福島の「帰還か移住か」を考える――経済学の視点から

科学物質のリスク評価を長年研究してきた中西準子氏による『原発事故と放射線のリスク学』(日本評論社)が刊行された。専門家同士の垣根を越えた対談と、除染に関する目標値の提案を柱にした本書は、「タブー」とされてきた数々のものに、リスク評価の観点から切り込んでいく。今回は、第3章「福島の「帰還か移住か」を考える――経済学の視点から」より飯田泰之氏との対談の一部を抄録した。(構成/柳瀬徹)

 

 

原発事故と研究者の責務

 

中西 福島第一原発事故により、第一原発周辺地域では今でも多くの方々が避難や移住を強いられています。除染も思うように進まず、補償の方向性も定まっていません。

 

とくに除染に関しては莫大な費用がかかる上に、おそらく政府が目標として設定している線量まで低減できない区域も出てきてしまうでしょう。はたして除染と帰還だけを前提にした政策が正しいのか、経済学的な視点で分析していただくとどうなるのだろうというのが、飯田先生にお話をうかがおうと思った動機でした。

 

飯田 僕は東日本大震災以降、とくに岩手県の被災地に行くことが多いのですが、徐々にではありますが明るい話ができるようになってきました。「湾で採れたわかめで新しい加工品を作ったんだ」「東京で一括仕入れをしてくれるところが見つかった」といった、苦しいなかでも前向きになれるものが芽生えつつあります。一方で、被災の爪痕が色濃く残るところ、なかでも原発周辺地域は今後の問題が宙吊りになったままで、新しいことを始める踏ん切りがつかないという人も多い。それが過酷な現実なのだと思います。

 

復興から今後へというフェーズが見え始めている地域では工場再建や橋の新設といった一つひとつの変化に希望を感じることができる。でも第一原発周辺地域ではどちちに進むのかもわからない。方向性だけでも早く決めることも政府の仕事なのですが、なかなか示されないまま時間ばかりが過ぎてきたのです。

 

このような状況の中で災害や原子力以外の研究者も専門家としてできることが少なからずあると思うんですが、論争的になることをものすごく避ける人と、やらなくていい論争ばかりする人に分かれてしまっている印象があります。

 

中西 社会科学系には多いですね(笑)。よくわからない罵倒をしてくる人も多いですし。

 

飯田 ある地域を除染すべきかすべきでないのかといった具体的な論争ならば生産的なのですが、いわゆる評論家は細部を知らないからやたら大きな話にばかり終始したり、アカデミックな研究者だと研究方針や姿勢をずっとチクチクやりあっている。これは不毛だと思います。この問題だけではなく、たとえば経済学者ならば経済政策について論争すればいいのに、ものすごく小さな経済モデルの枝葉末節について何年も論争していたりする。逆にまったく論争をしない経済学者もたくさんいて、どちらも面白くないし、役に立たないなと思ってしまいます。両者の架け橋を作らなければならない。

 

今は目の前に、あらゆる分野の人が脳みそを絞っても足りないくらいの巨大な問題がある。問題を分割し、分析し、そして判断しなければならない。このような実際的なプロセスに興味を持っている人が少ないことに驚きます。

 

中西 それでも自然科学の分野では多くの人が福島の問題には取り組んではいるけど、個々別々の小さなことにみんなが専念してしまって、そこに研究費がいっぱい落ちてくる。除染も帰還も大きな問題ですが、その全体を見ようとする人がいない。私は個人的な事情もあって、ものすごく遅れてこの問題に入ってきたので、自分が全体について貢献できることがあるなんて思っていなかったんです。

 

飯田 もう細かい専門分野の中だけで論争だけをしている段階は終わっているんじゃないか、そろそろ細かい話を統合して判断すべき時期なのではないかということですね。

 

中西 そうです。いつまでにどのくらいの線量まで下げて、そのためにどのくらいの費用がかかるという試算なんて、すでに誰かがやっているだろうと思っていました。

 

 

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「べき論」ばかりが繰り返される

 

中西 しかも私たちは自らデータを取ることができません。環境省や文科省の人たちは線量率の詳しいデータを取ることができますが、私たちは2011年11月に発表された粗いデータからの推定でやるしかなかった。今はもっと精度の高いデータがありますけど、当時はそういう状態でした。だから「もっと良いデータを持っている方々もいらっしゃいますが」とイヤミを言いながらやっていました(笑)。

