居合は「スポーツ」なのか?――全剣連居合道部の金銭授受問題をめぐって

はじめに

 

8月17日付の産経新聞において、全日本剣道連盟(以下「全剣連」と略す)の居合道部で、昇段や称号の審査において金銭授受が行われていたことが報道された(1)。簡単に今回の件を説明する。全剣連居合道部は最高段位を八段としているが、さらにその中には階級化された称号(「範士」、「教士」、「錬士」)が設定されている。この称号を得るには厳正な審査を通過する必要があるが、今回の報道で、その審査の過程で受験者から審査員に私的な金銭の授受が「慣習」的に行われていたことが明るみに出たのである。渡された金額も総額650万円になるということで、かなりの金額だ。

 

(1)産経ニュース内「居合道昇段で金銭授受 八段審査で数百万円、接待も 内閣府が調査」2018年8月17日付 https://www.sankei.com/affairs/news/180817/afr1808170006-n1.html (最終閲覧日2018年8月26日)

 

ところで、私は日本の武術を対象として研究を行うスポーツ人類学者であり、私自身、武道の実践者でもある。そのため、全剣連居合道部で起きたとされる私的な金銭の授受は「不正」という形で報道されているが、私は芸道の世界においては、「よくあること」だとも思った。確かに現代的な感覚からすれば「不正」ではあると思うものの、一方で金銭のやり取りが存在することを単純に「悪」として斬り捨てることも躊躇われる。というのも、この慣習は江戸時代から続く伝統であり、それなりに意味を持って行われてきた背景があるとみることもできるためである。本稿では居合道の世界で起きた騒動の問題点を、3つ取り上げたい。

 

 

全剣連居合道部誕生の経緯

 

そもそも、居合道とは何か。まずここからみていきたい。居合道を知らない読者には複雑に思われるかもしれないが、居合道と居合は厳密にいえば異なる。まず、居合とは、簡単にいえば刀を帯刀した状態から抜刀し、相手を殺傷する技術を習得するものである。基本的には真剣、もしくはそれと同じくらいの重さの模造刀と用いて単独で形(一定の手順に従って動く稽古)を修練する。件の審査においても、形の演武を行うことが実技審査として課される。

 

また居合は、茶や華、能、歌舞伎などと同様、技の相伝者を頂点とする流派と呼ばれる組織を形成し技が伝承されてきた。今日行われる日本の武道、たとえば剣道や柔道などももとを辿れば江戸時代に成立した様々な流派を出発点としている。今日では、流派によって伝承されるような武術を総称して「古武道」と呼ぶが、居合の諸流派もそこに含まれる。

 

先に説明したように、居合とは抜刀するまでの技術であり、刀を抜いてしまえばいわば剣術であり、古武道として行われる剣術や柔術の諸流派も居合の技を伝承していることがある。そのため種目間での区別は明確ではない。古武道は各流派が独自に伝承を行っている場合がほとんどであり、古武道協会や古武道振興会という全国的な統括組織はあるが、それらの団体に所属するからといって稽古の内実に制約が課されるわけでもない。

 

一方で、今回の事件が起きた全剣連居合道部は、居合の流派の全国的な統括組織として段位や称号の認定、競技大会などを行っており、居合の各流派には一定の制約が課される。ただし、日本に存在する居合の流派すべてが全剣連居合道部に所属している訳ではない。

 

このように今日様々なかたちで伝承される居合であるが、なぜ全剣連という剣道競技組織内に居合道部があるのか。そもそも、全剣連という組織は1952年(昭和二十七)に誕生した剣道の全国統括組織である。居合道部の設置は1956年(昭和三十一)で、1954年(昭和二十九)に居合の全国組織として誕生した全日本居合道連盟から、一部の人々が異動する形で居合道部が設置された(2)。

 

(2)全日本居合道連盟は、全剣連居合道部とは別組織として今日まで継続されている。

 

居合は先に述べたように、単独で形を修練するものである。そのため、全剣連居合道部が設置された当初は剣道のような競技大会が行われることもなく、各流派がそれぞれ独自に稽古を行い、公の活動としては剣道の大会等でその形の演武が披露されるだけであった。このような中で、1966年(昭和41)には演武で勝敗を決める方式、すなわち体操やフィギュアスケートのような採点競技方式による競技大会が行われるようになる。

 

これ以降、それまでの流派毎の形だけではなく、全剣連居合道部共通の形を制定する動きが起こり、1969年(昭和四十四)には制定居合と呼ばれる形が生まれた(財団法人全日本剣道連盟, 1982: 285, 財団法人全日本剣道連盟, 2003: 24)。つまり、居合道とは、戦後に誕生した居合の全国組織において使用されるようになった新しい語なのである(3)。そのような組織の一つである全剣連居合道部では、流派による技と制定居合による技をもって居合道と呼ばれる身体活動を為しているのだ。

 

(3)管見の限りではあるが、戦前の武道団体である大日本武徳会においては「居合術」とされており、居合道という語が広く一般に使用された形跡はみられない。

 

このような経緯があり、全剣連居合道部は、居合道の全国統括組織であると同時に、内部にはそれぞれの流派が存在するような入れ子状の組織になっているのだ。通常、全剣連居合道部において居合を習う場合、全剣連に入会し、先に挙げた制定居合を習う。そして昇級や昇段をしていく中で、徐々に通っている道場の先生が行う流派の形を併習するようになる。

 

