演劇と社会のあいだ――街をハックする体験型プロジェクトの可能性

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演劇と社会のあいだ/演劇と政治のあいだ

 

―― 高山さんのつくるものは、演劇というより、ソーシャルプロジェクトに近いイメージがあります。だけど、「いいね!」をぽちっと押して気軽におすすめできるようなものでもない。思想やイデオロギーの側面も含めて、自分はどうかをいやでも考えさせられる。しかも、やっぱり演劇でもある。その面白さってなかなか伝えるのが難しいと思うのですが。

 

舞台ってふつう、俳優やパフォーマーがいて、彼らのものですよね。お客さんは客席にいて、舞台に上がることは原則的にはない。でも、このプロジェクトでは、舞台は都市なんですね。お客さんのほうがパフォーマーで、お客さんが動かなかったら街は舞台にならない。お客さんが動いてくれてはじめて点と点が結びつくし、その場所が舞台になる。なので、じつはつくっているのはだれかといったら、ぼくらは半分、あとの半分をつくるのはお客さんなんです。それをぼくは「創作」というふうに呼びたい。その体験からエッセイを書いたりとか、紹介文を書いたりするのも創作の一部になる。自由にやっていただいて構わないし、すごく主観的なものでもいいんじゃないかなと思っています。

 

 

―― でもそうすると、見る人がいなくなりませんか?

 

それがまた微妙なところで、たとえば「東京ヘテロトピア」で言えば、あるときある場所に、ラジオを聞いている、明らかにたたずまいの違う人が何十人と集まることがあったわけです。そうすると、なんとなくお互いを見合うことになりますよね。一筋縄じゃいかない関係がその場にできてしまう。その外側に、「なんで今日はこんなにラジオを聞いてる人が多いんだ?」って感じで見てる地域の人たちがいる。

 

 

参加者はこんなふうにラジオとガイドブックを手にして町を歩くことになる。写真=蓮沼昌宏

参加者はこんなふうにラジオとガイドブックを手にして町を歩くことになる。写真=蓮沼昌宏

代々木にあるカンボジア料理店「アンコールワット」も訪問地の一つだった。写真=蓮沼昌宏

代々木にあるカンボジア料理店「アンコールワット」も訪問地の一つだった。写真=蓮沼昌宏

 

 

―― なるほど……なんか、「同時多発オーダー in 吉野家」[*3]を思い出しました。いや、ネット上のまつりなんですが。

 

同じ感覚はあります。ただ、フラッシュモブとかだと、「あ、何か始まったな」と思った瞬間に、パフォーマーとそれを見てる人たちという関係ができてしまいますけど、なるべくその関係がはっきりしないようにつくってはいるつもりです。複数の領域が微妙にクロスして、干渉したり干渉されたりする、中間地帯みたいなのをつくれたら面白いなって。

 

[*3]http://urx.nu/deNG

 

 

―― 高山さんはやはり、劇場の中より社会のほうに関心があるんでしょうか。

 

社会変革をどうやればいいのかというのは、震災と原発事故の後、やっぱり考えざるを得ませんでした。アクティビスト的な姿勢がいちばん強く出たのは「国民投票プロジェクト」です。ぼくはほんとに「国民投票をやったらいいんじゃないか」って思ったんですよね。ウィーン郊外にツベンテンドルグ原発という、一回も使われないまま国民投票によって廃炉になった原発があって、そこを訪ねたときにこの手があったかと思って。それでいろいろ調べてあまり時間をかけずにつくったんですけど、でもその途中で、社会運動じゃなくて演劇にとどまったほうが、間接的には影響力が持てるぞと思ったんです。

 

「国民投票プロジェクト」では、(選挙権のない)中学生にインタビューした映像を900ほど保冷車を改造したトラックに積んで、いろんな町を移動しながら観客に見せるということをしたんですが、福島の中高生を見てると、政治の手が、彼らを完全にがんじがらめにしてしまっているように見えました。その手から漏れる部分、政治の爪が及ばないエリアをつくることのほうが、政治的な振る舞いというか、行いとしては価値があるんじゃないかと思った。そのために演劇の手法をフルに使いたいというのが、震災後に考えたことなんです。

 

 

―― 政治にがんじがらめにされているというのは、彼らが、福島の子どもだってことを背負わされて、発言させられている、みたいなことですか。

 

