2017.09.22

被差別部落と結婚差別

『結婚差別の社会学』著者、齋藤直子氏インタビュー

情報 #結婚差別#新刊インタビュー#被差別部落

ちゃんと差別のことを語ろう

――齋藤さんが被差別部落の結婚差別に興味をもったきっかけを教えてください。

私は死ぬことや葬式が怖い子どもでした。でもそうやって怖がることが、死に携わる人の差別につながるんじゃないか、だから乗り越えようと思ったんです。大学時代の卒論では地域で葬式をやっていた時代のことや、葬儀屋さんに聞き取り調査をしました。

大学院ではもう少し差別の問題を掘り下げようと、部落問題を研究することになります。結婚差別の研究をするきっかけは、2000年に大阪府が行った「同和問題の解決に向けた実態等調査」に参加したことです。どんな差別を受けたのか40人ほどに聞き取りすると、話された被差別体験の多くが結婚差別でした。

当時は、「差別」を中心に聞き取る従来の方法に批判的な生活史調査が流行っていた時代です。2002年には同和対策事業特別措置法を後継した法律の終了も決まっていて、部落問題はもう店じまいだと思われていました。いまさら差別を扱うなんて古いんじゃないかという空気もあって。でも実際に話を聞くと、差別はある。世の中の潮流からは離れてしまうけれど、ちゃんと差別のことを語ろうと思いました。

――部落差別の状況は改善しているのでしょうか。

難しい質問ですね。「良くはなってきている。しかし、新しい形になっている」と答えます。運動や行政の努力によって、明治時代のようなひどい状況はなくなってきています。かといって「なくなった」わけではありません。

また、「根強い」と言ってしまうことで、「そんなに差別が厳しいのであれば避けよう」と若い人たちが思ってしまうんじゃないかと危惧しています。冷静に事例をあげ、現状を伝えることが一番だと思っています。

では、何が新しいのか。結婚差別を例にとってみると、時代とともに、お見合い結婚から恋愛結婚へシフトしています。簡単に比較できるものではありませんが、ある程度の信頼関係がある恋人との縁談が破談になる場合、よりつらい思いをする人も出てくると考えられます。

またインターネットによって、相手の住所や、それに基づく「身元調べ」が比較的簡単にできるようになりました。今まで部落と無関係だと思って生きてきた人も、じつは親が部落出身者であることが、結婚のタイミングでわかることもあります。Q&A形式の掲示板では、部落の所在地を問うものが後を絶ちません。

部落差別はもうないのか?

――なぜ結婚のときに差別があらわれるのでしょうか。

結婚は、自分たちのメンバーに迎え入れるものだと日本では考えられています。部落出身でない人がはじめて部落差別問題の当事者になるのが結婚なんです。「差別していますか」と聞いて、していると正直に答える人はいませんが、被差別部落の人と結婚しようとしたときに、その相手や親がなんと言うのか。差別する側の行動が浮き彫りになります。

しばしば私たちは、差別される側の人たちは「なぜ差別されているの?」と問いかけてしまいます。しかし「なぜ差別しているの?」と問うた方が差別の構造がわかるのです。差別の主体は差別している側なんですから。

――では、なぜ「差別している」のでしょうか?

その理由は重層的になっています。

たとえば、近代身分制に基づく差別です。身分制度なんてとっくに無いのに、「身分が違う」と近代以前の身分制度を持ち出して差別します。貧しいことへの差別もあります。身分制度が無くなったのち、仕事を失った部落は窮乏化するのですが、その時のイメージから差別するのです。今は同和対策や戦後の経済成長の結果、生活は向上しています。

同和対策が行われると、「部落だけずるい」「あいつらは特権を得ている」とねたみ意識も生まれました。これは高史明さんが『レイシズムを解剖する』で言及していた「新しいレイシズム」(注)です。

(注)「あいつらは劣っている」と差別する「古いレイシズム」と区別される。「新しいレイシズム」では、「差別はすでに存在していないにも関わらず、差別に対する抗議を行うことで、不当な特権を得ている」と考え、むしろマジョリティの側が「逆差別」されていると主張する。

さらに、「理由はわからない」差別もあります。みんなが避けているから避けようと考えるのです。そうなると、もう部落問題の範疇とはいえないのですが、しかし、部落差別のひとつの大きな根拠になっているともいえます。

――以前、部落問題を扱った記事(東京に部落差別はない?――見えない差別を可視化するBURAKU HERITAGEの挑戦)をSYNODOSで掲載した際、「そのまま放っておけば差別はなくなるのに」という意見がありましたがどう思われますか。

