比較優位の原理と生産性の変化

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誰にでも出番がある社会を実現するために」と題した前回の記事では、まず比較優位の原理とは何かを数値例を用いて説明した上で、結論が成り立つためにはいくつかの前提条件が必要であることをお話ししました。

 

その前提条件とは、(1)仕事の総量に上限がないこと、(2)仕事の切り分けが容易であること、そして(3)最終的な消費量のみが関心事であることの3点でした。

 

じつは、他にも重要な前提条件があります。上の3つよりも、むしろこちらの方が重要かもしれません。お気づきになった方はいらっしゃいますか?

 

というわけで、今回も比較優位の原理について考えてみましょう。なお本稿では前回に引き続き個人間の分業の話をしますが、最後に国際貿易への応用についても言及します。そこまで読んで頂ければ、TPP交渉に関する論争についての理解が深まるはずです。まあTPPのお話は、最近はすっかり聞かなくなってしまいましたが……。

 

 

阿部さんと伊東さん

 

さて、まずは前回の復習から始めましょう。

 

お話の登場人物は阿部さんと伊東さんの二人です。まず阿部さんが無人島に流れ着き、野菜作りや魚釣りをして自給自足の生活をしていたところに、伊東さんも流れ着きました。二人には能力面での違いがあり、阿部さんは一時間あたり野菜なら3個作れて、魚なら2匹釣れますが、伊東さんは一時間あたり野菜なら2個、魚なら1匹でした。なお一日に働ける時間は8時間と決まっていて、二人とも上限まで働くとします。

 

二人が分業を始める前には、それぞれ4時間ずつを野菜作りと魚釣りに振り分けていました。結果として、阿部さんは野菜を12個と魚を8匹、伊東さんは野菜を8個と魚を4匹食べていたわけです。偏った食事では健康にもよろしくないですし飽きてしまいますから、両方バランス良く食べているのです。ちなみにこのとき二人分を合計すると、20個の野菜と12匹の魚を手に入れています。

 

次に伊東さんから話を持ちかけて始まった分業と交換について考えましょう。まず阿部さんが野菜作りを2時間減らしてその分を魚釣りに振り向けると、野菜を6個と魚を12匹得られます。また伊東さんがすべての時間を(絶対劣位ではありますが)比較優位である野菜作りに振り向けると、野菜を16個得られます。このとき生産量の合計が野菜2つ分だけ増加しているので、その増えた分を一つずつ分け合うことで、二人とも食べられる量が増えるというのが前回のストーリーでした。

 

 

前提とされていること

 

前回の記事では、上のお話が成立するためには何が必要なのかを考えたわけです。今回は、そこで挙げた3点以外で、他に何が仮定されているのかを考えます。

 

 

それぞれの生産性を互いに知っている

 

ウォーミングアップとして、まずは簡単なところから始めましょうか。

 

この無人島のストーリーにおいて、阿部さんも伊東さんも自分が野菜作りと魚釣りをどのくらい上手に行うことができるのか、また相手がどのくらい上手なのかを互いに知っていました。これはじつは重要な仮定です。

 

確かに阿部さんと伊東さんは、互いの行動を数日間観察した上で分業と交換についての相談をしているので、互いの生産性を知っていると考えてもそれほど不自然ではないでしょう。

 

しかし分業と交換のメリットについてより一般的に考える際には、自分と他人の生産性を皆が知っていると考えて良い状況であるかどうかを確認することが必要です。それを知らないと、誰がどのような仕事を担当すれば双方の利益になるのかが分からないからです。

 

 

仕事の準備や場所の移動に時間のロスが発生しない

 

次に注目する仮定は、このお話では仕事の準備や場所の移動にかかる時間がゼロだとされている点です。しかし現実には、朝起きていきなり仕事に取りかかるわけではなく準備が必要でしょうし、畑仕事に適した土地と魚を釣ることができる海岸とは離れているでしょうから、一日に両方やるなら移動時間も必要です。つまり日中に行動できる8時間のすべてを生産活動に使うことはできないのです。

 

ただしこの仮定はそれほど重要ではありません。なぜなら仕事の準備や場所の移動に時間がかかるというより現実的な設定を考えると、一人の人が複数の仕事を行うことが難しくなるため、比較優位を考えるまでもなく分業と交換が行われやすい状況になるからです。

 

もっとも簡単なのは、時間のロスが大きく、一人が一日にできるのは一種類の仕事だけという極端な状況を想像してみることです。なお野菜も魚も保存できず、その日に穫れた(獲れた)分だけ食べられるとします。

 

まずは阿部さんが島に一人だけ住んでいる状況から考えましょう。そして準備と移動時間の制約により、彼は野菜作りか魚釣りのどちらかしかできないとします。このとき一日に食べられるのは野菜か魚のどちらかだけです。しかし伊東さんが島に流れ着くと、野菜作りと魚釣りを一人ずつ担当することが可能になり、収穫を交換することで二人とも両方を食べられるようになりますね。

 

