福島レポート

2019.01.15

福島の生活に役立つ「科学の言葉」を探す

坪倉正治氏インタビュー / 服部美咲

インタビュー・寄稿

東日本大震災および東京電力福島第一原発事故は、周辺地域の住民にさまざまな被害をもたらした。原発事故から7年半が経過し、住民の平均寿命や出生率が原発事故前よりも伸びるなど、良いニュースも少なくない。一方、長期避難によるストレス、生活環境の急激な変化による生活習慣病など、今なお県民の健康面に課題は残る。

今回は、2018年4月から福島県立医科大学特任教授に就任した坪倉正治氏にお話をうかがった。

坪倉氏は、福島第一原発事故の直後に福島で医療活動を開始した。現在は南相馬市立総合病院や相馬中央病院など県内複数の医療機関で診療を続けながら、すでに100本に近い論文を発表している。また、福島の住民と共に県内各地域の課題解決に取り組み、県内外で放射線の健康影響に関する講演や勉強会も継続している。

「地域で集めたデータを地域に役立てる」

――震災後、福島にいらっしゃった経緯をお聞かせ下さい。

当時は大学院生だったのですが、2011年4月に、地の利がある友人に案内を頼み、まずは南相馬市に入りました。右も左もわからずに南相馬市役所に行き、ちょうどそこでお会いした白衣の方に、「ぼくも医者なんですが、何かできることはありますか」と声をかけました。当時南相馬市立総合病院で副院長をされていた及川先生(及川友好・現病院院長)でした。及川先生のご指示で避難所の活動を手伝い、そのご縁で南相馬市立総合病院に勤めるようになりました。

――福島でお仕事をする際、大切にされてきたことはありますか。

心がけてきたのは、「地域で集めたデータを地域に役立てる」ということです。公衆衛生(ある社会全体の健康問題を扱う活動)は「地域の医療ニーズを聞き取り、地域の健康対策に反映する」というサイクルとしてあるべきだと思っています。「出された政策ありきで、それを担保するためにデータを集める」という方向からは、地域住民の生活に役立つ医療のサイクルは作れません。

医療ニーズは地域ごとに異なりますので、福島県全体ではなく地域ごとに取り組む必要があります。ただし、「データや結論ありきで地域住民に説明をする」のではなく、「まず地域住民一人ひとりの医療ニーズを聞きとり、課題解決に必要なデータを集める」という考え方は、まだ十分に根づいていません。データを集める前の段階として、各地域の行政担当者との信頼関係を築くことを大切にしています。

――「地域の状況をデータ化して地域に返す」というサイクルをつくる上で、難しいと感じることはありますか。

「医療では課題の根本的な解決ができない」という結論に至るケースが少なくないということです。経済的、歴史的経緯に深く結びついている課題など、「医療」だけでは太刀打ちできないことがよくあります。この難しさに取り組むために、南相馬市や相馬市では、行政とも協働したプロジェクトチームが現在動き始めています。

一人ひとりにとっての「故郷」

――「科学的な事実を知る」ことと「福島での日常を安心して健やかに過ごす」こととをつなげるために、大切にしていることはありますか。

「相手のバックグラウンドを尊重する」ということです。科学的な事実を一方的に押しつけるのではなく、相手が何を思い、どのような日常を送り、何を大切にしているのかを、知ろうとすることを心がけています。

もうひとつ、「科学的なデータは、多かれ少なかれ誰かを傷つけるものだ」ということを忘れないでいようと思っています。もちろん、国や行政が政治的な方針を決める際には、科学的なデータは欠かせません。しかし、地域の住民にとっては必ずしもそうではないでしょう。

ただ、科学的にわかっていることを共有するとき、データを示すことによって、相手の心に届きやすくなる場合はあります。たとえば、「福島県民は健康影響が出るような内部被ばくをしていない」ということがわかっています。これを証明する科学的根拠としては、福島の住民の内部被ばく線量や福島県産の食品および水道水の放射能濃度を測定して「不検出です」といえば十分です。

