福島レポート

2018.05.12

物理学者・早野龍五が福島で示した光――研究者として福島に向き合うということ

服部美咲 フリーライター

インタビュー・寄稿

「早野さんが東京にいるなら、私も東京から逃げません」

東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故の後、様々な情報や意見が錯綜し、多くの人々が信頼できる情報を求めた。その中で、15万人以上の人々が信頼をおいたのは、Twitterアカウント「@hayano」が淡々と発信する確かな根拠を付したデータとそれに基づいたグラフだった。

そして情報発信の合間に挟みこまれる、事故前と変わらない穏やかな日常を描写する「つぶやき」を読んで、自分自身の落ち着きを取り戻す人も多かった。Twitter上での情報発信にとどまらず、現場に赴いて日々活動を続ける「@hayano」こと早野龍五さんの周囲には、様々な形で賛同する人々が集まった。

今年3月、長年勤めた東京大学を退官する早野さんの最終講義を前に、事故後6年にわたる早野さんの功績とその思いを取材した。

「研究者」として福島へ

早野さんは、東京大学やジュネーブの欧州原子核研究機構(CERN)をはじめとする公的機関で、約40年にわたって原子物理学の研究を続けてきた。原発事故以前から「長年公費で研究してきた成果を、なんとか社会に還元できないか」と考えていたものの、原子物理学は、すぐに目に見える形で社会に役立てられる分野ではない。

そして2011年、震災と原発事故が起きた。早野さんがTwitterで原発事故に関する情報を発信し始めたのは、震災翌日の3月12日。根拠を付したデータとグラフの発信を始めたところ、当時3000人ほどだったフォロワーが一時15万人を超え、「これは今社会が求めている情報なのだ」と気づいた。「自分が社会に何か還元できるとしたら、それは今なのではないか」と考えた。

東京大学の定年は65歳だが、慣例として60歳で退官する教授も少なくない。震災当時、早野さんは59歳だった。「定年までに1本多く論文を書くことと、福島の問題に自分の時間を使うことを比べてみました。僕はもう年だったので、幸いにも福島の問題に目をつぶらずに済んだんです」と早野さんは言う。

早野さんは、原発や放射線の専門家ではなかったが、約40年の間に培った「研究者」としてのスタンスで福島の問題に向き合った。研究者とは、「他人が気づいていないことにいち早く気づき、その中で自分にできそうで、かつ今ここで必要だと判断したことをするもの」だという。そして、早野さんの基本スタンスである「研究者」という姿勢は、現地福島で人と出会い、共に活動することで、少しずつ変化を遂げてきた。

2011年の3月が過ぎた頃、次々に出される数字をグラフにして分析し続けた結果、福島第一原発が最も危機的な状況を脱したと判断した早野さんの関心は、福島に住む人々に向けられた。早野さんが「今、福島に何が必要なのか」を知るためのヒントの1つとなったのが、Twitter上での大勢の人々の様々な「つぶやき」だった。早野さんは、自らが情報発信する時間より多くの時間をかけて大量の「つぶやき」を読み、時には積極的に問いを投げかけて、人々が今何に不安を感じているのかという情報をリアルタイムで集めた。

データ分析のプロフェッショナルとしての「陰膳検査」

放射線による被曝には、体の外にある放射性物質から受ける「外部被曝」と、食べ物や水などで体内に取り込んだ放射性物質から受ける「内部被曝」がある。1986年に現ウクライナ起きたチェルノブイリ原発事故の後で、子供の内部被曝による甲状腺ガンが世界的に注目されたことが、当時新聞やテレビ、週刊誌などでも大きな話題になっていた。

それを受けて、福島第一原発事故の後多くの人がまず心配したのは、子供の内部被曝だった。それまでの研究を通して、意味のあるデータや効率的なデータのとり方を熟知していた早野さんが、子供の内部被曝を効果的かつ効率的に知るための測定方法として選んだのは、「学校給食の陰膳検査」だった。

学校給食では、多くの子供が同時に同じものを食べる。これと同じものを1食分まるごとミキサーにかけて、検出器にかける。この測定結果は、多くの子供の内部被曝状況と対応すると考えた。また、食べ物に含まれる放射性物質を測るためには高精度のゲルマニウム検出器が必要だが、これは1台約1000万円ととても高価で、大量に導入するのには向かない。しかし、子供たちが食べるものと同じ給食を測れば、測定器1台で1地域分の子供の内部被曝を知ることができる。

