2018.09.03

居合は「スポーツ」なのか?――全剣連居合道部の金銭授受問題をめぐって

田邊元 スポーツ人類学/民俗学/武術研究

文化 #居合#金銭授受

はじめに

8月17日付の産経新聞において、全日本剣道連盟(以下「全剣連」と略す)の居合道部で、昇段や称号の審査において金銭授受が行われていたことが報道された(1)。簡単に今回の件を説明する。全剣連居合道部は最高段位を八段としているが、さらにその中には階級化された称号(「範士」、「教士」、「錬士」)が設定されている。この称号を得るには厳正な審査を通過する必要があるが、今回の報道で、その審査の過程で受験者から審査員に私的な金銭の授受が「慣習」的に行われていたことが明るみに出たのである。渡された金額も総額650万円になるということで、かなりの金額だ。

(1)産経ニュース内「居合道昇段で金銭授受 八段審査で数百万円、接待も 内閣府が調査」2018年8月17日付 https://www.sankei.com/affairs/news/180817/afr1808170006-n1.html (最終閲覧日2018年8月26日)

ところで、私は日本の武術を対象として研究を行うスポーツ人類学者であり、私自身、武道の実践者でもある。そのため、全剣連居合道部で起きたとされる私的な金銭の授受は「不正」という形で報道されているが、私は芸道の世界においては、「よくあること」だとも思った。確かに現代的な感覚からすれば「不正」ではあると思うものの、一方で金銭のやり取りが存在することを単純に「悪」として斬り捨てることも躊躇われる。というのも、この慣習は江戸時代から続く伝統であり、それなりに意味を持って行われてきた背景があるとみることもできるためである。本稿では居合道の世界で起きた騒動の問題点を、3つ取り上げたい。

全剣連居合道部誕生の経緯

そもそも、居合道とは何か。まずここからみていきたい。居合道を知らない読者には複雑に思われるかもしれないが、居合道と居合は厳密にいえば異なる。まず、居合とは、簡単にいえば刀を帯刀した状態から抜刀し、相手を殺傷する技術を習得するものである。基本的には真剣、もしくはそれと同じくらいの重さの模造刀と用いて単独で形(一定の手順に従って動く稽古)を修練する。件の審査においても、形の演武を行うことが実技審査として課される。

また居合は、茶や華、能、歌舞伎などと同様、技の相伝者を頂点とする流派と呼ばれる組織を形成し技が伝承されてきた。今日行われる日本の武道、たとえば剣道や柔道などももとを辿れば江戸時代に成立した様々な流派を出発点としている。今日では、流派によって伝承されるような武術を総称して「古武道」と呼ぶが、居合の諸流派もそこに含まれる。

先に説明したように、居合とは抜刀するまでの技術であり、刀を抜いてしまえばいわば剣術であり、古武道として行われる剣術や柔術の諸流派も居合の技を伝承していることがある。そのため種目間での区別は明確ではない。古武道は各流派が独自に伝承を行っている場合がほとんどであり、古武道協会や古武道振興会という全国的な統括組織はあるが、それらの団体に所属するからといって稽古の内実に制約が課されるわけでもない。

一方で、今回の事件が起きた全剣連居合道部は、居合の流派の全国的な統括組織として段位や称号の認定、競技大会などを行っており、居合の各流派には一定の制約が課される。ただし、日本に存在する居合の流派すべてが全剣連居合道部に所属している訳ではない。

このように今日様々なかたちで伝承される居合であるが、なぜ全剣連という剣道競技組織内に居合道部があるのか。そもそも、全剣連という組織は1952年(昭和二十七)に誕生した剣道の全国統括組織である。居合道部の設置は1956年(昭和三十一)で、1954年(昭和二十九)に居合の全国組織として誕生した全日本居合道連盟から、一部の人々が異動する形で居合道部が設置された(2)。

