2012.07.12
チェルノブイリが生んだ「エートス」との出会い
福島県内で本当に小さなささやかなものですけれども、「エートス」という住民主体の放射線防護活動をさせていただいております。最初にまずエートスが始まった経緯について説明をさせてもらいます。
最初の契機は去年の9月24日なんですけれども、私の住んでいるいわき市の中山間地域は原発からの距離が60キロありまして、その地域で勉強会を開催したのが最初だったんです。そのときのアプローチ方法としては、やっぱり「正しい知識をみんなで知ろう」というようなところから始まっているわけですが、そのときに上がった「専門家の先生の言っていることは、よくわからない」という住民の声がきっかけですね。
そのときの私の近隣地域の様子だと、知識的な問題だけではなく、放射能に関連する話題に対する温度感や距離感の違いがありました。どれだけ怖いか、怖くないかが互いに読めないんですよね。昨日まですごく親しく話をしていた人同士が、この問題については、怖いか怖くないか、それこそ武田先生を好きか嫌いか(会場笑)になってしまって、その辺の問題になると本当に笑い事ではなく喧嘩になって絶交してしまうような、そういうような状況になってしまうんです。
何に気をつけてどう暮らしていけばいいのか
この距離感というのは知識云々の問題ではなく、日々の生活においてはものすごく決定的に重要なことだと思うので、私が勉強会をしようと思ったときは、ツイッター上の人間関係は使わせてもらいましたが、地元のローカルな人間関係でやろうということを最初から決めていました。それは、事故で壊れてしまった従来の人間関係を修復することが必要だ、という想いが頭にあったからなんです。それで、京都女子大学の水野先生にご協力いただいて勉強会を開催して、参加者は全体で24名でした。
そこで出てきた住民の関心事というのは、やっぱりすごく生活に密着した部分なんですよ。「家庭菜園の野菜を食べていいの?」とか、「肉牛を育てていて、たまたま基準値をわずか10ベクレル超えるくらいセシウムが検出されてしまって、それで丸ごと出荷制限を受けてしまった」とか。皆さんはよく「東電に賠償してもらえよ」と言いますが、その手続がまたすごくたいへんで、そんなに気軽に言ってほしくないというくらいには面倒なんです。
あとはまあ、ウチの辺りは田舎なので、自分のところで落ち葉や雑草を刈ったものを集めて堆肥にするんですが、落ち葉や堆肥にはセシウムがけっこう集まりますし、しかも堆肥にすると濃縮してしまうので、使うには注意が必要だと私は思いますが、それをどうすればいいのか住民はわからない。森林の除染に関しても、「除染がそう簡単にいくもんじゃない、しかも森林はたいへんだ」というのは、みんなもうすでにわかっています。だけど、それをどうすればいいのかがわからない。「難しいよ」と言われたら、「じゃあ、どうすればいいの?」と言いたくなります。
それから、ウチは山あいにあるので水道水ではなく各戸ごとの水源から水を引いているところもけっこうあるんです。そうなると戸別の水源なので水質調査も間に合わないですから不安感があります。それと、このスライドには「土に触れさせても大丈夫?」とか「外に出させない」とありますが、やっぱり子供を外に出させないことによる悪影響については当然心配します。健康問題についての不安は、どこでも共通してありますね。
結局勉強会をやった結果としてわかったのは、こういう具体的な生活レベルの質問というのは、外部の講師には答えられないものが大半なんだということです。そもそも原発事故が専門の先生というのは、世界中を探してもいないと言っていいぐらいほとんどいないわけじゃないですか。ましてや「これからどうすればいいの?」と言われても、講師の先生には答えられません。だけど、住民がいちばん知りたいのはそこなんですよね。
勉強会の質疑応答自体は、事前に十分戦略を練っていたということもあってかなり活発に行われていましたから、雰囲気は良かったと思いますが、それでも住民の方たちは帰るときに不満そうな顔をしていたんです。それは、いちばん知りたかったことに答えてもらえなかったからだろうと思います。ですから「やっぱり知識的な問題じゃないんだな」というのが9月24日の勉強会で私が得た結論だったんです。