陰膳検査は、子供が既に食べた後で測定結果がわかるという検査であるため、「万一検出されたら」と早野さんの提案を受けた文科省は当初難色を示したものの、早野さんがTwitterなどを使って集めた意見を伝えながら説明した結果、横須賀を皮切りに全国の地域で陰膳検査が始まり、翌2012年には文科省の事業として予算がつくことになった。

しかし、肝心の福島県では、なかなか陰膳検査が始まらなかった。そこで、早野さんが個人的に費用を負担して検査を始めようとしたところ、状況をTwitterで知った人々が早野さんに資金を寄せるようになった。これをきっかけに東京大学基金に早野さん宛寄付金用の特設ページが置かれ、その後5年間、早野さんの退官に伴うページ閉設までに1000万円を超える寄付が集まった。これは、東京大学基金始まって以来の事態だったという。

寄付者の欄を見せてもらうと、額の多寡に寄らず、心のこもった応援メッセージが添えられている。早野さんの活動がどれほど大きな意味を持ってきたかが伺える。2012年以降は福島県でも陰膳検査に公的予算が充てられるようになったが、その後の早野さんの福島における活動は全てこの基金でまかなうことができたという。

臨床医と出会い、変化した研究姿勢

2011年の夏、早野さんの活動をTwitterで知った福島県立医科大学の医師宮崎真さんに相談を受け、当時南相馬にあった椅子型ホールボディカウンターの不備を突き止めた。早野さんはそれ以来、南相馬をはじめとするいくつもの病院で内部被曝測定に関わりながら、現場で働く医師らの指導を行うようになった。ホールボディカウンターの測定で放射性物質がわずかでも検出された場合は、その人が直近数か月に食べたものを仔細に聞き取り、「なぜ今回検出されたのか」という数字の意味を、対話を通じて検証した。

ほとんどの人は、高線量地域の山菜やキノコなどを摂取せずに数か月後に再度測定すると非検出という結果になり、追加被曝を避けられたことも結果のグラフを目で見て納得してもらうことができた。こうして早野さんは、行動と結果の連動を可視化させ、対話することで住民の不安を解消していった。

福島の臨床医たちと親交を深めることで、早野さんの研究者としてのあり方に変化があらわれた。「現場で一人ひとりと向き合って対話をしながら、同時に数万人規模のデータを分析し、問題解決をはかる」という、大学病院で臨床研究を行う臨床医に通じる姿勢が基本スタンスに加わったのだ。実は早野さん自身、大学病院の臨床医を父に持ち、幼少期からそうした研究姿勢を身近に見てきた。そうした原体験と福島での臨床医との出会いを通じて、研究者早野龍五の新たな研究スタイルが生まれた。

「科学的には意味のない機械」を開発した科学者

「対話」に重きを置くようになった早野さんが次に取り組んだのは、外部被曝の問題だった。当時、外部被曝測定に関しては、「ガラスバッジ」と呼ばれる個人積算線量計を住民に配布して、一定期間身に着けた上で返送してもらい、数ヵ月分の積算線量データをまとめた数字が1つ出るだけだった。この手法では、内部被曝測定のようには自分自身の行動と結果のデータとの対応が見えにくく、早野さんは「これでは対話ができない」と感じていた。

そこで着目したのは、産業技術総合研究所と千代田テクノルがガラスバッジの代替品として製造していた個人積算線量計「D-shuttle」だった。早野さんはD-shuttleの構造を調べ、「この中には1時間ごとのデータが入っているはずだ」と気づいた。千代田テクノルに問い合わせ、「この中には1時間ごとの積算線量データが入っている。そのデータを読み出せるソフトを開発してほしい」と依頼し、読み取りソフトと併せて在庫の50個を買い取った。1時間ごとの外部被曝線量をグラフで可視化できるD-shuttleは、「どこで時間を過ごしたのか」という個人の行動と数値が細かく対応するという点で、ホールボディカウンターの場合と同様、対話のための有効なツールとして使えることがわかった。

