2012.02.27
円高が好きな人たちの「正体」とは?
「あと、28・8兆円――」
今年の1月に発売され、早くも4刷が決定するほどの反響を呼んでいる『円高の正体 』(光文社新書)の冒頭、扉にはこう記されている。この金額の意味はぜひ同書を繙いていただくとして、そもそもなぜいま、この本は書かれなければならなかったのか。著者である安達誠司氏に飯田泰之が鋭く迫る、『円高の正体』シノドスジャーナルver.をお送りします。(構成/柳瀬徹)
強い企業と弱い政府
飯田 安達さんの書かれた『円高の正体』は、タイトルが「ある本」を思い起こさせてくれる点がとても良いと思います(笑)。
まず前半では、教科書的な解説がすごく丁寧に書かれていますよね。それは「新書」という形式に相応しいものだと思いました。最近の新書の多くは、かつては論壇誌が担っていたものの代替メディアになっている。
新書ブームの起こる前、十年以上前の新書の多くは、むしろこの本に近かったと思うんです。さすがにハードカバーの体裁で出すには入門的にすぎるかな、という語り方で難しいことをじっくりと伝える、それが新書のイメージだった。『円高の正体』を読んで、ブームの前の新書ってこうだったよなあ、いいなあ、と思いました。
安達 ありがとうございます。
飯田 内容について話を進めていきますと、ここ一年間の動向の特徴は、四つの主要通貨であるドル、ポンド、ユーロ、円のなかで、円の独歩高となったことと、ユーロのズルズルとした下落にあると思うのですが、証券会社のエコノミストとして安達さんは、どの動きに注意していらっしゃいましたか?
安達 いまおっしゃられたように、特に大震災直後からの円高というのが、いちばん大きなトピックですね。大震災でサプライチェーンが壊れてインフレになるかもしれないということと、円、株、債券がすべて大暴落するだろうということがさかんに言われ、金利も上昇するだろうと囁かれたりもしました。
でも蓋を開けてみると、株は確かに下がりましたけれども金利は非常に低位安定で、今もまだ1%を割っています。為替も、ここにきてようやく日銀の金融緩和があり1ドル80円前後まで戻しましたが、ずっと76円後半、一時は75円台までの円高となっていました。これは阪神淡路大震災の時も同じようなパターンで、1月の震災後、円高のピークは6~7月でした。大震災で円高になってしまって、政府が右往左往している間に株が下がっていった。私は職場では日本経済担当なのですが、ここ1年の日本経済の最大のトピックは、復興需要というよりも、むしろ円高でした。
円高の1つの要因としてユーロの財政危機によるユーロ安があるといわれています。ユーロ安に関しては、ぼく自身は財政の問題ではないと思っていますが、ユーロという通貨を中心にした経済圏に対してNOが突きつけられた、ということになっています。1999年にユーロが始まって、98年あたりからすべての国の国債利回りがドイツの利回りに収斂していくというわけのわからない動きがあり、それにより一種のユーロバブル、ユーロブームができあがった。アイルランドなどでも不動産バブルが発生したわけですが、その反動でいま苦しんでいるのがスペインやギリシャなのかな、と思っています。バブルが崩れてしまって、ユーロは大丈夫なのかと懸念されている。
飯田 東日本大震災直後に『統計月報』(東洋経済新報社)の「エコノミスト・コンセンサス」を読んでいると、サプライチェーンへのダメージに関するもの一色だったんですね。ぼく自身も「サプライチェーンは切れた」「これはかなり深刻だ」と思っていました。でも、あっという間にある程度の水準まで回復した。日本の企業セクターはすごい、と本当にびっくりしました。
その後はタイの洪水まであったわけです。天変地異だけでオシャカになっていてもおかしくないほどの外的ショックを食らっている。それでも企業は大丈夫で、対照的に政府はどうしようもない、これが大きな特徴だと思うんですね。
そんななかで、円とユーロは対照的な動きをしました。でもこの一年の日本経済では、そこまで円が高くなる要因が揃っていたのでしょうか?
