居合は「スポーツ」なのか?――全剣連居合道部の金銭授受問題をめぐって

問題(2)~武術と国家主義~

 

今回の件では、内閣府公益認定等委員会に訴えがあり、同委員会が全剣連に対して直接の監督権限がないため、全剣連が所属する日本スポーツ協会と日本オリンピック委員会(JOC)に対応を求めた。また、スポーツ庁の鈴木大地長官は「詳しい調査と、同様に段位を持つスポーツについても調べるよう指示した」(5)という。

 

(5)日本経済新聞webページ内「居合道以外の競技も調査指示 スポーツ庁長官」 2018年8⽉17⽇付 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34287230X10C18A8CC1000/(最終閲覧⽇
2018年8⽉31⽇)

 

このように、全剣連に対して政府による調査が行われることになった。じつは、武術団体に対して、国から様々に注文が付くのは今に始まった話ではない。今回と同様に段位を巡る「腐敗」への指摘は、戦前にも行われている。以下、スポーツ人類学者である中嶋哲也の著作を参照しながらみていきたい。

 

戦前最大の武道の統括団体である大日本武徳会は、1938年(昭和十三)に時の衆議院議員である藤生安太郎から、組織的な「腐敗」を糾弾される。藤生自身、講道館柔道七段の実力で、いわば武道界内部の人間ともいえる。彼は、当時の武道団体が「不健全なる現象を生ぜしむる」状況にあるということを指摘する。特に、「不健全」な状態にあるものとして、段位称号の授与に関するものがあった。以下、当時の様子を伝える事例をみたい。

 

「毎年全国武道家の段位称号を審議決定するため京都に武徳会大会が開催せられますが、その対価に範士などの最高の称号を有する大家高段者達は数日前から乗込み夫々旅館に陣取り而も門前には何某先生御宿泊と麗々たり看板を張り出し而して其の旅館には教士号精錬証の称号の欲しい候補者がぞくぞく頻繁に出入りするとのことであります。」

 

このように、当時の段位称号の授与の現実として、段位称号の認定を行う範士クラスの人間たちの汚職が横行していたことを藤生は衆議院議会において糾弾したのである。その上で、藤生は段位や称号を政府が何かしらの機関を設置して国家的に統一することを主張した(中嶋 2017: 269-274)。

 

このように、戦前においても段位や称号を得るために高段者への「お礼」や接待のようなことが行われていた。そして、そのような「腐敗」に対して、国家的な介入を行い、「正しく」管理することが訴えられていた。この問題は結果的に政府主導による組織の改編や新組織の設立、段位称号の政府による管理へと向かう。

 

藤生による糾弾は、太平洋戦争へと向かう中で武道を通じた国民統制を背景に起こったことである。そのため、今日の状況とはまったく違うことと思われるかもしれない。しかし、今日の一連のスポーツ団体の不祥事の流れの中で本件が取り上げられたことは、2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会へと向かう、スポーツ界の「健全化」の一環のようにも映る。

 

先の、鈴木大地長官の発言は、政府による諸団体への介入ともいえ、かつてのような段位や称号の管理が行われることはないかもしれないが、何かしらの指導が入る可能性もある。そのような中で、先に述べたような家元制度的な「慣習」が、どの程度まで影響を受けるのかは今後の展開をつぶさに見守る必要があるだろう。

 

 

問題(3)~居合は「スポーツ」なのか:武道の「スポーツ」化論の系譜~

 

スポーツ庁のトップである鈴木大地長官がコメントしていることからも、全剣連居合道部は、スポーツ団体として今日存在している。しかし、文化的な面から考えていくと、居合とは「スポーツ」なのかどうか、という問題も浮かぶ。じつは、居合を包括する武道というものが、「スポーツ」なのか否かは、1910年代に「武道」という語が今日的な意味で使用され始めた時代から続く、古くて新しい議論である。最後に、この問題について考えたい。

 

今日、武道という語を思い浮かべた時、殺傷技法といった意味合いよりも、「人格形成」や「精神修養」といった意味を浮かべる読者も多いと思う。このような教育的意味を持たせた「武道」という語が確立したのはじつは大正時代(1912~1926)のことであり、それ以降、もっぱら武道とは「スポーツ」なのか否か、という議論が続いてきた。

 

本稿はそのような本質論について議論するものではないために、そこに対して言及はしない(6)。ただ、スポーツ、すなわち試合の勝敗を目的とするような世界に対して、自らは違うということを武道の世界が言い続けているということは着目に値する。なぜならば、先の挙げた鈴木大地長官の発言からも分かるとおり、当事者たちがいかに考えようとも、今日では居合も含めた多くの武道は「スポーツ」という枠のなかで考えられるわけである。