住民たちにとって放射線防護というのは暮らしの問題なので、科学の知識というものに意味があると感じられるようになるには、それを生活の文脈に置き直す必要があるんですよね。科学知識を裸の形でポンと出されて「ベクレルはこうだ、シーベルトはこうだ」とか「預託実効線量がどうだ」といきなり解説されたところで、ポカンとしちゃうだけなんです。
理解できる人は理解できるでしょうけれども、理解できない人は永久に理解できないし、理解しないと思います。それは生活の文脈に入ってきていないからなんですよね。重要なのは結局、「このたいへんな現実をどうすれば改善していけるのか、それを使ったらどのように役立つのか」という部分の問題だと思っているんですね。
それと、もう一つ得た結論というのは、さっき順一さんも言っておられましたけれども、安全だ危険だと言ったところで、結局講師の先生はそこで暮らしているわけではないんですよね。そのリスクを負って最終的に全部引き受けるのは、そこに暮らしている住民でしかないわけですから、「安全・危険というきわめてあいまいな部分については、住民自身が判断するしかない」というのが私が得た結論の一つだったんですね。
これは去年の年末に行った「久之浜(ひさのはま)プロジェクト」の写真です。久之浜というのが、当初屋内退避区域に指定された20~30キロ圏で、この屋内退避圏というのは事故当時は完全に見捨てられていましたので、津波の被害が甚大で火災も発生しています。そういう状況だったんですけれども、ほとんど当初は報道されていませんでした。
この小学校は、現在は線量自体は1μSv/h(注:2011年秋頃の時点)を超えていないような状況なんですが、福島第一原発と距離が近いこともあって心理的影響も非常に大きいんですね、近いと不安感も強いですから。そういう地区なので、やっぱり何らかの対処は必要なんじゃないかな、と思っていたんですが、去年の年末に小学校のクリスマスイベントがあって、そこでたまたま「何か企画してみたら」という声をかけていただいたので、このプロジェクトをやってみました。
これはそのときの様子ですね。このときはクリスマスイベントという枠組みだったので、距離的にかなり広範囲からいろんな状況の人が集まってくださいました。お話を聞いていて本当に一瞬泣いちゃったんですが、この方なんかは自分の家は津波でなくしているし、実家のほうは計画的避難区域になってしまってそこにも帰れない、という状況になってしまっていて、すごく切実なお話をされていました。この人たちなんかも、息子さんの結婚が破談になったりということで、メンタル面の影響が大きかったようですね。
ここも当初は屋内退避区域に指定されていて、学校も閉鎖されて別の地域の学校を間借りして教えているような状況だったので、いざ指定が解除されてその地域で学校が再開されるという状況になっても、本当に子供たちが戻ってきてくれるのか、というのがすごく切実な状況でした。そこでこの地区のPTA会長さんがすごく尽力して、校舎やその近辺だけはいち早く除染して、学校の周りだけですが何とか線量を下げたので、一応ほとんどの子供たちが学校に戻ってこられたようですね。
まだ自宅に戻ってきていない人たちはいるんですが、少なくとも子供たちが学校に戻ってこられるような状況まで頑張って除染したということです。ただまあ、やっぱり除染もなかなかそう簡単にいくものではないですね。ですからまだまだ「元の状況に戻したいけれども、どうすればいいんだろう」というところでしたね。
とにかく行き詰まってしまうのは現実的な面なんですよね。このたいへんな状況が普通の状況ではないということは誰もが理解しているので、「それでは、今後いったい何に気をつけてどう暮らしていけばいいのか」という現実的な処方の部分が問題なんですよね。それに対する答えをどうやって出していくかというのが、私の問題意識の根幹です。
エートスの活動を福島にも
その頃に「エートス」というものに出会ったんですが、9月24日の勉強会のあとに一生懸命自分の頭で考えていて、「うまくいかなかった、これはなぜなんだろう?」というので、いろいろ資料を当たってみました。それで、「ICRP111という勧告文が何だかとても重要らしい」という話は耳に挟んでいたんですが、そこに「住民参加の必要性」ということが書かれていたので、あれ? と思って読んでみたんです。そこではまだ「エートス」という言葉は出ていなくて、多分「オルマニー村の経験」みたいなことが付属書に書いてあっただけだったと思います。
