地球で生きる宇宙飛行士――『宇宙兄弟』はなぜALSを描いたのか?

▶シノドスの電子メールマガジン「αシノドス」

https://synodos.jp/a-synodos

▶真の教養を身に着ける「シノドス・サークル」

https://synodos.jp/article/20937

人間は自己決定で死んでいい存在ではない

 

川口 ALSは救いようのない、死んだ方がましな病気だと思われてきました。QOL(Quality of Life)の検査をすると、その値が生存が死よりも低くなる、つまり死んだ方がましって結果がでちゃうくらい。だからイギリスではALSには治療やケアをしても無駄だから医療資源の分配をしないんですね。日本はこれまで難病研究のために分配をしてきたんだけど、最近では欧米の医療経済の考えが流入してしまって、それが変わりつつあるんです。

 

ALSの患者さんはいずれ、呼吸器をつけるかどうかの選択をしなくてはいけなくなります。そうした状況で、7割の人が呼吸器をつけないという選択をしている。それってすごいつらいことですよね。生き続ける手段があるにも関わらず、それを諦めて死ぬ方を選ぶって自殺に近いでしょ。家族だってつらい。

 

それでも、呼吸器をつけてこの先何年も生き続けたら家族に迷惑をかけるんじゃないか、家族じゃもう介護しきれないんじゃないかって患者さんが判断している。息が苦しくなっても、呼吸器をつければまだ生きられるのに、それをあえてつけない。家族はそうして死んでいく患者をただ見守るんですよ。本当につらい。だからあらかじめモルヒネを打って意識を混濁させてしまうようなケースがたくさん。

 

お医者さんや倫理学者の方で呼吸器を外せるようになれば、付ける人も増えるんじゃないかって理屈をいう方もたくさんいます。でもね、外せるようだったら呼吸器を付けることを選択する人はいないと思う。それに呼吸器を外せる国では患者さんの命そのものが軽くなっちゃう。呼吸器なんて最初からつけなくなってます。

 

佐渡島 『逝かない身体』では「呼吸器が外せたらいいのに」とお書きになっていますよね。

 

川口 そう、外せるようになればみんな呼吸器に挑戦できるはずなのにって当時は思っていたの。

 

私はそもそも母を安楽死させてあげたいと思って、それで40過ぎてから勉強し始めた人間なんです。「呼吸器なんてつけなきゃよかったね、ごめんね」って母にずっと謝っていたんです。でもね、あるとき考え方ががらっと変わったんですよ。これだけ過酷でも、母はやっぱり生きていたいんだ。それを娘である私が否定したらすごく悲しいだろうって。娘だったら「この先もずっと生きていて欲しい」って思うのが、ALSのような障害では筋だし、「悪いけど、死ぬまでは生きていて」ってね、素直に親に言っていいんだって

 

私たち人間って、自己決定で死んでいいような生き物じゃないんですよ。だって誰かが「明日、死にます」って言ったときに「はい、どうぞ」って言わないでしょ。それをどうしてALSに限ってはいいことにしちゃうの。呼吸器を取るってことは、死ぬことを選ぶってことですよ。

 

佐渡島 家族とちょっと喧嘩して、「もう生きてていても意味がないから外して」って言ったら……。

 

川口 そう、そうなっちゃう。いま尊厳死の法制化が検討されているけど、それはそういうことなんですよ。

 

 

photo5

 

 

法律は心が弱いとき用に

 

佐渡島 ぼくも『逝かない身体』を読んだ後、呼吸器を外す選択肢があることで救われるならそういう法律があればいいのにって思っていました。たぶんALSの患者さんも、そして介護を経験した人もほとんどいないから、川口さんのような思いにいたる人って少ないんですよね。それを多数決で決めちゃうのは難しいと思う。

 

川口 「他人が強制しなければ『死ぬ権利』があってもいいだろう」って言うけど、それって違うんです。弱い人たちは、権利が義務にすり替えられちゃう。

 

佐渡島 特定秘密保護法も、上手に運用すればって話をよく聞きますが、それじゃあうまくいかないと思うんですよ。

 

いま、出版社が電子書籍に上手に対応できていないということで「総合出版権」というものが検討されています。これは紙の出版をするさいに、電子出版の権利も著者からひっぱりはがせてしまうような話なんですね。そこで、出版社は著者の話も聞かなくてはいけないとなっているんですけど、出版社は会社で、著者は個人ですよ。持っている知識も、割ける時間も、圧倒的に著者の方が不利でしょう? 善良な出版社だったら良いけど、出版社だって、担当者だっていろいろです。著者の話をちゃんと聞いてくれるなんて限らない。

 

そうした状況で、法律を作るときにカバーしなくちゃいけないのは著者側に決まっているじゃないですか。法律って、心が強いとき用ではなくて、弱いとき用に作らなくちゃいけないと思うんですよ。疲れたり、追い詰められたりしていて、心が弱っているときだって問題ないものじゃないと。

 

川口 法律を運用するのは官僚とか、強い人たちじゃないですよね。作るときには「弱者の権利が」とかいうんだけど、ふたを開けたら全然弱者のためになってない。

 

必要な法律はもちろんあると思いますけど、なんでも法律にすればいいってもんじゃない。理想的なのは、ケーススタディを積み重ねて、様々なケースを個別に対応できるような方法を研究すること。ただ時間もコストもかかって面倒だからって尊厳死法制化の話になっちゃう。死の法制化って死のベルトコンベアに乗るようなものですよ。

 

佐渡島 自分のことを自分で知っているって前提でいろいろなことが決まっているように思うんですよね。人間って自分のことなんてわからないと思います。

 

川口 わかんないですよ、将来の自分が何考えているのかなんて。気持ちは変わるものだから今の自分が一番信用できないもん、本当に。

 

佐渡島 発達障害の方の本を読んでいたときに、発達障害の方がお腹がすいているのにそれに気が付かなくて体調が悪くなっちゃうって話が書いてあったんですね。時計をみてようやくお腹がすいているんだって気が付く。ぼくも「今日のお昼に食べたいものはあれだな」って思うんだけど、それがなんだかわからないことがある。中華のような気もするんだけど、どうもしっくりこない。

 

だから人間の決断ってあやふやだってことを想定して法律が決められたらいいと思うんですよね。

 

川口 気持ちの「うつろいやすさ」を前提にすると、法律って決められない。むずかしいですよね……。

 

 

1 2 3 4 5
シノドス国際社会動向研究所

vol.268 

・植原亮「エンハンスメント論争の行きつくところ――BMIから徳へ?それとも?」

・出井康博「留学生という名の単純労働者」

・堀内進之介「学び直しの5冊〈現代社会〉」
・有馬斉「患者が望まない延命治療を行うことは正当化できないパターナリズムか――『死ぬ権利はあるか』出版に寄せて」
・穂鷹知美「移動の自由がもたらす不自由――東ヨーロッパを揺り動かす移住・移民問題」
・多賀太「男性の「ケア」参加はジェンダー平等実現の決め手となるか」
・吉永明弘「ローカルな視点からの環境論」