しかし、実際に福島の人々が「健康影響が出るような内部被ばくをしていないんだ」という納得感をもって生活するためには、それでは十分とは言えません。福島の水道水の放射能濃度を測定して「不検出です」という結果を示すだけではなく、実際に福島の水道水を飲んで生活している住民の内部被ばく線量も測定して、データを示すことによって、住民の納得感を得られたこともあります。

どんなデータを取れば、科学的にわかっていることを、生活実感として住民と共有できるのか。それを探すのが、ぼくの福島での大切な仕事だと思っています。

――「住民が納得感を持って生活するのに役立つデータ」はどのように見つけているのでしょうか。

これは、ぼくたち自身が地域にしっかり腰をおろして、一人ひとりと日常的に接していないと見つからない、「データ」というよりは「言葉」に近いものだと思っています。診察や小規模の勉強会などで、長い間地域の方々と接していると、「この言葉は伝わりにくいな」とか、「この人にはこの言葉が届くかもしれないな」という感覚が、肌でわかることがあります。

福島では、住民一人ひとりが、それぞれに深い悩みを抱えながら日常生活を営んでいます。その悩みに耳を傾けながら、ぼくは今も、住民の方々と共有できる言葉を探しています。半年考えて、ようやく1つの言葉が見つかるかどうか。地道な作業ですが、近道はないと思っています。

――では、必ずしも住民の生活の役に立つとは限らないようなデータもありますか。

原発事故後に、国が住民の年間追加被ばく線量の長期目標を1mSvに設定しました。科学的妥当性に基づいて、今からこれを変えても、住民の生活の役には立たないかもしれません。あるいは、年間追加被ばく線量の長期目標を1mSvとしても、空間線量率を0.23μSv/時にまで下げる必要はないということが、科学的にはわかっています。しかし、この研究結果を伝える相手も、しっかり見定めなければなりません。

もちろん、これから帰還しようとする人や、すでに帰還して生活を営んでいる人にとっては、この結果が役に立つ場合があるかもしれません。しかし、だからといって、そういう立場の住民全体に対して、一律に伝えて良いことではないとも思います。一人ひとりの個人的な事情をよく聞き取って、全体にではなく、個別に伝えるかどうかを慎重に考えなければ、かえって傷つけてしまう人もいるかもしれません。

話し合うべきなのは「基準値そのものをどうするか」ではありません。住民一人ひとりの故郷や日常というかけがえのないものを、たんに基準値の問題にしてしまわないということがとても大切だと思います。

住民の思う「故郷」とはなんでしょうか。それは、きっと一人ひとり少しずつ異なるものであるはずです。思い浮かべる顔や景色、空気、匂い、味、生活の音…、少なくともぼくらの思う「故郷」とは、多くの場合そっけない数字1つで表せるものではないのではないでしょうか。

放射線の健康影響の「相場観」

――福島の山間部の地域では、豊かな山の幸に恵まれた食文化が「故郷」を象徴する大切なもののひとつでした。しかし、野生のキノコや山菜を食べることによる内部被ばくを心配される方は今も多いようです。

内部被ばくについては、当初相場観がつかめずに不安になっているケースが少なくありませんでした。科学者も「内部被ばく線量は高くない」とは言えますが、「ゼロです」と言うことはできません。そもそも放射性カリウムなどの放射性物質は、多くの食品に含まれているものでもあります。

放射性セシウムが含まれていても、健康に影響しないレベルならば、少なくとも国の基準値(100Bq/kg)以下ならば、科学的にはまったく「高くない」と言えます。

しかし、「食べ物には、放射性物質がだいたいこれくらいは含まれているものだ」というような相場観がない状態で、「高くありません」と言われても、当然納得はできないでしょう。当初、スーパーマーケットに流通する農産物とは異なり、野生のキノコや山菜、それらを主食とするイノシシ肉などから、基準値を超えて放射性物質が検出されることが少なくありませんでした。

