2013.01.16

ステルスマーケティングへの「対策」について 

山口浩 ファィナンス / 経営学

情報 #口コミ#ステマ#ステルスマーケティング#ペニーオークション詐欺#関係性明示#WOMJガイドライン

ペニーオークション詐欺に関連して、広告塔となった複数のタレントがブログ上でやらせ口コミを行っていた件が、ステルスマーケティングだとして話題になっている。口コミマーケティングに関するガイドラインをつくっているWOMマーケティング協議会(WOMJ)のガイドライン委員会メンバーであるせいもあるかもしれないが、この件ではわたしも何度か取材を受けた。

件のペニーオークション詐欺事件に関するわたしの考えは、自分のブログでも書いた。基本的には詐欺事件が「本体」で、ステルスマーケティングはその広告のために行われたという意味で「傍流」の話だ。報道等では、またタレントがステマだ、けしからんと騒ぎ立てているが、どちらかというと、ただタレントの名前を出せば世間の関心が集まるだろうという売らんかな根性ばかりが目立つ。

「ステマというより芸能人詐欺広告塔事件だろうこれは」

http://www.h-yamaguchi.net/2012/12/post-0b25.html

こういうことを書くと、ステマ問題を過小評価しようとするステマ擁護派かと誤解する人が出てきたりするのだが、もちろんそうではない。ステルスマーケティングは、消費者に対して広告であることを堂々と開示するのではなくこっそり隠れて行うという意味で「卑しいマーケティング手法」であり、口コミへの信頼を失わせるという意味で、業界だけでなく社会全体にとって望ましくない行為だ。それはWOMJの考え方とも通じるものと考えており、だからこそWOMJ会員として活動しているわけだ。

だからこそ、こうした行為をネットだけの問題ととらえて、ネット上の口コミに対してすぐ「ステマ乙」と揶揄したり(実際、「ステマ」は2012年のネット流行語大賞の金賞に選ばれた)、法規制(それが何だかよく考えもせずに)が必要だとしたり顔で語る人がうじゃうじゃ出てきたりする状況にははっきりいって辟易している。というわけで、このあたりについて、個人としての考えをもう少しまとめて書いてみる。

ネットだけの話ではない

まず、ステマ問題について「ネットでは」と紹介するのは、少なくともミスリーディングだ。「ステルスマーケティング」は比較的最近使われるようになったことばだと思うが(兵器に使われるステルス技術に注目が集まって以降のことと推測する。英語では「undercover marketing」の方が一般的ではないかと思う)、広告やプロモーションをそれとわからないように行うという行為自体は、ずっと昔から、メディア業界のみならず一般的に、幅広く行われてきた。別の呼び名、たとえば「やらせ」や「サクラ」などと呼ばれていた場合もあるが、とくに呼び名もなく業界の慣習として当たり前のように受け入れられてきたものも多いだろう。

そしてそれらは、かつてほどおおっぴらであるかどうかは別として、今も行われている。マクドナルドがクォーターパウンダーを発売した際、対価を支払って人を集め、店舗前に行列をつくらせたのは2008年のことだった。後で批判を浴びた際「モニター調査」だったと苦しい説明をしていたが、サクラと受け取るのが一般的な考え方だろう。

http://marketingis.jp/wiki/サクラバーガー問題

また、新聞や雑誌等の媒体資料などを見ていると、記事広告やタイアップ、ペイドパブといったことばがよく出てくる。あらっぽくまとめれば記事に似せた体裁の広告で、もちろん料金をとって掲載しているわけだが、これらも大きくいえば、そうしたものの「仲間」だ。

新聞や雑誌の記事は、一定の信頼性を持つものとして一般に受け止められている。そうした媒体に、記事に似せた体裁の広告を掲載することで、わたしたちが記事を読む際と似たレベルの信頼を寄せてくれるだろうと期待するわけだ。テレビ等の放送でも、グルメ番組や旅行番組など、番組内容と広告が入り交じっているのではないかと思われる番組は少なくない。画面でタレントが「うまいうまい」と言って食べていれば、本当にうまいのだろうと思うのがふつうだろうが、それを利用するわけだ。

