2013.11.13
縮小都市、あるいは集積の分散 ―― 政治制度からみた現代の都市問題
近年、都市研究の分野で注目されるキーワードのひとつに、「縮小都市」というものがある。この概念は、論者によってさまざまなかたちで定義され、必ずしも研究者の間で統一的な理解が形成されているとはいえないが、20世紀において半ば拡大を前提としていた「都市」が「縮小」するという問題意識は、都市を分析する社会科学者や都市計画家だけではなく、人文学者や建築家などの関心を惹き、数多くの学際的な研究が生まれている。
学際的であるがゆえの困難はあるが、従来の研究は、現に生じている縮小都市という問題に、どのように対応するかという関心が中心であった。例えば、Philipp Oswalt氏が中心になって行われた国際的な縮小都市研究のプロジェクト(*1)では、都市の縮小を転換のプロセスとして捉えつつ、複数の都市における縮小への対応を整理して、そこから次の行動への教訓を引き出すことが重視されている。郊外化や産業の空洞化などを原因として人口が縮小する中で、都市計画を引き直し、従来の都市における構造物を解体・再利用することで、新たな発展のための新しい機会を生み出すことが論じられるのである。
(*1)http://www.shrinkingcities.com/
そのような未来に向けた「縮小都市」の研究、ある意味で「縮小」を逆手に取りつつ新たな発展を模索するような都市研究が数多く生み出される中で、政治学が貢献できることは何かあるだろうか。公共政策と呼ばれる学際的で実践に近い分野で、例えばアートによる都市の再生――「縮小都市」の議論では、縮小が進む都市空間においてしばしばアート/アーティストが招来される――がどの程度実現したのかを定量的に検証するような作業などは考えられるかもしれない。あるいは、全く正反対の観点から、都市の縮小に資本主義の危機を見出して、縮小を前提として再編される都市政策を批判的に検証するような試みもある。
これらは現に存在している「都市」を前提として、不可避的に進んでいく縮小という問題への対応が論じられている構造は同じだろう。政治学に限らず、隣接の社会科学やその他の都市研究においても、多かれ少なかれ似たようなかたちで議論が構成されている。しかし、「都市」そのものの方は本当にそのような前提となるものなのだろうか。「都市」が一様な存在ではないのは社会的には自明だろうが、政治制度はさまざまなかたちで「都市」を枠付け、制約を与えている。歴史的にも同時代的にも政治制度が生み出す都市のバリエーションは小さくないのだ。以下、この小論では、都市をめぐるさまざまな政治制度に注目しながら、「縮小」という問題に向きあうことになる「都市」について考えてみたい。
拡大した都市
現下の問題となっている「縮小都市」を議論する前に、これまで都市がどのような存在として扱われてきたかを簡単に抑えておきたい。
一言でいうならば、都市とは、人や資源を集積し、その集積を拡大していく地域であったといえるだろう。日本では、高度経済成長期に都市が発展したとイメージしやすいところだが、都市をめぐる政治制度から見れば、そのイメージは必ずしも正しくない。都市が周辺を飲み込みながら拡大していったのは、むしろ戦前なのである。
1888(明治21)年、日本で「市制」が交付された年、「市」とされたのはわずか39の都市に過ぎない(高松市がやや遅れて1889年に市制施行)。そのときの「町村」の数は15820である。2010年代に日本で700以上の「市」が存在し、「町村」の数とほぼ変わらないことを考えると、当初の「市」がいかに特殊な地域であったかは想像がつくだろう。なお、このときに「市」とされた地域の多くが現在の県庁所在市となっているが、堺市、姫路市、弘前市、米沢市、高岡市、下関市、久留米市といった、県庁が置かれなかった都市もある。
