2013.04.30

どうしてぼくたちはすれ違うのか ―― 社会学者が語る、震災後の断絶の乗り越え方

開沼博×五十嵐泰正

社会 #小山良太#0ベクレル#パターナリズム#買って応援#脱原発#放射能#ホットスポット#食品汚染#震災復興#「フクシマ」論#みんなで決めた「安心」のかたち

福島第一原発事故によってホットスポットとなった千葉県柏市。「この野菜は、食べられるのか」と、農家と消費者のあいだに「断絶」が生じてしまった。『みんなで決めた「安心」のかたち』の筆者である五十嵐氏と、『「フクシマ」論』にて原発を誘致した福島の背景を分析した開沼氏が、震災後の「断絶」の乗り越え方について語りあった。(構成/山本菜々子)

「地産地消」を取り戻す

開沼 この本で一番心に残ったのは、社会学者である五十嵐さんがこのような問題に取り組み、農業と社会との橋渡しをしている点でした。当時は農家の方たちは放射能の問題に真剣に取り組んでいるのに、社会は無関心であった。みんな震災と原発事故の影響を心配しているような顔をしていましたが、そこには明らかな「断絶」があった。こういうときにこそ、普段は「社会的弱者がどう」とか「コミュニケーションと信頼がどう」とかいっている社会学者が動くべきなのに、なんで動かないんだと思っていました。そんななかで、五十嵐さんの柏の取り組みを知り、このような活動は広く知られるべきだと思いましたね。

五十嵐さんの実践、運動はただの「震災への対応」の意味を越えて、「新しい公共」の貴重な事例ともなるでしょう。震災後の困難のなかで、「新しいフォーマット」が生まれざるを得なくなってきているのは明るい話だと感じます。

五十嵐 開沼さんは、一貫して現状の脱原発運動に対し「あれだけでいいのか」とおっしゃってきたと思うんですね。これは誤解されても来たと思うんですが、市民運動に意味がないといっている訳ではまったくない。ただ「反対」を叫んでいればいいのかと。地に足をつけてなにか具体的に行動するローカルな運動がもっと必要なんじゃないかということをおっしゃっていました。そのひとつとして、ぼくたちの活動が評価してもらえたんじゃないかとすごく嬉しかったです。

この本に出てくる話は、すんごい小さな、すんごいささやかな話なんですよ。柏という小さな町だし、そのなかで多くの市民や、全部の農家が参加したわけでもない。ただ、やれることだけやっていこう。そのなかでは、可能な限りの多様性をもってやっていこう。それが、ぼくたちの基本的な方針です。

そのなかでも、多様性を大事にしたのが、すごく良かったと思っていて、脱原発もそうですが、いままでの社会運動って、ひとつの旗印のもとに、わーと集まるという、いわゆる「ワンイシュー・ポリティックス」の面があったと思うんです。でも、ぼくたちは地域を限ったおかげで、多面的に連関するさまざまな問題を考慮する必要がありました。

このようなスタンスでやっていくと、脱原発の問題だけではなく、これからの流通のあり方は? これからの農業は? これからの地域コミュニティは? と、地域が抱える問題に次々と直面する。結局、放射能の問題にしても、沢山の問題が絡んでくるなかで考えないと意味がない。わたしたちも、地域を限定したからこそ総合的にこれらの問題が見えてきたという面があります。

一方、福島のローカルな動きってメディアで取り上げられることが少ないと思うんです。福島ではどのような動きがあるのか、ぜひ開沼さんにお聞きしたくて。

開沼 福島にも農業にまつわる動きというのはあります。そのひとつは、福島大学で農業経済学を専門にしている小山良太先生らのグループが、福島市内でJAや生協と手を取り合いながらおこなっている放射線対策です。チェルノブイリ事故後のノウハウと、その間の20年で発達した技術も活用し、それをどう消費者まで届けるのかというところまで取り組んでいます。

この本を読んで、柏と福島、ぜんぜん違うところにいる人たちが試行錯誤の結果、なぜか同じような課題解決策をひとつずつ積み上げているなと、すごく不思議な感覚をもちました。「地に足のついた議論」といいますか、多くの人が合意を形成していく過程のなかで、結果的に似たような仕組みが出てくるのかと考えています。

もうひとつ例に上げるなら、いわき市の役所内にある「見せる課」も行政の取り組みとして注目しています。そこが、受け入れ先となって、消費者を地元の農家につれていったり、CMをつくったりと頑張っています。しかし、両者とも東京で普通に生活している人に、もっと知られている状況になって欲しいですね。

五十嵐 なぜ知られていないのでしょうか。福島をめぐる報道では断絶ばかりが強調されてしまいがちですよね。

開沼 行政や大学が外に向けて状況を伝えきれないのは他のことにも見られる問題ですね。目の前のことで精一杯になっているから仕方ないことだとは思います。

今回の震災は、放射能問題を筆頭に、行政だけでは手に負えない部分が多くあるんです。なにが自分たちの手に負えて、なにが手に負えないか。そういう区別をつけ、他の市民活動や企業・大学などさまざまなアクターと組んでいくべきなのに、なかなかうまくいっていないのかなと。