これは、「寝た子を起こすな論」と言って、部落問題では昔から散々議論されてきました。差別があるにも関わらず、声をあげさせない。「マイノリティは黙っておけ」と言っているのと同じです。明治や大正の時代には部落や部落出身者が襲撃されたる事件がありましたし、戦後も例えば未就学の児童が多いといった状況がありましたが、そのような時代から考えるとかなり改善していますが、それは当事者運動が声をあげてきた成果ではないでしょうか。

しかし差別は続いています。2003年には100人以上の被害者がでた「差別はがき」事件がありました。部落出身者やその人の自宅周辺に差別的な内容のはがきを送り付けたり、名前を偽って高額な書籍や教材などを注文したり、その人の名前を騙ってハンセン病療養所に非常に差別的な内容のはがきを送りつけたりしたのです。

自宅周辺ではがきを受け取った人の中には、部落問題のことはよくわからないけれども、このような気味の悪い事件が起こるのは迷惑なので、被害者の方にこの町から出て行ってほしいと言った人もいます。現在も類似の事件は続いています。2011年には身元調査のために戸籍謄本が大量に不正取得された「プライム事件」も起こります。部落出身者の住所や、部落の地名がインターネットにさらされる事件が現在、問題になっています。

このような状態の中で、被害者が黙っても、差別だけが続いていくのではないでしょうか。「自然になくなる」というのは、自分が無関心でいたい気持ちへの言い訳です。当事者の側が「もう放っておいて」と思う気持ちと、関係ない人が「放っておけ」と言うのは意味が違います。

「夢を見るな」と言いたくない

――具体的にどのような結婚差別を受けているのでしょうか。

本の中から、実際の事例を紹介できればと思います。

【大阪 20代部落出身者 男性2000年】

良平さんは結婚前に、彼女に出自をうちあけた。彼女は良平さんが部落出身であることを「全然OK」だと思っていた。交際中はなにも言わなかった両親であったが、結婚の意志を親に告げたところ、反対を受ける。

このとき、彼女の両親は「私たちは反対しないけれども、妹の彼氏の母親が反対するんじゃないか」と言うんですね。

――妹の彼氏の母親……遠い関係ですね。

そうです。この「妹の彼氏の母親」が実際に反対しているわけではなく、憶測で言っています。そこには反論することができませんよね。説得する側が熱意をもっていても、誰に向かって言えばいいのかわからなくなります。

さらに、「妹に迷惑がかかる」と言われているわけです。そのことについて、「責任は取れない」と言えば「妹はどうでもいいのか、自分のことしか考えない」と言われ、「責任を取る」と言えば今度は「できもしないことを引き受けて、いい加減な奴だ」と言われてしまう。どちらにしても責められるのです。

私はいつも思うのですが、差別をする側の言い方ってすごく巧妙なんですよね。たぶん、この親が生み出したというよりも、どこからか学んでくると思うです。事例はそれぞれバラバラですが、社会構造の中で起こっているので、似たような反対の仕方が出てくるのだと思います。

――『結婚差別の社会学』を読むと、社会人になって自立していたとしても、親に反対されるのはすごく消耗することなんだと感じました。先ほどの良平さんの事例では、彼女が抑うつ状態に陥ってしまいますよね。

自分の親が自分の好きな人を差別しているわけですから、板ばさみになる人も、すごくつらいと思います。また、いきなり自分が当事者になってしまうことも、受け止めきれないという部分もあると思います。

――特に女性だと自分の結婚式に夢がある人もいます。

「結婚式なんかこだわるな」って言うのは簡単ですが、小さいころからの夢で人生のひとつの目標だと思っている人もいます。結婚や戸籍という制度の差別性もありますし、また結婚は内実が大切で、セレモニーにこだわる必要などないという意見もあると思います。しかし、結婚式に憧れてきた人や、親の祝福が子どもの幸せな結婚の条件だと考えている人もいるでしょう。

そんなときに「夢をみるな」ってアドバイスしたところで、それはアドバイスになっていないと思います。もちろん、いろいろ悩んだ末に、結婚式をしない、親の祝福は必要ないと、結果として本人が選択することもあります。でも、それは本人が決めることです。本人が望んでいないのに、結局マイノリティだけが我慢して諦めざるをえないなら、それも差別のひとつのかたちではないかと思います。

結婚制度や戸籍制度は、部落差別を含めたさまざまな差別を生み出しているということは確かです。ただ、それへの批判は、すべての人が取り組むべきことであるのに、いま結婚差別で悩んでいるマイノリティだけにそれを押し付けてしまいがちではないかと、釈然としない気持ちを持っています。私自身は、結婚制度に反対する取り組みと、結婚差別に反対する取り組みは、必ずしも対立するものではないと思っています。

聞き取りをしていると、「強くならなきゃしゃあない」という言葉を聞きます。差別に勝つためには、早く大人にならなきゃいけない部分がある。ふわふわと幸せでいることが許されない。それはすごくしんどいことです。

saito

結婚差別は乗り越えられる?