特殊な地域である「市」は、周辺地域から人口を吸収しつつ拡大していった。もちろん、多くの人びとが都心に流れ込んできたのだが、現在の「市」に比べて、当時の「市」は格段に狭い。とくに人口が集中する旧六大都市(東京市・横浜市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市)では、激しい人口流入によって、都心地域の居住地はすぐに飽和した。そのため、これらの地域では、周辺町村に多くの人々が居住した。そうした周辺の町村を合併することによって、都市の境界を物理的に広げていったのである。六大都市ほどではないにせよ、多くの「市」は特殊な人口密集地域として、その外延を拡大していった(*2)。
(*2)「市町村変遷パラパラ地図」http://mujina.sakura.ne.jp/history/index.html は、日本における都市の拡大を視覚的に捉える営みとして、非常に興味深い。
人口や資源が集積していく都市では、その集積をいかにマネージするかが重要な課題となる。市の規模などによって具体的な内容は都市ごとに大きく異なるが、マネジメントの手法として用いられたのが、都市計画というツールであった。極めて単純化して理解すれば、人口が集中する都心部の開発を行うとともに、人々の寝所となる郊外の宅地を開発する。そして、都心と郊外を結ぶ鉄道や道路を整備して、都市の機能を向上させていくのである。また、他所から流れてくる貧困者が集まる地域や、公害の発生源となる工場地域などを「悪所」として改造の対象とするのも、都市計画の重要な役割であったといえる。
都市の圏域(都市圏)が拡大するに連れて、政治・行政の単位である「市」の外延、さらに都市計画の範囲も拡大していった。そしてこのような拡大は、都市にとって基本的に望ましいことであったといえる。なぜなら、拡大する社会経済的なまとまりである都市圏と、意思決定の単位である自治体の領域が重なることで、都市の発展が自治体として追求すべき利益と直接的に結びついていたからである。
縮小都市へ
都市の発展が自治体の利益と結びつくというのは、自明のことのように思えるかもしれない。しかし、実のところ両者は緊張関係にあると考えられる。鍵となるのは、都心を利用する/利用していた郊外の住民という存在である。
ある自治体の領域の中で、郊外の住民がつねに都心に関心を持ち、都心を発展させることに合意しているとすれば、都心の集積を整備することが自治体の意思として統一されやすい。しかし、都市の集積を合意して維持することはそれほど簡単な話ではない。集積が進むことは、つねに強調されるように規模の経済による利益を生み出すとしても、同時に激しい混雑や地価の高騰などの負の影響を生み出す。日本ではそれほど表面化しないが、貧困層の集住によって治安が問題となることもあるだろう。結果として、都心に居住できる人口は減少し、人口の減少とともに都心部の政治的な影響力は弱まることになる。
もちろん、郊外部が都心部の重要性を理解した上で、都心への資源の集中を容認すれば、都心の集積は維持されるだろう。しかし、無条件でそのような現象が発生すると考えるのは、あまりに楽観的な見方に過ぎる。郊外に住む住民は、都心部よりも自分たちが住む地域への資源配分を要請するだろうし、郊外部の人口が増え続けることは、そのような資源配分を可能にする条件となる。なぜなら、自治体の議会のような意思決定の場において、郊外の意思が代表されやすくなるからである。
さらに、交通機関が刷新されることによって、従来の都心とは異なる場所に新たな集積が生まれることがある。日本におけるひとつの典型は、交通の要衝となる(とくに新幹線への便利が良い)鉄道駅の周辺に集積が形成されることだろう。伝統ある都市では、しばしば鉄道とその駅が邪魔な存在として扱われ、すでに形成されている中心市街地から見て端に当たるような部分に建設されてきた。しかし、時代が経過するとともに、むしろターミナル駅の周辺の利便性が重視されて、従来の中心市街地をしのぐ新たな集積が形成されることになる。
近年では、モータリゼーションの進展によって、わざわざ労力をかけて混雑した都心に出なくても、もっと手軽に高度な集積を利用することも可能になっている。すでにさまざまに分析されているように(*3)、ショッピングモールはその現れのひとつであろうが、都市の域外の巨大資本がリスクをとって膨大な初期投資を行うことで、従来の中心市街地の商業に関する機能を部分的に担うような集積が形成されれば、従来の都心地域にとっては深刻なライバルが出現することになるのである。
