福島レポート

2022.01.18

福島の甲状腺検査を受けて考えたこと――荒帆乃夏氏インタビュー

服部美咲 フリーライター

インタビュー・寄稿

2011年、東日本大震災によって、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた。飛散した放射性物質による健康への影響、とりわけ子どもの甲状腺がんについての不安が広がった。同年、原発事故当時18歳以下だった全県民を対象に、福島県は超音波による甲状腺スクリーニング検査(無症状の人を対象に、甲状腺がんの疑いがある人を見つけるための検査。以下甲状腺検査)を始めた。

2014年、甲状腺検査による「過剰診断」が韓国から報告され、注目を集めた。その後、各国で同様の問題が多数報告されるようになった。甲状腺検査では、検査して発見さえしなければ、一生その人に悪さをしなかったはずのがんを見つけ出してしまうことがわかったのである。

福島の甲状腺検査でも、過剰診断の問題が指摘されている。子どもや若者への過剰診断の不利益は、通常よりも深刻である。より長い期間、しかも、進学や就職、恋愛や結婚など、人生の方向を左右する重要な時期を、がん患者・がんサバイバーとして送るように強いられてしまうからである。

過剰診断は、本来健康な人としてあたりまえの生活を送れたはずの人を、検査によって「患者にしてしまう」という問題である。福島の甲状腺検査は、福島の子どもや若者の、健康な人生、あたりまえの日常を奪うリスクを孕んでいる。

今回、甲状腺検査の受診対象者が取材に応じてくださった。荒帆乃夏さんは、原発事故当時小学校4年生。高校時代に甲状腺検査に疑問を感じ、自主的に調べた経験を持っている。

自分で調べて、理解するのに数か月かかった

――甲状腺検査の利益・不利益について知ったのは、いつ頃のことでしたか。

福島高校に入学して、日仏交流活動に参加しました。福島の復興の歩みや今後の課題について調べ、フランスの高校生とも議論しました。高校2年生の春に、フランスで福島についてのプレゼン発表をしました。一緒にフランスに行ったメンバーの1人が、甲状腺検査をテーマに選びました。私もそのメンバーの発表する内容を理解するために、福島の甲状腺検査について調べました。そのとき、甲状腺検査の過剰診断の存在を知りました。

――具体的にはどのように調べましたか。

まずは、福島県立医大から出されている甲状腺検査についての資料を読みました。その後、当時、福島県立医大で甲状腺検査を担当していらした緑川早苗先生にお話を伺いました。過剰診断やスクリーニング全般についての論文を何本も読みました。たくさんの情報に当たり、自分の中で整理していきました。甲状腺検査の利益不利益について、きちんと理解するのに、数か月はかかったと記憶しています。

検査を「受ける・受けない」の選択の存在すら考えたこともなかった

――荒さんご自身は、甲状腺検査をどのような検査だと思って受けていらっしゃいましたか。

私が甲状腺検査を受けたのは、小学生のとき、それから中学生のときでした。当時は、過剰診断についてはもちろん、甲状腺検査に不利益があること自体、まったく知りませんでした。

――実際、検査はどのようなものでしたか。

学校に検査をする人たちが来ました。学校の体育館が、検査の会場になります。クラスメイト全員が廊下に出席番号順に並んで、みんなで会場に向かいます。身長や体重を測る身体測定と同じです。私以外の子たちも、身体測定と同じような感覚で受けていたと思います。

当時、学校でホールボディカウンター(内部被ばく測定)の検査もありました。それで漠然と「ホールボディカウンターとセットの検査か何かなのだろう」と思っていました。

――甲状腺検査が、事実上がん検診であるという認識はありましたか。

実は私は、「これはがん検診だ」ということだけは、なんとなく知っていました。親が医療従事者だったからかもしれません。それから、がんは早期に発見することが大切だ、とも思っていました。だから、甲状腺がんも、とにかく早く見つけなければいけないものなのだ、と。でも、それ以上のこと、たとえば甲状腺がんというのは何なのか、ということなどについては、考えたこともありませんでした。

