人生の最期に聴きたい曲ってなんだろう?

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技術はどれだけ必要?

 

荒井 音楽療法士にとって、演奏の技術ってどれくらい必要なのでしょうか?

 

佐藤 音楽療法士になるには、まずミュージシャンでなくてはいけないとおもっています。音楽をやらなくても、セラピーだったら他の方法がありますから。

 

音楽を使うからには、道具としていかに使うのかでセラピーの良し悪しが決まってきます。「えーっと、ギターのコードが……」って、演奏そのもので苦労していたらセラピーにならないわけです。

 

それから、クライアント(患者さんやご家族)の表情や状態を気にしながら演奏しなければならないので、演奏だけに集中できないんです。クライアントを気にしつつ、でも自然に楽器をこなせるだけの技術は必要ですね。

 

とはいえ、もちろんセラピストとしての勉強も必要です。ですので、音楽療法士になるにはピアノとギターと歌、それをやりながら心理学や音楽療法の理論などを勉強します。

 

荒井 資格を取るまでに何年くらいかかるのですか?

 

佐藤 音楽療法士の資格は国によって違いますが、アメリカの場合は少なくとも4年の大学のカリキュラムを終了する必要があります。それが終わればインターンシップが6ヶ月。その後試験があって、受かれば資格がもらえます。

 

荒井 佐藤さんは、いくつの楽器を演奏できるんですか?

 

佐藤 ピアノとギター、アイリッシュハープ、ウクレレ、ネイティヴアメリカンフルート。あと打楽器は基本的にやらないといけないので、西アフリカのドラムのジャンベもやります。もうちょっと上手くなりたいんですけどね。でも本当の意味で上手になろうとすると、一つの楽器だけでも一生かかりますから。

 

荒井 それは、セッションの中で必要に迫られて覚えていったんですか?

 

佐藤 そうですね。たとえばギターだとコードを弾いて歌うのが一般的です。もちろんテクニックがもっとあれば、歌いながらメロディーを弾いたりできるんですけど、そこまではできません。

 

でもハープの場合は、ピアノみたいにメロディーも弾きやすいんです。なので、演奏と同時に歌をやるためにはハープが必要でした。で、ウクレレをやり始めた理由も、音楽療法士の仕事って体力が必要で、楽器を背負っていくことが多いので、体が保たなかったんです。

 

荒井 そうか、持ち運びに便利かどうかもあるのか。

 

病院の中で絵を描いている人たちのことを見ていても、似た部分がありますね。絵を描きたい人を「支える側の人」も、やっぱり絵の技術は必要です。

 

作業療法でアートを取り入れている病院もありますけど、病院の職員さんは医療や福祉の学校を出ていますから、「油絵を描きたい」というリクエストが出ても応えられません。どうしても「水彩絵の具で我慢して」とか、悪意はなくても表現の幅を狭めてしまうことがある。

 

でも、その人が響くものって、色鉛筆かもしれないし、油絵かもしれないし、パステルかもしれない。やっぱり、ある程度の技術って必要なんだなっておもいます。

 

佐藤 そうですね。「自分が癒されるからハープが良いんだ」って思いこんでも、「ハープ=天国」だと感じるから嫌だって人もいます。「わたしがこの歌が好きだから」「この絵しか教えられないから」ではなく、その人にとって何が響くかですよね。そこを中心に考えた時、やっぱりこちらがいろんなものを提供できたほうがいい。

 

 

「良い支え手」とは?

 

佐藤 昨年、荒井さんから勧められて、さきほど話に出てきた「“癒し”としての自己表現展」に伺いましたよ(※「第21回“癒し”としての自己表現展」平川病院〈造形教室〉主催2014年12月2日~6日 八王子市芸術文化会館・いちょうホール)。そのとき、自分の精神障害の症状をそのまま絵に描かれている方にお会いする機会がありました。

 

「ものすごく勇気がいることだったのではないでしょうか」と聞くと、「自分ではそうはおもっていません。でも、よく言われるので考えてみたら、こんな表現をできる環境があったらからこそ、ぼくはできたんだとおもいます」っておっしゃったんです。

 