(*3)谷口功一(2009)「ショッピングモールの法哲学:「市場」と「共同体」再考」『RATIO』6号、講談社、pp. 2-29、速水健朗(2012)『都市と消費とディズニーの夢 ショッピングモーライゼーションの時代』角川書店、など。
東京のような巨大都市では、数多くの集積が鉄道網によってネットワークされ、相互に補完的な機能を果たしていることがある。しかし、それが可能なのは、世界一の規模とも言われる人口を抱える東京都市圏が存在し、海外からも多くの観光客が入り込むという特殊性-異常さと言っていいかもしれない-があるからだ。ネットワークが発達しているだけでなく、地価が高く混雑の激しい東京では、地方と比べてモータリゼーションも進んでいない。
それに対して通常の地方都市においては、数多くの集積を抱えるほどには人口が少ないし、それらの集積をネットワークで結ぶような鉄道網が発達することは稀である。路面電車のようなかたちでのネットワークはあり得たが、個人化された車の利便性には及ぶべくもない。
郊外の住民にとって、従来の中心市街地-都心部よりも利便性の高い集積が生まれたとき、従来の中心市街地を維持しようとする動機付けが生じることは考えにくい。鉄道や自動車での利便性が高い場所が出現すれば、数に勝る郊外の住民は、むしろそちらのさらなる開発を支持しても不思議はないだろう。その結果として、従来の中心市街地は、新たな集積の拠点との競争に実質的に敗北し、加速度的に魅力を失っていくのである。
都市圏と自治体の領域
このような文脈をたどれば、縮小都市という問題設定を形式的に理解することができる。ポイントは、人口減少による拡大の停止を背景として、社会経済的なまとまりである都市圏と、意思決定の単位である自治体の領域にズレが生じ、中心市街地を核とする都市の発展が自治体として追求すべき利益と直接結びつかなくなってきたことである。都心部が発展していくためには、人口の多い郊外地域からの人口流入をつねに前提としなくてはいけない。言わば、都心部は郊外部への依存を前提とするのである。
それに対して、郊外部は都心部の存在に依存する必要はない。従来の中心市街地よりも利便性の高い集積が生まれればそちらを利用するだろうし、政治的にも人口の多い郊外部の意向を無視することはできない。郊外が都心を見放した結果、従来の特権的な集積であった中心市街地は衰退し、それが「縮小都市」として問題化されることになるのである。
日本では、このように理解できる「縮小都市」の問題が発生しやすいと考えられる。ひとつの大きな理由は、現在の日本の基礎自治体である市町村、とくに市の領域が非常に広いことにある。1950年代の「昭和の大合併」、そして2000年代の「平成の大合併」によって、もともと都市としての性格が弱いところでも「市」となっているし、伝統的な都市であっても社会経済的なまとまりである都市圏を越えて「市」が形成されていることが多い。
そして、すでに形成された「市」が改めて分割されることはほとんどあり得ない。そんな「市」という政治行政のユニットにとって、都心は必ずしも特権的に保護される対象ではなく、あくまでもひとつの集積にすぎないのだ。
他方で、例外的に都市圏が「市」の範囲を超えるところでも、「縮小都市」とは名指されないが同様の問題が発生している。政令指定都市である大阪市はまさにその典型的な事例であるが、大阪市という自治体が大阪の都市圏よりも狭いために、自治体が必ずしも都市圏として最適な事業を実施することができないという問題が生じうるのである(*4)。
(*4)この点は、砂原庸介(2012)『大阪 大都市は国家を超えるか』中公新書をご参照頂きたい。
政治行政のユニットとしての「市」が広すぎるとしても、「縮小都市」の問題に対応するために、自治体は現実にさまざまな方策を考えている。おそらくもっとも熱い視線が注がれているのが、いわゆる「コンパクト・シティー」の試みだろう。分散しているさまざまな施設を集中させるとともに、住民も比較的限定した地域に住まわせることによって、効率的に中心市街地を再活性化させようとするものである。
