ヒップホップ・モンゴリア、あるいは世界の周縁で貧富の格差を叫ぶということ

貧富の格差や政治腐敗といった社会問題にするどく切り込むドキュメンタリー『モンゴリアン・ブリング』が、今月17日渋谷にあるミニシアター、アップリンクファクトリーで初めて上映される。日本初公開にあわせ、今をざわめくモンゴル・ヒップホップとその厳しくも驚くべき社会・文化的背景を解説しておこう。

 

 

ヒップホップ・モンゴリア

 

「ヒップホップの発祥地は、モンゴルなんだよ」

 

映画の冒頭、民族衣装(デゲル)で身を固めた中年の男が大真面目に語る。どこかの国のとんでも起源説みたいだと切って捨てるのはたやすい。しかし、そう思わせるような文化的背景がモンゴルにあるのは事実だ。実はこの男は、れっきとした伝統的な口承文芸の担い手、ユルールチ(祝詞の語り部)である。

 

彼の「ヒップホップ・モンゴル起源説」については、あとで検討するとして、まずはヒップホップがモンゴルという国の「固有の文化」と呼べるくらい進化をとげている、という事実は認める必要があろう。そのライムのテクニックにおいても、歌われる内容においても、びっくりするくらいクールで個性的だ。レゲエがジャマイカという国の代名詞であるように、ヒップホップがモンゴルの代名詞だと言われる日も近いのではないか、と思えるくらいだ。もはや遊牧民やモンゴル相撲、馬頭琴だけが、「モンゴル文化」ではない。――そう、この国は、ヒップホップ・モンゴリアなのである。

 

 

http://5th-element.jp/event/mongolianbling_tokyo_screening/2018-06-17

 

 

そんなモンゴル・ヒップホップの今を世界に向けて初めて発信したのが、オーストラリア人のベンジ・ビンクス監督によるドキュメンタリー映画「モンゴルアン・ブリング」(2012年)である。このタイトルは「モンゴル語の/モンゴルスタイルの韻踏み」を意味する。韻を踏みながら、モンゴルのラッパーたちは、貧富の格差や環境問題、政治腐敗といったローカルかつグローバルなイシューにするどく切り込む。愛だの青春だの友情だのといったことしか歌わない、どこかの国のヒップホップ風フォーク歌手たちとはわけが違う。

 

 

Mongolian Bling trailer

 

 

モンゴルのゲットー「ゲル地区」出身で、舌鋒するどく政治批判をするMヒップホップの帝王、Geeとそのライバル、エリート出身のQuiza。Sasha Go Hardを彷彿とさせるような透る声で畳みかけるような高速ライムを刻むスラム出身の女性ラッパー、Geniie。そして彼女を世に送り出した、モンゴル・ヒップホップのオリジネーターの一人で、今は亡きエンフタイワン。本作「モンゴリアン・ブリング」は、ヒップホップのアーティストたちの姿を通してみた現代モンゴル像である。従来の牧歌的なモンゴル・イメージがきっと覆されるに違いない。

 

ところで筆者の専門は文化人類学で、とりわけシャーマニズムを中心としたモンゴル文化の研究をしてきた。そうした中でシャーマニズムや口承文芸といった伝統文化に通ずる性格を持つモンゴルのヒップホップに注目してきた。この原稿では、この映画の舞台となったウランバートル(UB)とヒップホップの故郷たるゲル地区やヒップホップの歴史、シャーマニズムや口承文芸との「文化的連続性」などを紹介することで、この映画を理解するための補助線を引くことにしよう。

 

 

グローバル都市UBの光と影

 

映画の舞台は、モンゴルの首都ウランバートル。人口146万人。人口310万人のこの国の約半分が首都に集中している。モンゴルといえば、大草原と遊牧民イメージで語られることが多いが、2018年現在、実は遊牧民はもはや総人口の10%にも満たない。

 

 

ウランバートルの高僧ビル群 2016年 撮影 島村一平

 

 

