福島レポート

2021.10.14

福島の森は生きている――『森林の放射線生態学』著者インタビュー

服部美咲 フリーライター

インタビュー・寄稿

森林の放射線生態学 福島の森を考える

橋本昌司、小松雅史、三浦覚

福島県の面積は1万3780平方キロメートル(全国3位)。約7割を森林が占める。2011年の東日本大震災の影響で起きた東京電力福島第一原子力発電所(以下福島第一原発)の事故による放射性物質は、この広大な森林にも広がった。

福島の森林の木は、長い間木材などに利用されてきた。また森林の恵みである野生のキノコや山菜は、周辺地域の食文化の要となっていた。原発事故に見舞われた森と、この先どう向き合えばよいのか――。森林とともに生きる福島の人々の声をそこかしこで聞いた。

2021年3月、『森林の放射線生態学 福島の森を考える』(丸善出版)が刊行された。これまで、住民にとって重要な意味を持つ福島の森林について、科学的な知見をわかりやすく解説した本は存在しなかった。

福島の森林は、どのように原発事故の影響を受けたのか。「市場に出回る福島の農林水産物が安全である」と説明されるときに、しばしば比較対象として出された「野生のキノコや山菜、それらを主食とする野生動物の肉」の放射能汚染は実際どうだったのか、そしてそれは今どうなっているのか。放射線の基礎知識とともに、多くの知見がわかりやすく解説されている。

森林を身近にして生きてきた福島の住民にとって、本書は、慣れ親しんだ森林との関係性を築き直すきっかけを与えてくれる。そして、福島の森林を訪れ、あるいは美しい写真や映像に触れて、新たに知ろうとする人々の道標ともなろう。

著者の橋本昌司氏、小松雅史氏(共に森林総合研究所)に、本書を通じて伝えたい知見や思いを伺った。

原発事故当時、森林のことを考えられなかった

――福島第一原発事故が起きたことで、福島県内の森林に放射性物質が飛散しました。当時、どのように推移を見守っていらっしゃいましたか。

橋本
 私は、茨城県つくば市にある研究所で地震に遭いました。震度は6プラスかマイナスだったと記憶しています。退避した野外で、小松さんもいて会話を交わしたことを覚えています。停電が起きたため、一体どこが震源かわからなかったのですが、テレビ機能がついた携帯電話を持った友人と建物から避難している途中に、東北方面で起こったことを聞きました。

地震は金曜日に発生し、週末を挟み、月曜日以降も交通インフラが止まるなど社会が混乱していました。そのため、多くの研究員が自宅待機となりました。その間、緊迫していく原発の状況を、自宅のテレビで食い入るように見ていたことを覚えています。

そして原発事故が起きました。そのとき放出された放射性物質が、森林に降下し、長く続く森林の汚染を引き起こすとも、ましてや自分がその研究に深く関わっていくとも、夢にも思っていませんでした。今思えば、研究者として想像力が少し欠けていたかもしれませんね。

原発事故が起きてしばらくしてから、研究所内で、「放射能とは」というところから、少しずつ情報収集が始まっていきました。研究所としては、夏頃に本格的な森林の調査を始めました。でもまだ汚染のレベルがどの程度かもはっきりせず、リスク評価が十分にできない状況でした。そのためもあってか、最初の調査は、限られたメンバーだけで行われました。私自身も、そのときの調査には参加していません。

夏頃には、森林が汚染されたことが国内に広く知れ渡っていました。私は地球温暖化と森林土壌を研究する研究者で、放射能のことは全く知りませんでしたが、この一大事に何かできることはないかと悶々としていました。

本格的に福島に関して何かやらなくては、と決意したのは2011年の年の暮れのことです。自宅で一人、テレビを見ていました。2011年を振り返るという趣旨の番組で、津波や放射能汚染に関わるいろいろな厳しい映像が流れていました。それを見ながら、私自身も2011年を振り返りました。私のできることが何かあるならば、と、原発事故後の福島にかかわる研究を始めることにしました。

小松さんは原発事故直後どんな感じでしたか?

