2012.11.18
「区域なき/住民なき自治体」? ―― あるシンポジウムから
建築と法と震災
2012年3月23日、東京港区の建築会館において、日本建築学会復旧復興支援部会主催のシンポジウム「復興の原理としての法、そして建築」が開かれた。若手憲法学者の木村草太をモデレーターとして、基調講演に建築家の山本理顕、コメンター・討論者に憲法学者の駒村圭吾、石川健治、建築家の内藤廣、そして建築学をバックグラウンドとする作家の松山巌を迎えて、前年3月11日の東日本大震災から1年を経た時点において、震災からの復興という課題を通じて、復興のみならず社会編成の方法としての「法」と「建築」の意義、そして両者の関係について考察しようという意欲的なイベントであった。
そのレポートは日本評論社の雑誌『法学セミナー』の12年7月号、8月号に掲載されているので、関心のある方は一読をお勧めする。木村による配布資料はhttp://www.nippyo.co.jp/blog_housemi/wp-content/uploads/2012/05/sympopaper.pdfで閲覧できる。
建築にも法律学にも門外漢の筆者ではあったが、その場で実見した限りで理解したこのシンポジウムの趣旨は、木村の配布資料冒頭でも力強く論じられているが、
・建築と法という観点から見たときに、今回の震災において一つ考えなければならないのは、やはり「多くの人びとが「財産としての住宅」を失った」ということである。
・その意味において今次震災においては「何か全く新しいことが起きた」というよりも「以前からあった問題があからさまになった」だけのことである。
というものであった。それは大変にまっすぐで正当である、と考える。そのことの意味について、以下簡単に説明したい。
人間の条件
基調講演で山本理顕は、ハンナ・アレント(『人間の条件』他)を引いて「(財の)分配としての/(空間の)区画割りとしてのノモス」について語りつつ、仮設住宅における公共圏の貧困、そしてそれに対抗する自らの試み(理論としての「地域社会圏」と釜石市での実践)について語った。
1995年の阪神・淡路大震災においても、住み場所を失った罹災者の仮設住宅への収容が、罹災者たちを従来生活していたコミュニティから引き離し、あるいは旧来のコミュニティそのものを解体して、そのことが多くの二次被災とでもいうべき問題を引き起こしたことは社会的な教訓・知見として共有されていた(例えば仮設市街地研究会『提言! 仮設市街地』学芸出版社、2008年;http://www.gakugei-pub.jp/higasi/04kase.htmより無料ダウンロード可)はずなのに、今次震災においてもその教訓は行政によってほとんど生かされていない。
この反復はまさしく、戦後日本の住宅政策の歴史、持ち家取得を促進し公営住宅を軽視してきた歴史のしからしむるものである。そのような中で山本は、普通の市街地における(しかし今日では衰退しつつある?)「広場」や「路地」のような「公共圏」を備えた仮設住宅を作るべく苦闘している。
この山本の報告を受けて石川健治は、近代法(学)、憲法(学)と建築(学)との平行性、という大上段の議論を展開する。まずは山本が引いたアレントのそれと直に響き合う、カール・シュミットのノモス論(『大地のノモス』他)、そしてル・コルビュジェのモダニズム建築と近代法の論理的同型性、例えばピロティ——「構造物をあえて浮上させ、地面に付けないことで純粋性を保つ一方、しかし反面で、地面に杭は打ち込んでいる」(『法学セミナー』2012年7月号34頁)——と根本規範(ハンス・ケルゼンのいう、実定法に理論的に先行する無形のGrundnorm)の対応について触れた上で、近代法が「人」と「物」の二分法(ならびに「人による物の所有」と「国家による人の支配」の二分法)によって「空間」を見失った、と石川は指摘した。
この石川の指摘を私なりに咀嚼すれば、古典的世界では「物」であると同時に「空間」でもあった「土地」が、近代法の世界においては動産と同質の単なる「物」に還元され、「空間」が物理的な空間というよりはバーチャルに観念化され、物理的な空間、土地、その上の構造物と不可分なものであったはずの法(ノモス)もまた、抽象的な言語観念化した、ということであろう。
