2012.11.16
「社会を変える」ということ
社会起業家として病児保育の問題解決に取り組む、NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹氏。一方、社会活動家として貧困問題をはじめ、2012年7月に大阪で立ち上げた「AIBO(あいぼう)」等で市民活動の仕掛人として活躍する湯浅誠氏。それぞれの立場から見た「社会を変えるための方法」とは何か。(司会/荻上チキ、構成/宮崎直子)
オルタナティブを提示する
荻上 最近若手世代を中心にして、民間の力で世の中を変えていこうという動きが広まってきています。それはもちろん、「民間の力だけで変える」という意味ではありません。自分たちでできることをまずはやり、必要に応じて自治体や国に要望する、そうしたアプローチの活動が重視されているということですね。
しかし、実際に国を動かそうとすると、具体的に様々な壁が現れたりするもの。民間で研究や活動を行った上で、「次の一歩」を踏み出す時には、それ相応の「戦い方」を身につける必要があると思います。
湯浅誠さんと駒崎弘樹さん、お二人は活動のアプローチは異なりますが、社会を変える活動を行なっている中で、それぞれがここ数年でお感じになった「壁」などには、共通点も多くあると思います。そこで、特にこれから社会を変えようとしている後輩たちに対して、同じ轍を踏ませないための教訓のようなものを、本日はじっくり伺いたいと思います。
湯浅 年内いっぱいの期間限定ですが、7月から大阪でも活動を始めました。私は一度内閣府参与を務めそこで見えてきた風景があるので、その成果を反映させたいと考えていて、大阪でやろうとしていることは今までのやり方とは違っています。これまでやってきた相談活動やアドボカシーというよりも、市民一人ひとりが声を出し、いろいろな調整を引き受けながら、具体策を提示していく、そうしたことがどうすれば可能なのかを、活動しながら考えていきたい。
駒崎 民主主義的なプロセスの中に、市民を包摂していくということですか?
湯浅 そうですね。社会運動を一緒にやりながら、説得していくための作法を身につけていきたいと思っています。例えば、大阪・毎日放送のラジオ番組『たね蒔きジャーナル』の放送打ち切り問題で、それに反対した人たちがネット署名を行いました。でも、私としては、MBS(毎日放送)に理解してもらわないとしょうがないので、今後番組を存続するために、彼らを説得する方法を考えるわけです。
みんなで出した答えは、「出演者は全員無料で出演し経費を浮かせる」「市民がスポンサーとなり寄付によって番組を支える」というもの。MBS経営陣はけしからん! ではなく、自分たちがお金も出して支えますというふうに取り組んでみた。
ガチンコの対立路線で行くんじゃなくて、自分たちが本当に存続させたいと思うのであれば、そのためのオルタナティブを提示していく方法もあるんじゃないかと。放っておくとどうしてもガチガチになっていきますから。
駒崎 たとえば「お前は原発に屈したのか!」みたいな感じになっていきますよね。
湯浅 ただ、理解してもらうのはなかなか難しいです。最初に誰を説得するかが肝心です。それから布陣を作ってMBSと意見交換していく中で、お互いにwin-winでメリットがある提案なんだということを、一生懸命説きながらやっているという感じです。
「市民運動の外圧に屈するのか」という捉え方をMBSにされると、そのレベルで判断されてしまうと絶対ダメ。それでも厳しい結果が出そうなんですけど、少しずつやりながら浸透させていくしかないですよね(※9月28日に番組は打ち切られました)。
決意性だけでは続かない
荻上 駒崎さんが代表理事を務めるNPO法人フローレンスでは、インターンシップを受け入れられたり、社会起業家業界の人材育成に貢献されていますね。今の社会起業家業界の、人材面での課題はなんだと感じていますか?
