2015.04.07

「民衆的な表現」の真の意味を考える――ふじのくに⇄せかい演劇祭の試み

SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督・宮城聰氏インタビュー

文化 #SYNODOS演劇事始#SPAC#メフィストと呼ばれた男

静岡県舞台芸術センター(SPAC)が主催する「ふじのくに⇄せかい演劇祭」が、今年もゴールデンウィーク期間に開かれる。日本、フランス、台湾、レバノン、韓国、ベルギーから舞台人が集まり、全9演目が上演される。新作あり、日本初演ありと意欲的なプログラムの中、やはり注目は、宮城聰が手がける『メフィストと呼ばれた男』(作:トム・ラノワ)だ。原作はクラウス・マンが1936年に発表した小説。ドイツ最高の俳優と謳われ、ナチ党支配下でプロイセン国立劇場の芸術監督にまでのぼりつめた実在の人物グリュントゲンスをモデルとしている。

宮城聰と劇団SPACといえば、昨年、アヴィニョン演劇祭に招聘されブルボン石切場で上演された『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』の成功が記憶に新しいが、まったく異なる社会派の作品への挑戦。しかも、リアリズムの手法で演出するという。新作と演劇祭について、芸術総監督・宮城聰さんに話をうかがった。(取材・構成/長瀬千雅)

 「空気」に取り囲まれたときに我々はどうすべきか

――昨年、KAAT(神奈川芸術劇場)で『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険~』を拝見しました。白で統一された平安貴族調の衣裳、打楽器の生演奏、踊り手は円環状の舞台を疾走し、語り手はひとときも休まず語り続ける。まさに壮麗な絵巻物、幻想の世界でした。なので、今回のSPACの新作はかなり意外です。ナチス政権下で政治に翻弄される劇場人たちのお話。まずは、この作品を選ばれた理由からうかがえますか。

僕がSPACへ来て、満8年が経ちます。その間に公立劇場の認知は少しずつ広まってきました。公立劇場とは、貸し小屋タイプの文化施設ではなく、自分たちで作品を製作したり、所属俳優を持っていたりする劇場です。ですが、まだまだ黎明期です。

つまり、税金を使って劇場を維持するのが当たり前だと考えている人の数はあまり多くない。ですから、どの公立劇場も、公共の劇場が地域に必要なんですよ、地域の役に立つんですよ、ということを一生懸命広めて、根付かせている、その途中だと思います。

一方で、格差の拡大が進行して、多くの人たちが、自分たちはわりを食っているという感覚を持っています。うまい汁を吸っている連中が一部にいて、自分たちはそこからはじき出されている感じと言えばいいでしょうか。それは排外的な気分にも直結するわけですが、まさに『メフィスト』の舞台である32年のドイツにも似たような気分があった。すると、多様な意見を許容する土壌がだんだんなくなってくるんですね。

「いろいろいていいなんて悠長なことを言ってたらやられちゃうんだから、結束を固めようぜ」という機運が高まってくる。それは、ごく少数の過激な人の意見ではなく、多くの人がそういう感覚を持つわけです。

――今の日本の社会状況を見ても、そういう空気は感じます。

当然、公立劇場を取り巻く空気も、おのずとそうなってくる。今の日本ではまだそこまで来ていませんが、起こり得る状況になっている。あくまでもたとえ話ですが、たとえば、性のモラルの多様性を訴えるような作品があったとします。そして、劇場の支持者の多くから「そういうのはあんまり劇場では観たくないよね」という「空気」が漂ったとします。

そうすると、劇場の人たち自身が、「ようやく公立劇場が根付き始めてきたところに、あえて強い異論があるようなものを劇場に持ち込まなくてもいいのでは」と、考えかねない。

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『メフィストと呼ばれた男』写真:日置真光 戯曲の原題は『Mefisto For Ever』。「2007年のアヴィニョンで、アントワープの劇団による上演を見たのがこの戯曲との出会い」(宮城さん)

――可能性はあるかもしれません。

劇場を応援してくれる人たちから、「ああいうことをやられると困っちゃうんだよね」みたいな声がもしも出てきたときに、あの人たちを困らせるのはよくないな、などと慮っていくと、劇場の側が「空気を読む」ということになってくるわけです。