――検査を受ける前に、何か説明は受けましたか。

少なくとも小学生のときは、検査技師の人や先生たちから、検査の仕組みなどについて説明を受けた記憶はありません。たぶん、他の生徒は甲状腺検査で何を調べているのか、それすらよくわかっていなかったのではないかと思います。

――荒さんご自身は、甲状腺検査を受けたいと思われて受けていらっしゃいましたか。

私自身は、当時積極的に検査を「受けたい」という意思決定をしていません。というか、「受ける」「受けない」という選択肢がある、ということ自体、考えたこともありませんでした。その意味でも、身体測定とまったく同じ感覚です。みんながあたりまえに受けるものだ、という。

福島県立医大から届く封筒には、同意書と検査の説明書が入っていました。でも私は、それを読んだこともありませんでした。封書が届いたら母親が開封して、「同意書出しておくよー」と私にいい、私はとくに何も考えずに「いいよー」と答える。そういう感じです。母も、同意書が来たから同意する、医大(福島県立医科大学)が受けるようにというから受けさせる。そういう感覚だったと思います。ただ私の場合、高校生になって甲状腺検査の利益・不利益を理解して、以来検査は受けていません。今後も受けないと思います。

――お母さんと、検査やその結果について話しあったことはありましたか。

私の検査に結果は、「A2」(大きさが20mm以下の嚢胞、又は5mm以下の結節が認められた状態)でした。私の母は看護師なので、当時の一般的な保護者よりは検査について理解していたと思います。それでも、私の検査の結果には非常に驚き、「何か悪いものなのではないか」と心配した、とあとで聞きました。医大の冊子を読み込んで、「A2は心配しなくていいんだよ」ということを私にも説明してくれました。

正しい情報に基づいて、自分自身で決めてほしい

――福島とフランスで、甲状腺検査についてのプレゼン発表をなさいました。発表を通して、どんなことを伝えたいと思いましたか。

学内の発表は、生徒、甲状腺検査を受ける当事者に向けての発表でした。私自身もそうでしたが、生徒のほとんどは、甲状腺検査に不利益があるということを知らず、甲状腺検査を受ける・受けないという選択が自分の意思でできることも知らずに、漫然と検査を受けているという状況でした。私は、せめて同じ福島高校の生徒には、正しい情報に基づいて、自分が検査を受けるか・受けないかを、自分自身で決めてほしいと願っていました。

――実際の発表はどのようなものでしたか。 

まずは、甲状腺検査の方法や検査結果の見方、その意味についての説明など、基礎的な情報を解説しました。その上で、甲状腺検査がはじまった経緯、当時の専門家の方々の意見、そして甲状腺検査には過剰診断などの不利益があるということを伝えました。

一方で、「甲状腺検査を中止すべきではない」という方の意見も紹介しました。検査には医学研究としての側面があるという意見や、甲状腺がんについての不安の声は完全になくなったわけではなく、検査体制を変えることによって、県民に再度不安が広がるのではないか、という懸念などです。

――発表する際、どのようなことを心掛けておられましたか。

「検査を受けるべき/受けるのをやめるべき」という結論を押し付けないように、特に注意を払いました。検査を受けるかどうかは、私たち自身が決められるのだ、ということを伝えたかったからです。

検査を受けることは強制ではない。そして「専門家がやめるべきと言っているから検査を受けるのをやめる」のでもない。私たち自身が決めていいのだ、ということを伝えたかった。

発表が一方の意見のおしつけにならないように、甲状腺検査には問題があるという意見の根拠、甲状腺検査を現状維持すべきという意見の根拠、どちらもが伝わるように工夫しました。

――生徒からはどのような反応がありましたか。

発表の後、「あなたは今後甲状腺検査を受けますか、受けませんか」と会場に問いかけました。全校生960人に手を挙げてもらったところ、だいたい半数の生徒が手を挙げてくれました。7:3くらいで、「受ける」が多いという結果でした。