それがまさにセラピーだとおもいました。そういう環境があるからこそ、少し勇気を持ってやってみようとおもえる。でも、環境を作ることって簡単にできることではないんですよね。

 

荒井 表現って、自分以外の他人がいないと生まれないんですよね。だれか見てくれている人がいる。相談に乗ってくれる人がいる。でも干渉しないで良い具合に放っといてくれる。そういった人と人の「間」に働く力が大事なんでしょうね。

 

いくつかアート活動を取り入れている医療施設を見てきましたけど、「良い支え手」って草食動物みたいな人が多いような気がします(笑)。気配を消して空気に馴染んじゃう人。

 

そういう人と話をしていると、「障害のある人とない人」っていう区別の発想自体がないんですね。もちろん最初はあったんでしょうけど、長い現場経験の中で溶けてなくなっている。ほんとうに話していて面白いですよ。ただ、残念ながらそういう人は表に出てこない。草食動物なので(笑)。

 

 

arai

荒井裕樹さん

 

 

佐藤 わたしもホスピスの仕事をやりながら、最初の1、2年は自閉症とか障害をもったお子さんとの音楽療法もやっていて、グループで障害のある子もない子も一緒にやっていたんです。

 

すると障害のない子たちが「なんでこの子はやらなくてもいいのに、ぼくはやらないといけないの」と言いだすことがあります。その時、この子は喋れないから歌わなくてもいい。その代わりこの子は手話ができるから手話をするし、君は歌えるんだから歌うんだよ。ただその違いがあるだけであって、それ以上のことではない。そういう違いを乗り越えて、どう付き合うかを子供のうちから教えることがすごく重要です。

 

大人になってからも同じで、コミュニティーミュージックセラピーのように、障害のある人もない人も同じバンドで演奏するようなことがすごく重要だとおもうんです。

 

荒井 「できること」の範囲がちがう人たちを一緒にすると必ず揉めます。でも、その揉め事を時間をかけて消化した先に豊かさがあります。

 

いま「障害のある人」と「アーティスト」のコラボレーションを謳ったアート展が盛り上がっていて、すごい規模で「お金と人」が動いているみたいです。自宅や作業所で細々と絵を描いていたのに、いきなり大きな美術館で展示されるようになって、注目のされ方も変わる。もちろん、それが励みになる人もいると思いますが、体調をくずす人が出てるという話も聞こえてきます。

 

この盛り上がりにはパラリンピックの影響もあって、確かにお祭りは大事だと思うんですけど、もっと大事なのは「祭りの後」です。ほんとうに、今までと同じ歩調で歩き続けることができるのか心配です。

 

佐藤 取り巻く人たちも長い目で見ているわけではなくて、その時の利益を考えてやっているのかもしれませんね。

 

荒井 アート業界を盛り上げたいのか。それとも日々の生活の中で絵を描く人を支えたいのか。やっぱり「良い支え手」って、10年とか20年とかのスパンで、同じ歩調で歩き続けることができる人なんだと思います。そうなると、きっと「支える・支えられる」の区別もなくなっていくでしょう。

 

以前、平川病院〈造形教室〉のことを本に書いたとき、素晴らしい活動を広く紹介したいけど、そのことで余計な雑音が入ってしまうんじゃないかと悩みました。幸か不幸か、ぜんぜん売れなかったので大丈夫みたいです(笑)。

 

佐藤 でも、本人にOKをもらって、名前をだしてやってらっしゃるから、そこに意義があるとおもいますよ。それだけでもすごく大きなステップですよ。自分の苦しみを絵に表現して、それが名前と一緒に本に載るってこと。そして彼らのアート展にいくとご本人に会えますからね。それがすごいです。

 

荒井 売れなかったですが(笑)。

 

佐藤 良い本が売れない時代ということにしましょう(笑)。【次ページにつづく】

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.267 

・堅田香緒里「ベーシック・インカムとジェンダー」
・有馬斉「安楽死と尊厳死」

・山本章子「誤解だらけの日米地位協定」
・桜井啓太「こうすれば日本の貧困対策はよくなる――貧困を測定して公表する」
・福原正人「ウォルツァー政治理論の全体像――価値多元論を手がかりとして」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(11)――シンクタンク人生から思うこと」
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