大地のノモス
言い換えるならば、近代法においてはもちろん土地法、都市法は制度的にも理論的にも実務的にも高度な発展を遂げてはいるが、「物」の秩序であると同時に「空間」秩序でもある「ノモス」としての法は、根本的にはむしろ衰弱しているのではないか、という問題提起として、石川の議論は解釈できる。そしてまた石川は、日本の憲法学における「(人権としての)財産権」観念の衰弱についても鋭く指摘している。戦後憲法においては「財産権の保障」とは、財産の公用収用に対して「正当な補償」を受けられる、つまり「財産価値の補償による保障」でしかない。つまり抽象的な「価値」にとどまらない、実体的な「物」として、「空間」としての財産への権利は、必ずしも十全に保護・保障されているとは言い難いのである。
地震や津波による家屋、住宅という「財産」の喪失は、貨幣換算可能な価値の喪失であると同時に、具体的な物財、「物」の喪失であり、そしてその住宅の空間的なトポスの喪失、それを通じての、その住宅の(所有者としてであれ賃借人としてであれ)居住者の、地域社会とのつながりの毀損でもある。戦後日本の憲法体制において、この意味での「財産権」はそもそも十分に保障されては来なかった。今次震災においても、その前例が踏襲されただけのことなのかもしれない。
憲法25条の「生存権保障」の実現としての仮設住宅供給においても、そこで保障された「生存」とは「公共圏につながりつつ私的領域を保障された生活」(それこそが「健康で文化的な最低限度の生活」ではないのか?)では必ずしもなかったようである。そして、後述する原発事故において問題となっている民事的な損害賠償においても、金銭的補償はあくまで「健康で文化的な生活」の一助でしかありえないことが、十分に踏まえられた形でそれがなされるかどうか、心もとない。
もちろんそうした戦後憲法解釈、更にはその背後にある近代法全体の展開には相応の理由があったはずではあるが、それはやはりある意味では何事か——アレント、シュミットのいう意味での「(財の)分配としての/(空間の)区画割りとしてのノモス」の衰弱、解体だったのであり、そのプロセスを一部の人びとはアレントに倣って「公共圏」の解体と見なしてきた。しかしそれはまた「私的領域」、古典的な意味での「私有財産」の衰弱でもある。公共性の解体は、公私の区別の解体でもある以上、私的なるものの衰退でもある。
今次震災において、被災者が私有財産と公共的つながり、その双方の毀損を被っていることは、それを劇的な形で示しているにすぎない。しかし我々はここしばらく、ともすれば「公」と「私」を「対」概念である以上に「対立」概念ととらえて来はしなかったか。(例えばこうした「公共性と私事性が背反するかのごとく観念されること」の問題性を克服すべく、駒村圭吾はプライバシー概念を従来の一方的な「自己情報コントロール権」から、関係性を正面から視野に入れた「自己情報の信託」へと読み替えていくことを提唱している。しかし主として情報セキュリティのフィールドを念頭に置いたその議論の、ここでのテーマに対する含意はいまだ充分に明らかであるとは言えない。)
それにしても、今次震災がその単なる兆候に過ぎないものであるところの、「近代」において一貫して進行している、公共性と私事性の同時並行的衰退とは、具体的にいえば何なのか? 少し考えてみよう。
土地の神話
近代法における、財産権の対象としての「物」の典型、パラダイムは「土地」である。土地は所有者をはじめとするそれへの権利者を変えることができるという意味において可動的である——後述する法的・会計的な「論理空間」の中ではいくらでも動かすことができるが、物理的には動かすことが普通はできない「不動産」である。ということは、土地の価値は、その上に建物を建てたり、農地として使用して作物を収穫したり、あるいはその埋蔵資源を採掘したり、といったその直接的な使用から引き出せる便益にのみならず、その土地の空間的な位置、隣接する他の土地や公共空間との関係性にも基づいている。その意味で、私有財産としての土地は、同時に公共性とのインターフェースであり、また特定の土地の、周囲の公共圏との関係は、それぞれに独特である。