そうです。ハンス=ティース・レーマンという演劇の研究者が書いている「アンティゴネ論」がぼくにとっての一つの指針になっています。アンティゴネがやろうとしたことは、反抗とか新しいルールをつくることとかではなくて、政治がおよばない領域をつくったんだと。そのことがいちばん政治に対してゆさぶりをかける力を持ってしまったというのを読んで、演劇やってるのにこれやらなかったら全然ダメじゃん、というふうに思ったんです。迂回路とか、遊びの領域をどうやってつくるかということに全力を傾けようと。でもそれが結果として政治的になってしまう可能性があるなとは思っている。

 

 

―― 結果としてそうなれば、それはそれでいいわけですね。Port Bの作品に参加すると、社会や政治とつながらざるを得なくなる。「東京ヘテロトピア」で異境に暮らす人々の物語を聞きながら、排外主義のヘイトスピーチを思わざるを得ませんでした。

 

実際にヘイトスピーチが行われている現場に遭遇した人もいっぱいいました。

 

 

―― そういうものにも対抗できるんじゃないかと。

 

はい。ツールです。ぼくもそう思っています。「東京ヘテロトピア」は、東京オリンピックまでに200カ所以上、参加国数と同じ数まで増やして、スマートフォンのアプリにしようと思っているんです。淡々とやっていれば、そういうツールとして使う人がたぶん出てくると思うし、それがほんとにムーブメントになっちゃって、街が変わっちゃったみたいな、嘘から出た実(まこと)みたいになったら最高です。ただ、戦略として、政治的なアクティビティーにはしない。そういう変革のために演劇的な知や思考を使えないかと思っています。演劇って3000年ぐらい歴史がありますから。

 

 

「演劇的手法」とは

 

―― その場合の高山さんが言う「演劇的」というのは、具体的にはどういうことを指すんですか?

 

一つは、どういうふうに時間をデザインするかということです。もう一つは、できるだけ多くの人が参加者/パフォーマーになったほうがいい、という転換です。つまり、ふだん生活している街にはお客さんがいないわけじゃないですか。それをどう参加者に変えていくか。どういう役を与えて、どういうふうに動いてもらえばいいのかということも含めて、演劇的なツールとして使えると思います。

 

 

―― でも、生活者の感覚で言うと、踊らされている感じがしてイヤかも……。

 

そうそう。でもそれは、もしかしたら今ぼくらがまさしく、広告代理店とか、それこそマスコミや政府にやられていることかもしれない。みんな踊らされてる。それを、「自分、踊らされてるな」というふうに、距離を持って見れる装置をどうやってつくるか、ということだと思います。つっこみを入れるには距離が必要で、そのために「これ、演劇じゃん」みたいな、冷静に見れる視点をつくれたらいいなって。

 

演劇の語源であるテアトロンという言葉は、客席で行われたことを指すんですね。客席でお客さんがやっていたことをテアトロンと呼んでいた。舞台じゃないんですよ。それが演劇と翻訳されて、一般名詞になってしまったわけです。だから、ぼくは舞台をつくっていないから演劇をやっていないと否定されるんだけど、観客を中心に演劇を考えるということは、そんなに演劇の本質からずれてないと思うんです。

 

 

―― でも正直、みんながつくり手になれる、発信できるという時代に、観客として劇場の客席に座っていると、自分はなんのために演劇を観てるんだろうなっていう、不思議な気持ちになることはあります。

 

たしかに、自分でもつくれるじゃんっていう感覚は、日本はすごく強いです。二次創作して自分で売っちゃうって、日本独自じゃないですか。あんなこと、たとえばヨーロッパの人はなかなかやらないので。観客のほうが「よし、自分でもつくる」みたいな感じでどんどん創作してしまうっていうのは、ぼくは日本の特徴だと思うし、ある種武器だと思います。

 

 

―― じゃあ、演劇を観て、これの二次創作をしてやろう、とかも。

 

どんどんやったらいいと思うんですよ。「完全避難マニュアル」を東京でやったときに感動的だったのが、「避難民」の人たちのあいだにだんだんコミュニティーができていって、自分たちで避難所をつくり始めた。それで、ぼくがそこへ招待されたんです。これいいじゃん、と思って。それはもうほんとにうれしかったし、わりと理想かもしれない。

 

 

―― たしかに、それは日本っぽいできごとですね。

 

