学校なんか行っても意味がない?

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3.学歴・学校歴は労働市場でシグナルとして本当に意味を持っているのか?

 

シグナリング理論は、労働市場と教育市場の二つの市場から成り立っていることはすでに説明しましたが、前章の内容は教育市場からのアプローチでした。ここでは、労働市場からアプローチした研究を紹介しようと思います。

 

ギリギリでとある学歴を取れた人と、ギリギリでその学歴が取れなかった人を比較すると、RDの記事で説明したように、能力値に関係なく疑似的にランダムに卒業証書が割り振られているので、前者の賃金が後者の賃金よりも平均して高ければ、それは卒業証書そのものにも価値があるということを示し、教育にシグナルとしての価値があることの実証になります。

 

これを分析したのが、Clark, D., & Martorell, P. (2014). The signaling value of a high school diploma. Journal of Political Economy, 122(2), 282-318.という論文です。テキサスでは、高校を卒業するためには高校卒業試験に合格する必要があるのですが、試験があるということは、ギリギリ合格ラインを上回って卒業証書を手にできたグループと、合格ラインをギリギリ下回って卒業証書を手にできなかったグループが存在することになります。

 

 

 

 

上の図で0のところが合格ラインですが、先ほどのイギリスの義務教育修了年齢の延長の図のようには、ラインがピョコンと跳ねていないことが読み取れると思います。つまり、ギリギリ卒業証書を取得できた層とできなかった層で、賃金には差が存在していなかったことになります。これは卒業証書そのものに価値はなかったということになります。それゆえ、学歴にシグナルとしての価値がそれほど無かったという結論になります。

 

他にシグナリング理論が成り立っているか確かめる方法として、同じ学位だけどその中身が変わったときに、その学位の価値が変わるかどうかを見る、というのも考えられます。これの良い例が私の在籍する大学院だと思います。ミシガン州立大学教育大学院・教育政策コース(Ph.D.)は、確かにもともと副専攻(concentration)として教育経済学を用意していたのですが、3年前にカリキュラム再編が行われる前までは、計量分析の要素がそれほど濃くはないコースでした(コースのトップの先生が歴史学の先生でしたしね)。

 

しかし、カリキュラム再編が行われた後は、計量経済学6単位・上級教育経済学3単位が必修になったのを筆頭に、かなり計量分析の色が濃く、教授陣の顔ぶれも教育経済学が主流になりました。もしシグナリング理論が優勢なのであれば、カリキュラムが変わろうとも、価値があるのはミシガン州立大学の教育大学院のPh.D.という学位なので、卒業生の賃金に大きな差は出ないはずですが、人的資本論が優勢なのであれば、卒業生全員が計量分析がバンバンできるようになっているので、カリキュラム再編の前後で卒業生の賃金に何らかの影響が出るはずです(上昇だと良いんですけどね)。

 

これと同じような仕組みを分析したのが、Arteaga, C. (2018). The effect of human capital on earnings: Evidence from a reform at Colombia’s top university. Journal of Public Economics, 157, 212-225.という論文です。

 

コロンビアのトップ大学の経済学部と経営学部でカリキュラムの再編が行われました。大学院に進学する学生を増やすために、これまで4.5年だった年限を4年に短縮し、卒業に必要な単位数も約20%近く削減しました。しかし、コロンビアのトップ10大学の中でこのような改革を行ったのはこのトップ大学だけですし、改革の前後で入学者の学力もほぼ変化がありませんでした。ここで、先ほども言及したDifference-in-Differenceの出番です。

 

もし、コロンビアのトップ大学という名前(ありきたりの表現を使えば、コロンビアの東大)と経済学という学位名に価値がある、すなわちシグナリング理論が優勢なのであれば、たとえ卒業に必要な単位数が20%減少しようが、その前後で他のトップ10大学の卒業生と比較したときの相対的な賃金に変化はないはずです。

 

しかし、人的資本論が優勢なのであれば、やはり身に付けている知識やスキルが減少しているので、同じ大学・学部の名前の卒業証書を受け取っていると言えども、カリキュラム再編の前後で卒業生の相対的な賃金が減少しているはずです。

 

では結果はどうだったのかというと、可哀そうなことにカリキュラム再編によって卒業生の相対的な賃金が15%も減少してしまいました。卒業生の就職先の「就職偏差値」が低下したり、中央銀行への就職が減ったりと、就職率に変化はなかったものの、就職先が劣化したために賃金が減少してしまった、というものです。つまり、学校歴や学位名そのものが価値を持つというよりも、やはりそこでどのような知識やスキルをどれだけ身に付けたかが効いてくるということになります。

 

 

4.まとめ――学校なんか行っても意味が無いのか?

