無数の断片の中に潜り込みながら――ドクメンタのナラティブ・テクニック

今年で14回目を迎える現代美術の祭典「ドクメンタ」。5年に一度、ドイツの地方都市カッセルでは初夏から秋の開催期間にかけて街全体が「100日間の美術館」と化すのだが、今回は「アテネから学ぶ」という主題のもと、カッセルに先立ちアテネで展示がオープンするという異例の2都市開催となった。

 

かつては敗戦国ドイツの文化・芸術復興の象徴として出発し、今日まで世界最大規模の国際美術展として躍進してきたドクメンタが、この度その舞台の半身としてアテネを選んだことは、それだけでも非常に示唆的だ。未だに金融危機の爪痕を濃厚に残し、バルカンに面したEUの門戸として大規模の難民が流入するギリシアには、今日のEU社会が抱える問題とその希望の針路が集約されていると言えるだろう。

 

芸術監督アダム・シムジック(Adam Szymczyk)によってこの度アテネに託された「芸術による再生」という期待は、あるいは戦後ドイツにおいてドクメンタに課されてきた復興の願いに比せられるのかもしれない。それだけに、いまドイツの主導になる「アテネから学ぶ」という姿勢には、経済大国であり文化大国にも成り遂げたドイツの寛大さ、そして少なからぬ横柄さが垣間見えるのではないだろうか。

 

 

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(フリードリッヒ広場を眺めて左手に見えるのがMarta Minujínによる“The Parthenon of Books”。右手の建物がフリデリチアヌム美術館。美術館の塔から雲へぶつかるように煙が出ているのは、Daniel Knorr によるインスタレーション“Expiration Movement”である。 Photo:Ruri Kawanami)

 

 

フリードリッヒ広場にそびえ立つ仮設のパルテノン神殿は、今回の祭典の象徴的存在だと言ってよいだろう。ドクメンタ・ハレやフリデリチアヌムといったメイン会場に周りを囲まれたこの広場は、ひょっとすると輪郭のぼやけがちなこの巨大美術祭における唯一の中心地であり、じっさい、来観客の多くが真っ先に目にする作品もこの神殿なのではないか。

 

マルタ・ミヌヒン(Marta Minujín)の “The Parthenon of Books” は、鉄柱と発禁書を素材に、アクロポリスの神殿を等身大で再現する。制作にあたっては今まで発禁処分を受けたことのある書物およそ10万点あまりが世界各地から募られ、会期中も書物が集まり次第、徐々に支柱が完成されてゆくのだという。ナチス・ドイツ時代には焚書も行われたという広場の上に、初期民主主義の理想パルテノン神殿を逐一復元していく――この象徴的な行為には、アテネから学びうるものに関して極めて明確なメッセージが具現化される。

 

 

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(Marta Minujín “Panthenon of Books” 。鉄柱の神殿に近づくと、ムジール、トゥコルスキー、エンゲルスなどの書物がパッキングの裏から顔を覗かせる。 Photo: Ruri Kawanami )

 

 

ギリシアの再来――フリデリチアヌム(Friedericium)

 

さて、メイン会場の中でもフリデリチアヌム美術館は、その規模においてもコンセプトにおいても「アテネ」の存在を強く体感する場所だ。館内にはギリシア国立現代美術館(EMTS)のコレクションが特別展示されているが、これは展示の副題「ANTIDORON」の額面通り、アテネからカッセルヘ「お返し」の贈り物なのだという。ギリシアを中心に各国アーティストの作品が、戦後から近年までの現代美術の流れを概括的に追う形で展示されているが、特に近年のものではキプロス紛争など、ギリシアを取り巻く政治状況を密接に反映させた作品が目立った。

 

 

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(アテネ出身の彫刻家Costas Varotsosによるインスタレーション “Untitled” (2017)。「国家」の象徴である国旗が、ガラスの破片と化しながら海のように交わり合う。Photo:Takafumi Tsukamoto)

 

 