あと、福島のなかでも細かい運動はあっても、一枚岩になっていないから外からは見えにくいというのもあるでしょう。安全な食に震災前からこだわっていた人たちのなかでも、もう一度信頼を取り戻すため努力をしようというところと、もうこんなの危ないんだと過激な反原発の市民運動をはじめてしまった例もある。都会の方からしたら、福島内の過激なグループのほうが際立って見えてしまう部分もあったでしょう。福島の農家自身が自分の野菜を「危ない」といっていると思う人も多かったはずです。それはそれであっていいですが、「そうじゃないものもあるよ」ということがなかなか、伝わらないですね。

五十嵐 人って、みたいものだけをみて、信じたいものだけを信じるんでしょうね。だから、一旦そのループにハマりはじめると、極端なことをいう人をみて、そればかりに目がいってしまう構図がすごくあるような気がして。

円卓会議では、「みたくないものもみよう」というのをベースにしていました。たとえ同じ町でも、社会のなかで置かれている立場によって、見えている風景はぜんぜん違うんだと。それまでは、消費者と生産者が不毛な対立をしがちでした。そこを繋ぎ直すために、まずは「柏が好き」「柏を諦めたくない」という気持ちを共有していることを確認するところからスタートしていこうと。柏への思いには、消費者も生産者も違いはないはずだし、そこをしっかり共有できれば、いろんな意見の相違があっても、分かりあえるのではという発想でした。

開沼 「柏が好き」という限定された領域をベースとした繋がりがあったからこそ、断絶を乗り越えられたと。

五十嵐 そうですね。それをベースに農家や流通業者や測定業者、消費者がみんなで話合い、測定方法を決め、科学的にも担保できる水準を決め、それでぼくたちは1キロ当たり「20ベクレル」という数字をだしました。

よく「じゃあ、100ベクレルという基準は信用できないね。」といわれるのですが、そういう話ではないんですね。数値そのものより、自分たち自身で多様な利害を折り合わせて決めたことに価値があるんです。農家にとってこれ以上の高さはださないという目標でもあるし、消費者にとっても妥協できる、流通業者も他産種と比べ見劣りないと判断するし、測定業者もコストに見合った測定方法である。熟議を重ねた結果としての、「20ベクレル」という数字なんです。

なので、「なにがなんでも0ベクレルでなければ嫌だ」という方は今回のプロジェクトのお客様ではないかもね、という想定があったんです。0ベクレルを科学的に定量するのには恐ろしくコストがかかりすぎちゃって……。事実上不可能なんですよ。誤解がないようにいっておくと、コストをかけて測定すれば、ほぼ0ベクレルな野菜がほとんどだと思います。でも、すべてが0であることを証明することまで求めると、そこにすごくコストがかかるんですね。正直、そこまで厳密にすることに積極的な意義を見出せませんでした。

ぼくたちは、円卓会議を普遍性を目指す社会運動ではなく、あくまでも特定のマーケットを狙ったマーケティングだと考えているんです。この姿勢に共感してくれるお客さんと、この基準でやっていきたいと思う農家さん。その間を繋げながら、地産地消でまとめ上げるというマーケティングです。

開沼博氏(左)と五十嵐泰正氏
開沼博氏(左)と五十嵐泰正氏

「私のことはほっといて」

五十嵐 でも、円卓会議では、やり残している点があります。それは、「0ベクレルじゃなきゃ嫌だ」という人に語りかける言葉を、もっていないんですよ。震災から、2年がたって、それでもまだみたい情報だけみて、信じたいものだけを信じて。そうやって社会が分断されている状況が、ぼくは良いことだとは思わないので。開沼さんは、彼らにどう語りかけていけばいいと思いますか。

開沼 難しいですよね。先ほど例にだした「見せる課」の方がこのようなことをおっしゃっていました。市民の態度は4パターンに分けられると。1つ目は「はじめからぜんぜん気にしていない方」、2つ目は「前は気にしていたけど、いまは大丈夫だろうと納得して買っている方」、3つ目は「大丈夫かも、と思いはじめているけど、納得しきっていないので買わない方」、4つ目に「以前からずっと頑なに買わない方」。

放射線量をめぐる問題は科学的な話でもあるんですが、もはや宗教的信条として捉えた方が分かりやすい側面もあります。そもそもの生き方や、受けてきた教育、周囲の人間関係、今後の見通し等々にかかわってくる問題であって、科学的合理性で解決しきれる問題ではない。いくら、「農業が」「線量が」という話をしたって、その断絶を乗り越える言葉を見つけるのは難しいのかなと思っています。

