いじめを止めたい大人たちへ ―― 「ストップいじめ!ナビ」第二弾更新にあたり

 教育現場は聖域ではない

 

荻上 続きまして、弁護士の井桁大介さんより、いじめの裁判例についてご説明いただきます。

 

「ストップいじめ!ナビ」では、代表的ないじめ事件の裁判例を紹介し、いじめ被害者やいじめ自殺の遺族が、いじめの加害者や学校を訴えた場合にどんな判決が出ているのかということを解説しています。

 

「ストップいじめ!ナビ」裁判例紹介ページ;http://stopijime.jp/precedent/

 

井桁 わたしからはふたつのことをご説明したいと思います。ひとつ目は、教育現場は聖域ではなく、法の支配が及ぶ社会の一部分だということです。テレビを見ていると、「教育とは子供の魂を成長させる場だ」とか、「子どもは未発達で、お互いにもみ合いながら成長していくものだ」と、教育を聖域化するかのような発言をされる教育関係者の方がいらっしゃいます。

 

もちろん、教育現場は普通の社会と比べると少し特殊なものではあると思います。しかし、法律を度外視していいわけではありません。法律で禁じられることをした場合には、裁判になれば裁判所が違法行為と明言しますし、刑事罰がしっかりと生じます。

 

荻上 子どもは「未成熟な市民」として、すでに法律上である程度の区別はついていますよね。それにもかかわらず、さらに「教育空間だから法が及ばない」と特別扱いしてしまうと、それは法治国家のルールを犯していることになります。

 

井桁 そうなんです。大人にもパワー・ハラスメントやセクシャル・ハラスメントのようないじめは多くあります。でも、しっかりとそれらを禁止する法律があり、会社のなかには相談窓口が設置されている。一方、学校では、生徒が匿名でいじめについて相談できる制度が設けられているところはまだまだ少ないと思うんですね。まず、学校空間にも大人の社会に存在する対策を導入するべきだと思います。

 

もうひとつは、いじめに対して教員は適切に介入する責務を負っているということです。データからも、教員の適切な介入によっていじめが改善されることがわかかっています。裁判例によって教員の責務はかなり精緻化されていますので、後ほどそのあたりもご説明させていただきます。

 

 

どんないじめが違法行為なのか

 

井桁 それでは、実際に裁判例をご紹介していきます。ひとつ目は「吹奏楽部いじめ事件」(註:事件名は井桁氏による。以下の事件名も同様)です。この事件では「いじめ」と「じゃれあい」の違いに焦点を当てて考えたいと思います。いじめている方にとっては「じゃれあい」でも、いじめられている側にとっては「いじめ」になってしまうという事例をよく聞きます。ふたつの境界を抽象的に定めるのは非常に難しいのですが、この裁判例では「これは違法行為である」という行為が示されています。

 

(1)アトピーが汚いと罵る

(2)楽器が下手だから部活に邪魔だと言う

(3)「顔が醜い」と容姿を罵る

(4)被害者の体調が回復して部活に復活した際に「仮病治ったの?」と言う

 

一つひとつを個別に取ると、日常的なじゃれあいのようにも見えます。しかし、こういった行為があいまった結果として被害者が傷ついたということを裁判所は認め、これらの行為を違法行為として認定しました。判断の決め手としては、他の生徒からの証言が複数あったことや、母親が被害者が泣いている姿を複数回目撃していたこと、教師も相談を受けていたことがあげられます。

 

つぎの「解離性同一性障害自殺事件」においても、裁判所は複数の行為を違法だと判断しています。

 

(1)仲間外れ、無視

(2)毎日のように「ウザい」「きもい」等と繰り返し述べる

(3)鞄をける

(4)教科書やノートに「死ね」等と書く

(5)掃除の際、わざと机の周りにごみを集める

(6)ロッカーに貼っていたアイドルのポスターを破る

(7) 教科書を隠す

(8) 机を外に出す

(9) 靴に画びょうを入れる

(10) 被害者が登校した際に「くさいから空気の入れ替えをする」と述べる

 