駒崎 そうですね。学生インターンの育成はずっとやっています。私たちの業界では、様々な社会起業家支援の中間団体がありますが、「お前の想いは本物なのか」みたいな精神主義が跋扈しちゃっていて、けっこう危機感を持っています。
湯浅 体育会系なの?
駒崎 体育会系というよりは、中間支援団体に関わっている元運動家・活動家のノリの人たちがメンターみたいな感じでやっていると、どうしてもイデオロギー性が強くなっちゃうんです。
現実には、「自分は何々をしたい」という意欲だけではだめで、事業として回すためには資金繰りのことも知らないと潰れてしまうし、どうしても現実路線にならざるをえないんですよね。そういった、NPOの現実みたいなものと折り合いながら、やりながら気づくこともあるよね、という手練手管を伝えるために個人的には後輩の起業相談・経営相談にのったりして、地道な育成をやっていこうかな、と思い始めています。
ただ、活動家といっても、湯浅さんのようにプラグマティストとして活動されている方にはシンパシーを感じています。私も政府に少し関わっていましたが、その中でやっぱり構造を変えなきゃダメな部分もあるよね、事業やりながらも構造を変えるための運動をかぶせなきゃいけないよね、ということを痛感しました。
「活動家」という言葉を使うと左翼みたいな感じになりますが、「政府と対話を行うコミュニケーター」のような領域を自分としても、湯浅さんの背中を見ながら切り開いていきたいですね。
湯浅 昔は、決意性の問題というのがありました。あることに参加するために、お前はどこまで本気でやる気があるのかということを「決意性」と呼んでいた。それを最初から前面に出して、ハードルを高くして、さあ飛び越えてこいというようなメッセージを送る文化があった。でも今はそうじゃなくて、やっていくプロセスの中でいろんなことを見出していく。あとから付いてくる側面に重点を置いている。
最初から高い決意性を持っていると逆に続かないんですね。NPO法人「もやい」にもいろんなボランティアの人が集まってきますが、強い使命感を強調して来た人が、自分のイメージと違うとわかると、一ヶ月も経たないうちに辞めてしまうということはよくある。それよりもむしろ、よくわからないけど「とりあえず来てみました」みたいな人のほうが、やっていくうちにだんだん面白くなって続く。だから、最初に高い決意性を設定するのは、今の人たちには効果的ではないと思うんですね。
では、何をもってしてスタートを切ればいいのか。一人ひとりの希望に沿いながら伴走型でやっていくほどの時間も割けないし、決意性でなければ、どういうプログラムで人を育てていけばいいのか、悩ましいところです。
駒崎 東京で社会起業家育成を長い間行なってきたNPO「ETIC.」を中心に行われている手法としては、ビジネスプランコンテストや社会起業塾などがあります。それらに書面で応募してもらい、面接などの選抜工程を踏まえて、それなりの水準に達している人達を育成するプログラム。
湯浅 行われるのは審査だけですか?
駒崎 ETIC.の例だと、まず審査を行い、そこから半年間の研修などがあり、月一回メンターとセッションし、必要とされるプロフェッショナリティーを注ぎ込んでいく。
湯浅 プログラムとして行われるというよりは、メンターの裁量如何で、個々の教育として行われる感じですか?