そのなかで、「頑なに買わない方」をどう変えるか。これには答えはありません。とりあえずは、3番目の「納得していないので買わない方」に働きかける。別に必ず買って貰う必要はないですが、まずはコミュニケーションをとっていく。そして、こういう価値観もあるんだよと、間接的に伝えていく。それしかないのかなと。それくらい、4番目の方は手ごわいなと思っています。

五十嵐 「泣くな、はらちゃん」(日本テレビ)というドラマをご存じですか。ぼくは好きで、昨日もみたんですけど。

テーマソングの歌詞を調べたら面白いことをいっているんですね。「世界の誰の邪魔もしません 静かにしています 世界のなかの小さな場所だけあればいい おかしいですか? 人はそれぞれ違うでしょ? でしょでしょ? だからお願いかかわらないで そっとしといてくださいな だからお願いかかわらないで 私のことはほっといて」(「私の世界」)こういう歌詞。ある意味、とても多文化主義的なビジョンなんですね。

限られたマーケティングを目指している円卓会議自体、じつはこうした「小さな世界」を目指していたという位置づけもできるかもしれません。行政が発信する情報のほかに、セカンドオピニオンをだして、ぼくらの発信方法、ぼくらの基準で納得してくれ、地元への気持ちを共有できるお客さんを見つけながらその人たちに届くことをしようと。そこには、その価値観を共有できるコミュニティをつくる意味合いもあったんですね。

原発事故以降、あちこちでまさに「小さな世界」がつくられているという状況がつづいています。いままで絶対に事故は起こさないといっていた科学が、いや心配することありませんって、わーと情報を押しつけてくることに、信用できないとリアクションすることは、当然のことだと思うんです。自分たちの信用したい小さな世界をみて、「私のことはほっといて」「食べて応援なんて押しつけないで」という時期があっても仕方ないんじゃないかな。

あれだけの大事故があって、あれだけの混乱があって、なにも信じられないという時期があったのですから、しばらくはそのぐらいの価値観の分断があっても、自然ですよね。

ほっとかれる以上に、「農家は毒をつくるな」といわれると、むしろ生産者の側が「ほっといて」という気にはなってくるんですが(笑)。

それはそれで必要なプロセスだったと思うんですが、そろそろ、「私のことはほっといて」という世界からみんなが少しずつ踏み出して、歩み寄らなきゃいけないのかなと思いますね。円卓会議のやるべきことはマーケティングという意識だったために、言い方は悪いですが「費用対効果」の悪いゼロベクレル志向の方たちに対しては、「お客様にはご縁がなかったですね」というスタンスをとっていましたので、それ以上は語りかけるべき言葉をもっていませんでした。そこにどう語りかけるべきだったのか、いまになって考えることがあるんです。

開沼 そうですね。もめることはいままでも繰り返されて来ています。それで、建設的な議論になればいいんですが、逆に断絶が深まってしまう場合の方が多いのかもしれない。震災以降、議論すればするほど、後者がせり出してしまった状況があるんですね。きっと前者のもめ方ができたのが、円卓会議の事例だと思うんです。

成功したポイントが、地域を限ったという点にあるのが面白いですね。地域という「限られた箱」があるからこそ、多様な人々が、誰かを攻撃しても前に進まないし、嫌だったら抜け出せる。そこにいたい人が、地元のために残ると。

一方、ソーシャルメディアでの「危険か」「安全か」論争って、実際の空間的な限定がない故に、「自分のことが正しいんだ」という新しい枠組みをつくって、「あいつもこういっている」「こいつもこういっている」という多数派とり合い合戦をしてしまうんですよね。結局、この論争ではなにも生まれていない。

地域を限った以外に、柏の成功要因として思いつくことはありますか?

議論をずらす

五十嵐 野菜を買う、買わない、というのを議論するときに、安全性だけを問題にしてしまったら、すごく苦しかったと思うんです。よく、「買って応援・食べて応援」という言葉が使われますが、「応援」ってちょっと違うよね、という意識を共有できたのは大きかったのではと思います。

「応援」って、助ける人がいて、助けられる人がいて、なんだか消費者が被災者に対して上から目線で「助けてあげる」みたいな感じじゃないですか。柏の野菜はすごくレベルが高くて美味しい。自分たち消費者にとっても、これは自分が美味しい地元の野菜を食べつづけるための運動なんだと、価値づけと目的意識を転換することが重要でした。この地域の魅力を失いたくないという思いを消費者の側もベースとして共有できたから、農家と消費者という一番対立しやすかった関係を繋げられた。要は、柏の農業に魅力がなかったら、この試みはそもそも駄目だったと思うんですよ。

一方、「ここが駄目なら引っ越せばいいじゃん」といった、移動へのハードルが低く、地域への愛着が薄い住民に対しては、価値観を共有できなかった可能性はあります。地域の消費者と生産者という、ぼくらが一番越えたかった分断は越えられた反面、この運動によって、もしかしたら別の区切りを生んでしまったのかもしれません。

