チェルノブイリが生んだ「エートス」との出会い

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福島県内で本当に小さなささやかなものですけれども、「エートス」という住民主体の放射線防護活動をさせていただいております。最初にまずエートスが始まった経緯について説明をさせてもらいます。

 

最初の契機は去年の9月24日なんですけれども、私の住んでいるいわき市の中山間地域は原発からの距離が60キロありまして、その地域で勉強会を開催したのが最初だったんです。そのときのアプローチ方法としては、やっぱり「正しい知識をみんなで知ろう」というようなところから始まっているわけですが、そのときに上がった「専門家の先生の言っていることは、よくわからない」という住民の声がきっかけですね。

 

そのときの私の近隣地域の様子だと、知識的な問題だけではなく、放射能に関連する話題に対する温度感や距離感の違いがありました。どれだけ怖いか、怖くないかが互いに読めないんですよね。昨日まですごく親しく話をしていた人同士が、この問題については、怖いか怖くないか、それこそ武田先生を好きか嫌いか(会場笑)になってしまって、その辺の問題になると本当に笑い事ではなく喧嘩になって絶交してしまうような、そういうような状況になってしまうんです。

 

 

何に気をつけてどう暮らしていけばいいのか

 

この距離感というのは知識云々の問題ではなく、日々の生活においてはものすごく決定的に重要なことだと思うので、私が勉強会をしようと思ったときは、ツイッター上の人間関係は使わせてもらいましたが、地元のローカルな人間関係でやろうということを最初から決めていました。それは、事故で壊れてしまった従来の人間関係を修復することが必要だ、という想いが頭にあったからなんです。それで、京都女子大学の水野先生にご協力いただいて勉強会を開催して、参加者は全体で24名でした。

 

そこで出てきた住民の関心事というのは、やっぱりすごく生活に密着した部分なんですよ。「家庭菜園の野菜を食べていいの?」とか、「肉牛を育てていて、たまたま基準値をわずか10ベクレル超えるくらいセシウムが検出されてしまって、それで丸ごと出荷制限を受けてしまった」とか。皆さんはよく「東電に賠償してもらえよ」と言いますが、その手続がまたすごくたいへんで、そんなに気軽に言ってほしくないというくらいには面倒なんです。

 

あとはまあ、ウチの辺りは田舎なので、自分のところで落ち葉や雑草を刈ったものを集めて堆肥にするんですが、落ち葉や堆肥にはセシウムがけっこう集まりますし、しかも堆肥にすると濃縮してしまうので、使うには注意が必要だと私は思いますが、それをどうすればいいのか住民はわからない。森林の除染に関しても、「除染がそう簡単にいくもんじゃない、しかも森林はたいへんだ」というのは、みんなもうすでにわかっています。だけど、それをどうすればいいのかがわからない。「難しいよ」と言われたら、「じゃあ、どうすればいいの?」と言いたくなります。

 

それから、ウチは山あいにあるので水道水ではなく各戸ごとの水源から水を引いているところもけっこうあるんです。そうなると戸別の水源なので水質調査も間に合わないですから不安感があります。それと、このスライドには「土に触れさせても大丈夫?」とか「外に出させない」とありますが、やっぱり子供を外に出させないことによる悪影響については当然心配します。健康問題についての不安は、どこでも共通してありますね。

 

結局勉強会をやった結果としてわかったのは、こういう具体的な生活レベルの質問というのは、外部の講師には答えられないものが大半なんだということです。そもそも原発事故が専門の先生というのは、世界中を探してもいないと言っていいぐらいほとんどいないわけじゃないですか。ましてや「これからどうすればいいの?」と言われても、講師の先生には答えられません。だけど、住民がいちばん知りたいのはそこなんですよね。

 

勉強会の質疑応答自体は、事前に十分戦略を練っていたということもあってかなり活発に行われていましたから、雰囲気は良かったと思いますが、それでも住民の方たちは帰るときに不満そうな顔をしていたんです。それは、いちばん知りたかったことに答えてもらえなかったからだろうと思います。ですから「やっぱり知識的な問題じゃないんだな」というのが9月24日の勉強会で私が得た結論だったんです。