小松 そうですね。震災当時、私は東京に住んでいたのですが、橋本さんと同じく、つくば市の研究所で地震に遭いました。その日は帰ることができず、上司の家に泊めてもらいました。翌日になってなんとか自宅に戻り、やはり橋本さん同様、数日間の自宅待機となり、その間に、原発の水素爆発をテレビで見ました。

原発事故当時、放射性物質に関する知識はほとんどなく、正直、原発事故によってどのような影響が起こるのか、全く想像もできませんでした。放射能汚染を心配して、職場内にも、家族を一時的に遠方へ避難させた方もいました。私はといえば、「安全だ」と言い切れるほどの情報や知識を持っていたわけでもなかったのですが、特別に大きく生活拠点や生活様式を変えるようなこともしませんでした。今思うと、想像を超える事態に対して、正常性バイアス(非常事態を日常の範囲内と捉えることで、平静を保とうとする心の動き)のようなものが働いていたのかもしれませんね。

一方で、妻の親戚が福島県の小野町で農家を営んでいて、農作物の出荷制限など現業への影響を身近に知っていました。そのため、被ばくの影響よりはむしろ、日々の生活の営みへの影響を心配していました。津波による直接的な人や家屋の被害の影響があまりに大きくて、正直森林の放射能汚染のことまで気が回っていませんでした。

私は、原発事故当時、二酸化炭素濃度の上昇が樹木に与える影響を調べるためのプロジェクトのポスドク(大学院博士課程を修了した研究職)でした。ポスドクだと、特定のプロジェクトに専念する必要があるので、私が福島の森林の放射能の研究を始めたのは、橋本さんよりも後のことでした。

橋本 二人とも、原発事故が起きた直後は森林の放射能汚染まで気が回らなかったってことだよね。

森林についてのプロフェッショナルはそろっていた

――原発事故前、放射線や放射性物質に関する知識や放射線測定などのご経験はありましたか。

小松 さきほども言ったとおり、原発事故前、放射線に関する知識はほとんどありませんでした。職場には放射性元素を実験に使う施設があって、原発事故前から放射性元素について知識を持った研究者はいましたが、ごくわずかでした。私を含め、職場の多くの研究者は、原発事故後から放射線や放射性物質について知識を集めたのではないかと思います。橋本さんはどうでしたか?

橋本 私も全然知りませんでした。放射線の知識は、はっきり言ってほぼ高校物理で止まっていたと言ってもいいと思います。もちろん放射線を測ったこともありませんでした。

原発事故後に、所内の少し詳しい人の講演を聴いたり、ほかの研究所の詳しい人を招いたりして、少しずつ研究所全体で勉強をする中で、学んでいきました。

ただ、実際に森林の放射能汚染について調べていく上で大切なのは、「適切な調査地点を選び、適切なサンプルをとる」(森林の全体像をとらえるためのサンプリング)という技術だと思うんですよね。放射線とか放射性物質を正確に測定するということももちろんですが。

その点、幸い私たちの研究所には、森林に関わるあらゆる研究者が所属していて、森林の全体像をとらえるためのサンプリングのプロもたくさんいました。

――原発事故後、放射線による周辺地域への影響について、どのように情報を得ていらっしゃいましたか。

小松 私の場合、Twitterの影響が大きかったと思います。

原発事故以前の2010年からTwitterのアカウントを持ってはいましたが、初期はほとんど使っていませんでした。地震直後の停電の影響で、電話で家族と連絡が取れなくなった際に、Twitterのメッセージだけはつながることがわかりました。それをきっかけに、少しずつTwitterを使うようになりました。

何人もの専門家が、おそらく皆さん手探りだったとは思いますが、Twitterを通じて様々な情報発信をしてくださっていました。もちろん中には極端な情報もありましたが、そういった様々な情報に触れたり、そこで紹介されている書籍を読んだりする中で、放射線の概要についての知識を得ていったように思います。

ただ、森林に降った放射性物質の影響という専門的なことについては、そう簡単にはいきませんでした。実際に課題を担当して、報告書を執筆したり、現地に赴いたりしていく中で、関連する知識を体得していきました。

