演劇と民主主義――青年団という冒険

――すみません。私、型でつくっていらっしゃるのかと誤解していました。

 

もちろん、もうひとつの理論として、言語構造で規定される部分はあります。でも、それは大きな部分であって、0.1秒とかの部分は俳優の身体によるんです。その両方の組み合わせで間が決まっていきます。

 

利賀村で合宿をして、鈴木さんの演出を見た若手の演出家が驚くのは、僕と鈴木さんの演出が驚くほど似ていることでした。しゃべり方は全然違うんだけど、もし字に起こしたらほとんど同じ、みたいな。鈴木さんもものすごく具体的な指示を出し、「もっと悲しそうに」とかいうことは絶対言わない。僕は、演出家というのは基本的にそういう仕事だと思っているんです。

 

 

――青年団のホームページには俳優の名前はなく、平田さんの顔写真しか載っていませんが、ヒエラルキーのない集団を目指しておられるわけではないのですね。

 

ええ、青年団は僕が絶対的な権力を持っているので。ただ、うちは、天皇制社会主義と呼んでいるんですが、一君万民と言ってもいいですけど、私に権力を集中させて、私が無私なら、平等なんですよ。

 

 

――(笑)でも、無私って難しいですよ。

 

とっても難しい。完全に実現しているとは思っていませんが、いちおうそういう理屈でやってるわけです。うちの演出部からたくさんの演出家が育ってきているのは、明らかに、そういう環境のなかで俳優と演出家がある程度対等な作業ができているからだと思っています。

 

ヨーロッパの劇場にはプロデューサーと芸術監督がいて、若手の演出家と俳優をマッチングさせて、演出家がそのなかで育っていく。それに近いシステムを日本で唯一持っているのが青年団だと思っています。次の世代からは、僕みたいなものを必要としなくても、劇場のシステムがきちんと機能すればそうなっていくと思っているんですけれども。

 

 

――権力って腐りますが、権力がなければ動かせないこともあります。

 

集団でやる芸術は、権力性を伴います。権力性を伴うんだということにどれだけ意識的かということの方が問題であって、権力性を伴っちゃダメだとなったら、たぶん、芸術ではなくなってしまう。学芸会のひとりひと台詞みたいな、そういうつまらないものになってしまう。だから権力性を伴うことを前提にしながら、たとえば俳優やスタッフ個々人の人格を損なわないようにするにはどうすればいいかということの方が大事だと思う。

 

 

――そのためのシステムをつくってこられた。

 

ある程度、ルールが必要だと思います。青年団の根源的なルールは、ルールはできるだけ少ない方がいいというルール(笑)。劇団をやりたくて、作品に対するロイヤリティーをもって集まってきているわけだから、基本的にはルールは要らないはずなんです。でも、問題も起こる。劇団の力がいちばん弱くなるのは、団員が不平等感を持つときなんですね。

 

だから不平等感を持たせないようなシステムをどうつくっていくかということを、ずっと考えてきて、そのために必要なルールをつくってきました。普通にセクハラ、パワハラの規定もあって、パワハラでやめてもらった人もいます。

 

 

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算盤がはじける人間も、政治家と話せる人間も必要

 

――劇団の他に、大学の教員をやり、地方自治体と組んでワークショップもやり、一時官邸にもいらした。それはすべては演劇のため、「演劇人がバイトしなくても食える状態を作るため」と発言されていますけれど。

 

厳密に言うと、僕は選ばれた俳優だけが食えればいいと思っているんです。要するに不平等なのが嫌なんですね。厳しい言い方をすると、才能がないのにずっと続けてるやつも嫌なんです。才能があるやつがとてつもない努力をして生き残って行く世界だと思っているので、そのことがちゃんと評価されるような演劇界でありたいというのがまずあります。

 

だからある種の競争のシステムはどうしても必要で、それが古い層からは反感を買うときもあります。劇場法なんていうのは、まさにある種の競争のシステムを導入することになりますから。

 

でも、少なくとも公的なお金で芸術活動をするからには、選ばれた者であるべきですし、選ぶ過程に透明性がなければいけないということを、僕は言ってきました。でも、世のため人のためにやっているつもりはなくて、基本的に自分の演劇のためにやっていることです。

 

 

――鳩山内閣の内閣官房参与に就任したときは、スピーチライターもされました。演劇人として、政治や行政にかかわる役目を一人で背負っておられるようにも映ります。

 

