2016.10.06
都市に住むことの本当の価値とは?――「東京一極集中の弊害」論の誤り
今、世界中で都市への人口一極集中が起きている。日本においても東京中心部の移動が活発化する中、政府は地方移住の促進など人口拡散を目指す政策を進めている。しかし、そもそも都市への人口集中は何が問題なのか。どこに住むかの重要性がかつてなく高まっている現代において、都市に住むことの本当のメリットとは何なのか? その真相に迫った本『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』(朝日新書)の著者、速水健朗氏にお話を伺った。(聞き手・構成/大谷佳名)
東京で今、何が起きているのか
――今日は『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』の著者である速水健朗さんにお話を伺います。この本のテーマについて教えてください。
いまの日本の人口政策は、東京への人口一極集中を食い止めて、地方の都市に人口を分散させようという方向で進んでいます。でも、都市中心部への一極集中という現象は、世界的に起こっていることなので、政策でそれが止まるみたいなことは、ナンセンスなことなんです。
こうした「人口拡散」の議論を引っ張っているのは、日本創成会議だったり、その座長でもある増田寬也氏の編著でベストセラー書『地方消滅―東京一極集中が招く人口急減』でもある。
この中に対談相手として登場する経済学者の藻谷浩介氏が提唱する「里山資本主義」も、アンチ都市集中を標榜するコンセプトです。これらは、裏には「嫌経済成長」であったり、「反資本主義」といった真っ当な政策議論以前の、経済原理を無視した非科学的な感情が混在しているとしか思えない部分があります。
日本創成会議のそもそもの趣旨は、東京の代わりに地方の中規模都市に人口を集中させろというものでした。しかし、それを受けて進んでいる「地方創生」という政策は、単に分散、ばらまきにしか見えないものになっている。
基本的に、僕の本はこれらの反都市派への反論です。ちなみに、経済学者のエドワード・グレイザーが書いた『都市は人類最高の発明品である』を始め、同じく経済学者のエンリコ・モレッティによる『年収は「住むところ」で決まる』、リチャード・フロリダの『クリエイティブ都市論』などは、どれも優れた都市論ですが、その議論の中心は「都市集積」の価値についてで、むしろ都市間格差なんかが議論されています。その中で、人口を都市部に集中させるなという日本の流れは、やはりナンセンスとしか思えない。
僕の本でもこれらの都市論は参照しているんですけど、具体的に扱っているのは、いまの東京の都心回帰がどのようなものなのかということです。例えば、「都市部への一極集中は戦前から起こっていることと何が違うの?」って人もいると思うんですけど、実はまったく違うんです。
かつての東京一極集中は、東京の周辺部への拡大を伴うもので、むしろ中心部は空洞化して、夜間人口が都心ほど低いという性質のものでしたけど、いまは東京中心部3区(千代田、中央、港)という最も中心部の人口が増えているんです。なぜこうした変化が起こっているのか? それに挑んでみたというのが本書です。
タイトルからは誤解されることも多いですけど、都市集中なのか分散(反都市)なのか。いまの日本を2分するであろう政治的なイデオロギーについて考えてみようという本なんです。
さらにその議論の行き着く先として、なぜ世界的に人は都市に住むようになっているのかについても解明する必要があります。都市に住むことは、高い家賃を払うということに留まらず、人混みの中で暮らすこと、騒々しい生活を享受することなどを意味します。にもかかわらず、人はそれを選んでいるから都市に人口が集中する。
つまり都市には、一見不合理に見える「負の経済外部性」が山ほどあるのに、なぜ人はそれを享受するのかという問題です。この辺は、都市を考える上での本質的な問題です。
中心部への集中は自然な流れ
――東京中心部への人口集中が始まったのはいつごろなのですか?