橋本 なるほど、Twitterですか。自分はやっと昨年からTwitterを始めたばかりですが、たしかに、Twitter上であふれる情報の中には、案外有用なものがあるなという印象があります。

私の場合、2011年から翌年までの情報源は、研究所が行った調査と、チェルノブイリ関係の科学論文と国際原子力機関の報告書ですね。それから、いくつかチェルノブイリ関係の書籍も取り寄せました。2012年頃からは、チェルノブイリ原発事故を経験した海外の研究者からの情報も入り始めました。

福島の森の全体像を把握する

――福島の森林の調査・研究は、実際にはどのような活動になりましたか。

橋本 私は、「自分自身でサンプルをとり、分析して、データをとっていく」というタイプの研究者ではないんです。分析されたデータをつなぎ合わせて、全体像を描き出していく。そういうスタイルの研究がメインです。もちろん手伝いで森での現地調査をすることはありますが。

それゆえかもしれませんが、当時の社会的混乱、メディアで飛び交う情報の混乱を目にして、「俯瞰的な情報が足りていない」と感じていました。当時福島の森林に関しては、除染をするのかしないのか、という議論がありました。「木も全部切ってしまえばいいんだ」というような、極端なことをいう研究者もいました。私は、とにかく全体像を把握しなければならないと考えました。福島の森林の今後を考えていく上で、判断材料にできるような、俯瞰的情報を提供できないか、と。

そこで、まずは特に汚染度が高い地域で、樹木や表層の土壌がどの程度の量存在するのか、既存のデータや地理情報システムを用いて算出しました。これは、汚染地域にどのような森林がどの程度の広さあり、そして除染をしてそれらをすべて取り除いたら、どの程度の廃棄物ができるのか、ということを示そうとしたものです。ただ、原発事故直後は、放射能に関わる研究データや論文を気軽に発表できる社会の雰囲気ではありませんでした。私も、論文を出すことを相談した同僚の一人に、「君には家族もあるのだから、やめた方が良い」という忠告を受けました。今思うと少し大げさだとは思いますが。

この、全体像を描き出す・提供する、という姿勢は、その後の福島研究、さらには本の執筆にも通じています。もちろん、全体像を描くためには、個別のしっかりとした調査や実験データは必須です。

私がこの数年力を入れてきたのは、福島の森林でとられたデータの集約とモデリングです。原発事故以降、たくさんの森林研究者や行政が、森林内で調査を行なってデータをとりました。ただ、データは様々な形で様々なところ、例えば学術誌や報告書などにばらばらに発表されていて、全体像が見えませんでした。そこで、それらを拾い集めていき、一つのファイルに整えました。そうすることで、私たちはどういうところはよくわかっていて、どういうところがよくわかっていないか、というのが見えてきました。

この活動には、小松さんを始め、研究所の若い人たちと取り組みました。同時に国際原子力機関のプロジェクトを通じて、チェルノブイリ原発事故の際にヨーロッパで活動した研究者とも力を合わせて整理していきました。その結果は、英語で学術誌に発表すると同時に国際原子力機関への報告書にも盛り込みました(英文のみ、現在森林の章の和訳準備中)。福島第一原発事故は、世界中が注視しているにもかかわらず、日本語という言語の壁にはばまれて、海外からは見えにくいという状況があります。このデータや、それによって得られた知見は、今後、もしかして世界のどこかで原子力災害が起こったときに活用できる、国際的に重要なデータです。

もう一つ取り組んできたのは、森林の中の放射性セシウムの動きのモデリング(シミュレーション)です。モデリングとは、例えば葉っぱ、枝、幹、土、といったように、森林の中を仮想の箱で表現し、その箱から箱へ放射性セシウムが動く様子を数式で表現し、それを時間的に見ていくことで、森林の中の放射性セシウムの動きを動的に表現する、というものです。さらに表現された放射性セシウムの動きを未来に伸ばすことで将来の予測を行っていくことも可能です。