駒崎 そういう部分は大きいですね。ただ、一人のプログラムオフィサーで支えるか、複数人で支えるかなど、アレンジはいくつもあると思います。いずれにせよ、そういう形でこれから出てくる芽を育てる試みがいま広まっています。
時間と空間が必要
荻上 民間で組織を運営していくとき、国政にぶつけていくとき、市民を運動に巻き込んでいくとき、それぞれのレベルで直面している課題は微妙に変わってくると思います。それぞれの課題について教えていただけますか。
駒崎 フローレンスの場合は、NPOといってもベンチャーに近く、事業メインなところがありますので、普通の中小企業とあまり変わらず、資金繰りやマネジメントの面で躓くことがたくさんあります。当社は社員が150人います。これからも人が増えることを考えると、中間管理職をきちんと育てないといけないし、普通の事業会社同様にサービスの質も求められてきます。
政策にコミットするレベルになると、また新たな問題が生じてきます。フローレンスは、20名未満の小さな保育園を作って待機児童問題を解決するモデル事業を作り、それを制度化するための政策提言を行いました。カウンターパートは厚労省局長の村木厚子さん。話を理解していただき、今国会で通過した「子ども子育て支援法」の中に新類型として導入していただきました。
ただ、村木さんが取り組んでいることは、保育業界からするとバッシングの的で、私はそれを擁護する立場になります。その矛先がこちらにも向いて、いろんなところで攻撃や批判を受けることになりました。だからといって事業に影響があったわけではありませんが、精神的につらかったです。事業だけをやっている限りでは、みんな褒めてくれるのに、そうした発言をすると、あいつは政府寄りじゃないかみたいに見られるようになります。
湯浅 公的なコミットをすれば当然そうなりますよね。あいつは政策に影響力を持ってそうだとわかれば駒崎さんとは利害関係が成立するわけですから。もやいでは、私と稲葉剛の二人でアパートの連帯保証人になるという結構きついことをやっていました。
行政に対しては、俺らみたいな金のない若者連中ができているのに、なんで何千倍も予算も組織力もある彼らができないんだ、というような見方をしていました。民間と行政の質的な違いが、その頃はやっぱり見えていなかった。
質的な違いとは、簡単にいえば、行政は民間と違って、反対する人のお金も使うということです。このことの理解が決定的に欠落していたと思います。例えば、東京都で保証人問題を解決しようとなると、なんで俺の金がそんなところに使われなきゃいけないんだ、こっちの方に使ったほうがいいんじゃないかとお金の争奪戦が起こるわけです。
行政が取り組まない現状は、そうした諸々の力関係の結果である以上、この力関係自体が変わらないと結果は変えようがない。行政に関わるようになると、変な話、この力関係の方に目が向くようになる。国にしろ、地方自治体にしろ、そこは全員のお金が使われ、全員の利害が集約される場であるということを、やっぱり理解できていなかった。
荻上 国のお金の使い方を、国民がちゃんと判断できるようになるためには、相応の市民意識というのが重要になる。論点ごとに論議を加速するためには、ベタな啓蒙や対話というものがやはり必要になってきますよね。
湯浅 ある種の「外交技術」ですね。例えば、領土をめぐって二国間の利害が決定的に対立します。お互い自分の主張を徹底したら行き着く先は戦争しかないわけで、それを回避するためにあるのが外交です。
外交というのはまさに手練手管の世界で、ときに本心ではないこと言ってみたり、ごまかしたり、棚上げしたり、いろいろやりながら最後のデットラインに行かないように収めていこうとするわけです。
国家間の場合はそれが重要だと主張する人が、自分たち社会の話になると途端に「主張がぶれないこと」「誤魔化さないこと」が良いと言い、棚上げなんてとんでもないという話になる。すると行き着く先は機械的な多数決しかない。でも、お互い一歩も譲らず、多数派だけが残るというのは、良い結論とは思えない。