出版業界の方々は、記事広告には「広告」「PR」などと表記してあるから消費者もわかるはずで問題ないと主張されるだろうが、多くの場合、言うほどわかりやすく表示されているわけではないし、実際、消費者にその違いがはっきりと意識されているわけでもない。中には表示がまったくないものもある。テレビ番組の最後に高速で流れるエンドロールのクレジットにしても、何と書いてあるかわざわざ読もうとする人はまずいないだろう。建前はどうあれ、それらの表示は消費者から無視されることを期待され、無視されやすいようにデザインされている。

何が「ステマ」なのか

だから問題だ、といいたいのではない。ステルスマーケティングが通常のマーケティング活動とまったく異なる世界のものというわけではないということだ。

いうまでもないが、商品やサービスについて何かを伝える際に、なんらかの意味で「事実」とはいえない要素が入り込むことや、事実の一部が開示されないことは、むしろふつうといってもよい。街のレストランの店頭に並ぶ食品模型やメニューの写真は、その店内で出される実際の料理よりたいてい豪華だったりおいしそうだったりする。タレントが広告で乗っている車にプライベートでも乗っていることは少ないだろうし、「宇宙人ジョーンズ氏」の目がピカっと光っても携帯電話の電波がつながるわけではない。これらはみな、いじわるな表現をすれば、何らかの意味で事実とは異なる「誤認」を引き起こすことで人に意図する印象を形成させたり、望む行動へと誘導したりする活動だ。

http://www.softbankmobile.co.jp/ja/news/press/2012/20120820_02/

しかしこれらは、別に消費者を騙して損害を与えたいわけではない。その商品やサービスに関心を持ってもらい、それらのよい点をはっきり伝えたいというのが意図だろう。結果としてわたしたちが購入した商品等が、わたしたちの期待とそう大きくずれていなければ、何か実害があったというわけでもない。わたしたちは、大きな実害がない限り、こうした「演出」の多くを違和感なく受け入れている。

先日わたしのところに来られたNHKの取材の方々も、「研究室を訪ねてきてわたしと挨拶を交わす映像」を撮りたいと希望された。挨拶を交わした後、打ち合わせの中で出た話だ。やらせ口コミはいかんというコメントを取りに来た取材の方が、当たり前のように映像的な演出のための「やらせ」を求める図というのは、見ていてシュール、というよりむしろ滑稽だ。指摘すると「たしかにそうですね」と笑っておられたが、もちろん彼らの意図が視聴者を騙そうというものでないことは理解できる。

とはいえ、これらがまったく損得抜きの話であろうはずもない。広告を広告とわかりにくくすることによって、金を払って人を集めて行列や賑わいを演出することによって、少なくとも間接的には自らの得になることを期待しているにはちがいない。わかりやすい映像を演出することも、番組評価に反映すると期待されるから同類だろう。こうした、誰しも自然に考え、日常的に行なっていることとステルスマーケティングとは、地続きの行為であるということだ。

もう少し具体的な例を出してみる。たとえば、新商品に関する口コミを起こそうとして、ブロガーイベントを開いてブロガーを集め、報酬を払って自社商品に関する記事を書いてもらったとする。報酬付きであることが記事に書かれていなければ、これはまさしくステルスマーケティングになるわけだが、では会場でペットボトルの水をもらったらそのことも書かなければならないのか?イベント会場までの交通費の実費を負担してもらったら?金銭ではなく、ステッカー1枚やらポイントやらの場合はどうだろう?書く際に報酬の額まで書かなければいけないのだろうか?「商品の提供を受けた」と書くのはだめなのか?「キャンペーンに協力している」だったらどうか?

もう少し日常生活に近いものだと、以下のような例はどうだろうか。たとえば同窓会の幹事を任された友人に店の相談を受けたとき、行きつけの居酒屋を推薦するようなことはふつうにあるだろう。ではそのあと居酒屋主人からお礼に一品つけてもらったら、それは対価をもらった口コミとはいえないのだろうか?「またよろしく」と主人に言われたらそれは報酬付きの依頼ということになるのか?そのことをすべての出席者にあらかじめ開示しないまま参加申し込みを受け付けた場合、同窓会に出席する他の同窓生たちを騙したことになるのだろうか?