これも、調査研究で得られた点と点をつなぎ、森林の放射能汚染の全体像を描き出し、さらには将来への見通しを提供するための研究です。原発事故から1年ほどたった頃に、チェルノブイリ原発事故の際にモデリングを行っていた海外の研究者にコンタクトをとりモデリングを開始しました。現在は、国内外の複数の研究グループを共同でモデル化を進めています。

小松 私は、2013年の夏まで、主に環境ストレス(樹木の病気やオゾンなど)に対する樹木の応答などの研究をしていました。

森林総研では原発事故から半年後の2011年8月より福島県の森林で放射性物質の分布調査を開始しました。毎年一回、研究対象地域の川内村・大玉村・只見町(福島県)の森林に複数の研究者が赴き、葉・枝・幹や土壌を複数採取し、放射性セシウムの濃度を測定することで森林の中のどの部位に放射性セシウムがどれだけ分布しているかを調べるものです。

2013年夏から、調査事業のポスドクとして、放射性物質の調査に関わるようになりました。その後2014年に正規職員になり、きのこの放射能についての課題を担当することになりました。現在では、野生きのこや森林の放射能汚染の現状、その対策についての調査研究を行っています。

福島の野生のキノコの研究

橋本 小松さんが今、特に力を入れているのは、野生のきのこや山菜といった、山村の、食べられる山の恵みについての研究ですよね。小松さんはどうしてその研究に力を入れるようになったの?福島県と国際原子力機関の会合に専門家として出たりもしているよね。

小松 野生のきのこについていえば、森林の生産物の中でも、特に注目すべきものだと思いました。「食」に関わるからというだけでなく、汚染が長期的に続くという特徴があるからです。

実際の研究としては、野生きのこのモニタリングから開始しました。そこでまずびっくりしたというか、困ったのは、きのこの種が非常に多い、ということでした。日本だけでも、きのこは4,000〜5,000種あるとも言われています。名前を決められていないきのこもたくさんあります。

きのこの放射性セシウム濃度は、そのきのこが生える土や木の放射性セシウムの量(濃度)によって影響を受けます。さらに、調べた結果、放射性セシウム以外の養分などによっても大きくばらつきが出ることも分かりました。

例えば、セシウムはカリウムと似た動きをします。だから、肥料をまいて土壌のカリウムを増やしてあげるとコメの放射性セシウムの吸収が抑えられるわけですが、同様の話が樹木やきのこにも当てはまるわけです。

このような中、野生きのこの放射性セシウム濃度の特徴を把握するためには、様々な種類のきのこのデータを沢山集める必要があります。しかし、現地に調査に行っても、必ずしも欲しいきのこが必要なだけ採れる訳ではありません。ひとりの研究者だけで解析に必要なデータを集めるのには限界がありました。

そこで、各市町村が行っている食品の放射能検査データに着目しました。様々な食品について地域ごとの安全性を検査するため、原発事故後、膨大な数の食品が検査され、結果は厚生労働省のホームページに公開されています。

食べられる野生きのこについても、幅広い県のデータが登録されています。このデータベースから約100種3000検体の野生きのこの検査データを使った解析を行いました。

その結果、きのこの種類によって放射性セシウムの吸いやすさ(同じ環境にあると仮定した場合の推定濃度)が最大100倍以上異なることが分かりました(詳しくは2020年プレスリリース)。

これまで出荷制限は野生きのこを一括りにして課されていますが、種やグループごとに制限を見直すなどの対策ができる可能性が示されたと言えます。

原発事故が科学者に与えた衝撃

――本書を執筆されたきっかけを伺えますか。

小松 

実は、森林の放射能について本を書く、という企画は2014年にもありました。ただ、当時は本を書ききることのできるような、包括的な知識は十分ではありませんでした。さらに、正職員になったことで新たな調査を始め、これまで得られた結果を論文として出していこう、という時期でもありました。そのため、なかなか積極的に本の執筆を推進していくことができず、企画も流れてしまいました。