2000年代以降です。というのも、当時、国土計画上の重要な方向転換があったのです。でもそれって、あまり知られていないんだと思います。
具体的には、資源の地方への分散を進めるための政策であった工場制限法などが撤廃されました。その前後で、タワーマンションが作られるきっかけでもある容積率に関する規制緩和も1990年代末に行われています。これらの転換によって都市中心部への人口移動が始まります。
――都心回帰をする人々はどのような層なのでしょうか。
典型は高齢者層です。彼らはかつて郊外のマイホームに憧れを持った世代。当時は、「郊外の団地に住む=中流階層=憧れ」という刷り込みがありました。ちなみに、「夢のマイホーム」という物語は、戦後の家族を考える重要なキーワードでした。
建築デベロッパー的にも、中間層が増えるという意味では国策としても、これらの物語は、誰にとっても幸せなものでした。郊外のマイホームは、同時に長距離通勤を仕方がないものとして受け入れるものでもあったので、犠牲者はお父さんであったとも言えますけど。
都心回帰の中心層は、まさにその郊外に憧れたかつての団塊世代です。その層の一部、ある程度裕福な層が、クルマ中心の郊外型生活を抜け出して、都心の利便性の高い暮らしを求めるようになっている。タワーマンションに越してきて暮らす中にも、引退夫婦みたいな人たちは実は多い。
逆にいま、郊外生活に利便性を感じるのは、クルマで移動して、低価格の量販店やファミリーレストラン的な外食産業を利用する小さい子どもがいるファミリー層でしょうけど、こうした郊外でのライフスタイルというのは、高齢者が満足を得られるものではありません。
実際、僕の義理の両親なんかは、郊外のニュータウンの一軒家を手放して、都心に回帰した典型ですけど、義母は大学のシニア向け講座や美術展に足を運んだり、都心ならではの文化的な生活に満足しています。義父は、クルマを手放したせいでゴルフに行くのが億劫になったりしていましたが、近所のゴルフ教室で一から手ほどきを受けたりして、最近は新しい生活を楽しめるようになっているみたいです。
ではなぜ「夢のマイホーム」という人々の物語が終わったかというと、単純には都心部の住宅供給が増えたからです。バブル期には、それを行わなかったら土地が投機対象になって地価が急騰してバブルが生まれた。
経済原理のなすがままに任せると、人口は都市の中心に集まっていくのです。それを無理やり規制で押さえつけることで、これまで郊外化が進んでいたわけです。2000年代以降は、その轍を踏んで都心部の住宅供給が行われるようになった。その結果、自然な流れとして都心に住むことができるようになったんです。
あと、1、2時間もかけて通勤することのデメリットに人々は気づき始めている。これは取材を通じて感じたことでもあります。現に若い世代は、郊外に憧れることもないので、自由に都心に近いところに住もうとします。「夢のマイホーム」という憧れを持つ人たちもいなくはありません。40代以降のわりと裕福な層に限られますけど。
飲食が街の姿を変える
――都心部で特に住みたい場所として選ばれるのは、どのようなところなのですか?
不動産業者や都市計画の人たちに聞いた話ですけど、80〜90年代の住みたい場所として人気があった場所、人が住む場所の指標としてまかり通っていた考え方は、近くにコンビニエンスストアとレンタルビデオ店がある物件だったそうです。しかし、今はそんな時代ではない。
コンビニは当たり前に、田舎でもあるし、レンタルビデオ屋は、必要なくなりむしろ減っています。じゃあ人は何の近くに住みたがっているのか。答えは、活気のある商店街とお気に入りの飲食店なんだそうです。てっきり、24時間型のトレーニングジムとかそういうものかと思いきや、ぜんぜんそうではない。
若い世代に人気があるという意味では、実は中央線の人気は不動です。商店街も活気があるし、深夜でも営業している飲食店が多い。やっぱり中野や高円寺といった中央線の沿線の都心に近い地域は人気が高い。しかし、僕の本は、そうは書いてません。
むしろ、あくまで中央線は、初心者向けの街というスタンスです。これは、取材の結果そうなった。中央線の街は、ちょっと保守的だし、1980年代、90年代の残り香が強いんです。むしろ、もっと上級者が選ぶ街は、そういう場所ではなくなっているというのが、本書の趣旨でもあります。
僕が推しているのは、都心に近いやや東側の街。例としてあげているのは、日本橋人形町です。ここは、都心に近い利便性と、古くからの老舗が多い下町風の飲食店が残っていながらも、バルやオーガニックレストランのような新しい形態の非チェーン店系の飲食店も増えている。古い東京と新しい東京のハイブリッドとして多様性のある街です。こういう場所が、いまどきの住む場所としてのポイントが高い街になっています。
これは多くのヒアリングを通して僕が感じたこと、さらには都市計画系の人たちともよく話すことなんですが、今求められているのは「根付いて暮らす」感覚なんです。勤務先の会社ではないコミュニティを持つことの重要性として、地元になっている。だから商店街や下町風情が人気が出ている。
現代的な都市生活は、長距離通勤をしない、住む場所の近くで遊ぶ、の2つ。それは、「職住近接」「食住近接」ということになる。これが結果としての都心回帰です。あと飲食の場所が、新橋銀座新宿といった繁華街から、住宅の街に移動しているというのもあると思います。街バルブームなんかが典型です。
――なぜ、飲食を中心に街の様子が変化しているのですか?