それで検索をかけてみたらJAEAレビューというのが出てきたんですが、これも2010年に翻訳が出されていて、最初はそれ一つしか日本語の資料は見つけられませんでしたが、翻訳されていてよかったと思いました。それを見たら、私がそれまで抱いていた問題意識と非常にクロスするのがあったので、こういう先例がちゃんとあるんだ、ということで、これは絶対福島にも必要だな、というところからエートスの活動が始まりました。
久之浜のクリスマスイベントのときに私は、一応自分のなかで「ツイッターで騒ぎながらやろう」ということは決めていて、私一人がやれることは高が知れていると思うんですが、ツイッターで騒ぐことによって少なくとも何らかの反応はもらえるだろう、助けてくれる人もいるだろうし、自分もやってみようと思ってくれる人もいるかもしれない、と思いました。
そう思ってツイッターで騒ぎながらやっていたら、思っていた以上にたくさんの方に声をかけていただくことができました。その頃にちょうど政府主催の低線量被曝ワーキンググループ第5回でICRP111の勧告文の主筆のジャック・ロシャールさんのスライドを見たので、「あのスライドの翻訳が欲しい」と騒いだら、翻訳してくださる方が手を挙げてくださって、それやこれやでエートスの活動が始まったわけですね。
これは今出てきたジャック・ロシャールさんが始めた、ベラルーシのほうの本家エートスですね、この赤い円が30キロラインで、この緑色の地区には人が居住していて、この地区で活動が展開されています。これはロシャールさんにいただいた写真なんですが、女の子の後ろ、牛の牧草の平野の後ろ側に森のラインが見えていて、これが30キロの排除区域のラインなんですね。
この手前の30キロの手前のところまではずっとこんな感じで、ヤギを飼って普通の暮らしを送っているんですよね。これはあとでご本人にうかがったことですが、ロシャールさんは写真を撮るのが大好きらしくて、若い頃からいろいろ撮影しておられるそうなんですが、「自分が撮った写真のなかでは、このベラルーシで撮ったものがいちばんで、これ以上の写真は撮れていない」というふうに言われていました。
これは子供たちが川で遊んでいるところですね。チェルノブイリの原発は湖のそばに建っているんですが、この写真で子供が遊んでいる川はあの湖とつながっているはずなんです。これはおばあちゃんと家族の写真で、子供もちゃんといます。これはロシャールさんたちが実際にエートスプロジェクトで活動しているところですが、線量計を手にしたお母さんが薪ストーブの辺りを測っています。ロシャールさんがおっしゃるには「線量計を手にした母親が最初に測るところはいつも決まっている、子供の寝室だ」ということだそうです。
このベラルーシのオルマニー村なんかは、計測器が全然行き渡っていない状況だったので、今の福島のように計測器が溢れんばかりに広まっているような状況に比べると、やっぱり圧倒的に不利ですよね。ベラルーシのエートスはそういう状況のなかでの活動だったわけです。あちらのプロジェクトのなかでは、学校教育で子供たちといっしょに線量計であちこちを測っていって、マップを作っていくという授業があるらしいです。
これは、伊達ダイアログのときに阿武隈急行鉄道のなかでロシャールさんといっしょに撮った写真ですが、私の英語はインチキなので、ほとんどお互いに話もしないで、何だか2人でボーッと座っているだけになってしまったんですけれども(会場笑)。
今後のことを考えると、今の住民の現状で問題なのは、自分たちで線量を計測しても、そのうえでどうすべきかを判断できないということです。ベラルーシとは違って日本では線量計が十分に行き渡っているので、線量を計測するだけならもっとちゃんと正確に測れるんです。まだ足りない部分もありますが、足りないとは言っても、ベラルーシに比べれば圧倒的に普及は早いはずなんです。ただ、計測するところまではできるけれど、その先の対処がわからない。
判断を下すのは住民自身
あとは、やっぱり最初に言ったように、同じ集落内でも隣人同士なのに放射能問題に関してはお互いにどう考えているかということは話しづらい雰囲気があります。普通に会話していても、どうしても相手の反応を探りながら会話しているようなところが大なり小なりあります。
お互いがどういうスタンスかハッキリわかっていれば、それはそれで話せるんですが、それがわからない状況がいちばん話しづらいですよね。だから対策すると言っても、「自分は対策したいんだけれども、隣がどう思っているかわからないから提案しづらいな」というような雰囲気はあります。