――結婚差別の聞き取りをして、意外だったことはありますか?

まず、2000年の調査のときに、意外と乗り越えているんやって思いました。この本でも、差別の実態を書くだけではなく、どのように乗り越えたのか、その事例も書きました。

私個人としては、理屈っぽいところがあるので、「正しければ勝てる」と最初のうちはなんとなく思っていたんです。でも人を動かすのは、理論はよくわからないけど、「しつこい」とか「粘る」とか、そういうところなんだと最近は思っています。

――事例を読むと、年月で関係性が変化していきますよね。子どもが生まれて態度が軟化したり、親が死の間際に差別したことを謝ったり。関係性は一回じゃ終わらずに、続いていくものなんだと思いました。

あるケースでは、相手の親から結婚の「条件」として、出自を口外しないこと、部落から引っ越すこと、子どもを産まないことなどを挙げられましたが、部落出身の男性が「そんなのできない!」と突っぱねるんです。それが逆に彼女の両親に「見どころのあるやつだな」と思われ、結婚することになります。

――なにがきっかけになるのか、ロジックで考えてもわからないですね。

そうですね。このケースでは、子どもを産むなという条件は反故にされて、夫婦には子どもが生まれます。すると、結婚に反対していた妻のお母さんは、孫が差別されるのが許せなくて、「部落差別はいけない」と主張するようになりました。こうやって関係性って変化していくのだと思います。

――この本でふれなかった部分はありますか。

この本は「結婚差別」をテーマにしているので、恋愛の時点であった差別はほとんど事例に入っていません。また、結婚差別は結婚をめぐる問題であるので、基本的には、結婚を前提にした議論になっています。しかし、部落の若者たちも、日本社会における晩婚化・非婚化の影響を大きく受けています。

それから、恋愛は「自然に」できません。意欲やスキルが必要です。ただでさえ、日本の多くの若者が「恋愛する」「恋人を作る」ことのハードルの高さを感じている中、マイノリティであることから恋愛を躊躇したり、過去の被差別体験から新たな恋愛や結婚に踏み出せないことは、たくさんあると思います。このような構造は、質的調査でも量的調査でも、明らかにすることが難しいかもしれませんが、きちんと聞き取っていかないといけないと思っています。

また、障害学研究の方が「障害者の場合、結婚している人もいるし結婚差別問題もあるけれども、そもそも結婚することが議論の前提になっているとはいえない」と話していました。

それから、在日外国人の友人たちから、同様の結婚差別の話を聞きます。今回私が「結婚差別」の枠組みを整理したので、これを基礎に他の分野でも恋愛や結婚をめぐる差別の研究が進んでほしいと思っています。

「私からお花の冠をあげます」

――自分や相手が結婚差別を受けた場合、どういった対抗手段があるのでしょうか?

結婚を反対されると、まずはびっくりしてしまい、反論できずに言われたい放題になってしまう。私が本の中で伝えたかったのは「よくある言い方だから大丈夫」と言うものです。反対されると、その論理に反論できなくて、自分たちの問題がすごく解決が難しいものだと思ってしまいがちですが、実はよくある言い方なんですよね。

授業で紹介すると、「自分の親もいいそう」と反応する生徒が多いんです。本を読んだ方からも「親が子どもに意見を押し付けるときによくある言い方に似ている」と指摘を受けました。

――差別を受けた場合、誰に相談に行けばいいのでしょうか。

結婚や恋愛はプライベートなことなので、相談するのをためらってしまうかもしれませんが、公的な機関でも、結婚差別の相談の蓄積がありますから、力になってくれると思います。法務局などの相談もありますが、各地の人権センターや隣保館、NPOなどでも相談を受けてくれます。担当者との相性もあるので、一度あまりよくなかったと感じても、相談自体を諦めないでほしいと思います。