これは、世界的な流れです。クラフトビールやクラフトフードなどで重要なのは、これらのお店が、どれも地元に根付いた都市文化の新しい形だと言うこと。つまり、ポートランドやブルックリンなどの都市部で起きている食文化の新しい流れは、都市への人口集中と結びついている。実は僕はこうした流れを、住民自治の意識が高いという話と結びつけるのは苦手なんです。
チェーン店の大量生産大量消費型経済が終わろうとしているという話、ポストリーマンショック的な消費意識の変化。それはあまり乗れない。乗れるとしたら、集積度の高い都市ならではの、多様な消費文化という解釈です。
『フード左翼とフード右翼』(朝日新書) という本でも書きましたが、都市の人がオーガニックが好きで、地方の人がジャンクフードが好きなわけではなく、都市には人が多いから、オーガニックで高価なレストランを利用する人もジャンクフードも生き残るだけの消費の多様性があるという話です。
あと食と都市文化を考える上で、日本独自のものとしておもしろいのは「横丁」ですよね。東京には多くの横丁が存在します。赤羽のOK横丁、北千住飲み屋横丁、大井町駅東口東小路、吉祥寺ハモニカ横丁などです。その多くは、かつて闇市として生まれてきたという歴史があります。かつては治安も悪く、サラリーマンしかいなかった横丁が昨今はもっと幅広い年代の人たちで溢れる場所になっている。
なぜ流行ってるのかというと、安くて質のいいフードを提供する店が多いから。都心部って地価が変動するから、実は飲食店に向かないんです。経済学者のタイラー・コーエンは都心の地価の高い場所のレストランは、おすすめしないという言い方をする。家賃という固定費を前提として、業態や価格帯、サービスのレベルを考える飲食店において、家賃が大きく変動する都心部は、向かないというのがコーエンの主張です。
その意味では、横丁は、都心にあっても家賃の変動が少ないんだそうです。なぜなら、ここはある種の既得権益で守られている。地価の変動とは別に、土地専有権で守られているので家賃の振れ幅が小さい。ある種の経済特区的な側面がある。
それに加えて、昨今の人手不足を伴う人件費の高騰で、かつてのデフレ特化型チェーン系飲食店が、これまでのコスト計算での経営が維持できなくなっている。個人店舗の飲食店が太刀打ちできる時代が、こうした経済的背景で生まれつつある。
こうした横丁のある街は、住む場所としても人気が出てきています。以前と違って治安も悪くないので、女性の比率も高くなっています。本の中では、北千住なんかを取り上げています。
都市が持つ最大の経済外部性
――「職住近接」の暮らし方に変わってきているのは、なぜなのでしょうか。インターネットが普及して、これからは離れた場所でも仕事ができる環境になるのではと想像しますが。
有名な未来学者のアルビン・トフラーが『第三の波』(1980年)という本で、近い将来、都市はなくなるという予言しているんです。つまり、テレワークが進み在宅勤務ができるようになれば、人はわざわざ家賃が高くて混んでいる都市に住む理由はなくなると。しかし、実際には都市の時代になってしまった。
トフラーの予言がなぜ外れたのか。彼は、交通テクノロジー、情報テクノロジーの発展によって、移動のコストが安くなれば、人はどこに住むという「場所」へのこだわりそのもののコストが安くなると考えたんです。あと一方で、第2の波=製造業の時代の基本原理が「集中」、つまりは人口と工場の集積が利益をもたらした時代が終わると、「分散」の時代になると予言したんです。その結果、都市はなくなると予想した。
でもそれは間違いだった。交通と情報のテクノロジーによって、移動のコストが安くなったのは予想通り。では何を予測しそこなかったか。それは都市の外部経済の部分です。彼が考えていた都市の負の経済外部性は、都市のデメリットである「混雑」「大気汚染」の2つでした。
でも正の経済外部性は考えていなかった。それは「人と接することで得られる知識や情報」だと思います。後者が勝ったというのが、都市への人口集中という結果と考えるべきです。