会場の一角に展示された、ATMのヴィヴィッドなカラー写真が痛々しく眼にとまる。アテネ出身の写真家Manolis Baboussis の連作“Busts” から、ドイツ、フランス、ギリシア のATM接写が3枚展示されているにすぎないのだが、これは皮肉にも、発表から20年経った今日のギリシアの運命を予言してしまうことになったようだ。銀行機能に打撃を受け、現金が枯渇したギリシアでは、個人の出金額に厳しい制限が設けられた。空っぽになってしまったATMを前に当惑する者の姿が生々しく報道されたのは、わたしたちの記録にも古くはないだろう。彼らが求めたのはもちろん、経済大国ドイツ・フランスの支援だった。

 

 

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(Manolis Baboussis “Busts”(1997/8年) Photo:Takafumi Tsukamoto)

 

 

鋭いメッセージを発する「贈り物」を目の前に、カッセルを訪れる私たちはアテネからいったい何を学べるのだろうか。古代ギリシアはいつも、理想化された姿でしか現れない。しかし私たちがアテネを、自らの理想を無限に投射できるような対象としてみなす限り、そこには、ある現実が埋没されてしまう。ギリシアは、ドイツ政府により幾度となく縮小財政を強要され、生活保障や保険など社会福祉のカットを余儀なくされてきた。そんな危機の国ギリシアに今、ふんだんな文化予算を抱えたドクメンタが降臨し「アテネから学ぼう」というのである。

 

それだけでない。渦中の国ギリシアに対する大国ドイツの寛大な救いのジェスチャーを、文化的に読み替えることもできるだろう。ヘーゲルによると西洋の文明はギリシア・ローマ世界でその萌芽を見た後、ゲルマン世界を通じて大陸ヨーロッパへ伝えられ、そこで精華を結ぶ。世界史を人間の精神が自由を獲得する「西進」の運動として捉えたヘーゲルの歴史哲学においては周知の通り、精神がその頂点を迎えたヨーロッパで、精神文化の産物である芸術もまたひとつの終焉を迎えるのである。EUという共同体の母胎を失いつつあるヨーロッパ社会が、今まさに西洋文明の発祥地であるギリシアを振り返るとは、やや懐古主義的な説教のように聞こえなくもない。

 

とはいってもこのような批判は、際立ってフレデリチアヌムに体現されるドクメンタのグランド・ナラティブを、その隙間に顔を覗かせる<個別>の物語との相関関係において検討しない限り、片手落ちと言わざるを得ないだろう。それでは、アテネの他にはどんな物語が語られるのだろうか。

 

 

展示というナラティブ

 

先を急ぐ前に、筆者自身の立ち位置を明らかにするためにも「展示」というメディアについて少し考えてみたい。展示されているものが、芸術作品であるか歴史的な資料であるかはひとまずは問わないでおこう。

 

展示空間は、個別のオブジェの選別、配置、あるいは不在を通して、一定のまとまりをもつナラティブを展開する。これは展示という空間が媒体的である以上、つまり展示がオブジェのみからは成立し得ず、そこにはつねにすでに空間を作る者(キュレーター等)と観る者が介在する限り、否応無しにつきまとう問題だ。だから、ある実現された展示を、それを通じてナラティブが構成されるメディア空間として捉えるとき、あるいは特定の知が集積・伝達される知の装置として捉えるとき、その「語り」の有効性と権力構造を確認すること、これは博物館学的に重要な関心である。

 

もちろん、だからといって展示されたオブジェの固有性がないがしろにされていいわけではない。作品はひとつひとつが交換不可能で、代替不可能であるような究極的な単独を形成する。それが伝える物語は固有のものだし、そうした究極的な<個別>との対峙から生まれる芸術経験は、どこまでいっても<全体>のナレーションには還元されきれない唯一無二のもののはずだ。

 

けれど特にドクメンタのようなテーマ展であったり、展示が単なる見本市ではなく一定の態度表明である場合、それが芸術を通じて問おうとする問題設定の有効性、あるいは語ろうとする「物語」の恣意性を、展示されたオブジェとの相関関係において吟味する、このことは、芸術の政治性を考察するにあたって有効な批判的視座を与えてくれるのではないだろうか。それはつまり、限りなく個別であり単独である作品を、ドクメンタという祭典がまさに「ドキュメント=記録」しようとするナラティブと照らし合わせることによって、ドクメンタの「物語」のテクニックを批評することだ。

 

したがってこの論考でも、個々の作品をその美学的な側面以上に、それを位置付ける広い座標系との関連において吟味することに大きな関心が寄せられていることを、断っておきたい。

 