私たちがやろうとしていることは、住民主体とは言っても住民独力ではできませんから、専門家の先生の協力をいただきながら、現現地住民と行政の間の信頼関係・協力体制を築くことです。専門家の先生にしていただきたいのは、そのための助言ですね。いただいた助言を元に住民自身が判断できて、判断したうえで実際に放射線防護の対策をとれるような、そういう仕組みを作ることが私たちの目的です。
今まで原発事故後1年間暮らしてきて思うのは、これは私の経験的な直観なんですが、案外人間というのは切実な状況に置かれたら、真剣に考えて合理的な判断を下すものなんですよ。そういう意味でも、最終的にリスクを負うのはそこの住民ですし、福島の今後を決定するのは住民だと思っています。私たちが福島のエートスという活動でしようとしているのは、それを具体化する仕組みを作ることなんですね。
実施計画ということで、今は実際にもう始まっているんですが、最初の問題としては共同体の問題というのも非常に重要だと思っています。集落として機能している地区で行うつもりで、今やっています。「核となる住民からスタートして」とありますが、これは「住民主体」というのは言葉だけではなく実践の段階になってくるとやっぱり気持ちが大切だということですね。そこに住んでいる住民自身がやる気になってくれないと、外から「住民主体だー!」と言ったって、やっぱりダメなんですよ。
だから、「何とかしたい」という気持ちを持っている住民の方たちを核にしながら進めていきたいな、と思っています。まず誰かがそれを始めたら、それはやっぱり誰でもこの現実を何とかしたいとは思っているので、広まってくれるんじゃないか、広まってくるだろう、と私は思っています。
それから、これはいっしょに活動している仲間にいつも言っていることなんですが、1年というのを一つの目安にしています。今やっている地区は屋内退避区域が解除になっている区域で、仮設住宅や借り上げ住宅に避難している人も多いんですが、もう1年すればその公的な援助が切れます。今はまだ無料だから外に出ている人がたくさんいるんですが、1年後にはその人たちも元の場所に戻るかどうかを決めなければならないんです。そのときに、「自分たちが元々住んでいたところをどうするのか」という判断を迫られるので、私は選択肢の一つとして「こういう暮らし方がある」ということを提示したいと思っています。
その場合、「留まらなければいけない」とか「留まるべきだ」とはまったく思いません。ただ、選択肢の一つとしてそこでの暮らし方を提示したいと思っています。長期的には放射線防護をそこまで意識せずに、生活と共に自然にある形がいいと思っています。これはジャック・ロシャールさんが言われていたことなんですが、「家の周りは掃除するでしょう? 身体が汚れたら洗うでしょう? 実用的放射線防護ってのはそういうことなんだよ」と、そういうふうになればいいな、と思っています。
これはこの間やったばかりの住民集会の模様ですね。サイトのほうで簡単な報告はしましたが、集会所を使って車座でやりました。この場合は「講演会」では意味はないんですね。互いに話し合うということで、専門家の先生にも車座になってもらいました。専門家の先生には「判断してほしい」とはお願いしませんでしたし、むしろ「判断は差し挟まないでほしい」とお願いしました。
正しい意見は言っていただきたい、科学的なデータも挙げていただきたい、世界の標準の放射線量がどうであるとか、そういうお話もしていただけるととてもありがたい。しかし、安全であるか危険であるかを判断するのは住民自身だから、それは言わないでいただきたい。いきなり一方的に専門家の先生が話すのではなくて、まず住民たちの声を一度聞いていただきたい。そうすることによって住民たちは、「ああ、この人は自分たちのために来てくれたんだ」というふうに安心するので、そういう形でやりました。
これは、おばあちゃんたちですね。私が床に置いているのはiPadで、これでベラルーシの写真を見せたら、おばさんたちがすごく身を乗り出して、目を輝かせて見るんですよね。最初は私もちょっと心配していて、私自身も事故前まではチェルノブイリには良いイメージがなかったので、「そんなところと自分たちの町が同じように扱われるのか」というような反応が返ってきたらどうしよう、とは思っていたんですが、それとはまったく逆の反応でした。
