『日本のいちばん長い日』――昭和天皇、終戦の物語

「上から目線」の歴史を知る意義

 

荻上 「戦後70年」というタイミングでのこの映画が作られたということについては、どうお考えでしょうか。

 

片山 日本の歴史を知る上での、ひとつのガイドラインにはなり得ると思います。日本が派手に戦争をやって派手に負けた。この決定的事実から、平和憲法や、それでもせめて最低限の自衛権は、という話はスタートしているので。そこの歴史的な経緯を踏まえないで、今の現実だけを強調して、リアリズムと称するもので国を動かそうとしても限界がある。歴史抜きには日米関係も日中関係も存在しないのですから。

 

荻上 そうですね。また、「中央にいた人間の目線」で当時を学べることも大きいと思います。戦後70年という現在のタイミングで、メディアが戦争に関するいろんな証言を集めているわけです。ただ、今のタイミングで集まられる証言というのは、基本的には当時を若者として過ごした国民目線の証言が多くなるんですね。お腹がすいて大変だったとか、家族が空襲で死んでしまったとか。

 

それはもちろん重要な仕事なんですけど、やはり中央にいた人や、軍部のリアリティを語れる人も必要です。でなければ余計に、あの戦争を「被害者目線」で語る側面が強化され、対外的にみると、「加害者目線」の語りが少なく映る。

 

また、戦争を語る上では、当時の閣僚たちがいかに失敗したかということを、組織論として検証するまなざしが重要になってくるんですね。

 

当時の意志決定のあり方を、資料などを突き詰めて分析することによって、今後同じような過ちを犯さないようにしなくてはならないのですから。

 

片山 証言というのは本当に難しい。オーラル・ヒストリーだと、自分に都合の悪いことは言わないですからね。また、上が生きていると、下がまずいことを言うわけにはなかなかいかない。かといって、上が死ぬのを待ってとなると、下の方は言うタイミングを逃したまま亡くなるという場合も多いし。

 

下から目線だと末端としての実感はあっても、やはりそれだけで全部を語ることはできないわけですから、いかに多様な証言を今組み合わせるかということが重要になるんですけど、ジャーナリズムに任せておくと自分が取材したことだけで作るから、取材対象の世代は上が亡くなってゆくことで下がる一方なので、どんどん下から目線になってしまうんですよね。今こそ「上から目線」ですよ。

 

そういえば、この映画は玉音放送後の、昭和天皇の姿で終わっていますね。東条に始まって昭和天皇で終わる。映っている人でいうと、徹底的に「上から目線」で。玉音放送を聞いている市民の反応は映らない。

 

荻上 この映画では、書記官の迫水久常を堤真一が演じていますね。迫水の手記の影響は、この映画にもつよく見て取れます。映画は、玉音放送後の、昭和天皇の姿で終わっていますよね。聞いている大衆の反応は映してない。

 

でもあれで「戦争」は終わったかと言えば、ちょっと微妙ですよね。聞いた国民の中には、自殺する人はいたし、まわりを鼓舞しようとする人はいたし、敗戦を知らずゲリラ戦で潜伏し続けた人はいたし……。誰にとってのいかなる終戦なのか、という目線は、国内においてすら重要だと思います。

 

片山 この映画では、玉音放送のくだりに限らず、一般国民の印象は総じて薄いですね。最初の方で焼け跡で新聞を読む人がいるとか、宮城に奉仕に来る人がいるとか、横浜警備隊のくだりとか。ありますけれどもとても少ない。

 

私の印象では、澤地久枝の『妻たちの二・二六事件』をNHKがドラマにした、一九七〇年代の中頃からなのですが、歴史や政治や戦争を、指導者たちのドラマとして、冷徹な歴史の歯車が回るように描くということが、映画でもテレビでもハッキリと嫌われだして、大河ドラマでもなんでも恋愛と情緒で話を持ってゆくようになりました。「上から目線」の排斥ですね。

 

男の政治家や軍人の話でも妻の方がたくさん出てきて、これが本当の歴史なんだという。「横から」や「下から」の方が大事なんだという。その方が多くの人が感情移入して観られるのだという。それは一理あると思うけれども、そればかりになるとおかしい。