開沼 いまのお話を伺って思いだしたことがあります。以前、東海村の原発を考えるフォーラムで議論の進行役をしたんです。原発のシンポジウムって、独特の雰囲気になることも多くて、株主総会とか糾弾会かと思うくらいに野次・怒号が飛び交うときもある。どう話合っても価値観がズレる人たちが集ってしまう場なので。だから、はじめから脱原発派しか集まらなかったり、推進派しか集まらなかったりすることも多い。

でもそれじゃあ「議論」にならないから、ちゃんと推進・容認派も反対・慎重派も集めて議論の場をつくっていこうとする動きも出てきている。東海村も、そういう対立する意見も同じ場に集めようとフォーラムを毎年開いているんですが、やはりもめることもあったそうです。それで、ただもめて終わっても仕方ないんで、工夫をしました。どうするかっていうと、論点を「原発推進/反対」から「東海村の未来のためになる/ならない」という軸にずらしたんです。つまり、「あなたは原発に反対するのか、賛成するのか」ではなく、「どのように地域をよくしていくのか」と問いました。

すると、原発推進派の人が、皆が納得しながら原発と地域とが共存できる方法を話したり、反対派の人が雇用がなくなってもこういう方法があるのでは、と建設的な話になったりして。こういうふうに論点を切り替えるだけで、ものごとがすんなりいくようなことってあると思っています。

震災後の状況に対し、「原発さえなければ」という話をしだすと、そこで話が止まっちゃうんですよね。その論点を、「自分たちはこれから、なにがしたいのか」「この地域をどうしていきたいのか」という話に切り替えていくと、安全性は確保したいよね、原発はこう考えたいよね、と建設的に話合える。少しずつ答えは見えてくるのかなと思いますね。

とはいえ、問いをずらしながら価値観の違う人どうしの境界をちょっとずつゆるめていくことで解決できる部分と、できない部分があります。できない部分はどうしたらいいんでしょうね。

福島の場合は、震災後の一定期間、地元のスーパーにいくと福島産の野菜と、非福島産の野菜の売り場が別れているのもみられました。福島産のものがちょっと安くて、お年寄りが買っていくという光景があった。一方、柏の場合は東京の飲食店に提供したりと、自分たちでは処理できない部分があると思うんです。非当事者にもこの価値観をどうやって輸出していくのか、考えていることはありますか。

五十嵐 これだけの流通が発達した消費社会では、当事者性って地域だけではいえないところがありますよね。たとえば、いま、いわきで円卓会議のような取り組みをいっているグループと交流があります。いわきは大生産地なので東京にも出荷していますが、地域のなかで循環させるには人口密度が希薄だという弱いこともある。柏と同じような方法では難しいと思うんです。彼らもそう感じています。

一方、いわきは湯本温泉だとかアクアマリンだとか、観光という魅力もあり、いわきが好きで、震災前はよく観光に来ていた人たちもいます。ここに住んでいるから「当事者」ではなく、ある種の交流人口も含めて当事者性をもたせていく。あるいは、大規模流通を前提に仲買や卸業者の人も、いわき版円卓会議には加わってもらう。大消費地の東京と繋がるという座組みにも可能性があると思います。

とはいえ、ホームを大事にすることはもちろん必要です。先日のシンポジウム(https://synodos.jp/fukkou/764)で、水産関係の勝川俊雄先生(三重大学生物資源学部准教授)が、「ホームで勝てないものがアウェーで勝てるはずがない」とおっしゃっていて、本当にその通りだなと思いました。いわきで支持されないものが、東京で買われるわけがない。足元で支持されていくという基盤があって、その次のステップがあるのかなという気もしますね。そのあたりは、慎重かつ戦略的に考えていかなければいけないと思います。

「ひきがね」が引かれた3.11後の世界

開沼 いわきでは、品種によって、売上が落ちている作物と、むしろ震災前よりも売上が伸びているものがあるようです。しかし、高齢化や輸入野菜の影響によって、そもそも震災以前から農業の売上全体が減少していたともいえます。震災以前から危機にさらされていたのに、さらにネガティブな要素まで重なってしまったんです。

大づかみに「復興」という言葉がよくいわれますが、そもそも震災前からの問題をどう乗り越えていくのかということを考えた方がいいと思います。

五十嵐 やはり、災害以前の問題として、人口が減っていくという日本の現状がありますよね。いままで日本は人口がどんどん増えていくという前提でさまざまな政策を行い、インフラを整備してきました。たとえば、開拓や干拓で農地を増やした。けれど、いまは農地が余っている。これからは住宅も余ります。柏だってそうです。1970年代に開発された駅から離れた団地や建売住宅が並んでいる地区では、くしの歯が抜けるように人が少なくなっています。

駅から遠く離れているので、子どもたちが同居しようとも思えないし、住民が高齢化し、年金生活をされていると家賃が4万円くらいしか払えない。家賃が高くなると払えなくなるから、一部に古いままの団地を残しながらリニューアルをしたりしています。広大なニュータウンに夢のマイホームを手に入れた人たちも、高齢化し、人口が減り、商売にならない商店が撤退してしまうと、たちまち買い物難民です。