ほとんどの生徒は、甲状腺検査を複数回にわたって受けてきています。少なくとも挙手した生徒のうち3割程度は、私の発表を聞いて考えを変えた、と受け止めることもできます。でも、正直なところ、私は半々くらいで「受ける/受けない」が拮抗するのではないか、と期待していました。それまで、漫然と「当然受けるべきものだ」として受けてきた検査に、実は「受けない」という選択があること、さらにはその検査による不利益があることを知ったわけですから。

当事者でも「他人事」

――発表を聞いた生徒からのコメントはありましたか。

「甲状腺検査による不利益があったとしても自分は受ける」と答えた生徒から、「科学の世界ではデータを収集することは大切だと思う。福島第一原発事故による放射線でどのくらい甲状腺がんが増えるのか。その課題を研究するために甲状腺検査を続けることには意義があるのではないか」という意見が出ました。

福島高校のSS部(注:スーパーサイエンス部。福島高校は文部科学省が指定した、先進的な理数教育を実施するスーパーサイエンスハイスクールである)の生徒でした。当事者というよりは、検査を継続するべきだと考える科学者の考えを想像しての意見だったのだろうと思います。

でも、人間を研究対象とする医学研究では、医学倫理を必ず踏まえなければならないはずです。その意見には、そういった基本的な医学倫理の視点が欠けている、と感じました。しかもその場に、検査で甲状腺がんと診断された人がいるかもしれないんです。その生徒自身、今後検査を受け続けていけば、いずれがんと診断されるかもしれない。そういったことを、リアリティをもって受け止めた上での意見ではないように、私には感じられました。

発表が終わった後、友人たちにも感想を聞きました。友人たちは、「甲状腺検査に不利益がある、という事実はわかったけど」と、どこかピンときていないような反応を示していました。彼らだけではなく、当事者であっても、「自分は大丈夫だから検査のリスクは関係ない」と、他人事のように考えている人は多いのではないかと思います。

甲状腺検査について伝えることの難しさ

――甲状腺検査の受診対象者として、発表を通じてどのように感じられましたか。

私は、11歳のときに震災と原発事故を経験しました。その後ずっと、発表当時で約7年間、身体測定と同じように「受けて当たり前のもの」として、甲状腺検査を受けてきました。検査に不利益が存在すると聞いても、まさか自分がその不利益を被る当事者になりうるとは想像しにくいと思います。実際に自分ががんと診断されるまでは、ということですが。少なくとも学校で同級生の発表を聞いて、すぐにピンときて、その場で批判的な考えを持つようになる、とはいかないのは当然のことだと思います。

さらに、「病気を早く見つけることはいいことなんだ」「検査はできるだけたくさんした方がいい」という感覚を持っている人は多いと思います。甲状腺がんのように、見つけることそのものが当人の不利益になるという病気もある、という事実を説明することそのものの難しさも、発表を通じて感じました。

それから、私の発表を聞いて、甲状腺検査には不利益があるのだと理解しても、友人の多くは「みんなが受けているから自分も受ける」「1人だけ周囲と違うことをして浮いてしまうのは嫌だ」と言っていました。その反応をみていて、自分自身の身体の検査なのにもかかわらず、自分の意思では決められないという感覚がある、ということにも気づきました。

最後に、私たちの世代は、小学生のときから検査を受けていますので、実際に受診の決断をしているのは、ほとんどの場合、本人ではなく保護者です。そのことも、「検査を受ける・受けないという決断を自分でできるのだ」という認識を持つ妨げになっているのかもしれません、もし本人が実際に検査を受ける/受けないという選択をしたとしても、まず親を説得しなければならない、という状況でもあります。だからこそ、保護者の方への正しい情報を伝えることが重要なのだと強く感じました。