安達 それは、そもそも為替をどう見るかということに尽きますね。多くの方が「円安になる」と経済学的な意味での「期待」をしたのは、一つには日本の経済が壊れるだろうという予想もあったわけですが、もう一つは大規模な財政出動が行われ、それを金融政策がサポートする形での一種の緩和ポリシーミックスが早い段階であるだろうという予想があったと思います。一部の海外投資家などでも、大震災をきっかけに日本でもついにリフレ政策がなされるだろうという期待が、非常に大きくあったんですね。
実際は、たしかに最初はボーンと金融緩和しましたけども、いつも通りにボーンと出したあとにじわじわとお金の量を戻す、その繰り返しに終止してしまったので、いつものデフレのパターンにやっぱり入ってしまった。それが円高の最大の原因だと思っています。
貿易黒字で円高? 金利差で円高?
飯田 その一方で、ユーロはなんでこんなに安くなるのか、ちょっと不思議なのですが。ユーロは維持可能なんですかね?
安達 経済学者の方はよく「最適通貨圏」、つまり一定の条件のもとで同一通貨を使用した時に、経済効率がもっとも好ましくなる地域の規模についての議論をしますよね。その議論からすれば、ギリシャ、ポルトガルからドイツまでを含む経済圏など無理に決まっているんで、まあ、壊れますよね。
ただEU統合の歴史をずっと見てくると、ユーロはかなり政治的な思惑で作られてしまっている部分があります。ユーロ圏や欧州の政治的な分断が起こらない限り、ユーロも壊れないんじゃないかなと思っています。なんとかもたせようという方向で必死に努力するのではないか、という気がします。
飯田 為替レートへのよくある誤解が「為替は国力競争」みたいなイメージですね。そういう先入観がある人には、あちこちで綻んでいるEUで起こったユーロ安はすごく理解しやすい。だけど、それでは円高は説明できないですよね。
こんなに景気が悪いのになんで円が高いのか、みたいなイメージがある。ビジネス系エコノミストでも、ごくごく基本的な経済学の理解がむちゃくちゃな人がいるじゃないですか。よく「エコノミスト」って名乗れるな、というくらいに。
安達 そうですね。
飯田 「通貨の量は市場が決めるんだ」とか、ぼくもそういう批判を受けたりします。「いやいや、まずはマクロ経済の教科書の〈貨幣〉のところか、ミクロ経済学の〈独占〉の項をよく読んでください」と言いたいのですが……。安達さんも、そんな「誤解」と出くわしたりしますか?
安達 まあ、「強い円」イコール「強い日本」といった話はよく目にします。為替については起こった現象についてあとから説明するパターンが多いので、定量的な分析のようにシステマティックに予想するということがまったく行われていない。ある時は金利差による説明がされますし、ある時はなぜか景況感の格差で説明されて、その国の景況感がいいと通貨高になる、といった話になっちゃう。政治的な話にされたり、生産性上昇率で説明されたり、ありとあらゆる要因のうち、都合のいい説明でお茶を濁す人が、エコノミストよりもむしろ為替のアナリストの人に多い気がします。
あとは、やっぱり「経常収支説」です。経常収支の黒字と金利差、このふたつで円高を全部説明してしまうパターンはけっこう多い。
飯田 でも、経常収支は15年ぶりの低水準になっているので……
安達 経常収支説は破綻してしまった。そこでまた「通説」が変わってきているとは思うんですけどね。ですが、「経常収支黒字が円高の根本的な理由だ」と考える人は今も多いですね。
飯田 でも安達さんなら「円が足りないから円高。当たり前。以上」ですよね。ぼくも同じですが。
安達 そうですね。
飯田 そうじゃない人は、どういう理由で円高だと思っているんですかね。「金融政策は関係ない」という人たちは。
安達 経常収支の黒字が、ほぼ唯一のよりどころだったと思うんですけど、みるみる貿易赤字になっていますよね。そうなると残るのは、どうにも理解できない「金利差で決まる」という説明ですよね。
飯田 でも長期金利ですら、いまだにアメリカのほうが高い。
安達 高いですね。金利差が縮まってくることを円高の理由にしているんですね。アメリカでは金融緩和で金利大きく下がってきていて、日本は変わらないので、この差が縮まってくることが円高の要因なんだというのが、ほとんどの為替アナリストのロジックだと思いますよ。