僕はヨーロッパで仕事をしていたので、それは当たり前だと思っていました。それに、文句だけ言ってるとか、泣き言だけ言ってるとか、ルサンチマンみたいなのは嫌なんですよ。

 

日本の文化政策にかんして、演劇、特に新劇は「貧乏だからお金をくれ」「ヨーロッパではこんなにもらってる」としか言ってこなくて、なぜ自分たちが社会のなかで必要なのか、自分たちにもっとお金がくればどういう社会をつくれるのかという提言はまったくしなかった。それはダメだろうというのがまずあるんです。

 

その上で、たまたまそういう役回りを背負った以上は、照れたり斜に構えること自体がかっこ悪いと思っているので、そういう態度はなしにしようというのもあります。

 

それから、これも本やいろんなところに書いてきたことですが、僕は18歳のときに大学検定試験を受けて、非常にひどい制度だと思い、それについて書き続けてきたら、20年後に改革がなされて高卒認定制度に変わった。20年間僕が言ってきたことが法的にもほぼ実現したというある種の成功体験があり、それは明らかに世の中のためになったんです。やりたいことをきちんと法律化したり予算化していくことは僕にとって、政治というイメージすらないぐらいで、当たり前のことなんです。

 

――「演劇1」に、平田さんがレシートを1枚1枚チェックしている場面があります(笑)。

 

あれはね、たまたま半年に1回ぐらいの作業を撮られたんです(笑)。でも、嫌いじゃないんで。たとえばよく言われることですが、明治維新のときに、坂本竜馬だけが経済的観念があるんですよね。商売人だから。

 

革命をするときには、算盤がはじける人間がたぶん必要なんだと思うんです。政治家と話せる人間も必要。演劇の場合には、鈴木さんがいて、鈴木さんと僕は24歳ぐらい違う。四半世紀に一人ぐらいこういうのがいないと、たぶん困るんだと思うんです。

 

 

――平田さん以降は、いらっしゃいますか?

 

そういう人間は、きっと出てくると思っています。ただ、最近ベテランの新聞記者と話しても、僕より下の世代の演劇人で、新聞に評論が書けたり、何か事件があったりしたときにコメントしたり、そういう人間が演劇界から出てきていないという話になる。僕の前には、井上ひさしさんや別役実さんらが連綿といました。本来劇作家には「この事象は演劇的にはこう見える」とか、そういう発言をする役割も社会のなかにあるので、そっちの方が心配です。

 

 

――一平田さんは海外での活動される時間も長い。でも、世界を舞台に仕事をする醍醐味は、さぞや大きいのでは。

 

単純に行きたいというのはありますよね。特に若いときには。今は、毎年向こうの劇場から依頼がきて作品を書くという大変恵まれたポジションにありますが、評価がはっきりしているので、やっぱりやりがいがある。フランスでは15年続けていますが、15年間、毎年作品を書いている海外の劇作家はフランスでもほとんどいません。向こうの作家は40代半ばで半分引退ですから。だから、メジャーリーグに似ていますね。毎年1軍でちゃんと試合に出られるか。それに伴って、お金も、全然違うので。

 

 

――いくらとは聞きませんけど、何倍ぐらい違いますか。

 

仕事によって違いますが、今度ハンブルグでオペラをやるんですね。オペラの演出ってほんとに「えっ!?」っていうぐらい高い。今年の2月に公演1年前の最終打ち合わせがあって、僕、人生ではじめて、ギャラを提示されたときに顔がにやけそうになりました。我慢して、「まあ、いいんじゃない」って、ちょっと不満げなぐらいの顔をしましたけど(笑)。

 

 

――あははは。最後に。平田オリザ55歳引退説がありますが本気ですか? あと2年です。

 

はははは。別に演出家や劇作家として引退するわけではなくて、劇団の座長を、55歳前後ぐらいにやめたいということは劇団員には言ってきました。天皇制社会主義みたいなものはほんとに体力がいるので、もう無理だろうと。一君万民の君が狂っちゃったら、大変なことになりますから。あまり迷惑をかけないうちに、一芸術家に戻ります。

 

 

公演情報

 

平田オリザ演劇展 vol.5

東京公演 2015年11月5日(木)〜11月18日(水)

こまばアゴラ劇場

http://www.seinendan.org/play/2015/03/4470#tour4

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.278 

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