そして、自主規制のようなことをし始めるようになっていくのではないか。それは遠い未来の話ではなくて、おおいにあり得る近未来だなという感じがするんですね。

この、あり得べき危機に直面したときにおろおろしないためには、似たような過去の例を学ぶといいわけですが、第二次世界大戦の前の、いわゆる全体主義の時代に、公立劇場というシステムが整っていたのはドイツくらいなんです。

――そうなんですか。フランスとかにはなかったのかしら…。

国立劇場(national theatre)はあるんだけど、地域の公立劇場というシステムではないんですね。

――もっと中央集権的なものだったわけですね。

そう。フランスの公立劇場は戦後に、パリ一極集中打開のためにつくられた制度なので。

――戦前でいえば、もともと州の寄せ集めだったドイツにしかなかったと。

今でもドイツの劇場は、日本語で「国立」とついていても実際には州立であるところが多いです。小説『メフィスト』の舞台になっている劇場は日本語では「プロイセン国立劇場」と書かれますが、当時のプロイセンはドイツ共和国の一州です。各州にそういう劇場があって、劇場に所属して給料をもらう俳優やダンサーやオーケストラがいる。そういう制度を作り上げていた。

リアリズム演劇は得意ではないのだけれど

――地域の人たちに娯楽を提供する意味もあったんですか。

観客動員という意味では、非常にメジャーな娯楽施設ですね。今日でもドイツでは、サッカースタジアムへ行く人より劇場へ行く人の数が多いくらいメジャーです。それでもさすがに納税者の過半数は超えませんし、劇場に税金を使うぐらいなら、壊れているドブ板を早く直してくれという声は常にあるんです。

――それでも、劇場に行かない人も、自分たちの町にそういうものが必要だというコンセンサスはとれているということでしょうか。

町の顔だというところまでは、みんな思っているんです。ただ、そこで行われている演劇は、まだ、上流階級のものというか、余裕のある人たちのものだと思われている。32年のドイツでも、劇場に行く人たちは社会の上澄みだと過半数の人は思っていた。上澄み層が実権を握っているうちは問題は起こりませんよね。しかし、格差が広がり、ナチスのような全体主義が出てくると、劇場に行っているようなやつらこそが俺たちの敵だ、困窮する元凶だ、という見方が出てくる。

そうすると、劇場の方は、昔ながらの演目を守ろうとする人もいるでしょうが、それはそうだ、私たちはもっとわかりやすいものをやらなくちゃいけないんだ、と考える人も出てくる。特権階級ではない人たちが望んでいるものを提供するべきなんじゃないかと。

それはある意味で劇場人としての良心なんですね。あるいは、そうやってお客さんの支持をとりつける方が、ナチズムに抵抗できるのではないかと思ったりもする。それは一見もっともらしいんだけど、あとから見ると、それってナチスに協力しただけだよね、とも見えるんです。

――そのような状況が日本でも起こり得るという危機感が、宮城さんにはあるんですね。

公立劇場に関わる人はみんな、その局面に立ち至ったら自分たちはどうするんだろうということは、薄々は考えていると思います。これは、簡単に答えは出ません。芸術監督一人がクビになればいいということでもない。単純にはいきません。

――もう稽古は始まっていますか。

始まっています。

――俳優や、劇場のみなさんの反応はいかがですか。

これをやらなきゃいけないんだよという話はしばらく前からみんなにしていたので。本当は国立劇場とかがやるべきだと思うけれど、でもきっと取り上げないから(笑)、演技のスタイルとしては得意じゃないけど、僕らがやることにしようって。

――演技のスタイルを変えるのはやっぱり大変なことなんでしょうか。

演技上はそうです。リアリズム演劇は僕らの普段の手法とまったく違うものなので。

――それでもトライする意義があると。

この問題は僕だけで、あるいはSPACだけで考えていても、まったく答えが出ないんです。

戯曲の中で、32年のドイツの人たちも考えるわけです。ここで俺たちがみんなやめてしまったならば、結局このベルリンの劇場はナチスがやりたいことをやるだけの小屋になってしまう。

むしろ、踏みとどまって、表面的には従ったように見せながら、バランスをとりながら、批判するような作品を出していけばいいんだとか。その方がしぶとい戦い方なんじゃないかとかね。

