2013.08.07
参議院選挙と憲法96条改憲論
2013年7月21日、参議院議員選挙が実施された。この選挙では、総じて憲法改正論議は低調で、議論が深まったとは言えない。とはいえ、自民党や日本維新の会はそれぞれに改憲を訴え、護憲派の野党や候補者は改憲に強く反対した。
その中で、とくに見過ごせないのが、選挙直後の安倍晋三首相の発言である。複数の選挙特番中のインタヴューで、安倍首相は、フェイドアウト気味だった憲法96条改憲に再び意欲をしめした。本稿では、この点を分析し、今後の方向性を整理しておこう。
2012年4月自民党草案発表
2012年4月、自由民主党は、日本国憲法を全面的に変更する「日本国憲法改正草案」(以下、自民党草案)を発表した。その内容は、今回の参議院議員選挙公約に以下のように要約されている。
【自民党「日本国憲法改正草案」(平成24 年4 月発表)の主な内容】
(1)前文では、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの基本原理を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っていることなどを表明しました。
(2)天皇陛下は元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であることを記し、国や地方公共団体主催行事へのご臨席など「公的行為」の規定を加えました。国旗・国歌・元号の規定も加えました。
(3)自衛権を明記し、国防軍の設置、領土等の保全義務を規定しました。
(4)家族の尊重、家族は互いに助け合うことを規定しました。
(5)国による「環境保全」「在外邦人の保護」「犯罪被害者等への配慮」「教育環境整備」の義務を新たに規定しました。
(6)内閣総理大臣の権限や権限代行を規定しました。
(7)財政健全性の確保を規定しました。
(8)地方自治の本旨を明らかにし、国及び地方自治体の協力関係を規定しました。
(9)武力攻撃や大規模な自然災害などに対応するための「緊急事態条項」を新設しました。
(10)憲法改正の発議要件を「衆参それぞれの過半数」に緩和し、主権者である国民が「国民投票」を通じて憲法判断に参加する機会を得やすくしました。
この自民党草案が発表された当時、自民党は野党であり、また、内容的にも本気で改憲を目指しているとは思えないほど粗雑だったこともあって、この草案はさほど大きな注目を集めなかった。
「3分の2」→「過半数」の提案
しかし、2012年末、衆議院の解散総選挙後が実施され、民主党への失望感から自民党が大勝し、安倍政権が発足した。安倍首相が熱心な改憲派だったこともあり、この草案はにわかに注目されるようになった。
首相は、1月30日の衆議院本会議で、日本維新の会の平沼赳夫議員から、(1)日本国憲法は無効であり破棄すべきだとの主張についてどう考えるか、(2)どのような姿勢で改憲に臨むのか、と質問を受ける。
首相は、(1)について、「現行憲法の成立過程については種々の議論がありますが、現行憲法は、最終的には帝国議会において議決され、既に六十有余年経過したものであり、有効なものと考えております」と応えた。ここで、「無効だと思います」と答弁したら、安倍首相は首相ではないことになってしまうので、当然の回答と言えよう。
問題なのは、(2)への回答としてつぎのように述べたことである。
「憲法の改正については、党派ごとに異なる意見があるため、まずは、多くの党派が主張しております憲法第96条の改正に取り組んでまいります。」
ここで言及された憲法96条とは、憲法改正手続を定めたつぎの条文である。
【日本国憲法96条】
1 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
安倍首相の主張は、1項の「総議員の三分の二以上」の部分を、自民党草案の内容にそって、「総議員の過半数」へと変更すべきだというものだった。そして、その論拠として、「3分の1をチョット超える国会議員が反対しただけで、国民が望む改憲を実現できないのはおかしい」と語った。
論拠薄弱な「過半数」変更論
しかし、これは極めて論拠が薄弱である。
まず、根本的な疑問だが、安倍首相は「3分の2」の合意を得られるような改憲案を作る自信がないのだろうか。もしそうなら、改憲を阻んでいるのは手続ではなく、改憲案作成能力の不足である。自分の能力不足に起因するイライラを憲法96条にぶつけるのは、お門違いの八つ当たりもいいところである。
また、「過半数」というのは一見中立的に思えて、実は、政権党が自らに都合の良い発議を独占的になしうる設定である。これでは、国民が望んでも、政権党に都合の悪い改憲案は発議されないことになろう。例えば、仮に国民が憲法に脱原発条項を盛り込むことを望んだとしても、自公政権は機動的に改憲を発議するとは思えない。
本気で「憲法を国民の手に」与えたいなら、「過半数」ではなく「3分の1」にして野党にも発議権を認めたり、あるいは、国民発案制度(たとえば、10万人以上の署名により発議できるようにする)を新設したりするなどの提案をすべきだろう。そうすれば、国民の望む改憲発議はしやすくなる。
こうした提案が出てこないところを見ると、「過半数」にしたい理由は、「国民の手に憲法を取り戻す」ことにあるのではなく、「自民党の手に憲法を掌握する」ことにあるのではないかとの批判が集中するのも、当然であろう。
なぜ維新の会は改憲発議を白紙委任しようとするのか?
