×吉見義明「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』――TBSラジオ『荻上チキSession-22』」

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プロフィール

和田春樹歴史学者

1938年生まれ、歴史学者、ロシア史・現代朝鮮研究。東京大学名誉教授。1995年から2007年までアジア女性基金呼びかけ人、運営審議会委員、理事、専務理事(2005-07)。最近著は『領土問題をどう解決するか』解決するか』平凡社新書。

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荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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木村幹比較政治学・朝鮮半島地域研究

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授・アジア総合学術センター長。京都大学大学院法学研究科博士後期課程中途退学、博士(法学)。アジア太平洋賞特別賞、サントリー学芸賞、読売・吉野作造賞を受賞。著作に『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(ミネルヴァ書房)、『朝鮮半島をどう見るか』(集英社新書)、『韓国現代史』(中公新書)、だまされないための韓国』(講談社、浅羽祐樹 新潟県立大学教授と共著)など。監訳に『ビッグデータから見える韓国』(白桃書房)。

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