時期を同じくして、住民の内部被曝測定と対話を続けていた福島の病院で、「子供の内部被曝を測ってほしい」という要望が、主に子連れの若い母親から多く出るようになった。しかし、立ったまま2分間静止していなければ測れない従来のホールボディカウンターでは、4歳未満の子供を測定することはできない。

その上、科学的に言えば、幼児は代謝が成人よりも早いため、同じ食事を摂っている場合、大人から検出されなければ幼児から検出されることはない。幼児から微量の放射性物質を検出するためには、より高精度の測定器でなければならないという問題もあった。しかし、母親が子供の内部被曝を心配する思いを理解した早野さんは、「BABYSCAN」と名付けられた小児専用のホールボディカウンターを製作した。

「これは、科学ではなくむしろ対話をするための測定器だ」と当初から明確に開発目的を定めていた早野さんは、東京大学の気鋭の工業デザイナーである山中俊治さんに依頼し、母親が子供を中に入れるのに抵抗がないように、丸みを帯びたやわらかい風合いのホールボディカウンターを完成させた。

見た目のスタイリッシュさに留まらず、アメリカ大手メーカーに依頼して現在福島にあるホールボディカウンターで最も高い精度も備えた。「BABYSCAN」では、人体に生まれつき含まれてはいるものの、幼児の場合は微量すぎて見えないカリウム40の存在まで見ることができる。「もちろん、今まで1人も検出されていません」という。早野さんは、この「BABYSCAN」を使って、福島に住む母親との対話をさらに深めた。

「自分の言葉でふるさとを語れるように」

早野さんと福島高校生との出会いも、地元住民との関わりの中で始まった。放射線被曝の問題などのいわば専門外の活動を続けながら、「たまには専門の原子物理学の話もしたい」と早野さんが話すのを聞いた南相馬市立総合病院の及川友好副院長らが、自らが卒業した福島高校を早野さんに紹介したのは、2013年の秋だった。

ちょうどヒッグス粒子を発見したヒッグスたちがノーベル物理学賞を受賞した週の終わり、早野さんは福島高校に赴き、ヒッグス粒子について英語で特別講義をした。生徒たちの反応は良く、講義の後、2時間にわたって質疑応答が続いた。驚嘆した早野さんは、翌2014年1月に再び福島高校を訪れ、フランスと福島高校をインターネットで繋いで講義を行った。福島高校の生徒たちは、フランスの高校生に向け、英語で福島の現状を伝えた。福島高校生の強い思いと高い能力を確信した早野さんは、その年の3月、自らも所属するジュネーブのCERNで開催される放射線関連セミナーに彼らを連れていくことを決めた。

CERNでのセミナーが終わった後で、福島高校の生徒は世界各国の高校生に囲まれて質問責めにされた。早野さんは、「君たちは本当に福島から来たのか。福島には人が住めないのではないのか」と問われる福島高校生を見ていた。そして「この子たちは将来、こういう偏見に何度でもさらされる」と気づいた。

2016年12月、横浜に住む中学生による、福島から避難してきたことを理由にいじめられていたことを明らかにする手記が公開された。それを皮切りに、いわゆる「原発いじめ」は社会問題になり、2017年2月25日の朝日新聞によると、県内外に避難した住民を対象とした調査で、避難先でいじめにあったりいじめを見聞きしたりしたことがあると答えた人は回答者184人のうち62%にのぼった。

2014年3月の段階で、早野さんは「福島に生まれ育つ子供たちの教育」という課題の重要性に注目した。「福島に住んでも問題がないということを、この子たち自身が確かな根拠をもって、自分の言葉で語れるようにしなければならない」と考えた。また、世界的な物理学者である早野さんを間近にして学ぶことには、事故の有無に関わらず高い教育効果があると考えた。当然、高校生が真剣に学ぶ姿を見る教師や福島高校以外の県内の高校生への波及効果も少なくない。こうして、早野さんと福島の高校生との関わりが始まった。

2014年の夏、全国各地の高校生が福島高校で合宿し、D-shuttleを使った実験を企画した。全国の高校生やベラルーシ、ポーランドの高校生にD-shuttleを送って外部被曝線量を計測するというものだ。その結果を使って福島高校生が書いた論文に、早野さんは実験に関わった世界の高校生など233人を著者として記載して、査読つきの放射線専門誌に投稿した。