飯田 まあ、それ自体はたしかに間違いではないですよね。
安達 間違いではないのかな。ただこれ、逆に債券アナリストに金利の見通しを聞くと、為替が原因だと言うんですよ。グルグル回って、いったいどっちなんだ、という話になっています。
あと「金利差説」への私の疑問は、どの金利の差なのかがコロコロ変わるんですよね。昔は10年国債の利回りでした。で、ちょっと前までは政策金利です。でも政策金利はみんなゼロになっちゃったんでもう使えないとなると、今度は2年国債だ、という。2年物の金利を予想するのってすごく大変だと思うんですけど、「2年国債の金利差と為替レート変動がぴったり合っています」みたいな説明がされるケースがかなり多い。まあ、事実としてはそういうふうになってはいるのですが、ロジックがよく分からない。なぜ2年国債なのか、と。
飯田 SYNODOS×BLOGOS「若者のための『現代社会入門』」の初回に出て改めてわかったことがありました。なんだか難しくてよくわからないロジックを、なぜかみんなすごく信じているんですね。でもモノの値段ってもっと簡単に決まっていると思うんですよ。
円高は、ドルで計った円の値段の値上がりです。例えばイチゴが最近値上がりしているそうですが、ふつうに考えればイチゴの需要が増えたか供給が減ったか、ですよね。今年は厳冬で、ビニールハウスで暖房をフル回転させてもなかなか暖まらないらしくて、イチゴがあまり育たず高くなっているそうなんですが。
安達 あ、そうなんですか。
飯田 つまりは供給減であって、そうでなければ急にイチゴブームが来て需要が跳ね上がっているか、どちらかだと普通は思うだろう、と。 こう言えばみんな「ああ、なるほど」って思ってくれる。でも為替レートについては、なぜか「ミカンとの品質差により……」みたいな議論が始まってしまう。なぜなのか、と思うんですよね。
安達 たしかにね。なぜでしょうね。
飯田 貨幣は特殊なんだという思いが強すぎるんですかね。もちろん普通の財と違うところはたくさんあるんですけど、でもいちばん基本的な論理を捨ててどうするんだ、と。普通に考えれば、円が高くなるのは円の需要が大きいか、円の供給が足りないか。もしくはその両方ですよね。
で、まず「円の需要が大きい」、これはどうやって起こりうるのか。
安達 「需要が大きい」ってありうるのでしょうか、という気がしますよね。
飯田 なるほど。そうすると、供給面しかない。
安達 ええ、供給しかないような気がするんですよ。
飯田 需要面で唯一ありうるとしたら、復興資金需要なのかな。「復興バブル」の資金需要は絶対値としては大きいですが、大勢を変えるほどじゃないと思うんです。第一、資金需要が旺盛ならばそれに応じて供給すべきだと言うだけです。そうすると、やっぱり供給しかないわけですね。
安達 そうですね。仮にドルの供給が一定だとすると、円の供給が増えれば円安になるし、減れば円高になる。こういうことを言うと反対意見がすごい勢いで飛んでくるのですが、基本的には円の供給が足りないので円高になっているということなんですよね。
円の供給元は日本銀行で、ドルの供給元は連邦準備制度(FRB)です。イングランド銀行(BOE)や欧州中央銀行(ECB)も含めてその供給量をバランスシートで見ると、明らかに日本銀行の円の供給量はほとんど同じ水準にとどまっています。
飯田 そうですね。BOEが3倍、FRBは2.5倍、日銀は1.1倍です。
安達 その差がはっきり為替レートに現れている、というふうに考えると、少ないから稀少になってしまっているということだけだと思うんですけどね。
飯田 ぼくも同じような主張なのでよくわかるんですが、あまりにも普通で当たり前すぎる理屈なので、書くと5行くらいで話が終わってしまう。
安達 そうなんですよね。説明が終わっちゃう。
飯田 1ページで本が終わっちゃうんですよ。だから、それをこの量まで書ききったのがすごいと思う(笑)。たしかにほかの要因もたくさんあるでしょう。でも、いちばん基本ですよね、「少ないものは高い」って。
安達 そうなんです。
“円高愛”にあふれた人たち
飯田 『円高の正体』の著者にお話を伺うせっかくの機会なので、ここでベタな質問をしておきましょう(笑)。円高だと、いったい何がまずいんでしょうか?
