福島レポート

2018.06.15

公正で倫理的な「天秤」を持つ――がんのスクリーニング検査のメリットとデメリット

津金昌一郎氏インタビュー / 服部美咲

インタビュー・寄稿

国民の2人に1人が「がん」と診断される現代日本の「がん対策」

近年日本では、「国民の2人に1人が一生に一度は「がん」と診断される」と推計されている(85歳までの年齢を5歳ごとに区切って算出する「年齢階級別罹患率」による)。

また、国立がん研究センターがん対策情報センター公開の以下のグラフを見ると、日本人のがんによる死亡率も、高齢になるほど増加していることがわかる。平均寿命が延びたことや社会の高齢化が、がんの罹患率や死亡率増加の最大の原因であると言える。

がん対策は、「予防」と「治療」に大きく分類される。

がん予防としては、発がんリスクになり得るとされるもの(注1)を控えたり、逆に発がんリスクを下げ得るとされるものを生活に取り入れたり、またごく一部のがんについては、予防的に服薬をしたり手術をしたりすることなどがあげられる。

 

(注1)農林水産省「国際がん研究機関(IARC)の概要とIARC発がん物質について

しかし、たとえばあるがんの予防に効果が認められる薬が、別のがんや、他の命にかかわるような病気の原因になることもわかっている。がんの予防になんらかのデメリットが考えられる場合には、受けられるメリットとのバランスを考慮したい。

一方、がんの治療として「早期発見・早期治療」が有効だと考える人は多い。がんの「早期発見・早期治療」のために、現在、世界中でさまざまながん検診が行われている。しかし、がんの部位や種類によっては、早期発見が必ずしも良い治療に結びつくとは限らないことはあまり知られていない。さらに、がん検診にはデメリットもあり、がん検診のメリットとデメリットのバランスが近年、世界中で議論されている。

東京電力福島第一原子力発電所の事故の後、事故当時おおむね18歳以下だった福島県の子どもや若年者30万人以上を対象に、超音波による大規模な甲状腺スクリーニング検査(無症状の集団に対する検査)が行われている。

福島の子どもたち自身の心や体にとって、この超音波による甲状腺がん検診のメリットがデメリットを上回っているのかどうかを知るため、一般的ながん検診のメリット・デメリットの考え方を中心に、津金昌一郎・国立がん研究センター・社会と研究センター長にお話を伺った。

●関連書籍

がんの「早期発見・早期治療」は「絶対善」ではない

――がんに「罹患すること(かかること)」と「発症すること(なんらかの症状が出ること)」との違いはなんでしょうか。

心筋梗塞や脳卒中のような病気は、主に症状から診断される病気です。一方、がんは必ずしも症状が出ていなくても診断される場合があります。がんは症状からではなく、病理診断(細胞を採取して顕微鏡で観察し、最終診断をすること)によって診断される病気だからです。このため、がんは「発症」していなくても「罹患」している、というケースがあります。

このことから、がんはスクリーニングによって、症状が出ないうちに罹患の可能性がある人を早期に見つけることができると考えられるようになりました。

――すべてのがんにとって、がん検診はメリットがあると考えても良いのでしょうか。

がん検診の最大のメリットは、「そのがんによる死亡率を下げること」です。

ですから、「早期発見が死亡率を下げるようながん」については、がん検診のメリットがあるといえます。しかし、「どんな場合でも、どんながんについても、常にがん検診のメリットがある」とまでは言い切れません。

実は、がんには部位によってさまざまなタイプがあります。急激に進行して命にかかわるようなものもあれば、一生小さいままで潜在し、結局別の原因で寿命を迎える前には発症しないようなものもあります。中には神経芽細胞腫(子ども特有のがんの一種)のように、自然に消えてしまうようながんもあることがわかっています。

同じ部位のがんの中にもいくつかのタイプがあります。たとえば前立腺がんでは、もちろん進行して遠隔転移するようなタイプもありますが、一生小さいままで転移もせず、罹患していることにすら気づかず寿命を迎え、剖検(別の原因で亡くなった人を死後解剖して検査すること)によって初めて見つかるようなタイプもあり、しかも後者のタイプがかなり多いことがわかってきました。

