人生の最期に聴きたい曲ってなんだろう?

「押し付けない」こと

 

荒井 佐藤さんが考える「良い音楽療法士」の条件ってなんですか?

 

佐藤 当たりまえですが、人間として信頼できる人。わたしは一緒に仕事する人に対しても、自分の家族をこの人に安心して任せられるかどうか、という目でみています。

 

あと、「押しつけない」ことでしょうね。病院にいる人は立場的に嫌だって言えない場合もあるんですよね。もし嫌だって言ったら良い治療が受けられないんじゃないかとおもっていたり、言葉がしゃべれなくて気持ちを伝えられなかったりする場合もある。

 

そこで、セラピストが「自分はクラシック音楽がすごく癒されるから、他の人にも聞かせてあげよう」とおもったとします。でも、相手はそれが嫌かもしれない。だけど、なかなかそれが言えない。だから、「押し付けない」ってすごくセンシティブな問題だとおもうんですよ。

 

荒井 佐藤さんがなさっているホスピスでのセラピーだと、動けない患者さんを訪ねる形になりますからね。その分、「押し付けない」ことが大事なんですね。ちなみに、初めてお会いするクライアントの場合、一番気を使うのってどんなことですか?

 

佐藤 うーん、どうでしょうね……。わたしはやっぱりなるべく常に自分らしくいることがベストだとおもっています。もちろんセラピストによって手法は違うとおもいますが、わたしの場合はその人の本来の姿を知りたいのであれば、わたし自身も本来の姿を見せる必要があるとおもっているんです。

 

わたしは誰に対しても自分のことを話したいとおもうタイプじゃないので。逆に人の話しを聞いていたほうが楽なんですよね、自分のこと言わずに。ただ、それだと向こうも心開いてくれないから、わたしの性格上、常に気をつけていかないと、「うん、うん」ってどんどん聞くだけになっちゃう。

 

荒井 ちなみに、英語と日本語で困ることってありますか?

 

佐藤 ずっと困っていますよ(笑)。

 

荒井 アメリカのホスピスでお仕事をされていた時は、会話もメモも英語でされていたんですよね? でも『ラストソング』は日本語で書かれている。

 

佐藤 いざ日本語で出版するとなったとき、どういうふうに翻訳するのかかなり悩みました。全然日本語が出てこなくって。

 

荒井 具体的には、どのあたりが難しかったですか?

 

佐藤 たとえば、セラピストとして「being fully present」が一番難しいことであり、すごく重要なことだとおもうんです。英語で「present」って「ここにいる」って意味ですよね。「全部がここにいる」とか「自分の全てがあなたに集中している」とかって、日本語でどういうのかなってずっと考えていたんです。

 

直訳しても「完全にここにいます」になっちゃって、よくわからなくなってしまう。ある日、「心から寄り添う」って言葉を聞いてぴったりだなっておもいました。言われてしっくりくる言葉って、直訳してわかるものじゃなかったりします。

 

 

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ホスピスでの音楽療法の様子

 

 

自分と他人との距離

 

荒井 音楽療法士って、自分のために演奏することもあるんですか?

 

佐藤 もちろんしますよ。わたしの恩師に、「仕事を続ける秘訣を教えてください」と聞いたら、「自分と音楽との関係を忘れないこと」っておっしゃったんです。自分のためだけに演奏することを忘れてはいけない。その関係を保っていないといけない。確かにその関係が薄れていると、セッションにもすごく影響が及ぶんですよね。

 

荒井 ぼくも忙しく仕事していたりすると、小説を読みながら「おもしろいな」っていうより先に「これ授業で使えるかも」って、そういった発想になっちゃうんですよね。

 

佐藤 そうなんですよ。音楽を聞いても、「あ、この曲セラピーにいいかも」とか「こういう風に演奏したらどうかな」って考えはじめてしまう。

 

だから、普段自分で聴いている音楽はインドの音楽とか、絶対にセッションでは使わないようなものが多いです。それだとあんまりセッションのことは考えないでいれる。それに津軽三味線とか、自分では演奏できないものだったりすると、素直に感激できたりしますよね。

 

わたしが一番好きなのは、山みたいに誰もいないところに行って、誰のためでもなく演奏することで、そういうことがもっとできればいいんですよね。

 

荒井 佐藤さんの本の中で一番気になったのは「セラピストは休みの日には患者さんに会いにいってはいけない」ってところです。目の前に心から寄り添うべき人がいる。でも近づきすぎてはいけない。難しい問題ですよね。

 

佐藤 そうですね。わたしは患者さんが亡くなったときにすごく落ち込んだことがあって、そのときに同僚が言ってくれたことがすごく印象に残っているんです。

 

「自分が心を開かなかったら相手も心を開いてくれない。あえて、もう亡くなるとわかっている人に対して深くて意味のある関係を作っていくことが私たちの仕事だ。そこが一番難しいところだ」って言われて。

 

本当にそうなんですよね。でもそこは大変なところで、患者さんはその人以外にもたくさんいたわけですから、その人に自分の全てを費やしてしまったら他の人にフェアじゃない。

 