安達 まずは輸出企業にとって、製品の売値が円換算で高くなります。たとえば韓国のサムソン電子と日本のソニーがユーザから見て同じような商品を作っていたとしたら、円高になることによってソニー製品だけ値段が上がっちゃうので、その販売価格をどうするのか、という問題になるわけですよね。
飯田 そのままだと売れなくなっちゃう。
安達 円高になった分の値段を上げて、収益に対する影響をニュートラルにしようとすると、売上数は減ってしまう。ソニー買っていた人がサムソンに移っていく。そうなるとまずいので値段を変えると、同じ量だけ売れても円換算での収益が減る。売上の数量が減るか、もしくは収益が減るか、少なくともどちらかが起こるんですね。おそらく、両方起こるんです。
ものによっては値段を変えないで売らないといけないものもありますし、もちろん値段に転嫁するものもありますけど、それはライバル企業の競合商品がどうなっているかに依存して変わります。でも、とにかく輸出企業の収益は確実に減ります。いま収益が減ると、やはり労働コストを下げることになってくるでしょう。収益に対する人件費の割合は、どの企業もだいたい一定にしたいんですね。
人件費を削ろうとすると、給料を下げるか人を切るか、派遣社員に変えるかということになる。そういうかたちで失業者が増えたり、輸出企業で働いている人の賃金が下がる。そうなると、みんなモノを買わなくなるので、輸出企業とは関係ない国内企業の売り上げまで減ってしまうことになるんですね。だから円高は輸出企業だけじゃなく、非製造業と呼ばれるサービス産業にもけっこうな打撃を与えてしまいます。
飯田 その一方で、円高だと原油や原材料価格が安くなるので、経済にプラスなんだと言う人もいるのですが。
安達 円高のメリットは原材料購入価格が安くなり、値段を変えなければその分の利幅がとれるということですよね。ただ、原油価格の変動と為替の変動とどっちが大きいかというと、たいていは原油価格の変動のほうが大きい。原油価格が上がるときはものすごく高騰するので、多少の円高では全然相殺できない。製造業の利益を計算すると、円高により原材料コストが下がったことで収益性がものすごく上がるというのは、おそらくほとんどないですよね。
そのデメリットがあるので、円高で原材料コストが下がることの影響は、じつはそんなに大きくない。あと一部の方は、円高のメリットで海外企業を安く買えるからいいじゃないか、といった主張をしているのですが、それは個々の企業の話なので、はっきり言ってどうでもいい話なんですよね。
飯田 買いたい人は買う、というだけの話で。
安達 そう。買いたい人は買えばいいという話なので、それ自体にメリットもデメリットもない。円高は、現状では圧倒的にデメリットのほうが大きいですけどね。
飯田 さらに言うと、日本企業が作って売っているものは、原材料にちょっとだけ手を加えて売っています、というような単純なものではない。どちらかというと付加価値部分がほとんどですよね。
いまや先進国が作っているモノ、国際間でバンバン取引されているモノの多くは一次産品じゃない。価格のほとんどが原価ではない部分、つまり付加価値部分なので、ごく一部を占めるにすぎないエネルギーや原材料をそこまで重視してもしょうがない。無視できるわけでもないですけど、そんなに大きな要因であるはずもないですよね。
安達 そうですね。
飯田 なのに、なんでみんな円高が好きなんでしょうね?