こうした「土地」の対極に位置するものが貨幣、金銭、次いで流動性(換金性)の高いいくつかの資産・商品である。こうしたものは極めて純化された私有財産として、つまりほとんど公共的なコンテクストから切り離されたものとしてはたらく。
金銭などのこのような性質はもちろん、両刃の剣である。ある私有財産(典型的にはよい場所に位置していた家)の喪失によって同時に失われた公共圏へのアクセスを、金銭的に保障することは不可能ではない。同程度に良好な公共圏へのアクセスを保持しているような何か他の「物」を金銭で購入すればよい。しかしながら金銭自体は、それ自体では決して公共圏へのアクセスのためのデバイスとはならない。(「不動産の証券化」をめぐる複雑怪奇な問題系には立ち入るまい。)
だから今次震災によって住居を失った人々、復興のために移動を余儀なくされた人々、そして原発事故によって住居はおろかコミュニティをも追われた人々に対する生活保障は、ただ単に住宅を供給し、あるいは金銭的給付を行うだけでは足りない。公的に供給される住宅のみならず、商品として供給され、売り出される住宅までもが、失われた公共圏へのアクセスを再建する機能を同時に備えたものでなければならないのだ。だがそうした課題は、山本が報告する現状に鑑みれば、十分に意識されているとは言えない。
そしてこうした復興の現状は、木村が注意喚起するように「以前からあった問題があからさまになった」だけのことである。住宅の供給は、もちろん「持ち家取得優遇主義」の戦後日本においても、一貫して(まさしく、公営住宅の直接供給より、私有財産としての住宅の取得を公的に優遇するという形で)公共政策の統制下にあったろう。
しかしながら狭義の公共住宅はもちろん(そして公共住宅といえども「私有財産」として「所有」の対象ではありえなくとも、私人による「占有」の対象ではありうる)、「私有財産」としての住宅も含めて、それが配置される公共圏へのアクセスと同時に確保されなければならない。憲法的に保障される「財産権」は、実はそうしたアクセスをも含めて保護するものでなければならないはずであるが、実際の戦後の憲法学は、そして裁判所の憲法解釈は、そこまで踏み込んだものではなかったのではないか。
ではここで、我々は何を考え、何をなすべきなのか? 理論的には「私有財産(だけ)を補償する」のではなく、また「(私有財産ではなく)公共圏(だけ)を補償する」のでもなく、「私有財産とともにそれと一体になった形で公共圏を再建する」ことが必要だ、とは言える。しかし具体的にはいったい、どうすべきなのか?
開発する主体
少し視点を変えてみよう。
山本は「我々建築家が奉仕すべき相手は、施主であるところのディベロッパー(建築資本)/(地方・中央)政府なのか、居住者たる住民なのか」と報告の最後に問いを立てている。しかしもちろんここで単純に国家や大資本を悪者にして、「我々建築家は(そして法律家も?)住民の側ににつく」と宣言すれば済むわけではない。内藤廣が指摘したとおり、7万戸の仮設住宅を極めて短期間で供給することができた、国家と資本の力をそれ自体として「悪」と指弾するのも愚かなことである。
それに何より、ディベロッパーから住宅を最終的に購入するのは住民であり、そこにおいて「消費者主権」の力がはたらく、と「市場原理」の観点からは言いうるし、公共住宅の供給主体たる政府の主権者もまた、最終的には住民であるはずだ。問題はあくまで、そうした「消費者・住民主権」のメカニズムが理念通りにうまくはたらかないことにあって、その理念自体に問題はない——と教科書通りに言ってしまうこともできる。
それではなぜ我々は、しばしばそうした理念を空虚な建前と感じてしまい、本来は(理念的には)市民社会の内在的な構成要素であるはずの「企業」や「政府」を、社会に対するエイリアンとしての「資本」「国家」として観念してしまうのか? そのこととノモスの衰弱、空間秩序の抽象化と観念化との間には、密接な関連がある。「企業」も「政府」も、本来「公」的な存在であるはずなのに、我々は今やそう観念できないのである。なぜか?