では、他の政党の主張はどうか。
今回の選挙で、「過半数」変更を熱心に主張したのは、日本維新の会のみである。首相公選制、参院廃止、地域主権改革などの統治機構改革を実現しやすくするために、「過半数」に変更すべきだ、というのが、その論拠である。
しかし、現状、維新の会は、衆参で過半数を占める状況にはないから、改憲発議要件が「過半数」に変更されても、維新の会は、単独で改憲を発議できないのである。他方で、「過半数」変更は、政権党の改憲発議への拒否権を喪失することを意味する。例えば、仮に維新の会の方針に反する中央集権的な改憲案が提案されたとき、少数政党たる維新の会は、いくら反対したくても政権与党の発議を止められないことになる。
要するに、「過半数」変更への賛成は、政権党に改憲発議権を白紙委任するに等しい。基本政策の異なる政党に白紙委任するのは明らかに不合理だろう。
というわけで、冷静に考えれば、「過半数」変更は、維新の会支持者にとって魅力的な選択肢ではない。今後、このことをしっかり理解しさえすれば、維新の会も当然、主張を改めるはずである。もし改めないのであれば、政党としての自らの存在価値を理解していないと評価せざるを得ない。
憲法96条が厳格な手続を要求する理由
このように、「過半数」変更論の根拠は薄弱である。これに対し、憲法96条が厳格な手続を要求する理由は、極めて筋が通ったものである。
まず、憲法は、人権保障と権力分立を定めた法である。人権とは、多数決で奪ってはならない不可欠で普遍的な権利である。また、権力分立は、時の多数派が勢いに任せ権力を独占し、独裁政治になることを防いでいる。したがって、人権保障や権力分立を定める憲法は、単純多数決では変えてはならない。こうした原理は、近代国家の最も重要な原理であり、立憲主義と呼ばれる。
さらに、憲法改正は、天皇制や集団的自衛権など、国家の根本にかかわるルールを変える手続である。普通の立法よりも広範な合意が要求されるのも当然だろう。
立憲主義の見地からも、憲法の規定対象が極めて重要な事項ばかりであるということからも、憲法改正に厳格な手続を要求する憲法96条は極めて筋が通ったものである。
憲法96条改憲論のフェイドアウト
こうした憲法96条の意義への理解が日に日に広まり、各メディアの世論調査では憲法96条改憲反対が多数を占めるようになった。これを受け安倍首相や自民党議員も慎重姿勢に転じた。
その態度は、選挙活動においても顕著であった。
確かに、2012年4月発表の自民党草案には96条改憲が盛り込まれ、その実現は自民党の公約に含まれている。
しかし、選挙期間中、自民党幹部は憲法96条にほとんど言及しなかった。また、各都道府県選挙区の自民党候補者49人のうち、選挙公報で「憲法改正」を訴えた候補はわずか4人であった。
しかも、その4人の主張も、集団的自衛権の行使(千葉選挙区・石井準一候補、鴻池よしただ候補)、「時代に即した新憲法の制定」(大阪選挙区・柳本卓治候補)、「占領基本法を廃棄」(京都選挙区・西田昌司候補)といったもので、いずれも、憲法96条を対象とするものではない(なお、余談だが、「占領基本法を廃棄」が日本国憲法の廃棄を意味しているなら、西田候補は公職の候補としての適格を著しく欠いている)。
このように、圧倒的多数の自民党候補者は、改憲に消極的であるか、少なくとも優先順位の低い問題だと位置づけたのである。とすれば、今回の選挙結果は、自民党大勝だったとは言え、「過半数」への変更を信任したものではない。選挙が終わった途端に96条改憲を言い出すのは、あまりにもアンフェアである。
憲法96条改憲論の矛盾と国民不信
それにしても、安倍首相は、なぜ、いまになって、憲法96条改憲の主張を蒸し返したのだろうか。筆者は選挙当日のラジオ番組で、安倍首相に「憲法96条の変更を訴えてらっしゃいますが、自民党草案では3分の2の合意を得る自信がないのですか」と伺った。
安倍首相の回答は、「違います(3分の2の賛成を得る自信はあります)。3分の1をチョット超える国会議員が反対しただけで、国民の望む改憲ができないのはおかしいということです」というものだった。
しかし、「3分の2」の賛成を得られる改憲案を作る自信があるなら、憲法96条を変えなくても、「国民の望む改憲」はできる。それに向けて、正々堂々と議論すればいいだけの話だろう。首相の回答は、端的に矛盾している。
その上、「3分の2」の賛成を得るための議論をしたくないというのは、「国民の選んだ」国会議員との議論を軽視することであり、結局は国民の意思の軽視である。数多くの選挙を戦った安倍首相なら、一人の国会議員の背景に、どれだけ多くの投票者がいるのか、国会で一つの議席を得ることがどれだけ大変なことか分かるだろう。そうした、少数政党からの議員のことを軽視するのは、その背後の大勢の有権者の意思を無視することであり、あってはならない。
それにもかかわらず、「2分の1」にこだわるというのは、「改憲が本当に必要なときでも、国民は、それに反対する国会議員を選んでしまうはずだ」、あるいは「国民の選んだ議員は、本当に必要な改憲にも反対する不合理な人々だ」と考えていること意味してしまう。これはあまりにも国民を信頼しなさすぎる態度である。
「もっと国民を信頼すべきだ」と言ってきた首相ら憲法96条改憲派の人々は、国民を信頼し、国民の選んだ国会議員との議論を尊重すべきであろう。国会議員は単なる人数合わせのお人形ではなく、国会でしっかりとした議論をすることが仕事なのである。
こうしてみると、安倍首相は常々「国民の手」を主張しているにもかかわらず、本当に国民意見を政治に反映させたいと思っているのかは疑わしい。結局のところ、自分の主張に沿う人のみを「国民」だと思っている節がある。
安倍首相には、自己の憲法96条改憲論の矛盾を自覚し、国民に対する過度の不信を改めていただきたい。そして、これまでの流れ通り、筋の通らない憲法96条改憲論はフェイドアウトさせるべきである。
憲法改正が必要と考えるなら、憲法96条の枠内で、正々堂々議論すべきである。
サムネイル:「A cry for humanity- Save Troy Davis from execution today」Liam Moloney
プロフィール
木村草太
1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。近刊に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)『憲法の創造力』(NHK出版新書)がある。