安達 たぶん実感しやすいのが円高メリットのほうで、結局はデミリットが自分に返ってきても気づかない。円高還元セールで安く買えるからラッキー、とか、海外旅行に行ったらお土産たくさん買える、とか、そういう日常レベルの恩恵が頻繁にあるわけですよね。
製造業の収益が下がって給料が下がるという現象は、一年に一回といった頻度で起こることで、そっちのほうが大きいはずなのに、目立つのは圧倒的に小さな日常の恩恵なのでしょうね。また、新聞社やテレビ局の方も円高で給料が下がったりはしていないと思うので、メディア発信へのバイアスもあるのではないでしょうか。
飯田 なるほど。
安達 給料が下がらない職種の方にとってはメリットしかないんですよね。
飯田 物価についてのアンケートを見ると、この期に及んで「物価が上がっている」と感じる人はかなり多かったりするんですよね。やっぱり毎日繰り返す行動の印象は大きい。
安達 大きいですね。
飯田 生鮮食品の価格が上がると、すごい値上がりだとみんな思うんですよね。でもネギなんて、年間にせいぜい1万円くらいしか買わないでしょう。それは残業が一日減っただけですっ飛ぶような値上げ幅にすぎないのに。それが不思議ですね。毎日買うものだから、ですかね。野菜の値段が上がったりすると、すぐにニュースも取り上げるし。
安達 直感に訴えてしまうんですよね。円高のデメリットは直接にはこないで、色々なところに間接的に波及して、最後に「ぐるっと」回ってやってきますからね。
飯田 業績が悪化して、はじめてやってくる。
安達 業績悪化してもそれは別の要因があるかもしれない、となってしまいますしね。給料が下がることと円高がなかなか結びつかない。なにか別の要因で業績が落ちているんだからしょうがないや、となると、円高でモノが安く買えることの印象が強まってしまう。
飯田 なるほど。だから円高が嫌いじゃないんですね。
もうダマされないための金融政策ミニ講義
飯田 円高そのものの話ではないのですが、日本でここまで消費が伸びない、消費が頭打ちになる理由はどこにあるのでしょう? それは家計部門だけじゃなくて、日本の場合は企業部門さえもが貯蓄しているというのは、はっきり言って意味が分からない状態だと思うのですが、なんでこうなっちゃうんですかね?
安達 円高ともつながってしまいますが、賃金などが減って需要が伸びなくなってしまう循環にいったん入っちゃうと、ずっとそういう状況が続きますよね。特に日本の場合は、トレンドとして円高とそれによる悪循環がずっと続いているので、設備投資をしてもペイできないから投資しないでおこう、という行動になってしまう。かといって、その分を従業員に還元するかというと、企業も将来が心配なのでそれもできない。だから企業による貯蓄が増えてしまう。まあ、貯まってもそれにより何をするわけでもなく、たぶん銀行に預けているだけですね。いまは投資を控えようというのが、10年以上続いてしまっている。
飯田 そこから抜け出すために積極的な金融緩和を、という話になるのですが、円高がまずいという認識はようやく徐々に共有されてきている。でも、最近までやっていることは為替介入だけでした。
安達 そうですよね。
飯田 なぜ為替介入はこんなに効かないんですかね?
安達 日本銀行の協力がない、協力しない制度になっちゃっていますよね。財務省が円を売ってドルを買うことで為替介入をすると、円が市中に出る。円の量が増えることによって円安になる、というのは先ほどのイチゴと同じ簡単なロジックなのですが、同時に日銀はその市中の円を吸収するオペレーションを行っているので、結局はプラスマイナスゼロなんですよね。
飯田 吸収オペレーション、いわゆる「不胎化介入」ですね。たとえば円売りドル買い介入をした場合は、増えた分の円を市中から吸収してマネーサプライを一定にする。ですから不胎化介入には実効性がなく、通常、実効性を持たせる介入は非不胎化介入を行うわけですが、これは二重否定なので用語として良くないと思う。
安達 日本語としてよく分からない。
飯田 非不胎化介入、non-sterilized interventionしか本来はないはずなんですが、なぜか不胎化が原則になっている。
安達 そうですね。2003年4月からおよそ1年間続いた「テイラー・溝口介入」とよばれた大規模な介入は非不胎化でしたが、たぶんそれでも6割くらいの非不胎化で、4割は吸収しているはずなんですよ。震災後の為替介入は120%くらいの不胎化じゃないかと思います。つまり、出した以上に吸収している。
飯田 吸収していますよね。仕手筋やヘッジファンドが出てきたとか、そういうことがあるのだったら不胎化介入にも意味はありえる。相場の混乱を一時的に収める効果はあるのですが、今は一時的に混乱して円高になっているわけじゃない。完全に趨勢的な円高ですよね。
