データから見る夜の世界 ―― 『夜の経済学』はじめに

本書では夜の世界から僕らの幸福観、他者への厳しさ・やさしさまで―普段データで語られることの少ない領域について「とにもかくにもデータを集めてから考える」という基本方針で切り込んでいる。僕の専門である経済学、そして経済学に限らず社会科学的な研究では、

 

(1)データを収集する

(2)収集したデータを観察し、仮説を立てる(モデルを作る)

(3)仮説・モデルをデータにより検証する

 

というように、研究の入口と出口で「データ」を用いることが研究上のマナーみたいなものになっている。本書でも、この姿勢貫いてみようというわけ。

 

経験とカンで仮説を導いたとしても―いや、それならなおさら―仮説・モデルは何重にもデータにより検証しなきゃいけない。このような社会科学的な思考法をビジネスに応用することは非常に有用だし、最近では「統計学ブーム」に乗っかって、データを用いた思考法に関する本もたくさん出ている。

 

一方、普段の僕たちの生活のなかでは、データはそれほど重用されていない。というか、日常のたわいもない話題にまで社会科学者のような思考法で臨んでいたら身がもたない。その結果、「自身の損得に直結するわけではないけど、なんとなく興味がある」という話題については、いまだにメディア経由の情報・解釈・解説が大きな意味をもつ。結局みんな、それなりに「メディアをうのみにしている」ことが少なくない。

 

例えば、2章で取り扱うワリキリ(出会い系を利用した個人売春)。これについてのルポルタージュを依頼された新人ライターの気持ちを想像してほしい。ここはひとつ、できる限り読者の興味を引く、面白い事例を探して書いてやろうと思うんじゃないかな。だって、よくある、誰でも想像がつく話じゃ売れる記事にならないもん。そうして、「家庭環境は良好で、特にお金には困っていないが、自分探しのために売春をしている」とか、「勉学優秀で一流大学に通っていて、留学資金のために売春をする女子大生」みたいな、どちらかというと特殊な事例ばかりがメディアでは取り上げられることになる。つまり、

 

 

(1)珍しくなければニュースとしての価値が低い

(2)メディアには珍しい事例ばかり登場する

(3)メディアを通じて得られる情報は「珍しい事例」の集大成

 

 

という流れで、フツーの現実とはまた違うイメージを多くの人が共有することになる。

 

地味だけど、その典型的な事例が交通事故の報道だろう。最近ではテレビニュース、しかもキー局のニュースでさえ、交通事故が取り上げられることがある。ここまで読んで、30代以上の人ならピンとくるかもしれない。少なくとも20年前にキー局のニュースで報じられるのは、よほどの大事故(死者が何人も出ているとか)だけで、単独の死亡事故程度ではローカルニュースにさえ取り上げられなかった。

 

なぜか? 理由は簡単―それほど珍しくなかったからだ。1993年の交通事故死亡者数(警察庁資料・30日以内)は1万2000人以上、これが2012年になると4646人。2013年はさらにその数を減らすのではないかといわれている。

 

交通事故による死亡者はこの20年で3倍近く「珍しく」なった。仮に20年前、一つひとつの死亡事故に現在と同じだけの時間をとって報じていたら、テレビのニュースは交通事故情報番組になっていたことだろう。事故が当事者にとって悲劇的な事態であることは間違いないけれど、決められた放送時間、紙面のなかで取り上げられるか否かは、その「珍しさ」にかかっている。

 

ピーク時には年間3000件を超えた殺人事件の認知件数が1000件前後(未遂を含むため死者の数は400人ほど)に減少するにつれて、個々の殺人事件に関する報道が「厚く」なったのも同じ理由なんじゃないかな。

 

交通事故や殺人事件であれば、公式なデータで確認することが可能だ。そのデータを見たうえでなお、「とはいえ最近よく交通事故の報道を目にするし、本当は死亡事故は増えているのだろう」と思う人は少ないだろう(少ないだけでゼロではないようだけど)。ましてや、「近年の交通事故や殺人事件の増加」みたいなありもしない事柄を前提に、政策・規制が立案されるということはない。データの存在が「トンデモ」の増殖を抑え込んでくれるというわけ。

 

しかし、公式統計がない分野についてはそうはいかない。メディアに登場した「特殊例」と「標準的で一般的な姿」のギャップを埋める装置が脆い分野は山ほどある。

 

もちろん責任はメディアだけにあるわけではない。僕たちの認識は、容易に「歪む」。情報をインプットする段階で、都合の悪い情報は無意識的に排除されるのだ。これはわざとではなく、文字どおり自然に目に留まらないし、耳に入らない。一方、自分が望んでいたと思われる主張・解釈に近いネタは目につくし、「なんとなく読んでみようかな」という行動を通じてそれぞれの人のなかに蓄積されていくことになる。

 

仮に、「若者は現状に満足しているから幸福である」「若者は将来の希望がないから(けど)現状に満足する」みたいな言説があったとしよう。「自身の分をわきまえてつましく暮らすべきだ」という良識派(?)にとって、このテの主張は大変心地よい。「がむしゃらな成長や未来への希望、はては経済成長を捨ててこそ”人間の本当の幸福”があるのだ」という結論に達するためにこのネタは「使える」。

 

反対に、「最近の若者は将来への夢もなくフラフラしているくせに、ヘラヘラ楽しそうにしていてけしからん」という頑固オヤジ派にとっても、「若者は現状に満足しているから幸福である」という言説は、「だから最近の若者はダメなんだ」という自説補強の材料として「使える」。

 

ここで、良識派、頑固オヤジ派ともに、当初の「将来への希望がないから幸福である」という言説、そのものの検証をスルーしていることに気づいていただきたい。両者ともに、当初の話の妥当性は考えず、さらにはもともとの発言者の意図なんておかまいなしで、自分の話のダシとして利用するわけだ。その結果、根拠のない言説について、これまたたいした根拠のない話が積み重なっていくという頭がイタくなるような展開になってしまうわけだ。

 

本書の4章では大学生への意識調査を通じて、平均的にはどのような若者が「自分は幸福だ」と感じているのか―を考えている。データの範囲は首都圏の大学生に限定されてはいるが、少なくともそのなかでは「若者は将来の豊かさという希望がないから(けど)幸福である」とは正反対の結論が得られた。

 

メディアで目立つものを世の中における標準的な姿ととらえる危険性、自分の考え方の補強に好都合な話ばかりを信じる危うさ。そういう傾向から抜け出すのは容易なことじゃない。そして間違った認識が繰り返し繰り返し語られることで、ガセネタもいつの間にか多くの人にとっての「常識」に転化する。うそから出たまことであっても、「常識」に転化してしまった(誤)認識をひっくり返すことは、とてつもなくハードなことなんだ。

 

「自分にとって直接の損得に関わらない話だから大目に見ればいいじゃん」と思う人もいるだろう。けれど、今は関係がなくても、将来のいつか、自分だけではなく自分の親族にとっての損得に直結したとき、その「常識」は最強の怪物となって私たちに襲いかかる。仮に、やむを得ぬ事情で売春を行うようになったとき、「ワリキリって楽して贅沢したい女の子がやってるんでしょ」という世の中の空気がどれほどに残酷なものか想像してほしい。5章で取り扱う生活保護の問題についても話は同じだ.

 

 

夜の経済学(オビアリ)

 

 

 

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