 

この映画は鈴木内閣の誕生から玉音放送まで、「上から目線」で、空間も時間もきって、ばっさりと処理していますね。その意味では歴史映画への王道への復帰というか……。

 

荻上 そうですね。鈴木短命内閣に焦点を当てたという意味では斬新かもしれない。正直に言えば実は何をテーマにしても、戦争は語られてしまうのではないかと思います。

 

この映画のように戦争中の特定の期間、またひとつの島、ひとつの戦艦などに焦点を当てたとしても、そこには人を取り巻く法体系や上層部の意思決定といった、「戦争」のいろんなエッセンスが凝縮されているんですね。

 

そういった視点から見ると、この映画は戦争のすべてを網羅しているという感じではなくて、あくまで無数にある「戦争」のひとつとして、鈴木内閣の四ヶ月を描いているのではないかと思います。

 

 

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

 

 

「天皇の功績」という作られたストーリー

 

片山 英語の題名は、<Emperor in August>。つまり、八月の天皇。対外的には、天皇を表に出しているんですね。

 

荻上 八月の天皇というタイトルは、昭和天皇は平和主義者で、彼のおかげで戦争が終わったと、そのあたりを強調するイメージなのかもしれませんね。

 

片山 そうですね。やはり昭和天皇の功績をとてもクローズアップする形になっていると思います。ここまで昭和天皇がたくさん出てくる場面のある映画も珍しいでしょう。しかも鈴木内閣成立当初のところから、一貫して平和への意思を強く持たれているように脚本もできていて、演出もされている。

 

私は、長谷川清海軍大将に本土防衛の状況を調べさせてその結果に愕然とされたはずの六月頃までは、もう少し、大御心、つまり天皇の心も揺れていたのではないかと思うのですが、そういうふうには決してされていない。

 

こういう、天皇が内なる平和への意思を一貫して強固にもたれていたからこそ、終戦を迎えられたのだというストーリーは、考えてみると、やはり下村宏が形成したのではないかと思います。

 

終戦の過程について、真っ先に詳しい本を、当事者の証言として出したのは下村ですよね。それは当時の国民にすごく読まれた。彼はある意味メディアを使って玉音放送を演出したし、現在語り継がれる「終戦」の生みの親とも言えると思います。

 

もうひとりの語り部としては迫水久常の存在も大きいですけれども。私が子供の頃、テレビに出てこの話をしている人というと、記憶にあるのは何と言っても迫水なんですよね。とにかく迫水内閣書記官長と下村情報局総裁によって「御聖断のありがたさ」は戦後に語り伝えられたと思います。

 

荻上 たとえば、さっきの破いたメモというのも、本当にあったのかすら確認できないわけですよね。聞いてメモしたなら、下村であれば絶対名前を覚えているはずだろうと思うんですけど。

 

片山 一貫した平和主義者としての昭和天皇。このイメージはこの映画で大きく確認され、改めて広まると思いますね。

 

「自分の本当の言葉で終わらせられれば嬉しい」という台詞も映画の中にあったと思いますが、これも、ある意味「下村史観」と言えるかもしれない。その言葉は「御聖断」として、補弼の任を全うできなかった総理大臣以下に御前会議で伝える言葉であると同時に、結局、玉音放送として国民にラジオで伝える言葉にもなるわけで。

 

それは書き言葉でなくて、どちらも声ですよね。御前会議では生声だし、放送では録音だけれども、とにかく昭和天皇の声で戦争は終わった。ここは強調されている。

 

昭和天皇の声は、やはり偉大ですよ。神主風なんですね。喉をつめた、祝詞みたいな感じで聞こえてきます。あれはすごいインパクトですよ。神の声という感じがすごくする。

 

荻上 玉音放送は二回収録していますけれど、あの長尺を一発撮りですから、大変ですよね。現代のアナウンサーです、らあれだけの文章を一発で収録するのは難しいですよ。しかもあれだけの難語を。

 

片山 昭和天皇という役者の登場によって、戦争は終わったわけですよね。そこで映画もパッと終わるということで。この後は想像にお任せします、という感じで。

 