こうした問題への対処法として「コンパクトシティ」という考え方があります。理念的にはいろいろあるんですが、日本で現実的にこれが議論されるときには、交通が不便なところで孤立している高齢者たちを街中に集め、高層住宅のようなところに住んでもらう、歩ける範囲で買い物や病院にいけるようにしてもらおうという発想なんです。でも、いまその発想の先進地域がどこかというと、雪国である青森市や富山市です。もはや行政が町全体を除雪する体力がないという財政的危機感から、コンパクトシティへの切迫感が強いんです。

つまり、日本はもう広大に広がった兵站を維持することができないだろうと。おそらく、このコンパクトシティの発想が、放射能や津波の被害をこうむった地域に尖鋭的なケースとして出てくると思うんですよ。たとえば、三陸では津々浦々に小さな漁港があったところが全部津波でやられてしまいました。それを全部復興させるのは無理だから、ひとつの港に復興の集約化をしようという話が出ています。

また「避難指示解除準備区域」というのがありますよね。年間積算線量20ミリシーベルト以下に除染できそうな場所です。しかしそうした地域に関しても、全部の田畑や森林に除染をするというのは現実的ではない。とりあえず住宅地を優先的にしていく。さらに、散らばった集落をあるひとつの集落にまとめた方がいいのではという意見もある。これは先程のコンパクトシティの概念が、すごく尖鋭的に求められている例だと思うんですね。でも、自分の住んでいる小さな集落に対する思い入れが、個々人ではものすごくあるわけですから、それを誰がどう調整していくのか。そのあたりは難しいですよね。

行政ができること、民間ができること

開沼 大きな背景として、かつて地域にあったガバナンスの枠組みが弱体化している状況がありますよね。昔だったら、大規模な開発をする際には地元の土建屋を中心に合意をとって、農家、漁業の方には保障なり、新しい職を提供するなりして、ここはこういうふうに蘇るんだと、バラ色の未来を提示していたわけです。

ところが、バブル前から徐々にその方法が効かなくなっていた。まさに、地域が疲弊しているときに震災が来たといえます。大きな政治に期待すべき部分もあるけれど、期待すぎてもだめで。じゃあ、下から湧きあがってくるなにかに期待をしてしまう。

そのなかで、「行政だけじゃ駄目だ、地元の人に意見を聞こう」といって、とりあえずワークショップをやりまくるみたいな動きが、けっこう支援者のなかにあるんですね。それ自体はいいんだけど、ワークショップをやりはじめてしばらくしてから、「今日はこのメンバーだからこんな感じの結論になる」ということが議論しなくても分かってしまって。その結論も、「それぞれの価値と判断を尊重しましょう」といったものになってしまっている。下から湧きあがってくるものに期待しすぎていても、「良くないかたちの相対主義」みたいになってしまうんですね。

とくに弱っている地域では、お上も期待できないし、下から湧きあがってくるものにも期待できないという状況があると思います。でもそのなかで、行政が、なにができて、なにができないのか、その整理の仕方をぼくらの側でもつくっていかなければいけないのかなと思いますね。行政と民間が協力しながら、うまく地域をつくっていくというのが理想だと思います。その点、円卓会議はうまくいっているなと感じました。

五十嵐 よく、行政を批判する人がいますが、彼らは行政に対して、期待が大きすぎるから批判してしまうという側面があるように思います。ぼくたちは最初から行政に過度に期待しなかったことが結果としてよかったのかもしれません(笑)。

行政には、国・県・市という一本のラインのなかで、包括的に一貫性をもって、さらに長期的かつ大規模に取り組めるという強みがある。一方で、行政ができないのは、ある特定のターゲットにしぼった援助です。できないというか、やってはいけませんよね。

たとえば、円卓会議の事例では、小規模農家で、少量多品種、直販を中心としている農家をターゲットにしました。一番補償が受けづらく、一番売上が減少し、なおかつ、柏の地域特性を考えるとまだまだ伸びしろがある農業形態だと思ったからです。でも、行政はそこに特化したプログラムをしちゃいけない。柏には色々な農家があるからです。行政のやり方にとって代わろうではなくて、「セカンドオピニオン」と表現したのはその意図があったからです。ぼくたちは民間なので、そうした公平性原則には縛られず、細かなニーズに特化した取り組みがとれるんです。

行政ができないことと、民間にできないことがそれぞれあるので、互いを批判し合うのではなく、補完的に組みあわせていくことが必要だと思います。その上で、行政がさまざまな民間の動きをプラットフォーミングしてくれたら助かりますね。行政の情報では満足できない人に、こういう民間の取り組みがあるよと、市役所のHPから誘導できるようなかたちになったら面白いですし、きっと逆に行政の信頼性も高まるのだと思います。