急激な人口流入とグローバル化が進むこの都市では、高層ビルの建設が進み、街の中心部には高級ホテルや高級レストランが立ち並ぶ。ブランドに身を固めたおしゃれな女子たちがGUCCIやLouis Vuittonの専門店で新作を物色する。グルメだってフランス料理やイタリアン、インド料理や中華はもちろん和牛ステーキや寿司だって食べれる。

 

2000年代以降、豊富な鉱山資源の開発が進み、この国の経済は急速に成長した。その結果、煌びやかな都市文化が花開いていった。その陰で貧富の格差は拡大し、明日のパンにも困りゴミを漁って暮らす人々すら出てきたのである。

 

UBは、政府庁舎のあるスフバータル区を中心に東西に細長く広がる街である。周囲を四つの“聖なる山”に囲まれた盆地に位置する。政府庁舎のある街の中心部周辺は、高層ビルが立ち並ぶ。社会主義時代に作られたソ連式の集合住宅(日本の昭和の公団住宅と似たテイストの建物)の合間にタワーマンションも林立しはじめた。

 

タワーマンションや集合住宅にはセントラルヒーティング(注1)が完備されており、-30度を超える真冬でも室内は常に+20度ほどに保たれている。しかしこうした快適な暮らしを享受するのは、この都市の市民の半分弱に過ぎない。残りは、「ゲル地区」と呼ばれる暖房や上下水道の整備されていないスラムで暮らしている。

 

(注1)火力発電所で発生した熱で温水を作り、都市の集合住宅に温水菅で分配することで部屋を暖める暖房のシステム。

 

そんなUBを悩ますもう一つの大きな問題は、世界最悪レベルの大気汚染である。そもそもウランバートルとは「赤い英雄」という意味をもつ。社会主義時代、コミュニズムのシンボルカラーから名づけられた。しかし今や「オターンバートル(煙の英雄)」だと皮肉られるようになった。冬季の大気汚染は、なんとWHOが定めた国際安全基準値の133倍(PM2.5が3320㎍/㎥)(注2)。

 

(注2)UNICEF MONGOLIA’S AIR POLLUTION CRISIS: A call to action to protect children’s health February 2018

https://www.unicef.org/mongolia/Mongolia_air_pollution_crisis_ENG.pdf

 

とある海外のニュースサイトでは「もはやディストピア・レベル」だなんて表現していたけど、残念ながらその通りだと思う。その一方で政治家や会社経営者といったモンゴルの金持ちは、大気汚染の影響が少ないUB南部のボグド山麓に豪邸を建ててくらしている。

 

そんな高まる貧富の格差と社会不安の中、2000年代中頃よりカルト的なシャーマニズムがUBを跳梁しはじめた。少し状況は落ち着いたものの2010年代前半には、UBの人口の1%がシャーマンになるほど、現代モンゴル人はシャーマニズムに傾倒した。それについて筆者はシノドス誌で「シャーマニズムという名の感染病――グローバル化が進むモンゴルで起きている異変から 」「地下資源に群がる精霊たち――モンゴルにおける鉱山開発とシャーマニズム」という論考を発表しているので参考にしてもらいたい。

 

本作の登場人物Geeは熱心なシャーマニズトであるし、モンゴル・ヒップホップのオリジネーターでもあるグループIce Topのメンバーの中にはシャーマンになった者もいる。

 

 

モンゴルのゲットー、ゲル地区

 

そんなUBでヒップホップの震源地となっているのが、「ゲル地区(Ger Khoroolol)」と呼ばれるスラム街である。ゲル地区は、UBの中心部から東西および北に向かってスプロール化している。(煙の来ない南部は金持ち地区なのでゲル地区がない。)ゲルとは遊牧民の移動式のテントのことだが、自然災害で家畜を失って食い詰めた遊牧民たちや仕事のない地方都市や村の出身者が都市へ次々と流入しているのである。

 

 

ゲル地区 2014年 撮影 島村一平

 

 

治安が悪く、近所づきあいのないゲル地区(注3)は「ハシャー」とよばれる2m以上の高い柵で区切られており、路地は細く、昼間からアル中のおじさんがたむろする。未舗装の道路には汚水が流れ出していることも少なくない。上下水道が整備されていないからだ。

 