ドイツではそういう側面はなかったです。彼らは楽しんでくれたけど、自分でつくってやろうっていう発想はなかった。

 

 

―― 不思議な違いですね。なんだろう。ふと思ったんですけど、日本の人にとっては、自分で何かつくることが、そのまま「避難」になっているのかもしれませんね。

 

そう、ぼくもそう思うんですよ。

 

 

―― 発表の場があって、祝祭感もあって。

 

祝祭には憧れます。自分たちがつくった舞台の初日を緊張しながら見る、みたいなのは、うらやましいなという気持ちは正直あります。舞台、けして嫌いじゃないし、大好きだし。

 

 

―― 観ることが好きだったんですものね。でも、高山さんが演劇の境界にいるからこそ、演劇祭ではなく、美術展に招かれたりもするわけで。「あきたアートプロジェクト」でも新しい作品を発表されていますよね。

 

「宿命の交わるところ――秋田の場合」というプロジェクトでは、「占い」をテーマにしたコンテンツを、秋田の地元メディア8社に制作してもらっています。テレビ局、ケーブルテレビ局、ラジオ局、新聞社、雑誌社、インターネットメディアなどがそれぞれいくつかの番組や記事をつくって発信します。全部の番組や掲載をあわせると20以上になるのですが、ぼくらはイーホテル秋田というホテルの一階に場所を借りていて、番組や記事が放送・掲載されたら、その日の夕方にそれを受け取って、会場にインストールしていきます。最終日にはすべてのコンテンツがそろって、インスタレーションが完成する、という仕掛けです。

 

 

「宿命の交わるところ――秋田の場合」/メディアと情報について

 

―― これが、資料を見てもなかなかイメージしづらかったのですが、プロジェクトのことを知らなければ、ただの新聞記事、テレビ番組なわけですよね?

 

「なんか最近占いの番組多くない?」という感じだと思います。会場も、コンテンツが順番にインストールされていくので、初日に来ていただいてもからっぽなんですよね。主催の県の人にも、説明するのが難しくて。これは何のプロジェクトですかっていう問い合わせもけっこういっぱいあったみたいで。

 

 

日を追うごとに、会場で見聞きできるコンテンツが増えていく。

日を追うごとに、会場で見聞きできるコンテンツが増えていく。

 

日を追うごとに、会場で見聞きできるコンテンツが増えていく。

日を追うごとに、会場で見聞きできるコンテンツが増えていく。

 

土日に開かれる占い教室の様子。

土日に開かれる占い教室の様子。

 

 

―― たしかに、私が地元の住民だったとして、「で、お前の目的はなんなんだ」と聞きたくなってしまうと思います。だって、広告代理店でも企画会社でもないわけですし……。

 

そうですよね。コンテンツをつくってくれるメディアの一つに、秋田経済新聞[*4]っていう、ウエブメディアがあるんですよ。

 

[*4] http://akita.keizai.biz/

 

 

―― 「渋谷経済新聞」とか「上野経済新聞」とかってありますよね。その系列ですか。

 

そうです。千葉さんという非常に面白い人が編集長兼記者として、毎日1本記事を書いてウエブに発信してるんですが、千葉さんのやりがいが「Yahoo!トップページに載ること」なんですよ。これまで3500本ぐらい書いてきて、25本ぐらい載ったと。そのたびにサーバーがダウンしたっていうのが自慢話で(笑)。じゃあ、ぼくらが「占い」でいろんなネタを仕込むから、それを取材してくださいって。

 

 

―― 面白そうですけど、やらせすれすれですね。

 

はい。そこの境界はあいまいですから、テレビ局や新聞社はやはり、相当慎重になられたところもありました。当然だと思います。その中で、秋田経済新聞だけが、可変性があるんですよ。

 

 

―― 可変性?