パターナリズムと支援のはざまで

開沼 行政もそうですが、住民の自発的な動きも、「住民の自発的な動きだからなんでもオッケー」っていうことでもなくて、それはそれで変にやりすぎるとパターナリズムになってしまう可能性もあるんですよね。行政じゃない人間が新しい土建屋のようになってしまっても違う。どこら辺が、倫理的にも合理的にもいいのか、というところを探りたいなとは思っているんですが、答えはまだ見つかっていないですね。

五十嵐 「パターナリズム」とは、父親が子どもに「こうした方が良いだろう」と啓蒙的に押しつけてくることですよね。

開沼 そうです。ひとつ、興味深い事例があるんです。「ありがとう ふくしまは 元気です」というCMをご存じでしょうか。これは郡山の商工会がつくったものなんです。「ふくしまは元気です」だと、行政が無理やり大丈夫だといっているような印象を与えかねない。でも、「ありがとう」をつけることで、押し付け感がなくなる。「支援してくださっている善意のあるあなたのお陰で、福島は元気なんですよ」という文脈になって、クレームがなくなったというんです。

五十嵐 面白いですね。一方、変にねじれて残念だったなというコンセプトもありますよね。ぼくが思い浮かぶのは「食べて応援、買って応援」というスローガンです。これはおそらく、コンセプトとしては良かったんですが、いまはいいにくくなっちゃいましたよね。その一因として、いう時期が早すぎたことがあると思います。

震災が起きてすぐの、三月の下旬ごろから盛り上がって、四月、五月にはもうバックラッシュを食らってしまった。あのころは飲料水でさえ安全かどうか分からない時期なのに、「買って応援」というのは早すぎた。すると、「可哀そうな被災地のために、東京が買ってあげる」という上から目線と、お上に押しつけられているというパターナリズムに反発する、という枠組みに回収されてしまった。せっかくいろんな可能性をもっていたはずの言葉なのに、すごく残念、かつ、もったいないことですよね。どんな運動や言説でも、普遍的に「正しい」ものなんてなくて、その正当性や効果はタイミングや社会的背景に依存するんだということを痛感しています。

買う人が売る人を助けるという話ではなく、自分たちの社会を回していくために、どこまでどういう風に妥協したら、自分たちもこれくらい折り合えるかということを、もっと時間をかけて納得していく。その大前提として、汚染状況がある程度分かってからやるべきでした。「食べて応援」は福島対象というだけではありませんでしたから、たしかに震災直後こそ「被災者を応援しよう」という熱が高まりやすい時期だったのも事実なのですが。

開沼 この話からも伺えますが、「パターナリスティックなもの」VS「パターナリズムへの批判」という構図が何度もねじれて、問題がこじれてしまった部分はすごくありますよね。パターナリズムから逃れようとするためのパターナリズムが生まれて、またそれから逃れようとして……と、ずっとすれ違いつづけてしまうことで、事態が解決しないばかりか、より深刻になってしまう。

五十嵐 いまは、震災直後とは違い、いろんなことが明らかになりました。どのくらい汚染された土壌から、どのくらい汚染された野菜やお米ができるのかも分かるようになった。少なくとも、農業に対してはほとんどのことが分かっています。

また、どういう対策をすればいいかということも判明してきました。たとえば、カリウムの利用です。カリウムは植物の成長に必要な栄養素で、化学肥料には必ず入っています。じつはこのカリウムはセシウムと化学的な性質が非常に似ているんです。なので、カリウムでが土中に十分にあると、作物がセシウムを吸いにくくなります。

この前、農林水産省と福島県が、少なくとも稲に関しては、土壌の放射線濃度と作物中の放射能濃度に相関はないと発表したんです。つまり、カリウムがどれだけあるかということが決定要因だと。これは少し勇み足ではという専門家の意見もありましたが、どちらにせよ、現在の現状把握や対策に関する研究の進展にはすさまじいものがあります。

福島や柏の農家の方々は、大変放射能について勉強していますので、土中のカリウムが過少にならないように農業をなさっています。化学肥料を嫌いがちな有機栽培の方も、カリウム量を意識しています。さらに測定の体制も整い、土質の調査もしていますので、できる限りのケアをしているといえるでしょう。

つまり、土壌の線量と作物の放射能濃度に相関がないということは、万全のケアがされている福島や柏産の作物よりも、そこまで体制が整っていない他地域の方が濃度の高い米を生産している可能性さえあるわけです。

そのなかで、「ホットスポット」と名付けられた産地という理由だけで、その農産物を買わないという行為に、科学的な妥当性はないですよね。勉強も対策もして、確実に安全だというものをだしている。それでも産地が理由で買われない。農家としても「差別」といいたくなるような ――まぁ、これは強い言葉かもしれませんが、―― 状況になってきている。

「差別」の使い方

五十嵐 商品に対して「差別」というのは違うのではないか、という人もいらっしゃるかもしれません。でも、農家の方は、本当に気持ちを込めて、自信と誇りをもってつくった作物を提供している。それを生産者の人称性と切り離して、「商品選択」と言い切ってしまうのは違うんじゃないかなと思うんですね。