(注3)ゲル地区の住まいの在り方に関しては、以下の専論を参照のこと。

滝口良、坂本剛、井潤裕「モンゴル・ウランバートルのゲル地区における住まいの変容と継承」『住総研研究論文集』43(0):173-184、2017年。https://doi.org/10.20803/jusokenronbun.43.0_173

 

電気はかろうじて来ているが、セントラルヒーティングも来ていない。したがって暖をとるためにゲルの中でストーブの燃料として石炭を使うので、その排煙がUBの大気汚染の大きな一因となっている。中には石炭が手に入らないので、廃タイヤを燃やす家庭もあったりする。ダイオキシンが発生する。しかし廃タイヤは熱効率がいいし、ただ同然で手に入るのでなかなかやめられない。最近、ゲル地区のインフラ整備も行われはじめたが、その膨張に追いついていない状況だ。

 

市の中心に住むUB市民たちは、地方から流入してきたゲル地区の住民を見下す。彼らは、大気汚染や車の渋滞、都市の犯罪の増加やモラルの低下といったUBの社会問題の原因をすべてゲル地区の地方出身者のせいにする傾向が強い。そんな地方出身者は「オルク(ork)」と呼ばれる。これは、モンゴル語で地方出身者を意味するオロン・ノタギーンハンの短縮形からきた語だそうだが、同時に/むしろハリウッド映画「ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)」に登場する「オーク(ork)」(ゴブリン、醜く残虐な人間とは異なる種族)からつけられたといったほうが正しい。

 

確かに草原の遊牧民の暮らしは13世紀にマルコポーロが「東方見聞録」で報告した頃からさして変わっていない。その一方でグローバルな現代都市としてのUBがある。しかし、それを人間以外の種族として呼ぶのは、あまりに浅ましい。さらに「地方出身者」の名誉のためにいっておくと、ここ20年、UBは地方の遊牧民から税金を取り立てるばかりで、地方のインフラなどほとんど構ってこなかった。

 

筆者も2000年代の初頭、延べ1年近く地方の草原で暮らした経験があるが、政治家たちは選挙のときにだけ自分の名前入りのカレンダーや茶わんを配るくらいだった。またUBからやってきた商売人は、牧民たちに生活必需品を高く売りつけ、ヒツジや牛を安く買いたたいていた。当時、牧民たちは現金をもっていなかったので、ヒツジ一頭と粗悪な中国製の靴一足(実際の相場ではヒツジ一頭の十分の一)が交換されるなんてことが当たり前のように横行していた。だからUB市民はむしろ地方を搾取しつづけてきたことを忘れてはいけない。

 

いずれにせよ、そんな「ゲル地区」こそが、モンゴリアン・ヒップホップの揺籃の地の一つだと言っても過言ではない。本作の主要な登場人物であるモンゴル・ヒップホップ界の帝王Geeは、ゲル地区について以下のようにライムする。

 

Geeのすみか、ゲル地区について話そう

本物のラッパーたちだらけの俺のすみか、

洋服じゃなくて知恵でおしゃれをする俺たちのことをおまえらは理解できるか?

泥棒たちだって誰が隣人かは知っている。泥棒にだって人情があるのさ

戦争映画じゃねえが、俺たちの現実の暮らしの中で、経験したこともいっぱいある。

俺たち日焼けした者たちの地区に招かれずに行って、あわてんなよ。

木の板の塀で囲われた細い通り道で拳を握って見張っているぞ。

 (Gee “G-khoroolol ”より)

 

●Gee “G-khoroolol”

https://www.youtube.com/watch?v=Uun9wPcH4a0

 

ゲル地区には、UBの中心部からは想像がつかない、荒涼とした、そして都市富裕層に対するルサンチマンが充満した世界が広がっている。ここは、モンゴルのゲットーなのである。

 

 

モンゴル・ヒップホップの歴史

 

さて、そのヒップホップがいつモンゴルで始まったのか。そもそもモンゴルのポピュラー音楽の歴史は浅い。1924年からおよそ70年の間、モンゴルはソ連の衛星国として社会主義体制下にあったので、言論や表現の自由が厳しく制限されていた。しかし1989年11月、ベルリンの壁が崩壊すると、モンゴルにおいても民主化を要求するデモやストライキがあちこちで組織されるようになった。映画でも触れられているとおり、ポピュラー音楽は、モンゴルの民主化運動で重要な役割を果たしている。