だとすれば、外交技術が必要になってくる。もっと積極的な言い方をすると「民度」を上げるしかない。それには時間と空間が必要です。いろんな利害関係を頭のなかでシュミレーションし、政治リテラシーを身につけていかないと。それは一朝一夕でできるものではありません。
コラボレーション・リテラシー
荻上 ノウハウを血肉化していくには時間がかかりますが、例えば、お二人が格闘する姿をメディア経由で知ることで、学べることも結構あると思うんですね。
駒崎 「コラボレーション・リテラシー」を高めるというのは一つのポイントだと思います。
例えば、一企業に勤める会社員が、休日に地域のサッカーチームに参加しようとしても、うまくコミュニケーションできないことはよくあります。自分から「これやっておきますね」とか、「今度水筒もってきてくれませんか」と他人を巻き込んでいくような力がないんですね。
市民性といのうは、多様な他者との関わりをマネジメントする力だとするならば、これまで会社にロックインされてきた人たちを、いかに地域活動に解き放って、複数のコミュニティに関わらせることができるかにかかってくる。他者と交流する力は、そうした中から磨かれ、それが回りまわって民度を高めることになるのではないでしょうか。
湯浅 いわゆる異業種交流ですね。それはとても大切です。でもそれを行うためには、生活条件が揃わないといけません。実際のところは、みんな仕事と生活に追われてそこまでする余裕がないんですね。
駒崎 それはよくわかります。私は二年前に厚労省のイクメンプロジェクト推進委員会で「イクメン」という言葉を流行らせることに関わりました。でも「イクメン」や「ワークライフバランス」をテーマに、シンポジウムを開いても、実際に来る人というのは、意識の高い正社員で生活が安定している人が多い。「非正規の人はどうすればいいでしょう」といった質問には答えられなかったりするわけです。
湯浅 そうですね。現実ではそうした活動が許されない層の人が増えてきている。頭でよかれと思っても頭と体のズレみたいなものが、多くの人にとって苦しさをもたらすものになってきている。また、そうした啓蒙的な言葉に対する反発に支持が集まる風潮もあります。そんな綺麗ごといってもしょうがないでしょうと。
駒崎 ヒトラーを最初に支持したのは、ワイマール憲法の下で非常に苦しい生活をしていた市民でした。苦しい人が増えれば増えるほど、苦しさを一発で解決してくれたり、断定的なことを言ってくれる人を支持しやすくなるので、そこは危機感を持つ必要がありますね。
生活とどう両立させるか
駒崎 市民の参画を引き出して、民主的にランニングしていく方法は何か。湯浅さんは今まさに大阪でやられていますが、今後、大阪以外で規模を広げていく予定はありますか。
湯浅 まだわかりません。当然ながら多くの人にとって、市民活動と仕事を両立させることは難しい。お金も必要ですし、社会の価値観として定着するには長いスパンが必要です。ただ、どんなテーマでやっても、今やっていることは今後も意識し続けていくだろうと思います。
全国各地の多様な実践に学びながら、生活と両立させていく形を見出していかないといけませんよね。
駒崎 私は一人親の支援をやっています。彼女たちの生活は本当に苦しく、市民活動に参加する余裕なんてありません。でも、ネットをうまく活用しているんです。ネット上にシングルマザー・コミュニティがあって、そこに携帯やパソコンからアクセスして自分の経験を伝えたり、生活の知恵を得たりしている。シンポジウムやデモに参加するまではいかなくても、そういうふうに低いコストで何かしらコミュニティ活動に関わっていけるのは希望だと思いますね。
湯浅 そうですね。生活が苦しい人はネットでちょっと書くぐらいしかできないけど、それはありだってことで、色々やりながら選択肢を増やしていくことですね。経済状況が厳しい中で、生活コストを下げるなど工夫をしながらできることもある。
駒崎 ライフプランはちょっと工夫するだけで、スッと楽になるものです。夫婦二人が非正規でもなんとかやっていけるような生活スタイルを見つけ出して、地域活動においても居場所があるというような、ミニマムな幸せのモデルを作っていけると思います。みんなを正社員にしよう、経済成長しようというところでブーストかけるよりは、セーフティネットとソーシャルキャピタルがあれば十分に幸せになれるというビジョンを作っていくことが必要だと思いますね。