しかし、「平成の大合併」によって多くの自治体が以前よりも市域を拡大化し、中心市街地に居住しないという選択を行っている住民がむしろ増加したことを考えれば、「コンパクト・シティー」の再整備のために大きな投資を行うのは容認されにくくなっている。このような「コンパクト・シティー」の要請を実現するときの政治的な困難は厳しいものになっていると考えられる。
縮小都市のポリティクス
ここまで、「市」という政治行政の単位における、都心部と郊外部の対立関係を中心に、「縮小都市」の問題を素描してきた。この両者の関係は日本の地方自治体を制約する政治制度を通じて、「市」によってさまざまなかたちで具体的な政治過程に表出してくると考えられる。
まず考えなくてはいけないのは、意思決定のユニットである「市」内部のポリティクスである。中でも、日本の地方自治体において、二元代表の一翼を担う市議会にどのような代表が送り込まれるかは重要な論点である。
日本の「市」のうち、もっとも規模の大きい政令指定都市は、いわゆる中選挙区制で議員が選出される。市域を複数の選挙区に分けて、そこから少ない選挙区で2名、多い場合では10名以上の議員が選ばれる。選挙区で選ばれる議員は、当然ながらそれぞれの選挙区の利益を代表する性格を付与されるから、市域の中でも郊外部に当たる選挙区から選ばれた議員は、都心部よりも自分を選出した郊外部の利益を強調しても不思議ではない。
人口に応じて議席が配分されることを考えると、政令指定都市のような大都市でも、都心部よりも郊外部の方が多くの人口を抱えるため、都心部の利益は強調されにくくなる。
政令指定都市ではない市では、大選挙区制で議員が選ばれる。市の規模にもよるが、全市一区の選挙区から、40人を超える議員について、個人投票で議員が選出されるのである。当選のためには、地縁や組織・団体といった結合を利用して固定票を集めることが重要となる。固定票が重要であるために、人口では郊外部に劣る都心部も、伝統的な中心市街地としての結合を利用することができれば、人口に比べて多くの代表を議会に送り込むことができるかもしれない。
ただし、厳格な票割りをしていない限り、都心部の利益を代表しようとする候補者の最大のライバルは、同様に都心部の利益を代表しようとする他の候補者となる。仮に都心部が議会において相対的に多くの代表を占めていたとしても、その連合は「政党」のように強固な連合とは言いづらいところがある。やはり、都心部の利益を代表する議員たちが安定して議会の多数を占めるのは容易ではないのである。
さらに、二元代表制のもう一翼である市長は、つねに都心部に好意的であるとは限らない。もちろん、都心部を中心とした市議会議員や団体などの支持を受けて選挙に勝利すれば、都心部の意向を無視することはできないだろう。しかし、全市一区の小選挙区制である市長選挙では、単純に都心部に限らず多くの住民の支持を受ける候補者が当選することもある。結果として、都心部に重点を置いた中心市街地の再開発よりも、より普遍的な教育サービスや交通ネットワークの整備が優先されることは少なくないと考えられる。
さらに、都市のマネジメントを行う「市」という自治体の上に、府県という広域自治体が存在していることは、複雑なポリティクスを生み出す。すでに述べたように、もともと「市」は非常に限定された地域であり、その多くは県庁所在地でもあった。県庁が存在するということは、その都市の中に管轄の異なるふたつの権力が存在していることを意味する。
もちろん両者が協力することはあり得るだろうが、狭い都市圏を重視する「市」と、より広い府県域を考えなくてはいけない府県では、似たような都市開発の事業を行ったとしてもその目的が異なることも珍しくはない。より直接的には、従来の「市」の中心市街地に対する強力な競争相手を、広域を所管する(したがって、より郊外部の住民の意向を受ける)府県が創りだしてしまうという事態も起こりうるのである。しかも皮肉なことに、事業を行う府県にとってのもっとも主要な財源は府県域の法人税であり、これは府県の中心たる県庁所在地の「市」での経済活動が生み出した税なのである。