 

ロック・バンドのホンホ(鐘)は、「鐘の音よ、我々を目覚めさしてくれ」と歌ってソ連の軛から解放を呼びかけ、東ドイツに留学していた学生たちが結成したバンド「チンギス・ハーン」は、社会主義時代、その名を語ることできなかった民族の英雄の名を称賛した。ロックが民主化と新しい時代の始まりを告げたのである。このとき、ほとんどのモンゴル市民はヒップホップの存在を知らなかった。

 

ともあれ1990年7月、自由選挙が行われ、1992年2月にモンゴル人民共和国は社会主義を放棄した。国名も「モンゴル国」と改め、市場経済・自由選挙を導入した民主主義国家として再出発することなった。この頃、モンゴルにロック、ポップス、ヒップホップ、といった「西側の音楽」が洪水のごとく流入してくるようになった。それに呼応する形で、様々なジャンルのバンドが結成されるようになったのである。

 

こうした「西側のポップスの流入は、1995年~96年、FMラジオ局の開局とケーブルテレビの放送が開始によって加速した。特に安価なケーブルテレビの普及は、モンゴルの人々に海外の数百チャンネルを視聴可能にしたことは重要だ。その結果、MTVに代表される音楽チャンネルが毎日、降るかのごとく放送されるようになり、FMでも欧米のポップスが常に流れるようになった。

 

 

ウランバートルのグラフィティ。2016年 撮影 島村一平

 

 

社会主義時代は東ベルリンやワルシャワなどを経由して密かに留学生たちによって、欧米のポップスのカセットテープがモンゴルに持ち込まれていたが、その普及は知れたものであった。

 

ところが、今やMTVを見ないウランバートルの若者はいない、といっても過言ではない。ちなみにそのケーブルテレビの視聴を可能にさせて衛星放送受信の巨大パラボラアンテナは日本の援助で作られたものだ。その結果、皮肉なことに我々日本人より、モンゴル人の方が世界中のテレビ番組に詳しくなってしまった。これに対して日本では何せテレビ局が許認可事業なので、ほぼ情報鎖国状態だ。

 

こうした中、ユーロビート風の打ち込みにラップを乗っけて歌うグループが結成された。ハル・サルナイ(Black Rose)である。彼らはまるでナチのSSのような制服に身をつつみ、国民的詩人D.ナッツァグドルジの詩をラップにして「これぞわが生まれし故郷、モンゴルの麗しき国」と歌うなどして、ナショナリズムを煽った。「世界で二番目の社会主義国」から急激な市場経済化による経済危機で「発展途上国」への転落。ハルサルナイは、そんなモンゴルに生きる90年代の若者たちのプライドを取り戻してくれたのだった。

 

●Khar Sarnai “ Bid buteene sonoono” (1997) (破壊と創造)

https://www.youtube.com/watch?v=EyF4DmXL5cg

 

●Khar Sarnai“Minii Nutag”(1994)

https://www.youtube.com/watch?v=sa-HIgKFVlQ

 

90年代前半、モンゴル人にとって西側のポップスと言えば、DJ BoBo、Real Mccoy、Ace of Baseといったユーロビート系の音楽が中心だったからだ。こうした音楽は、最初は東ヨーロッパに留学していた学生たちからもたらされた。90年代初頭、アメリカやイギリスに留学していたモンゴル人はほとんどいなかった。そして音楽に目覚めたのも旧人民革命党エリート幹部子女の留学組が中心だった。

 

そんなわけで90年代のロックはナショナリズムを歌っても、貧しい者の怒りが歌われることはなかった。もちろんそこまで貧富の格差がなかったこともあるし、国全体で西側の文化を学ぼうという空気感が強かったのである。だからロックやヒップホップといったサブカルチャーがクラッシックと同レベルで国立芸大で教えられたりするなど、ハイカルチャーとして受容されているかのような不思議な現象も起こった。このことは拙稿「ハイカルチャー化するサブカルチャー」(注4)に詳しい。