 

ノイエ・ギャラリーと見晴らしの丘

 

メイン会場の中でも、ノイエ・ギャラリー(Neue Galerie)とそれに隣接するパレ・ベルヴュー(Palais Bellevue)では特に、西洋の植民地主義、国民国家主義の時代が残した負の遺産に対峙する作品が多く見られる。

 

中でもノイエ・ギャラリーの正面展示室に設置された、図書館の一角を彷彿とさせる書架のインスタレーションは、その日常的な場景ゆえになおさら注目を集める。マリア・アイヒホルン(Maria Eichhorn)は、ベルリン中央州立図書館(ZLB)の蔵書から、対戦中にユダヤ人から強制没収・売却された書物の一部を取り出し書架として展示する。

 

いくつかの図書は、ユダヤ人であることを表す「J」の登録番号を背中にのせているが、戦時中に略奪された書物の中でもこうして出自が判明しているものは、ほんの一部でしかない。というのも、略奪書の出自をめぐってはようやく2010年になって調査チームが作られ、将来的には本来の持ち主(とその所有を受け継ぐもの)への返却手続きがとられることになったのだという。現在明らかになっているだけでも、1943年にはおよそ4万点の書籍がユダヤ人住居から没収され、戦後もさらに2万点あまりが寄付と称して図書館に流れ込んだという。アイヒホルンはこの他にも、ドクメンタ会期中に始動するプロジェクト「Rose Valland Institute」を立ち上げ、ユダヤ人から奪われた物品に関する情報を募っている。

 

 

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(Maria Eichhorn “Unlawfully Acquired Books from Jewish Ownership” (2017) Photo Takafumi Tsukamoto)

 

 

文化と略奪をめぐっては他にも、コンゴ出身でベルギー在住のサミー・バロジ(Sammy Baloji)の展示が興味深い。ラフィア葦から織られたマットや、高級布地の模様をネガにした木版画など、コンゴの民芸織物がガラスケースに飾られているが、他の展示と同様、ここにもオブジェの使われた文脈を「解説」する注釈などは一切なく、ただただ美学的な鑑賞物として陳列される。

 

先に、展示されるものが芸術作品か歴史資料であるかは、とりあえずはさて置くと話した。そもそも「芸術作品」と文化人類学的な「資料」という範疇を決める基準そのものの恣意性を自己批判的に反省することは、ドクメンタのみならず近年の美術展が己に課してきた重要な課題である。19世紀のヨーロッパにおいて「美術」と「民俗学」がそれぞれ独立した分野として確立しようとするとき、ミュージアムもまた「美術館」と「博物館」へと分離していったのだが、展示という装置はそこでも「物語」によって――つまり「他者=民俗芸能」から「自己=芸術」を隔てる言説を作り出すことによって――芸術の定義を試みてきたのだった。

 

とはいっても、展示室に申し訳なさそうに非西洋諸国の民芸品を当てがい、それが本来属していた文脈と切り離した上で美術作品として「復権」させたり「昇格」させようという試みは、単に父権主義的なお節介であるだけでなく、博物館が依然として有する知の権力構造を別の形で露呈させることにもなるだろう。

 

この意味でバロジの展示は両義的だ。一方では民芸品であり、他方では作品であることによって、芸術の無根拠性を無言でドキュメントする。芸術が歴史的につくられてきた概念であるならば、国際美術展がそもそも「芸術」の祭典である限り、非西洋文化圏のアーティストにはどんな表現が残されているというのか。彼女の作品は、美術史上における復権や承認を要求することはない。大きな波紋をたてることなく、しかし、ただそこに鎮座することによって、歴史的構造物としての「芸術」の根拠の暗さについて対話を求めるのである。

 

 

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(Fragments of Interlaced Dialogues” Photo: d14 Sammy Baloji Installation View Neue Galerie©Mathias Voelzke)

 

 

カッセル市内でも随一の見晴らしのよい丘の上に、その名「bellevue」に恥じることなく君臨するノイエ・ギャラリー。奇しくもその内部において、まさしく19世紀の西洋近代が確立しようと試みた「近代芸術」が、自らの生み出した矛盾の重みに耐えきれずに内側から自壊されていく、とそのような幻想を心に抱くのは深読みすぎるだろうか。【次ページに続く】

 

 

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