このように、とりわけ府県の権力が実体的に存在する県庁所在市では、都心部と郊外部の対立関係が入れ子状態になりやすい。つまり、「市」内部での都心部と郊外部の対立軸に加えて、「市」と(「市」の外に広がる郊外部に支えられる)「府県」という対立軸が併存するのである。いずれにしても、「市」の中で都心部に優先的に資源が配分されるという状況にはなりにくい。
地方議会の選挙制度や府県-市町村といった二層制の地方制度は、都心部・郊外部の利益をそれぞれ細分化し、相互に競合的なものとするからである。言い換えれば、郊外の住民にとって、自分たちの福祉を向上させるために都心部をさらに発展させていく、というような補完的な関係が作りにくいということだ。これは、「縮小都市」という問題設定のもとで、従来の中心市街地を再活性化しようという営みを大きく制約することになると考えられる。
おわりに
本稿では、政治制度に注目しながら現代の都市が抱える課題-「縮小都市」という問題-について概観してきた。はじめに見たように、都市が特殊な地域として拡大していく局面であれば、膨張する郊外の成長を取り込むかたちで意思決定のユニットである自治体を広げることは、それほど難しい対応ではなかったと考えられる(*5)。しかし、現在のように自治体の領域が拡大するとともに、伝統的な中心市街地以外にも集積が分散してくると、それを単一の「市」という単位で議論することに非常な困難が生じる。
(*5)しかし大阪のような国にとっての重要性が高く、無制限の膨張が認められないような地域では、当然その拡大に歯止めがかけられることになった。この点についても、前掲拙著『大阪』で論じている。
そのような中で、中心市街地の再活性化というかたちで「縮小都市」に対応するのは簡単なことではない。とくに郊外の住民から見れば、不便でコストの高い中心市街地という従来の集積に固執することに正当性が付与できるかは疑わしい。しばしば行われているような「アートによる再活性化」のような営みも、結局のところ市において大きな位置を占める郊外を置き去りにしながら、以前の都心へのノスタルジーを表出しているに過ぎないところがあるのではないだろうか。
政治制度という観点から都市の問題を眺めると、都市の縮小という問題に対して、いくつかの対応が考えられる。その中でも、無理に都心部と郊外部を包み込んだ大きな「市」というレベルでの一体性を追求せずに、それぞれの利益が異なる地域ごとに再度自治体の枠組みを作り変えるというのはもっとも単純な対応だろう。
仮に中心市街地を再び活性化しようとするならば、「市」という政治行政のユニットとして、都心/中心市街地という特別な集積を中心に意思決定を行うことの重要性が浮かび上がる。そのためには、都心部を利用する郊外の住民を包摂した合意を形成しやすい政治制度を整える必要があるだろう。
とくに、現在のように、都心と郊外が競合的な存在となるような選挙制度・地方制度は望ましくない。都心と郊外をともに巻き込みながら都市(圏)全体としての方向性を議論できるような組織-都市圏レベルの問題意識で結合する政党-の存在を認めるとともに、それが強靭な組織となるように育むことができる政治制度の整備が、「縮小都市」のような現代的な都市問題へのひとつの対応になると考えられる。
(本稿はα-Synodos vol.119(2013/03/01)からの転載です)
サムネイル「????, Dotonbori, 道頓堀」Mirye.j
プロフィール
砂原庸介
1978年大阪府生まれ。2001年東京大学教養学部卒業。03年東京大学大学院 総合文化研究科 国際社会科学専攻修士課程修了。06年同専攻博士後期課程単位取得退学、09年同大学院より、博士(学術)。同年より大阪市立大学 大学院法学研究科 准教授、専攻は行政学、地方自治。主著『地方政府の民主主義』(有斐閣)、『大阪 大都市は国家を超えるか』(中公新書)