――そういう葛藤を、芝居を通して追体験している感覚でしょうか。

その通りです。この作品で何かを訴えたいというよりも、どう考えても到底答えの出ない、難しい問題だから、一緒に考えてくれる仲間を増やしたいんですよね。正直、僕らの得意なタイプの戯曲ではないけれども、この作品をSPACでやれば、考えてくれる仲間が増えるような気がしてね。

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宮城聰さん

アングラムーブメントと公立劇場は接続できるか

――『メフィストと呼ばれた男』は社会派リアリズムの作品ですが、演劇祭のプログラムを見ると、もう一つのSPAC製作作品である『ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』は唐十郎さんの戯曲ですし、森の中で上演される『盲点たち』や、演劇版RPGと銘打たれた『例えば朝9時には誰がルーム51の角を曲がってくるかを知っていたとする』など、実験的な演目が並びますね。

プログラミングのコアになるコンセプトは「アングラ演劇50年」です。早稲田小劇場や状況劇場、天井桟敷など、日本のアングラ小劇場運動が1960年代なかば、ちょうど今から50年前にスタートしているんですね。その遺産がいかに継承され、発展を見せているのか。

また、運動の核となる考え方は一言で言うと、反権威、反自然主義、それからフォークロア、民俗的なものに対するリスペクト、そして、身体劇やサーカス、呪術といった、芸術以下と見なされていたものの復権だったと思いますが、それらを共有している海外の表現を集めたプログラムになっています。

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『ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』写真:橋本武彦 オリジナル版は1979年に劇団第七病棟(主宰:石橋蓮司)により初演された。
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『觀〜すべてのものに捧げる踊り』写真:CHIN Cheng-Tsai 台湾の振付家林麗珍(リン・リーチェン)率いる無垢舞蹈劇場は日本初紹介。

――ただやはり難しいと思うのは、50年前と現在では、社会のあり方が全然違っています。アングラと公立劇場は真逆にあるような気もしますし。

そうなんです。でも、単純な言い方になりますが、民衆に演劇を開放するんだと考えれば、非常に似ているんです。とある人たちに抱え込まれた閉ざされた演劇ではなく、すべての人がアクセスしようと思えばできる演劇。そういう意味では公立劇場は図書館と同じです。図書館は誰もが書物、知にアクセスできるようにするためにつくられていますよね。

僕はSPACの芸術総監督になる前、「ク・ナウカ」という劇団を主宰していましたが、ク・ナウカはいわゆる前衛劇団に近かった。鈴木忠志さんの後任としてSPACの芸術総監督にならないかというお話をいただいた頃は、先端的な劇団という評価を得て、1年の半分は海外で公演ができるようになり、自分のやりたいことができる集団として確立してきた時期でした。

しかし、そうやって活動していると、世界のどの都市へ行っても、先端的な演劇を観るのが趣味という人がお客さんになるわけです。それは今の社会ではものすごく余裕のある人たち、恵まれている人たちです。目が肥えた人たちに観てもらうことで作品のクオリティーも上がっていき、それは幸せなことなんだけれども、本当にそのために一生をこの仕事に賭けているのだろうかという思いもありました。

演劇に入っていくような人間は、自分が世界から切り離されているという孤立の感覚、いわゆる「疎外」の感覚を持っているものです。そう感じた魂が、なんとか世界と自分との間に細くてもいいから橋をかけたいと思って、演劇というジャンルに入っていくわけです。僕もそうでしたし、俳優たちもみんなそうです。

だから、孤立感を抱えて諦めきってしまっているような人たちにこそ、全身を使って自分を追い込みながら、なお世界と少しでもつながりたいとじたばたしているおじさん、おばさんたちの姿を観てもらいたい、そうしたら自分にもちょっと可能性あるのかなと思ってもらえるかもしれない。それは夢かもしれませんが、やっぱりそう思うわけです。でもてんから諦めてしまっているような人は劇場には来ませんよね。

ク・ナウカとして劇場公演を続けていたら、どれだけ評価が高まっても、その人たちとはアクセスのしようがないんです。僕らは劇場で待ってるしかないから。だから、SPACの話があったときは、ク・ナウカをここでやめたくないという気持ちももちろんありましたが、ク・ナウカでは出会えない人たちに出会えるのかもしれないと思ったんです。公立劇場ならば、観たいと思っていない人にも観せてしまうことができるかもしれないって。