(2)全日本居合道連盟は、全剣連居合道部とは別組織として今日まで継続されている。

居合は先に述べたように、単独で形を修練するものである。そのため、全剣連居合道部が設置された当初は剣道のような競技大会が行われることもなく、各流派がそれぞれ独自に稽古を行い、公の活動としては剣道の大会等でその形の演武が披露されるだけであった。このような中で、1966年(昭和41)には演武で勝敗を決める方式、すなわち体操やフィギュアスケートのような採点競技方式による競技大会が行われるようになる。

これ以降、それまでの流派毎の形だけではなく、全剣連居合道部共通の形を制定する動きが起こり、1969年(昭和四十四)には制定居合と呼ばれる形が生まれた(財団法人全日本剣道連盟, 1982: 285, 財団法人全日本剣道連盟, 2003: 24)。つまり、居合道とは、戦後に誕生した居合の全国組織において使用されるようになった新しい語なのである(3)。そのような組織の一つである全剣連居合道部では、流派による技と制定居合による技をもって居合道と呼ばれる身体活動を為しているのだ。

(3)管見の限りではあるが、戦前の武道団体である大日本武徳会においては「居合術」とされており、居合道という語が広く一般に使用された形跡はみられない。

このような経緯があり、全剣連居合道部は、居合道の全国統括組織であると同時に、内部にはそれぞれの流派が存在するような入れ子状の組織になっているのだ。通常、全剣連居合道部において居合を習う場合、全剣連に入会し、先に挙げた制定居合を習う。そして昇級や昇段をしていく中で、徐々に通っている道場の先生が行う流派の形を併習するようになる。

また昇段審査においては制定居合とともに、各流派の形を審査で行う形として選択することもできる。なお、剣道や柔道では今日流派による伝承は行われていないが、空手やなぎなた、弓道などでは全国的な組織の中に流派が存在し活動が行われており、こうした稽古の在り方は居合に特別限られた状況ではない。

問題(1)~家元制度と伝承~

流派とはどのような組織なのか。じつは今回の金銭授受の問題はこの流派という伝承組織形態にこそ核心があると私は考えている。

先に述べたように、日本には芸道とよばれる世界が存在する。歌舞伎、舞踊、茶、華、陶芸、漆芸、絵、武術、料理(包丁道)など、様々な分野に流派が存在する。それらの流派は、「家元」と呼ばれるその流派のトップを頂点とし、その下に師範、名取などと呼ばれる人々がおり、さらにその下に弟子たちがいる、そのような構造で発展してきた。芸能史を専門とする西山松之助はこのような制度を「家元制度」と呼び、江戸時代以来そのような家元制度によって芸道が伝承されてきたという。

家元は、自身の身に付けた技を伝授し、弟子がある段階に進むことで一定の免許を与える。そのようなことを繰り返す中で、弟子は徐々に師範や名取と呼ばれる立場へと進む。上位の立場になれば弟子を取ることもできるようになり、生業としても成立するようになる。ただ、家元はすべての技を弟子に相伝せず、特定の技は一子相伝で伝承される。それは家元宗家の立場を弟子に脅かされないようにするためである。すなわち、家元は流派の相伝権まで弟子に譲渡することはないのである。

師範や名取という人たちは自分で弟子を取ることはあっても、独立して免許の発行することを許可されない。それは家元への収入は常に入り続けることを意味している。家元はこのような特権を世襲することで、次に繋いでいく。己が苦難の上に習得した技で生計を立てる、家元制度とは生き残りのための優れた手段といえる(西山 1982)(4)。

(4)西山によれば、家元制度の成立は近世にあるが、各分野がこぞって家元制度を取った訳ではなく、近代になり家元を名乗るような場合もある。歌舞伎はその代表ともいえる。

ところで、武術の場合は他の芸道と違う点があったと西山はいう。それは、多くの芸道において譲られることのなかった相伝権の譲渡である。というのも主君から与えられる俸禄で生活する武士は、芸で身を立てる必要がなかったためである。西山はこのような相伝権の完全譲渡を、「完全相伝制」と呼ぶ。

武術の世界では、免許と共に相伝権も譲渡されるため同名流派が爆発的に全国にひろまった。例えば、一刀流と呼ばれる流派は伊藤一刀斎という人物により創始されたといわれるが、戦国末期に登場したこの流派は、唯心一刀流、小野派一刀流、溝口派一刀流、甲源一刀流、中西派一刀流、北辰一刀流など、近世を通じてかなりの数がひろまった。