やっぱり、少なくともそこに残っている人たちは「自分たちが置かれた状況は普通ではない」「すでに放射性物質が散らばってしまっている状況なのだ」ということは理解しているので、ベラルーシの例を紹介したことで、そんな状況でもキチンと暮らせている人たちがいるということが実感できたというプラス面のほうが大きかったようです。
そのときにいただいた住民側の声を紹介しますと、ぼんやりした不安というよりも「これから何をしていけばいいのかが見えない」「実際これからどうすればいいんだ」というように、かなり具体的な疑問というか、現実的な対応への取っ掛かりを求めているような質問が多いんですよね。それともう一つ、100mSv以下の低線量被曝に関する問題というのは、これはもう今後ずっとつきまとってくる問題で、これは誰が安全だとか危険だとか言っても、やっぱりずっと残っていくと思います。
それから、放射能問題に関しては若い人のほうが神経質で、若い人から先に出て行ってしまうんですよ。それで年寄りだけが残ることになって、コミュニティがそう遠くないうちに成立しなくなるというのは誰でもわかりますから、コミュニティの維持という部分での不安というのは大きいと思います。
あとは、車座の話し合いのあとで線量計を持ってみんなで測って回ったりもしたので、実際に計測してみることによって体感できて自己判断ができるようになった、という感想もありました。ただし、単に計測するだけではダメで、その方法論的な部分についてはちょっと注意を喚起しておきたいこともあるんですが、それについてはそのうちサイトにも文章を載せるので、そっちを読んでいただければと思います。
やっぱり、みんなでいっしょに何かをして、前向きな方向性を出していけるというだけで、何と言うか、空気が全然変わったんです。最初はみんな「どんなもんだべ?」みたいな顔で来るわけで、「先生が来てくれるっていうから、ちょっと話を聞きに行くか」という感じなんですが、それでもやっぱりこうして「対処方法がありますよ」と提示すると本当に雰囲気が変わってきて、それは私にとってもすごく嬉しいことでした。
自己統御感の回復が再生の鍵 個人単位の被曝量管理を
ここからはちょっと私の考察になるんですが、住民が抱いている不安というのはいろいろ個別に出てくるものですが、大きく分ければだいたい三つに分かれると思いました。一つめは「基礎的な知識の欠如、誤解に基づくもの」。二つめは「長期的な健康への影響への不安」。三つめが「この現実にどう対処すればよいのか」。これまでの経験上、本質的なのはこの3番の、「この現実にどう対処すればよいのか」という部分で、1と2というのは、これは付随する問題なので、中心的な問題ではないと思います。だから3に対処しない限りは、おそらく1と2についても、どうやっても埋められないモグラ叩きみたいなもので、言葉を変えて何度も次々に出てくるような問題ではないかと思っています。
なぜかと言うと、これは私が放射能汚染という問題の本質だと思っているんですが、「生活における自己統御感の喪失」という問題がコアにあると思うんですね。放射性物質が日常に侵入してきたという事実がまずあって、自分の生活の隅々まで目に見えない異物が入ってきたことによって、自分が自分自身の生活をコントロールできていないと感じていること、これが本質的な問題だと思います。
それに加えて、「ベクレルが、シーベルトが」とか言っても、科学的な知識なんてほとんどの人には耳慣れないものですよね。それなのに、福島にいたら毎日数値の話題が出ますし、数値の話題を耳にしないことはありません。だから、よくわからない数値に生活が支配されているような気さえしてくるわけですね。
また、さっきの対人関係の問題もそうですけれども、それまでの人間関係が損なわれることで、自分の人間関係が自分でコントロールできていない感覚を覚えます。今までの友人が友人じゃないような気がしてしまうような感覚があります。そして、もう一つ本質的な問題は、被曝状況を自分でコントロールできないということで、これもとても大きなことだと思います。こういうさまざまなレベルの自己統御感の喪失というものがコアにあって、それはすごく怖いことなんですよ。誰でもそうだと思うんですよね。
やっぱり、こういう感覚というのは、ある程度事故の影響がある地区で暮らしてみないと、体感的にはわからないものかもしれません。こういう恐怖や不安が根底にあって、それが主に長期的な健康への不安という形で表れてくるのであって、その部分に対処しない限りは、何をやっても私は効果が見込めないと思っています。この現在の状況への対策は、その自己統御感を回復するということをコアに据えて考えていくべきで、そのためにはそれが自分自身で管理可能だと感じられることが必要です。だから住民主体になるわけですね。