 

研究の局地性

 

今回紹介した研究の結果を見ると、「学校なんか行っても意味が無い」というわけではない、と言いたくなりますが、これには留保が付きます。なぜなら、今回紹介した研究はそれぞれ局地性を持ち、それを継ぎ合わせても、まだ学校教育全体について語るには不十分だからです。2節で紹介した研究を基にすると、義務教育の拡充には意味があると言えそうです。しかし、3節で紹介した研究は、トップ大学と高校を卒業できるかどうかという、学校教育の両端であり、これらの研究からは平均的な学生たちが受ける高等教育について何か語るのは難しい所があります。

 

教育政策という観点からは、今後、とくに以下の3つの教育政策がシグナリング理論が優勢なのか、それとも人的資本論が優勢なのか、検証があると良いなと思います。

 

A.College for All:トランプ政権に代わって話が立ち消えになりつつありますが、オバマ政権が、コミュニティカレッジを無償にすると宣言しました。「高学力だけでは不十分な時代に求められる「教育とスキル」は何か」という記事の中で、中程度のスキル需要が減って、高スキル・低スキルの仕事が増加していることを紹介しましたが、この現象に照らし合わせると、4年制大学へのトランジションを除けば、コミュニティカレッジレベルの教育水準が一番求められていないのではないかという感じがします。もしコミュニティカレッジの教育投資収益率が大きなプラスなのであれば、そこは高卒労働者よりも能力値が高かったからではないかという検証が欲しい所です。

 

B.大学の専攻別の教育投資収益率:3節で紹介した研究は経済学部と商学部でした。教育投資収益率のもっとも高い学部ともっとも低い学部を比べると、高卒と大卒以上の教育投資収益率の差があると言われています。シグナリングと人的資本の割合が学部によって違うのか、興味があります。

 

C.教員の修士号:米国では教員に修士号を取らせよう、そしてそれを金銭的に動機づけようとしている州が見られますが、教育大学院での教師教育は本当に教員たちにスキルと知識を身に付けさせているのか、それともただたんに修士号という修了証書を手渡しているだけなのか、教育学部に所属する者としては検証していく必要があるだろうなと感じます。

 

 

セレクションバイアスの予想は正しいのか?

 

話は大きく変わりますが、ここで興味深い現象を紹介したいと思います。イギリスの義務教育修了年齢の延長について分析した論文は、セレクションバイアスを考慮した結果は、考慮していない結果よりも、教育の収益率が高いことを示しています。もう少し分かりやすく言うと、バイアスのかかり方が、「教育が個々人の能力を高めるのではなく、もともと能力値の高い個々人が教育を受けていた」というよりも、「何もコントロールしないと、より能力値の低い人が教育を受けていた」という感じになります。

 

これに疑問を抱いた教育関係者の人がいたら、教育中心主義が過ぎると思います。例えば、ビルゲイツもホリエモンも、それぞれハーバードと東大を中退していますが、もともと能力値が高い人が教育を受けても、それ以上能力値が上がらないどころか単なる時間の無駄にしかならないでしょう。

 

もう少し身近な例も出すと、私がユニセフ本部にいたときの教育エコノミストのチームは誰も博士号を持っていませんでしたが(厳密には一人いましたが、数理物理学という開発とも経済とも教育とも関係ない分野でした。彼女を見て世の中には世間のイメージ通りの天才がいて、自分は全然そうではないんだなと理解しました)、ユニセフ内でも有名なチームでした。

 

では、なぜそのチームの中で私だけが博士課程で学校に戻るという選択をしたのかというと、私の能力が他のメンバーに比べて低かったので、それを補う必要があると判断したからです(言い訳をしておくと、専門性はまったく見劣りしないのですが、コミュ力や、仏語圏出身である私以外のメンバーたちが持つ人脈力を考えると、専門性が見劣りしない程度では総合力で敗北するので、専門性を他のメンバーたちとは段違いというレベルにまで引き上げる必要があると判断しました)。

 

個人的には大変残念な例ではありましたが、もともと能力値の高い個々人が教育を受けているとは限らず、能力値の高い人の中には自分には教育が必要ないと決断する人もいるし、能力値が低いからこそ教育が必要だと決断する人たちもいる、というのは認識しておくべきでしょう。

 

 

適切な教育を

 

国際教育協力をしていると、人々が教育を受けるのはつねに良いことである、と思いがちですが、シグナリング理論の議論は本当にそれでよいのか問いかけてきます。古典で言うとドーアという学者が、途上国では産業発展の速度以上に教育開発の速度が速く、高校を出ても仕事が無いから大学へと進学し、大学卒業後に結局、高卒程度のスキルや知識しか要求されない職に就くという、シグナリング理論と同じライン上に存在する途上国におけるDiploma Disease(学歴病)の存在を指摘していました(先進国だと、大卒を工場労働者にすると、高卒労働者よりも生産性が低かったことから、Over Educationの存在が指摘されています)。

 

私やサルタックが幼児教育・初等教育の質にフォーカスする一つの理由として、職業教育や高等教育支援と違って、まずこの分野ならシグナリング理論が優勢になってDiploma Diseaseに貢献してしまうことはないし、まだまだ介入も必要とされている、という安全志向が無いわけではありません。

 

大体の学校教育には、他にもより効率的な使い道があったかもしれない税金が投入されていることや、教育を受けるためにはその間、労働を諦めなければならないために発生する放棄所得の存在、学校だけでなく仕事を通じても知識やスキルが身に付くことを考えると、プロジェクトを実施する前に、この教育支援は「学校なんか行っても意味が無い!」になっていないか少し考えてみても、時間の無駄には決してならないと思います。

 

 

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