湯浅 同感です。非正規でも共働きで、望むなら子供も大学に行かせられる、そういう条件作りだと思うんですね。例えば、大学の奨学金問題では、給付型奨学金の導入まではいかなかったものの、実質的にかなりそれに近い貸付型の奨学金も創設されました。そうした変化も、ちゃんとした政治リテラシーをもって見ていきたいですね。
駒崎 今は僕らのような少し変わったポジションの一部の人間だけが政府に提案していますが、将来的にはこういう動きをする人が数百人単位で出てくると、結構いろんな業界で変化を起こせるのではないか、と期待しています。
調整コストを踏まえて
荻上 日本は20年以上経済不況が続いています。せっかく種を蒔いてロールモデルを築いたとしても、いざ国や行政の事業とすると「財源は?」と尋ねられるので、モデル事業を展開する際には、やはりその壁を乗り越えられないといけない。「削り合い競争」の時代ならではの、ノウハウのようなものはあるのでしょうか。
駒崎 保育制度を提案したときは、増税とセットだったので、そのパイの奪い合いでした。
湯浅 予算編成のプロセスを理解しておくことは大事ですね。予算編成は前年度予算が決着する3~4月頃から本格的に動き出すんですね。で、8月末に概算要求して、年末の予算案決定に向けて交渉に入っていきます。ある種、農業みたいなものです。例えば9月に新しい政策を入れてくれと働きかけるのは、秋になって春物を植えるような話なので、育てるのは非常に大変です。
こうした基本的なサイクルを、私も実際に活動に関わるまでは十分に理解していませんでした。もちろん知識としてはありましたが、実際にコミットしてみて初めて、それを踏まえておくことが政治的な調整コストを下げるために大事なことだとわかった。
同様に与党と野党の関係を把握しておくことも必須。政治リテラシーと調整コストの話は表裏一体です。政治の構造や仕組みを踏まえて行動しないと、自分のなんとかしたいことが結局できない。
政治リテラシーは、現場で地道に身につけていくしかない。実際に政治にコミットして、その面倒くささを引き受けていく経験をしないとわからない部分があります。それを一足飛びにできる方法があるんじゃないかと考えているんですが、なかなかないですね。
地方自治体を動かす
荻上 90年代以降、財源の規模が小さくなってくると、どうしても特定政党へ団体経由で圧力をかけるという政治スタイルは弱体化していく。そうなると、超党派を組織化できるスタイルの市民運動が、これから求められてくるようになるのではないでしょうか。
湯浅 地方自治体の首長が言うことも重要ですよね。国会議員10人が言うよりも地方自治体の首長が10人集まって言ったほうが、国に対してはむしろ力があったりする。
そういう意味では、超党派議連も重要だし、地方の首長に対する働きかけももっと意識されていい。地方で活動している人たちが東京に働きかける余地は、むしろかつてより上がってきている。そこはもっと意識されていい。首長は良くも悪くも大きな力を持っていて、ここを十分に活用できていないのは、まだまだ社会運動や市民活動全般がやりきれてない部分だと思います。
駒崎 南相馬市長の発言には発信力あるけど、復興庁の大臣が何か言ってもメディアもあまり取り上げないですよね。モデル事業を作っても、地方自治体がやってくれないと広まらないよね、みたいなことは往々にしてある。地方自治体を動かすこともロビイングのレシピの一つではありますよね。
湯浅 実際に活動していく中で、国と地方自治体の関係はこんなにも微妙で複雑なのかと思いましたね。行政はもっと一枚岩だと思っていました。
駒崎 保育の世界もそうで、例えば東京都は僕に国へのルサンチマンを告白するわけです。「国が認証保育所を認めてくれないので、俺たちは自腹切っているのに、今度の法改正でも一切金を出そうとしないんですよ、駒崎さん何とかしましょうよ」とか言われる。
で、区に相談にいけば、東京都的にはこういう規制で、みたいなことをいわれて、東京都にいくとそんな規制はしてませんみたいな。国はこう思ってますからみたいな通訳をしてあげて、区に行って説明して、やっと区が安心してこの事業やりましょうとなる。そうしたちぐはぐさを、ちゃんと情報流通させるのも一つのレシピですよね。