そしてもう一つ重要なことは、被曝量を自分で管理できるということもたいせつではありますが、そのために生活を損なってはいけないということです。私は除染するために庭木を全部切ってしまうとか、公園の樹木を全部伐採するとか、ああいうのはすごく嫌いです。生活を損なうからですね。
科学と暮らしの関係で考えるのであれば、ここで必要なのは「暮らしのための科学」であるべきなんです。だから、科学は科学で必要な文脈ではあるし、それはそれで真っ当な正しい基準として尊重すべきだと思いますが、放射能汚染というのは暮らしの問題なんですね。だから、科学を暮らしの文脈に取り込めるような形にしていくべきであって、暮らしのほうを科学の側に持っていくのでは逆なんですよね。住民にとってたいせつなのは、暮らしであって科学ではないんです。そこを第一に据えてやろうと思っています。
実用的な放射線防護文化というのは、暮らしを主体に据えた放射線防護文化であるべきだと思っているんですね。そのためには、住民自身の手によって自己統御感を回復していく必要があります。本当は被曝量の低減というのは、ある意味でそのための手段というところもあります。実際に被曝量がかなり高い地域ではそこまで悠長なことは言っていられないんですが、私の住んでいるいわき市の南部地域のような本当に線量の低い地域では、ほとんどメンタル的な部分のほうが重要になってくるんです。被曝量の低減というのは、自己統御の感覚回復のための手段のようになってくるんですよね。
あともう一つ、人間関係というのはキチンとたいせつにするということも自己統御感を取り戻すためには重要だと思うので、共同作業をしたり、対話を通じて行っていく、こういう方向で取り組みを行っています。その具体的な実践として、住民が自分の被曝量をコントロールできていると体感的に感じられるよう個人の被曝線量の丸ごと測定をやったり、あとは、前回3月31日の住民交流会のときに、住民の1人の方にデジタル式で積算のみのタイプの線量計を試験的に着けていただきました。
それがすごく好評で、他の住民の方たちも身を乗り出してきて、「自分も着けたい」と言われるんですよね。「イヤだ」と言われるかと思っていたら、「自分も着けたい」という反応でした。それで、何とかルートを確保して積算線量計を入手してきて、その地区の住民の方たちに配るようにしています。
できれば行動記録とその分析までやれるといいなと思っているんですが、あまり詳細な行動記録までつけてくれと言うと、私も自分がズボラな性格なのでそう思うんですが、まず記録なんかつけないと思うんですね。だから、その日は外にいた時間が長かった・短かった、とか大雑把な記録でかまわないんですね。それを分析すれば、だいたいどこで被曝したのか、それがわかります。
今はメッシュに沿って空間線量率を測っていますが、現実の生活空間における空間線量率を測るということはそんなに重視されていません。でも私が言いたいのは、「人間はメッシュに沿って暮らしているわけではない」ということなんですね。必要なのは雨どいを測ることではなくて、そこで暮らす場所を測らなければダメなんです。そこまでやれば、外部被曝についてはほぼ完璧に可視化できますし、可視化できれば具体的な対策がとれます。どこが危険かがわかりますから、危険なところだけ対策をとればいいんです。
そして、私たちが次に企画している活動は、自家製野菜の放射能測定です。今いわき市では、線量計が各支所に配備されてきているので、そういうものが使えればいいなと思っているんですが、それで自家製野菜の測定をしていこうと考えています。福島では、田舎なので皆さん普通に自家製野菜を食べるんですよ。私も友だちが作った野菜を分けてもらって食べるんですが、あれを食べ慣れていると、スーパーの野菜などは食べる気がしません。だから、それが食べられないというのは、毎日の食生活の問題なのですごく苦痛なんですね。だからそこの部分を把握したいです。
それから、ホールボディカウンターでのモニタリングですね。全員がやるのは装置の設備数的にちょっと難しいと思うので、集落単位でやっているわけですね。集落のなかでモニターになってくれる方を5名なら5名選ぶんですが、その場合、生活行動的に特徴的な人や標準的な人を戦略的に選んでいってもらうんですね。自家製野菜やキノコなどをたくさん食べている人、とくにそういうお年寄りの方ですね。セシウムの排出期間を考えると、今は子供ばかり測っていますけれど、お年寄りや大人を測ったほうがモニタリング対象としては適切なんですよね。
