鉛筆が苦手ならキーボードを使えばいい――読み書きの困難な子どものICT利用

世界を変える、フロンティアを応援する『DO-IT Japan』

 

東大先端研では、全国の障害のある子どもたちを毎年選抜して、様々なセミナーやワークショップ、オンラインメンタリングなどのプログラムに参加してもらう『DO-IT Japan』を2007年から続けています。DO-IT Japanでは参加者の障害種別を問わないので、色んな障害の方が参加していて、読み書きの障害のある生徒もたくさんいます。

 

今年の選抜では、中学生が3人、高校生が7人、大学生が3人選ばれました。ぼくたちは選抜された生徒たちを「スカラー」と呼んでいます。彼らは年間を通じたプログラムに参加することができます。リソースの関係もあって、スカラーはたくさんはとれないんです。でも、例えば夏休みに数日間にわたって行う夏季プログラムの一部だけに参加したり、メールマガジンなどを通じた情報提供が得られる『DO-IT Kids』というアウトリーチ・プログラムもあって、そちらには今年だけで400名弱の登録がありました。

 

ぼくたちは、DO-IT Japanを、障害のある人を助けるためのプログラムとは考えていません。誰かに助けられる存在ではなく、独特の価値や主張を持っている存在で、その視点から一緒に世の中を変えていく……多様な人が参加できる社会のあり方を問いかけたり、作り上げていくような、社会のリーダーとなっていく人を育てるプログラムだと考えています。

 

DO-IT Japanのプログラムでは、音声読み上げやキーボード等、テクノロジーを利用した様々な学習方法を教えて、参加者は自分たちなりの学びの方法を知ります。自分なりのやり方があるんだ、この方法なら自分は学んでいけると実感したり、そういう方法で学んでいる仲間たちの存在を知ると、ガラッと変わる子どもたちがいます。本人が実感する前に親や支援者などの外部が求めるのではなくて、学校でも「ぼくはこのやり方で勉強したい」と自分で訴えるようになります。

 

先生からしてみれば、「またそういう努力しない方法を身につけてしまった。でも本当は頑張ればできるようになるはずだ……」という考えが拭えないのかもしれません。

 

でも、最初から「学校の配慮がない」「社会の理解がない」と言ってばかりでもしょうがない。「まずあなたがフロンティアになりなさい」と応援をしていまず。実際、一度前例ができると、日本ではその後はすんなり使用許可が通ったりするようになったりもします。

 

 

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(C) 青木遥香

 

 

――どのような「前例」をつくってきたのですか。

 

今年初めて、大学入試センター試験を音声(代読)で受けたのも『DO-IT Japan』のスカラーです。視力に障害はありませんが、ディスレクシアという印刷された文字を読むことに障害のある生徒でした。その生徒は中学校、高校と、テクノロジーを使って学んできたのですが、その経緯が評価されてのことといえます。

 

ただ、実は視覚障害のある人では、音声でセンター試験を受けたことのある人はまだいないようなんです。今年DO-IT Japanに参加したスカラーに、視野欠損という視覚障害のあるスカラーがいます。

 

彼はもともとある国立大学の医学部で勉強していて、医学部在学中に網膜の病気が発症して中心視野が見えなくなりました。周辺視野は残存しているので、その残った視力を活用して、歩きまわったりといったことはできるんです。でも文字を認識するのに必要な中心視野が欠けているので、印刷された文字は読めない。普段は音声読み上げを使っています。彼はまた医学部に入って学びを再開したいと言っていて、ぼくらも応援しているところです。

 

 

――点字のテストはあったのに、音声読み上げは無かったんですね。

 

そうなんです。視覚障害者のうちで点字が読める人は1割程度と言われています。中途失明者にとって、特に大人になってからの点字の習得は、非常に困難であると言われています。点字を本当の意味で活用できるように習熟するのはとても大変です。十分に習得できない点字を使ってしかテストを受けられないのはフェアではないと思います。音声を利用して受験する機会も得られるべきでしょう。

 

また、今年もう一つブレークスルーがありました。『DO-IT Japan』のスカラーで、すごく勉強が好きで高校に行きたいのだけど、発達性の書字障害があり、鉛筆で字を書くことがとても困難だった。その生徒が、進学校である神奈川県立弥栄高等学校に、教科試験でキーボードを使って受験することが認められて合格したんです。

 