(注2)国立がん研究センターがん情報サービス「がん登録・統計」

剖検ではじめて見つかる確率は50代、60代、70代、80代で各々8%、31%、44%、59%という日本人に関する報告がある。(Zotta AR, et al. J Natl Cancer Inst;2013;105:1050–1058)

国立がん研究センターがん情報サービスのデータによると、前立腺がんや甲状腺がんの5年生存率は、2003年以降ずっと90%を超えています。がんの治療について「『早期発見・早期治療』がいつも一番いいことだ」と考えがちなのですが、実は必ずしもそうではありません。

また、甲状腺がんの中には、数年の間に出たり消えたりするタイプもあるのではないかと言われています。子どもの場合は身体が未成熟で、代謝や免疫の働きも活発ですので、特に甲状腺がんが出たり消えたりしやすいようです。

甲状腺がんに限らず、細胞がアポトーシス(自然消滅)を起こしたり、免疫が抑え込んだりして、がん細胞が消えてしまうという現象は見られます。今この瞬間に全身をくまなく細胞診して病理診断をすれば、あなたにも私にも、たくさんのがん細胞が見つかるかもしれません。

この免疫の働きのブレーキを外すと、ある程度大きくなったがんでも、自分の免疫によって叩くことができます。このことを利用した「免疫チェックポイント阻害剤」という治療薬もあります。

そもそも私たちの体では、毎日細胞の新陳代謝(細胞分裂)が繰り返され、その際に一定数の遺伝子情報の転写ミス(これによって将来的にがん細胞になり得る細胞が発生する)が起きています。そしてそれらの細胞は毎日、自然に消滅したり免疫によって排除されたりしています。

がん検診のデメリット

――がん検診のデメリットはあるのでしょうか。

残念ながら、がん検診のデメリットは存在します。がん検診のデメリットとしては、主に「過剰診断」と「偽陽性」、そして「偽陰性」が挙げられます。

まず、がん検診を受けて、「陽性かもしれないから、精密検査を受けてください」と言われることがあります。がん検診でこのように言われた方の9割以上は、精密検査の結果、陰性(がんではない)になっています。これを「偽陽性」といいます。

がん検診を受けた結果「精密検査が必要です」と言われ、医療機関に予約をし、検査を受け、その結果が出るまでの期間、その方にはずっと精神的に大きな負担がかかることになります。

加えて、精密検査で画像診断を行うような場合、放射線被ばくをすることになります。ときには針を刺して細胞を採取したり、内視鏡をいれたりという、侵襲性が高く(身体への負担が大きく)また少なからぬ苦痛やリスクを伴う検査を受けなければならないこともあります。さらにお金も時間もかかります。

これだけ多くの負担を強いられて、最終的に「がんではありませんでした」と言われたからといって、なかなか純粋に「よかった」とだけ思うのは難しいかもしれません。

逆に、がん検診を受けて「陰性です」といわれたものの、実は見逃されていたということもあります。これを「偽陰性」といいます。

がん検診で「陰性」という結果だったために、なんらかの症状が出ても「検診で陰性だと言われたのだから大丈夫」と受診せずに放置して、手遅れになってしまうことがあります。がん検診を含むスクリーニング検査は、その病気である可能性の有無を大雑把に分類する「ふるい分け」に過ぎません。がん検診を過信せず、気になる症状があれば医療機関を受診しましょう。

もちろん一番望ましいのは、「実際に病気ではなく、またスクリーニング検査にもひっかからない」というケースです。そして、「実際に病気で、スクリーニング検査で症状が出ないうちに発見した」というケースは、スクリーニング検査として正しく機能した(偽陽性でも偽陰性でもない)といえます。

しかし、もしスクリーニング検査として正しく機能したとしても、そもそも早期発見によって死亡率を下げないようであれば、がん検診としてはメリットが少ない状況です。こういった場合、「過剰診断」(ここでは「寿命以前に発症しなかっただろうがんを診断する」という意味)というがん検診のデメリットを考えなければなりません。

過剰診断は、心身やお金、時間など多岐にわたってデメリットを与えますが、さらに過剰治療(がん検診で見つけなければ寿命の前に発症することのなかったがんに対する、手術などの侵襲性の高い治療)にもつながりかねない大きな問題です。

Gilbert Welch William C. Black: ”Overdiagnosis in Cancer”

Journal of the National Cancer Institute, Volume 102, Issue 9, 5 May 2010, Pages 605–613.

