3.11後の「表現すること」の戸惑い

「伝えるもの」以上の写真

 

荒井 ぼくも3.11のあとにいろいろなことを考えました。おふたりは個人的なことも含め、大変なご苦労をされたんだろうと思います。「写真に何ができるんだろう」って随分悩まれたんじゃないでしょうか?

 

佐藤 そうですね、写真に何ができるのかは考え続けています。やっぱり撮れなかったもんね。

 

安田 うん。

 

荒井 撮れなかったものの方が圧倒的に多いわけですよね。

 

佐藤 そうですね。それはどの現場でもそうですし、撮れなかったもののほうが心にグサリと残っていたりもします。

 

安田 最初は、思うんですよね。別にシャッターを切ったからといって瓦礫がどけられるわけでもないですし、病気が治るわけでもない。こんなときに写真を撮っている場合かって。自分自身のなかから、そして人から、そういう声をかけられました。

 

でも写真って、写真で伝えることももちろんそうですけど、いろいろな役割があると思います。手元に思い出を残すことかもしれませんし、心のなかを表現して誰かと繋がるという、アートと同じような意味合いを持つかもしれない。

 

例えば、震災直後にある学校で入学式が開かれることになったとき、町の写真館が津波で流されてしまっていたので、記念写真のお手伝いをさせてもらったんですね。そこで子供たちに、役割分担なんだなって教えてもらいました。

 

入学式って、たった一日ですよね。でもその日のために奔走してきた先生がいて、避難所暮らしを耐えてきた親御さんがいて、「現地にはいけないけれど」と言って物資を送ってくださった方がいて、直前まで泥かきをしてくれたボランティアがいる。写真は、本当に最後のワンピースくらい。でもそこで「私は何の写真が撮れるんだろう」ではなくて「この町で私の写真がどんな役割を果たせるか」って発想を変えるようにしようかなって思ったんです。だってあの日は、一人ひとりがそれぞれの役割を果たすことで、乗り越えられた日だったから。

 

写真の役割を「伝えるもの」と考えていた私たちは、震災で、写真のことをもっと広い意味で考えられるようになった気がします。

 

佐藤 安田とほとんど一緒ですね。でもぼくの場合は、半分当事者だった部分があって、伝えるためにシャッターを切ったかというと実はそうでもありませんでした。むしろカメラがなかったらあそこに立っていることができなかったと思うんですよね。

 

今にして思うと、震災の前の年からフォトジャーナリストとして仕事をはじめて、世界中のあちこちの状況と対峙してきたのは、今回の震災に備えた準備期間のようにさえ思っているんですよね。この期間がなかったら、おそらくぼくは震災で何もできなかったでしょうし、瓦礫と化した市街地で、母という大切な人を探すという過酷な行為に耐えられなかったと思います。荒井さんの本に書かれていたように、写真はあのとき、ぼくにとって呼吸することと変わらないくらいのものだった。ぼくが認識できない現実を、カメラというツールで認識できる、知覚器官の延長線上にあったなあと思うんですよね。

 

 

変わり果てた陸前高田市の市街地跡で。写真を撮るという行為は、僕にとって目の前の信じがたい現実と向き合うための手段でもあった。(写真:佐藤慧)

変わり果てた陸前高田市の市街地跡で。写真を撮るという行為は、僕にとって目の前の信じがたい現実と向き合うための手段でもあった。(写真:佐藤慧)

 

 

「それでいいんだよ」

 

荒井 震災のときに、みんないろいろな言葉をかけあっていましたよね。

 

安田 そうですね。

 

荒井 ぼくは文学研究者なので、どんな時代に、どんな言葉が必要とされるのか、とても気になってしまいます。たまに学生に「いじめ」を扱った文学作品を読ませて、「いじめられている子を励ましてあげてください」って課題を出すんです。ちなみに、「励ましの言葉」ナンバーワンって何だと思いますか?

 

佐藤 うーん、なんだろう。

 

荒井 やっぱり「がんばれ」なんですね。あとは「負けないで」「大丈夫だよ」。きちんと統計をとってるわけじゃないですけど、不動のトップ3だと思います。でも「がんばれ」とか「負けないで」って、人を叱る言葉でもありますよね。「叱咤激励」って言葉があるように、日本語だと「励ます言葉」と「叱りつける言葉」って隣りあわせなんです。「大丈夫だよ」も難しいですね。「大丈夫」って、ここ数年で「ノーサンキュー」って意味に変わりましたから。「コーヒーもう一杯飲みますか?」「あ、大丈夫です」って。

 

佐藤 なるほど。

 