現在においても、同名の流派であるが伝承する先生が違うといったことがあるが、このような武術の持つ背景があるためだ。ただし、西山がいうように完全相伝制で行われていたことも間違いないが、場合によっては家元的に、つまり相伝権を譲渡せずに伝承が行われた事例も存在する。そのような事例は村落において行われていた武術に多い(榎本 1994)。

ところで、相伝権を譲渡するにしても、しないにしても、弟子から師に対して、技の教授と引き換えに何かしらの「お礼」がなされることがある。月謝として定期的に払われるものもあれば、目録や免許といった段階を伝授されたときにもたらされることもあった。金銭である場合もあれば、物品である場合もあり、農民などは作物などを金銭の代わりに持参してきた例もある(山本 1981)。

何が、どれくらい、どの程度払われたかについては記録も残らないこともあり、はっきりしないことが多いが、自身の技を伝授することで生活する家元にとって、このような「お礼」も重要な資金源であったといえる。いわゆる「金許」と呼ばれるものだ。特に、芸道を習うような人々は、生活的にはある程度余裕があった人々が多い。故に、そのような「お礼」も行えるのであって、そのこともある意味では「実力」といえる。今日においても免許をもらうのに数十万~数百万という話は存在しており、そのような金額を払えるような人々が各流派を経済的に支えることで伝承が続くという側面もあるのだ。

今回の全剣連居合道部の件に関しても、そのような感覚から「お礼」を行うことを当たり前とする風潮があったことが予想される。もちろん、現在の全剣連居合道部の高段者の人々(彼らの多くも各居合流派の継承である)は生業として居合を教授している訳ではないだろう。また、説明してきたような家元制度的な習慣が、個々にどれくらい行われているかは分からない。

何よりも今回の件は流派内の免許ではなく、全剣連という組織内における称号や段位であるため、「不正」とされるのは当然だと、私は思う。しかし、支払いに疑問を思った受験者に対する、「誠意や」「自分もやった」といった高段者の発言には、このような芸道の世界での「常識」が浸透している様子が垣間見られ、ここに全剣連居合道部の入れ子状の組織の問題点が伺えるのである。

しかし、訴えを起こした受験者も範士号の審査を受けた人物であったことから、かなりの年数を居合の世界で生きてきた人物であろうが、それだけの年数を居合の世界で生きてきたとしても、そのような世界の「常識」を受け入れられなかったのである。このことは、居合道における芸道的な世界が、すでに消えつつあることの証左ともいえよう。このように、本件は伝統的な家元制度の「慣習」と、現代的な全剣連という組織が複雑に絡み合う中で起こった事件といえる。

問題(2)~武術と国家主義~

今回の件では、内閣府公益認定等委員会に訴えがあり、同委員会が全剣連に対して直接の監督権限がないため、全剣連が所属する日本スポーツ協会と日本オリンピック委員会(JOC)に対応を求めた。また、スポーツ庁の鈴木大地長官は「詳しい調査と、同様に段位を持つスポーツについても調べるよう指示した」(5)という。

(5)日本経済新聞webページ内「居合道以外の競技も調査指示 スポーツ庁長官」 2018年8⽉17⽇付 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34287230X10C18A8CC1000/(最終閲覧⽇
2018年8⽉31⽇)

このように、全剣連に対して政府による調査が行われることになった。じつは、武術団体に対して、国から様々に注文が付くのは今に始まった話ではない。今回と同様に段位を巡る「腐敗」への指摘は、戦前にも行われている。以下、スポーツ人類学者である中嶋哲也の著作を参照しながらみていきたい。

戦前最大の武道の統括団体である大日本武徳会は、1938年(昭和十三)に時の衆議院議員である藤生安太郎から、組織的な「腐敗」を糾弾される。藤生自身、講道館柔道七段の実力で、いわば武道界内部の人間ともいえる。彼は、当時の武道団体が「不健全なる現象を生ぜしむる」状況にあるということを指摘する。特に、「不健全」な状態にあるものとして、段位称号の授与に関するものがあった。以下、当時の様子を伝える事例をみたい。