その後、2014年から2020年まで研究を続け、現地に足を運ぶ中で、これまでの森林の放射能汚染の現状についての知識が、私自身の中で、少しずつ立体的に構築されていきました。そのような中、所内のプロジェクトで、知見を広めることが目標の一つとなりました。さらに原発事故から10年という節目でもあり、また似たような問題意識を持っていた橋本さん・三浦さん(執筆協力者)も本の出版について前向きな意見を持っていたことも重なり、執筆をはじめました。

橋本 原発事故から10年という節目を迎えるに当たり、全体像をわかりやすく伝える本を書こう、と2018年から議論を始めたよね。

全体像というのは、木から土まで、という森そのものの全体像というだけではありません。森林の放射能汚染の全体像、つまり森林の中での放射性物質の動きから、林産物の規制、規制値の考え方、汚染地域の林業や人々の生活が受けた影響まで、さまざまなことを考えなければなりません。当時、そういう意味でも原発事故後の福島の森林の全体像がわかるような本がなく、作らねば、と思いました。

また何より、今後も長く続く放射能汚染問題の将来を担う若い人、特に大学生の教科書になるものを、という思いもありました。執筆に携わった3人は、それぞれが福島の研究を行ってきました。それぞれ専門が違うからこそ、知識を補い合い、またデータの解釈や結果の受け取り方、未来へ向けての考え方など、3人で議論を重ねて構成とメッセージを構築していくことができました。3人で何度も何度も議論を繰り返しながら本をつくっていきました。

研究者って、少し現実社会と距離のあるところで研究をしている印象があるかな、と思います。福島第一原発事故は、そんな浮世離れした研究者の頭をがーんとぶん殴って、現実社会に引きずり戻すようなできごとでした。

科学者にとって衝撃だったことは、まずあれほどの規模の地震を予測できなかったということ。そして、科学技術でできている「安全(と主張している)な」はずの原発が、事故を起こしたということ。さらに、原発事故後の放射能汚染をめぐる国民の不安に対して、適切な情報を、わかりやすく、すぐに提供できなかったこと。

他にもたくさんあると思います。あの社会的混乱の中で、たくさんの科学者が苦悩し、この目の前に突如現れた放射能汚染問題をなんとかせねばと、研究に取り組みました。あとがきにも書きましたが、研究者たちのその熱量があるうちに、研究で明らかになったことを残しておきたい、という気持ちが強かったです。


いち森林科学の研究者である私としては、原発事故による放射能汚染という、社会の大きな危機的状況の中に森林が関わっていて、その森林で何が起こっているのか、一刻も早い解明が求められていました。多くの研究者が、自分の専門研究を放り出し、一方でその知識を生かして原発事故後の福島での研究に取り組んでいるという状況もありました。やりがいもありましたが、被災者の思いや暮らしを目にし、風評や誤解も避けなければならず、非常に神経を使う研究活動でもありました。

「福島の森」を理解するための本を

――本書の読みどころを伺えますか。

小松 本のコンセプトとして、まず広く森林の放射能汚染に関する知識が得られる書物であること、そして内容が分かりやすいことを目指しました。

さきほど橋本さんも仰っていましたが、これまで森林の放射能についてまとまった日本語の本がなかった、ということが、この本をつくる大きな動機になっています。

そのこともあって、森林の主要構成要素である樹木や土壌についてだけでなく、社会的な問題となっているきのこや野生動物、山菜などの林産物についても取り上げました。ほかにも、放射能汚染を考える上で重要となる放射線防護の基礎的な情報も記載しました。また最後の章では汚染の現状を概括し、今後考えられる対策や将来の備えについても言及しています。

それから、共著の場合、章ごとに別々の著者が執筆している本もありますが、この本では、すべての章について全員がチェックしています。わかりやすさや統一感を重視しました。

橋本 それから、4人の研究者にコラムを寄せていただきました。このコラムはとても貴重な記録だと思っています。

コラムを書いてくださったのは、原発事故直後から最前線にたち混乱を経験した日本の2名の研究者と、チェルノブイリ原発事故を経験し福島研究にも関わった2名の欧州の研究者です。彼らはあのとき、何を思い、どう行動したのか。