(上から、『前立腺がん』(60歳以上男性)、『甲状腺がん』(50~70歳以上成人)、『乳がん』(40~70歳女性)の、左から『剖検での発見率』、『生涯の死亡・転移リスク』,『過剰診断の確率』。

たとえば『甲状腺がん』(50~70歳以上成人)の『剖検による発見率』は『36~100%』で、『過剰診断の確率』は『99.7~99.9%』である。)

「過小診断(見逃し)を罰し、過剰診断は罰し得ない」という法的状況や、「早期診断は良いことで、それによって不要なリスクが生じることはない」という文化的・社会的思い込みなどが過剰診断を引き起こしているとされ、欧米では現在がん検診の最大のデメリットとして大きな問題になっています。(注3)

(注3)MOYNIHAN Ray, DOUST Jenny, HANRY David. (2012)

“Preventing overdiagnosis: how to stop harming the healthy Evidence is mounting that medicine is harming healthy people through ever earlier detection and ever wider definition of disease. With the announcement of an international conference to improve understanding of the problem of overdiagnosis, Ray Moynihan, Jenny Doust, and David Henry examine its causes and explore solutions.”

前立腺がんと乳がん、甲状腺がんの「USPSTF推奨グレード」

アメリカでは、前立腺がんのPSA検査(採血のみでできるスクリーニング検査)についてのファクト・シートを公開し、情報提供をしています。(注4)

(注4)U.S. Preventive Service(2008年に公開された前立腺がん検診のファクト・シート)

このシートによれば、55~69歳の1000人の男性が10~15年間定期的にPSA検査を受けると、240人がスクリーニング検査で「陽性」となり、そのうち100人が「前立腺がん」と診断されます(140人は偽陽性)。前立腺がんと診断されたうち80人が外科手術か放射線による治療を受け、50人が性機能障害、15人が尿失禁の治療後合併症に悩まされます。

一方で、PSAのスクリーニング検査によって前立腺がんによる死亡を回避できる人は1人です。また、5人は治療を受けたとしても前立腺がんによって亡くなります。

米国予防専門委員会(USPSTF)は、55~69歳に対して、これらのPSAスクリーニング検査に伴うメリットとデメリットに伴う数値的な情報を医師から十分に与えられた上で、個人の判断で受けるか否かを決めるべきとしています(USPSTFグレードC)。また、70歳以上のPSAスクリーニング検査は勧めていません(USPSTFグレードD)。

マンモグラフィ(乳房専用のX線撮影装置)による乳がん検診は、現在アメリカでは「50~74歳の女性について、検診による死亡率減少というメリットがあり、そのメリットが偽陽性や過剰診断によるデメリットを上回る」と判断され、2年ごとのマンモグラフィ検診が推奨されています(USPSTFグレードB)。

50歳の女性1000人が、10年間マンモグラフィによる乳がん検診を受けた場合、200~500人が偽陽性のデメリットを受けると試算されています。また、50~200人が生検(細胞診や組織診)を受け、そのうちの5~15人が乳がんと診断されます。

一方、マンモグラフィ検査によって乳がんによる死亡を回避出来るのは1人です。また、2~10人が過剰診断になるとも推計されています。(注5)

(注5)Welch HG and Black WC. (2010)“Overdiagnosis in Cancer” JNCI: Journal of the National Cancer Institute, Volume 102 :605–613.

