リフレ政策とは何か? ―― 合理的期待革命と政策レジームの変化 

ハイパーインフレの終焉と政策レジームの変化

 

(この節の要約)トーマス・サージェント教授の若き日の論文「四大インフレーションの終焉」は「ハイパーインフレーションの終焉には政策レジームの変化(政策ゲームのルール変更)が必要であり、それに伴うインフレ期待の低下が重要な役割を果たした」ことを指摘している。

 

ハイパーインフレはしばしばセンセーショナルに取り上げられる(世界史の教科書にも載っている)ため、多くの人の記憶に強く残っているようであるが、「ハイパーインフレーションがどのように終焉したか」を知っている人はあまり多くない。

 

サージェントの若き日の論文「四大インフレーションの終焉(以下、四大)」は、その「ハイパーインフレの終焉」について合理的期待と政策レジームを用いて分析したものである。その論文の中でサージェントはよく知られたように(1)ハイパーインフレは政府・中央銀行が財政をまかなうための「貨幣の過剰な発行」をした結果(この行為を「財政ファイナンス」という)であること、(2)ハイパーインフレは政策レジームの変化(変更)によって終焉したことを指摘している。

 

政策レジームとは「政府・中央銀行が政策を実行する上で守っている戦略やルール(複数形)」のことであり、政策レジームの変化(変更)とはそれらの「(政府・中央銀行の)戦略やルールを変えること」である。つまり、「政府・中央銀行が、財政赤字を垂れ流し、それを貨幣発行でまかなう」という戦略やルールを採用していたことがハイパーインフレを引き起こし、逆に「政府・中央銀行が、財政赤字の垂れ流しを止め、財政赤字を貨幣発行でまかなうことを止める(要は財政ファイナンスを止める)」という戦略やルールを採用したことでハイパーインフレは終焉したのである(サージェントは「政府・日銀(中央銀行)がある戦略やルールに従って行動している時、民間部門(日々働く皆さんや会社)はそれに反応して行動する」というゲーム理論の考え方を応用している)。

 

さらに、その「四大」の中でサージェントは「ハイパーインフレが終了した後も、(実は)急速な貨幣成長が続いていた」ことを指摘している。通常であれば、急速な貨幣成長が続いていれば、ハイパーインフレもしくは高インフレも続いているはずである。しかし、ハイパーインフレは突如として終了した。サージェントは、その理由を政策レジームの変化に伴うインフレ期待の低下で説明した。(当然のことであるが、「2011年ノーベル経済学賞に関するスウェーデン王立科学アカデミーによる説明書(Scientific Background)」にはサージェントの受賞理由として論文「四大」と政策レジーム変更に関する研究が挙げられており、これらの知識は現代マクロ経済学の常識となっている)。

 

サージェントの「四大」の要点を述べると(1)ハイパーインフレを生み出す財政ファイナンスは好ましいことではない、(2)ハイパーインフレを終焉させるには政策レジームの変化(変更)とそれに伴うインフレ期待の安定化が重要である、ということになる。

 

 

大恐慌と昭和恐慌

 

(この節の要約)岡田・安達・岩田(2004)、飯田・岡田(2004)は昭和恐慌時のデフレ脱却に政策レジーム変化とインフレ期待(デフレ期待からインフレ期待への変化)が重要な役割を果たしたことを発見した。

 

サージェントの「四大」で提唱された「政策レジームの変更とインフレ期待の変化」はハイパーインフレがテーマであったが、それを全く逆とも言うべき1930年代の「デフレーションと大恐慌」に応用したのは、Temin and Wigmor (1990)である(Teminは現Bernanke FRB議長らと並び称される大恐慌研究家)。彼らはその論文では「ルーズベルト大統領登場による政策レジームの変更」により大恐慌からの脱出を解明している。

 

それと同様なことが昭和恐慌の高橋是清の登場によって起こったことを岡田・安達・岩田(2004)、飯田・岡田(2004)は指摘している。高橋是清と言えば、日銀引受による積極的な貨幣発行と財政政策によって昭和恐慌のデフレと不況を解決した、いわゆる「高橋財政」で知られている。それに対して岡田・安達・岩田(2004)、飯田・岡田(2004)は「昭和恐慌のデフレからの脱却は、日銀引受(つまり積極的な貨幣発行)が実行される前に実現した」ことを指摘している(なお、政策レジームの変更という視点でリフレ政策が語られた最初期の論文の一つに岡田・安達・岩田(2002)があり、現在[2012年]から約10年前のことである)。

 

以下、岩田規久男編(2004)「昭和恐慌の研究」(東洋経済新報社)終章(pp. 281)からの引用:

 

 

昭和恐慌からの脱出の歴史から学ぶべき教訓の第1は、デフレ下では、まず、デフレ予想を払拭して、インフレ予想の形成を促す経済政策が不可欠だということである。(中略)第6章によると、1931年12月の金本位制からの離脱宣言の直後の11月に予想インフレ率は20%程度に上昇したものの、その後、金融政策の転換がなかったために、12月以降になると徐々に低下している。ところが、1932年3月に、国債の日銀引受け方針が報道されると、翌4月には、予想インフレ率は前月に比べて10~15ポイントも上昇し、3ヶ月にわたって30%を超える水準が維持された。すなわち、予想インフレ率の大ジャンプが生じたのである。

 

実際には、国債の日銀引受けは同年の11月から始まり、期末国債残高に占める日銀保有国債の比率は、日銀引受け前には4%程度だったものが、1932年末の引受け開始後は9%程度へと大幅に上昇した。【しかし、予想インフレ率は国債の日銀引受けが実際に行われてからではなく、その方針が発表された段階で、大きくジャンプしたのである。】この歴史的事実は、次に述べるアメリカの大不況のケースと同じように、金融政策への明確なリフレへのレジーム転換の宣言こそが、インフレ予想の形成のために不可欠であることを示している。

 

 

つまり、彼らの研究は「昭和恐慌時のデフレ脱却は政策レジームの変更とインフレ期待(デフレ期待からインフレ期待への変化)によって成し遂げられた」ことを示唆している(さらに彼らの研究の中では「二段階レジーム・チェンジ」(その原型はテミンらの研究に基づく)という枠組みが提唱されているが、紙数の関係上省略する)。

 

リフレ政策とは、サージェントやテミンらの研究を踏まえ、上記のような「昭和恐慌の研究」から生まれた政策である。

 

 

 

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vol.2019.4.15 

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