本書は、将来を担う大学生の教科書になるものを、という思いを込めて「放射線生態学」という、少しとっつきにくいタイトルをつけています。でも内容は、一般の方にも読みやすいように、できるだけかみ砕いたつもりです。

「解決されていない課題がそこにある」

――原発事故後の福島での「森林と人の暮らし」の関係について、どう考えたらいいでしょうか。

小松 まず、放射性物質が降り注いだ森林に、住民がどのように関わるべきか、というのは非常に難しい問題です。

放射線防護に基づいて、様々な基準値が定められています。しかし、その基準値の範囲内であっても、人によって感じることは様々だからです。また、現行の基準値そのものに意見のある方もいます。

放射能に関しては、リスクとベネフィットを各自が考えた上で、自分で自分の行動を選択する必要があります。これは新型コロナウイルスとのかかわりにも通底することです。

リスクを判断するためには、県民・県外に関わらず、情報が必要です。私ができることは、可能な限り正しい情報を伝えることだと思います。

橋本 原発事故から10年の歳月が流れました。また昨今のコロナに加えて、土砂災害など災害が次々に起きています。いくつもの要素が重なって、福島の放射能汚染に関する報道はどんどん減っています。若い世代の人たちにとって、福島第一原発事故は、既に、昔の災害、になってしまっているのかもしれないと感じることがあります。

東京や福島で講義をする機会に、最近福島に関するどんなニュースを目にしましたか、と聞いてみても、若者のテレビや新聞離れゆえでもあるのか、ほとんど目にしないという声もあります。原発事故後の福島に関する研究に携わる人も、仕方がないことかもしれないけど、どんどん減ってきています。

しかし実際には、森林に限ってもまだ課題は積み残されています。そもそもセシウム137の半減期が30年ということもありますし、森林は農地のように人間の働きかけでおおよそ解決する、ということは難しい場所です。

そして、汚染度によって考え方を変えていく必要があるという課題もあります。汚染度がそれほどでもないところでは、放射性セシウムの自然の減少や森林の長い時間スケールを味方につけ、被ばくを避けながら森林と付き合っていけるでしょう。しかし、現在帰還困難区域とされているところなど、汚染度の高いところでは、それ以上の長い時間がかかります。厳しい現実ですが、両者は別の考え方で対応していく必要があると思います。

小松 原発事故後、放射線から自分の身を守るため、実際に自分の周辺の空間線量率を調べたり、ポケット線量計で自身の被ばく量を調べたりしてきた住民も多くいると思います。各自治体では持ち込みの食品検査所があるので、自分の作った野菜や山で採取した山菜や野生きのこを持ち込んで放射線量を測ることもできます。こうした活動も一人一人ではわかることに限界があると思うのですが、皆さんが調べたデータをまとめて解析することで、より広域で信頼性の高い情報が得られる可能性があるのではと考えるようになりました。

解析で得られた新たな情報を、住民にフィードバックすることで、より正確な情報を知りたい住民の役に立ちます。また自分の測ったデータが、実際にほかの住民にとっても役に立つと知ることで、身の回りのいろいろなものを測ってみよう、という動機づけにつながる可能性もあります。こういった市民参加型の研究を市民科学(シチズンサイエンス)と言います。市民の「知りたい」に関わることができたらいいなと考えています。

橋本 福島県から遠くに住む人が、ずっと福島の森林のことを思い続けることは、現実的には難しいのかもしれません。でも、解決されていない問題がそこにある、ということはどうか忘れずにいてほしいですね。若い人の中からは、福島の放射能汚染を研究する人が出てきてもほしいと思います。そのためには、私たち研究者も、福島のことを福島の人たちに伝えるだけでなく、福島の外にも広く伝えて続けていくことが大切なのかもしれません。

福島の森は生きている

――森林の研究者を志した理由、また原発事故後の活動への想いを伺えますでしょうか。

橋本 実は私はまさに「里山」出身で、小学生・中学生の時ぐらいまではずっと野山で遊んでいました。小学校もつい最近廃校になったぐらいです。子供の頃からぼんやりと研究者に憧れていましたが、大学に入る際には物理と森林というあまり関係がなさそうな二つに興味を持っていたのですが、大学に入ってみて自分はやっぱり森林が好きだし、向いていると思って、森林研究の道に進みました。