松山巌は山本報告へのコメントの中で、子どもと障害者、そして疎開という問題群の重要性について示唆した。それはまた同時に、今回のシンポジウムではあえて避けられた、福島第一原子力発電所事故と放射能汚染という問題系への暗黙のリファーでもあった。
何よりも「疎開」という語を前に我々は、近代法においては同じく「法人」という体裁をとる「企業」ならびにほとんどの民間団体と、国家、地方自治体といった公共団体との間に、あるきわめて重要な違いがあることを指摘せざるをえない。
とはいえ「企業や民間団体は私的な存在であるのに対して、公共団体は公的な存在である」などという素朴な議論はナンセンスである。先にも示唆したが、株式を公開した有限責任会社であれば、営利法人企業もまた公的な存在である。最高意思決定機関としての株主総会は、理念的には異質な利害が衝突する、討論、交渉、議論の場である(もちろん過半数株主が存在すれば、有無をも言わせず好き勝手ができるとは言え)。
またそこではメンバー(株主、つまり会社法上の社員)の私的な財産・行為と、会社それ自体の財産・行為は厳格に区別される(いうまでもないが社員ではない従業員の場合にもこれは当てはまる)。また株式が公開されている以上、普通の団体とは違って、誰でも金さえ積めばそのメンバーになれる。この意味では公開会社は通常の国家以上に(「開かれている」という意味においては)公的な存在である。
「政府は正当な実力行使をなしうるが、民間団体はそうではない」という区分も、近代中葉のある局面において、一時期だけ成り立ちそうに見えたが、近世にはそもそも成り立ちえなかったし、20世紀末以降も、理念的にさえ成り立たなくなった。いまや国家・地方自治体は、しばしば警察的・軍事的業務の一部を民間業者にアウトソーシングする。
トポスの占有
むしろここで試案として提起したいのは「生身の人間の生活コミュニティとしての国家・地方自治体は土地、あるいは具体的な物理的空間、場所(トポス)を「占有」する(必ずしも「所有」するとは限らない。「占有」にとって「所有」は必要条件でも十分条件でもない。とはいえここでの「占有」とは、たとえ「所有権」といった「本権」の裏付けを欠いたとしても、単なる裸の事実ではなく、尊重さるべき「権利」である)ことが必要であるのに対して、民間団体にはその必要がかならずしもない」ということである。
本当は、ことの本態に即して言うとすれば「団体は一般的に何らかのゴーイング・コンサーン・バリューの維持をその主たる機能とするが、公共団体の場合には主としてメンバーの生存・再生産維持(サブシステンス、リプロダクション)に主眼があるのに対して、民間団体の場合には必ずしもそうではない(単なるプロダクション)」といった方がよいのだろう。
しかしここで生存・再生産に必要な契機を仮に「衣食住」とまとめるとするならば、「住」だけは一定の物理的空間(それが仮に土地に確固として根ざしておらず、洋上や空中の構築物であったとしても)なしには確保できない。人々はその住まう物理的空間とそこにおける構造物を、必ずしも「所有」する必要はないが、「占有」しないわけにはいかない——ごく短期の「仮の宿」としてならともかく、暫定的にでも「公共圏につながりつつ私的領域を保障された生活」を持続させるためには。
しかし「企業」(を典型とするその他の多くの、メンバーの生存維持を要件とはしない民間団体)は「占有」を必要とはしない。「土地」どころか原理的にはいかなる財産の「占有」も必要とはおそらくしない。登記された所在地にオフィスさえ持たないバーチャルカンパニーも今日では十分に可能である。「企業」は(法的)規則と(会計的)記録の抽象的・観念的空間——哲学(ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン、ウィルフリッド・セラーズ他)由来の情報科学用語を援用して「論理空間」と呼んでもよい——にそのトポスを持ちさえすればよく、物理的空間を必要とはしないし、物理的な財さえも業種によっては必須としない。
むしろ「企業」に必要なのは逆に「所有」である。付言すれば、金銭についてはそもそも「占有」と「所有」の区別がない。他人から借りた土地や物財は「占有」の対象ではあっても「所有」の対象ではないが、他人から借りた金銭は「占有」の対象でありかつ「所有」の対象である。