「233人は多すぎて載せられない」という誌の返答に、物理学の分野では多数の共著者を記載する例があることを経験上知っていた早野さんはひるまず、ノーベル物理学賞を受賞した論文に多くの共著者が記載されている事例を示した。「高校生であろうとも、これら各々この箇所を書いたれっきとした著者である、文句があるか、と大見栄を切りました」という。現在までに8万回以上ダウンロードされている論文の1ページ目には、233人の名前が全て挙げられている。論文を元にした外国人特派員協会での記者会見に早野さんと共に登壇した生徒は、1時間の発表と質疑応答を英語で行った。

早野さんが最初に指導した生徒たちが卒業した後、その後輩も「先輩たちのように、しかし先輩たちがやっていないことに取り組みたい」と早野さんの指導を受けながら強い意欲を示した。卒業生の成果とともに後輩の様子を見た教師の指導意欲も高まった。

廃炉の現状を自分の言葉で語る

2015年の夏、福島第一原発構内を視察した早野さんは、廃炉のために日夜働く作業員の子供たちが、親の働く姿を一度も見ていない状況に気づいた。自らの言葉で自らの置かれた状況を語ることは、作業員の子供たちにとって重要だと考えたが、東京電力で働く人の子供が最初に原発構内に入ることに東京電力は難色を示した。

そこで早野さんは、翌2016年夏に予定されていた世界の高校生が訪れる福島視察旅行の際に、原発構内視察を組み込むことを提案した。しかし、当時東京電力の規定では、18歳未満が原発構内に入ることを禁止しており、1年にわたる交渉が行われたものの、2016年夏の視察旅行で原発構内を視察することはできなかった。それでも早野さんはあきらめずに交渉を続け、ついに18歳未満の原発構内視察の了承をとることに成功した。

福島高校生を伴って原発構内視察をすることが決まった後、早野さんが最も懸念したのは、世間の批判が福島高校生に集まることだった。視察に連れていくことに同意し、サインした保護者が批判を受けるリスクも考えた。まずは、後で扇情的に書きたてられる危険を避けるため、ことの経緯と生徒たちの思いを理解し報道するメディアを連れていくことを考えた。

また、「テレビカメラは残酷で、大人に言わされている言葉は、映像で見るとはっきりそれとわかる。全て生徒たち自身が学び、考えなければならない」と言い、生徒たちが自らの考えを自らの言葉で答えられるように、事前学習を徹底した。結果、学校や教育委員会に後日の非難はほとんど寄せられなかったという。

視察当日、高校1年生が石崎芳行・東電福島復興本社代表の隣に座り、およそ4時間にわたって次々に鋭い質問を繰り出す様子を見て、「この子たちは本当に自分自身で真剣に学ぼうとしている」と感じた。「この学びが将来直接役立つと期待しているのではなく、この年代の子供がたとえ地位のある大人とであっても、対等に対峙することによる教育効果は高い」と早野さんは言う。福島高校の生徒が後日福島第一原発構内視察についてまとめた報告のレベルも十分に高く、今後避けては通れない廃炉の問題についても、福島高校生は自分の言葉で現状を説明できることが証明されたと感じた。

最終講義に向けて

内部被曝の問題に、より効率的で効果的なデータ収集というこれまで慣れ親しんだ物理学研究者としての手法を使って臨んだ早野さんは、福島で臨床医と共に活動を重ねることによって、臨床研究者に近い手法で続く外部被曝の問題や住民の不安解消という課題に取り組むようになった。やがて、その視点はさらに未来に向けられ、やがて県外に出ていく子供たちの教育に今なお挑んでいる。

6年を通して、早野さんは一人の研究者として福島に向き合い続けた。来たる3月15日の最終講義では、原子物理学から福島での活動に至る早野さんの研究者としての姿を、国内外の物理学者と福島の住民が初めて並んで目撃することになるだろう。

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プロフィール

服部美咲フリーライター

慶應義塾大学卒。ライター。2018年からはsynodos「福島レポート」(http://fukushima-report.jp/)で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の福島の状況についての取材・執筆活動を行う。2021年に著書『東京電力福島第一原発事故から10年の知見 復興する福島の科学と倫理』(丸善出版)を刊行。

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