2026.06.24

AI時代に、それでも人は学ぶ必要があるのか――イーサン・モリックが問いかける「人間でありつづける」という選択

芹沢一也 SYNODOS / SYNODOS Future 編集長

教育

ペンシルベニア大学ウォートン校のイーサン・モリック(Ethan Mollick)教授。
彼はChatGPTが登場した直後から、自身の教室を「実験場」にして、AIと教育の融合を模索してきました。

現在、AIがあらゆる分野に浸透し、世界が激変しています。
そうしたなかで、わたしたちの「学び」のかたちはどうなっていくのか。

モリック教授の2つの論考に探りたいと思います。

電卓の歴史が教えてくれた「新しい教育の希望」

AIの登場初期、多くの人びとが警戒感を強めました。
しかし、モリック教授が “The Future of Education in a World of AI” で示したヴィジョンは、とてもポジティブで希望に満ちたものでした。

彼は1970年代の「電卓論争」を引き合いにだし、テクノロジーの進化を禁止する無意味さを説きました。

「電卓が登場したとき、多くの教師が『学生の数学能力が失われる』と激しく抵抗した。しかし最終的に、電卓は排除されるのではなく、教育のプロセスに不可欠なツールとして統合されていった。AIも同じ道をたどるだろう。」

教授が予言したのは、「家で宿題(レポート)をやり、学校で講義を聴く」という伝統的なモデルの崩壊です。
なぜなら、学生たちはAIを使って、完璧なレポートを、数秒で出力できるようになったからです。

「宿題という概念は死んだ。ここで言う宿題とは、授業の外で、教師が見ていない場所で行われるあらゆる知的な成果物のことだ。(中略)わたしたちがこれまで『学びの証明』として頼ってきたシステムは、もはや機能していないのだ。」

しかし、これは絶望ではありませんでした。
むしろ、人間が「受動的な暗記や作業」から解放され、「能動的学習(Active Learning)」へ移行するチャンスだと、教授は捉えたのです。

さらに、この変化は、「教育のパーソナライズと格差是正」をもたらすと期待されました。
高価なチューターを雇う余裕のない学生であっても、AIは「24時間いつでも寄り添う、信じられないほど優秀なコーチやディスカッションの相手」になり得るからです。

知識の提供やフィードバックは、今後、AIが代替してくれる。
だからこそ、人間の教師(そしてわたしたち人間)は、「批判的思考(クリティカル・シンキング)の育成」や「創造性の刺激」、「人間同士のつながり」という、より本質的な役割に集中すればいい。

これが、教授が最初に描いた未来のグランドデザイン、テクノロジーと人間が幸福に共生する姿でした。

データが突きつけた「人間退化」の現実

ところが、このあと世界は、教授の想像を超えるスピードで変化しました。
AIがたんなる「道具」であることを超えて、自律的に動く段階に入ったとき、教室の現場では「別の現実」が頭をもたげはじめました。

教授はその後に発表した論考 “Choosing to Stay Human” のなかで、初期の楽観論を大きくアップデートします。
そこで、わたしたちが今まさに直面している「静かな危機」をデータとともに提示しました。

いまや社会やネットは、AIが生成した「もっともらしい、完璧なコンテンツ」で溢れかえっています。
しかし、そこには人間の「伝えたい」という切実な思い(意味)が欠落しています。
それなのに、わたしたちはつい真面目に読んでしまい、貴重な時間とエネルギーを無駄に奪われてしまう。

モリック教授は、こうした中身のないAI文章を、わたしたちの注意力を食いつぶす「意味の形をしたアテンション・ヴァンパイア(注意力を吸い取る吸血鬼)」と表現しています。

そして何より深刻だったのは、AIを「課題を早く終わらせるための近道(ショートカット)」として使っていた学生たちの学習データでした。

実験によると、AIのサポート(たんに答えを出すチャットボット)を受けている間、学生たちは完璧な成績を収めていました。
しかし、AIを取り上げられると、事態は一変します。
自分の頭で考えなければならなくなったとき、彼らのパフォーマンスは、AIを使わずに勉強してきた学生たちよりも大幅に低下したのです。

「AI を最高のチューターにすれば、人間はより高度な思考ができる」という初期の理想は、現実の運用のなかで大きく裏切られました。
AI は学習を強力に支援する一方で、たんなる近道として利用された場合には、学習そのものを空洞化させてしまう。
このよなう危険もあることが見えてきたのです。