 

テレビはテレビ番組になるし、ラジオはラジオ放送になる。だけど秋田経済新聞は、秋田経済新聞のウエブサイトに載れば秋田経済新聞の情報だけど、Yahoo!トップページに載ったらそれこそアクセス数が何万桁も変わるわけです。サーバーがダウンするぐらいに。もとは一つの、同じ情報なのに。

 

 

―― ああ、もともとの媒体名が消える感じですよね。Yahoo!ニュースという媒体は存在しないのに、っていう。

 

あのモンスター化する感じは、でも、人をわくわくさせるものがあるなって気がする。インフォメーションって、inform「知らせる」をformation「組織化」するって書きますよね。informがあるformatにformationしていく、その境界のところが立ち上がってくれば、批評性が出てくるかなと。

 

 

―― なるほど。メディア・アーキテクチャの実践的な批評になり得ると。でも、「あの占いの番組面白がって聞いてたのに、Portが仕組んだやつだったなんて知らなかった。騙された」みたいな苦情もあるかもしれません。

 

ありますよね。だから、このプロジェクトを提案したときに「社会実験ですね」と言ってくれたカンのいい人もいました。「あ、こういうフレームなんだな」と気づけばすごく面白いと思うんですが、やっぱりなかなか理解されづらいので、県のお金使って占いってなんだ、みたいな批判は出てるみたいです。でもぼくは、メディアを使った演劇的な手法としては、ちょっと面白い発明なんじゃないかと思ってて。違う都市でもこれを展開していきたい。フランクフルトだったら30社ぐらいでできるんじゃないかとか、そうしたら町はどういうふうに変わるんだろうかとか。ミュンヘンでやろうかなとか。

 

 

―― お話をうかがっていると、ますます演劇から遠ざかっていっているような気がしてきました。むしろ、もっと危険なもの、と言いますか。ぎりぎりというか。

 

人のふんどしで相撲をとる、メディア・テロリズムだと自分では言っているんですけど。

 

 

―― なおさら物騒な感じがしますが、どうなるか見てみたいという欲望が抑えられない観客は、私自身を含めてですけど、そのテロの加担者になってしまうのかもしれません。

 

ぼくの予想では、秋田ではたぶん何も起きなくて、問題にもならないだろうと思います。もちろん、一つ一つの番組や記事が視聴者や読者にとって面白いものでなければならないので、本気でやりました。秋田で有名な占い師の人に全面協力してもらったり、ユング派の優秀な臨床心理士に真面目に占いについて考える原稿を書いてもらったりしています。それらが一つの会場に集まってインスタレーションとして完成したときに、「占いを通して、秋田という土地の宿命が浮かび上がる」というふうにはつくっているつもりです。会場では連日出張占いが出ていたり、土日は占い教室を無料でやっていたり、最終日はABS秋田放送がラジオで生中継もしてくれますから、気軽に来て、楽しんでください。

 

 

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■公演情報

 

Port観光リサーチセンター

「宿命の交わるところ――秋田の場合」

日程:2014年10月18日(土)〜11月3日(月・祝)
開場時間:16:00〜20:00/土日祝11:00〜19:00
展示会場:イーホテル秋田 AD 1階(秋田県秋田市大町2-2-12)

入場無料 ※占い体験は有料

http://akita-art-project.net/?p=1309

 

あきたアートプロジェクト 2014

会期:第1期 2014年8月上旬(終了)
   第2期 2014年10月~11月上旬(プロジェクトごとに会期が異なる)
会場:秋田市中心市街地各所

主催:秋田市中心市街地アートによる賑わいづくり実行委員会

http://akita-art-project.net/

 

 

■公演情報

 

高山明/Port B

「横浜コミューン」

日程:10月30日(木)~11月3日(月・祝)

開催時間:10月30日(木)~11月2日(日) 16:00~19:00(開場15:30)
     11月3日(月・祝) 15:00~18:00(開場14:30)

会場:nitehi works(横浜市中区若葉町3-47-1)

入場無料

http://www.yokohamatriennale.jp/2014/event/2014/07/post36.html

 

ヨコハマトリエンナーレ 2014

「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」

会期:8月1日(金)〜11月3日(月・祝)

主会場:横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設)

アーティスティック・ディレクター:森村泰昌

主催:横浜市、(公財)横浜市芸術文化振興財団、 NHK、朝日新聞社、横浜トリエンナーレ組織委員会

http://www.yokohamatriennale.jp/2014/

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.267 

・堅田香緒里「ベーシック・インカムとジェンダー」
・有馬斉「安楽死と尊厳死」

・山本章子「誤解だらけの日米地位協定」
・桜井啓太「こうすれば日本の貧困対策はよくなる――貧困を測定して公表する」
・福原正人「ウォルツァー政治理論の全体像――価値多元論を手がかりとして」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(11)――シンクタンク人生から思うこと」
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