おそらくは人びとが企業、「資本」に対して、あるいは具体的な地域を離れた「国家」に対して抱く違和感は、以上のごとき事情に根ざしている。「企業」は規則と記録の観念的「論理空間」にそのアイデンティティを置きうるのに対して、生身の人間は今日ますます、特にその公共圏においてはこの「論理空間」が優位となる状況に晒されながら、その私生活の核心においては、どうしても物理的空間と具体的な「物」に根差さざるを得ない。
しかしながら今日、人々が金銭でもって生きるために必要なものをそこから購う「企業」は、それ自体は「資本」として、己のアイデンティティを主として「論理空間」に置き、その内実としてのゴーイング・コンサーン・バリューもまた、実体的な「物」、有体物としての資本財や、無体物としての具体的な知識や技術や人間関係というよりは、「株価」に集約される金銭的な評価額に(それどころか今日ではしばしば、もっと刹那的な「キャッシュフロー」に)還元されていきがちである。
そのような意味で今日の「企業」は生身の人間にとって——ほとんどの生身の人間は自身何らかの「企業」のメンバーであるし、そうでなくとも「企業」と無縁では生きられないにもかかわらず——、具体的な実体を持たず、公私の区別もよくわきまえない、何ほどかエイリアンな存在である。
企業・国家・公共
そしてそうした「企業」は、公共圏からバラバラに切り離された「商品」の供給主体としてはともかく、公共圏へのアクセスを備えた具体的な「財産」の供給者としては十分に信頼されていない。かといって「国家」が信頼されているわけでもない。日本国家は戦後一貫して直接の公的な住宅供給よりも、私的な住宅取得を重視し、公共政策もその支援に主眼を置いた。公共住宅それ自体も、公共圏への配慮が十分であったとは言えない。
にもかかわらず、である。
今次震災においては多くの避難民が発生しただけではない。自治体、地方政府それ自体が移動を余儀なくされた。かつて三原山噴火に際して伊豆大島町が、そして今次震災において双葉町、浪江町、大熊町、飯館村といった原発周辺自治体が、その元来のトポスから引きはがされた。住民は強制的に移動させられ、仮住まいに収容され、自治体政府もまた「領域」から引き離された単なる「法人」と化した。
現下の公共政策の下では、これはあくまでも一時的な「緊急避難」として解釈され、放射性物質による汚染の除染等を通じて、健康で安全な生活の再建が可能となった後での「帰還」が予定されている。しかしこの「一時」が一体どれだけ続くのか? 現在知られている限りでは、除染の効率は極めて悪く、原子核崩壊等を通じた自然な放射線減衰をそれほどよく上回れる見込みが立たない。
そうであれば「帰還」までに要する時間は、世代交替を含むレベルの長期にならざるを得ない。それほどまでの長期にわたり固有の「区域(領域)」から引きはがされた自治体は、それでもなお自治体でありうるのか? あるいは「区域」、トポスから引きはがされつつも、なおその住民の生活維持を——とりわけ「住」を公的に支える「区域なき自治体」(その延長線上に「国土なき国家」が幻視される?)の可能性を、我々は考えるべきなのか?
そして問題は、それだけでは終わらない。
強制され、あるいははっきりした公的支援を受けた避難民だけではない。数多くの自主的避難民が、今次震災においてはとりわけ多く存在する。原発事故がなかったとしても、津波による破壊を受けた地域を中心に、より快適な生活環境を求めて、自主的に、「自己責任」において移動していった多くの人々がいる。
そして原発事故によって、地震と津波それ自体からは言うべき被害を受けていない地域(福島県下はもちろん、東北関東各県)からも、たくさんの人々が健康不安から自主的に移動している。こうした自主的な広域避難者のほとんどは、言うまでもないが、今のところは充分な公的支援や補償を受けていない。(広域避難者をも対象に、受け入れ・転入支援を標榜する自治体はいくつか存在するが、国家レベルの動きはろくにない。)
それはただ単に、金銭的な補償や支援を受けていない、というだけのことではない。これらの人々は移動することによって、それまで住んでいた地域におけるコミュニティから、つまりは従来親しんでいた公共圏へのアクセスから切断され、別の地域で、また新たに、生存、私生活のみならず公的生活をも獲得していかねばならない、ということを意味する。しかしそれも自主的な、自己責任による移動なのだから、補償も支援も受けていない。
