留年制度は効率的で効果的か?

留年制度の代替となりうる教育政策

では、留年制度の代替となりうる教育政策として、どのようなものが考えられるだろうか。1つはOECDの文献が提唱したように、留年対象児童への集中的な介入であり、もう1つは、留年対象児童をそもそも発生させない方法である。

まず、前者を検討する。留年対象児童への集中的な介入方法として、留年の対象となりそうな児童に対する少人数学級の導入・放課後の補習授業や長期休暇中の特別補講の実施・両親との緊密な連携などがあげられる。

このなかでも、とくに長期休暇中の介入は重要である。アメリカで、貧困層の児童に対する、就学前教育による介入の効果を検証しようとした論文は、就学前教育修了時には就学前教育の効果が認められるものの、就学前教育終了から小学校入学までの長期休暇中の貧困層の家庭教育がきわめて不十分であるために、小学校入学時には就学前教育の効果が大幅に減少してしまい、1年生と2年生のあいだの長期休暇を経験したころにはそれが消滅してしまう、という問題があることが明らかにされている。

つまり、アメリカでは低学力児童に長期休暇をどのように過ごさせるかが、低学力児童の学力向上を考える上で肝要、ということである。日本でも、低学力層と家庭の教育力が弱い低所得者層がかなりリンクしていると考えられるため、長期休暇中の学習活動を家庭教育にすべて委ねるのではなく、学校教育が特別補講の導入などで積極的に介入することにより、低学力層の子どもたちの学力改善にある程度の効果が期待できると考えられる。

集中的介入のコストであるが、直接費用はほとんど発生しないし、間接費用はまったく発生しない。また、生徒たちが夏休み期間中であっても、フルタイムの教員は職務専念規定があり通常勤務であることから、長期休暇中に低学力層に補講を行うことの追加的コストはあまり発生せず、政府補助金の増加も留年に比べれば小さなものであると考えられる。

次に後者を検討する。留年が低学年の同学年内で相対的に幼い男子に顕著に見られることをUNESCO-IIEPとIAEの報告書は指摘していた。これは、低学年の早生まれ男子に多く留年の傾向があるということで、相対年齢効果という観点から説明することができる。

相対年齢効果とその対策については今後機会かあればまた詳しく書こうと思うが、簡単に説明すると、4月生まれの子どもと3月生まれの子どものあいだにはほぼ1歳の差があり、小学校入学時点で4月生まれの子どもは3月生まれの子どもよりも20%長く生きている。これは、IQに換算すると15程度もの差になると言われている。そして、男子は女子に比べて成長が遅いために顕著にこの影響が見られる。UNESCO-IIEPとIAEの報告書が指摘しているのはまさにこのことである。しかし、近年の相対年齢効果に関する研究を見ると、早生まれで成長の遅い児童の入学を1年遅らせることで、このような不利が解消されることが指摘されている。

早生まれで成長の遅い児童の入学を1年間遅らせることのコスト面に関しては、留年と同じく労働期間が1年短くなってしまうために、間接費用は留年同様発生してしまう。しかし、直接費用と政府補助金に関しては増加がない。それゆえ、早生まれで成長の遅い児童の入学を1年間遅らせることのコストは、留年制度の導入よりもコストを抑えることができる。

 

 

まとめ


以上の事から、留年制度の導入はコストが高くつく上に効果がほとんど認められず、低学力児童の学力向上策としては、不適切な教育政策であることが予想される。しかし、上記の結果が完全に日本に当てはまるとはかぎらない。日本の児童がアメリカの児童と異なり留年によって自尊心が傷つかず、友人関係も壊れず、学校を嫌いにならない可能性は、研究結果がないことには完全に破棄することができない。また、上記で紹介した報告書がレビューしている研究は、同年齢内の似たような成績の児童を比較対象としているが、より厳密なマッチングを用いた推計が必要だと感じられる。このため、日本においてもこの分野での研究が必要だと考えられる。

しかし、留年制度の代替足りうる教育政策は、留年制度よりもコストが低いだけでなく、留年制度のような負の作用が存在しない。これに他国の経験をあわせて考えると、やはり留年制度を導入することは低学力児童の学力を向上させるために効果的でもないし、効率的でもないという判断を下すのが妥当だと思われる。また、何よりも、成長という観点から1日1日が大変重要である児童に、その日の放課後や長期休暇に学び直しの機会を与えるのではなく、わざわざ1年も待って学び直しの機会を与えなければならない必要性はまったくない。日本の自動進級制は今回紹介した報告書でも良い実践として紹介され、国際的にも高い評価を得ているのに、あえて留年制度を導入するという改悪を行う必要はない。

世界的に見ても、自身の学歴・学校歴の高さがもたらすバイアスと国際的な経験の豊富さから、教育政策関係者は高学力の児童・生徒を国際的な競争に勝ち抜けるように伸ばすことに注力しがちである。さらに、大学生の人数をめぐる論争が示すように、近年の日本にはできない子どもや人間に教育を施す必要はないという誤った風潮が見られる。たしかに、留年制度は低学力児童の成績向上のための教育政策としては適切ではない。だが、そうした風潮のなかで、低学力児童に対して早期に対処をしようとするその姿勢自体は、高く評価されるべきものであると考える。

(本記事は筆者個人の見解であり、所属機関を代表するものでも、所属機関と関連するものでもありません。また、立場上謝金は受け取っておりません。)

 

 

 

 

シノドスのコンテンツ

 

●ファンクラブ「SYNODOS SOCIAL」

⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

 

●電子メールマガジン「αシノドス」

⇒ https://synodos.jp/a-synodos

 

●少人数制セミナー「シノドス・サークル」

⇒ https://synodos.jp/article/20937

 

 

 

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.263 

・武井彩佳「ホロコーストを学びなおすための5冊」
・児玉聡「ピーター・シンガーの援助義務論」

・穂鷹知美「「どこから来ましたか」という質問はだめ?――ヨーロッパから学ぶ異文化間コミュニケーション」
・岩永理恵「生活保護と貧困」
・迫田さやか「挨拶をしよう」
・山口浩「自粛反対論と「戦士」の黄昏」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(7)――「シンクタンク2005年・日本」立ち上げ期」