わたしたちの「常識」は何か

他にもさまざまなケースが考えられる。これらの行為は、ステルスマーケティングとみていい場合もそうでない場合もあるが、いずれも広い意味では、ごく近い種類の行為といえる。そのうちステルスマーケティングをわたしたちが許容できない行為であると定義するとして、わたしたちはそのどこまでを許容し、どこからを許せないと思うのだろうか。

何がステルスマーケティングにあたるかが、そう単純明快な基準で分けられるものでないことは、上にあげた例でおわかりいただけたと思う。わたしたちはこの判断を、日常生活の中で、半ば無意識のうちに行なっている。そしてそこに、ネットかリアルかといった区別はない。別の言い方をすれば、わたしたちが何を許せない行為と感じるかは、どこかにあるアプリオリな倫理基準というより、さまざまな要因を含めながら総合的かつ感覚的に判断する「常識」によって決まってくるということだ。

最近「ステマ」だとして問題になったケースを思い出してみると、有名企業や有名人等がからんでいたり多額の金銭が動いていたりしたケース、犯罪や健康被害、多額の金銭的損害など無視できない消費者被害が発生したケース、あるいは消費者が信頼していたメディアで偽装が行われたケース、ぐらいになろうか。もちろん、その「常識」は時とともに変わる。マクドナルドが「モニター調査」で批判を浴びたのも、そうした「常識」の変化のあらわれのひとつだろう。全体として、こうした行為に対する許容度は下がりつつあるのかもしれない。

それら、マスメディアやそれ以外の業界や個人までも含む、社会の中で一般的に行われている行為全般について、そのあり方を抜本的に見直せというのであれば、一応、一貫した話ではあるが、ネットだけ取り上げて、さまざまあるものをひとくくりにしてしたり顔で問題視してみせても意味はない。ネットでは小さい事業者や個人がいるから問題が起きやすくなっていると指摘する向きもあるが、それらはネットが普及して初めて登場したのではない。ネットは可視化されやすくなっているから目立つだけで、ステルスマーケティング的な広告手法は、ネット普及以前からごく当たり前に行われてきた商業活動の一部であり、そしてそれらはわたしたちが日常生活の中でふつうに行なっていることの一部だ。

つまり、わたしたちがなくしたいと考えるステルスマーケティングと、このくらいならいいだろうと考える行為との差は、一般に考えられているほど大きくはないのだ。したがって、ステルスマーケティングをなくしたいと思えば、何が許されて何が許されないか、わたしたちの「常識」とは何なのかをひとつひとつ細かく判断していかなくてはならない。刻々と変化する技術やビジネスモデルもどんどん取り込み、随時判断を変更していかなくてはならないということだ。

「新たな法規制」は必要なのか

 こうした「細かい判断」を行うための具体的な基準を、WOMJは2009年に口コミマーケティングにおけるガイドラインとして発表した。その中核となる部分は、ブロガーなどの情報発信者が金銭、物品、サービスの提供を受けた場合にはその旨がわかるように表示するという、いわゆる「関係性明示」の原則だ(ガイドラインは2012年12月に改訂され、新たに「消費者行動偽装の禁止」が原則として盛り込まれた)。

会員事業者はこれに沿った各社独自の方針を設定し、口コミマーケティングを行う際には、個々の情報発信者に対し、関係性を明示してもらうよう努めることとなっている。具体的に問題となる事例や手法が出てくれば逐一検討し、ガイドラインは随時改訂されていくしくみだ。

残念ながら、現状でガイドラインが完全に守られているとはいえない。今回問題となったペニーオークション詐欺のステルスマーケティングが行われたアメーバブログも、会員事業者であるサイバーエージェントが運営しているものだった。同社自体は本件ステルスマーケティングに関わっていなかったようだが、契約ブロガーに対する管理が甘かったという批判は免れない。今回の事件を受け同社は、2012年12月20日付で同社のガイドラインを見直し、ガイドラインに反したブロガーへの罰則規定を定め、不正業者などへの対応策をとると発表した。他の会社も、今まで以上に取り組みを進めていくだろう。

こうした状況下で、ステルスマーケティングに対して、新たな法規制は必要なのであろうか?