安達 たぶん趨勢的な円高については、ある程度まで許容してしまっているんじゃないかと思っています。東日本大震災のときはたしか20分ほどで3円くらい安くなったんですね。そういうのは起こるとまずいということで介入されますが、傾向として円高になっていること自体は、なぜか許容されている。
飯田 問題視されていないですよね。
安達 じわじわと円高になっていくのを止める、というつもりはおそらく毛頭なくて、瞬間的なショック以外は全然止める気配がない。
飯田 「為替相場は自由な取引によって市場が決めているんだ。だから国にできることは何もない」と言う人がいますが、いつから国が貨幣を作れないことになったのか。または、いつから中央銀行を含める広義の政府以外が貨幣を造れるようになったのでしょう。「日銀は国の組織ではない」という感覚って、どこから生まれるんでしょうね。
安達 たぶん、為替とか債券の取引の世界はものすごい「村社会」のなかの話で、日銀はその頂点に君臨する、そんな構図がイメージとしてあるのかな。金融市場ではまず日銀がお金を出して、そのお金をもとに資金の融通をしあう。日銀はようするにゲームの親なんですよね。親として君臨しているので、その村の秩序を壊したくないから無茶もしたくない、そんな構図がある気がするんですね。
飯田 まあ、「中の人」がそうするのはまだ分かるんですが、絶対に日銀から何ももらえないはずの人まで、すごい数の「外の人」たちがいる。「日銀の独立性は神聖にして侵すべからず」みたいなことを言う人がここまで多いのは不思議でならないですよね。
安達 エコノミストだったら、日銀の審議員になるという夢があるのかも知れませんね。マスコミの方もそうですよね。それと、日銀とコンタクトをとることによって有益な情報が得られるんじゃないか、みたいな期待があるのかもしれない。
飯田 でも、そこまで甘い組織じゃないですよね。
安達 そうですよね。それでもみんな批判的なことは言わない。お金の量が足りないんだ、みたいなことは言わないですよね。
飯田 足りないから高くなる、火を見るよりも明らかな論理だと思うんですけど、なぜか「複合的な要因」にされてしまう。「具体的に何と何の複合ですか?」と聞いても誰も答えられない。
安達 そうそう。答えられない。
飯田 そういう意味ではアメリカは、思いきり金融政策のアクセルを踏みましたよね、
安達 そうです。リーマンショック以降、QE1とQE2とよばれる量的緩和をしてバランスシートを拡大させたら、すぐに為替レートがドル安になった。ものすごく分かりやすい関係性です。今もインフレターゲット導入宣言をしてから、やっぱりドル安になってきているんですよね。金融政策の効果が明らかに為替に表れていることは、ドルを見ればはっきりしていることです。
飯田 日本の新聞は「アメリカが量的緩和政策をにおわせたので、ドルが安くなりました」という記事の隣で、「日本では量的緩和をしても効きません」と書いたりする。なんだそれ? と言いたいですよ。これまでは「日本は金利がゼロだから効かない」などというのを伝家の宝刀のように使っていた。「アメリカもゼロですが、何か?」って、完全に論理破綻です。アメリカでは金融政策が効いているんですから。
安達 「でも日本では効かない」となっている。
飯田 それが謎ですね。
日本経済再建の「本丸」は公務員給与にあり?
飯田 ただ、一つだけ日銀寄りの人が言うことが正しいのは、今回のバーナンキFRB 議長の「2%宣言」は、いわゆるインフレターゲットではないんですよね。たとえばイギリスのようなインタゲではない。
安達 つまり法的な拘束力がない、ということですね。
飯田 そうなんです。その違いがあるのは確かですが、でもやっぱりバーナンキが言うと効くんですよね。
安達 ただ、ステートメントを見ると、2%というゴールは書いてあって、そこにいたるFRBの考える経路も書いてある。だからコミットメントの仕組みはできているので、それはインフレターゲットであると……
飯田 言ってよい、と。
安達 少なくとも経済学部的には、インタゲだと言ってよい。法学部的にはダメなのかもしれない。
飯田 ああ、なるほど。だからやっぱりアメリカでは効いている。
安達 効いていますね。
飯田 日本でも「効く」ようにするためには何が必要なんでしょう?
安達 基本的にはコミットさせないといけないと思うんです。誘導目標を法的に定めるためにはどうするか、とか。ちゃんと明文化してやらないとやっぱりダメだと思いますね。
飯田 でも、明文化してもやらなかった場合は、どうしましょうか?