――たしかに、学校ツアーとかできそうです。県立中学校とか。

そうなんです。もちろんそう簡単ではないですが。ようやく数年前から、静岡県内の中高生を招待する公演を始めています。クラスごととか、学年ごと、バスで劇場まで連れて来ちゃう。

――修学旅行のように。

そう。希望者を募っていたら、君の魂はすでに救われているよという子しか来ないから(笑)。で、みんなで来るんだけど、ほとんど演劇なんて知らないから、パンフレットを配っても、丸めて、前のやつの頭をぱこんとかやってるわけですよ。

――目に浮かぶようです(笑)。

芝居は、子ども向けにわかりやすくとかはしません。今の子どもたちは、「わからない」というのが大人に対する批判だと思っていて、大人をいじめるには「わかんなかった」と言えばいいとわかっている。でも容赦なく大人向けのものをやるわけ。

そうすると、なんだったんだよ、みたいな感じで劇場を出ていくんですが、やっぱりどこか興奮してるんですよね。今まで刺激されたことのないところにちょっと矢がささったような。こんなところに痛みってあるんだ、みたいな。そういう反応を見ていると、これが20年ぐらい続けば何か土壌が変わるかもしれないと思うんです。

劇場のレパートリーも、なるべく偏らないようにしています。日本の現代演劇だけでなく、あまりみんなが欲しいと思わなくてもギリシャ悲劇は観ておいた方がいいし、シェイクスピアは年に1本にしようとか、フランスのものを入れたら、今度はアメリカのものを入れようか、アジアの演目はどうしようか、というふうに。

美術と音楽は学校の教科に入っていますから、一応レオナルド・ダ・ヴィンチの絵を観たり、ベートーベンを聴いたりしますよね。でも演劇に関しては普通の人はその程度の基礎知識もありませんから、もしも学校に演劇の授業があって教科書をつくるとしたらこれとこれは入るよね、というものは必ず入れるようにしています。

よく言っているのは、3、4年SPACの芝居を観ていけば演劇史というものの見取り図が描けるようなプログラミングです。そして、基本的にいつでも再演できるようにクリエーションしています。未来の観客にも開かれているように。それこそ、劇団員がいる公立劇場でなければできないことですから。

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『聖★腹話術学園』写真:V.Vercheval 演出:ジャン=ミシェル・ドープ、作:アレハンドロ・ホドロフスキー。出演はベルギーのアーティスト集団、ポワン・ゼロ。

「個別のものを持ち寄る共通の土俵」を目指すべき

――せかい演劇祭にも県内のお客さんはたくさんいらっしゃるのでしょうか。

6割ぐらいは静岡のお客さんです。少しずつですが、じわじわとは増えてきました。でもね、話は最初に戻ってしまいますが、少しずつ地歩を築いてきたなと思っているからこそ、空気を読むことにもなるんです。

「芸術を民衆のものに」というスローガンは、それ自体をとってみれば抗いようがない。そう言ってナチスの文化政策が出てきたわけだし、旧ソ連も、文化大革命もそうだった。「民衆的な表現」という言葉は僕にとってはいい印象のない言葉でしたが、それこそ戦前のドイツやかつてのソ連を思わせる気分が蔓延してくる中で、もちこたえるためには、僕ら劇場の側が率先して、民衆的な表現をやっていると胸をはって言っていなければならないだろうと思うんです。

民衆的というのは、その時代の支配的な価値観に寄り添いましょうということではもちろんなく、あらゆる人に対して開かれているということです。これは、言うは易く、行うはとても難いことです。それでも、「民衆的な表現」ということの真の意味を考え出さなければいけない。

――難しい問題だと思います。公立劇場という制度はやはりヨーロッパに由来するもので、日本の地方に根付くというのがどういうことなのか。宮城さんがおっしゃるようにまだまだ黎明期、途上ということなのだなと思いますが、うかがっていると、劇場と地域住民の関係は、神社と氏子の関係みたいなものとは違う、ある種の緊張関係をはらむような……。日本的な土着性みたいなものについては、どう考えていらっしゃるでしょうか。