現代の都市では、「渋滞」は時間差出勤や公共交通機関の発展によって1970年代よりもかなり改善された。都市の自然環境は、郊外よりも随分まともになった。これは先進都市の話なので、北京みたいな場所は別ですけど。
トフラーは、「集積」の時代の次は「分散」の時代になると思っていましたが、実際には「さらなる集積」の時代になった。これは意見が分かれるところかも知れませんが、僕は「在宅勤務」「テレワーク」は、大規模には普及しないと思います。
実際、Yahoo!のように、「在宅勤務は禁止」と明確に言う流れの方が進むんだと思います。Yahoo!にせよGoogleにせよ、現代の最先端の企業はすごく「近接性」のメリットに対して意識的です。彼らは、都心のど真ん中にオフィスを構える。なぜなら、彼らのビジネスは「アイデア」を生むことだからです。
アイデアは、人と人の接触から生まれるし、他社との接点に生まれる。都市は、こうした他社との接点の宝庫だから価値がある。それが都市が持つ最大の経済外部性です。
「都会に住むのが後ろめたい」気持ち
――一方で、最近ではメディアでも「田舎暮らしブーム」などと言われ、地方移住が大きく取り上げられています。
最初にも話したように「脱都市」や「里山資本主義」のような考え方が人気を集めています。大都市を基盤とした経済を見直し、独立した小規模な経済システムをつくろうという考え方です。
少子化による人口減少で地方が消滅していく。それを避けるために地方移住をしよう。そもそも東京は混みすぎているから機能を分散しなければいけない。そのような議論が前提になっている。そこまで政策的な話ではなくとも、「やっぱり田舎で暮らしたほうがいいよね」という話ってすごく受けるんです。
なぜかというと、「都会に住むのが後ろめたい」という感情がある気がする。それは、人工的に都市開発を進めること、農業生産物がある農村から離れた場所で、人がまとまって住むことの後ろめたさ。だから東京への一極集中って、なんかやめた方がいいみたいに人は思ってしまっている。
けど、多くは嘘ですよ。なぜかなくならないのが「都市集中は自然環境破壊につながる」という誤解です。でも少し考えてみれば、都市生活の方がエコだとわかるんです。
実際、一人当たりの石油資源のエネルギー消費率は、都心になればなるほど少ない。一番わかりやすいのは、クルマの保有率が低いのは、東京や大阪といった大都市部。東京や大阪では公共交通機関を使う率が高いからです。絶対数が大きいからエネルギー消費が多いと思われがちですけど、1人当たりで考えないと意味がない。都市の方が圧倒的にエコ。
あと、1人当たりの住む場所の面積にしても大都市部の方が少ない。これが最大のエコロジーでしょう。でも都市生活を支える大量輸送のために、大量にエネルギー消費を行っているじゃないかという反論があるかもしれない。
「フードマイレージ」という、食品が加工、流通のために一箇所に集められてから全国に流通する際の余分なエネルギー消費を批判する考え方がありますけど、これも地産地消が正義で、食品の流通は悪というイデオロギーが強すぎて、前出のタイラー・コーエン(『エコノミストの昼ごはん――コーエン教授のグルメ経済学』)も環境地理学者のルース・ドフリーズ(『食糧と人類 ―飢餓を克服した大増産の文明史』)も明確に否定しています。
「都会に住むのが後ろめたい」から、都市こそエコロジーといった方向に人々の意識が変わらないと、「反都市主義者」による「人口の拡散」論が後を絶たないでしょうね。
(本記事はα-Synodos vol.200号から転載です)
プロフィール
速水健朗
1973年石川県金沢生まれ。パソコン雑誌の編集者を経て、現在はフリーランス編集者、ライター。専門分野は、メディア論、都市論、ショッピングモール研究、団地研究。TOKYO FM『クロノス』にMCとして出演中。主な著書に、『ラーメンと愛国』『団地団』『都市と消費とディズニーの夢』『フード左翼とフード右翼』『東京どこに住む?』など。