そこで、放射性物質と食の相場観について、「野生のキノコや山菜を食べなければ大丈夫」という言い方がよくされました。「野生のキノコや山菜と比較すれば、市場に流通している栽培された農林水産物には問題がない」という説明です。この比較は、スーパーに流通しているものを食べて生活している福島の住民にとって、「何を食べて生活すればいいのか」という相場観を持つのに役立ったようです。

しかし、原発事故後、この比較がさまざまな場面で行われたために、現在山間部の故郷に帰還した住民の方々が、放射能濃度がたとえ基準値を超えていなくても、「野生のキノコや山菜を食べたり贈ったりできない」という悲しみを味わっておられます。

――福島の山間部の、野生の山菜やキノコを食べたり贈ったりするという大切な地域文化を取り戻すためにできることはありますか。

2017年以降、ぼく自身は「野生の山菜キノコを日常的に食べても、健康影響が出るような内部被ばくはしません」という話をするようになってきました。

たとえば最近は、ご本人の承諾を得て、福島県内の避難指示が出た山中に住み続け、野生のキノコや山菜を長らく主食にしておられたある高齢者のお話をすることがあります。

この方は、放射線とは関係のない理由で病院に搬送されてきました。その際に生活の様子を伺って驚き、ご本人にご承諾いただいた上で、内部被ばくを測らせていただきました。すると、実効線量に換算して最大で約0.3mSv/年の追加被ばく線量であることがわかりました。比較的線量が高く、避難指示も出た地域の山中に住み、スーパーで食べ物を買うのではなく、野生のキノコや山菜を主食に生活しておられる方の追加被ばく線量がこの程度で済んでいるという例です。

この例をお伝えすると、「野生のキノコや山菜」と内部被ばくとの関係についての相場観を掴まれる方は少なくありません。しかし、野生のキノコや山菜を「主食にする生活」と「ときどき食べる生活」とを「比較する」という話の構造は、「野生のキノコや山菜」と「市場に流通している農産物」とを「比較する」という構造と、基本的には変わりがありません。「より多くの住民の生活パターンと、少し異なる生活パターンとを比較する」という構造です。

これは、結局、「福島で、何も気にせず、どこでも自由に住み、何でも好きなものを好きなように食べて生活する」ということの否定につながってしまいます。しかし、「比較」をせずに生活の相場観を把握するのは難しいのも事実です。

住民の苦労をなかったことにはしたくない

――これまで、地域での取り組みや診察のほかにも、多くの論文を発表され、放射線と健康影響についての講演や周知活動にも携わってこられました。

原発事故後の福島では、生活環境の急激な変化によるストレスや生活習慣病など、二次的な健康被害がたくさん起こっています。「地域住民の方々の苦労をなかったことにはしたくない」という思いから、ぼくは論文を書いて残すようにしています。

講演も、原発事故後初期には毎週2回ずつ行なっていたこともあります。ただ、原発事故直後から7年が経過し、講演内容のニーズに変化も感じています。今は原発事故直後に比べ、放射線の健康影響をメインのテーマにお話をする機会はとても少なくなりました。最近は、放射線の健康影響とは別のテーマについて詳しい方の講演をサポートすることが増えています。

――放射線の健康影響についての講演が減った背景について、どのようにお考えでしょうか。 

放射線の健康影響についての正しい情報が普及・浸透してきたというより、「放射線と健康影響についての知識を得たい」という聞き手のニーズそのものが減ってきたという印象を持っています。

ぼくたちの仕事は、住民のニーズを無視して「放射線についての正しい知識が大事です」と主張することではなく、住民が今まさに日常生活で直面している「知りたいこと」に耳を傾け、住民の生活に役立つデータをとり、その結果をわかりやすく伝えることです。

――原発事故から7年半が経過し、放射線と健康影響について知りたいというニーズは、ほかの課題に比べて一歩下がったところにあるというお話でした。では、放射線と健康影響について知りたいというニーズが前面にあったのはいつ頃のことでしょうか。