だからそういう人たちを測ることで、「この人がMAXということは、おそらく内部被曝量はこの人がMAXなんだろう」というような形で、その地区のある程度の人たちの平均値や幅がわかるわけですね。キノコばかり食べている人がけっこういるわけですから(会場笑)。それで、この人がこれくらいだったら、じゃあ平均はこんなものかな、というふうに、自分の生活区域での現実の内部被曝量がわかります。ですから、自家製野菜の放射能の測定をキチンとできるようにして、そういう内部被曝までモニタリングできる体制を作ったら、おそらく内部被曝の面についても、かなりクリアになってきて可視化できると思っています。
これはつまり、個人単位で被曝量を管理するということなんですよ。空間線量率に基づいた被曝量管理というのは、私は意味がないと思っています。なぜなら、Svというのは放射線の人体に対する影響の単位で、放射能が直接的に問題になるのは人間の健康にとって害があるからですから、人間が行かないところで線量がいくら高くてもまったく問題はないんですよ。「まったく」と言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、とにかく直接的な影響はないわけですから、そんなところではなく、人間を、それも個人を中心にして線量の把握体制を整えることが重要で、対策をとるときも人間を中心にすべきだと思っているんです。
今は除染の話題も盛んに出ていて、これを言うと除染の努力をされている方たちに反発を受けてしまうかもしれないんですが、私は人間を見ない面的除染というのはあまり好きではありません。除染も個人の線量や受ける被曝量を測定したうえで戦略的に組み込んでいくほうが効果的なんじゃないかな、と私は思っているんですね。こういう個人中心の被曝量管理というのは、ICRP111に書かれていることです。
「福島を見捨てない」を形にする
こちらのほうはICRP111に直接は書かれていないんですが、ジャック・ロシャールさんが「背景にはこんな考えがあるんですよ」ということでおっしゃっていることがあって、一つは「慎重にせよ。リスクの絶対値は低いものであるが、わからないけれど小さいリスクがあるものとせよ」ということです。リスクが「ない」というのはまちがいなんですね。「ある」ものと想定して対策をしていきましょう、と。
二つめは「引き受けるリスクは当事者が判断する」ということで、目に見えないくらい低いもリスクであるからこそ、当事者しか判断できないものだということですね。それは実測値に基づかなければいけないし、専門家が共に考えなければいけない。「自分で判断しろよ」とポイッと放り出されても、判断するための基準というものは、やっぱり専門家の人に提示してもらわないと、一般住民は持ち合わせていないものだからですね。そのうえで当事者が判断するということです。
三つめは「理性的であれ」ということで、これはこれからの課題だと思いますが、結局当事者が判断するとはいっても、そこには対立する利害が発生してくるので、それは慎重に調整しましょう、ということです。これも全部人間の決断だから、数字では書けないんですね。すごくICRP111が人間的だな、と私が思うのはこういう背景があるからで、結局人間の決断の問題になってくるんですよね。だから人間の話をしなければしょうがない。数字の話だけしていたのでは問題の本質は見えないんですね。
これは、オルマニーのお母さんたちが作った「放射線のものさし」です。お母さんたちが自分で作っているものですね。ここの線量は1.0μSv/hのはずなんですが、お母さんたちがこの基準に基づいて、「この場所は気にしない」「この場所はちょっと時間に気をつける」「極力近づかない」という3パターンに分けているんです。自分たちでそういう対処方法を決めたんですね。これだけでかなり違うと思うんですよね。
だから、放射線をどういうふうに考えるかというのは、自分たちで「放射線のものさし」を作ることが重要だということだと思うんですね。Bq、Gy、Svで示される数値はリスクの客観的な提示であって、そういうものを提示することは科学にもできるんです。しかし、その数値で示された事態に対してどれだけのコストをかけるか、何をやるかというのは、科学的な判断ではなく社会的な判断になってくるんですね。それをどう判断するかということには、住民の生活もかかっているし、社会への影響もあります。その部分の判断は、自分なりの放射線のものさしを作って、それに基づいて自分たちで考えていくしかありません。ものさしは当事者である住民が握るべきなんです。