 

とにかく推計に推計を重ねて試算を発表したんですが、その反響がものすごくて、逆に驚いたんです。えっ? ほかはやっていないの? と。霞が関ではすでに内部では試算していて非公表にしているだけだろうと思っていたら、二日後くらいに「省内で勉強したいのでデータをご提供いただけませんか」との話があり、驚きました(笑)。

 

飯田 うわあ(笑)。ベンチマーク推計すらないと……。

 

中西 誰もやっていないことにびっくりしました。全体をまとめて考えようという研究者がいないのか、怖くてやらないのか、どっちなのかはわかりません。

さらによくあるのは、結論が「さらに研究を深めるべきだ」で終わってしまう研究です。

 

飯田 「一層の研究が待たれる」ですね。

中西 そうなんです。これも検討すべき、あれも視野に入れるべき、この繰り返しでまったく議論が深まっていかないし、現実に何も寄与しない。低線量被ばくの問題でも、震災直後に日本学術会議の放射線の有害性などを研究していたグループが緊急提言(「福島第一原子力発電所事故後の放射線量調査の必要性について」平成23年4月4日、日本学術会議東日本大震災対策委員会)を出していましたが、結論は「多数の測定者による大規模調査が必要であり、大学等の協力を得て早急に実施することが望まれる」なんです。

 

今年(2013年)の六月末にも学術会議の社会学委員会が「原発災害からの回復と復興のために必要な課題と取り組み態勢についての提言」を発表していましたが、やはり漠然としている。「原発事故に起因する諸被害には前例がないもの、すなわち、これまでの法制度枠組みが想定していないような被害・損失が多発している。それゆえ、効果的な対処のためには、従来の法制度枠組みにとらわれない思い切った対処策の形成と実施が必要とされる」。こんなことを今さら言われても、と正直思ってしまうわけです。

 

飯田 それは誰でも知っています、としか言えません(笑)。

 

中西 「低線量被ばくの影響については、国際的にも、日本国内でも、様々な意見・学説が存在する」とか。

 

飯田 それもまた日本人全員が知っていることですね。

 

中西 結論がないんです。「~すべきだ」と言っているその人たち自身は何をしたいのか。

 

飯田 研究者が全くリスクを取らないというのは大きな問題だと思います。その結果メディアでなんの科学的根拠も無い断言ばかりが注目される。行政の一部にも、科学的リテラシーの不足からそういった疑似科学を公的に支援していたりする。「科学的な正しさ」にはグラデーションがあります。完全に間違いとか完全に正しいと断言できるものは非常に少ない。その一方で、まぁ九分九厘正しい(誤りである)といえるものは結構あるわけですよ。喫緊の問題がある中ではこのようなほぼ正しい、ほぼ間違いという認識をもって「我々は~を行う」「~を行った」という結びにならなくてはいけない。

 

中西 そうなんです。少し粗いかもしれないし、間違いもあるかもしれないけど、ともかく具体的な考えを出していかないと何も進められません。

 

ただ、私もそうですが、自然科学や医学の研究者も、原発事故について予測を誤った部分がある。私ももう少し安全かなと思っていました。山下俊一先生が事故直後に飯舘村の集会で「健康には全く影響はありません」とおっしゃって、その後に飯舘村が避難することになりものすごく批判されました。その後、原発事故関連責任訴訟の被告人にまでなっています。学者がコミットすべきでないことにまでコミットしすぎたという意見もありますが、誰かが「落ちつけ」と言わなければならないという状況だったんだと思います。チェルノブイリのことをよく知っておられて、慌てて避難した後の悲惨さを知っておられたから言われたと思います。

 

何も言わないことも、一線を超えることもどちらも危険なんですが、それでも学者は不確実性にも踏み込まなければならない場合があるとも思うんです。最後のところは政治家や行政官が決めることで、学者はそこまでしかコミットすべきではないという考え方もあるでしょうけど、本当にそこまででいいのか。例えば、チェルノブイリの経験など、あの時点で知っている人は学者しかいないわけです。

 

(中略)

 

 

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