これに対して、教科書的な比較優位の説明で仮定されるように、仕事の準備や場所の移動に時間のロスが発生しないという状況を考えると、阿部さんは野菜作りと魚釣りの両方を自分で出来るし、どちらに関しても絶対優位を持っているので、一見すると分業と交換の必要がないように見えるわけです。しかしそのような場合でも、分業と交換にメリットがあるというのが比較優位の原理の教訓でした。

 

このように時間のロスがないという仮定をすることで、一見すると分業と交換が不要に思われる状況下でも、じつはそれが両者の得になるという論理にスポットライトが当たることになります。つまりこれは主役にピンスポを当てるための仮定なのです。

 

 

時間を通じて生産性が変化しない

 

ここまでで準備運動は終わりにして、本題に入りましょう。特に重要な仮定として今回注目したいのは、登場人物たちが持っている野菜作りと魚釣りの能力が、時間を通じて不変であるという点です。

 

たとえば、伊東さんが野菜作りに特化した後でも、作ろうと思えば一時間に野菜を2個作れるし、魚なら1匹釣れる、つまり生産性は変わらないとしていました。

 

しかし現実には、同じ仕事を続けていれば次第に慣れてくるでしょうしコツも分かってきます。反対に仕事をしないでいると、徐々に下手になることも考えられます。

 

以下では、この「生産性が変化しない」という仮定が、比較優位の原理のストーリーの中で、どのような役目を果たしているのかを考えていきましょう。

 

 

生産性が変化しないことの意味

 

じつは、この仮定があることで比較優位の話が成立しやすくなるのです。簡潔に言うなら、生産性が変わらなければ、仮に片方の仕事を止めてしまってもいつでも元に戻れるので、安心して一つの仕事に特化できるというのがその理由です。このことの意味をもう少し丁寧に説明しましょう。

 

まず二人が自給自足をしている場合には、阿部さんは野菜を12個と魚を8匹、伊東さんは野菜を8個と魚を4匹だけ消費できました。そして分業と交換により、それよりも野菜を一つずつ多く食べられたわけです。

 

ここでたとえば、二人が何らかの理由で仲違いをして、明日からは取引をやめようということになったとしましょう。このとき、伊東さんの生産性が従前のままであるなら、彼は野菜8個と魚4匹を食べていた生活に戻ることができます。

 

しかしたとえば野菜作りに特化して魚釣りを止めてしまうと、魚釣りが下手になってしまう場合を考えてみてください。極端なケースとして、魚釣りのやり方を完全に忘れてしまうとしたら何が起こるでしょうか。

 

伊東さんは自分では野菜しか作れないので、8時間すべてを野菜作りに費やして16個食べることになります。栄養のバランスが偏りますね。たんぱく質が足りません。

 

昔には戻れなくなるという点が重要です。そしてこのことを踏まえると、特に喧嘩をしたわけでなくても、阿部さんは、分業することで増えた二つの野菜を一つずつ分けることに当初は合意していたにも関わらず、後になって交換条件を変更しようと主張するかもしれません。

 

たとえば、阿部さんは、相手が魚釣りのやり方を忘れてしまったのを見て、次のように話しかけることが考えられます。

 

 

「これまでわたしが魚を4匹渡す代わりに、伊東さんの野菜を7個受け取ってきました」

 

「そうですね。いつもありがとう」

 

「でも明日からはわたしの魚を2匹とあなたの野菜9個を交換することにしましょう!」

 

「急に何を言い出すんですか!それでは話が違う!!!(怒)」

 

「でもね、伊東さん。嫌ならいいんですよ。嫌なら。もしわたしの提案を受け入れてくれないなら明日から取引は中止です」

 

「えっ」

 

「考えても見てください。あなたはわたしと取引しないなら野菜だけ16個も食べる生活になるわけです。それよりはわたしの提案に従ったほうがマシですよね。なにしろわたしに野菜を9個くれても手元には7個残るわけですし、野菜だけ食べるよりは野菜を7個と魚を2匹の方がマシでしょ?まあこれも、あなたのためだから(笑)」

 

 

さて、このような再交渉が行われると、野菜を16個だけ食べるよりは、少しでも魚を食べたいと考える伊東さんは立場が弱く、野菜9個の代わりに魚を2匹だけ受け取るという阿部さんの提案を受け入れざるを得ないかもしれません。

 

すると伊東さんは、当初の自給自足の時には毎日野菜を8個と魚を4匹食べることができたのに、今となっては野菜を7個と魚を2匹しか食べられません。

 

この例からも分かるように、伊東さんはどうせ魚釣りはしないのだから、魚釣りが下手になったとしても何も問題はないなどとは言えないのです。そしてこのような展開が予想できるなら、伊東さんは魚釣りを完全に止めてしまうことはないでしょう。(*1)

 

(*1)このような現象は、関係特殊的な投資が行われた後に、再交渉により買い叩かれることを恐れるために発生するホールドアップ問題と同じ構造をしています。詳しくは柳川範之(2000)『契約と組織の経済学』東洋経済新報社をご覧ください。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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