「自分のことは自分で決める」ということ

――その後、海外で発表されました。海外の反応はどのようなものでしたか。

フランスのディジョンで開催された放射線防護ワークショップで、フランス各地から参加する高校生に向けて発表しました。発表内容や資料は学内発表と同じものです。発表の最後に、福島高校のときと同様、「あなただったら検査を受けますか、受けませんか」と会場に問いました。だいたい7割ほどが挙手してくれました。発表の後で「さっきはとっさに手を挙げられなかったのだけれど」と自分の考えを伝えにきてくださった学生もいました。4:6くらいで、「受けない」という選択をした方が多かったです。オーディエンスとの距離が近く、表情を見ることができました。多くの学生が、かなり考え込んでいる様子でした。

その後、各ブースに分かれてのディスカッションがありました。そこで、フランスの生徒や教師、研究者の方々と、じっくり話をすることができました。

――フランスの方々は、あらかじめどの程度、甲状腺検査について知っていましたか。

プレゼンの冒頭で、三つの質問をしました。(1.Do you know where your thyroid is? 2. Do you know the fact that Fukushima conducts the thyroid screening inspections? 3. Do you know Fukushima has some problems related to these inspections? :「甲状腺がどこにあるか知っていますか」「福島で甲状腺スクリーニング検査が行われていることは知っていますか」「甲状腺検査に問題があることを知っていますか」)

フランスの高校生は、甲状腺検査を実施しているということ自体は知っていました。でも、その検査に問題があるということは知らず、私の発表にとても驚いていました。やはり一般的ながん検診と同様に、早期発見・早期治療ができて、治りやすくなるのだからいいのではないか、とも思っていたようです。

――発表の後のディスカッションにおける反応はいかがでしたか。

ディスカッションの場では、全体へのプレゼンだけではわかりにくかったと思われることについても、かみ砕いて丁寧に説明できました。甲状腺検査の利益・不利益について、深く理解してもらえたという手ごたえもありました。

その後、改めて、福島の甲状腺検査についてどう思うか訊いてみたところ、発表直後に、「受ける」に挙手した学生も含め、ディスカッションに参加したメンバーのほとんどが、「甲状腺検査はもうやめたほうが良いのではないか」と言いました。「検査のリスクが大きすぎる」というのが理由です。

一方で、「検査はやめたほうが良いとは思う。でも不安を抱える人がいるのも理解できる。中止か継続かという質問には答えにくい」と言った学生もいて、福島の甲状腺検査に関わる方々の苦悩や葛藤も伝わったのではないかと感じました。

――フランスの方々からの反応で、印象に残っているものはありますか。

「日本の高校生のどのくらいがこの甲状腺検査を受けているのか」と聞かれ、学校で身体測定と同じ感覚で実施されていて、ほとんどの生徒が受けていること、教室には誰も残っていないことなど、自分自身の体験から検査の実態を説明しました。

フランスの学生は、「自分のことは自分で決める」という意識を明確に持っていて、「周囲の目を意識してしまって、自分の検査でも、自分では受診の可否を決められない」という日本人の感覚は理解しがたいものであったようです。「日本人のシャイさも一因なのではないか」とも言われました。放射線防護ワークショップに参加していたのは、いわゆる「理系」の学生だったので、科学的根拠に基づいて、自分の意思で自分の行動を決めるという意識が特に強かったのかもしれません。

今の甲状腺検査の状況は公平ではない

――荒さんご自身は、福島の甲状腺検査がどのような形になるとよいと思いますか。

私は、今の甲状腺検査の体制を見直してほしいと思っています。

まず、学校で生徒全員が身体測定のように漫然と甲状腺検査を受けるという仕組みではなく、不安を抱えて悩む方が、個別に医療機関に繋がれるような仕組みにしてほしいと思います。

でも何か複雑な事情があって、どうしても学校で甲状腺検査を続けなければならないのかもしれません。そうであれば、受診対象者全員が必ず甲状腺検査の利益と不利益、そのバランスについて、あまさず理解していることが必須だと思います。そうでなければ、「当然受けるもの」とか「周囲の目が気になって受けたくないとは言えない」とか「そもそも親が決めているから当事者意識が持てない」といった、学校で実施しているからこそ起きている、検査の実質的な強制性の問題は解消に向かわないと思います。