「毎年全国武道家の段位称号を審議決定するため京都に武徳会大会が開催せられますが、その対価に範士などの最高の称号を有する大家高段者達は数日前から乗込み夫々旅館に陣取り而も門前には何某先生御宿泊と麗々たり看板を張り出し而して其の旅館には教士号精錬証の称号の欲しい候補者がぞくぞく頻繁に出入りするとのことであります。」

このように、当時の段位称号の授与の現実として、段位称号の認定を行う範士クラスの人間たちの汚職が横行していたことを藤生は衆議院議会において糾弾したのである。その上で、藤生は段位や称号を政府が何かしらの機関を設置して国家的に統一することを主張した(中嶋 2017: 269-274)。

このように、戦前においても段位や称号を得るために高段者への「お礼」や接待のようなことが行われていた。そして、そのような「腐敗」に対して、国家的な介入を行い、「正しく」管理することが訴えられていた。この問題は結果的に政府主導による組織の改編や新組織の設立、段位称号の政府による管理へと向かう。

藤生による糾弾は、太平洋戦争へと向かう中で武道を通じた国民統制を背景に起こったことである。そのため、今日の状況とはまったく違うことと思われるかもしれない。しかし、今日の一連のスポーツ団体の不祥事の流れの中で本件が取り上げられたことは、2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会へと向かう、スポーツ界の「健全化」の一環のようにも映る。

先の、鈴木大地長官の発言は、政府による諸団体への介入ともいえ、かつてのような段位や称号の管理が行われることはないかもしれないが、何かしらの指導が入る可能性もある。そのような中で、先に述べたような家元制度的な「慣習」が、どの程度まで影響を受けるのかは今後の展開をつぶさに見守る必要があるだろう。

問題(3)~居合は「スポーツ」なのか:武道の「スポーツ」化論の系譜~

スポーツ庁のトップである鈴木大地長官がコメントしていることからも、全剣連居合道部は、スポーツ団体として今日存在している。しかし、文化的な面から考えていくと、居合とは「スポーツ」なのかどうか、という問題も浮かぶ。じつは、居合を包括する武道というものが、「スポーツ」なのか否かは、1910年代に「武道」という語が今日的な意味で使用され始めた時代から続く、古くて新しい議論である。最後に、この問題について考えたい。

今日、武道という語を思い浮かべた時、殺傷技法といった意味合いよりも、「人格形成」や「精神修養」といった意味を浮かべる読者も多いと思う。このような教育的意味を持たせた「武道」という語が確立したのはじつは大正時代(1912~1926)のことであり、それ以降、もっぱら武道とは「スポーツ」なのか否か、という議論が続いてきた。

本稿はそのような本質論について議論するものではないために、そこに対して言及はしない(6)。ただ、スポーツ、すなわち試合の勝敗を目的とするような世界に対して、自らは違うということを武道の世界が言い続けているということは着目に値する。なぜならば、先の挙げた鈴木大地長官の発言からも分かるとおり、当事者たちがいかに考えようとも、今日では居合も含めた多くの武道は「スポーツ」という枠のなかで考えられるわけである。

(6)武道の「スポーツ」化論についての歴史的経緯の詳細は、先に挙げた中嶋(2017)を参考にしてほしい。

それは当事者も同様で、芸道の世界の論理では納得しない人々がすでに全剣連居合道部内の高段者にいるために、今回の「不正」はまさに不正として立ち現れたのである。すでに居合の世界においては芸道の世界が成立しなくなりつつある面もあり、それに代わり我々が学校教育やメディアを通じて享受するような「スポーツ」の世界が、当事者たちも気づかないうちに「常識」になりつつあることを意味している。

しかし、私自身はこの一連の事件の報道をみたときに、「はたして居合は単純にスポーツとして考えていいのか」と思った。私が専門とするスポーツ人類学という学問では、「スポーツ」という語を広義に捉え、我々が日々目にするようなオリンピック・スポーツだけでなく、地域社会で行われるような祭礼や遊戯、舞踊、伝統的な医療における技などもすべて含み「スポーツ」として対象とする。