湯浅 日常茶飯事ですよね。
駒崎 国策の意図が地方自治体までうまく伝わってない状況とか見ると、県とかいらないよとか(笑)言いたくなる時ありますけども。
湯浅 道州制については、財政調整システムをどうするかですよね。全国知事会の首長たちが、自分たちで財政調整システム作る覚悟があって言っているのかどうか。
駒崎 国を動かすって意味でのツールとしては、議員がいますね、市だったら市議会議員、県だったら県議会議員、国だったら国会議員がいますね。
ただ議員だったら誰でもいいかというとそうではなくて、共産党議員を連れていったらもう話聞いてくれなくなるみたいのはある。だから、与党の議員、かつトピックによって、保育だったら公明党であれば当たり外れない、というようなことを読みながらやらないといけない。
民主主義を活性化させるために
荻上 国政とか行政とかに持っていく手前の段階で、「勝手議会」を作って、ある程度対立点をネゴシエーションしておくことは重要だということになりますね。ダメな議論を削ぎ落とし、お膳立てしたうえで持っていく。僕は本来は、それを「論壇」などで果たすべきだとは思っているのですが。
湯浅 それは重要ですね。中間団体の一つとして論壇があり、もっと広い議論ができるフィールドになればいいですよね。市民レベルでは熟議ですね。今までは立場の異なる人を共通のテーブルにつける作法があまりなくて、あいつの設定したテーブルには乗りたくないとか、俺が設定したテーブルには他の立場の人が来ないとか、テーブルを設定した人と同じ意見の人しか集まらないという状況がありました。「熟議」というスタイルはそれを可能にした点に意味がありますね。
駒崎 なるほど。
湯浅 結論が出なくても異なる人をテーブルにつけて、そういう意見もあるんだってことをシェアしていくことに意味がある。それを手前議会というのはうまい言い方ですね。そういう手前議会みたいなものが町づくりにもたくさん取り入れられていければ、意見を束ねて、民主主義を活性化させることになる。その作法を、私たちがもっと身に付けるってことじゃないかな。論壇の作法の問題でもあるけど、私たちの問題でもある気がしますね。
駒崎 報道ステーションで、野党総裁候補がこれから社会保障どうしますかと聞かれて「ナマポを削減するんだよ」とありえない発言をしました。さらに尊厳死制度化は医療費が浮くともいった。このレベル、マジかよと思いましたね。
荻上 その意味では、尊厳死や生活保護をめぐる議論のテーブル設計がまだまだ弱いということでしょうね。政治家は票に敏感ですから、主要な論調が変わればなびくものです。これを言ったら票になる、これを言ったら票にならないという判断のところに、うまく論点をすべり込ませてやること。加えて、言葉だけでは弱くて、実際にこういう案がありますと紹介できるものも必要です。
駒崎 アジェンダ・セッティングのための世論喚起(ソーシャル/プロモーション)というフェーズと、具体的な制度設計の際のロビイングのフェーズは分かれますね。アジェンダ・セッティングの際は、熟議やソーシャルメディアやマスメディアを駆使して、とにかくたくさんの人を巻き込んで、ある程度アジェンダに乗って審議会とかでも話題に出たら、今度は対官僚・対政治家との議論を開始していく、というように分かれていきますよね。
湯浅 自民党長期政権の時は、限られた人しか参入できない利権構造がありましたが、今はそれが揺らいで私や駒崎さんなど、今までとは違ったタイプの人たちも参入できるようになっています。ただ、参入障壁のレベルと、参入後にどれだけ立ち回れるのかというレベルは別。参入したからといってなんでもできるわけではありません。参入するまでは社会的な世論が、参入したあとは政治的な作法やリテラシーの問題が大きくなる。オール・オア・ナッシングというよりは、比重が変わる。
荻上 例えば自殺総合対策大綱に「性的マイノリティ」が明記された背景ひとつをとっても、数人の議員が積極的に動いたことに加え、その背後には専門家の研究や、運動の盛り上がりなどがあったわけですよね。常にそこには、連環があるし、信頼関係の構築は鍵になっています。