2014年の乳がんの年齢階級別死亡率によると、日本人女性が75歳までに乳がんで亡くなる確率は約1%(約99%は乳がんでは亡くならない)と推計されています。このことから「日本人女性の99%にとって乳がん検診は不要な検診である」と考えることもできます。

しかし、定期的な乳がん検診を受けない集団1000人と、定期的な乳がん検診を受ける集団1000人とを比較した場合、前者の集団では10人が乳がんによって死亡し、後者の集団では乳がんによる死亡が7から8人にまで減少します。

つまり、40歳以上の女性に対する定期的な乳がん検診は、乳がんによる死亡の確率を1%から0.7~0.8%に下げるメリットがあるということです。これにより、偽陽性や過剰診断によるデメリットを上回るメリットがあるとも言え、40歳以上の女性に対する2年ごとの乳がん検診が、日本では推奨されています。

しかし、日本でも、乳がんのマンモグラフィによるスクリーニング検査については、40歳未満の方は検診対象から外されています。その年代での死亡率が低い(メリットを受けられる確率が低い)ことに加えて、若年者をマンモグラフィで検査すると、白く濁って診断が難しいため、偽陽性も偽陰性も増えることが大きな理由です。

もし100万人の方が40歳未満でマンモグラフィを受けて、メリットを受ける方が1人いたとしても、その1人のために99万人以上の方がデメリットを被ることになります。このように死亡率の減少効果というメリットに比べて多すぎるデメリットが予測されるため、40歳未満の方に対するマンモグラフィのスクリーニング検査は勧められていません。

いずれにせよ、がん検診にはメリットとデメリットがあり、そしてもしそのバランスを考えた結果、がん検診のメリットが上回っていたとしても、そのメリットを受けられない人数が多いことも確かです。このため、がん検診のデメリットはできる限り最小に抑えられるべきだと思います。

――USPSTFは、無症状の成人に対する甲状腺がん検診を推奨していません(注6)。この理由はなんでしょうか。

(注6)US Preventive Services Task Force. “Screening for Thyroid Cancer: US Preventive Services Task Force Recommendation Statement.” JAMA. 2017;317(18):1882-1887. doi:10.1001/jama.2017.4011

甲状腺がんの場合、検診を受けたグループと受けないグループとに分けて比較すると、甲状腺がんによる死亡率に差があるということがわかっていません。つまり「死亡率を下げる」というがん検診の最大のメリットが証明されていません。

一方で、甲状腺がん検診もがん検診ですから、先ほどお話したデメリットは存在します。これらのことから、無症状の成人に対する甲状腺がん検診は、メリットとデメリットが見合わないと判断され、推奨されていません(USPSTFグレードD)。

前立腺がんや甲状腺がんに限らず、年齢などによってもそのメリットが必ずしも大きくないがん検診は少なくありません。やはり、がん検診によって受けられるメリットとデメリットのバランスを考えることは非常に大切です。

「交絡因子」・「バイアス」・「偶然性」の補正

――がんの治療とがんの予防を分けて考えたとき、発がんリスクとしてわかりやすいものはありますか。

まず、喫煙の習慣はわかりやすい発がんリスクです。喫煙の習慣がある集団と非喫煙者の集団とに分けて比べると、喫煙者グループの方が5倍程度肺がんにかかりやすいことが疫学的にわかっています(ほかの何らかのがんにかかる確率は1.6倍程度)。

(図表:Inoue, M.et al.: Annals of Oncology: “Attributable causes of cancer in Japan in 2005–systematic assessment to estimate current burden of cancer attributable to known preventable risk factors in Japan.”より国立がん研究センター作成のものを引用)

原発事故の後に心配になる方の多かった低線量(確率的影響が出る閾値以下の線量)の放射線被ばくによる発がんリスクは、喫煙と比較すれば見えにくいのですが、広島や長崎で原爆が落とされた後の大規模な追跡調査によって、中~高線量の放射線被ばくと発がんとの関連はかなり明らかになってきました。

この追跡調査が科学的に信頼できる調査になりえた理由は、原爆による放射線被ばくが1回であり、また個人が被ばくした瞬間にいた地域、屋内にいたのか屋外にいたのか、また屋内にいた場合は建物の材質は何か、など、他の状況を細かく調べたことも大きいでしょう。

これらの情報によって個人の被ばく線量が推定できますので、対象者を被ばく線量に応じたグループに分けて比較しながら追跡調査することができます。こういった調査を10万人規模で継続的に行ったところ、比較的被ばく線量の低いグループに比べて、被ばく線量の高いグループはがんになる確率が増えるということがわかりました。(注7)