すなわち、我々がスポーツと聞いて思い浮かべるようなサッカーやバスケットボール、野球などだけではなく、それ以外の身体活動からも「スポーツ」の問題を考える。そのようなスポーツ人類学の立場から、居合は「スポーツ」なのかという問題を考えた時、必ずしも近代的な「スポーツ」の論理、言い換えれば合理的な世界から考えるだけでは解決することができない問題があることは、これまでみてきたとおりである。

全剣連居合道部では採点競技方式で競技大会が行われている。確かに競ってはいるものの、昇段審査における審査員たちが認めるように主観的な視点から優劣を決めるもので、その採点基準は担い手たちの間でファジーに伝えられていくものである。これは各流派が伝承を行う中で形成された美の問題でもあり、そこには誰にでも分かるような明確な基準を持ち込むことは困難である。

このような背景を考えた場合、居合の世界をスポーツの視点から考えていくのは難しいのではないかと私は思う。度々述べるように、私自身は今回の事件を肯定的には捉えておらず、金銭授受は問題であると思う。それゆえに、いわゆる「見通しの良い組織」へと改善されることも必要であろうとも思う。ただし、そのような改善を行う中で、居合の諸流派が家元制度的に伝承を行ってきた世界にも国家的な地均しが行われることになると、気づいた時には様々な制度が変容している、ということも起こりうる。

今回の事件への具体的な対応として、全剣連は昇段や称号の実技審査の対象から古流、すなわち流派の形を除くことにした(7)。流派の形を審査で行わないようにすれば、審査員がどのような流派を修める人間であっても平等性は保たれると考えたのであろう。しかし、この発想は金銭が絡むことは技の優劣や伝承に支障をきたすという考えとも読める。金銭が絡もうが、技が優れている人物はいるであろうし、技が優れている上で最後の一押しとして金銭を頼る、そのようなこともある中で技が伝承されてきたことも考慮する必要があるだろう。

(7)全剣連HP内「居合道に関する報道について」記事内の、「全剣連広報誌「剣窓」平成29年12月号」を参照。 https://www.kendo.or.jp/information/comment-on-the-news-report-on-iaido/ (最終閲覧日2018年8月25日)

残念ながら今日の日本では、芸道や地域社会に伝承される民俗芸能など、技を伝承する身体活動の存続は厳しくなっている。社会の中で継続されることから、もちろんその時代に合わせて変えなくてはいけない部分もあるだろう。しかし、文化的な背景を踏まえないようなやり方で改変すれば、結果として消滅していくということもあり得る。はたして、全剣連居合道部はどのようになっていくのか。2020年も踏まえつつ、スポーツと文化の問題として今後の展開を注視していきたい。

引用文献一覧

榎本鐘司(1994)北信濃における無雙直傅流の伝承について : 江戸時代村落の武術と『境界性』. スポーツ史研究, 7: 21-36.

中嶋哲也(2017)近代日本の武道論: 〈武道のスポーツ化〉問題の誕生. 国書刊行会.

西山松之助(1982)家元の研究. 吉川弘文館.

山本邦夫(1981)埼玉武芸帳. さいたま出版会

全日本剣道連盟(1982) 財団法人全日本剣道連盟三十年史. 全日本剣道連盟.

―――(2003) 財団法人全日本剣道連盟五十年史. 全日本剣道連盟.

プロフィール

田邊元スポーツ人類学/民俗学/武術研究

富山大学芸術文化学部講師。博士(スポーツ科学)。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士課程修了。早稲田大学スポーツ科学学術院助手を経て現職。日本の地域社会に残る、武術を由来とする民俗芸能を対象にした人類学的研究を行っている。主な業績に、「村落における武術伝承組織の検討:神道香取流を事例として」『体育学研究』(62号2巻、2017年)、「秋田のシシ踊りに伝承される芸能武術 : 村落社会における武術伝承への考察」『スポーツ人類學研究』(18号、2016年)などがある。

この執筆者の記事