実際に、万全の自信をもって出荷した野菜を「〇〇産だからイヤ」といわれた農家さんは、自分たちの努力と誇りが踏みにじられたと傷つくわけですから。そこで補償を取ればいいじゃない、って安易にいっちゃうのは、そう簡単に補償なんてされない場合もあるよっていうことだけじゃなく、すごく暴力的なことでもあると思うんですね。一方で、「商品差別をやめましょう」というと、パターナリスティックになってしまうという懸念もあって。

放射能を気にして買わないという方は、一般的にリベラルの方が多いですよね。いろんな差別に敏感だった方が、ここだけはなんで、という差別に加担して平気なんだろうと思ってしまいます。このあたりのことを「差別」という言葉で、フレームアップしていくということが、どのような言説的な効果を生んでいくのか。微妙な軋轢や誤解を招くので、いままでいわないで来た言葉なんですけれども。

開沼 「差別」と名指ししてしまうことのメリットとデメリットがありますよね。みんなで差別を自覚してなくしていこうと課題解決に向かう場合と、「ここに差別がある」ということ自体が差別をつくってしまう場合と。でも、「差別」といわずに無視していいのかというと、そうでもないと。非常に難しい問題だと思います。

差別を「政治的な差別」と、「市場的な差別」に分けて考えるといいんじゃないかと思っています。その区別でいくと、リベラルといわれている方は、「政治的な差別」にはきわめて敏感です。が、「市場的な差別」には驚くほど鈍感なところがあります。たとえば、「福島の子どもたちを避難させよう」というトピックにはとても敏感ですよね。ある種の分かりやすい「被害者」や「弱者」がいる場合は、外部のリベラルな人が乗っかり易い。

けれども、もうちょっと微妙な「市場的な差別」となると目が向きづらい。たとえば、いわき市の港であがっているサンマは、北海道やロシアの方でとったものです。しかし、その船が築地に入るのか、いわきに入るのかで、価格がぜんぜん違う。

いわきから来た魚には値がつかないわけですよ。むしろ、いわきであがった魚介類の方が細かく線量を図っていて、科学的には問題ないことも明示されているはずなのに、なんらかの印象や前提があって、「食べたらケガレてしまう」と感じている方がいるのかもしれません。だとすれば、いままであったさまざまな謂れなき差別との差異はきわめて不明確です。でも、こういう市場で起こっている差別に対して、「われこそは弱者やマイノリティーの問題に敏感だ」という意識が強いような、いままで差別に反対してきたはずのリベラルな方の目が向かないという不可解な状況があります。

「差別」ということをいうときに、そのメリットを最大化させ、デメリットを最小化する方法を考えなければなりません。母子避難した方を保障しましょうという話も議論しつつ、放射線の問題とはほとんど関係ない会津なども含んで福島全体を十把一絡げにして、「絶対に修学旅行ではいかない」という現状も差別として捉えていかないといけないんだと思います。しかし、ただ気づいていないだけならまだいいんですが、むしろ、本来ならば差別であるはずのことを、リベラルな方が煽ってきたのがこの2年だったりもする。

「断絶」を超えるために

五十嵐 そろそろ、セット思考みたいなものを、やめなければと思いますね。たとえば、放射能の問題に取り組んでいたら、原発反対、東電糾弾みたいな風潮ってありますよね。

でも、ぼくたちが会議で原発どうこういうことは一切ありませんでした。なぜかというと、農業をどうするか、測定をどうするかと実務的に考えることと、原発への賛否は直接的には関係がなかったからです。ぼくたちにとっては、前者の方が圧倒的に優先順位が高かったので、そこだけに集中した。

開沼さんも批判されていましたが、脱原発運動ってとにかく話を盛る傾向があるように思います。放射能の危険性を過剰に煽る。盛らないと脱原発をいえないというのはおかしな話で、いま明らかになっている確実に危ない点、たとえば出口の見えない放射性廃棄物の処理問題だけでも、脱原発を主張するに充分な問題ですよね。

それを、「もう東京に住めない」「福島の野菜は食べられない」とか、人を傷つけながらそこまで盛る必要ってどこにもないですよね。今後のエネルギーをどうしようって話と、農業はどうするか、福島に対する差別をやめようというのは、本来そもそも違う話のはずなのに、なぜかそこが一緒になって、「東電や原子力ムラを免責するのか」とまとめて扱われてしまう。

そのセットで考えてしまう考え方を変えていかなければなぁと思うんです。とはいえ、ぼくらがこんなに苦労してきた原因は全部原発にあるといってもいい。非常に理不尽なことが起こったが故に、みんな辛い思いをしてこんなことをやってきたというのも事実なんです。その未曽有の事故の経験を、どう分断ではなく繋いでいく方に向けられるか。