この未曾有の原発事故に際していえば、何か自分たちができることがないか、というところからはじまりました。目の前に問題があって、我々がやらなければ誰がやる、と。気がつけば、いろいろな形で福島に関わることになった。あの原発事故が起きた時代に生きていた森林研究者としての、使命のようなものかもしれません。

小松 私は、橋本さんとは違って、東京の郊外で育ちました。もちろんそこにも畑や林はありましたが、そこまで森と触れ合って生きてきたわけではありませんでした。大学では最初天文学をやりたいなと考えたのですが、理学で学問を究めるのは大変そうだなと思ったのと、自分にとってあまり馴染みのない農業に何故か惹かれて農学部に入りました。さらに農学部で樹木が一瞬で枯れてしまうマツの病気に興味を持ち森林学科に進みました。

原発事故後に、なぜここまで福島の森林に関わり続けてきたかというのは、やはり「原発事故があったから」ということにつきます。そのときどきの様々な状況があり、結果として今もこの研究を続けています。とはいえ、決して受け身で続けている訳ではありません。少しでも人々の暮らしの問題解決につながればと願い、これからも研究を続けていきたいと考えています。

――「未来へ向けて」の章の中で、「幸いなことは、今回の事故で生じた放射線量は、森林生態系そのものを破壊する強さではなかったことです。汚染はされましたが、森林はこれまで通り力強く生きています」と書かれています。どのような思いを込められたメッセージでしょうか。

橋本 放射線は私たちの身の回りに自然に存在するものです。同時に、強い放射線は間違いなく生物に有害です。現在も研究は進んでいますが、福島においても、動植物を死には至らせないまでも、例えば形態異常があったことを示唆する科学論文こちらも参照)も出ています。

しかし、俯瞰的に見てみると、動植物への影響はあったとしても軽微であるということもわかってきました。本当に幸いなことに、今回の原発事故による放射線は、森林という「生態系(動植物の営み)」を破壊してしまうほどではありませんでした。ただし、帰還困難区域をはじめ人々が立ち入らなくなった地域など、森と人とのバランスが崩れ、生態系が変化している地域があること、また人々が原発事故前と同じようには、森林を生業にしたりその恵みを享受したりできなくなったことは忘れてはならないとも思います。

「放射能汚染」というと、どうしても破滅的な影響をイメージしてしまいます。でも、福島の森は壊されなかった。そして今も力強く生きています。これは、福島の森の未来に思いをはせ、議論していく中で、読者の皆さんに伝えたいこととして、自然に出てきたメッセージです。

「福島の森はいいところです」

――森林を研究することの魅力、森林の魅力はなんでしょうか。

橋本 森林と一言で言っても、実はそこにはいろいろなものが含まれています。森林の研究者にも、虫が好きでたまらないとか、植物が好きでたまらないとか、動物が好きでたまらないとか、いろんな人がいます。私自身は、何か一つが好きというわけではなく、正直言うと自然は何でも好きかもしれません。生態系という巧妙な系や、長い時間と包容力なのかもしれませんね。日本の国土の7割、地球の陸地でも3割を森林が占め、地球環境に大きな影響を与えているというところも魅力かもしれません。

小松 とても不確実な要素が多く、様々な事象も単純には説明できないことが多くあります。その中で知恵を働かせ、手足を動かし、経験とデータを積み重ねていく過程で新たな気づきに出会えることが面白いと感じています。そして単純に森に調査に出かけるのは楽しいです。

福島の森はいいところです。

プロフィール

服部美咲フリーライター

1983年生まれ。慶応義塾大学卒。ITベンチャー企業、地方団体勤務を経て、現在フリーライター。東北復興新聞、先端医療・工学メディア、官公庁広報など複数メディアで活動する。取材分野は地方創生、ワークスタイル、医療、工学など。著書に『福島第一事故から10年の科学的知見 福島の科学と倫理』(丸善出版)

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