データで政治を可視化する 

「ダメ出し」ではなく「ポジ出し」を! 非難やあら探し、足の引っ張り合いはもういい。ポジティブで前向きな改善策を話し合おう――。気鋭の評論家と政治学者による対談。印象論で語られがちな政治の見方を変える方法とは? (構成/宮崎直子)

 

 

政治学の中の計量分析

 

荻上 SYNODOS編で今年7月に刊行した『日本の難題をかたづけよう』では、菅原さんに第二章「データで政治を可視化する」をご執筆いただきました。菅原さんがデータにこだわり続ける理由とは、一体何でしょうか。

 

菅原 現代の政治学では分析手法として計量分析は非常に重視されています。たとえばマクロ経済学では、国が公開したような公的なデータに従って研究をする人が多いと思いますが、政治学の場合は基本的にそういった公的なデータがほとんどない。特に政治家というのは、自分たちのデータを出したがりません。

 

皆さんあまり知らないと思いますが、衆議院の本会議に誰が出席していて欠席しているかということは実は公開されていない。おそらく正式な記録も取られていない。そうやって、自分たちのデータを隠蔽しようとする人たちが向こう側にいるのが、政治学における計量分析の構図です。

 

でも、そこを何とか学問として研究していかなければならない。そう考えたとき、データを発掘し、編集し、分析するという仕事は重要なのです。そのように考えて、データ分析に携わっているという感じです。

 

荻上 なるほど。たとえば国勢調査をはじめ、国は国民の状況を把握して様々なデータを公開しています。GDP、物価指数の遷移、食糧自給率、エネルギー自給率等々、中には謎の数字もありますが……。いま国の体力はこれくらいだから、うちの省庁にこれだけの予算を付けてくださいというようなことが行われているわけですね。

 

しかし、「政治家が何をしているか」は、民間あるいは研究者がデータを出してくれないと透明化できない。もちろん市民もそうした問題意識を持つ必要があります。

 

 

計量分析の広がり

 

荻上 政治評論の歴史において「データで政治を可視化しよう」という意識が高まってきたのは、まだまだ最近のことです。これまで主に二つの方法論がありました。一つはジャーナリズム的な手法で、永田町における人間関係や派閥問題をとりあげ、次の政治動向を占うというもの。

 

もう一つは社会評論的な手法で、思想同士の対立で政治の動きを読み解いていくもの。例えば、九〇年代までの冷戦構造が終わり、社会主義と共産主義を目標とする社会が崩れて自由主義に変わり、その先にやってきたのは自由主義の勝利ではなく、ネオリベラリズムである……というような。

 

そうした文法がヘゲモニーを握っていたという感じがしますが、いまは徐々に、計量分析がもう一つのスタンダードになりつつあると思います。これはいつ頃からでしょうか。

 

菅原 これもあまり知られていないことですが、政治学における計量分析はそれなりに歴史があります。日本で言えば、朝日新聞社の記者だった石川真澄さんは、同紙が収集したデータを使って政治学的に今でも重要な様々な発見や理論を残しています。政治学者の三宅一郎さんは世論の研究の第一人者として70年代から活躍しています。世論調査を用いての政治意識研究はさらに前からあります。しかし、以前はコンピュータが普及していなかったので、限られた人たちがやっていた。コンピュータが普及したのは九〇年代後半以降なので、それに合わせてデータを取ることも増えていきました。

 

政治学会が発行している雑誌に『年報政治学』というものがあります。ずっと岩波書店が出していたのですが、数年前に出版社が木鐸社に変わって、分厚さが二倍になり発行数も年二回になりました。この際に、計量分析を行う論文も大きく増えています。今では政治学関係の学術誌を開くと、多くの論文が計量的な分析を行っていて、政治史や政治思想のように昔ながらの論文はかなり目立たなくなっています。

 

荻上 その転換は何がもたらしたのでしょうか。「計量ソフトが進歩したから」というのは他分野でもよく聞く話です。

 

菅原 それも含め要因は複数重なっているでしょうが、根本的には論文を出したい人が増えたというところだと思います。それは大学院の重点化など、制度的な背景も大きいです。アメリカでドクターを取った政治学者も増え、彼らがどんどん論文を書きはじめました。業界的にも、査読の通った論文のほうが評価は高いし、そうしたものを出す雑誌が増えることを望んだ。学術誌がどんどん分厚く、あるいは回数を出すようになり、論文をたくさん載せる方向に変わっています。研究者側の論文執筆競争が、メディアの側に投影し、それがさらに研究者側の競争を若手中心に激化させているわけです。これは研究が活発化しているということを意味しているので、基本的には良い傾向だと思います。

 

これと並行して、パソコンの普及とも相俟って、統計分析の手法やソフトウェアが普及しています。おかげでデータを用いて研究をする人が飛躍的に増えました。政治学に関係する大学院生を見ていると、大体半分以上は計量分析をしているのではないかという印象を持ちます。何らかのデータを指導教員から引き継いで研究している人も多いですね。あるいは無理やりプロジェクトに関与させられたりして(笑)そして、それをどこかに載せなきゃいけないという心理的な圧力もあって、論文が量産されているというのもあります。この点については賛否両論というか、否定的な意見も業界内では多いと思いますが。

 

荻上 九〇年代で、ある種思想で政治を語る時代は終わった、というよりは……。

 

菅原 「思想よりもこっちだ」と、いう選択をした人は少ないと思います。それよりは、計量分析をやることが流行というか有利というか、そういう市場的なメカニズムは当然あると思いますね。

 

荻上 学閥はやはりあると思いますが、ぶっちゃけ思想系と計量系は仲が悪かったりするんですか?(笑) SYNODOSで書いて下さっている方だと、政治思想系では吉田徹さんがいらっしゃいますが、菅原さんみたいな計量系の方とコラボレーションするような場面ってあまり見ないわけですね。

 

菅原 吉田さんとは同じゼミにいたことがありましたが、個人的にはあまり思想系という印象はなかったですね。事実もベースに語る方だと思います。政治学の研究者をわかりやすく簡単に分ければ思想系、歴史系、実証系になると思います。実証系の中に計量分析の人たちがいます。どの研究分野でもそうであるようにこれらの境界は曖昧ですが、基本的に思想と実証は遠く、特に計量はそうです。向こうからすれば、なんかよくわからないことをやっている集団だし、こっちから見ても、難しい言葉を使っている人たちだ、みたいな感じで話をする接点は多くはない。

近年、「ポピュリズム」というのは思想でも計量でもテーマになっていますが、たとえば「橋下現象」の計量分析(松谷満「誰が橋下を支持しているのか」『世界』2012年7月号、善教将大・坂本治也「橋下現象はポピュリズムか? -大阪維新の会支持態度の分析」『Synodos Journal』2012年7月24日 http://synodos.jp/politics/1357 など)に、思想系の人が共同研究者として絡むことができるかというと、どうでしょうか。思想家の言葉をデータ化して分析するような研究はあると思いますが。

 

荻上 思想系の人は数学コンプレックスがあり、計量系の人は哲学コンプレックスがあると、そうしたものがなきにしもあらずかなと勝手に想像していたのですが。

 

菅原 専門家というのは、自分の専門領域は詳しくて議論したがるけれども、専門外だと、逆にその相手がどれだけ強いかよくわからないので、触れたくないという感じでお互いに避けたりするところもあるのかもしれません。個人的感覚では、共同研究による利益(研究成果)が想像できないというところが大きいように思います。

 

 

 

シノドスの楽しみ方、あるいはご活用法のご案内

http://synodos.jp/info/18459

 

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