 

(6)武道の「スポーツ」化論についての歴史的経緯の詳細は、先に挙げた中嶋(2017)を参考にしてほしい。

 

それは当事者も同様で、芸道の世界の論理では納得しない人々がすでに全剣連居合道部内の高段者にいるために、今回の「不正」はまさに不正として立ち現れたのである。すでに居合の世界においては芸道の世界が成立しなくなりつつある面もあり、それに代わり我々が学校教育やメディアを通じて享受するような「スポーツ」の世界が、当事者たちも気づかないうちに「常識」になりつつあることを意味している。

 

しかし、私自身はこの一連の事件の報道をみたときに、「はたして居合は単純にスポーツとして考えていいのか」と思った。私が専門とするスポーツ人類学という学問では、「スポーツ」という語を広義に捉え、我々が日々目にするようなオリンピック・スポーツだけでなく、地域社会で行われるような祭礼や遊戯、舞踊、伝統的な医療における技などもすべて含み「スポーツ」として対象とする。

 

すなわち、我々がスポーツと聞いて思い浮かべるようなサッカーやバスケットボール、野球などだけではなく、それ以外の身体活動からも「スポーツ」の問題を考える。そのようなスポーツ人類学の立場から、居合は「スポーツ」なのかという問題を考えた時、必ずしも近代的な「スポーツ」の論理、言い換えれば合理的な世界から考えるだけでは解決することができない問題があることは、これまでみてきたとおりである。

 

全剣連居合道部では採点競技方式で競技大会が行われている。確かに競ってはいるものの、昇段審査における審査員たちが認めるように主観的な視点から優劣を決めるもので、その採点基準は担い手たちの間でファジーに伝えられていくものである。これは各流派が伝承を行う中で形成された美の問題でもあり、そこには誰にでも分かるような明確な基準を持ち込むことは困難である。

 

このような背景を考えた場合、居合の世界をスポーツの視点から考えていくのは難しいのではないかと私は思う。度々述べるように、私自身は今回の事件を肯定的には捉えておらず、金銭授受は問題であると思う。それゆえに、いわゆる「見通しの良い組織」へと改善されることも必要であろうとも思う。ただし、そのような改善を行う中で、居合の諸流派が家元制度的に伝承を行ってきた世界にも国家的な地均しが行われることになると、気づいた時には様々な制度が変容している、ということも起こりうる。

 

今回の事件への具体的な対応として、全剣連は昇段や称号の実技審査の対象から古流、すなわち流派の形を除くことにした(7)。流派の形を審査で行わないようにすれば、審査員がどのような流派を修める人間であっても平等性は保たれると考えたのであろう。しかし、この発想は金銭が絡むことは技の優劣や伝承に支障をきたすという考えとも読める。金銭が絡もうが、技が優れている人物はいるであろうし、技が優れている上で最後の一押しとして金銭を頼る、そのようなこともある中で技が伝承されてきたことも考慮する必要があるだろう。

 

(7)全剣連HP内「居合道に関する報道について」記事内の、「全剣連広報誌「剣窓」平成29年12月号」を参照。 https://www.kendo.or.jp/information/comment-on-the-news-report-on-iaido/ (最終閲覧日2018年8月25日)

 

残念ながら今日の日本では、芸道や地域社会に伝承される民俗芸能など、技を伝承する身体活動の存続は厳しくなっている。社会の中で継続されることから、もちろんその時代に合わせて変えなくてはいけない部分もあるだろう。しかし、文化的な背景を踏まえないようなやり方で改変すれば、結果として消滅していくということもあり得る。はたして、全剣連居合道部はどのようになっていくのか。2020年も踏まえつつ、スポーツと文化の問題として今後の展開を注視していきたい。

 

 

引用文献一覧

榎本鐘司(1994)北信濃における無雙直傅流の伝承について : 江戸時代村落の武術と『境界性』. スポーツ史研究, 7: 21-36.

中嶋哲也(2017)近代日本の武道論: 〈武道のスポーツ化〉問題の誕生. 国書刊行会.

西山松之助(1982)家元の研究. 吉川弘文館.

山本邦夫(1981)埼玉武芸帳. さいたま出版会

全日本剣道連盟(1982) 財団法人全日本剣道連盟三十年史. 全日本剣道連盟.

―――(2003) 財団法人全日本剣道連盟五十年史. 全日本剣道連盟.

 

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