また昇段審査においては制定居合とともに、各流派の形を審査で行う形として選択することもできる。なお、剣道や柔道では今日流派による伝承は行われていないが、空手やなぎなた、弓道などでは全国的な組織の中に流派が存在し活動が行われており、こうした稽古の在り方は居合に特別限られた状況ではない。

 

 

問題(1)~家元制度と伝承~

 

流派とはどのような組織なのか。じつは今回の金銭授受の問題はこの流派という伝承組織形態にこそ核心があると私は考えている。

 

先に述べたように、日本には芸道とよばれる世界が存在する。歌舞伎、舞踊、茶、華、陶芸、漆芸、絵、武術、料理(包丁道)など、様々な分野に流派が存在する。それらの流派は、「家元」と呼ばれるその流派のトップを頂点とし、その下に師範、名取などと呼ばれる人々がおり、さらにその下に弟子たちがいる、そのような構造で発展してきた。芸能史を専門とする西山松之助はこのような制度を「家元制度」と呼び、江戸時代以来そのような家元制度によって芸道が伝承されてきたという。

 

家元は、自身の身に付けた技を伝授し、弟子がある段階に進むことで一定の免許を与える。そのようなことを繰り返す中で、弟子は徐々に師範や名取と呼ばれる立場へと進む。上位の立場になれば弟子を取ることもできるようになり、生業としても成立するようになる。ただ、家元はすべての技を弟子に相伝せず、特定の技は一子相伝で伝承される。それは家元宗家の立場を弟子に脅かされないようにするためである。すなわち、家元は流派の相伝権まで弟子に譲渡することはないのである。

 

師範や名取という人たちは自分で弟子を取ることはあっても、独立して免許の発行することを許可されない。それは家元への収入は常に入り続けることを意味している。家元はこのような特権を世襲することで、次に繋いでいく。己が苦難の上に習得した技で生計を立てる、家元制度とは生き残りのための優れた手段といえる(西山 1982)(4)。

 

(4)西山によれば、家元制度の成立は近世にあるが、各分野がこぞって家元制度を取った訳ではなく、近代になり家元を名乗るような場合もある。歌舞伎はその代表ともいえる。

 

ところで、武術の場合は他の芸道と違う点があったと西山はいう。それは、多くの芸道において譲られることのなかった相伝権の譲渡である。というのも主君から与えられる俸禄で生活する武士は、芸で身を立てる必要がなかったためである。西山はこのような相伝権の完全譲渡を、「完全相伝制」と呼ぶ。

 

武術の世界では、免許と共に相伝権も譲渡されるため同名流派が爆発的に全国にひろまった。例えば、一刀流と呼ばれる流派は伊藤一刀斎という人物により創始されたといわれるが、戦国末期に登場したこの流派は、唯心一刀流、小野派一刀流、溝口派一刀流、甲源一刀流、中西派一刀流、北辰一刀流など、近世を通じてかなりの数がひろまった。

 

現在においても、同名の流派であるが伝承する先生が違うといったことがあるが、このような武術の持つ背景があるためだ。ただし、西山がいうように完全相伝制で行われていたことも間違いないが、場合によっては家元的に、つまり相伝権を譲渡せずに伝承が行われた事例も存在する。そのような事例は村落において行われていた武術に多い(榎本 1994)。

 

ところで、相伝権を譲渡するにしても、しないにしても、弟子から師に対して、技の教授と引き換えに何かしらの「お礼」がなされることがある。月謝として定期的に払われるものもあれば、目録や免許といった段階を伝授されたときにもたらされることもあった。金銭である場合もあれば、物品である場合もあり、農民などは作物などを金銭の代わりに持参してきた例もある(山本 1981)。

 

何が、どれくらい、どの程度払われたかについては記録も残らないこともあり、はっきりしないことが多いが、自身の技を伝授することで生活する家元にとって、このような「お礼」も重要な資金源であったといえる。いわゆる「金許」と呼ばれるものだ。特に、芸道を習うような人々は、生活的にはある程度余裕があった人々が多い。故に、そのような「お礼」も行えるのであって、そのこともある意味では「実力」といえる。今日においても免許をもらうのに数十万~数百万という話は存在しており、そのような金額を払えるような人々が各流派を経済的に支えることで伝承が続くという側面もあるのだ。

 

今回の全剣連居合道部の件に関しても、そのような感覚から「お礼」を行うことを当たり前とする風潮があったことが予想される。もちろん、現在の全剣連居合道部の高段者の人々(彼らの多くも各居合流派の継承である)は生業として居合を教授している訳ではないだろう。また、説明してきたような家元制度的な習慣が、個々にどれくらい行われているかは分からない。

 

何よりも今回の件は流派内の免許ではなく、全剣連という組織内における称号や段位であるため、「不正」とされるのは当然だと、私は思う。しかし、支払いに疑問を思った受験者に対する、「誠意や」「自分もやった」といった高段者の発言には、このような芸道の世界での「常識」が浸透している様子が垣間見られ、ここに全剣連居合道部の入れ子状の組織の問題点が伺えるのである。

 

しかし、訴えを起こした受験者も範士号の審査を受けた人物であったことから、かなりの年数を居合の世界で生きてきた人物であろうが、それだけの年数を居合の世界で生きてきたとしても、そのような世界の「常識」を受け入れられなかったのである。このことは、居合道における芸道的な世界が、すでに消えつつあることの証左ともいえよう。このように、本件は伝統的な家元制度の「慣習」と、現代的な全剣連という組織が複雑に絡み合う中で起こった事件といえる。【次ページにつづく】

 

 

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