分析美学ってどういう学問なんですか――日本の若手美学者からの現状報告

3. 日本における分析美学の位置づけと、翻訳の遅れ

 

以上、分析哲学、分析美学について、特徴の点から説明をしてきた。とはいえこうした学問的特徴は、20世紀後半からずっと蓄積されてきたものであり、今となっては特に目新しい傾向ではない。その意味で、分析美学とは別段あたらしい学問ではないのだ。では、なぜ最近分析美学は盛り上がっているという印象を持たれているのだろうか。その背景には、おそらく日本の美学業界の特殊事情がある。

 

学問史的に見ると、日本は、哲学・美学ともに、長らく大陸哲学の影響を強く受けていた。今でも「哲学者の名前を挙げて下さい」と世間の人に尋ねると、まず挙がってくるのはソクラテス、プラトン、ニーチェ、サルトル、といった大陸系哲学者の名前だろう。英語圏の、それも現代の分析哲学者の名前を挙げてくる人は、よほどの哲学通だ。

 

とはいえ20世紀後半にもなると、哲学・倫理学業界では、英語圏哲学の研究者も増えてくる。翻訳もしだいに増え、今では分析系の哲学・倫理学は、書店にそのコーナーが確保されるくらい一般的な地位を獲得している。

 

だがその一方で美学はといえば、大型書店にはかろうじて「美学」棚があるところもあるとはいえ、「分析美学」の棚を設けている書店は皆無だ。美学と哲学・倫理学との間にこのような差をもたらした一つの要因は、翻訳の量が決定的に少なかったという点にある。美学領域では、60年代以降、分析美学の重要文献がほとんど翻訳されなかった。これは大陸系のフランス哲学などと比べると大きな違いだし、英語圏のものに限っても、哲学・倫理学の分野と比べると格段の差がある。

 

翻訳の減少は、専門家内での基礎的な知識の共有を難しくする。学会での討論も活発でなくなるほか、大学の授業で分析美学の知見が紹介される頻度も減り、その結果、英語圏美学に関心をもつ人も減っていき、新規の研究者も生まれなくなる(注20)。20世紀後半から21世紀にかけての日本における分析美学は、まさにこの学術的なダウンスパイラルを体現していた。翻訳の減少が学術動向にどれほど深刻な影響をもたらすかを見るには、まさに格好のケースだったといえる。

 

こうした状況をつくりだした背景的要因はいくつか考えられるが、そのひとつには、A.英語圏美学への蔑視もあったかもしれない。「英語圏の哲学なんて、言語哲学偏重の偏狭な哲学だ」「英語圏の奴らはろくに原典を読まず、英訳文献だけで議論を進めているではないか」などなど、英語圏美学(とその研究をやろうとする者)には昔から様々な批判がなされてきたし、こうした批判は今でもたまに聞く。「昔は英語圏の美学を研究しようとすると先生に止められたものだよ」という話も何度か聞いたことがある(念のため言っておくが、今はもはやそういう時代ではない)。

 

また、B.哲学を志す者はまずは大御所の哲学者と格闘せねばならん、という空気もあったかもしれない。「崇高という現象に興味がある?じゃまずカントやバークを読みなさい」「演劇に興味がある?じゃまずアリストテレスを読みなさい」。こうした指導方針はごく当たり前のものであった。こうした風潮から「カントもヘーゲルも理解していないのに英語圏美学をやるなんてとんでもない」という空気が生まれていく。

 

もちろん思想史研究の作業と美学的な考察とはすっぱり切り離せるものではないが、素朴な疑問をもった学徒にいきなり大哲学者の重厚難解な書物をつきつけるのは、やはり教育的ハードルは高いと言わざるをえない(注21)。こうして、美学史をやらぬ者に美学をやる資格なしという風潮の下、興味のある事象について考察するという「普通の美学」は難しくなっていく――。

 

さらにC.日本独自の学科編成も、影響しているかもしれない。日本では、多くの大学で美学・芸術学系の学科と哲学系の学科が切り離されている(科研費の細目も、「哲学・倫理学」は哲学分科、「美学・芸術諸学」は芸術学分科と別立てだ(注22))。もともとお隣分野であったはずの「美学」と「哲学・倫理学」は、しだいに人員同士の距離も離れ、今では両方の学会に顔を出している者はあまり多くはない(注23)。

 

この学科編成上の距離が、美学から分析哲学の議論を遠ざける一因になっていたのではないだろうか。先に述べたように、20世紀後半以降、哲学業界では英語圏哲学の研究は次第にオーソドックスなものとなっていったが、美学ではその流れは起こらなかった。

 

 * * * *

 

こうした様々な事情があいまって、日本における分析美学は学術的停滞期に入っていった。その一方、海外での分析美学が停滞していたかというと、事態はむしろ逆だろう。現在のアメリカ、イギリスの美学系学術雑誌は、査読は非常に厳しいし、全世界から一流の学者が投稿している。

 

議論の質も非常に高く、この分野から生まれた理論が近隣の様々な領域に影響を与えてもいる。他の学問分野と比べて盛り上がっているかどうかはともかく、少なくとも、没落した学術分野とは到底いえないだろう。だが日本では、この発展を続ける学術分野の知見を検討するどころか、紹介すらできない状況が続いていたのである。

 

幸いなことに、最近は状況が改善されつつある。翻訳も出だしたし、日本人による分析美学的な研究書も出版されだした。「分析美学は盛り上がっている」という印象はおそらくこのような状況を指してのものだろう。だが実情としては、盛り上がっているというよりは、遅れていた部分が改善されつつあるというほうが正しい。まだまだ未邦訳の重要文献は多いし、海外の学者と対等に議論できる人材も少ない。日本における分析美学は、未だ発展途上の段階だ。【次ページにつづく】

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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