 

(注4)島村一平「ハイカルチャー化するサブカルチャー?―ポスト社会主義モンゴルにおけるポピュラー音楽とストリート文化」、『国立民族学博物館調査報告81号 ストリートの人類学 下巻』、431―461、2008年。http://doi.org/10.15021/00001217

 

アメリカのいわゆるブラック・ミュージックとしてのヒップホップの影響を受けたグループが登場しはじめるのは、90年代末である。97、98年頃からMTVを見て影響を受けた若者たちがグループを組んでブレイクダンスを始めた。後にゼロ年代のモンゴルのポピュラー音楽界を一世風靡したヒップホップ・グループのIce TopやDain ba Enkh(戦争と平和)も最初はダンスグループだった。

 

やがて彼らは自ら詞を書いてモンゴル語でラップを始めるようになる。例えばIce Topメンバーのマンライによると、ケーブルTVで流れていたフランスのヒップホップに触発されてラップを書き始めたのだという。本作でもモンゴルのラッパーとフランスとの関わりが描かれているが、モンゴル・ヒップホップを考える上でフランスのアーティストとのインタラクティビティは重要だ。

 

こうして2000年頃から上記2グループに加えて、Khar Tas(黒いハゲワシ)、Lumino、2 khuu(ホユル・フー、二人の子)、DIGITAL、Tatarといったグループが登場し、ゼロ年代モンゴルの音楽シーンを席捲した。Tatarは、坂本龍一が作曲した映画ラストエンペラーのサントラをRemixして作った名曲「Khairiig Khundel(人の恋をリスペクトしろよ)」で人気を博した。

 

●2 khuu “ Namaig Khusvel Chi”(俺のことが欲しいのならさ、お前)

https://www.youtube.com/watch?v=YY594OfTCz4

 

●Tatar “Khairig Khundel”(2004)(人の恋をリスペクトしろよ!)

https://www.youtube.com/watch?v=iBbgSLoW5K8

 

ちなみにLuminoは、本作の登場するラッパーQUIZAが最初に所属していたグループでもある。IceTopは、メンバー全員が社会主義末期の新興住宅地である1地区の出身である。彼らはゲル地区出身ではないが、腐敗した国会議員を強烈に批判するような曲「76」(2004年)やUBのアノミー的状況を風刺した「Minii muu niislel khot(哀しきわが首都)」(2002年)を発表するなど、鋭い批判性を持ったラップで市民から絶大な支持を受けた。76とは、モンゴルの国会議員の定数である。

 

●Ice Top  “Minii muu niislel khot” (哀しきわが首都)

https://www.youtube.com/watch?v=l5WlBx7qhr4

 

●Ice Top “76”

https://www.youtube.com/watch?v=BBqwINSBz6g

 

柔らかい椅子からケツを上げることなく、毎日話し合い、

正しいか、間違っているか、たーくさんの法律を決めて

ほんのちょっとだけ、国民の前にテレビで姿を見せて

実行はしないくせに、口約束ばかりの76人にこの歌を捧げる

(中略)

飲んで食って、腹いっぱいになって、喉につかえているじゃないか?

国をゴミにするためにおまえたちは、今、しなくちゃいけないことをやめたんじゃないのか?人のためにこの社会の汚染を滅ぼそうぜ。

国の繁栄のために貢献することを決意しろ!決意しろ!決意しろ!

(中略)

国民は見ているぞ。おまえらが、議論して、議論して、私利私欲のために利権を分け合って解散していくことを。きっと安心して家に帰っていっているだろうな。76人が、こんなふうなら、モンゴル国は滅びるぞ。

(IceTop “76”より)

 

ゼロ年代前半のモンゴル・ヒップホップをけん引していたのが、このIce Top とLuminoであった。Luminoは、代表曲「突然やってきて去ってしまった恋」に見られるように社会批判というよりラブソングを得意とした。

 

●Lumino “Ireed butssan khair”

https://www.youtube.com/watch?v=7sLMwDxEGPc

 