しかし、問題は AI そのものではありません。
AI をどのように使うのか、どこまで任せるのかという「人間側の選択」にこそ、本質的な課題があったのです。

わたしたちが進むべき「あえて、人間でありつづける」という選択

AIが普及するなかで、あらゆる表現や知的な成果物のハードルが、かぎりなくゼロに近づいています。
それは、効率性のみを追い求めれるならば、すべての思考を機械に預けることが「正解」になってしまう世界です。
そこで人間は、どう生きていけばいいのか。

モリック教授がたどり着いた結論は、効率性という誘惑にあえて抗うことでした。
そして、「人間でありつづけること選択すること(Choosing to Stay Human)」でした。

「すべてをAIに最適化させる世界では、人間が泥臭く悩み、間違えながら学ぶプロセスそのものに価値をおく領域を、意識的にデザインしなければならない。(中略)AIがあなたの代わりにメッセージを書き、AIがあなたの代わりに計画を立ててくれるとき、わたしたちはあえて『ここはAIを使わずに、自分でやる』という領域を選ぶ必要がある。それが、わたしたちが自律性を保ち、人間関係の絆を守るための唯一の方法だからだ。」

教授の結論は、スマートなものに見えないかもしれません。
むしろ、「泥臭い」と言っていいものでしょう。

しかし、人間が何かを本当に理解し、自らの血肉とするとき、あるいは誰かと深い信頼関係を築くとき、もっとも決定的な役割を果たすものは、何でしょうか?
それは、そこに至るまでの、「きわめて非効率な格闘のプロセス」ではないでしょうか。
そしてそれは、AIを利用するときにも当てはまるはずです。

どの言葉を使えば相手に真意が届くかと、画面の前で悩むこと。
AIの提示するもっともらしい答えに対して、「本当にそうか?」と疑問を抱き、自分の頭で問いを立て直すこと。
自分の頭で考え、間違え、ときに恥をかきながら、ひとつの本質にたどり着くこと。

これらはすべて、生産性の観点から見れば、たんに時間を浪費する回り道です。
しかし、労苦に満ちたこの回り道こそが、その人の固有の「輪郭」をつくり、言葉に重みを与えるのではないでしょうか。

重要なのは、AI を使うか使わないかではありません。
AI を積極的に活用しながらも、自分で考え、自分で学び、自分で決断する領域を意識的に残しておくことです。
教授が問いかけているのは、その主体性の問題です。

わたしたちはどこへ向かうか

目の前で世界が、現在進行形で変わっていく。
そこでわたしたちが覚える不安の正体は、「置いていかれること」への恐怖かもしれません。
しかし、無批判にAIがもたらす近道を歩いていると、気づけば自らの「思考の肉体」をそぎ落とすことになります。

モリック教授のメッセージからわたしたちが受け取るべきは、「あえて自分の足で歩く領域を取っておく」という覚悟です。

AIのような便利な道具は、徹底的に使いこなせばいい。
それはわたしたちの視野を広げ、新しい世界を見せてくれます。
しかし同時に、「深く考えること」「何かを掴み取ろうと格闘すること」だけは、決してAIに譲り渡してはなりません。

どこまでを AI に任せるのか。
どこから自分で引き受けるのか。

その境界線に正解はありません。
しかし、どこかにその線を引き、主体性の領域を確保せねばなりません。

この結論がいかに凡庸に響くとしても、自分で考え、自分で選び、自分で学びつづけることの意義は、いかなる世界においても決して失われないはずです。

プロフィール

芹沢一也SYNODOS / SYNODOS Future 編集長

言論プラットフォーム SYNODOS の運営・編集を担い、現代社会における言葉の扱われ方を実践の場で扱っている。1968年東京都生まれ。アカデミズムとジャーナリズムのあいだに位置する場としてシノドスを立ち上げ、専門知を社会にひらくことを目的とした活動を続けてきた。

株式会社シノドス代表取締役。政治・社会・科学技術など複雑な問題を、どのような言葉で提示すれば議論が成立するのか、その条件を整えることを編集の役割として位置づけている。特定の思想や立場を前提とせず、論点が共有可能なかたちで提示されることを重視している。

この編集的な視点は、言語教育の分野にも接続されている。シノドス英会話 を主宰し、大人のための英語学習に取り組む。表現の暗記や会話テクニックではなく、日本語と英語における思考プロセスの違いに着目し、「分かっているのに話せない」という状態がどこで生じているのかを整理することを出発点としている。

言論という社会的な実践と、英会話という個人の実践を往復しながら、言葉が社会と個人をどのようにつないでいるのかを、具体的な場面で扱っている。

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