たしかに現在、日本には、ステルスマーケティングを直接規制する法律はない。広告等における不当な表示に関しては、不当景品類及び不当表示防止法(いわゆる景表法)にこれを禁止する規定がある(第4条)が、これは実際より優良ないし有利と消費者に誤認させるような表示を禁じるものであり、ステルスマーケティングそのものへの規制ではない。

また、ネット販売も含む通信販売に関しては特定商取引に関する法律(特商法)が適用され、広告の表示内容に関する規制(第11条)や誇大広告等の禁止(第12条)などの規制があるが、これも「著しく事実に相違する表示」や「実際のものより著しく優良であり、もしくは有利であると人を誤認させるような表示」を禁止対象としたものだ。

今回のステマ騒動を受けて、法規制論を唱える人々がいる。彼らが具体的にどんな規制を主張しているのか詳細はわかりかねるが、しばしば出てくるのは海外の事例だ。

たしかに欧米には、法的な規制を導入している国もある。たとえば英国では、EUが2005年に採択した「不公正商行為についてのEU指令」(UCPD)を受けて、2008年に「不公正取引から消費者を保護するための法律」(CPUTR)が制定された。米国では、2009年にFTCが「推奨及び体験談の広告への使用に関するガイドライン」を定めている。

これらにおいてはステルスマーケティング、つまり広告主その他スポンサーなどから金銭その他の提供を受けたにもかかわらずそれを表示せずに(つまり関係性明示を行わずに)推奨等を行うといった行為は禁じられている。消費者の「informed decision」を重視する考え方だが、事業者のみならず、個人のブロガーなどでも処罰されるおそれのある罰則を含む。個人間のコミュニケーションに直接介入されるおそれがあるという点では、強力な規制といえる。

関係性明示の法規制は有害無益

こうした規制を行えばステマ問題は解決するだろうか。なにがしかの効果はあるかもしれない。事業者や個人が、法で禁止された行為をおおっぴらに行うことは、少なくとも表面的には減るだろう。しかしそれらは実際のところ、わたしたちにさしたるメリットをもたらさない。まともな事業者のうち主だった企業はおおむねすでにWOMJの会員となってそのガイドラインを守るよう努めているし、WOMJ会員でなくても、善良な事業者は多い。まともな個人も大多数はこうした行為にあからさまに手を染めたりすることはないだろう。

一方、ステルスマーケティングが具体的な消費者被害につながるのは、今回のペニーオークション詐欺のように、もともと消費者を騙して商品やサービスを買わせるような場合だ。実際、国民生活センターが「サクラサイト」として注意を呼びかけている事例はいずれも、販売される商品・サービスの内容や契約条件等が詐欺的、背信的、あるいは消費者への配慮を欠くような場合で、関係性明示の有無に起因するものはあがっていない。出会い系サイトや内職・副業等に関するものが多くを占めるようだ。

http://www.kokusen.go.jp/soudan_topics/data/internet2.html

http://www.kokusen.go.jp/soudan_now/data/sakurasite.html

こうした、それ自体違法な活動を行う事業者やその宣伝にあえて加担するような個人は、仮にステルスマーケティングが違法行為であったとしても、それを厭わないだろう。つまり、このような法規制をしても、もっとも防ぐべき状況には効果が期待できないということになる。

ステルスマーケティングは、外部から立証することが難しい。一般の口コミと金銭等に動機づけられた情報発信は、実際にはなかなか区別できない。法規制のある英米でもあまり摘発例は聞かないが、難しいのだろう。これをむりやり根絶しようとすれば、実効性のある手段は、きわめて広範かつ徹底的なインターネット規制しかありえない。それは当然ながら、事業活動の自由のみならず、個人の表現の自由やプライバシーを大幅に制限することになろう。コミュニケーション全体に対する萎縮効果は計り知れない。

一方、日本弁護士連合会は、2012年2月17日付で、「インターネットを用いた商取引における広告の適正化を求める意見書」を出している。

http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2012/120217_2.html

特定商取引に関する法律(いわゆる特商法)を改正せよという意見書だが、この中には口コミサイトについても言及があり、関係性明示の不備を、同法第12条の2に定めるいわゆる不実証広告規制の対象とせよ、と読める趣旨の意見が書かれている。具体的な意図は不明だが、これによって、関係性明示がない場合には消費者の側に解約権などを認めようという考え方と思われる。