こうして2000年代後半になると、鉱山開発バブルの時代が始まり、モンゴルはGDPが急速に成長する一方で、貧富の差が拡大していく。食い詰めた地方出身者が首都に移住してゲル地区が膨張していく中、本作の主人公であるモンゴル・ヒップホップの帝王GeeやQuizaたちが登場する時代へと移っていくわけである。

 

 

ヒップホップ・グループIceTopの20周年記念ライブ 2017年 ウランバートル 撮影 島村一平

 

GeeやQuiza、Gennieやエンフタイワンたちは、社会問題に対して非常にコンシャスだ。映画に登場するラッパーを目指す少年たちも、驚くほど、クリアに社会の矛盾を見つめている。彼らの声に耳を澄ますことで、グローバル経済や政治腐敗に翻弄されながらも逞しく生きていくゲル地区の人々姿が生き生きと伝わってくる。そうしたヒップホップが語る生の声は、時として数値データなどより社会実態を掴む上で役に立つのではないだろうか。

 

本作品の上映を企画した5th-elementの行動原理には「ヒップホップには全ての人が生き生きとした社会生活を送るのに役立つ知識や技術を身につけられるような考え方を提供する力がある(注5)」というものがあるが、まったく同感だ。また5th-elementの田中恵子氏によると、ヒップホップを通じた学びやヒップホップを通してみることで新たに見えてくる考察などをアカデミックに援用しようというイニシアチブが、2010年代からアメリカでさかんになっているのだという。こうしたヒップホップと教育のコラボという新しいアプローチがどのような地平を切り開いていくのか、楽しみでもある。

 

(注5)5th-element.jp/issue/spring2018/article/principle-code-for-conducting-hip-hop-fifth-element

 

文化人類学の聞き取り調査の手法には、「非構造化されたインタビュー」というものがある。その社会や現場を知るのに、予め用意したアンケート的な質問を相手に投げかける「構造化されたインタビュー」と異なり、ふとした日常会話や、相手が何気なく語っていることからその社会の文脈を理解するという手法だ。

 

実は筆者は、ヒップホップを聞くことは、最も良質な非構造化されたインタビューだと考えている。彼らの歌詞や歌われている現場にもっと注目することで、よりリアルな社会認識が可能になることだろう。貧富の格差の実態を知るのにジニ係数は重要だが、その数値を知る以上にヒップホップの歌詞は雄弁に現実を伝えてくれる。

 

 

ヒップホップと口承文芸とシャーマニズム、あるいは韻踏み合いの系譜

 

最後に、日本のラップと比較しながらモンゴルのラップの技法的な特徴を見ていこう。そしてシャーマニズムや口承文芸といった「伝統文化」との文化的連続性について紹介しておきたい。

 

90年代に始まる日本のヒップホップを論じたアメリカの人類学者、イアン・コンドリーは、単なるアメリカナイゼーションの一例でもなければ、単一のナショナリズムにも回収されることもない、ローカルとグローバルな複雑な結びつきを論じた(注6)。

 

(注6)イアン・コンドリー(上野俊哉監訳・田中東子・山本敦久訳)『日本のヒップホップ―文化グローバリゼーションの〈現場〉』、NTT出版、2009年。

 

モンゴルのヒップホップもナショナリズムや排外主義的な歌詞を歌ったりする一方で、腐敗した政治家やカネのための環境破壊を糾弾する。そういう意味では、モンゴルのヒップホップも日本の90年代初頭のライムスターやキングギドラの先鋭性を彷彿とさせる。

 

ただしラップの技術論に関して言うならば、日本語ラップは戦略としてアメリカナイゼーション、つまり英語的な方法論を援用せざるを得ない。ちょっと英語風に発音しないと様にならないのだ。なぜなら日本語は音節言語ではなく、母音と子音がセットで拍(モーラ)を構成するので、複雑なフロウがつくりづらいからだ。

 

わかりやすい話をすれば「ど・れ・に・し・よ・う・か・な。て・ん・の・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り」からわかるように日本語では母音と子音がセットで発音されるので、英語なら当たり前の子音を重ねて発音することはありえない。そこで日本語ラッパーたちは、ラップ用に人工的に英語化した日本語をつくるか、日本語のままで単調なフロウのライムを刻むかの二択を迫られる。