安達 その場合はどうしましょうか? 達成期間の設定と、罰則規定を作るんですかね。
飯田 いちばん恐いのは、法律で2%と決まったとたんに、日銀が徹底した吸収オペレーションをやって、もっとデフレにして「インフレーションターゲットをやったらデフレになりました」って言いはじめることです。そうなったらどうしようか、と。
安達 なるほど。しかしそれは……
飯田 けっこうあり得るんじゃないかと思っているんです。
安達 結局、目標値を日銀が決めちゃいけないということですよね。
飯田 そうです。さらに言えば、デフレ下では手段の独立も与えないほうがいいんじゃないか、とさえ思うことがあります。おそらく2%のインフレーションターゲットを法律で定めたとしても、何もしないというオプションがありますから。あとインフレ率が上がってきても、例えば2000年と06年のゼロ金利解除みたいに、将来に高いインフレ率が予想されたとかいって引き締められたら……
安達 絶対に効かない。
飯田 だからその意味でも、いまはすごくまずい状況にあるんじゃないかと。南宋の末期とか、朝鮮が日本に併合されたときとかって、けっこうそのノリだったりするそうです。官僚がライバル組織に対抗するために、国を滅ぼしてしまう。
安達 ああ、なるほどね。だからもう日銀ではなくて、公務員の給与額を名目GDPに連動させるとか、そういう拘束ですね。
飯田 そう、まったくそれだと思いますね。
安達 インセンティブを与えないといけない。
飯田 誰かがツイッターで言っていたんですが、地方公務員の給与は原則としてその地方の経済水準にがっちり連動させられている、と。
安達 まあ、たしかに。
飯田 なぜ国家公務員は日本経済に連動させていないんだ、と。そのとおりでございます(笑)。
安達 そうですね。だから公務員の給料を、名目成長率とリンクさせちゃえばいいんです。
飯田 公務員の毎月の給与は民間の給与水準と連動させる、ボーナスは名目GDPに連動させる、といったシステムにすると全然違ってくると思いますよね。
安達 全然違いますよね。もう、そういうインセンティブを与えないといけない。
飯田 マイナス成長だったらマイナスにします、と。企業だって業績に連動させますよね。
安達 それが当たり前のような気がするんですよね。外部ショックで業績が悪くなっても、民間会社は責任取りますからね。「一生懸命やりましたけどダメでした。だから給料は減らしません」ってことはない。
飯田 ない。そんなのはあり得ないですよ。例えば製造業なんて、この円高による打撃には彼ら自身の責任などないのに、給料はがっつり減らされていますよね。ちなみにぼくの大学は私立大学なので、「投資運用の失敗」という教員とは無関係の理由でしっかり給料削られていますし(笑)。その一方で公務員は、なぜ下がりにくいのか。GDPと給与を連動させて、マイナス成長ならばマイナスにする。逆に名目成長率が高いときは、公務員の給料もボンボン上げればいい。
安達 そうそう。
飯田 「インタゲ導入しろ!」とか、ぼくもいろいろ言っていますけど、じつはそこが本丸かもしれない。
安達 基本的な発想が違うような気がするんですね。「人口が減っているからデフレは解消できません」とか彼らは言いますが、日銀の仕事は「物価の安定」です。物価安定の目標として1%の上昇率を定めているのに、その水準で安定させていない。つまり「仕事をしていない」という結論になるはずなんです。
飯田 どの会社でもそれは同じだと思うんですよね。「いや、でもこんなに残業してがんばっています」なんて言い訳にはならないはずです。
安達 そう、それはおかしいんです。だから本当は、「責任」こそが最大のポイントなんです。
(2012年2月8日 光文社にて収録)
プロフィール
安達誠司
1965年生まれ。エコノミスト。東京大学経済学部卒業。大和総研経済調査部、富士投信投資顧問、クレディ・スイスファーストボストン証券会社経済調査部、ドイツ証券経済調査部シニアエコノミストを経て、丸三証券経済調査部長。著書に『世界が日本経済をうらやむ日』(共著、幻冬舎)、『昭和恐慌の研究』(共著、東洋経済新報社、2004年日経・経済図書文化賞受賞)、『脱デフレの歴史分析――「政策レジーム」転換でたどる近代日本』(藤原書店、2006年河上肇章受賞)、『恐慌脱出――危機克服は歴史に学べ』(東洋経済新報社、2009年政策分析ネットワーク章受賞)、『円高の正体』(光文社新書)、『ユーロの正体――通貨がわかれば、世界がみえる』(幻冬舎新書)などがある。
飯田泰之
1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。