こちらも一つひとつを見ると、じゃれあいの一環に見える行為が多くあります。いじめは一つひとつの事象を抽象的に見るだけでなく、全体像を見ていかないと実態がわかからないということですね。

 

荻上 こうした裁判例の積み重ねによって、「このようないじめ行為があると、このような判決がでる」ということが明確になってきます。そういったことが、いじめについて考えるための判断材料のひとつになると思います。

 

いじめに対する先生の責務

 

荻上 いじめのなかには、教員が積極的に関与している事例や監督不行き届きな事例も多くありますよね。

 

井桁 そうですね。再度「解離性同一性障害自殺事件」を例にご紹介したいと思います。この事件では、学校の責務について裁判所が次のような判断を下しています。

 

(1)教員が生徒の安全を確保し、危害のリスクを防止する義務

(2)校長や教頭といった監督者による教員の監督義務

(3)生徒からの相談を深刻に受け止める義務

(4)事情聴取や注意指導、適切な対応を行う義務

 

一つひとつを抽象的に眺めれば、学校がこれらの義務を負っているのは当たり前のように思えますね。しかし、実際のところこれらを怠っている学校が多く存在します。

 

荻上 データからも、「教師がいじめを見て見ぬふりをしたり、指導に失敗すると、いじめがエスカレートしやすい」ということがわかかっています。教師のダメ指導によるいじめ加担機能として、「エスカレーション」と「ラベリング(マーキング)」のふたつが少なくともあることを、知ってほしいと思います。

 

いじめをしている生徒というのは、善悪の区別がついていないわけではありません。善悪の区別はついているけれど、「自分は悪ではない」という自己正当化のもとにいじめを行い、「おまえは悪だ」と非難してきそうな人の目からは隠れようとする。

 

教員が注意をせずに放置しておくと、いじめ空間での自己正当化が進み、「これくらいならセーフ」というメッセージを構築してしまいます。そしていじめをエスカレーションさせてしまうのです。

 

あるいは、教員が積極的に、いじめの対象づくりに加担してしまう場合もある。たとえば、発達障害を持っている生徒に、授業中に「本当にお前はダメだな」となじったりする。他の生徒たちに「この子はダメな子だ」というサインを与えていることになる。そうして、いじめを行なっていい対象としてラベリング(マーキング)してしまうということです。

 

生徒たちは先生が出すさまざまなサインをよく見ていますから、指導のあり方の検討は非常に重要です。

 

井桁 そうですね。そうすると、学校側がどこまで対策をすればいいのか、という問題になってきます。対策の具体的な内容については「トイレ暴行事件」を例にご説明したいと思います。この事件では、いじめの起きた中学校がしっかりといじめ対策を行っていたと評価されたことから、裁判においてこの中学校の責任は否定されました。いじめ対策として評価された点が裁判例で詳細に取り上げられています。代表的なものは下記の4点です。

 

(1)いじめ対策会議や研修の開催、いじめ情報の共有

(2)小学校からの生徒情報の引き継ぎ

(3)校内巡回、近所への見回り

(4)生徒への個別指導

 

もちろん、これらの対策を行っていてもいじめが起きてしまったという事実は深刻に受け止める必要があります。しかし、少なくとも裁判では、これらの対策が評価されて学校には責任がないと評価されました。逆に言うと、これらの対策を怠っている学校は法律上の義務に違反すると判断される可能性があることになります。

 

このような対策をしなければならないとなると学校の教師の負担が重くなるという批判があるかもしれません。しかし、法律違反になるのですから、「負担が重くなるからやらない」では許されません。「やらなければいけないけど、現状だと負担は重い。負担を軽減して実現するためにはどうしたよいか」と考えるべきです。すべての学校でしっかりと制度を整えていく必要がありますね。

 

 

 

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