 

これに対してモンゴル語の場合、音節言語だし、二重子音や三重子音も普通にある。そして何よりも彼らは韻踏み合いの伝統を今に残している。そもそも遊牧民であった彼らは、書いて残す文学よりも口で語る口承文芸を発達させてきたからだ。

 

例えば、現在でもモンゴルでは、正月や子供の断髪式、結婚式といった通過儀礼ではユルールと呼ばれる祝詞が滔々と謳われる(注7)。映画の冒頭で登場したユルールチ(祝詞の専門家)が歌った競馬馬の祝詞も見事な頭韻が踏まれていた。あるいはその反対にハラールと呼ばれる呪い言葉もある。このユルール・ハラールは、頭韻を中心に脚韻やパラレルといった技法が使われる。また馬頭琴などの伴奏で歌われる叙事詩や昔話もやはり韻文で構成される。またシャーマンが神を讃えたり、精霊を召喚したりするために歌い唱える祈祷詞や召喚歌も韻が踏まれる(注8)。

 

(注7)上村明「生活に密着した口承文芸と韻文」『アジア理解講座1997年度第1期 「モンゴル文学を味わう」報告書』国際交流基金アジアセンター、1998年。

 

(注8)シャーマニズムは本質的には、フリースタイルのヒップホップと同じ身体技法を使っているのかもしれない。詳しくは以下を参照のこと。

島村一平 2015「シャーマンは、果たして「死者の声」を聞いているのだろうか―現代モンゴルのシャーマンたちの「憑霊」の語りから」『BIOSTORY』24:61-65、生き物文化誌学会。

 

こうした祝詞や祈祷詞は、ある程度のパターンはあるものの即興で韻を踏みながら歌われる。いわば、フリースタイルのラップである。90年代、モンゴルのラッパーたちは、社会主義時代を代表する国民的詩人のD.ナッツァグドルジやソ連に媚びる体制を批判した“反逆の詩人”チョイノム(注9)の詩をラップにして歌ったのも象徴的だ。実はこうした現代詞も頭韻がしっかりと踏まれており、即ラップ化が可能だったのである。すなわち、モンゴルでは、前近代の祝詞や叙事詩などの口承文芸と現代詩とヒップホップは修辞上の連続性を持つのである。

 

(注9)チョイノムに関しては、以下の専論がある。彼は今もモンゴルの若者たちから「本物のロッカー」だとしてリスペクトされている。

岡田和行「反逆の詩人レンチニー・チョイノム」『東京外国語大学論集』42、201-223、1991年。

 

ラップの起源は西アフリカの叙事詩の語り手「グリオ」に遡るという説があるが、西アフリカとモンゴルを含む中央ユーラシア草原の遊牧世界は、口承文芸が非常に発達した地域と言う点で共通している。こう考えてくると「ラップの起源はモンゴル」は行きすぎだとしても、そう考えてしまうモンゴル人がいるのも理解はできるだろう。韻を踏みなれているモンゴル人にとって、ヒップホップは、そもそも親しみやすい音楽なのだ。

 

最後に注目しておきたいのは、モンゴルのアーティストたちはヒップホップの曲に馬頭琴などの伝統楽器の演奏やホーミーなどの歌唱法を取り入れた曲を頻繁につくるということだ。ホーミーの濁声はラップに相性がいい。その一方で、アメリカだけでなくロシアや韓国、日本といった様々な海外の曲をサンプリングして流用するなど、単なる「伝統音楽」に回収されないのも彼らの音楽の魅力だ。

 

そもそもモンゴル人は物事を区別したり差異化したりするよりも、混ぜたり融合させたりする方向に知性を働かせる傾向が強いように思われる。まさにRe-mix cultureだといえよう。―ヒップホップ・モンゴリア。そしてヒップホップを通じて世界の周縁のリアルを知るということ。本作は、それを告げる第一の号砲なのかもしれない。

 

※本稿は、映画「モンゴリアン・ブリング」日本上映用パンフレットにも掲載予定

 

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