 

住民たちにとって放射線防護というのは暮らしの問題なので、科学の知識というものに意味があると感じられるようになるには、それを生活の文脈に置き直す必要があるんですよね。科学知識を裸の形でポンと出されて「ベクレルはこうだ、シーベルトはこうだ」とか「預託実効線量がどうだ」といきなり解説されたところで、ポカンとしちゃうだけなんです。

 

理解できる人は理解できるでしょうけれども、理解できない人は永久に理解できないし、理解しないと思います。それは生活の文脈に入ってきていないからなんですよね。重要なのは結局、「このたいへんな現実をどうすれば改善していけるのか、それを使ったらどのように役立つのか」という部分の問題だと思っているんですね。

 

それと、もう一つ得た結論というのは、さっき順一さんも言っておられましたけれども、安全だ危険だと言ったところで、結局講師の先生はそこで暮らしているわけではないんですよね。そのリスクを負って最終的に全部引き受けるのは、そこに暮らしている住民でしかないわけですから、「安全・危険というきわめてあいまいな部分については、住民自身が判断するしかない」というのが私が得た結論の一つだったんですね。

 

これは去年の年末に行った「久之浜(ひさのはま)プロジェクト」の写真です。久之浜というのが、当初屋内退避区域に指定された20~30キロ圏で、この屋内退避圏というのは事故当時は完全に見捨てられていましたので、津波の被害が甚大で火災も発生しています。そういう状況だったんですけれども、ほとんど当初は報道されていませんでした。

 

 

この小学校は、現在は線量自体は1μSv/h(注:2011年秋頃の時点)を超えていないような状況なんですが、福島第一原発と距離が近いこともあって心理的影響も非常に大きいんですね、近いと不安感も強いですから。そういう地区なので、やっぱり何らかの対処は必要なんじゃないかな、と思っていたんですが、去年の年末に小学校のクリスマスイベントがあって、そこでたまたま「何か企画してみたら」という声をかけていただいたので、このプロジェクトをやってみました。

 

これはそのときの様子ですね。このときはクリスマスイベントという枠組みだったので、距離的にかなり広範囲からいろんな状況の人が集まってくださいました。お話を聞いていて本当に一瞬泣いちゃったんですが、この方なんかは自分の家は津波でなくしているし、実家のほうは計画的避難区域になってしまってそこにも帰れない、という状況になってしまっていて、すごく切実なお話をされていました。この人たちなんかも、息子さんの結婚が破談になったりということで、メンタル面の影響が大きかったようですね。

 

ここも当初は屋内退避区域に指定されていて、学校も閉鎖されて別の地域の学校を間借りして教えているような状況だったので、いざ指定が解除されてその地域で学校が再開されるという状況になっても、本当に子供たちが戻ってきてくれるのか、というのがすごく切実な状況でした。そこでこの地区のPTA会長さんがすごく尽力して、校舎やその近辺だけはいち早く除染して、学校の周りだけですが何とか線量を下げたので、一応ほとんどの子供たちが学校に戻ってこられたようですね。

 

まだ自宅に戻ってきていない人たちはいるんですが、少なくとも子供たちが学校に戻ってこられるような状況まで頑張って除染したということです。ただまあ、やっぱり除染もなかなかそう簡単にいくものではないですね。ですからまだまだ「元の状況に戻したいけれども、どうすればいいんだろう」というところでしたね。

 

とにかく行き詰まってしまうのは現実的な面なんですよね。このたいへんな状況が普通の状況ではないということは誰もが理解しているので、「それでは、今後いったい何に気をつけてどう暮らしていけばいいのか」という現実的な処方の部分が問題なんですよね。それに対する答えをどうやって出していくかというのが、私の問題意識の根幹です。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.265 

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