 

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

 

 

「歴史」を学ぶ重要性

 

荻上 ほかに映画を見て思ったこととして、係争的な歴史観の変化などには思いが向きますね。戦争の意義を強調するものはさすがに少ない中で、「部分的に値切る」歴史修正を迫るものが残っていることであるとか。

 

片山 そうですね。昔は全肯定と全否定が、左右激突みたいな感じになっていたんですけど、今はそうした単純な構図だけでは割り切れないですから。片方だけで議論をまとめても誰もついてこなくなったから、いろんなバランスの中で模索しながら、言えるギリギリのところまで言おうとする。大きな歴史観に基づく大きな物語ではどうにも収まりがつかないので、「個別的対応」というかたちになっている。

 

でも、個別的にデリケートにやると話が複雑になりすぎ、ついてこられない人も増えるから、また逆転して、というよりも、単純化の過ぎたハッタリやデタラメやトンデモの域で、話をまとめようとする次元に反転してしまう。そういう政治家も出てきてはいますね。

 

荻上 歴史認識に関して、もし何かしらの国際アピールをするのであれば、いろいろ熟知した上で、相手が絶対譲れそうなところから攻めていくものなのでしょう。つまりはしっかり理論武装をすることが重要になるんですけど、政治家が資料も読まずに突飛な発言をして、その後指摘されて釈明に追われるというような事例が後を絶たないですね。

 

片山 今の政治家は、「目立たなければいけない」という強迫観念が強くなっているように思いますね。昔のように地盤や看板や支持母体に安定的に支えられていない人が増えてしまって、視聴率や株価と同じくらい、瞬間の風をつかまえることでしか、生き残れなくなってきているから。そういう背景があるので、板に付かない突飛な発言もしがちで、すぐに辞めさせられたりする。

 

これは政治家の話に限らないんですけど、歴史もどんどん堆積して、ことこまかに調べられて、情報は増える一方なんですね。おまけにそれを扱う価値観も多様化している。

 

つまり、情報や価値観の扱いにはより周到さが求められる時代になってきている。ところが、対応する人間は、慎重を期してよく勉強するのとは正反対で、どんどん刹那化している。その繰り返しの中で、時代は確実におかしくなってきていると思います。

 

時間をかけて、遠回りをしても、歴史を学ばないとだめなんですよ。そうでないと、周到さを欠いて、事故を起こして、退場させられます。誰を退場させるべきかというくらいの判断力は、まだ世間にはギリギリ残っていますよ。幸いなことに。

 

八月一五日のドラマも知らずに、集団的自衛権や安保法制のことを語ってもしようがないでしょう。戦争があったから戦後史もあって平和憲法もあるのだから。戦後の起点は戦争です。その終わりのところです。この夏はそこを知るところから始めないと。

 

 

『日本のいちばん長い日』8月8日(土)全国ロードショー

 

■ストーリー

太平洋戦争末期、戦況が困難を極める1945年7月。連合国は日本にポツダム宣言受諾を要求。降伏か、本土決戦か―。連日連夜、閣議が開かれるが議論は紛糾、結論は出ない。そうするうちに広島、長崎には原爆が投下され、事態はますます悪化する。“一億玉砕論”が渦巻く中、決断に苦悩する阿南惟幾陸軍大臣(役所広司)、国民を案ずる天皇陛下(本木雅弘)、聖断を拝し閣議を動かしてゆく鈴木貫太郎首相(山﨑努)、ただ閣議を見守るしかない迫水久常書記官(堤真一)。一方、終戦に反対する畑中少佐(松坂桃李)ら若手将校たちはクーデターを計画、日本の降伏を国民に伝える玉音放送を中止すべく、皇居やラジオ局への占拠へと動き始める……。

 

出演:役所広司、本木雅弘、松坂桃李、堤真一、山﨑努

監督・脚本:原田眞人

原作:半藤一利「日本のいちばん長い日 決定版」(文春文庫刊)

配給:アスミックエース、松竹

公式サイト:http://nihon-ichi.jp/

 

『日本のいちばん長い日』8月8日(土)全国ロードショー

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

 

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