特商法は「販売業者または役務提供事業者」が対象なので、この案では口コミをしただけの一般的な個人が刑事責任を問われるような規制にはならないかもしれないが、安心はできない。また、この案では『食べログ』その他で問題になったような、通信販売以外の事業者が行ったステルスマーケティングは対象にならないだろうし、ネットだけを規制しようとする意図がかいま見えるのも気になる。いずれにせよ、個人の口コミと見えるものがステルスマーケティングによるかどうかはわからないので、口コミマーケティングに関してもっとも防ぐべき悪質なケースには効果が期待できない、という点は同じだ。

上記意見書は、インターネット通販に関する国民生活センターへの相談件数が近年増加していると指摘するが、一方で、日本広告審査機構(JARO)が受け付けた広告に関する苦情・意見の中で、インターネットに関するものは、件数も全体に占める割合も伸びてはいない。

図1は、最近のJAROに対する苦情・意見の受付件数の推移と、そのうちテレビとインターネットがどのくらいの割合を占めるかを示したものだ。「意見」とは「問合せ」の中でも「苦情」に近いもので、要するに問題のある広告だとの情報が寄せられたケースということになろう。

※JARO審査統計より作成

まず、この期間を通して、広告全体に関する苦情・意見の受付件数が減少傾向にあることを確認されたい。JARO自体への認知度が上がってきている中での減少である点は重要だ。主な減少要因は折込広告など、ここでいう「それ以外」の部分だが、テレビやインターネットについても、件数はやはり減少傾向である。全体のうちネットが占める割合は、上下があるものの、この期間を通じておおむね15%前後で、増加の傾向は特段みられない。

JAROは、取引や契約内容に関するものなど、広告・表示に直接関係ないものは取り扱わない。国民生活センターへの相談件数が増えているのにJAROへの苦情が増えていないということは、問題が広告の手法ではなく、取引の内容やその方法自体にあると解すべきであろう。

また、全体のうちテレビ広告に関する苦情・意見件数が占める割合もおおむね同水準で推移しているが、それが40%前後と圧倒的に高いことは、メディアとしてのテレビのプレゼンスが、依然としてネットよりはるかに大きいことを示している。

そうした影響力の大きいテレビ広告は、景表法をベースに自主規制で対応しているのが現状だ。このような状況で、なぜ口コミマーケティング業界を巻き込んで、個人間のコミュニケーションにまで介入するようなかたちで関係性明示を法で規制しようという主張が出てくるのだろうか。

上記意見書を読む限り、日弁連としては、出会い系サイトや詐欺的な商品・サービスを売る悪質な事業者への責任追及を行いやすくするために、広告における関係性明示の不備を口実として使いたいという意図のようにもみえる。しかし、そうした一部の悪人たちへの対応のために、圧倒的大多数を占める善良な人々によるネット上の口コミ全般にまで大きな影響を及ぼす規制をかけようというのは、あまりに乱暴すぎる。

どのような法規制も、それが実効性をもつためには体制の整備やコストの負担が必要であり、それがなければ絵に描いた餅にすぎない。実際には、有効な取締体制をつくることは難しく、一罰百戒のようなかたちにならざるをえまい。中途半端な規制にとどまれば、善良な事業者や個人は退場し、残るのはもともと悪意のある事業者や個人だけとなる。実態は闇に潜ってさらにわかりにくくなり、副作用としての弊害だけが残るだろう。つまり、このような規制は、善良な者を萎縮させるか悪人を跋扈させるかのどちらか、あるいはその両方にしかならない。状況はより悪化することになる。

そもそも、法規制ではどうしてもきめ細かい対処ができず、急速に変化する技術やビジネスモデルにもついていけないという抜本的な問題点がある。要するに、現状で法規制を強化して対策をとろうという考え方は、あまりスジのいい話とは思えない。

業界の取り組みを見守るべき

ではどうすればいいのか。2012年1月9日放送のNHK総合「ゆうどきネットワーク」では、「自分で気をつけろ、ネットの情報は疑ってかかれ」と話しているわたしの映像が流れたが、インタビューではもちろん他にもいろいろ話している(あの部分が番組制作者の「演出意図」に沿ったものだったということだろう。実際、当初の取材依頼は「どうやってステマを見抜くのか?」だった)。

口コミマーケティング業界にはすでにWOMJという団体があり、その加盟事業者は、ステルスマーケティングを行わない旨を定めたガイドラインを守ることとなっている。もちろん、設立後まだ3年そこそこの団体であり、業界に関わる全社が加盟しているわけでもない。加盟社にしても、今般の事件の例のようにすべてが完璧にいくわけではないが、それでも設立当初と比べ、事業者の意識や取組姿勢は変わってきている。一定の成果はあげつつあるように思われる。