人間は自分自身で考えないとまず納得しないものですから、他人から「これが基準だ」と言われても、それが自分の生活に切実に関係している以上、納得できないものです。ですから、自分なりのものさしを作り、それを日常生活に生かしていき、対策を考えていくこと、その3点セットが必要だと私は思っているんです。それらを必ずセットにしないと、住民側にとっての納得や安心感は得られません。不条理な現実に対するやりきれなさというのは何をどうしても残るでしょうが、それでもこれだけは必須だと思います。
それから、私たちの活動のネットとの絡みについて説明いたしますと、私たちの最初に始まったとき、ロシャールさんとのやりとりが始まったのが、12月の久之浜プロジェクトで翻訳プロジェクトが始まったときでした。そのときにロシャールさんと直接連絡をとってくださった方がいて、やりとりが始まりました。それで、「せっかくの情報だからそれを蓄積したほうがいい」ということで、まずWEBサイトを作って「ETHOS IN FUKUSHIMA」という形にしようということになったんですが、それを言い出したのは実は私ではなくて、それを吹き込んだ人がいます(会場笑)。
この図の「Back Office」というのは、実務的な管理をしてくださっている方たちのことですね。一生懸命やってくださっているので助かっています。これをツイッターの人たちの力を借りていろいろ動かしているんですが、そういう人たちが「ETHOS IN FUKUSHIMA」を通じて、この図では「People on the ground」となっていますが、現地の人たちに対して力になりたいという気持ちを伝えていく、それが「ETHOS IN FUKUSHIMA」の活動の意味の一つだろうと思います。つまり、雲=ツイッター上のクラウドの人と現地の人たちを結ぶ、つなげる、という役割ですね。
それを自転車で描くと、この両輪になるわけですね。「Ground」の人たちと「Net」の人たちの両方でやっている活動ですから、私が現地でやっている活動は本当に小さなものなんですよ。いっしょにやってくれている人たちは、私を入れて6名ですから。それでも思いがけず大きな反響をいただけるようになっていて、それは現地の活動の力になっています。それは両方がないとダメなんですね。片側だけだと世界の片隅の話になりますが、ネットを通じて世界につながっているから大きな力をいただけている、そういうふうに思っています。
私たちがやっているのは「『福島を見捨てない』を形にする」ということです。最初から最後までこの「『福島を見捨てない』を形にする」ということだけが私のやりたいことなんです。この「見捨てない」というのが、「福島に留まれ」という意味ではないということはくり返し言わせていただきます。それはやはりたいへんなことだということはわかっていますから、そこで無責任に「留まれ」とは言えません。ただ、ここで暮らすことを選んだ住民の人たちには、選択肢だけは提示したい、そこで暮らせる態勢を提示したい、そう思って活動しています。
最後になりましたけれども、あらためてお願いしたいのは、「福島を見捨てない」という気持ちを共有してくださる方にぜひご協力をいただきたいということです。専門家の皆さま方にもぜひともご協力いただけたら、と願っています。
福島の方たちにもこれだけはお伝えしたいんですが、「これは対処できる現実なのだ、自分たち自身の手で、よりよい未来を築いていけるのだ、そして、私たちにはその力があるのだ」と私は信じていますし、頑張ってそれを形にしていきたいと思っております。それでは、長々とありがとうございました。
「ふくしまの話をきこう」第2部 安東量子氏講演
——2012年4月28日東京・新宿歴史博物館(主催:福島おうえん勉強会)
プロフィール
安東量子
いわき市在住。チェルノブイリ原発事故後のベラルーシでの地域再興活動「エートス」と出会い「福島のエートス」をはじめる。 放射性物質が奪ってしまった日常はあるが、それでも福島での暮らしは素晴らしく、よりよい未来を手渡せる。 自分の手で計り、考え、決めることで、少しずつかたちにしていく事を目指している。