月並みな言い方ですが、「ひとり(ふたり)で悩まないで」と言いたいです。結婚差別に関する情報を持たない上に、ふたりだけで対策を練ろうと思っても、堂々めぐりをするだけで、よいアイデアはでてこないと思います。情報と相談によって、問題が整理されていき、次に何をすべきかが見えてくると思います。

ちょっとハードルが高いなと思う人は、自分が学生のころに信頼していた先生でもいいでしょう。色んな人の話を何回も聞いている人たちは「ようある話やな」と言ってくれると思います。また、その先生を通じて、人権問題に詳しい先生などにつながっていけるのではないかと思います。つながりの中で、出会いがあるのではないかと思います。

――『結婚差別の社会学』では、淡々と差別の事例を分析していますが、支援者にインタビューをした最後の章(10章「支援」)では、齋藤さん自身も前に出てきて、ぐっと文章の温度が上がっていきますよね。

【第10章「支援」より引用】

吉岡 結婚差別や就職差別が、急にきたとき、「自分が悪い」と思ってしまう。だから遺書がみつかることは少ないけれども、遺書を読むと、相手に対する憤りは、ひとつも書いてないよ。「お父さんお母さん、早く自分が死ぬことを許してくれ」って書いてある。「相手が悪い」とか、相手を「差別糾弾する」っていう遺書なんか、見たことない。全部、自分の親に対して、すまんと書いてある。だから死ぬんですよ。「こんちくしょう、許せんぞ」って思っていたら、死なない。

――それやったら戦いますよね。

吉岡 そうですよね。だから運動が必要なんです。ぼくはそう思う。

――自分を責めてしまうわけですね。

吉岡 そう、せめてしまう。自分に非があると思うわけ。そして、悶々としているけど、相談する相手すらいないと。いたら、また違うね。だから、部落の中でも、自殺して、何も遺書がない、しかし、ちょうど恋愛での結婚の時期だったというのは、そんなのは気になる。

ひとは、差別への怒りで自死するのではない。親と自分との板挟みで苦しむ相手をみて、こうなったのは自分が部落出身であるせいだと思い、身を引くしかないと思ったときに、自死を意識したと、吉岡が述べている。部落の青年が自死したと聞くと、そのことが頭をよぎる。

【第10章「支援」より引用】

高橋がかつて支援したケースでは、部落の側の父親がその役を果たした。高橋とカップルの3人で、父親に会いに行ったときのことである。

高橋 (部落出身の側の)お父さんに会わせてもらったんだけど、そのときお父さんの表情と言葉が忘れられない。黙って二人のことを聞いていて、そのうちに大きな声で泣きはじめ、涙をボロボロ流して、しばらくして一言だけ、このお父さんは娘たちに向かって「お前たちふたりは、どんなことがあっても、俺が守るから」、それだけでした。すごく大事なものがいっぱいあった。

悩んでいる人を慰めるときの話って、エモくなって当然だと思っています。部落のおっちゃんの中には、自分が結婚差別を乗り越えているのに「若い子に色々言ったらダメかな」と遠慮して言わない人がいる。同じしんどい体験をした人の話って、支えてくれる力になると思うんです。

この本の表紙は自分でデザインして、自分で刺繍したのですが、そこにもささやかながら励ます気持ちを込めました。日本ではじめての当事者による部落解放運動団体である水平社のシンボルマークは、茨の棘の冠(荊冠旗)なんです。「殉教者が、その荊冠を祝福されるときがきたのだ」と、「水平社宣言」にあります。

でも茨の冠は痛いし、常にしんどい立場でいる必要はないと思っています。だからあなたには、私からお花の冠をあげます。そんな気持ちで、ちくちく刺繍をしました。必要な人に、届く本になってほしいと思います。

Lecture & Talk Event

私たちの部落問題vol.2 ―カミングアウトとアウティング―

 2017年9月24日(日)13:00-16:00(OPEN 12:00)

 http://www.loft-prj.co.jp/schedule/loft9/73287

プロフィール

齋藤直子部落問題論・家族社会学

大阪市立大学人権問題研究センター特任准教授。奈良女子大学大学院人間文化研究科単元取得退学。博士(学術)。専門は部落問題研究、家族社会学。主な著作に「結婚差別の社会学」勁草書房2017、「結婚差別問題と家族」永田夏来・松木洋人編「入門家族社会学」新泉社2017、「都市型被差別部落への転入と定着 – A地区実態調査から – 」大阪市立大学人権問題研究センター「人権問題研究」第10号2010など。αシノドスで、齋藤直子・絵×岸政彦・文「Yeah!めっちゃ平日」連載中。

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