65年から始まる小劇場運動の中にはたしかにフォークロアの再発見ということがあって、その前の時代には、土方巽さんが東北に着目したり、深沢七郎が『楢山節考』という小説を書いたりしています。三島由紀夫が、自分には根っこがないけれど深沢七郎にはあってうらやましいみたいなことを言ったそうですが、あの時代、土着みたいなものがまつり上げられたところもある。

ただ、僕自身の感覚としては、フラメンコやハワイアンと同じで、このネタがあったな、こういうものも使えるかもしれないな、というふうに、自分から距離のあるものの一つなんです。

日本の伝統芸能も、たとえばお能をとってみても、自分の中にあるものとは思えなくて、フラメンコと同じぐらい遠くにあります。表現者としては、もはや帰る場所なんてなくしている。

そういうところでは三島に共感するんですが、じゃあ、日本にくっついているひもが一つもないのかというと少しはあって、それは、日本語と、食べるものも含めた気候風土です。これはやはり、自分を規定しています。そこまでさかのぼれば。

――歴史のある一時点の、文化風俗ではないんですね。もっと、所与の条件としてあるものというか。

そうですね。エキゾチシズムのようにとらえられないようにしたいとは常に思っています。僕たちは、日本で伝統芸能とされているものにも常に距離があるんだと、あとで発見したんだということをわかって欲しいなとは思っています。

でも、じゃあ輸入してたかが百何十年かしか経っていない西洋の衣裳をまとえばより普遍的なのか?とも思ってしまうわけですね。エキゾチシズムや、それこそオリエンタリズムでとらえられないようにしたいとは思うんだけれど、じゃあどうすればいいかというとなかなか難しい。

――演劇というものの捉え方一つでも、日本人が思う演劇観と、ヨーロッパの人、アメリカの人、やっぱり違っているものでしょうか。

少しずつ違います。ただ、「そこが共通の土俵だ」というものを目指すべきだという合意はあります。アヴィニョン演劇祭に行くときに、それはヨーロッパの土俵というのではなくて、ものすごく個別なものを持ち寄る一つの土俵というものが、理想として想定されているんですね。

――それはすごく面白いです。ふじのくに⇄せかい演劇祭も、そういうものにしたいと考えていらっしゃるのでしょうか。

アヴィニョンとは比較にならないぐらいまだ規模は小さいですけどね(笑)。でも、基本的にはその通りです。つまり、僕らはまだまだ他者を知りません。あからさまな他者に対して及び腰です。世界にはいろんな人がいるということをもっと知った方がいい。まだその段階です。特に静岡では。

この演劇祭は、「ふじのくに」と「せかい」をつなぐという名前の通り、普遍的な土俵があり得るんだという認識のもとで、世界と共有できる設計をしています。わざわざ来てもらう価値があると信じています。ぜひたくさんの人に足を運んでいただきたいと思います。

■公演情報

 ふじのくに⇄せかい演劇祭2015

WorldTheatreFestivalShizuoka under Mt. Fuji 2015

2015年4月24日(金)〜5月6日(水・祝)

http://www.spac.or.jp/worldtheaterfestivalshizuoka_2015.html

主催:SPAC – 静岡県舞台芸術センター

ふじのくに芸術祭共催事業

後援:静岡県教育委員会、静岡市、静岡市教育委員会

お問い合わせ:SPACチケットセンター TEL. 054-202-3399 (10:00-18:00)

知のネットワーク – S Y N O D O S –

プロフィール

宮城聰演出家

1959年東京生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京大学で小田島雄志・渡辺守章・日高八郎各師から演劇論を学び、90年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出は国内外から高い評価を得ている。2007年4月SPAC芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を鋭く切り取った作品を次々と招聘、また、静岡の青少年に向けた新たな事業を展開し、「世界を見る窓」としての劇場づくりに力を注いでいる。14年7月アヴィニョン演劇祭から招聘されブルボン石切場にて『マハーバーラタ』を上演し絶賛された。その他の代表作に『王女メデイア』『ペール・ギュント』など。04年第3回朝日舞台芸術賞受賞。05年第2回アサヒビール芸術賞受賞。

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