やはり、自分の限界を認めるってことでしょうね。お葬式で演奏することも、できるときとできないときがあるんです。それをやってしまうと次の患者さんを看るエネルギーもないなというときは、あえて「できません」って言います。自分の限界を知るってことが境界を持つってことなんじゃないかなとおもいます。

 

あと、やっぱりクライアントは「友達」でもないんですよね。距離感がないとセラピーは成り立たないし、常にクライアントを中心に考えないといけないんです。その人にとって、何が必要かということを。

 

クライアントとの「距離」と言いましたが、もしかしたら「責任」なのかもしれません。音楽療法士には倫理(Ethic)というものがあります。たとえば、「take advantage」はしてはいけません。

 

クライアントは悩みがあったり、障がいや病気があったりして、だれかの支えを必要としています。そういった状態、英語だと「vulnerable」なのですが、日本語だとなんと言えばよいか、とてもむずかしいですね。とにかく、弱っていたり、困っていたりする人を前にして、セラピストは優位に立つようなことをしてはいけないし、そういった人から頼られて、自分の力を過信してはいけません。

 

これはセラピストの側が理解しておかなければいけません。距離というよりは、倫理的な面での、プロフェッショナルとしての責任の問題です。

 

 

「聞かせる歌」じゃダメ?

 

arai-sato

左から佐藤さん、荒井さん

 

 

荒井 最後に、これはみなさんに聞いている質問です。「佐藤由美子にしか弾けない音楽」ってなんですか?

 

佐藤 さすがですね。こんな質問考えるなんて(笑)。わたしにしか弾けない音楽なんて、もちろん無いとおもっていますが、最近このことを考える機会がありました。

 

ユニバーサル・ミュージックから『ラストソング』を軸にしたCDが出ました。その中の一曲「浜辺の歌」はわたしが歌ったんです。

 

そのレコーディングの数日前に、プロデューサーが、実際にわたしのセッションを見に来たんです。すると、レコーディングでも「音楽療法をやっている時の雰囲気で、患者さんに歌ってるみたいにやってほしい」と言われました。

 

でも、実際にレコーディングしてみると、何十回もやっても「違う」と言われるんです。どうしても、セッションの時の声にはならないんです。最終的には「何回もやっていると歌手みたいな歌い方になってしまう」と言われて、レコーディングの最初の方に録ったものをつかいました。

 

荒井 歌手みたいになってしまう?

 

佐藤 はい。何回も歌っていると、「聞かせる歌」になってくるんです。セッションでやっているのは聞かせる歌ではなくて、セラピーとしての歌だった。客観的にプロの人に言われると、やっぱり違いってあるんだって初めておもいました。

 

確かに、患者さんに対して歌ったりしている時はその曲のことはあまり考えていないわけです。その人のことを見ているから。

 

荒井 「音楽療法士は歌手じゃない」って、おもしろいですね。

 

佐藤 歌手のように歌わないってことですよね。「わたしを見て」という歌手の歌い方だと、やっぱり心に響かない。プロデューサーはわたしに「(ハワイの)フラの歌い方だよね」と言いました。つまり心に響く歌い方だから、そのままレコーディングでやってほしい。でも、なかなかそこに近づいていかない。それは音楽と音楽療法の違いでもありますよね。

 

わたしはずっとパフォーマンスを専攻してやってきましたけど、音楽を極めようとしてやっている演奏家って、基本的には自分と音楽との関係なんですよね。いかに芸術としてやっていくかという問題で、それを見る人がどうこうではない。でも、音楽療法では自分と音楽の関係ではなくて、音楽とクライアントの関係なんです。

 

先日、初めてプロのカメラマンの方とお会いして、「最近、写真から『自分』がいなくなっていることに気づいて、少し上達したかなとおもうんです」とおっしゃったんです。それってすごく似ているなっておもって。あくまでも、音楽や写真などの媒体を道具として使うには、自分がなくならないといけない。ある意味セラピーと繋がるところがあって、いろいろ考えさせられました。

 

「わたしだけにできる音楽」という質問とは違うかもしれませんが……。

 

荒井 以前、この対談に出てくれた今野健太さんという彫刻家も、一番の理想は石が初めからそうなっていたようになること、という主旨のことを言っていました。自分が彫ったのではなくて、石が初めからそうなるべくそうなっていたようになるのが理想なんだと。

 

佐藤 アーティストなのに珍しいですよね。

 

荒井 表現って突き詰めるとそうなるのかもしれないですよね。世界で自分にしかできない表現を突き詰めていくと、自分がなくなってしまうのが一番良い表現になる。

 

佐藤さんのお話を伺っていて、音楽療法士って「その人の人生にとって、もっとも必要な音楽がそこにある状態」を作り出す人なんじゃないかと思いました。とても大変で、でも素敵な仕事ですね。

 

佐藤 ちなみに、荒井さんは最期に聴きたい曲ってありますか?

 

荒井 んー、なんだろう……いま選ぶとすれば『はらぺこあおむし』かな。よく子どもと歌っています。

 

たぶん、あちこちの家庭でも保育園でも歌われていると思うんですけど、ぼくにはぼくなりの思い出があるんですよね……って、なんだろう、なんか泣いてしまいそうだ(笑)。

 

 

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