荒井 日本語のなかには、どのような文脈でも、どのような受け取り方でも、純粋に人を励ませる言葉ってないんですね。だからみんな震災のとき悩んだのでしょう、「ひとりじゃない」って言葉がでてきたんです。時代が新しい励まし表現を生んだんです。でも「ひとりじゃない」も難しい表現ですよね。「悲しんでいるのはあなたひとりじゃない」って、その人の悲しみを分かち合う表現でもあれば、共感や共鳴を拒否する表現にもなってしまう。

 

佐藤 「あなたの悲しみは特別じゃない」と言い切ってしまうかもしれない。

 

荒井 そうすると、ぼくたちは純粋にひとを励ますことってできるんだろうか……そんな風に悩んだ時に、それでも人を励ましたいと思って表現を必死に模索する。文学やアートって、そこから生まれるんだと思うんですね。おふたりの写真は、もしかしたらそこを目指しているのかもしれないって感じたんです。

 

安田 荒井さんの本で、「治療」と<癒し>を違うものとして書いていますよね。

 

医療ってやっぱり「早くよくなってね」っていうものなんですよね。そのために「あの薬を試しましょう、この薬を試しましょう」。

 

でも人の心ってそういう風に扱うものなのかなってずっと疑問に思っていて。震災が起きたあと、「早く前に進もう!」「がんばれがんばれ!」「復興へ!」って雰囲気に違和感がありました。

 

震災のときカンボジアにいたんですけど、震災の翌日、カンボジアで日本語を勉強している学生が「募金活動をしよう!」「ものを集めて送ろう!」ではなくて、「まずは集まろう、そして死を悼み、祈りをささげよう」って言っていたんです。

 

「ああ、それだなあ」って。彼らの感覚に感謝しています。どんな復興も、どんな希望も、まずは死を悼む、人の歩くペースを尊重する。それを抜きにしたら脆いものになってしまうと思います。長い時間をかけてでもいいから、自分のペースを刻みながら生きていけるようになったらいいなって、そういう柔らかいメッセージがもっともっとあふれて欲しいです。

 

荒井 確かに、人の心のペースってびっくりするくらいゆっくりなんですよね。それでいいんじゃないかと思うんだけど、なかなかそうはさせてくれない世の中なんですよね。

 

佐藤 どうしてもチクタクチクタク聞こえてくる。

 

励ましの言葉って、言ってしまえば「いまのあなたは駄目」と言われてるように解釈することもできちゃうじゃないですか。そんなこと言われたら「やっぱり自分は何もできないのかな」って思ってしまう人もいる。ぼくも父には、「いくらでも駄目になっていいんだよ」って言葉をかけてあげたい。それが人間だし、それぞれの人の悲しみは、誰かと比べることができるようなものではないので、その人が苦しいと思ったらそれは宇宙一苦しいんだし、「世界なんて壊れてしまえ」と思ってしまっても横暴とは言い切れない。それを「みんなつらいんだ」なんて、その人の苦しみを否定するようなことを言っちゃいけない。誰かと比較することでしか苦しめないなら、逆に幸せですら相対的な基準でしか感じることができなくなる思います。あなたの喜びも、悲しみも、あなたが決めていいし、みんなが「それでいいんだよ」と言える社会が優しい社会なんじゃないかなって思います。

 

安田 親が亡くなっていたり、重い障害をもって働けない子どもたちの奨学金をだしているあしなが育英会は、コミュニティをすごく大事にしているんですね。

 

学生を集めてキャンプみたいなことをやらせるんです。10人くらいのグループになって、「ここで話すことは絶対に誰にも漏らさない」と約束した上で、自分史語りをさせるんです。反発する子もいて、私も傷の舐めあいみたいで最初は嫌だったんですけど。

 

友達に親が死んでいることを話すとき重い空気にならないように「親が死んじゃってさー、ハハハッ」って話してしまいますよね。でもそのときは、ものすごく静かに、真剣な雰囲気のなかで話をするんです。「リストカットしました」って誰かが言っても、「そんなことしちゃ駄目だよ」なんていわない。そんな約束していないけど、誰も。話しているうちに泣き出してしまっても、その子が次の言葉を紡ぎだすまでじっと待っている。その空間に私は感動を覚えて。ただ受け止めてもらえるだけの空間が欲しかったんだなって。

 

荒井 〈造形教室〉って、本当にそんなところなんですよね。みんな好きな時間にやってきて、好きな絵を描いて。で、相談したいことがある人はスタッフを呼んで話をしたりとか。そのスタッフも美術家というところが面白んですけど。なんとなくみんなそこにいて、なんとなく調子悪いなって人がいて。何気ない空間のなかに、さりげなくやわらかに溶け込んでいる。そういうところが、ぼく自身にとっても必要な場所だったのかなって思っています。

 

 

 

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vol.2019.4.15 

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