彼も中学時代から、学校の支援を得てキーボード使って学んできた生徒でした。神奈川県の教育委員会の方たちが彼のニーズとその経緯を認めてくれての実現だったと思います。ワープロを使って学力試験をやるなんてありえない、ってみんな思っていたけど、それができた。

 

理解力や読解力が高くても、文字を書くことだけが困難な人って相当数いるんです。でもそういう人は、文字や言語の理解能力が低いとか、勉強が向いてないとか、そういう誤解をされることも多い。なかなか進学まで結びつかないケースが多かったんですけど、やっとこういう人たちが出てきました。

 

さらに、今年、書字の障害がある『DO-IT Japan』のスカラーが、東京大学に進学しました。前例がなくワープロは認められなかったのですが、書字の困難が認められ時間延長の配慮が提供されたのです。

 

『DO IT Japan』のスカラーたちが少しずつ風穴を開けようとしています。

 

 

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(C) 青木遥香

 

 

フェアじゃないのは好きじゃない

 

――先生はもともと心理学が専門ですよね。どうしてこの研究を始められたのですか。

 

心理学の研究の傍ら教護院(現在の児童自立支援施設)に、夜間に家庭教師として勉強を教えに行っていました。そこには中学校くらいまでの、いわゆる非行少年・少女が暮らしていました。

 

彼らの中で、勉強に対してすごく熱意があるし、話す内容もしっかりしているし、「俺、高校行って人生やり直したい」と言うのに、長い文章を呼んだり算数の文章題を解いたりするとどうしても理解できない部分がある。そのころは学習障害という言葉自体も広くは知られていなかったし、勉強ができない奴は頭が悪い、仕方がないと素朴に言われていた時代でした。

 

実はぼくも同じように思っていたんですけど、ある時、心理学の海外の文献を読んでいたら、「Learning disability」という単語がありました。なんだそれは?って疑問に思って調べてみると、「全体的な知的能力は高くても、ある特定の部分、読む力・書く力・計算する力がカタンと落ちている」という意味でした。ぼくが教護院で出会った子たちの顔がどんどん浮かんできました。

 

人間は平均的な力を持っていることを暗黙の前提としています。読むことが非常に流暢なに出会えば、書くことも流暢だろうと素朴に想像してしまう。読み書きがとても得意な人に出会えば、計算もそつなくこなすだろうと想像してしまう。能力のどこか一部分だけ極端にできないなんて、あまり想像できないんですよね。

 

むしろ、どこか特定の部分に極端な苦手さのある人に出会うと、能力全体が低い人だろうと暗黙のうちに想定してしまう。そんな間違った信念を思わず持ってしまうことが多いのが人間です。

 

けれども、そうした能力のデコボコのある人はむしろ当然のように存在しているという構えを持っていれば、そうした人に出会った時の理解のあり方は変わってくる。LDのように能力のデコボコのある子ども達が相当数存在していると当時から国際的にも言われていて、日本にもその概念が入ってきはじめていた頃でした。

 

そこで海外では音声読み上げなどテクノロジーを使って学んだり、社会参加しているということを知って、大変驚きました。それからテクノロジーを利用して何かやろうと考え始めたわけです。

 

あなたがもし、鉛筆で読み書きすることそれに向いていない人に出会ったら「できないんだ。かわいそうだね。」「頑張ろうね」と考えてしまいませんか?しかし、もし、別のやり方を当然のこととして認めていけば、将来あなたよりずっと素晴らしい論文を書くかもしれないし、仕事の業績を上げるかもしれない。

 

テクノロジーは日々、発展しています。

 

それを利用したら障害がなくなるのであれば、うまく活用して、教育を受け機会のような基本的な権利は保障されてほしい。保障されないのであれば、フェアじゃないなって思います。

 

ぼくは障害のある人を助けたいというよりも、そういうフェアじゃないのが好きじゃないんです。

 

 

議論のテーブルに

 

――たとえば、印刷物障害がある子どもに、試験時間を長くする措置が取られたとして、そこに対して「不公平だ」なんて声が上がる可能性もあると思います。そこに対してはどうお考えですか。

 

教職員の前で講演をすることがあるのですが、「その一人の子だけを特別扱いできない」なんて声をいただくことは多々あります。

 

もちろん、障害のある人はニーズが千差万別なので、全部に完璧に対応するのは論理的に不可能です。

 