(注7)公益財団法人放射線影響研究所『わかりやすい放射線と健康の科学

――ある量の放射線被ばくが発がんに影響するかどうかを正確に調査するときには、どのような工夫がされているのでしょうか。

たとえば、喫煙の習慣は発がんに大きく影響しますので、「比較的高い線量の放射線に被ばくしたけれど、喫煙者は少ない」という集団と、「比較的低い線量の放射線に被ばくしたけれど、喫煙者が多い」という集団を比べれば、「放射線被ばく線量によって発がんに差がない」というような結果が出る可能性があります。

この場合、「喫煙」という明らかに発がんに影響する要素を補正しなければなりません。具体的には、統計的な調整をしたり、非喫煙者と喫煙者を分けて発がん頻度を比較したりします。この「喫煙」のような結果に影響するようなほかの要因を「交絡因子」といいます。

交絡因子を補正して放射線被ばくの影響を正確に知るために、広島や長崎では、喫煙習慣や食生活などの生活習慣の調査も継続的に行っています。福島県の県民健康調査でも、生活習慣の調査を並行して続けていますが、子どもの生活習慣などについてはそれほど詳しく調べられていないかもしれません。

――2017年6月の県民健康調査検討委員会(注8)で「補正をしないままでデータを公開すると、誤った解釈の余地が生まれる」という意味のご発言をされておられました。

注8)第27回福島県民健康調査検討委員会2017年6月5日議事録

がんに罹患した集団と、していない集団を比較して、差が出る原因を知ろうとする場合には、交絡因子のほかに、情報や測定方法の偏り(バイアス)の有無、偶然性などの検討をする必要があります。

検討や補正が十分になされたり論文にまとめられたりしていない、いわば生に近いデータが、そのまま一般の方に向けて開示されれば、無用の混乱を招く可能性があります。

たとえば、原発事故後に避難指示の出た地域の住民を、他の地域に比べて注意深く検査したり、心配して細胞診を多くしたりしていたとすれば、それは補正されるべきバイアスです。

また、がんの最大の原因は加齢ですので、避難指示の出た地域の住民や出身者の方が、年齢が高くなっても積極的に甲状腺スクリーニング検査を受けているとすれば、受診者の「加齢」という交絡因子を補正しなければなりません。

さらに、統計や疫学のデータにはどうしても偶然性が絡んできますので、「今回たまたまそういうデータが出た」という可能性も必ず考慮しなければなりません。

統計には、特有のトリッキーな面がたくさんあります。なにかしらの結論ありきで、一見意味のありそうな結果を作ることができてしまいますが、それは公正でも倫理的でもありません。

単純に計測して計算しておしまいではなく、この「交絡因子」と「バイアス」、そして「偶然性」の3つを慎重に補正し、明らかかつ公正に開示できるデータにすることが、われわれ専門家の責任です。

――原発事故後の甲状腺がんと放射線被ばくとの関係を調べるための疫学的な手法はありますか。

「ある地域住民の放射線被ばく線量の高低」と「その地域で甲状腺がんが見つかっている人数や割合」だけを単純に並べるような「地域相関研究」では、交絡因子やバイアス、偶然性が補正しにくいでしょう。

疫学的にもっともエビデンスレベル(研究の根拠としての信頼度)が高いのは、「ランダム化比較試験」です。検証しようとする集団をランダムに2つに分けて、その一方に何らかの介入(治療・検診など)をした結果で評価する手法です。ただ、「今から住民をランダムに分けて放射線に被ばくしてもらいましょう」というわけにはいきませんので、これは実質的にできません。

ランダム化比較試験ほどの信頼度はないにしても、せめて「コホート研究」で検証することはできるかもしれません。個人の被ばく線量を把握して、その線量によってグループ分けして、それぞれを長期的に追跡調査する手法です。ただし、この研究をする場合、行政区分による地域で分けるのではなく、詳しい個人の行動記録に基づく個人の被ばく線量や生活習慣などの情報が必要になります。

また、「甲状腺がん」と診断される人は、超音波による甲状腺スクリーニング検査を実施すれば増えますので、「甲状腺の超音波によるスクリーニング検査が行われている」というバイアスも慎重に配慮する必要があります。