放射線被ばく線量について知りたいというニーズが多かったのは、現場の実感としては、2012年の秋頃までです。原発事故から1年ほどが経過して、内部被ばく線量や外部被ばく線量の実測値が各市町村からも出揃って、大多数の住民が納得して生活できるようになってきた時期ですね。ホールボディカウンターなどの受診希望者の数が急激に減った時期も一致しています。

そして、反比例するように「甲状腺がんについて知りたい」というニーズが前面に出てきました。今はそのニーズもほとんどありません。

――内部被ばくや外部被ばくの量についての認識は、1年ほどでかなり浸透したということですね。一方で甲状腺がんについては、原発事故から8年目を迎えた今も、住民の関心は薄れても不安自体は拭いきれていないようです。内部被ばく、外部被ばくの問題と甲状腺がんの問題との違いはありますか。

甲状腺がんは医療の問題ですから、そもそも関わることのできる人の数が非常に少ないという原理的な要因が挙げられると思います。

内部被ばくの場合、福島の各市町村がそれぞれ食品の放射能濃度やホールボディカウンターによる内部被ばく線量を測定することができました。その結果、「福島の各地域の食品中の放射能濃度や住民の内部被ばく線量がどのくらいか」というデータがたくさん出てきて、相場観や納得感を共有しやすかったんです。外部被ばく線量も、やはりリアルタイム線量測定システムがあちこちにあって公表していたり、ガラスバッジやD-shuttleのような個人線量計の値が集計されたりして、やはり全体としての相場観や納得感が共有できました。

しかし、甲状腺がんは個人の健康問題ですから、被ばく線量のように「皆で測ってだいたいの相場観を自然に掴む」ということができません。医療機関が一定の判断基準で診断して、結果も一括管理することになります。ばらばらの基準をもって各地で検査と登録をすれば、住民に非常な不安と混乱を招いたでしょう。

だからこそ、原発事故後の福島の子どもの甲状腺の被ばく線量が、「甲状腺がんになるのではないか」と特別な心配をするほど高くないことや、そもそもの甲状腺がんの治療のしやすさ、死亡率の低さなどの基本的な情報を、より丁寧に医療者が伝えていくことが大切だと思います。

いずれ全国で起こる課題が今福島で起きている

――坪倉先生は、南相馬市や相馬市をはじめ、県内の多くの地域で調査・研究をされてきました。今の「福島の課題」とはなんでしょうか。

この7年間全体を俯瞰すれば、原発事故直後の3カ月間で最も多く人の命が失われました。とくに、原発事故直後の短期的な避難によって亡くなった方が一番多かったことがわかっています。そして今は、長期的な避難によって、人と人とのつながりが失われてしまったために、住民の健康的な生活が損なわれたということが問題になっています。

たとえば長期的な原発事故の影響を、「医学」という切り口で見れば「糖尿病にかかる人の増加」ということになりますし、「精神医学」という切り口で見れば「うつ病や自殺リスクの増加」ということにもなるでしょう。それぞれの分野によって異なる名前で呼ばれていますが、課題の本質は共通していると思います。

――その課題は、政策にどのように反映されるべきでしょうか。

難しいことですが、少なくとも「解決法は関連性の中に見つけるべきだ」とは思います。たとえば、若い人が避難した→そのまま避難先に移住した→高齢者が独居状態になった→移動手段がなくて孤立した→生活習慣が不健康になった→糖尿病が増加した、というように、いくつかの問題が一連の関連性を持っているとします。

ここで「糖尿病は食生活の乱れによる病気なので、食生活を見直すべきです」「移動手段がないのであれば、高齢者にタクシー券を配ります」と、たんに問題の1つを切り出すだけでは、根本的な解決にはなりません。あるいは、「家族が揃えば高齢者の食生活が乱れないなら、家族全員が揃うようにしよう」という選択ができない事情を抱えた方々も大勢いらっしゃいます。

1つの問題を単純に切り出すのではなく、一連の関連性を保った上で、どのような解決法を見出せるのか。これは、福島だけが抱える問題ではありません。これから社会が高齢化していく上で、国民全員が通る道です。福島だけではなく、国民が皆でさまざまな立場から知恵を出し合わなければならないことだと思います。