「一般意志2.0」実装の鍵はデータベース、ではない?

東浩紀氏の『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(以下『2.0』)はルソーの政治・社会思想に現代的な拡張を施すことで、新たな民主主義を構想する快著である。

 

未読の方のために説明を加えておくと、東氏の解釈によればルソーは『社会契約論』において、個々人の思考と嗜好を「特殊意思」と位置づけ、その特殊意思を単純に足し合わせたものを「全体意思」と名付けた。そして、互いに相反する特殊意思を、その際を保ちながら折り合いをつけたもの(ヘーゲル流に言うならば止揚したもの)が「一般意志」ということになる。

 

 

「一般意志」はすでに実現している?

 

この解釈によれば、個人の意思の発露を制限するのではなく、むしろ個人主義と自由主義を徹底することにおいてのみ、一般意思は形成される。

 

一般意志の全体意思に対する優位性は、『2.0』の冒頭に掲げられた、

 

 

「熟議もなければ選挙もない、政局も談合もない、そもそも有権者達が不必要なコミュニケーションを行わない、非人格的な、欲望の集約だけが粛々と行われる『もうひとつの民主主義』の可能性を説く」(p3、以下ノンブル表示は『2.0』の該当頁)

 

 

という宣言に集約されている。

 

そしてこの可能性が、現在の硬直化した政治に倦んだ多くの読者の心をつかんでいるようだ。情報技術が民主主義を変えてしまうかもしれないという仮説は、たしかにエキサイティングだ。

 

しかし、読み進むうちに経済学徒としてまた別の感想が生まれる。一般意志はすでに、というよりもとっくに社会のある分野には実装され、稼働済みである。その分野はマイナーな特殊例などではない。自由主義経済における市場均衡(より正確には競争均衡)こそが、ある程度機能している、一般意志にもとづくシステムの実例そのものではないのだろうか。

 

 

経済学の起源にみる「2.0」

 

権力の指令、またはコミュニティ内の慣習による財の分配から、個人の非人格的な選択の集積による財の配分へ。つまりは市場経済への普及と全面化により、現代につらなる経済システムがはじまった。

 

『社会契約論』(1762年)が公刊された18世紀中葉は、ブルジョワ革命と現代的な資本主義への移行という現代への諸前提が準備・萌芽された時期にあたる。

 

同時代の道徳哲学者であるアダムスミスの「公正観察者(impartial spectator)」と、その理念が実現される過程をあらわす「見えざる手(invisible hand)」の概念は、一般意志と非常に近接した社会の決定様式 ―― 個人の主体的な決定がつくる個人の際を担保しつつ個人の和を超えた全体が形成されるというビジョン ―― を提示している。

 

『道徳感情論』(1759年)に提示されていたこの「公正観察者」と「見えざる手」というアイデアが、『諸国民の富の性質と原因の研究』(1776年、いわゆる『国富論』)において財の生産・分配に適用されたことで、経済学は生まれた。

 

ひとたび「政治学の文脈における一般意志」と「経済学における公正観察者・見えざる手」の対応関係に注目すると、『2.0』における「一般意志」「政府2.0」「データベース」といったキーワードの多くが「市場」と可換性をもつことに気づく。

 

 

「政府と一般意志の関係は、選良と大衆という異なった人間集団の意思の衝突として捉えるべきものではない。『大衆の欲望』すなわち一般意志は、国民全体の発言や行動の履歴から統計的に現れてくるものであり、『大衆』という特定の集団がその担い手になっているわけではない。またそれはそもそも……啓蒙によってたやすく制御できるものではない」(p154)

 

 

ここでの「一般意志」は、そのまま「市場」に置き換えても違和を感じない。さらに「熟議の限界をデータベースの拡大により補い、データベースの専制を熟議の論理により抑え込む」(p143)というプロセスは、市場経済が国家を代替し、市場の失敗に対して政府の「見える手」による対処が要されるという、ミクロ経済学の教科書的な補完関係と対応する。

 

「大衆の欲望を制約条件として国家を統治する」(p147)ことの必要性は、市場の力を無視することが不可能な現代においては、もはやいわずもがなのことであろう。

 

 

 

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