甲状腺がん検診の「疫学的な意義」と「福島の子どもにとってのメリット・デメリット」

――甲状腺がんは5年生存率が90%以上の病気であるということでした。疫学的には、コホート研究をすれば、もしかしたら線量応答(被ばく線量と甲状腺がんとの関連)があるかないかが判るとしても、がん検診としてのデメリットは、やはりメリットに対して見合わないのではないでしょうか。

甲状腺がんの5年生存率が高いということは、触診でわかるようになったり、「声がれ」などの症状が見られたりしてからの治療で、多くの症例では間に合うということを意味します。

進行度(ステージ)で見た場合でも、Ⅰ~Ⅲまでの5年生存率はほぼ100%、遠隔転移があるステージⅣでも70%程度(注9)ですので、早期に発見する(ステージを前倒しにする)ことのメリットが限定的であることもわかります。さらに、前立腺がんと同様に、剖検で甲状腺を詳しく調べると潜在する甲状腺がんが一定程度発見されることも分かっています。

(注9)全がん協2007-2009年全症例

ですから、「原発事故による放射線被ばくとの関連性を調べる」という研究的側面ではなく、県民の健康のための本来的な意味でのがん検診を考えた場合、やはり「メリットとデメリットが見合っていない」と言わざるを得ないでしょう。

今回は「原発事故のあった地域である」という特殊な事情がありますので、「1人でも甲状腺がんで命を落とす人を出してはいけない」という強い正義感が働く方のお考えも理解できます。しかし、その強い正義感のために、診断する必要のない(一生発症せず、治療の必要もなかったかもしれない)甲状腺がんを見つけているのならば、かえって福島の子どもたちにマイナスの影響を及ぼす結果になってしまいます。

かつて日本では、生後6か月の乳児に対して神経芽細胞腫のスクリーニング検査を実施し、のべ3000人近くの神経芽細胞腫を発見しました。

しかし、欧米の研究で、神経芽細胞腫のスクリーニングには死亡率減少効果のメリットがなく、むしろ自然に小さくなったり消えたりする症例の手術などの治療につながる(過剰診断)という大きなデメリットがあるとわかり、スクリーニング検査は中止になりました(注10)。

(注10)神経芽細胞腫マススクリーニング検査のあり方に関する 検討会報告書

その後のがん登録などのデータによると、スクリーニング検査の中止後、1歳未満で神経芽細胞腫と診断される子どもは、スクリーニング開始前のレベルにまで激減しましたが、1歳以降の罹患率は増えることがなく、また死亡率にも変化がない(注11)ことがわかりました。

(注11)Shinagawa T, et al. Int J Cancer 2017;140:618-625.

がん検診の「神話」と現場の苦悩

今後、福島のスクリーニング検査で発見された甲状腺がんは、全国がん登録に登録されるのでしょうか。

診断されればもちろんがん登録はされます。結果的に、登録上「福島県は子どもの甲状腺がんが多い県」とされるということになります。これが社会的にどんな意味を持つのかについては別途考えなければなりませんが、「無症状の子どもたちに超音波機器による甲状腺がんのスクリーニング検査をすると、死亡率は変わらない一方で『がん』と若くして診断される子どもが増える」ということから、さまざまな教訓は得られることでしょう。

福島県の小児科医会は、「どうかこの検査の継続を見直してください」と求めていらっしゃいます。(注12)小児科医の先生方は、日々子どもたちと接していらっしゃいますので、真剣に子どもたちのことを考えて、必死で見直しをお願いしていらっしゃるのだと思います。

(注12)福島県小児科医会「平成28年度福島県小児科医会声明

「がんの早期発見・早期治療は常に良いことで、デメリットはない」という世界共通の思い込みがあり、この認識と現場の先生方の苦悩とのすれ違いが起きているのかもしれません。ですから、がん研究の専門家としては、まず「がん検診にはメリットだけじゃなく、デメリットもあります」ということを広く伝える責任があると思います。

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プロフィール

服部美咲フリーライター

慶應義塾大学卒。ライター。2018年からはsynodos「福島レポート」(http://fukushima-report.jp/)で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の福島の状況についての取材・執筆活動を行う。2021年に著書『東京電力福島第一原発事故から10年の知見 復興する福島の科学と倫理』(丸善出版)を刊行。

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