仮に法規制があったとしても、それが実際に浸透していくには業界側が自主規制のための体制を整備することが必要となろう。そして業界側の体制が整っていれば、マスメディアがそうであるように、現行法の下でも自主規制には一定の効果が期待できる。であれば、効果が期待できず弊害が懸念される新たな法規制を主張するより、まずはこうした業界の取り組みを見守り、支援していく方が、社会全体としてよほど健全というものだろう。

WOMJガイドラインで議論の対象となっているような、ブロガーイベントで100円の清涼飲料水を配ったら関係性明示は必要か、500円相当の商品だったらどうか、といった問題は、乱暴な比較をすれば、実物より少し大きな食品模型は許されるのかどうか、といった類の話だ。法律で規制されていなくても、消費者の実害がほとんどなかったとしても、まっとうなビジネスとしてやるべきことではないという考え方だ。

一方、日弁連意見書で問題視されているのは、詐欺のような、消費者に大きな被害をもたらす悪質な事業活動の道具としてステルスマーケティングが使われたケースだろう。つまり、ステルスマーケティングで大きな消費者被害が出ているかのような主張をする人は、冒頭のペニーオークション詐欺の話と同様、「本体」と「傍流」の話をごっちゃにしている。出会い系サイトやネット詐欺等への対応が必要なのはわかるが、それはそうしたよからぬ行為を直接規制する法整備で対応すべきであり、関係性明示を摘発の道具に使ってネット上の口コミ全体に悪影響を及ぼすのは、はた迷惑以外の何ものでもない。

メディアが社会になじむまで

あるメディアのあり方が社会との関係で落ち着くまでには時間がかかる。景品表示法は1962年に制定された。1960年に起きたいわゆる「にせ牛缶事件」を受けてのものだが、それ以前から、消費者の権利への関心は高まりつつあった。1953年に開始したテレビ放送も含めたマスメディアの発達や普及もあって、表示や広告等に起因する消費者被害が社会問題化していた時期だった。法制定後も、虚偽広告、誇大広告による被害はたびたび発生した。業界によって日本広告審査機構(JARO)が設立されたのは1974年のことだ。

しかしその後もトラブルは止まなかった。図2は、JAROに対する苦情・問合せ等の受付件数の推移を示したものだ(図1と異なり、たんなる問合せ等も含まれている)。この間、JARO自体の認知度が高まっていったことも関係しているだろうが、苦情・問合せ件数は増加の一途をたどり、ようやく増加ペースが落ち着きを見せたのは1990年代も後半に入ってからだった。

※JARO審査統計より作成

ここまでで30年以上、テレビ放送開始からみれば約40年もの期間が経過している。その間広告業界は、景表法をベースに業界ルールや苦情処理体制の整備を進め、状況改善のための努力をつづけてきた。満足いくべき水準かどうかは別として、現在の状況はそうした長い期間かけた取り組みの成果といえる。もちろん、その間に消費者のリテラシーが向上したという要素もあるだろう。

一方、インターネットでの個人の情報発信を利用したステルスマーケティングが問題視され始めたのは、ブログがブームとなって以降のことだ。当時「ペイパーポスト(pay per post)問題」と呼ばれたこの問題は、2003~2004年ごろからアメリカで問題となり、2005年に事業者団体であるWOMMAが設立された。日本でペイパーポストが問題となったのは米国より数年遅く、WOMJの設立も2009年になってからのことだ。そして消費者庁が、「インターネット消費者取引に係る広告表示に関する景品表示法上の問題点及び留意事項」を公表し、その中で口コミサイトの問題を取り上げたのが2011年10月末ということになる。

こうみてくると、ネットの発達は、マスメディアの発達から数十年遅れてその後を追っているようにもみえる。メディアとして受け入れられ、普及し、影響力を増していく過程であり、それに応じて社会的責任も重くなっていく。その意味でいえば、口コミマーケティングの発達はほんのここ数年のことであり、少なくとも現段階では、業界はまだ揺籃期にあるといってよい。性急な法規制論議より、業界の取り組みを見守るべきであろう。