これらの人々は、今のところは離散者——ディアスポラとして散在している。しかしながらディアスポラの多くが通常そうであるように、完全にばらばらに孤立しているのではなく、互いにゆるやかなネットワークをもっているようだ。彼ら自主避難者は、「難民キャンプ」といったわかりやすい仕方で可視化されてはいないが、いずれその姿を現し、公的に何事かを主張し始めないという保証はない。
難民キャンプ、そしてスラムはしばし、その占有を権利としての「占有」と認められず単なる不法占拠と見なされるがゆえに、しばしば実力によって排除されてしまうコミュニティである。しかし見えやすい占拠=占有を行うがゆえに、その存在を公的に認められ、主張しやすい。それに対して自主避難者たちのほとんどは、今のところは既存のコミュニティに、合法的に定着して、不便をかこちつつ耐えている。それ故にこそその問題は公事として共有されにくい。
「区域なき/住民なき自治体」
この意味で山中茂樹の論考「「棄民から帰民へ」—— 広域避難者にこそ社会的包摂の手立てを」(シノドスジャーナル、2012/9/18;https://synodos.jp/fukkou/1323)はきわめて興味深い。山中はここで、今次震災による「避難」を文字通りの「緊急避難」、最終的には現地への住民・自治体政府の「帰還」により常態に復帰するまでの一時的な過渡期の措置としてとらえる考え方を根底的に否定している。すなわち、「避難」が長期化し常態化することを見越した上で、それを前提とした形で、強制避難者のみならず、自主的に既に他自治体の「市民」となった自主避難者までをも、いわば「住民ならぬ市民」(山中は「準市民制度」と呼んでいる)として、自治体が組織支援する必要を訴えている。
「区域なき/住民なき自治体」の可能性について、我々はまじめに——しかも単なる思考実験としてではなく、具体的な制度設計のレベルで、考えてみなければならないところまできたのかもしれない。これは前例のない事態だろうか? 必ずしもそうではない。「区域なき/住民なき自治体」それ自体の前例はないかもしれないが、自らの消滅解体への準備を粛々と行った自治体ならば、ないとは言えない。かつて長崎県の高島町(現長崎市高島町)は1986年、三菱高島炭鉱の閉山に伴い、炭鉱離職者の再就職支援を県や国、公共職業安定所の支援のもとで行ったわけであるが、それは当然のことながら同時に町民、住民たちを町外へと転出させていくことでもあった。
これは極端にドラスティックな例であるが、そこまで劇的ではなくとも、産業構造転換に伴い、構造不況業種に雇用を依存してきた多くの自治体が、同様の課題に直面してきた。むろんこれらの自治体は同時に、新規産業を誘致・創出しての「町おこし」「雇用創出」にも挑戦してきたわけではあるが、高島町の場合には、そうした夢を見ることさえ許されなかった。それでも関係者は粛々と、離職者の再就職=転出支援に取り組んできたのである。
今次震災の被災自治体に、自らの消滅解体に向けた準備をしろ、などとはもちろん言えない。放射性物質は、仮に除染がうまくいかなかったとしても、自然に減少していくのだから、いずれは汚染された地域も、普通に暮らせるようになることは約束されている。ただしその「過渡期」は世代をまたぐ程度には長い。だとすれば自治体の住民支援のあり方に、根本的な転換が必要となることは、もはや否定しようのない事実ではないか。
*「占有」の語をここではかなりいい加減に用いているが、そのより正確な意味ならびにポテンシャルについては太田匡彦「明け渡しか、除却か ——「占有」と「事実上の排他的支配」の間に立つ大阪地裁第2民事部」(『東京大学法科大学院ローレビュー』vol.4、2009年;http://www.j.u-tokyo.ac.jp/sl-lr/04/papers/v04part07(ohta).pdf)、そしてとりわけ木庭顕『ローマ法案内 ——現代の法律家のために』(羽鳥書店、2010年)を参照のこと。
高島炭鉱離職者については、簡単にはバイオッキ育子「国家に見捨てられた資源〈日本石炭産業に見る「資源」と「地域」の特徴性〉」(佐藤仁編『人々の資源論』明石書店、2008年、所収)を、より本格的な研究としては八幡成美・橋元秀一『地域における雇用創出に関する研究 一高島炭鉱離職者の追跡調査と閉山後の高島町住民の意識に関する調査一』(雇用職業総合研究所、1989年)を参照のこと。
プロフィール
稲葉振一郎
1963年生まれ。明治学院大学社会学部社会学科教授。専門は社会哲学。著作『社会学入門』(NHK出版)、『オタクの遺伝子』(太田出版)など多数。