湯浅 そうですね。文言調整で意見をすりあわせていくときに、元々の要求通りの文言ではなくても、お互いにギリギリのところでやれたねってところを信頼関係でもって共有できないと、裏切った裏切られたの話になってしまいます。
荻上 政治家には政治家の、官僚には官僚のジレンマがある。下手すれば叩かれるかもしれないから突っ走りすぎてもいけないし、かといって何もしないわけにもいかない。関連団体に頻繁に挨拶に行くけど、アピールしすぎてもうざがられる(笑)。微妙な温度感の中でコントロールしながら、法案に結びつけるということをやっているわけです。それを予め知っておくだけでもまた違いますね。
湯浅 私はよく思うんです。みんな、同じようなことを普段からして生きているんですよ。家族・職場・友人関係の中で、自分の意見ばかり主張してもだめなことはわかっているから、周りと適度な距離をとりながら、他人の言葉を翻訳してそれぞれをつなぎながら生きている。その延長が社会であり政治なんですよね。
駒崎 20年くらいの長いスパンで考えたら、少しずつリテラシーは付いてくると思いますけどね。
湯浅 慣れの問題ではない気がするんですね。観客的な見方から転換できるかどうかだと思います。リング上で行われることは派手なほうが面白い、というような立ち位置が動かない限り、この日常のごちゃごちゃをリング上でスカっとさせるというモードは切り替わらない。それは決定的な立ち位置の問題です。
駒崎 今まではお客さんでいても問題なかったけど、そろそろヤバイなってお尻に火が付いたら、「やべえ、俺もリングの上にあがってなんとかしなきゃっ」ていうふうになっていくんじゃないかな。
荻上 ならざるをえないですよね。
駒崎 そうなったときに、ほら上がれよっていうのが自分たちの役割なのかなと。
湯浅 そうかもね。
荻上 この数年間で貧困問題もだいぶ議論が進んだし、NPOに対する理解も震災以前と以降では全く違っている。すべて根本的な民度の低さのせいにしがちだけど、メディアを活用しながら、具体的に前に進んでいけることはこれからもたくさんあると思います。
湯浅 やっぱり諦めないってことですね。精神論で終ってしまいますが(笑)
駒崎 精神論を小脇に抱えながら、萎えずに行動し続けていきましょう。
(2012年9月12日 六本木)
プロフィール
駒崎弘樹
NPO法人フローレンス代表理事。1979年東京都江東区生まれ。慶応大学総合政策学部卒業。「子どもが熱のときに預かってくれる場所がほとんどないという『病児保育問題』を解決し、子育てと仕事の両立が当然の社会を創ろう」と、05年4月に全国初の非施設型・共済型病児保育サービスを開始。2007年ニューズウィーク「世界を変える社会起業家100人」に選出。10年からは待機児童問題解決のための小規模保育サービス「おうち保育園」を開始。2011年内閣官房「社会保障改革に関する集中検討会議(座長:菅首相)」委員に就任。プライベートでは10年9月に1児(娘)の父に。経営者でありつつも2か月の育休を取得。著書に『「社会を変える」を仕事にする』『働き方革命』『社会を変えるお金の使い方―投票としての寄付・投資としての寄付』など。
湯浅誠
1969年東京生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。1995年よりホームレス支援活動を行う。現在、反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事。2009年10月に内閣府参与、2012年3月辞職。著書に『反貧困』(岩波新書、2008年、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞大賞、第8回大仏次郎論壇賞)、『貧困襲来』(山吹書店、2007年)、『正社員が没落する』(堤未果氏と共著、角川新書、2009年)、『派遣村』(いずれも共著、岩波書店・毎日新聞社、2009年)、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版、2012年)など。