もちろん、だからといって口コミマーケティング業界を「野放し」にしていいという話ではない。マスメディアがそうであったように、ネットメディアも今、その影響力の増大に伴って、それにふさわしいふるまいが求められるようになってきている。これまでのままでこれからもいける、などということはない。WOMJもその機能をさらに強化し、これまで以上に強い覚悟をもって、よからぬ行為、よからぬ事業者を排除していく姿勢を打ち出さなければ、やがて法規制より厳しい、消費者の信頼を失うというかたちでの致命的なしっぺ返しを食らうことになるのではないか。

口コミはわたしたちのもの

繰り返すが、ネット上のものであるかどうかにかかわらず、個人の口コミを装ったマーケティング活動を、外部から見抜くことは難しい。したがって、事業者側だけでなく、消費者の側も、口コミに接する際にはある程度の「常識」を持つ必要がある。

道端で知らない人が何かをほめていたからといって、それを何の疑いもなく信じる人は少ないはずだ。だとすれば、ネット上で誰だかわからない人が推奨していたからといって、それを全面的に信用すべきでないのは当然だろう。

上記のNHK番組では、出演者が、「ネットに書かれていたらつい信じてしまう」と発言していたが、ではテレビの広告に出てくることをすべて鵜呑みにするだろうか。オーソン・ウェルズの有名な「宇宙戦争ラジオドラマ事件」(1938年)ではあるまいし、「ジョーンズ氏」が本当に地球にやってきた宇宙人であるなどと考えるだろうか。

わたしたちはテレビになじむうち、テレビの広告で伝えられる情報のうち、何をどの程度信用していいのかについての「常識」を身につけた。テレビ放送開始直後の1950年代から60年代にかけて苦情が相次いだのは、もちろん広告自体に問題があったからだろうが、同時に視聴者の側も、テレビ広告をどのように受け止めればいいのか慣れていなかった部分もあるのかもしれない。

言ってみればわたしたちは、つい最近ネットやソーシャルメディアという新しい道具を手にして、今まさにその使い方に習熟する過程にある。ここで自分は何も考えずに「誰か」に守ってもらう「子供扱い」を求めたい人もいるのかもしれない。しかし結局、完璧に守ってくれる人はどこにもいない。ならば自らその使い方を身につけるしかないではないか、というのが、わたしがNHKの取材に対して答えた「自分で気をつけるべき」という発言の意図だ。

図2で、JAROへの苦情・相談等の件数が減少を始めたのが2000年代後半であったことは興味深い。消費者庁の発足(2009年)を含む消費者行政の進展もあっただろうしリーマンショック(2008年)以後の不況で広告が減ったりもしたのだろうが、変化はそれ以前、2007年ごろから始まっている。もちろん業界関係者の努力も大きいだろう。

しかし同時に、2000年代後半は、日本においてソーシャルメディアが本格的に普及していった時期でもある。今回のステマ騒動にせよそれ以前に起きたペイパーポスト問題にせよ、あるいはサクラバーガー問題にせよ、発端はマスメディアではなく、ブロガーやその他のネットユーザーたちの声だった。ソーシャルメディアを使いこなす消費者は総体として、ステルスマーケティングを自ら見抜き、批判の声を上げ、事業者の対応を求める力を備え始めている。

その結果、それ以前と比べ、ステルスマーケティングは格段にやりにくくなっているはずだ。関係ないものまでも「ステマ乙」と騒ぎ立てるのは鬱陶しくもあるが、わたしたち一人ひとりの目がソーシャルメディアで連携したとき、それは法規制よりはるかに優れたステルスマーケティングへの防御策となるだろう。

口コミは政府のものでもなければ事業者のものでもない。わたしたち自身のものだ。ソーシャルメディアで情報発信をしていなくても、ネットユーザーでなくても、わたしたちは、ネットで自由なコミュニケーションができることによって大きなメリットを受けている。そうした環境を悪質なステルスマーケティングや過剰な法規制から守るために、わたしたち自身の努力が求められている。

プロフィール

山口浩ファィナンス / 経営学

1963年生まれ。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授。専門はファイナンス、経営学。コンテンツファイナンス、予測市場、仮想世界の経済等、金融・契約・情報の技術の新たな融合の可能性が目下の研究テーマ。著書に「リスクの正体!―賢いリスクとのつきあい方」(バジリコ)がある。

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