でも、ぼくは「機会の平等」のために議論のテーブルにつくことが大事だと思っています。あくまで「合理的な配慮」をすると。

 

例えば、ものすごくお金のある学校だったら「全員にタブレット配ってしまおう」となるかもしれませんが、お金がないから全員に平等には買えない。だったらタブレットの利用は全員平等に認めないようにしよう!じゃなくて、障害のある生徒が、紙と鉛筆が前提となっている環境で対等に学んでいくために、自分が普段使っているタブレットを持ってくることを認めることはできるかもしれない。

 

視覚障害の生徒のために、図書館の本の全部を点字対応にすることはできないかもしれませんが、その生徒が音声読み上げの機能のあるデバイスを学校で使うことを認めたり、その生徒が必要な文書だけは電子データでできるだけ用意するように配慮することはできかもしれない。

 

いきなり学校の建物全部をバリアフリーにしたり、全棟にエレベーターをつけるのが無理なら、車いすを使う生徒の教室を、エレベーターの要らない一階の教室にしてもらうなどならできるかもしれません。

 

どこまで出来るのかはケースバイケースでしょう。でも、学校などの機関が、障害のある個人にどこまで配慮できるかをポジティブに考える議論のテーブルにつくこと、それが当たり前になっていかなければ、少数のニーズは無視され、結果として障害のある人は社会から排除されていってしまいます。

 

それは仕方ないことなのでしょうか?実は、こうした障害を理由とした排除は特別な理由がない限り禁止したり、必要で適当な変更や調整は可能な範囲で行うように合意形成することを法的な義務にしていこうという動きが国際的に広まっています。国連の障害者権利条約という国際条約がそれにあたります。

 

日本も、この条約にもとづいて、障害者差別解消法などの法整備が進みました。2016年の4月から、学校や職場などでの障害があることを理由として排除することは禁止されますし、特に公的な場所では、合理的配慮(=過重な負担にならない範囲で、社会参加の障壁となることを除去するために、必要で適切な変更や調整を行うこと)を提供しないことが禁止されます。

 

学校によって対応に濃淡は出てくるでしょう。「あの生徒には配慮してこなかったから、この生徒にも不平等になるから配慮はできない」といわれることもあります。でも、その手の平等感に基づいたためらい方はしなくていい。

 

合理的配慮の定義の中に「個別の状況で、その障害のある人の個別のニーズに基づいて必要とされる適切な変更や調整を行う」という概念があります。個別のニーズに対応して構わない。だからこそ、その人とどういうニーズとそこへの対応があるのかを話し合っていくことが大事だし、あまりにも過剰な負担は合理的配慮とは認められないことになっている。

 

 

――これから、教育現場にICTの導入が進んでいくためには、どのような環境が必要なのでしょうか。

 

障害のある人のための、何か特別な機械が必要というわけではありません。いま、タブレットやスマートホンが普及していますが、書けない子どもは板書の撮影をOKにするだとか。読み上げ機能やキーボード入力を使うことを可能な範囲で認めて、そうした修学方法をとることが選べるような環境をつくることが重要でしょう。

 

でもそこに、人の心のバリアがあるのは事実。そこのバリアを超えることが最終的には教育のアクセシビリティ保障に繋がっていくのだと思います。

 

奇異の目で見られているものは、どこかにあるはずの特異点を越すと、当たり前のものになっていく。パソコンだって、携帯電話だってそうでしたよね。

 

昔は会議の場でもパソコン広げてたら「おい君、失礼だろう、閉じたまえ」って注意されていましたが、今だとどうでしょうか。会議室にパソコンを持ち込む人があからさまに奇異に見られるとは、特別な場合を除いては考えにくい。

 

教育の分野でも、障害のある生徒や学生がテクノロジーやその他の配慮を活用して参加することが、多くの人に知られるようになってくる。これからの時代を生きる子どもたちは、クラスメートにそういう学び方をする友達がいるわけですから。すると、これまで奇異の目で見られたり、容認出来ないといわれていたことが、だんだんと当たり前のこととして認められてくると思っています。

 

どこかで特異点を超える。ひいてはそれが、自分とは違っていても、多様な人の権利を認めて、公平にお互いの合意点を探ろうという態度だったり、多様な人を受け入れることができる社会につながっていくと考えています。

 

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

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発行明治図書出版

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カテゴリー単行本

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