もう一度「一般理論」に挑戦する

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ケインズは、どう利用できるか?

 

山形 そういったことを踏まえたうえで、今、ケインズを読み直したほうがいいのかしら。それともケインズと全然違うところで何かをしたほうがいいのかしら。今回の危機に対してIS-LMもそこそこうまく動いたし、アメリカのやったいろんな資金注入や公共的な支援もだいたいそれで説明がつきそうな感じではある。大学のマクロ経済学の一番最初で学ぶような話ですべてが片付いちゃったんだから、それをもう少し頑張るということでいいのか。ここらへんでケインズの今の意義というのを話さなきゃいけないかなって。

 

飯田 山形さんにこんな話をするのは釈迦に説法ですが、ケインズの意義というと、経済学者以前にケインズの研究者みたいな人が、「ケインズは本当はこう思っていた」論を言い出したりするんですよね。でも、ケインズが”本当に”どう考えていたかはどうでもいい話で、ケインズの理論から現在的な意味で何をカンニングできるかが重要です。カンニングのネタ本のようにケインズを使うのが、ケインズの役立て方だと思うんですよね。

 

山形 そうですね。やっぱり『一般理論』の小難しくも面白いところは、彼がうねうねしながら議論を進めるところ。その中に、本筋とは外れるけれど注目に値する部分が書かれているんですよね。

 

飯田 その意味でいうと、ある人が若手の経済学者に向けて「ミルトン・フリードマンの本を全部読め」という話をしていました。ミルトン・フリードマンは数学で経済を語ることが大嫌いな人で、シカゴ大学の大学院で数理経済学部のコースを設置するのに大反対だったそうです。そのせいか彼の書く経済の本は全部言葉とグラフで書いてあるから、何だかわからない部分があるんですよ。そのせいで、フリードマンのアイデアを数式で書いたらそれだけで論文のトップジャーナル行きが決定していたような時代があったと言われます。

 

すでに言葉で書かれているものを数学モデルにするのは、検証のために計量モデルに乗せられるかどうかが非常に重要な意味をもつからです。DSGEが流行ったのも、計量モデルに乗っかるのがポイントです。かつてのIS-LMもそう。だから、『一般理論』の中から、「これって数式になるんじゃないか」とか、「計量可能なかたちにできるんじゃないか」という部分を見つけるといいかもしれない。

 

山形 『要約一般理論』の解説にも書いたんですけど、アカロフとシラーというすごく有名な経済学者が最近『アニマルスピリット』という本を書いています。

 

アニマルスピリットというのは、『一般理論』の中では「事業家って投資を決めるときに予想収益率とかを計算して、『これは利子率より高そうだから投資する』なんてこと実際はしないよね」という話。大半の事業家は何かを見て、「俺はこれをやるぞ!」と思って、とにかく勢いでガーッとやっちゃう。そういった、理屈にならない感情的な部分をアニマルスピリットと呼ぶことにして、それが経済に与える影響を考えなきゃいけないとケインズは言っている。

 

ところが、アカロフとシラーの本の中では、「人は理屈に合わないことでも、何となく周りの空気に流されてしまう」とか、4~5年いい状況がつづくと、「このままずっとそれがつづくよね」とつい言ってしまう心理のことが「アニマルスピリット」だと言われていて、ケインズが言っているのとかなり違う。

 

彼らとしては「理屈に合わないものも見ないといけないよな」というところを『一般理論』から読み取ったのだと言いたかったんだろうけど。

 

飯田 ケインズが書いているのは、シュンペーターのイノベーションの話に近いですよね。ただ、アカロフとシラーの気持ちを想像すると、数理モデルもなければ論理的なモデルもちょっと薄いというときに、論理の代わりにケインズの名前を持ってくるのは仕方がない部分もあったのかも。

 

今回解説を書くにあたって読み直して思ったのは、ケインズが言っていることは行動経済学に近いということです。ぼくの解説に対してTwitterで、「ケインズのやろうとしていることって動学一般均衡行動経済学だったんじゃないか」と書いている人がいて、まさにそれだと思いました。すごく非合理的というよりも、たとえば、働き手と雇う側、貯金する側とそれを使って投資する側は、それぞれ別の論理で動いているんだということを強調している。ここがIS-LMにはあまり入ってないところで、なおかつ最近の行動経済学がよく研究していそうなところなので、この辺りにヒントがあるのかもしれない。

 

 

経済学が袋小路へ進む理由

 

山形 一方で、クルーグマンは『一般理論』の本質は静的なモデルであって、動学的な部分に注目するのは違うんじゃないかと言っていたりしますね。

 

飯田 たしかにIS-LMは比較静学モデルなんです。ぼくはいまだにIS-LMをどう評価していいのかわからないんですが、こういう思い出話があるんです。

 

ぼくの事実上の師匠である岡田靖さんがよく言っていたのは、「IS-LMは(「攻殻機動隊」に出てくる)村井ワクチンのようなものだ」ということでした。村井ワクチンは、もともとは丸山ワクチンをモデルにしたと言われている、「何だかわからないけど効く薬」です。IS-LMはそれに近くて、最終的に論理の部分で、どうして成り立っているのか微妙にわからないんですね。だけどIS-LMを使うと非常にクリアな説明を与えてくれたりする。それがIS-LMの怪しい魅力であり、使っていて怖くなっちゃうところでもあるんですよ。

 

山形 先ほどからぼくはDSGEについて話したりしていますが、実際は実務エコノミストなので、DSGEを使う場なんてほとんどないんです。途上国に行って「この橋を造りますか」とか、「あんたらの財政施策はどうしなきゃいけないですか」という話をするときは、だいたいIS-LMで用が足りるし、IS-LMでもちょっと難しいので、それをどう簡単に説明するのかが問題だったりするんですね。だからぼくはIS-LMについては、「あんなに使い勝手がいいものはないのに、何で学者さんたちはみんな悪口を言うんだろうな。もっと認めてほしいな」と思うんですよね。

 

飯田 ひとつは学者の性なんですが、教科書に載っていることを100本論文に書いてもまったく昇進や就職に結びつかないんですよ。だから新しいことを何か書かないといけない。新しいものを書きやすいのはフロンティア分野なので、どんどんマニアックな方向にいってしまうのはそのせいです。

 

もうひとつ、日本人の経済学者が論文を書く場合、英語の壁があることが多い。英語が下手なので、数学的に細かいところ、統計的に細かいところを打たないと、なかなかジャーナルに載らない。だから、どんどん細かく、マニアックなことをやる。

 

そして気がついたら実務エコノミストと学者がまるでコミュニケーションできない状態までいってしまっていた。そういうことがあるんです。

 

山形 その難しさは物理学も同じで、物理学ではガリレオの理論があって、ニュートンが一般化して、それをさらにアインシュタインが出てきて、だんだん広げてできたものです。でも現実の社会では、物理学が必要とされる大概の部分、たとえば建物を建てたり、ミサイルを撃つくらいはニュートン力学でこと足ります。ニュートン力学から外れる部分が問題になってくるのは、素粒子を加速器でぶつけるといったような特殊な状況に限られている。

 

経済学もそうで、最初にアダム・スミスが「見えざる手」と言ったところで世の中の8割くらいはカタがついちゃった。それ以降の経済学は、それに当てはまらない部分、どんどん特殊なところに注目していかざるを得なかったんです。

 

とことが、人々が経済学者のほうをたまに振り返るのは、何かすごく変なことが起きちゃって、「どうしたんでしょうか?」と聞きたいときです。そうすると、「見えざる手だ」と言うだけじゃ話にならない。そうでない場合の話をみんな求めているわけですから。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.265 

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