現状、受診対象者や保護者への情報提供が不十分だと思います。冊子が送られてきても、甲状腺検査を受けるのが当たり前のようになってしまっている中で、わざわざ読む人はあまりいないだろうと思います。福島県立医大の出前授業や出張説明会はありますが、原則申込制です。これも、同じ理由から、わざわざ説明会にまで参加する人はそれほど多いとは思えません。今の、検査を受けるのが当然という状況は、私たち検査対象者が自ら選択したものではありません。それなのに、たまたま情報を得て疑問を抱いた人や、たまたま学校の方針で出前授業を受けられた生徒だけが正しい情報を得られる。この状況は公平ではないのではないでしょうか。

――冊子やお知らせ文を全体に郵送する以外の情報提供の方法として、具体的にどのようなものが考えられますか。

科学的根拠やその理解度とは関係なく、漠然とした不安を抱えてしまう人は必ず一定数いると思います。ですから、甲状腺検査そのものをいきなり全部やめてしまうのではなく、検査を受け続けたいと思う方が、専門家に一対一で相談ができて、その上で検査を希望するならば受けられるような体制に変わればいいと思います。

強く不安を感じていらっしゃる方だからこそ、一斉に学校で検査をしておしまい、ではなく、一対一で、その不安や疑問を丁寧に聞き取り、傾聴することが大切だと思います。

――甲状腺検査について深く調べ、海外にも伝えた経験から、福島の甲状腺検査をめぐる問題について、今どのように思っていらっしゃいますか。

私は今、福島を離れて東北大学(宮城県仙台市)に通っています。県外に出ると、甲状腺検査だけではなく、福島の問題についての情報そのものに触れる機会がほとんどありません。福島で起きている問題は、福島県内だけで議論される、閉鎖的なものになってしまっているのではないかと懸念しています。

その上で、福島の甲状腺検査は、倫理的な問題、検査を実施する側の制度設計の問題、さらに日本人特有の「周囲の目を気にして自分のことを自分で決められない」という感覚による問題など、多様な分野にまたがる問題を抱えていると思います。だからこそ、福島県立医大の研究者だけでなく、国内外のさまざまな分野の研究者に問いかけ、共に考える価値のある問題だとも思います。

「もう十分に見守ってもらいました」

――甲状腺検査の受診対象者として、専門家や県などに伝えたいことはありますか。

甲状腺検査は、放射線の影響を受けた福島だからこそできる研究、と科学者の方は考えるのかもしれません。しかし、たとえば検査さえなければ見つからなくても生きていけたがんを見つけられてしまって、がんという病気に伴う恐怖や不安と、長い一生の間、向き合って生きていかなければならなくなる人がいるんです。その子の立場を想像してほしいと思います。私は、自分が甲状腺検査のことを伝える経験を通じて、そのことの大切さを痛感しました。

――県民健康調査検討委員会の星北斗座長が、UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)2020年報告の公開について読売新聞で「(住民の)甲状腺を30年間見守るという約束も果たさなければならない」とコメントされています。

その約束は私も覚えています。10年前のその約束のもとで、この検査は始まったのだとも認識しています。でも少なくとも私は、今検査の形が変わっても、「裏切られた」とはまったく感じません。

「30年」は、原発事故直後の、誰も根拠を持たない状況下でおかれた数字だったはずです。甲状腺検査開始から10年、私たちはもう十分見守ってもらえました。約束は完遂されたともいえると思います。

それに加えて、甲状腺検査が今抱えている問題は多岐にわたる上、過剰診断などの検査による不利益は、私たち県民に深刻な傷を残しかねないということもわかってきました。それがわかった以上、今も不安を抱いて悩む方へのケアに全力を注いでほしいと思います。

プロフィール

服部美咲フリーライター

慶應義塾大学卒。ライター。2018年からはsynodos「福島レポート」(http://fukushima-report.jp/)で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の福島の状況についての取材・執筆活動を行う。2021年に著書『東京電力福島第一原発事故から10年の知見 復興する福島の科学と倫理』(丸善出版)を刊行。

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