ぼく個人としては、今回の件で地域の農業に目を向けることができました。このきっかけがなかったら、どんな風に野菜を農家さんがつくっていたのか、どんな風に流通していたのか、知ることができなかった。農業だけでなく、電力に関しても、ぼくたちの都会での便利な暮らしはどのような構造や犠牲の上になり立っていたのか、3.11は本来そういうことを考え直すまたとないきっかけになったはずなんです。

でも、そういう機会にできた人ってけっこう少ないのではと思います。たとえば、煽るような情報だけにさらされて、福島は死の町で「そんなところの野菜は毒」と一刀両断するところまでいってしまった人たちは、自分の生活を支えてきた本当に大事なことが見えないまま、いままで来てしまっているのではないでしょうか。それって結局、危険な「フクシマ」を自分とは連続していない切り離し可能な対象物として、「安全」が確保された高みから見下ろしているだけのような気がして。

開沼さんに伺いたいのですが、脱原発の運動はこれからどういう風にバージョンアップできると思いますか? その可能性があれば教えていただきたいと思います。

開沼 問題の設定の仕方を変える必要がありますよね。「排除と包摂」という言葉を使いながら考えてみましょうか。「包摂」には2パターンあると思うんです。

社会運動の大きな役割として、「排除されている人を包摂していく」ことをあげられるでしょう。たとえば、いくら努力しても覆しようがない状況にいる人たちだから、こういう福祉制度をつくっていきなさいよ、という話です。これを「包摂による包摂」といいましょう。そういったかたちの反体制運動はすごい意味をもっていたと思うんです。しかし、原発の問題に関していえば、少し様子が違ってきている。

既存の脱原発運動って、福島の問題に苦しむ人たちに負のレッテルをはる、スティグマを与えることで、自分たちの活動を維持しているところがあります。「福島は危ない」「福島を2度と起こすな」「福島は苦しんでいる」……。「福島の人の声を聞いた」とかいっても自分たちに都合のいい話しか拾わない。福島が不幸であればあるほど自分たちの運動が盛り上がることを知っていて、「福島=不幸」という構図をより強化しようとする。排除することで、自分たちの社会運動の正当性と持続性を保とうとする。

これは「排除による包摂」といってしまっても仕方がないように思います。「あいつが駄目」といわない限り、自分たちの包摂が達成されないんですね。あの地域の農家は放射能まみれの野菜をつくっている。だから自分たちの身を守らないといけないという論理です。

大飯原発再稼働のときも、住民の方は非常に嫌な思いをしたと聞きました。他の地域の人たちが、「いつまで、原発マネーに頼っているんだ」と大騒ぎして、帰っていく。原発マネー以外で新しい地域づくりをしようという「包摂による包摂」を進めるべきなのに、ただ恫喝して帰ってきてしまう。お互い嬉しくない状況ですよね。

そうみたときに、「左翼っぽい」っていうところとは表面的な違いはあるかもしれないけど、在特会となにも変わらないわけですよ。なにかを排除するきわめて虚ろなレトリックを駆使することでしか自分たちが包摂される運動体を形成できない。そう思って現在のさまざまな糾弾型の社会運動をみると、「包摂による包摂」から「排除による包摂」に運動の裏テーマが変わってきているようにも見えます。

もし、脱原発運動がバージョンアップできるとしたら、「包摂による包摂」へフォーマットをつくりなおす必要があるかなと思っています。今後は、負の烙印が押されてしまった福島をはじめとする広い意味での3・11の影響を受けた人や場所を、どうポジティブな文脈のなかに位置づけるのかということがわたし自身の直近の課題ですね。

(2月3日 『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』刊行記念イベント「どうすれば『みんなで決める』ことができるのか?」「断絶と無関心を超えて」より抄録)

プロフィール

五十嵐泰正都市社会学 / 地域社会学

筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授。都市社会学/地域社会学。地元の柏や、学生時代からフィールドワークを進めてきた上野で、まちづくりに実践的に取り組むほか、原発事故後の福島県の農水産業をめぐるコミュニケーションにも関わる。他の編著に、『常磐線中心主義』(共編著、河出書房新社、2015)、『みんなで決めた「安心」のかたち―ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』(共著、亜紀書房、2012)ほか、近刊に『上野新論』(せりか書房)。

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開沼博社会学

1984年福島県いわき市生。立命館大学衣笠総合研究機構特別招聘准教授、東日本国際大学客員教授。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『はじめての福島学』(イースト・プレス)、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義 』(幻冬舎)、『「フクシマ」論』(青土社)など。共著に『地方の論理』(青土社)、『「原発避難」論』(明石書店)など。早稲田大学非常勤講師、読売新聞読書委員、復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員、福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)ワーキンググループメンバーなどを歴任。現在、福島大学客員研究員、Yahoo!基金評議委員、楢葉町放射線健康管理委員会副委員長、経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会原子力小委員会委員などを務める。受賞歴に第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞、第36回同優秀賞、第6回地域社会学会賞選考委員会特別賞など。

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